マン島TTレース
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マン島TTレース(マンとうTTレース、英:The Isle of Man Tourist Trophy Race)は、1907年から英国王領のマン島(Isle of man)で開催されているモーターサイクル競技。競技は公道を閉鎖しておこなわれる(この公道閉鎖令は世界最古の議会で『青空議会』としても知られるマン島議会ティンワルドが制定したもの)。
このレースは当初ツーリング・マシンと呼ばれる市販車と同じバイクのために開催され、そして、まもなくツーリスト・トロフィーとして知られるようになった[1]。
1907年5月28日に第1回競技が開催され、15マイル1,470ヤードのセント・ジョン・"ショート・コース"をサドル、ペダル、マッドガード(泥よけ)をつけた公道仕様(ロードリーガル)のツーリング用モーターサイクルで10周した。
マッチレス・モーターサイクルに乗ったチャーリー・コリエルが4時間8分8秒/平均時速38.21mph(約61km/h)で単気筒クラスと総合クラスで優勝。2気筒クラスはプジョーエンジンを載せたノートン・モーターサイクルでレム・フォウラーが4時間21分52秒/平均時速36.21mphでの優勝だった。授与されたトロフィーはマルキ・ド・モウジリ・サン・マルス(the Marquis de Mouzilly St. Mars)が寄贈したもので、その銀のフィギュアはオリンピックの神ヘルメスが羽が生えている車輪にまたがっているもの。このトロフィーは、マン島・ツーリスト・トロフィー・自動車レースの勝者に授与されるモンタギュー・トロフィーに似ている。『マルキ・ド・モウジリ・サン・マルス』トロフィーは現在年に一度開催されているマン島セニアTTモーターサイクルレースの勝者に授与されている。
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[編集] レースの歴史
[編集] 元始
マン島の自動車レースは1904年、ゴードン・ベネット・カー・トライアルとして始まった。これは当初自動車のみのレースとして始まったものだ。1903年に自動車法が施行され、20mphの速度制限が実施され、英国・アイルランド・自動車クラブの代表は、マン島上層部に接触し、公道での自動車レースの許可を請う。1904年の公道(軽蒸気機関)法で1904年のゴードン・ベネット・カー・トライアルについてマン島52.15マイルの"ハイランド(高地)"コースの使用が許可される。 1905年のゴードン・ベネットで、国際モーターサイクルカップレースに出場する英国代表チームを選出するためのモーターサイクルのトライアル競技を開催することを決定する。ラムゼイ・ヘアピンでの事故と、険しい山岳セクションの登坂がモーターサイクルには難しかったことから、競技委員は最終的にゴードン・ベネット・トライアルコース中の25マイルセクションをコースとして設定。マン島首都ダグラス市の南部に始まり、キャッスルタウンを抜け、北に向きを変えA3道路でバラクレイン方面に向かい、途中で引き返しコルビーとグレン・バインを経由してスタート地点のダグラスに戻る、という現在のルートを逆にたどる設定だった。このレースにJ.S.キャンベルが4時間9分36秒で優勝している。
1906年国際モーターサイクルカップがオーストリアで開催されたが、このレースでは不正行為や策略が横行し、相次ぐ告発で混迷を極めた。列車での帰郷時、オート=サイクル・クラブの代表、そして、フレディ・ストレート、コリエル兄弟(マッチレス・モーターサイクル)、マルキ・ド・モウジリ・サン・マルスといった面々が話し合った結果、翌年のレースは公道用のモーターサイクルを使い、マン島での公道閉鎖コースでの自動車競技をベースにおこなおうと決まった。この新式競技方法は1907年1月17日にロンドンで開催されたオート=サイクル・クラブの年次夕食会で雑誌『モーターサイクル』の編集者から提案される。競技は2クラスにわかれ一つが単気筒マシンで平均燃費90mpg、もうひとつが2気筒クラスで平均燃費75mpgとされた。公道仕様モーターサイクルの増強はサドル、ペダル、マッドガード、排気サイレンサーに対しレギュレーション(規定)指定がなされた。
1908年には燃費が単気筒は100mpg、2気筒は80mpgにあげられ、ペダル使用は禁止された。ジャック・マーシャルがトライアンフ・モーターサイクルで優勝。平均時速は40.49mphだった。1909年は燃費規定と排気サイレンサー使用が廃止された。単気筒マシンは500ccまでと規定され、2気筒マシンは750ccまでとされた。ラップ・スピード(周回速度)の増加に伴い、1910年から2気筒マシンは670ccまでとされた。しかし、この年、BAT2気筒モーターサイクルに乗ったハリー・ボーエンが平均時速53.15mphのラップ記録を達成している。ただしボーエンはこのあとバラクレインで木のバンクにクラッシュして競技をリタイアしている。
[編集] マウンテン・コース
スネーフェル・マウンテン・コース(Snaefell mountain course)での第一回目は1911年におこなわれた。2回目は1923年にマンクス・アマチュア・モーターサイクル・ロードレースとして開催された。このときはアマチュア向けレースで、現在と同じマウンテン・コースを使用している。1930年、レース名称をマンクス・グランプリに変更した。
1911年にはレースが2つに分離された。4周ジュニアTTレースは300cc単気筒および340cc2気筒。1911セニアTTレースは500cc単気筒、585cc2気筒で新コースとして設定された37.5マイルのマウンテン・コースを5周。最初に新コースを使ったレースはジュニアTTレースで35台がエントリーした。ハンバーに乗ったパーシー・J・エバンズが3時間37分7秒/平均時速41.45mphで優勝。
マウンテン・コースでは競技者と競技車双方に技術的なチャレンジが求められた。アメリカン・インディアン・モーターサイクル工場は2速ギアボックスとチェーン駆動を採用。インディアンに乗った1911年マン島セニアTTでオリバー・ゴドフレイが3時間56分10秒/平均時速47.63mphで優勝した。これに対して、マッチレス・モーターサイクルは6速ベルト駆動でチャーリー・コリエルが乗り2位となったが、レース後、規定外再給油により失格している。1911年の予選中にビクター・サリッジがラッジ車に乗りグレン・ヘレンでクラッシュを起こし亡くなっている。
1912年には、単気筒と2気筒クラスがまとめられ350ccまでがジュニアTTとなり、500ccクラスがセニアTTレースとなった。1913年、オート=サイクル・クラブの代表がトミー・ラフボローからフレディ・ストレートになり、すぐにレースがより難しく変更された。ジュニアTTレースは2つのレースに分離され、2周と4周になった。セニアTTレースはジュニアTTレースの4周組としてスタートしその後さらに追加の3周をおこなうものに変更された。1914年、ジュニアTTは5周と短くなり、スタート地点もブレイ・ヒルに移動。これにより競技者のパドックスペースが広く取れるようになった。クラッシュに備えヘルメット着用が義務付けられた。1914年ジュニアTTは豪雨の中で開催され、またマウンテンコースは霧となっていた。AJSに乗ったエリック・ウィリアムズが4時間6分50秒/平均時速45.58mphで優勝。このとき、ロイヤル・エンフィールドに乗ったフランク・ウォーカーが事故で亡くなっている。ウォーカーは3周目までリードしていたがパンクで遅れ、その後、遅れを取り戻そうと頑張る中で途中2度車から落ちた上に、ゴール時、スピードが出すぎてとまれずに道向こうにあった木製衝立に激突したのである。
[編集] 1920年代
マン島でのモーターサイクルレースは第一次世界大戦終了後、1920年まで再開しなかった。スネーフェル・マウンテン・コースに変更が加えられ、競技者はCronk-ny-Monaで左折し、A18号を通り、ガバナー・ブリッジに向かう。スタートとゴールはグレンクラチェリーロードにおかれた。コース長は37.75マイルとなった。1920年ジュニアTTレースでは250cc軽量クラスも新設された。1923年にはさらにコース変更がなされ、議会広場からラムゼイのメイヒルにかけての私道が含まれるようになる。コース長は37.73マイルとなった。スネーフェル・マウンテン・コース の一部がウォルター・ブランディシュにちなみブランディシュと名づけられた。ウォルター・ブランディシュはCreg-na-BaaとHillberryの途中でクラッシュし足の骨を折ったライダーである。
サイドカーレースの第一回は1923年におこなわれ、TTコースを3周した。優勝は運転フレディ・ディクソンと同乗ウォルター・ペリーの組で、特注のダグラス(en:Douglas (motorcycles))製バンキング=サイドカーで2時間7分4秒/平均時速53.15mphだった。1923年のセニアTTレースは悪天候と地元出身の地の利でTom Sheardがダグラスに乗り2度目の優勝を果たしている。1度目は1922年のジュニアTTでAJSに乗っていた。1923年ジュニアTTレースはスタンレー・ウッズがコットンに乗って優勝した。1924年、175cc超軽量TTレースもおこなわれるようになる。これはタイムトライアル形式の2組毎のスタートである他のレースと異なり、競技者全員が一斉スタートした。初回優勝者はニュー・ジェラルドに乗ったジョック・ポーターで平均時速51.20mphだった。1924年のジュニアTTレースではケン・テムローがニュー・インペリアルに乗り優勝。平均時速は55.67mph。同じレースで、ジミー・シンプソンがAJSで35分5秒/64.54mphの新周回記録を出した。これは60mph台初の記録である。軽量TTおよびセニアTTレースではケン・テムローの兄弟エディ・テムローがニュー・インペリアルで優勝。6周を4時間5分3秒/55.44mph。セニアTTレースもジュニア同様記録更新となり、アレック・ベネットがノートンで6周を3時間40分24.6秒/61.64mphで60mph台にのせた。
1926年になるとさらに変更がなされ、サイドカーと超軽量がエントリーなしで廃止となった。ほとんどのTTコースはスネーフェル・マウンテン・セクションを含め舗装された。1926年の変更としてもうひとつ、アルコールベースの燃料が禁止され、車両用ガソリンの使用が求められた。さらに、1927年には予選中にアーチー・バーキン(ベントレー・ボーイズで有名なティム・バーキンの兄弟)が事故を起こしたカーク・マイケルの角がバーキンズ・ベンドと命名され、1928年から予選(プラクティス)時も道を閉鎖しておこなうようになる。
[編集] 戦後
1957年、TTレースはボブ・マッキンタイアが初の平均速度100mph記録(オーバー・ザ・トン)を出した。2年後の1959年、日本のホンダが125ccレースに参戦した。
現在、代表的なTTレースのバイクは空力抵抗の優れる流線型と技術の向上によりスネーフェル・コースを平均120mph(193km/h)を超えるスピードで駆け抜けていく。記録保持者として、デビッド・ジェフリーで2002年に127.29mph(204.81 km/h)を出していたが、2004年にジョン・マクギネスがヤマハR1で17分43.8秒で127.68 mph (205.43 km/h)を記録しジェフリーを抜いた。しかし2006年の彼は17:29.26で129.451 mph (208.33 km/h)と記録を更新してしまった。
最多優勝者はジョイ・ダンロップで1977年から2000年まで、さまざまなクラスで26回優勝している。
1949年から1976年までマン島TTレースはロードレース世界選手権の一部で、英国グランプリの開催地だった[2]。マン島TTレースは、かつては2輪のロードレースで世界最高峰・最大イベントであったが、1960年代後半からヨーロッパにおける立地条件(遠隔地)やコースの安全性が問題となり、敬遠されるようになった。バイクの速度向上にコースの整備が追いつかず、路面の舗装が荒れてきていた。コースが長距離(約60.7km)[3]におよぶためにその改修費用は莫大なものとなり、事実上不可能なことであり、安全性を重視するGPライダーはマン島TTレースへの出場を拒否するようになった。ヤマハは1972年マン島TTレースのみ参加せず、また、同年ジャコモ・アゴスチーニは「コースが改修されない限り、1973年は出場しないつもりだ」と語った。1973年は有力なチームとライダーは出場しなかった。そして、1976年がマン島TTレースにとって最後のロードレース世界選手権となった[4]。
なお、東京都が三宅島の公道を使用したモーターサイクルレースの開催をめざし、石原慎太郎現都知事が2006年のマン島ツーリスト・トロフィーを視察したこともあったが、結局安全面での懸念などから公道レースを断念し、チャレンジ三宅島モーターサイクルフェスティバルとしてオートバイによるフェスティバルを開催することとなった。
[編集] 説明
オックスフォード・ワールド・スポーツ・アンド・ゲームスでは、最古のモーターサイクルレースサーキットはスネーフェル・マウンテン・コースであり、マン島・ツーリスト・トロフィー・レースでいまだ使われていると記述されている。島の南東部にある首都ダグラスを起点として、西へ北へと大きく曲がりながら、北東海岸部の町ラムゼイに入り、そこからスタート地点まで戻る。各周回距離は37-3/4マイル (60.7 km)。200以上のカーブが存在し、海抜0mから1,300フィート(396 m)を超える高低差がある。使用されるコースは普段は一般道として日常生活や観光のために使われているもので、レース中は一般車両の通行を封鎖する。
伝統的に5月最終週から6月第一週にかけて開催されるが、レースはお祭り騒ぎの様相を呈する。ピクニックをかねた群集がサーキット脇に立ち並ぶさまは、自転車レースのツール・ド・フランスにも似ている。
TTレースの期間中は道路閉鎖のため、島内の旅は困難となるが、TTへのアクセス道路はダグラス市内にあり、マウンテン・コースの中心部にアクセスが可能。
TTは安全面から常に将来が危ぶまれている。レース専用のサーキットとは異なり、コースのすぐ脇に民家の石壁などが存在する上、郊外の直線路ではマシンが非常に高速に達してしまう。そのため転倒やコースアウトを喫すると、ライダーが重傷あるいは死亡に至る例が多い。特に、マッド・サンデーといわれる誰でも一般参加が可能な走行枠で、レース出場ライダー以外の一般ライダー(バイクで来場した観客)が亡くなる件が問題視されている。1907年から2006年まで223人のライダーが亡くなっている。(マンクス・グランプリを含む数字より)
日本人の参加者では、1966年に元スズキワークスライダーの藤井敏夫(この時はカワサキ車での個人出場)が、公式練習中の事故で死亡している。2006年のレースウィーク中には前田淳が予選で他車に追突され転倒したことが原因で亡くなっている。[5][6]
2007年にはツーリスト・トロフィーは百周年を迎えたが、その前後には「100周年を区切りにマン島TTは廃止されるのではないか」という風説も存在した。
[編集] 優勝者
| 競技者 | 回数 |
|---|---|
| ジョイ・ダンロップ | 26 |
| マイク・ヘイルウッド, ジョン・マクギネス | 14 |
| Dave Molyneux | 13 |
| Steve Hislop, Phillip McCallen | 11 |
| ジャコモ・アゴスチーニ, Rob Fisher, スタンレー・ウッズ | 10 |
| Mick Boddice, David Jefferies, Siegfried Schauzu, Charlie Williams, Dave Saville | 9 |
| Jim Moodie, Chas Mortimer, フィル・リード | 8 |
| ミック・グラント, トニー・ラッター, Bruce Anstey, イアン・ルーガー | 7 |
| ジェフ・デューク, Jimmy Guthrie, ジム・レッドマン, ジョン・サーティース | 6 |
| Robert Dunlop, Brian Read, カルロ・ウッビアリ, Alec Bennett, Nick Crowe | 5 |
| John Williams, タルクィニオ・プロヴィーニ, Freddie Frith, Dave Leach, Ray Pickrell, Bill Smith, Walter Handley, Klaus Enders, Jock Taylor, Trevor Ireson | 4 |
| Chris Palmer, Adrian Archibald, Ian Simpson, Simon Beck, Carl Fogarty, Ray Amm, Luigi Taveri, Tom Herron, Bob McIntyre, Tony Jefferies, Alan Jackson jnr, Alex George, Dave Morris, Rob McElnea, Graeme Crosby, Harold Daniell, Phil Mellor, Barry Woodland, Barry Smith, Rolf Steinhausen, Walter Schneider, Max Deubel | 3 |
| Cameron Donald, Ryan Farquhar, Shaun Harris, Iain Duffus, Charlie Collier, Cecil Sandford, Fergus Anderson, Hugh Anderson, Edwin Twemlow, Manliff Barrington, Kel Carruthers, Con Law, Eric Williams, Tom Sheard, Tim Hunt, Malcolm Uphill, Charlie J P Dodson, Howard R Davies, Bill Lomas, Eddie Laycock, Artie Bell, Gary Hocking, John Hartle, Jock A Porter, Trevor Nation, Fritz Hillebrand, Dick Greasley, Lowry Burton, Geoff Bell, Mick Wynn | 2 |
| Ian Hutchinson, Steve Plater, Michael Rutter, Nick Jefferies, Harry A Collier, Harry Reed, Jack Marshall, Rem Fowler, Cromie McCandless, R Les Graham, Steve Abbott, Dario Ambrosini, Frank A Applebee, Ivor Arber, HR [Reg] Armstrong, Georg Auerbacher, Ross Williams, Peter Williams, Paul Williams, Cyril Williams, M Lockwood, Ken T Kavanagh, Ray Knight, Ewald Kluge, Georg ["Schorsch"] Meier, Brian Morrison, Johnny Rea, Oliver Godfrey, H O [Tim] Wood, Frank Whiteway, Cyril G Pullin, Tommy C de la Hay, Fritz Scheidegger, Norman Brown, Trevor Burgess, Ralph Bryans, Roger Burnett, Jack Findlay, Phil Carpenter, Dave Croxford, Graham Penny, エルンスト・デグナー, 伊藤光夫, L Stuart Graham, ロン・ハスラム, Bill Simpson, Martyn Sharpe, Keith Martin, Mike Rogers, Omobono Tenni, Florian Camathias | 1 |
[編集] ラップレコード
| カテゴリ | 競技者 | Bike | 年度 | レコードタイム | 平均速度 |
|---|---|---|---|---|---|
| OUTRIGHT | ジョン・マクギネス | Honda CBR1000 Fireblade | 2007 | 17:21.99 | 130.354 mph(209.784 km/h) |
| TT Superbike | Guy Martin | Honda CBR1000 Fireblade | 2008 | 17:28.54 | 129.540 mph(208.474 km/h) |
| Junior TT | Bruce Anstey | Suzuki GSX-R600 | 2008 | 18:03.51 | 125.359 mph(201.746 km/h) |
| Senior TT | ジョン・マクギネス | Honda CBR1000 Fireblade | 2007 | 17:21.99 | 130.354 mph(209.784 km/h) |
| TT Superstock | Bruce Anstey | Suzuki GSX-R 1000 | 2007 | 17:37.85 | 128.4 mph(206.6 km/h) |
| Sidecar | Nick Crowe & Daniel Sayle | LCR Honda 600 Sidecar | 2007 | 19:24.24 | 116.667 mph(187.757 km/h) |
[編集] レースのヒエラルキー
マン島には、Tourist Trophy(ツーリスト・トロフィー)を頂点として3つの大きなレースがある。Tourist Trophy(ツーリスト・トロフィー)は、通常The Isle of Man TT Race(マン島TTレース)と表記される。"TT"は、ブランドロゴのような使用のされかたをしている。日本語で表記される場合、マン島TTレースとも記されるが、TTも省略されマン島レースと呼ばれることも多く、この場合、TT以外のマン島のレース(たとえばマンクス・グランプリ)であることもある。
各国で行われるレースにも、マン島TTレースをリスペクトして、ツーリスト・トロフィーレースと命名されているレースがある。
[編集] テレビゲーム
マン島TT (ツーリスト・トロフィー) レースにちなんだゲームが発売されている。
- マン.TT - セガが1977年に発表したアーケードゲーム。
- マンクスTT スーパーバイク - セガが1995年に発表した体感ゲーム。1977年の作品と関連性はない。のちにセガサターンやWindows用ソフトとして移植された。
- TTスーパーバイクス リアルロードレーシング - マン島TTレースを再現
- ツーリスト・トロフィー - マン島TTレースとは直接の関係がなく、現代のさまざまなモーターサイクルレースコースを再現し、そのタイトルをツーリスト・トロフィーとしているゲーム
[編集] 参考文献
- Dennis Noyes、Michael Scott[7] 編集『Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix』Hazleton Pub Ltd、1999年
- 中沖満[8]、ピーター・クリフォード、グランプリイラストレイテッド[9]編集部『サーキットの軌跡』グランプリ出版、1987年
[編集] 脚注
- ^ ENCYCLOPEDIA Britannica "Tourist Trophy races"[1]より。
- ^ 『Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix』(p183 - p196)より。
- ^ スネーフェル・マウンテン・コースを参照。
- ^ 『サーキットの軌跡』(p118)より。
- ^ http://www.aimingsports.com/
- ^ http://www.britishcouncil.org/jp/japan-interview-racer.htm
- ^ マイケル・スコットは『サイクルサウンズ』山海堂(休刊)にWGP界の動向などを寄稿していた。
- ^ 『ライダースクラブ』(枻(エイ)出版社)の「鉄と心とふれあいと」というページを担当していた。『KEN'TS TALK 2』「2007年8月14日 (火) V9 8月14日 中沖満さん逝く…」[2]より。
- ^ レースカメラマンの坪内隆直が編集および撮影をしている雑誌で、以前は月刊誌だったが、現在は年刊誌である。


