マン島

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マン島
マン島語: Ellan Vannin
英語: Isle of Man
マン島の旗 マン島の紋章
地域の旗 紋章
地域の標語:ラテン語: Quocunque Jeceris Stabit
「投ぐればいずくにでも、立たん」
地域の歌:God Save the Queen女王陛下万歳
マン島賛歌
マン島の位置(マン島内)
マン島
マン島
ダグラス
ダグラス
カッスルタウン
カッスルタウン
ラムジー
ラムジー
ピール
ピール
カフ・オブ・マン
カフ・オブ
・マン
チキン・ロック
チキン・ロック
アイリッシュ海
アイリッシュ海
マン島の地図(赤円内の●が位置を示す)
公用語 英語
主都 ダグラス
北緯54度08分43秒 西経4度28分54秒 / 北緯54.14521度 西経4.48172度 / 54.14521; -4.48172
最大の都市 ダグラス
政府
マン島領主 エリザベス2世
副総督
首席大臣
アダム・ウッド
アラン・ベル
面積
総計 572km2191位
水面積率 極僅か
人口
総計(2013年 86,159人(196位
人口密度 149.8人/km2
GDP (PPP)
合計(xxxx年 21.13億ドル(182位
1人あたり 28,500ドル
王室領 1765年
通貨 マンクス・ポンド
UKポンド (GBP)
時間帯 UTC +0 西ヨーロッパ時間DST:+1 西ヨーロッパ夏時間
ISO 3166-1 IM / IMN
ccTLD .im
国際電話番号 44(市外局番 01624)

マン島(マンとう、マン島語: Ellan Vannin または Mannin英語: Isle of Man または Mann)は、グレートブリテン島アイルランド島に囲まれたアイリッシュ海の中央に位置する島。面積は約572km²。主都はダグラス。人口は2006年時点で80058人。

概要[編集]

マン島は複数の国の間で統治権が移動する複雑な歴史を持っており、周辺の島やイングランドアイルランドとも異なる独自の文化を築いてきた。1504年以降はマン島領主英語版 (Lord of Mann) を名乗るイングランド貴族のスタンリー家が代々統治してきた。1786年のマン島購入法英語版成立によって王室がマン島の支配権を購入し、それ以降はイギリス(連合王国)の君主がマン島領主を世襲している。

マン島の法的地位[編集]

マン島は法的にはグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国の一部でもなく、また主権国家でないためイギリス連邦 (commonwealth) の加盟国でもなく、自治権を持ったイギリスの王室属領 (Crown dependency) である。しかしイギリスとの密接な関係からイギリス連邦の一部と見なされることも多く、イギリス連邦議会連合英語版コモンウェルスゲームズ等に参加している[1]

欧州連合には参加せず、代表も送っていないが、イギリスの特別領域として扱われている。

歴史[編集]

島中央部にあるブライド。ケルト=ヴァイキング時代の円形住宅と、2つのロングハウスの遺跡

紀元前8000年頃、水位が上昇し、マン島は周囲の島々から切り離された。証拠から、島への定住は紀元前6500年以前に海から行われたことが示されている[2]。最初の住民は小さな小屋に暮らし、狩りや釣りをして食糧を集めていた。彼らは火打石や骨で作った小さな道具を使っていた。これらは海岸近くで多く見つかっている。これら工芸品の代表はマンクス博物館に所蔵されている[3]

新石器時代に、農業の知識、優れた石器や陶器が伝わった。この時期に、巨石記念物が島の周囲に現れるようになった。この時代の巨石記念物として、Cashtal yn Ard、King Orry's Grave、Meayll Circle、Ballaharra Stonesが挙げられる。

青銅器時代、巨石記念物を建てた人々の大きな共同墓は、小さな古墳に置き換えられた。遺体は装飾用容器とともに並べられた石の墓に入れられた。青銅器時代の古墳は、田舎で長期間作り手が作り続けた[4]

鉄器時代ケルト文化の影響が始まった。丘のてっぺんには大きな砦がつくられ、海岸沿いの崖の上にはより小さな砦がたった。その間、木組の大きな円形住宅が建てられていた。5世紀頃、アイルランドと移住者からの文化的影響がゲール語化の過程を促進し、マンクス語を生み出した。このことはオガム文字の碑文が証明している。マンクス語はアイルランド語スコットランド・ゲール語と密接な関係を保っている[5]

マン島へのヴァイキング定住は8世紀終わりのことだった。ヴァイキングがティンワルド英語版という議会を設置し、現在も残る多くの土地区画を導入した。スカンジナビア支配を受けている間、名目上の宗主権をノルウェー王が保有していたが、ノルウェー王が宗主権を主張するのはわずかな機会に限られた。

12世紀以降、ノルウェーの内政の混乱によってマン島支配が弱まると、代わって勢力を伸ばしてきたスコットランド王国と衝突するようになった。13世紀半ば、マン島および島嶼部の王であったマグヌス・オラフソンはノルウェー側にたって戦ったが、マン島を除く全ての島を放棄して降伏させられた。マグヌス死後の1266年、ノルウェー王マグヌス6世は、スコットランドとの間に結んだパース条約によって、マン島を含む島嶼部を割譲した。しかし、スコットランドのマン島支配は1275年のロナルズウェーの戦いでマン島人を退けるまでは、定着したとは言い難かった。

13世紀以降、マン島の支配権はある時にはスコットランド、時にはイングランドと二転三転した。ヘンリー4世の時代にマン島はイングランド王家のものとなり、1405年にジョン・スタンリーに島が授けられた。以後、ジョン・スタンリーの子孫であるダービー伯爵家がマン島領主を兼ねた。彼らは滅多に島に来ることはなく、代官を派遣して島を治めた。

1736年、第10代ダービー伯ジェームズ・スタンリーが嫡男をもうけることなく亡くなったため、マン島の領主位を継承したのはダービー伯爵家の男系子孫であるスコットランド貴族、第2代アソル公爵ジェームズ・マレーであった。1765年、マン島購入法英語版によって、アソル公爵夫人シャーロット・マレー(第2代アソル公爵の、成人した唯一の子)は、父親から継承していたマン島領主としての宗主権をイギリス政府に7万ポンドで売却し、年2000ポンドの年金を得ることとなった。

1919年にはイギリス本土に先駆けて婦人参政権が導入されている[6]。第二次世界大戦中には非武装地帯となったが、在英日本人の仮収容所が設置されていた[7]

1949年、マン島副総督英語版が議長を務め、ティンワルドのメンバーも含まれるマン島最高評議委員会英語版が発足した。これは、選挙で選ばれない総督代理から民主的に選ばれたマン島人政治家への行政権の移動の始まりだった。1958年から1976年までの間に、金融と警察の管轄はマン島人に移った[8]。1980年、副総督の職は、ティンワルドに選出された議長によるマン島最高評議委員会議長にとってかわった[9]。1984年の法律に伴い、最高評議委員会が1985年に再組織され、8つの主要な委員会の議長を含むことになった[10]。1986年になり彼らに大臣の称号が与えられ、議長は首席首相と改名した[11]。1986年、サー・マイルズ・ウォーカーが初代マン島の首相英語版となった。1990年、マン島最高評議委員会は閣僚委員会と改名した[12]

主要町村[編集]

括弧内はマン島語名

(町)
(地区)
(村)

政治[編集]

イングランド法のベースとなった独自の法律を持ち、長い民主主義の伝統を持つ。立法権を持つ立法評議会 (マン島)英語版ハウス・オブ・キーズ英語版と呼ばれる下院の二つはティンワルド英語版と総称され、世界最古の議会であるといわれる。現在でも7月初旬の「ティンワルドの日」には伝統にのっとった青空議会が開かれている。議会が可決した法案はマン島領主またはその代理であるマン島副総督英語版によって裁可される。マン島領主はマン島閣僚の輔弼は受けず、イギリス本土の枢密院の助言に従って統治を行う。イギリス議会はマン島に独自の法律を施行できる権限を持っているが、マン島議会の承認を受けて法律を施行する。イギリス議会側はこの制度が慣習に基づくもので法的なものではないとしており、法的拘束として扱うように求めるマン島側の要求を拒否している[14]

行政権は首相(マン島の首相英語版)をトップとする内閣評議会(内閣評議会 (マン島)英語版)が持つ。

自由バンニン党英語版マンクス労働党英語版の二つの政党が存在している。しかし閣僚の選出は政党を基準とする者ではなく、いわゆる政党政治は行われていない[15]

外交軍事はイギリス王室に委ねるという法律があり、その代金を毎年支払っている。

地方政府[編集]

マン島の地方自治体制度は、古来よりあるキリスト教の教区 (parish) 分割にもとづいている。首都ダグラスは、バラ (borough) という行政区分になっており、自治体 (municipal corporation) によって治められている。

一方、カッスルタウン、ピール、ラムジーら他の主要町、カーク・マイケル、ラクシー、オンチャン、ポート・エリン、ポート・セント・メアリーの5村、また15の区 (parish district) には、複数のコミショナー制の監督庁 (body of commissioners) を置いている。地方政府は、マン島政府の地方政府環境省 (DOLGE; Department of Local Government and the Environment) の監督下におかれる。

軍事・治安[編集]

1938年に成立したマンクス連隊英語版が第二次世界大戦後に解散して以降固有の軍隊は保持していないが、マン島保安隊英語版と呼ばれる治安維持部隊が存在する。

経済[編集]

通貨はマンクス・ポンドマンクス銀行により独自の通貨が発行されている。為替レートスターリング・ポンド(イギリス・ポンド)と同じ。イングランド銀行、スコットランド銀行などで発行されたイギリスポンドも国内で問題なく通用する。

観光・産業[編集]

マン島の主要産業は伝統的な農業と観光である[15]。マン島はイギリス本土、アイルランド、チャンネル諸島共通旅行領域を形成しており、この領域内での旅行では入国審査が免除される[14]

島の公道を使って一周60kmを走るオートバイレースマン島TTレース(世界選手権からは除外)は、世界でもっとも歴史の長いオートバイレースとして有名。

タックスヘイブンとしても有名で、特にキャプティブ保険会社(保険業でない企業が子会社として設立する、自社専用の保険引受業者)が数多く設置されている。2010年には、英国のシンクタンクにより、世界第32位の金融センターと評価されている[16]

住民[編集]

マン島の住民はイギリスの市民権を保有しており、マン島独自の市民権は存在していない[7]。また本土と異なるマンクス・パスポートという旅券が発行されている。

文化[編集]

道路の制限速度がない等の制度が残存している。また、マン島は保存鉄道でも知られる。保存鉄道は、蒸気機関車アプト式登山鉄道、狭軌の電車の3系統がある。

言語[編集]

マン島語と英語で書かれた看板

主に英語が喋られており、公用語である。また土着の言語としては、ケルト語派のゴイデル語系に属するマン島語があり、現在はこちらも公式言語として認められている。英語の方言はマン島英語英語版と呼ばれ、固有独特な単語や表現も多いが、使用減少の一途をたどっているという。方言にはマン島語の借用語が多いが、北欧ノルド語由来の語も幾つか見られる[17]

20世紀初頭、マン島語を日常的に使う最後の話者が亡くなったが、1970年代以降、言語復権運動から現在は約1700人のマン島語識者(自己申告)がいる。イギリスからの独立意識の高いマン島では、英語に次ぐ公用語として位置づけられ、国民にはマン島語による教育の機会も与えられている。また2005年にはマン島語のみを教授言語とする初等教育の学校ができた。

国家象徴の象形[編集]

マン島のシンボルの三脚巴(旗画像参照)は対称性を持っており、数学の群論の説明に用いられることが多い。

宗教[編集]

神話・伝説および民間伝承[編集]

海神マナナーン[編集]

ピール城

マン島はケルト神話の海神マナナーン・マクリールの名からとられているという故事は、アイランドの古書『コルマクの語彙集英語版[18]にある。その訳者ジョン・オドノヴァン英語版が伝えるマン島の伝承によれば、マナナーンは島の最初の人で、その三本足で車輪のように濃霧のなかを移動したと言われ[19]、「三本足の男」(マン島語: Yn Doinney Troor Cassgh "The Three-Legged Man")と呼ばれた[20](ちなみに参考まで、オドノヴァンは、アイルランドで隻脚三臂の鍛冶師ロンが大地を駆けるという伝承を採集している。グラス・ガヴナン参照)

16世紀に書かれたマン島の古謡(バラッド)『小マナナン・マク・レルまたはマン島の全記 (Mannanan beg mac y Leirr; ny, slane coontey jeh Ellan Vannin)』(1507-22年頃成立)によれば、マン島は最初マナナンが手中にしており、島民から税を取り立てていたが、異教徒(非キリスト教徒)だったマナナンは、聖パトリックによって追放されたとしている。マナナンは、「剣をもってして国を保っていたのではなく/矢数ででも弓ででもなく/船らが通りかかるのを見ると/霧で(島)を覆ってしまうのだ」と歌われている(第4謡節)。そして各地主はマナナンへの借地代として、(葦のような)粗藺草(?)の青草を、毎年真夏夜(8月1日)になれば納めればよかった。(「真夏夜」=原文マン島語: Oie-Lhoine "midsummer eve"; 辞書見出し語 lhuanys, lhunys "英語: lammas" 「ラマス祭」≒ルグナサド英語版(第6謡節)[21]。しかしいかんせん、マナナンは聖パトリックにより波間の彼方へお祓いされてしまったのだ。(アイルランド神話でも、マナナーンには姿隠しの濃霧をたちこめらせることができ、その霧はアイルランド語ではフェート・フィアダと呼ばれているが、聖パトリックのお祓いの唱歌もフェート・フィアダと称されている。)

妖精[編集]

マン島の民間伝承には、いくつもの神秘の生物や妖精の類が伝えられている。聖トリニアン教会の屋根をいくら完成したくとも吹き飛ばしてしまう悪霊ボゲードン英語版(バゲイン)(Buggane)。人助けもするが意外と気難しいフェノゼリー。水から丘に現れる、毛むくじゃらの怪異とも水馬ともいわれるグラシュティン。ピール城の守衛たちの前に出没したマン島の黒妖犬モーザ・ドゥーグなど。

マン島にはまた、モインジャー・ヴェガ英語版マン島語: mooinjer veggey; 発音: /muɲdʒer veɣə/)、すなわち、マン島語で「小さい人たち」(the little folk) と称される小人たちがいるが、現地では「ご自身様たち」(?) (themselves) という隠語で呼ばれることもある。フェアリーブリッジ英語版(妖精橋)という橋を渡るときは、かならず彼らにあいさつをしないと不吉だといわれる。また、幸福をもたらすという豚アーカン・ソナ英語版[22]

フィン伝説[編集]

また、アイルランド民話には、マン島の形成の伝説が語られている。それによれば、伝説の勇士フィン・マックールが、スコットランド地方の巨人を追いかけていたとき、相手をみすみす海を泳いで渡らせて逃すまいと思い、岩石と粘土のけずりとって、その塊を投げつけたのだが、目測をあやまり、巨人の頭上を通り越してアイリッシュ海に落ち、マン島となった。穿たれたくぼみはアルスターのネイ湖となって残ったという[23]

アーサー王伝説[編集]

ピール城は、アーサー王伝説アヴァロン[24][25]だとか、聖杯城、あるいは、ランセロットがメレアガント英語版と対峙した剣の橋の場所だなどと取沙汰される[26]

食文化[編集]

国を代表する伝統料理は「スパッズ・アンド・ヘリン」(Spuds and Herrin) といい、茹でジャガイモと燻製ニシンの開き(キッパー)を合わせた一皿である。昔から農作や漁労に従事する島民が常食の糧としてきたものである。

しかし近年、国民的料理の様相を示しているのが、どこかしこでも見られる「チップス・チーズ・アンド・グレイヴィー」だ。これはプーティーヌに似た一品で、拍子切りにした太めのフライドポテト(チップス)に、チェダーチーズの粗挽き(シュレッドチーズ状)をまぶし、濃厚なグレイビーソースをかけて完成する[27]

地元の食生活では、従来、魚介類を多く摂取してきた。近頃は商業漁業の漁獲量もめっきり減っており、西岸のピールの町の燻製工房ではニシンをマン島風のキッパーに加工しているが、原料は北海ものが多くなっている[28]スモークサーモンベーコンの加工もおこなわれる。

カニ、ロブスター(オマール海老)、ホタテガイを対象に漁獲が操業されている。特にクイーンホタテ英語版は、マンクス・クイーニー (Queenies) の愛称で知られ、淡白で甘みのある味わいで喜ばれる[29]。マダラ、タラ科クロジマナガダラ英語版、サバなどの釣魚が地元の食卓に上る(これらは海岸釣りもできるようである[30])。地元の河川や湖ではサケ・マス類が捕獲されるが、これは国営の孵化場(Cornaaに所在)に支援されている。

牧牛、牧羊、養豚、養鶏がおこなわれ、丘陵地のマン島産ラム肉は、人気である。マン島特産のロフタン品種の羊は、味わいぶかい濃赤味の肉質で、料理人のあいだで定評があり[31][32]原産地名称保護制度 (PDO) 認可取得な食材である[33]

マン島産のチーズには、オーク材のチップの燻製品や、ハーブで香りづけした商品があり、イギリスの食品店にも入荷されるようになっている[34]。ロンドン主催の2011年度ワールドチーズアワード大会において、某社のマン島産チェダーはシュレッドチーズ部門で銀賞を獲得した[35]

地ビールのブランドとしては、オケルズ醸造英語版(Okells; 創立1850年)や、ブッシーズ醸造英語版 (Bushy's Brewery) が挙げられる。マン島で1874年以来、施行されているビール純粋法 (beer purity law) はドイツのビール純粋令と目的を同じくした法令である[36]

スポーツ[編集]

モーターサイクル競技[編集]

カマグ[編集]

カマグ(?)(マン島語: cammag; 発音: [kʰamaɡ][37])は、スコットランドでいうシンティ英語版やアイルランドのハーリングと同種同源の[38]マン島のスポーツで、フィールドホッケーを簡略したような、ステックをもちいるチーム球技である[38]。かつては国技であったがサッカーにとってかわられてしまった[38]。いちどは廃れたが、21世紀において、再興をみせているといい、4人〜200人の人数でゲームに参加するという[39]。使用する尖端がフック状に曲がったステックをカマグといい、これは「小さな曲がったもの」の意とされる[40]

島特有の品種動物[編集]

マン島のロフタン羊は、食肉用に放牧飼育されている。

マン島を代表する特有の動物にはマンクス種の猫とロフタンシープという品種の羊がいる。

マンクス猫

マンクス種の家猫は、尾が極端に短い変異をもつ血統の品種である。数センチほどの短い尾の個体をスタンピー ("stumpy")、まったく尾の外見を欠いたものをランピー ("rumpy") と称する。毛並みは様々であるが、後肢がやや長め。貨幣や郵便切手などにも図柄が使われる国の象徴的な動物である。しかし、1930年代より米国での関心と需要が高まり、島内での品種の存続を危惧したマン島政府は、一時期、国費でこの猫の飼育所(ブリーダー事業所)を運営させていた[41][42][43]

ロフタン羊

マン島ロフタンシープは、マン島で家畜化されたの純血種をさす。(濃)褐色の羊毛をした、頭角本数が多い品種で、牡羊では2、3、4本から5~6本の角を生やすこともある[44]

その名の由来であるロフタン(マン島語: loaghtyn, lugh-dhoan)は毛並みの色合いをさす言葉だが、これはlugh「マウス」+"dhoan"「褐色」の合成語で、英語に同義語はないと言われる[45]。短尾の品種に珍しく、採れる羊毛は柔らかく良質とされる[44]。肉は美味でグルメ食材として珍重され、ある程度成熟したものがホゲット(ラムではないが若い羊)やマトンとして出荷されている[46]

マン島出身の著名人[編集]

出典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 弥久保宏 2011, pp. 320.
  2. ^ Bradley, Richard (2007). The prehistory of Britain and Ireland. Cambridge University Press. p. 8. ISBN 0-521-84811-3 
  3. ^ Manx Museum Mesolithic collections”. 2012年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月7日閲覧。
  4. ^ Manx Museum Bronze Age collections
  5. ^ Manx Museum Celtic Farmers (Iron Age) collections
  6. ^ 弥久保宏 2011, pp. 318.
  7. ^ a b 弥久保宏 2011, pp. 309.
  8. ^ Finance Act 1958, Finance Act 1962, Police (Isle of Man) Act 1962, Governor's Financial and Judicial Functions (Transfer) Act 1976: Statutes of the Isle of Man
  9. ^ Constitution (Executive Council) (Amendment) Act 1980
  10. ^ Constitution (Executive Council) Act 1984
  11. ^ Constitution (Executive Council) (Amendment) Act 1986
  12. ^ Council of Ministers Act 1990
  13. ^ a b Brian Stowell. “Intermediate Lesson 1 of 100 by Brian Stowell”. 2012年3月21日閲覧。
  14. ^ a b 弥久保宏 2011, pp. 319.
  15. ^ a b 弥久保宏 2011, pp. 321.
  16. ^ The Global Financial Centres Index8
  17. ^ 英語版 Manx English (19:42, 23 November 2011‎) などを参考
  18. ^ Stokes & O'Donovan 1868, Sanas Cormaic, p.113, Manannan mac Lir の項, "Et de nomine Manannan the Isle of Man dictus est."
  19. ^ Stokes & O'Donovan 1868, p.113, Manannan mac Lir の項, O'Donovan の注"According to the traditions in he Isle of Man.. this first man of Man rolled on three legs like a wheel through the mist.."。マン島のみでなくレンスター東部にも伝わるとしているが、編者 Stokes は、そのような言い伝えは知らないと注釈している
  20. ^ Moore 1895, "Further Notes", p.42. 聖パトリックが来た時、マナナーン以外の住人もみな三本足だった。(Mnax Soc.vol.v, p.4)
  21. ^ Train 1845, "Hist. and Statist. Acct.", p.50- 55; Moore 1895 引用; MacLauchlan ed., The Dean of Lismore's Book (1862), p.145 引用
  22. ^ Moore 1895, "Further Notes on Manx Folklore", p.268: Arc-Vuc-Soney, "Lucky-Boar-Pig"
  23. ^ Kennedy, Fictions of the Irish Celt, p.280; Moore 1895, "Further Notes on Manx Folklore", p.42 に転載
  24. ^ Avalon's Location
  25. ^ Isle of Man
  26. ^ King Arthur, Norma Lorre Goodrich, Harper and Row, 1989, p. 318
  27. ^ Isle of Man - Factfile - Daily Life
  28. ^ American Motorcyclist Assoc (November 1971). American Motorcyclist. American Motorcyclist Assoc. p. 22. ISSN 02779358. http://books.google.com/books?id=ffYDAAAAMBAJ&pg=PA22 2011年9月12日閲覧。. 
  29. ^ Evans, Ann (2009年). “Scallops the main ingredient of unique gathering for foodies; SUN, sea, sand and shellfish”. Coventry Newspapers. 2011年9月12日閲覧。
  30. ^ http://www.gov.im/tourism/activities/seasport/fishing.xml
  31. ^ Kallaway, Jane. “Award winning organic lamb”. Langley Chase Organic Farm. 2011年9月12日閲覧。
  32. ^ Purely Isle of Man (PDF)”. Isle of Man Department of Finance. 2011年9月12日閲覧。
  33. ^ Dept. of Food and Agriculture, Isle of Man. “DEFA:food”. 2012年3月閲覧。
  34. ^ Bumber Sales for Manx Cheese”. iomtoday.co.im (2003年10月15日). 2011年9月12日閲覧。
  35. ^ World Cheese Awards 2011- the results”. The Guild of Fine Food. 2012年3月閲覧。
  36. ^ Purely Isle of Man
  37. ^ Moore & Morrison 1924, under C, "CAMMAG [kamag] (Mx.), a hooked stick, a crutch, a hockey-stick; the game of hockey."
  38. ^ a b c Gill 1924, Manx Dialect, "Cammag, shinty -- a simpler form of hockey. Formerly the Manx national game, but now superseded by football..Hurley.. (is) the term() peculiar to Ireland, where.. the native name caman has..been revived"
  39. ^ 英語版 Cammag (18:55, 26 December 2011‎)
  40. ^ Gill 1924, "cammag '-literally, ' little curved thing.'"
  41. ^ Pollard, Michaelpublisher=Barnes & Noble Books (2003) (snippert), The Encyclopedia of the cat, http://books.google.co.jp/books?id=pYIRserdavAC 
  42. ^ Origin of Manx cat breed, http://www.karellomanx.com/origin.html , p.269, "American cat fanciers (took interest) in the 1930s, and the demand for breeding stock was so high that the Isle of Man Government, (fearing) the breed's future on its native island.. (established) a government- funded breeding (program).. "
  43. ^ Origin of Manx cat breed”. March-2012閲覧。"(前略)..However, the Manx government closed the cattery in the mid 1980's,"
  44. ^ a b Lydekker, Richard (google), The sheep and its cousins, http://books.google.co.jp/books?id=3rMrAAAAYAAJ&pg=PA59 , "one of the most mouflon-like, of these short-tailed domesticated sheep.. native of Soa.. belong to a group of .. sub-breeeds.. collectively designated loaghtan, or lughdoan sheep. Properly speaking this term, which (in) Manx.. means mouse coloured..belongs only to the small brown sheep of the Isle of Man..but.. convenient.. to apply collectively. All these sheep..display a marked tendency to develp extra horns,.. in the rams varying from two, three, or four, to as many as five or six.
  45. ^ Cregeen 1835, p.110
  46. ^ 英語版 Manx Loaghtan (19:25, 15 January 2012‎)

参考文献[編集]

  • 弥久保宏「英国王室保護領マン島の統治システムについて : 世界最古の議会 Tynwald の構造を中心に」、『駒沢女子大学研究紀要』第17巻、駒沢女子大学、2010年、 309-323頁、 NAID 110008091492
辞典
神話・民話関連

関連項目[編集]

外部リンク[編集]