中央アメリカ

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中央アメリカの地図

中央アメリカ西: América central: Central America)は、中米(ちゅうべい)ともいい、アメリカ州を、北・中・南に分類した場合の北アメリカ南アメリカをつなぐ地峡部でグアテマラベリーズエルサルバドルホンジュラスニカラグアコスタリカパナマの7ヶ国からなる地域である[1]。地理的にはメキシコのテワンテペック地峡からパナマ地峡までである[2] 。この場合はメキシコの南部諸州が中央アメリカへ含まれ、パナマの南部が中央アメリカに含まれないことになる。

域内7ヶ国の総人口は約4千2百万人(2009年推定)で総面積は52.4万平方キロメートル(日本の約1.4倍)である[3]

アメリカ州を南北に2分した場合は中央アメリカは北アメリカに含まれる。

上記の範囲を拡大し、中央アメリカへメキシコおよびカリブ海諸国を含めた中央アメリカ州(または中部アメリカ[4]: Middle America)という定義もある。これにはさらにコロンビアベネズエラを含める場合もある。

自然[編集]

カリブプレートと断層
熱帯低気圧の経路 1985–2005

グアテマラとベリーズは北米プレート上にあるが、その他はカリブプレート上である。地学的に非常に活発な地域であり、火山も多く、地震も頻発している。約300万年前の鮮新世に形成されたパナマ地峡は南北アメリカ大陸をつなぐと同時に海洋を2分したことで地質時代上の重要な出来事と考えられている。

平野部はベリーズとニカラグアに多いがその他の国は山岳地形である。

大陸の一部ではあるが東西に細い地形で、メキシコ湾カリブ海太平洋に挟まれており雨量が多い。またカリブ海と太平洋のそれぞれで発生したハリケーンの影響を受ける。

歴史[編集]

2万年前には人類が到達しており、メキシコ南部から中央アメリカにかけて先コロンブス期オルメカマヤなど様々な文明が発達した。16世紀にはスペイン人によりメキシコ、中米、南米が征服され、17世紀から19世紀初頭にかけてヌエバ・エスパーニャ副王領の下位行政組織のグアテマラ総監領英語版が、北は現在のメキシコのチアパス州から南はコスタリカにわたる地域を統治した。パナマは南米北部のヌエバ・グラナダ副王領の統治下にあった。 1821年にはグアテマラ総監領はスペインから独立し、中米連邦を成立させたが内戦を経て19世紀中頃には各国が独立した。連邦崩壊後も何度か再統合が試みられたが成功していない。1960年には経済統合を目指し中米7ヶ国が加盟した中米統合機構が設立された。

その他の定義[編集]

また文化的差異からアングロアメリカラテンアメリカ[5]で分類されることもあり、メキシコと中央アメリカ諸国をひとつのグループにまとめる場合がある。国際連合ではアメリカ州を北方アメリカ(: Northern America、北では無い)と中央アメリカ(: Central America、メキシコを含む)、カリブ諸国、および南アメリカ(: South America)という分類をしている[6]

アングロ・ラテンの分類はカナダケベック州フランス語圏(ラテン)であり、中米、カリブ諸国、南米に非ラテン語圏があり、米国領のプエルトリコはスペイン語圏であるなど地理的分類が容易ではない。

中央アメリカ諸国[編集]

中央アメリカ7ヶ国

最狭義には中央アメリカ連邦を構成していた五カ国のみが本来の中央アメリカであり、中央アメリカのアイデンティティもこの五ヶ国が共有するものだったが、後に1903年コロンビアから独立したパナマ、イギリス領ホンジュラスが独立したベリーズが加えられてこの二ヶ国も中央アメリカを構成することになった。経済的にはパナマ、コスタ・リカの最上位、グアテマラ、エルサルバドルの中位、ニカラグア、ホンジュラスの最下位国に分化する。

広義の中央アメリカ諸国[編集]

西インド諸島・カリブ海周辺

上記に加えて、カリブ海西インド諸島を含めた地域。

脚注[編集]

  1. ^ kotobank - 小学館・デジタル大辞泉 「中央アメリカ」
  2. ^ weblio - 三省堂・大辞林 「中央アメリカ」
  3. ^ CIA ワールド・ファクトブック、英版(2012-12-26)より
  4. ^ kotobank - 日立ソリューションズ・世界大百科事典 「中央アメリカ」
  5. ^ ラテンアメリカをしばしば中南米と同義として使われているが、メキシコは北アメリカであるので正確ではない。
  6. ^ 国際連合 Country or area & region codes

地域機関[編集]

関連項目[編集]