本田技研工業

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本田技研工業株式会社
Honda Motor Company, Limited
Honda logo.svg
種類 株式会社
市場情報
東証1部 7267 1957年12月2日上場
大証1部 7267 1958年4月16日上場
NYSE HMC 1977年2月上場
LSE HNDA 1981年6月上場
略称 ホンダ/Honda
本社所在地 Flag of Japan.svg 日本
〒107-8556
東京都港区南青山二丁目1番1号
電話番号 03-3423-1111(本社代表)
設立 1948年(昭和23年)9月24日
業種 輸送用機器
事業内容 自動車二輪車汎用製品飛行機の製造および販売
代表者 伊東孝紳 (代表取締役社長)
資本金 860億67百万円
売上高 連結:12兆0,028億34百万円
単独:4兆0,880億29百万円
2008年3月期)
総資産 連結:12兆6,155億43百万円
単独:2兆6,801億11百万円
(2008年3月31日現在)
従業員数 連結:178,960人 単独:26,583人
(2008年3月31日現在)
決算期 3月末日
主要株主 モクスレイ&Co. 6.40%
日本トラスティ・サービス信託銀行(株)(信託口) 4.05%
日本マスタートラスト信託銀行(株)(信託口) 3.90%
(2008年3月31日現在)
主要子会社 (株)本田技術研究所 100%
ホンダエンジニアリング(株) 100%
関係する人物 本田宗一郎(創業者)
藤沢武夫取締役最高顧問)
外部リンク www.honda.co.jp
  
Honda青山ビル(本社)
設計に際しては、地震の際、窓が割れて下の通行人に危険が及ばないようにとの本田宗一郎の指示により、バルコニーに囲まれたデザインとなっている。

本田技研工業株式会社(ほんだぎけんこうぎょう、Honda Motor Co., Ltd.)は、日本、北米、欧州、南米、中国、タイ、インドなど世界各地に拠点を置く大手輸送機器及び機械工業メーカー(航空機及び航空エンジン、四輪製品二輪製品汎用製品:太陽電池・船外機・耕運機・小型発電機・汎用エンジン等)である。

目次

[編集] 概要

[編集] 名称

主に「Honda」のブランドでオートバイ自動車、汎用製品を製造している。新規分野としてASIMO(アシモ)のようなロボットHondaJet(ホンダジェット)と呼ばれる小型ジェット機とターボファン式ジェットエンジンも自社開発している。創業者の本田宗一郎(ほんだ そういちろう)は経営者・技術者として著名であり、社名は本田の姓から名づけられた[1]。日本の自動車メーカーとして9番目に設立された。本社は東京都港区南青山二丁目に地上16階地下4階の自社ビルを有する。通称および国内の各証券取引所での表示は「ホンダ」。

ロゴはアルファベット大文字の「HONDA」を赤色でデザインしたもの。2000年末よりロゴを使用しない場面での社名表記として、ホンダのCI(コーポレートアイデンティティ)に基づくVI(ビジュアル・アイデンティティ)として、ホンダ自身が「コミュニケーションネーム」と呼ぶ表記を用いるようになった。これはアルファベット表記で「Honda」とするもので、ホンダ自身が積極的に用いると共に、報道機関に対し社名の扱いを「Honda」もしくは「ホンダ」の表記を要望している[2]

[編集] 沿革

戦前より自動車部品などを製造していた東海精機を豊田自動織機に売却した資金を元に、1946年静岡県浜松市(現・浜松市中区)山下町(後の山下工場)に本田技術研究所として開設され、内燃機関および各種工作機械の製造、ならびに研究を開始。1947年にはA型自転車用補助動力エンジンを開発した。 1948年本田技研工業株式会社として設立。1949年藤沢武夫を経営全権として迎え、以降、技術の本田宗一郎と経営の藤沢武夫による二人三脚の経営が始まる。 1963年には後年に「スポーツトラック」とも呼ばれることになるT360(日本初のDOHCエンジン搭載)で四輪自動車業界に参入した。

同年には、欧州ベルギーに2輪車製造拠点を設立し、日本の自動車産業界において初となる欧州圏での製品(スーパーカブ・C100)の現地生産も行った。

その後もCVCCVTECVTEC-Ei-VTECi-DSIIMAにといった高い技術開発力を示してきた。1981年に世界初の自動車用ナビゲーション・システムを完成させた。

1982年には、日本の自動車メーカー初となるアメリカでの4輪車(アコード)の現地生産を開始し、昨今の日本の企業のグローバル化の手本とも言える大規模な海外展開を、時代に先駆けて行った。

自動車・二輪車・汎用製品だけでなく、太陽電池パネルの生産やASIMOに代表される二足歩行ロボットの開発も行っている。このロボットは、ニューヨーク証券取引所の始業ベルを人間以外で初めて鳴らした。

また、2003年末には、宗一郎の念願だった航空機業界への参入への第一歩となる試作機「HondaJet」の初飛行にも成功。2004年2月16日には小型ジェット機用エンジンの事業化でGEとの提携も発表。 2006年8月 ホンダ・エアクラフト・カンパニーを米国に設立し、2010年度からの機体引渡しに向けてノースカロライナ州グリーンズボロにあるピードモント・トライアド国際空港隣接地に生産拠点の建設を行っている。

2004年7月には、埼玉県和光市の旧工場跡地にビルを新築、国内本社機能の一部を和光へ移転させた(海外本社機能は港区南青山に所在する)。

[編集] 方針

藤沢武夫の「(ホンダの)社長は技術畑出身であるべき」という言葉が今も守られており、現職の伊東孝紳に至るまで、歴代の社長はすべて技術畑出身である。そのうち福井威夫まではエンジン開発部門の技術者であり、本田宗一郎以外の全員が四輪F1もしくは2輪WGPのエンジン開発経験がある。また、本田宗一郎、藤沢武夫の両人とも、子供をホンダに入社させない方針であった。創業初期に重要な役目をになった本田の弟 弁二郎も退社させている。その後、本田の長男本田博俊は、ホンダのアフターパーツメーカー「無限」を創業した。

創業者一族による会社の私物化の弊害を恐れる本田の信念が貫かれ、縁故採用は一切行わず、実力本位の採用を行っている。もっとも、初期の頃は本田と自身の父親が知り合いだった縁で入社した二代目社長の河島喜好のように親戚・口利きで問題なく入社することが出来た。縁故採用を行わないルールを作成したのは、会社がある程度大きくなってからのことであり、縁故採用を行うわけにはいかない本田宗一郎の個人的事情が陰にあった。また中途採用にも積極的であり、初期の自動車開発を進め、F1監督も務めた中村良夫を始め、ASIMO開発の中心者である広瀬真人SH-AWD等のホンダの駆動力制御の専門である芝端康二も中途採用組である。他にも本田の思想が反映した事例としては、社長室が無い、重役達は一つのフロアを共有しているという特徴がある。

労働環境は、他の自動車工場より良いといわれる。良い例が連続2交代制勤務[3]。また、従業員の作業服の洗濯も無償で行っている。また、他の自動車工場に比べ女性の進出も多い。

現場主義で知られ、新入社員は工員以外にも、事務職・技術職・また男女の性別を問わずに、各製作所で半年間の研修をさせている。

他社と比較して、テレビコマーシャルに芸能人をあまり起用しない傾向があり、CMソングもJ-POP[4]ではなく、オリジナルのものや洋楽曲が使われるケースが多い。芸能人を起用しない理由としては、安易に芸能人のイメージに頼らない独自路線に加え、テレビコマーシャルに芸能人を起用すると、販売不振に陥るというジンクスがあるためだとされている。

[編集] 業務

主業務は、オートバイ、自動車、汎用製品の製造、販売である。オートバイや小型汎用エンジンに関してはシェア世界一であり、世界中のほとんどの地域で販売・運用されている。自動車に関しては、2003年には国内の軽自動車を含めた販売台数で、初めてトヨタ自動車に次いで第2位になったが、トヨタ自動車の更なる躍進や日産自動車の反撃により、その後は再び国内販売3位に後退。2007年暦年ベースの国内販売台数ではスズキダイハツ工業に次いで5位と苦戦を強いられた。

本田技研工業の国内販売網は、過去に、特に旧・プリモ店の母体企業に多い、オートバイ・自転車取扱店、マリーン・船外機取扱店、農機具取扱店、地元有力者の中小の商店・企業などで委託販売形式を採用していた名残があり、現在においての国内販売拡大の足かせになっているとされる。

また、トヨタや日産などと異なり、自社ブランドのレンタカーを持たない。ニッポンレンタカーオリックス自動車沖縄ツーリストと提携して、ホンダ車専用の予約サイトをこれら3社に運営してもらっている。

軽自動車主体であったスズキも、90年代以降、積極的に登録車市場に製品を投入してきており、上位3社プラスマツダを含む5社の激しい市場争奪戦となっているのが日本市場である。北米では大衆車ブランドのホンダ(Honda)と高級車ブランドのアキュラ(Acura)で展開しており、大衆車で大きなシェアを占める。北米における売上げは、大きな収入源となっている。北米を含む海外では、国内では販売していないATV水上オートバイなども取り扱っている。

[編集] 中国展開

ホンダの中国展開は、進出競争の激しい各国メーカーの中でも特に成功した部類に入る。1973年に本田宗一郎自ら訪中し、中国展開を決意、二輪車の輸出を始める。1982年には重慶のメーカーと技術提携し、現地での二輪車部品生産皮切りに、1992年には、重慶、広州天津合弁企業による二輪車生産工場を設ける。二輪でのある程度の成功を持って本格的な四輪販売へ乗り出すべく、1993年には香港Honda Motor Chinaを設立。当時輸入車のみではあったが、四輪の中国でのアフターサービスを行った。本格的な四輪生産は1994年東風汽車武漢)との合弁で設立した東風本田零部件有限公司に始まる。1998年には広州汽車(広州)と合弁し、それまでの相手だったプジョー撤退後の工場をそのまま受け入れ、アコードフィットなどの生産を始める。プジョー時代からの従業員を本田流に指導し、高品質の製品が作り出されるようになった。今では広州本田だけで年産24万台に発展し、広州市のパトカーにもホンダ車が使われている。ホンダが2003年から中国河北省のメーカー双環汽車と争っているスポーツ用多目的車(SUV)CR-Vの外観設計(意匠デザイン)の訴訟では、2006年3月に中国国家知識産権局がホンダ側の意匠権を「全て無効」とする判決を下した。

[編集] 主な役員

  • 代表取締役会長 : 青木哲(日本自動車工業会会長兼務)
  • 代表取締役社長 : 伊東孝紳(株式会社本田技術研究所取締役社長兼務)
  • 代表取締役副社長 : 近藤広一
  • 取締役相談役 : 福井威夫(前代表取締役社長)

(2009年6月23日現在)

[編集] モータースポーツへの取り組み

設立翌年1949年には日米対抗レースにC型モーターサイクルで出場し、優勝するなど当初よりモータースポーツへの志の高い会社とも言える。

1961年5月14日に、ホンダのマシンを駆った高橋国光によりWGPにおいて日本人初の優勝を飾る。WGPでは最高峰のMotoGPクラス(旧GP500クラス)で1966年の初勝利以降、2006年終了時点で通算200勝を達成。

F1メキシコGPで初優勝を果たしたRA272
F1最後のターボエンジン・RA168E

F1には、1964年から1968年に単独チームで参戦し、この期間に2勝を記録。1983年から1992年2000年から2005年は車体の共同開発を含めたエンジン供給として参戦し、エンジンサプライヤーとして69勝を記録。2006年から再びオールホンダ単独チーム(Honda Racing F1 Team)として参戦し、1勝を記録。通算72勝(単独チームでは3勝)を達成。社員教育の一環として、社員を3~4年程度チーム専属として派遣。しかし、2008年12月5日、金融危機以降の経営環境の変化に伴い、F1から撤退を表明。

アメリカにおいては、1991年より2年間IMSAシリーズのキャメルGTPライトクラスに「アキュラ・スパイスSE90CL」(NSXのエンジンを搭載)で参戦し、ドライバーズ、マニュファクチャラーズの両タイトルを2年連続で獲得。
1994年から2002年まではCARTで通算65勝、2003年からはIRLで通算27勝(2005年終了時点)を達成している。なお、2006年よりIRLのエンジンはホンダのワンメークとなり、供給は2013年まで継続することを2008年5月23日付で発表した。
2007年よりアメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)において、LMP2クラスに参戦するチームへ、2009年よりLMP1クラスに参戦するチームへもエンジン及び車体を供給する。

国内においては、1994年から全日本ツーリングカー選手権シビックフェリオ(1994年〜1995年)及びアコード(1996年1997年)で参戦し、1996年から全日本GT選手権及びSUPER GTにNSXで参戦しており、フォーミュラ・ニッポンにも2006年よりエンジン供給している。
社業としてのモータースポーツだけでなく、ユーザーにもモータースポーツを楽しんでもらおうと、シビックインテグラタイプRによるワンメイクレースを開催している。2004年〜2007年は、「ベルノエキサイティングカップ インテグラワンメイクレース」が各地方シリーズとして開催されている。2008年からは、車両が再度シビックタイプRに変更された。

また、自転車競技においてもマウンテンバイクのダウンヒル競技に独自開発のマシンRN01を投入し、国内のMTBジャパンシリーズやNORBA、世界選手権などで好成績を挙げている。

しかし、様々なレースに積極的に参加する反面、ラリーへの参加はこれまでにない(プライベーターがホンダ車を使うことはある)。

[編集] 環境への取り組み

CVCCエンジン

1971年には、低公害技術であるCVCCを発表。米国でマスキー法という環境規制法が成立しており、その規制開始期限までに規制に対応するエンジンは世界中のメーカーが開発不可能と言われていたほど厳格な規制であった。そのマスキー法の条件をクリアしたのが、当時、日本の中小メーカーだったHondaであり、Hondaの名前を世界に知らしめた。翌年から翌々年にかけてトヨタ、フォードクライスラーいすゞに技術供与。

近年は、ハイブリッド車インサイトシビックハイブリッドなどのCO2排出量の少ない車両の本格普及に向けての低価格なハイブリッドカーの販売や地球環境産業技術研究機構(RITE)との共同研究による、稲わら、麦わら、コーンの茎などの農業廃棄物や木屑などのバイオマス資源からエタノール燃料を効率的に生産する循環型エネルギー技術の開発、各工場での生産体系や物資輸送体系の見直し、ツインリンクもてぎ内での環境教育施設運営から有志による海岸の清掃活動等、多岐に渡っている。

また、海外では中国内モンゴル自治区通遼市ホルチン砂漠での植林作業を展開し、砂漠緑化活動も毎年行っている。

これらの前世代から受け継いできた環境問題に対して積極的に取り組んでいるだけでなく、来るべき未来に向けた次世代環境技術の実践開発として、水素燃料電池自動車FCXクラリティリース販売、環境負担の少ない水素燃料生産供給インフラ「太陽電池式水電解型水素ステーション」、既存の都市ガスなどの天然ガス供給インフラから水素を製造しつつ、燃料電池コージェネレーション機能によって家庭用の熱(給湯や暖房など)および電力の供給を行う「ホーム・エネルギー・ステーション」の開発及び実験稼動も行っている。

[編集] 商品展開

[編集] 二輪車

自転車用原動機を製作したことが社業の始まりとなり、ヒットを記録。その後、原動機付自転車の分野でスーパーカブという空前絶後の大ヒット作を生み、世界のあらゆる地域で使用された。これによって、「スーパーカブのHonda」と知名度を大いに上げ、国際二輪業界において日本のメーカーが覇権を握る下地となった。スーパーカブは全世界通算で6,000万台(2008年4月末時点)が製造され、「世界で最も多く製造されたオートバイ」となっている。

社の業務として「モータースポーツの振興」を挙げるだけあって、スポーツモデルにも力を入れており、二輪ロードレースの世界最高峰カテゴリであるロードレース世界選手権 (MotoGP)や プロダクションレースであるスーパーバイク世界選手権(SBK)での実績をフィードバックしたスポーツモデルが好評である。また、公道走行可能なバイクだけでなく、ロードレーサーモトクロッサーなどのコンペティションモデルの市販とサポートにも熱心である。

ほとんどの分野、ほとんどの排気量において優秀なモデルを送り出し、オートバイ生産台数世界第1位の座を盤石のものとしている。

2008年からは浜松製作所で生産している中型・大型二輪部門を熊本製作所に移管、熊本製作所に二輪車の新工場を建設し浜松製作所の二輪生産に従事する1,500人は熊本製作所に配置転換された。浜松製作所では自動変速機の生産を強化する。

一時期三ない運動により大打撃を受けたが、近年スズキ、ヤマハカワサキといった大手二輪車メーカーらとともに「三ない運動を推進している地域ほど二輪車事故が多発している」と反論を展開するとともに、徳島県内の私立高校と協力して二輪車講習を鈴鹿サーキットで行うなど高校生の交通安全教育に力を注ぎ成果をあげた。

[編集] 四輪車

創業者の環境に対する理念に基づき、初代シビックを筆頭として、優れた量産車を環境に配慮したフレキシブルな製造体制を持つ、四輪車製造専用の国内外の製作所にて生産している。 4輪初期は宗一郎氏の英国車への熱い思いが製品にも影響しており、シビックは英国オースチン (自動車) のミニに肝銘を得て作られたと言われている[要出典]。後の1972年、ホンダはオースチンを有するブリティッシュ・レイランド社と提携、資本や技術の提供を行うこととなる。


また、世界に先駆けて走行時に排出ガスをまったく生み出さない水素燃料電池自動車の本格普及を目指し、2008年から米国と日本にてリース販売を開始した燃料電池自動車FCXクラリティの年間数十台程度の需要状況に合わせ、ホンダ新機種開発センター(栃木県塩谷郡高根沢町)に燃料電池車専用の小規模組み立てラインを設置した。

現在国内で販売されているホンダ車は新車販売時に一部他社が設定する寒冷地仕様を設定せず、全国共通仕様にする事で基本的に日本全国価格が均一であり、地方や季節を選ばずトラブル無く走行する事が出来る。

4輪車製造において、現在全世界マザー工場として機能させている鈴鹿製作所の近接地に、国際的に有名なレーシングコース鈴鹿サーキットを1960年代から有するホンダは、モータースポーツへの積極的な参戦やそれらレースシーンを中心とする自動車文化を愛する社風とも相まって、スポーティーなモデルを得意とし同社のリーディングイメージとしてきた。

その様な憂い無き歴史的背景をもつ反面、初代オデッセイに始まるクリエイティブ・ムーバーシリーズの登場までは、RVミニバンステーションワゴンなどのファミリーユーザー向けの商品ラインナップを持たず、バブル期のF1ブームや好景気を追い風とする幅広い層のホンダユーザー増加による様々なニーズに答えられない状況にあった。

しかしながら、余暇における有意義な時間の創出と日常での利便性の両立を追求した初代オデッセイの登場以降、CR-VSM-Xステップワゴンと続く一連のクリエイティブ・ムーバーシリーズの発売前後から、RVミニバン、ワゴンなどのファミリー向け製品の開発において弛みない努力を重ね、昨今では、3.5LV6エンジンも選択可能なフルサイズミニバンエリシオン及びエリシオンプレステージ、ステップワゴンに新たなデザインテイストを加えたステップワゴン・スパーダ、SM-Xと同クラスの2列6人乗りコンパクトミニバンエディックス、エントリークラスのミニサイズSUVクロスロード、8人乗りも選択可能なスタイリッシュで低燃費なコンパクトミニバンフリードなど幅広い魅力的な商品ラインナップを揃えている。

バブル崩壊後の自動車業界に新しい風を吹き込んだオデッセイやステップワゴンは、今の日本のミニバンブームの先駆者として、日本の自動車文化に新たな一面を作り出したと言える存在であり、1994年10月誕生の初代から数えて4代目となるオデッセイは現在に至るまで好評を博している。

オデッセイ誕生以前、いすゞ、ブリティッシュ・レイランドからOEM供給を受けるなど自社開発が遅れていたRV/SUV部門に措いては、CR-Vの大ヒットにより遅れを一気に挽回し、3代目となる現在では、「ホンダのRV=若者向け」といった市場の固定観念を覆すミディアムクラス高級SUVといった趣となっている。

ステーションワゴンにおいても、各国でロングセラーモデルとなったアコードワゴン(現アコードツアラー)を中心に、2005年に登場した若者向けのエントリークラス ステーションワゴンのエアウェイブ、2000年に7人乗りのステーションワゴンとして5ナンバーセグメントに新たな流行を生んだストリームなど幅広い層から人気を集めている。 アコードツアラーにおいては、尿素を用いずに欧州排出ガス規制(Euro5)をクリアさせた、CO2排出量において優位性を持つクリーンなディーゼルエンジン(i-DTECエンジン)を搭載し、環境に配慮した製品を欧州にて販売するなどグローバル市場での環境対応も計っている。

RV、SUV、ミニバン、ワゴンといった収容性や利便性を優先的に追求されるファミリー向けの製品に対し、セダン並の操縦安定性や運転する楽しさを兼ね備えさせている事が全体を通してのホンダ車の特色である。

またこれらの車両を用い、同社が福祉車両製品として長年研究、開発している製品群の中で介護車 [5]、及び自操車[6]と分類される製品を、今後増加するシルバー世代の生活の質の向上や、身体に障害を持っている方々の積極的な社会参加や快適な生活を送る為の支援を目的に販売している。

コンパクトカーの分野では、2002年、フィットがトヨタ自動車のカローラを販売台数を上回りトップとなり、2003年にも一時追い抜くなど躍進した。現在も月別販売台数で1~6位(2004年1~8月データによる)の成績を維持している。

2006年度、日本国内の省エネ法改正等の車両の省エネ対策の法的強化を受けて、フィットを土台にしたハイブリッド車2代目インサイトも開発されていた。

軽自動車の分野においては、高い衝突安全性を持つゼスト、バックモニターを標準装備としたロングセラーと言えるライフ、ミッドシップエンジン採用の軽ワゴンバモス、ダンプやリフターなどの特装車も選択可能な軽トラックのアクティトラック、快適で確実なワークタイムをサポートする軽商用バンのアクティバンなど、快適性などを犠牲にする事無く、高い環境性能を達成している。

ハイブリッドカーにおいては、パラレル式と分類される ハイブリッドシステム(Honda IMA)をCO2排出量の削減及び燃費向上を目的に幅広い普及を目指して自社開発し、現在販売しているハイブリッド専用車インサイトやシビックハイブリッドに、昨今これらの環境車需要が増加している中、比較的安価なコストで搭載している。

ホンダのハイブリッドシステムは、走行状況に応じてエンジンの燃焼を休止させるi-VTECエンジンと、加速時における単一の薄型ブラシレスモーターからの出力の利用、及び同一モーターによる減速時の回生発電を行い、比較的容量の小さい専用二次電池へのエネルギー回収を行う軽量でコンパクトなシステムである為、幅広い車種への安易な搭載が可能とされている。(シリーズパラレル式と分類される他社系の採用しているハイブリッドシステムは、加速用電気モーターでの動力補助及び、減速時に措ける回生発電装置によるエネルギー回収をする仕組みであり、加速用電気モーターと回生用発電装置を別に必要とする。)

2009年4月1日、同社が本格的な普及に対する若干の足踏み状態の要因として抱えていた二次電池供給元からの供給可能量等の経営コンセンサス的問題を解決する為に、ハイブリッドカー用リチウムイオン電池の製造・開発を専門とする「株式会社ブルーエナジー」を国内老舗電池製造メーカー「ジーエス・ユアサコーポレーション」との共同出資により設立し、二次電池調達体制の再構築を行った。

最近では、一般ユーザーが休日にサーキットまで自走して、安全且つ気軽にサーキット走行を楽しめる事をコンセプトに開発された「タイプR」というスポーツモデルをシビック(インテグラ、NSXは生産終了)に設定し、世界各地に存在する熱烈なホンダ車ファンやサーキット走行を気軽に楽しみたい各国のサンデーレーサーなどから長年に亘り好評を得ている。

また、現行シビックタイプRをベースとした安価なレース専用車を一般向けに販売すると共に、ホンダの車を使用したアマチュア~プロ志望者向けの年間シリーズレース「ホンダ エキサイティングカップ ワンメイクレース」を1981年から現在まで長きにわたって開催しており、日本のモータースポーツ文化を底辺で強く支えている。

また4ドアセダンの分野においては、世界各国でロングセラーとして愛され、現在まで販売されているシビック及びアコード、走行状況に応じて燃焼気筒数を切り換える可変シリンダーシステムを採用するレギュラーガソリン仕様のV6エンジンを持つインスパイア、これら3車とも高い環境性能を持ち、尚且つスポーツマインド溢れるエンジンと高い走行性能により、運転する喜びを強く感じられる車となっている。

ホンダのイメージアイコンとして1990年から2006年の長きにわたり生産・販売され、国産スポーツカーの最高峰として君臨してきた、オールアルミボディを特徴とするV6エンジン搭載のミッドシップスポーツカー「NSXシリーズ」は、後継車の登場なく現在に至っているが、特別な思い入れを持つ多くのユーザーの「NSXに長く乗り続けたい」という求めに応じて、メーカー製造工場にて経年車へのエンジンや内装、足回りなどの念入りな機能修復サービスを行っている。

近年、過去に同社から販売されていたS800などのイメージを継承し、ホンダ創立50周年記念車として発売されたS2000は、昨今のホンダでは唯一のFR車である。このS2000は、高出力高回転型に改良された自然吸気のF20C・i-VTECエンジンを用い“排気量リッター当たり125PS”を誇る2,000ccで250PSの性能を誇っていた。さらにこのS2000は、他のホンダ車と部品を共用していないなど(他メーカーの車両と部品を共用している部分はある)収益があまり見込めない趣味性の高い車に、独自の車台やコンポーネンツを専用設計として開発されており、メーカーの車作りやスポーツカーに対する熱い思いが込められている。

北海道鷹栖町に巨大なテストコースを持ち、そこで熟成され鍛えられたスポーツモデルや4WDモデルも数多い。

2004年10月7日に発売されたレジェンドには新開発の四輪駆動システムSH-AWDを採用し、出力規制の緩和にともない国産車では初めて280PSを超える出力300PSが設定された。

レジェンドに搭載されているSH-AWDは、単純な前後の駆動力配分の制御だけでなく、後輪左右駆動輪間において可変駆動配分制御を行う事を目的に、リアデフ内のプロペラシャフト後端部分の動力伝達経路に増速機構と、後輪の左右駆動輪間に駆動力差を生み出す為に小型電磁クラッチをデフ側の左右ドライブシャフトのエンドエリアに搭載し、コーナリング時に意図的に外周側の駆動輪に多くの駆動力を伝達する高度な動的制御を行う事により、より自然な感覚での旋回性能の向上及び、滑りやすい路面状況下での走行安定性の向上を図っている。

なお、タクシーパトカー専用車両(市販車と異なる仕様で製造された車両)は過去も現在も全く生産していない。また同業のスズキと同じく軽自動車クラス以上のトラックやバスを生産していない(モータースポーツでは提携しているいすゞ自動車製のトランスポーターが使用される)。

[編集] 汎用機械

自社製の汎用ガソリンエンジンを利用した刈払機や芝刈り機、耕運機、水ポンプなどの農業機械、除雪機、船外機発電機、家庭用ガスコージェネレーションユニットからシニアカー(電動カート)、太陽電池パネルなどを生産している。

過去に、1985年から発売された乗用管理機の「マイティシリーズ」と、1989年から発売された小型ディーゼルトラクターの「TXシリーズ」を生産していたことがあり、OEM供給を受けたクボタ製トラクターや三菱農機製の田植機コンバインとともにホンダブランドで販売していた時期があった。

TXシリーズのエンジンは自社オリジナル開発で、当時20馬力以下のクラスとしては初のゴム製タイミングベルトによるSOHC機構を採用した水冷直列3気筒ディーゼルエンジンが搭載されていた。また、マイティシリーズは当初、自社製の強制空冷単気筒による4サイクル・OHV機構のガソリンエンジン仕様のみの販売だったが、後にクボタ製の水冷直列2気筒によるディーゼルエンジンを搭載した仕様が追加された。

現在はこれら乗用型トラクタ、コンバイン、田植機の分野からは撤退して耕運機のみを製造、販売している。

  • 芝刈り機のシェアは世界一。
  • 発電機、除雪機、5PS以下の小型耕耘機のシェアは国内トップ。2009年には、カセットガスを燃料とするピアンタFV200が発売された。
  • 一般家庭用のガスコージェネ発電ユニットは、国内唯一の供給メーカーである。
  • 他社に先駆けて船外機の4ストローク化を行い、その性能は米国で4年連続顧客満足度第一位を獲得した。
  • 汎用エンジンのGX160は、米国ローコン社の2WDオートバイにも採用されており、少量であるが日本にも輸入されている。

[編集] 小型ジェット機

エンジンから機体まですべて自社開発されたHondaJet

2006年7月25日、創業者 本田宗一郎の夢、小型ジェット機製造(Very Light Jets:VLJ)への本格参入を表明。 HondaJetと名づけられた6-7人乗りの機体は、全長 12.5m、全幅 12.2m、全高 4.1m、最大巡航速度 420Kt (778km/h)、最大有視界航行距離 1,400nm (1,611mile/2,593km)、最大計器飛行航行距離 1,180nm (1,358mile/2,185km)、最大運用高度 41,000ft (12,497m)、最大離陸重量 4,173kg、他社の同クラスのジェット機は機体後部などに直接エンジンを取り付けているが、HondaJetは主翼の上にエンジンを取り付ける手法を選んでいる。

この独創的な特長により、後部キャビンスペースがライバル機よりも広くなり利便性が高くなっている。また機体主胴体の素材に常道とされるアルミ軽合金ではなく、F1マシンなどと同じ炭素繊維を使用した強固かつ軽量な複合材を選択する事により大幅な軽量化を図り、独特な主翼の形状と相まって燃費が同サイズのライバル社の機体に比べ30%程向上しているのが特徴である。

2006年8月、ホンダエアクラフトカンパニーをアメリカ合衆国に設立し、フロリダ州ベロビーチに本社を置くパイパー・エアクラフトと業務提携を行うと表明。

2006年10月、販売予約の受付開始後に予想を大幅に上回る100機以上の受注を受ける。

2007年3月、ホンダジェットの生産開始に向け、GKN Aerospace社[7]、Avcorp Industries社[8]Garmin International社の3社をキーパートナーに向かえる。

2007年6月、ノースカロライナ州グリーンズボロにあるピードモント・トライアド国際空港隣接地に、ホンダエアクラフトカンパニー本社社屋及び開発研究拠点、生産工場の建設を開始。

2007年7月、ノースカロライナ州バーリントン(グリーンズボロ郊外)にあるバーリントン・アラマンス地域空港近隣に、GEホンダ社が開発したジェットエンジンの委託製造引き受け会社、ホンダエアロ社の本社及び工場を建設すると発表。

2007年9月、ホンダジェットの内装デザインを公開し、パイロットトレーニング用プログラムの作成及びフライトシミュレーターの開発を、米国フライトセーフティーインターナショナル社との共同で行うと発表。

2007年11月、ホンダ・エアロ社の本社及び工場の建設を開始。

2008年3月、カナダ、メキシコでの販売及びサービス体制を発表。

2008年5月、ヨーロッパ全域での販売及びサービス体制を発表。

また1962年の新聞の求人広告に軽飛行機技術者の応募広告を出したが、この応募に応じたのは、吉野、川本両元社長であったという。このことは福井威夫社長が日経スペシャル カンブリア宮殿で明らかにしている。

[編集] キャッチフレーズ

  • 新しい世界を創る。
  • 真に快適な、価値ある車をすべての方へ。(1980年代初頭)
  • クルマが家族になる。 (1985年-プリモ店)
  • クルマがゆとりになる。 (1985年- クリオ店)
  • クルマが個性になる。(1985年- ベルノ店)
  • 人、きらめく、走り。(1980年代後半-1990年初頭)
  • 人と、地球に「夢・発見・ドラマ」を。(1990年-2000年)
  • The Power of Dreams「=夢の力」(2001年-)グローバルスローガンとして、全世界で使用される。(2006年1月より同社のCMで、音声によるアナウンスもされている)
  • 翼ある人(Honda Motorcycle、2004年12月現在)
  • 他にも2006年まで企業CMには"Do You Have a Honda?"が使われ、CMソングにTHE HIGH-LOWSの「日曜日よりの使者」が用いられていた。

[編集] 年表

[編集] 社史

  • 1946年 - 本田宗一郎、静岡県浜松市(現・浜松市中区)山下町30番地に本田技術研究所を開設。旧陸軍無線用発電機を改造した冷却2サイクルの本田エントツ型エンジンを自転車に搭載した通称バタバタを発売する。
  • 1947年 - 自社設計第1号製品、A型自転車用補助エンジン生産開始。のちに2代目社長となる河島喜好が11人目の社員として入社。
  • 1948年 - 本田技術研究所を継承し、浜松市(現・浜松市中区)板屋町257番地に本田技研工業株式会社を設立。
  • 1949年 - 藤沢武夫が参加し経営担当となる。初の自社設計フレーム98cc2サイクル単気筒エンジンを搭載したドリーム号D型生産開始。
  • 1950年 - 東京・京橋に営業所開設。同時に北区上十条の東京工場が稼動を開始。
  • 1951年 - 現在の埼玉県和光市に白子工場を建設。
  • 1952年 - 自転車用エンジンを搭載したカブF型発売。世界的ベストセラーとなる。全国5,000を超える自転車販売店にダイレクトメールを送り販売網を確立。
  • 1953年 - 東京・八重洲に二階建て社屋を建設、浜松から東京に本社を移転。埼玉・大和工場、浜松工場を開設。
  • 1954年 - 東京証券取引所に株式店頭公開(現在のジャスダック証券取引所)。本田宗一郎、欧州を視察。
  • 1955年 - 二輪車生産台数日本一達成。
  • 1957年 - 東京証券取引所第一部上場。
  • 1959年 - 米国現地法人「American Honda Motor Inc.」をロサンゼルスに設立。
  • 1960年 - 研究開発部門を分離した「株式会社本田技術研究所」を設立、鈴鹿製作所を開設。
  • 1961年 - 旧西ドイツに「ヨーロッパ・ホンダ」設立。
  • 1962年 - 四輪車への進出の意向を表明。
  • 1963年 - 8月、ホンダ初の4輪車、軽トラックT360/T500発売。日本自動車産業界初の海外生産工場としてベルギーに小型オートバイの組立工場「ホンダ・ベネルクス」を開設して二輪車生産開始。本田鋳物(現・本田金属技術(株))を設立。
  • 1964年 - 埼玉製作所に狭山工場を開設。朝霞テックオープン。
  • 1965年 - 英国に販売拠点「Honda UK」設立。
  • 1968年 - 大気汚染防止法の基準を達成するエンジンの開発を全社で取り組むため、F1参戦一時休止を宣言。
  • 1972年 - シビック発売。低公害エンジン「CVCC」の開発に成功。米の大気清浄法案(マスキー法75年度規制)を世界の自動車メーカーに先駆けて達成。
  • 1973年 - 本田宗一郎社長、藤沢武夫副社長退任。両名は取締役最高顧問に就任。河島喜好が2代目社長に就任。朝霞テック閉鎖
  • 1974年 - 軽自動車市場から一時撤退(軽トラックは除く)。
  • 1976年 - アコード発売。
  • 1978年 - 販売チャネル「ホンダ・ベルノ店」発足。旧来のホンダ店(当時)との二極化。
  • 1979年 - 米国オハイオ州に現地生産工場を開設。英国BL Cars社(ジャガーローバーMGトライアンフなどを所有)との業務提携を開始。
  • 1980年 - 売り上げが1兆円を達成。
  • 1983年 - 本田宗一郎、藤沢武夫が取締役を退き、終身最高顧問になる。河島喜好が社長を退任、久米是志が3代目社長に就任。
  • 1984年 - 「ホンダ・クリオ店」発足。3チャンネル体制となる。
  • 1985年 - 軽自動車市場に再参入。「ホンダ・プリモ店」発足。四輪車販売網3系列体制確立。ホンダ青山ビル竣工。ホンダの最上級車レジェンド発売。
  • 1986年 - 米国で第2販売チャンネルとして「ACURA」ブランドを開業。ロボットの研究に着手する。
  • 1988年 - 藤沢武夫死去。従四位勲三等旭日中綬章を追贈。
  • 1989年 - オハイオ第2工場を開設。新エンジンVTECを開発。
  • 1990年 - 久米是志が社長を退任、川本信彦が4代目社長に就任。スーパースポーツカーNSXを発売。
  • 1991年 - 本田宗一郎死去。
  • 1993年 - 足と胴体と腕がついた本格的人間型ロボットP1開発に成功。P3まで改良される。
  • 1994年 - 英国BL Cars社の存続会社であったローバー・グループとの提携を解消。クリエイティブ・ムーバーシリーズ第1弾であるオデッセイを発売。新ジャンルの車種でありながらも大ヒットとなり、ホンダの業績回復に貢献した。1995年にCR-V、1996年にステップワゴンを発売。いずれも大ヒットとなった。
  • 1998年 - 創業50周年記念イベントとして、「ありがとうフェスタinもてぎ」が10月4日に開催される。川本信彦が社長を退任、吉野浩行が5代目社長に就任。
  • 1999年 - 創業50周年記念モデルとして、29年ぶりとなるFR駆動のスポーツカーS2000を発売。
  • 2000年 - 新世代のVTECエンジンで、高出力、低燃費に対応したi-VTECを開発。小型化・軽量化されたヒューマロイドロボットASIMO登場。
  • 2002年 - フィットが国内の登録車販売において第1位を獲得。ホンダが登録車の年間累計販売台数で第1位となるのはこの時が初である。
  • 2003年 - 吉野浩行が社長を退任、福井威夫が6代目社長に就任。
  • 2005年 - NSXの生産及び販売を終了。
  • 2006年
    • プリモ店、ベルノ店、クリオ店を「Honda Cars(ホンダカーズ)店」に名称変更、四輪車販売系列を1本化。
    • 小型ジェット機市場への参入を発表。8月にHonda Aircraft Company, Inc.を設立、ビジネスジェット機HondaJetの受注を開始。2010年までに米国連邦航空局(FAA)の認定を受け、1号機の引き渡しを完了する予定。
    • 日本メーカーとして初のフレックスエンジン車(エタノール燃料とガソリン両用エンジン)をブラジルで販売開始。
    • 太陽電池事業への参入を発表。12月にホンダ ソルテックを設立。
  • 2008年 - F1から撤退。
  • 2009年
    • 福井威夫が社長を退任、伊東孝紳専務が7代目社長に就任。[9]
    • パイオニアとの資本提携。

[編集] モータースポーツ史

  • 1949年 - 日米対抗レースにC型モーターサイクルで出場し、優勝。
  • 1954年 - 2月、ブラジルの国際モーターサイクルレースの125ccにて、完走18台中13位。3月20日、藤沢「マン島T.T.レース出場宣言」を発表。
  • 1955年 - 第1回浅間高原レースにてヤマハに惨敗。
  • 1957年 - 第2回浅間火山レースでヤマハに負ける。
  • 1959年 - マン島T.T.レース初出場。最高6位。レース10年ぶりにチーム登録3名が全員完走、チーム賞を受賞。WGP参戦を開始。第3回浅間火山レースで、125cc、250ccにて1〜5位まで独占。
  • 1960年 - マン島T.T.レース125ccにて最高6位、250ccにて最高4位。
  • 1961年 - マン島T.T.レース125cc、250cc両クラスにて1〜5位まで独占。優勝タイムや最速ラップなど、記録をすべて更新。
  • 1962年 - 三重県鈴鹿市に本格的自動車サーキット「鈴鹿サーキット」を完成。11月に同サーキットで第1回全日本選手権ロードレース大会を開催し、4クラス優勝。
  • 1964年 - 1月、本田宗一郎、F1GP出場を宣言。8月、F1ドイツGPにRA271で初出場(13位完走)。
  • 1965年 - F1メキシコGPメキシコシティ)で初優勝(RA272、リッチー・ギンサー)。
  • 1966年 - WGP全クラスに参戦、全クラスを制覇。この年をもってロードレース世界選手権撤退。またF2でホンダエンジンを搭載したブラバムが開幕11連勝を達成するが、同年でF2からも撤退。
  • 1968年 - F1レース活動の第1期終了。
  • 1979年 - WGP参戦を再開。500ccクラスでは4ストロークNR500で参戦。
  • 1980年 - F2へのエンジン供給を再開。
  • 1982年 - WGP500ccクラスに2ストローク・3気筒のNS500を投入。
  • 1983年 - F1再参戦を発表、イタリアGPで15年ぶりに復帰(スピリット)、英ウィリアムズと提携(〜1987年)。またWGP500ccクラスでフレディ・スペンサーがNS500でシリーズチャンピオンを獲得。
  • 1984年 - F1アメリカGPダラス)にて、F1レース活動第2期始動後初優勝(ケケ・ロズベルグ)。
  • 1985年 - WGPでフレディ・スペンサーがNSR500(2ストローク4気筒)で500ccクラスチャンピオン。250ccクラスとのダブルタイトルを獲得。
  • 1986年 - F1でWilliams Hondaとして初の年間優勝。
  • 1987年
  • 1988年 - F1で英マクラーレンへエンジン供給を開始(〜1992年)、Honda Marlboro McLarenが16戦15勝で年間優勝(ドライバー優勝=アイルトン・セナ)。
  • 1989年
  • 1990年 - F1でHonda Marlboro McLarenが年間優勝(ドライバー優勝=アイルトン・セナ)。
  • 1991年
    • F1で英ティレルへエンジン供給(この年のみ)、Honda Marlboro McLarenが年間優勝(ドライバー優勝=アイルトン・セナ)。
    • IMSAシリーズでアキュラ-スパイス SE90CLがキャメル GTP Lightクラスチャンピオン。
  • 1992年
    ACURA-SPICE SE90CL 1992
    • F1レース活動第2期終了。
    • IMSAシリーズでアキュラ-スパイス SE90CLがキャメル GTP Lightクラス2年連続チャンピオン。
  • 1994年
    • CARTシリーズにエンジン供給を開始。
    • NSXでル・マン24時間レースに参戦開始。
    • 全日本ツーリングカー選手権(JTCC)にシビックフェリオで参戦を開始。
    • WGPでマイケル・ドゥーハンが500ccクラスチャンピオンを獲得、この年から5連覇。
  • 1995年 - ル・マン24時間レースにて高橋国光らオール日本人ドライバーのNSXチームがGT2クラス優勝。
  • 1996年
  • 1997年
    Castrol無限ACCORD 1997
    • 栃木県・茂木町に日本初のオーバルコースを持つツインリンクもてぎを開業。この年から2006年まで鈴鹿8時間耐久ロードレースにおいて自社製車両が10連覇。
    • JTCCにて中子修がアコードでシリーズチャンピオンを獲得。この年をもって全日本ツーリングカー選手権への参戦を終了。
  • 1999年 - WGPでアレックス・クリビーレが500ccクラスチャンピオン。
  • 2000年
    Castrol無限NSX 2000
    • WCTでドギー・ランプキンがチャンピオンを獲得。
    • F1レース活動の第3期をB・A・R Hondaとして開始。
    • JGTCにてNSXを使用した道上龍がドライバーズチャンピオンを、無限×童夢プロジェクトがチームズチャンピオンをそれぞれ獲得。
  • 2001年
    • WCTでドギー・ランプキンがチャンピオンを2年連続で獲得。
    • F1で英ジョーダンへエンジン供給を開始(~2002年)。
    • MotoGP(旧称WGP)でバレンティーノ・ロッシがMotoGPクラスチャンピオンを獲得、この年から3連覇。
  • 2002年
    • WCTでドギー・ランプキンがチャンピオンを3年連続で獲得。
    • CARTシリーズでの活動を終了。
    • スーパースポーツ世界選手権でファビアン・フォーレがチャンピオン獲得、ホンダとしてはこの年から5連覇。
    • JGTCにてNSXを使用した無限×童夢プロジェクトがチームズチャンピオンを獲得。
  • 2003年
    • WCTでドギー・ランプキンがチャンピオンを4年連続で獲得。
    • IRLにおいてエンジンを供給を開始。
  • 2004年
    • WCTで藤波貴久が日本人初のチャンピオンを獲得。
    • F1アメリカGP(インディアナポリス)でB・A・R Hondaの佐藤琢磨が3位表彰台に立つ(F1の表彰台に日本人が立つのは鈴木亜久里以来14年ぶりの快挙)。また、ジェンソン・バトンが10回の表彰台登壇を果たすなど、ドライバーズランキング3位となり、B・A・R Hondaもコンストラクターズランキング2位となる。
    • IRLのINDY500で初優勝(1位〜7位独占)、16戦14勝で年間優勝(ドライバー優勝=トニー・カナーン)、松浦孝亮が日本人初のルーキー・オブ・ザ・イヤーで3冠達成。
  • 2005年
    Honda RA106(バトン車)
    • IRLのINDY500で2年連続優勝(1位〜4位独占、優勝者はダン・ウェルドン)達成、17戦12勝で年間優勝(ドライバー優勝=ダン・ウェルドン)。
    • FIM世界耐久選手権 、鈴鹿8時間耐久ロードレースでワークスチームのSeven Stars Honda 7とSeven Stars Honda 11が1-2フィニッシュ。
  • 2006年
    RC212V
    • F1でB・A・Rの株式を100%取得し、38年ぶりにオールHondaとして参戦。第13戦ハンガリーGPにてジェンソン・バトンによりF1第3期初優勝、オールHonda体制では1967年第9戦イタリアGP以来の勝利を記録する。
    • F1でスーパーアグリF1にエンジン供給開始。
    • MotoGPでニッキー・ヘイデンがMotoGPクラスチャンピオン獲得。
    • サーキット事業を強化するため、鈴鹿サーキットランドとツインリンクもてぎが合併し株式会社モビリティランドが発足。
    • IRLにおいて全チームにエンジンを供給。(ホンダエンジンのワンメイク)
    • フォーミュラ・ニッポンにおいてエンジンを供給を開始。
  • 2007年
    ARTA NSX 2007
  • 2008年
    • WCTでトニー・ボウが2年連続でチャンピオンを獲得。
    • 12月5日、F1世界選手権シリーズ継続参戦を断念し、撤退を表明[10]
  • 2009年
    • 1月23日、鈴鹿8時間耐久ロードレースへのワークス参戦の休止を発表。
    • ALMSのLMP1クラスへも参戦、LMP2クラスと両クラスともマニュファクチャラーズ(エンジン、シャシー)/ドライバーズチャンピオンを獲得。
    • フォーミュラ・ニッポンにおいてロイック・デュバルがドライバーズチャンピオンを、NAKAJIMA RACINGがチームズチャンピオンをそれぞれ獲得。
    • WGP250ccクラスで青山博一がシリーズチャンピオンを獲得。
    • 10月23日、SUPER GT・GT500クラスへのNSXによる参戦終了を発表[11]。SUPER GT自体への参戦継続は表明するが、次期車両は未発表。

[編集] 製品

本田技研工業の製品一覧を参照

[編集] 生産拠点

[編集] 国内事業所

[編集] 四輪

鈴鹿製作所
1960年4月操業 / 三重県鈴鹿市
:生産品目 / ハイブリッド車、小型車(ハッチバック)、小型4ドアセダン、コンパクトミニバン、ステーションワゴン車、商用ワゴン車
面積/112, 8万平方メートル
埼玉製作所
1964年5月操業 / 埼玉県狭山市
:生産品目 / 輸出用小型車、ミニバン、コンパクトミニバン、SUV、中型4ドアセダン、4ドアサルーン、四輪車用エンジン等
栃木製作所
1970年12月操業 / 栃木県真岡市
:生産品目:エンジン部品、足廻り部品、四輪デフ、軽量4WD部品
寄居製作所
建設中 / 埼玉県大里郡寄居町
2011年以降操業開始予定(約80万平方メートル)
各四輪製作所では団体向けに、非営利目的の工場見学の受け入れを行っている。

[編集] 二輪

熊本製作所
1976年1月操業 / 熊本県菊池郡大津町
: 小・中・大型二輪車、汎用エンジン、軽自動車用エンジン、コージェネレーションユニット等

[編集] 四輪車用エンジン

小川エンジン工場
操業準備中 / 埼玉県比企郡小川町
:生産品目 / ディーゼルエンジン部品、ハイブリッド用エンジン等、2009年度内に操業開始予定(約20万平方メートル)

[編集] 四輪車用オートマチックトランスミッション

浜松製作所
1954年4月操業 / 静岡県浜松市中区
:生産品目 / 四輪車用ATミッション

[編集] 船外機

浜松製作所 細江工場
2001年9月操業 / 静岡県浜松市北区
:生産品目 / 船外機

[編集] 主なグループ企業

[編集] 研究開発関連

連結子会社

株式会社本田技術研究所(設立:1960年7月、本田技研工業より分離)
国内研究所
:二輪R&Dセンター(設立:1973年11月)
:四輪R&Dセンター《和光》(設立:1964年5月)
:四輪R&Dセンター《栃木》(設立:1986年4月)
:汎用R&Dセンター(設立:1979年5月)
:航空機エンジンR&Dセンター(設立:2004年7月)
:基礎技術研究センター(設立:1991年1月)
:PG管理室《栃木プルービンググラウンド》(設立:1979年4月)
:PG管理室《鷹栖プルービンググラウンド》(設立:1996年5月)
研究会社(国内)
株式会社ホンダ・レーシング(HRC)(設立:1973年6月)
:レース用二輪車の開発、製造販売。各種レース用二輪部品の製造販売
ホンダアールアンドデー太陽株式会社(設立:1992年7月)
原動機、輸送用機器及び農機具の部品の製造販売及び車椅子等のリハビリ機器の研究開発
株式会社ホンダ・リサーチ・インスティチュート・ジャパン(設立:2002年12月)
:先端技術の研究開発
ホンダエンジニアリング株式会社(設立:1970年9月)
:生産システムから生産ラインの設定および工作機械の開発
株式会社ピーエスジー(設立:1987年3月)
:研究開発サポート(設計、試作、組立、各種テスト)
研究会社(海外)
ホンダR&Dアメリカス(設立:1984年9月)
ホンダR&Dヨーロッパ《ドイツ》(設立:1988年4月)
ホンダR&Dヨーロッパ《U.K.》(設立:1992年12月)
ホンダR&Dヨーロッパ《イタリア》(設立:2000年7月)
ホンダR&Dサウスイーストアジア(設立:1997年11月)
ホンダR&Dアジアパシフィック(設立:2005年12月)
本田摩托車研究開発有限公司(設立:2002年1月)
ホンダR&D インディア(設立:2003年6月)
ホンダ・リサーチ・インスティチュート・USA(設立:2003年1月)
:先端技術の研究開発
ホンダ・リサーチ・インスティチュート・ヨーロッパ(設立:2003年1月)
:先端技術の研究開発

[編集] 国内部品製造

連結子会社
浅間技研工業株式会社(設立:1973年10月)
フライホイールエキゾーストマニホールドなどの製造
株式会社アリス三洋
:アルミ二次合金製造(ホンダトレーディング関連会社)
株式会社ウエムラテック(設立:1990年9月)
:自動車等・各種部品製造
株式会社エムビーエイ
カーナビ用商品の開発、販売
希望の里ホンダ株式会社(設立:1985年8月)
ピストン、ケースカバー、ナックル等の小組立
合志技研工業株式会社(設立:1974年11月)
:フューエルタンク、マフラー等のプレス、塗装・表面処理加工部品の製造
株式会社ゴウシテック(設立:1997年2月)
:二輪部品、エキゾーストマフラーの生産
新日工業株式会社(設立:1963年)
:ATミッション部品等の機械加工
株式会社スミレックス
:四輪車用部品の製造
株式会社ヒロセ精工
:金型の制作、及びメンテナンス
株式会社ホンダエレシス(設立:2002年10月)
ABSEPSHiDS等電子制御システムユニットの開発・製造・販売 / 「旧ネステック」
本田金属技術株式会社(設立:1963年12月)
:エンジン部品《インテークマニホールドピストン・シリンダーヘッド等、アルミ鋳造品》の生産
株式会社ホンダ ソルテック(設立:2006年12月)
太陽電池の製造・販売。阪神甲子園球場にもパネルが設置される。
ホンダ太陽株式会社(設立:1981年9月)
:二輪車・四輪車・汎用《スピードメーター、グローブボックス等》の部品生産
株式会社ホンダロック(設立:1962年4月)
:二輪車・四輪車キーセット、セキュリティシステム、ドアミラー、ABSソレノイド、ドアミラー等の電装部品の生産
株式会社MAP
:アルミ溶湯(ホンダトレーディング関連会社)
株式会社MAP狭山(設立:2006年4月/ホンダトレーディング関連会社)
:アルミ溶湯
水谷精器工業株式会社(設立:1951年10月)
:輸送機器用プレス金型プレス加工
株式会社メッツ(設立:1953年7月)
:自動車機器及び産業機器の部品製造《ダイカスト》・加工・組立
八千代工業株式会社(設立:1953年8月)
軽自動車の受託生産、燃料タンク等自動車部品製造
株式会社ユタカ技研(設立:1954年7月)
エキゾーストマニホールド、コンバータ、ボディビームなどの製造
株式会社ワイジーテック(設立:2008年4月)
:自動車部品及び二輪汎用部品の製造及び販売
関連会社
株式会社アイキテック(設立:1956年1月)
:トランスミッションギア、シャフト等精密機能部品の生産
株式会社アツミテック(設立:1954年4月)
:シフトフォーク、セレクトレバー等精密部品の生産
株式会社エイチワン(設立:2006年4月)
:車体骨格部品、精密プレス部品、溶接加工部品の生産
株式会社エフ・シー・シー(設立:1939年6月)
:動力伝達装置《クラッチ等》を専門とする機能部品の生産
株式会社エフテック(設立:1955年11月)
:四輪車用サスペンション等の製造
株式会社エム・エス・ディ(設立:1958年6月)
:汎用完成機の組立生産委託および二輪フレーム部品生産
金田工業株式会社(設立:1949年1月)
:四輪車用ATミッション・二輪用MT・汎用エンジンクランクシャフトの製造
菊池プレス工業株式会社(設立:1953年11月)
:自動車用車体部品の生産、販売
株式会社ケーヒン(設立:1956年12月)
:自動車及び輸送機器用部品・機械・システム、産業用バルブの開発、生産、販売;〔旧京浜精機製作所、旧ハドシス、旧電子技研の3社による合併会社〕
株式会社ショーワ(設立:1938年10月)
ショックアブソーバーパワステ、油圧・空圧機器等の製造
株式会社スチールセンター(設立:1950年3月)
:鋼板の切断加工、自動車部品等のプレス加工、生産
高尾金属工業株式会社(設立:1952年6月)
:金型製作、ダッシュボードロアー等プレス加工、溶接組立加工・塗装部品の生産
田中精密工業株式会社(設立:1951年3月)
:自動車、オートバイのエンジン部品、足廻り部品等の生産
株式会社都筑製作所(設立:1944年6月)
:ナックル、インテークマニホールド油圧部品等機械加工部品の生産
テイ・エステック株式会社(設立:1954年4月)
:自動車用シートおよび内装品の生産、内装品製造 /「旧東京シート」
日信工業株式会社(設立:1953年10月)
ブレーキを主体とする機能部品の生産
日本プラスト株式会社(設立:1948年10月)
:自動車用樹脂部品の生産、販売《エアバッグステアリングホイール、空調部品など》
株式会社ベステックスキョーエイ(設立:1957年5月)
:自動車部品の開発、製造
株式会社増田製作所(設立:1946年4月)
:輸送用機械器具製造
株式会社丸順(設立:1960年1月)
:自動車部品、各種金型、合成樹脂成形製品および治工具の設計・製作・加工、販売ならびに自動車の販売
武蔵精密工業株式会社(設立:1944年1月)
:精密機能部品の生産
柳河精機株式会社(設立:1948年1月)
:サスペンション、四輪トランスミッションナックルAssy等の機能部品の製造
株式会社山田製作所(設立:1946年2月)
ステアリングギアボックス、オイルポンプ等の製造)

[編集] 国内営業関連

[編集] 営業、購買、ファイナンス業務、その他

連結子会社
オールホンダ販売株式会社(設立:1964年1月)
:汎用製品の販売
株式会社ジャパンテクノ
:食品製造技術の開発 (ホンダトレーディング関連会社)
株式会社東京中央サービスセンター
北海道ホンダ販売株式会社(設立:1983年11月)
:二輪製品及び汎用製品の販売業務
株式会社ホンダアクセス(設立:1976年8月)
:ホンダ純正アクセサリーGathersなどの二輪車、自動車の付属用品の開発、生産、販売
株式会社ホンダオペレーションサービス熊本(設立:2007年9月)
:納車前点検、配送業務
株式会社ホンダコムテック(設立:1989年9月)
:広告、宣伝、情報処理および提供
株式会社ホンダコンサルティング(設立:2005年7月)
:人材育成能力開発業務、経営及び事業に関するコンサルティング
株式会社ホンダトレーディング(設立:1972年3月)
:内外資材《非鉄金属》、《鋼板》などの輸出入及び販売等を主とする商社業務全般
株式会社ホンダファイナンス(設立:1966年4月)
:ホンダ関連会社及びホンダ関連会社の顧客に対する事業者金融、リース業
株式会社ホンダモーターサイクルジャパン
:二輪販売店への卸し、市場ニーズの把握、販売店の支援、販売促進
関連会社
株式会社ホンダパーツ関西
部品の卸売り、部品の保管・配送業務

[編集] 四輪販売会社

連結子会社
沖縄ホンダ株式会社(設立:1959年5月)
:ホンダカーズ沖縄系列販売店の統括会社
株式会社ホンダエクスプレス販売
:2009年2月、「株式会社ホンダカーズ埼玉」へ統合された。
株式会社ホンダカーズ愛知(設立:1973年7月)
〔2009年8月1日に「Honda Cars 愛知東」、「Honda Cars 愛知西」と合併、新生「Honda Cars 愛知」となる〕
株式会社ホンダカーズ愛知東(設立:1997年7月)
〔2009年8月1日に「Honda Cars 愛知」、「Honda Cars 愛知西」と合併、「Honda Cars 愛知」となる。〕
株式会社ホンダカーズ茨城(設立:1974年4月)
株式会社ホンダカーズ愛媛(設立:1993年3月)
株式会社ホンダカーズ大分(設立:1983年)
株式会社ホンダカーズ大阪(設立:2007年1月)
株式会社ホンダカーズ京都(設立:1978年11月)
株式会社ホンダカーズ熊本(設立:1972年5月)
株式会社ホンダカーズ群馬中央(設立:1984年12月)
株式会社ホンダカーズ京葉(設立:1979年6月)
株式会社ホンダカーズ神戸(設立:1974年7月)
株式会社ホンダカーズ埼玉(設立:1973年7月)
株式会社ホンダカーズ札幌(設立:1973年4月)
株式会社ホンダカーズ静岡西(設立:1978年11月)
株式会社ホンダカーズ千葉中央(設立:1961年10月)
株式会社ホンダカーズ東京中央(設立:2006年10月)
:〔「旧ホンダクリオ新東京」と「旧ホンダベルノ新東京」の統合に伴い設立、
「旧ホンダプリモ東京南」及び、「旧ホンダプリモ渋谷」も後に同社へ統合された〕
株式会社ホンダカーズ東京東(設立:1970年10月)
株式会社ホンダカーズ栃木(設立:1975年3月)
株式会社ホンダカーズ肥後
:旧株式会社ホンダ新熊本
株式会社ホンダカーズ兵庫(設立:1990年11月)
株式会社ホンダカーズ広島(設立:2000年2月)
株式会社ホンダカーズ福岡(設立:1985年3月、新会社発足:2007年9月)
株式会社ホンダカーズ福島(設立:1983年5月)
株式会社ホンダカーズ宮城中央(設立:1973年1月)
株式会社ホンダカーズ山形(設立:1975年3月)
株式会社ホンダカーズ山梨(設立:1973年7月)
:〔旧株式会社ホンダ四輪販売山梨〕
株式会社ホンダカーズ横浜(設立:1965年5月)
ホンダ自動車販売株式会社 → ホンダカーズ静岡西へ統合。
株式会社ホンダ販売旭川(設立:2000年2月)
株式会社ホンダ販売名西(設立:1987年)
〔旧Honda Cars 愛知西 → 2009年8月1日に「Honda Cars 愛知」、「Honda Car愛知東」と合併、「Honda Cars 愛知」となる。〕
株式会社ホンダプリモ信州(設立:1992年8月)
株式会社ホンダプリモ東山口(設立:1984年7月)
株式会社ホンダ四輪販売岡山(設立:1978年8月)
株式会社ホンダ四輪販売北・東北(設立:2000年8月)
株式会社ホンダ四輪販売四国
株式会社ホンダ四輪販売長崎(設立:1973年12月)
株式会社ホンダ四輪販売新潟(設立:1978年11月)
株式会社ホンダ四輪販売北陸(設立:2005年4月)
株式会社ホンダ四輪販売南九州(設立:2004年11月)
株式会社ホンダ四輪販売南近畿(設立:2000年8月)
株式会社ホンダ四輪販売山口(設立:1978年11月)
株式会社ホンダ四輪広島(設立:1988年4月)
株式会社ホンダワールド福井(設立:1982年8月)
株式会社ホンダワコード(設立:1976年4月)

関連会社

南ホンダ自動車株式会社(設立:2008年5月)
:ホンダカーズ岩手中央系列販売店の統括会社)
株式会社ホンダカーズ静岡(設立:1978年11月)
:〔旧株式会社ホンダベルノ静岡〕
株式会社ホンダカーズ博多 (設立:2007年4月)
株式会社ホンダ北徳島
株式会社ホンダクリオ滋賀(設立:1973年7月)
株式会社ホンダ泉州販売(設立:1985年9月)
株式会社ホンダプリモコスモ大阪 → 株式会社ホンダカーズ大阪北に社名変更(設立:1965年4月)
株式会社ホンダベルノ石川 → 株式会社ホンダカーズ石川南へ社名変更(設立:1978年10月)
株式会社ホンダ販売名東(設立:1987年8月)
:名古屋で各種輸入車を幅広く扱うホワイトハウスグループのホンダ車販売子会社、
同社が属する企業グループ内にはホンダ車をベースとしたキャンピングカーの製作販売を行う部門もある

[編集] 二輪販売会社

株式会社ホンダドリーム関東
:関東地域の新車販売店舗(DREAM店)を10店舗統括
株式会社ホンダドリーム九州
:九州地域の新車販売店舗(DREAM店)を5店舗統括
株式会社ホンダドリーム近畿
:近畿地区の新車販売店舗(DREAM店)を9店舗統括
株式会社ホンダドリーム中部
:中部地域の新車販売店舗(DREAM店)を5店舗統括
株式会社ホンダドリーム東京
:東京・神奈川の新車販売店舗(DREAM店)を11店舗統括
株式会社ホンダドリーム東北
:東北地域の新車販売店舗(DREAM店)を5店舗統括
株式会社ホンダドリーム中四国
:中国・四国地域の新車販売店舗(DREAM店)を4店舗統括

[編集] 販売店

[編集] 4輪車販売店

Honda Cars店

2006年3月にこれまでの販売網3系列(下記参照)を1本化、全国各店舗の屋号変更が同年7月13日(2代目ストリーム発表と同日)に一斉に行われた。9月からは順次店舗外装を変更していく予定。

Honda Carsへ順次移行・変更前の販売系列
2006年3月1日をもって店舗名はそのままながらも全店全車種取り扱いへと移行したため、事実上販売系列の区分けと販売系列のロゴマークはなくなった。

プリモ店シビックをメインに、小型車、軽自動車を販売)
クリオ店アコードレジェンドのセダン車をメインに販売)
ベルノ店1978年プレリュード発売と同時に発足。スポーツカーとSUVがメイン)
「Auto Terrace」 中古車販売(ホンダ車のみ)・買取店(他銘柄車可)

2008年秋に「アキュラ」ブランドの国内進出が予定されていたが、一旦は2010年以降に延期したものの、急激な不況のあおりを受け最終的に国内進出自体が白紙撤回された。

[編集] 二輪車販売店

DREAM店
:ユーザーに対して四輪販売店並みの各種サービスを行っているホンダ車のみを扱う大型店舗、技能講習会、サーキット走行入門者向けの講習なども行っている。
PRO'S 店
:ホンダのフルラインナップを扱っている販売店、ホンダ専門店と他メーカー併売店がある。
WING店
:50ccから250ccまでを扱うホンダの販売店。
PASSAGE
:ホンダの逆輸入車や国内仕様の大型バイクなどを主に扱う販売店。スペインの「モンテッサ・ホンダ」、イタリアの「ホンダ・イタリア・インダストリオーレ」で現地生産されている日本未発売の欧州車(小型スクーターや小型バイク)の輸入販売も行っている。
ENDURANCE
:アジア市場で幅広く販売されているタイホンダ製の小型バイクを輸入・販売する販売店、日本未発売のスーパーカブ派生車種や小型スクーターなどを主に扱う。

[編集] 輸送・不動産関連

連結子会社
アクトマリタイム株式会社(設立:1973年12月)
:自動車専用輸送船の運航管理
株式会社コムルス(設立:1960年10月)
:輸送業
株式会社デポックス・エクスプレス
:納車点検整備
株式会社ベスト・エクスプレス
:陸上輸送
株式会社ベストロジ熊本
:物流サービス)
株式会社ベストロジ埼玉
:物流サービス
株式会社ベストロジ静岡
:物流サービス
株式会社ベストロジ栃木(設立:2003年11月)
:物流サービス
株式会社ベストロジ三重(設立:1986年7月)
:物流サービス
株式会社ホンダタクシー
:タクシー業務一般
株式会社ホンダロジスティクス(設立:2006年10月)
:一般運送、二輪車・四輪車輸送、納入代行、梱包、貨物、倉庫業、物流機器の製造販売 〔旧光明と旧ホンダ・エクスプレスの合併による新会社〕
関連会社
株式会社デポックス(設立:1989年10月)
:新車納車整備、用品取付、車両輸送
株式会社デポックス関西
:新車納車整備、用品取付、車両輸送
ホンダ開発株式会社(設立:1959年4月)
:損害保険代理業、社員食堂と売店の運営、不動産・旅行など本田技研の福利厚生の一部を担当〔旧開発総業〕

[編集] 中古車販売及び、修理、整備業務

連結子会社
株式会社ホンダカーズ福岡ボディサービス
:四輪車・二輪車の修理および整備
株式会社ホンダボディサービス岡山(設立:1991年12月)
:四輪車・二輪車の修理および整備
株式会社ホンダユーテック(設立:1992年2月)
:中古車販売事業他
株式会社メカネット札幌
:自動車修理業
関連会社
株式会社ホンダボディサービス神奈川
:四輪車・二輪車の修理および整備

[編集] レジャー・教育関連および新分野

連結子会社
株式会社ケイピーテック(設立:2003年3月)
職業紹介事業
サーキットサービスクリエイツ株式会社(設立:1997年1月)
:ホンダ系企業への事務職・OAオペレーターの派遣を中心に、国際レース開催時の通訳やイベントスタッフ、翻訳者や整備士を派遣する人材派遣会社〔株式会社モビリティランド100%出資〕
株式会社日本レースプロモーション(JRP)
フォーミュラ・ニッポンフォーミュラチャレンジ・ジャパン 等のモータースポーツ競技の興行、運営・管理
本田航空株式会社 / Honda Airways(設立:1964年3月)
埼玉県荒川河川敷に小型飛行機専用の滑走路やヘリポートを備える「ホンダエアポート」を運営し、一般向けにヘリコプターや小型機での遊覧飛行やチャーターサービス、各種操縦訓練、埼玉県及び栃木県の防災ヘリコプター[12]の運行受託、救急ヘリでの医療搬送サービスなどを行っている。
株式会社モビリティランド(設立:2006年6月)
:鈴鹿サーキット・ツインリンクもてぎ・多摩テックの運営管理と付随する各種事業の展開
鈴鹿サーキット」(営業開始:1962年9月)
多摩テック」(営業開始:1961年10月、営業終了予定:2009年9月)
ツインリンクもてぎ」(営業開始:1997年8月)
株式会社レインボーモータースクール(設立:1972年6月)
:二輪車・普通自動車・中型自動車の法定教習を行う「指定自動車教習所」及び、一般・団体・企業向けに、二輪・三輪・四輪・トラックの運転に関する各種トレーニングなどを行う「交通教育施設」を運営している
レインボーモータースクール和光」(開校:1972年6月 / 埼玉県和光市)
:「指定自動車教習所」
「交通教育センターレインボー埼玉」(設立:1980年6月 / 埼玉県比企郡川島町)
:「交通教育施設」/ 免許取得に関する業務は行っていない
レインボーモータースクール福岡」(開校:1981年3月)
:「指定自動車教習所」
レインボーライディングスクール浜松」(開校:1982年7月)
:「指定自動車教習所」
HSR九州 交通教育センターレインボー熊本」(開校:1989年3月)
:「交通教育施設」/ 免許取得に関する業務は行っていない
「交通教育センターレインボー浜名湖」(開校:2002年4月)
:「交通教育施設」/ 免許取得に関する業務は行っていない
関連会社
モビリティ文化出版株式会社(設立:1978年11月)
:「月刊 運転管理」という名の安全運転や運行管理等についての専門誌を毎月発行・販売している出版事業者
関連団体
財団法人 本田財団(設立:1977年12月 / 創設者「本田宗一郎」、実弟「本田弁二郎」)
:人間の営みと環境の調和を伴った科学技術の振興により、人々の福祉と平和、幸福に寄与する為の活動をしている個人やグループへの支援などを行う非営利団体
財団法人 国際交通安全学会(設立:1974年 / 創設者「本田宗一郎」、「藤澤武夫」及び「本田技研工業」)
:円滑な交通及び、より安全で望ましい交通社会に向けた調査研究、教育、助成などを行う非営利団体
財団法人 ブレインサイエンス振興財団(設立:1986年11月)
:脳神経科学分野への学術研究助成、研究者の国際交流助成、塚原仲晃記念賞の贈呈等を行っている非営利団体
学校法人 ホンダ学園(設立:1976年)
:自動車整備士、自動車開発者、情報処理技術者等の育成を行う専門学校の運営を行う非営利法人

[編集] 事件・不祥事

[編集] ユーザーユニオン事件

N360ユーザーユニオン事件を参照

[編集] 過労・サービス残業問題

過労死を参照

[編集] 関連項目

[編集] モータースポーツ

[編集] スポーツチーム

本社公認
同好会扱い
関連会社のチーム

[編集] 人物

[編集] オンラインサービス

  • Avenue H - 2008年12月31日にサービス終了

[編集] テレビラジオ提供または提供枠のある番組

[編集] 現在

※2008年の世界的な経済不況の影響からか、2009年3月までにかけてスポンサー降板が相次いだ。

日本テレビ
TBSテレビ
フジテレビ
テレビ朝日
テレビ東京
  • 激走!GT(日によって提供しない日あり)
その他

[編集] 過去

日本テレビ系
TBSテレビ系
フジテレビ系
テレビ朝日系
テレビ東京系
ほか

[編集] CMキャラクター

[編集] 現在

[編集] 過去

[編集] 参考文献

  • 八重洲出版 『HONDA 50Years ホンダ50年史』 1998年

[編集] 脚注

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  1. ^ 尤も創業者による会社の私物化を嫌うという観点から本田は自身の苗字を社名に入れたことは間違いだったと後年述懐している。
  2. ^ 2000年12月21日 ホンダのプレスリリース - グローバル・ブランド・基本ルール制定について
  3. ^ 本田宗一郎を参照
  4. ^ オデッセイのCMなどで、英語版カバーが使われた事はある。
  5. ^ 介護車とは、助手席又は後部座席が回転や昇降する事によって、お年寄りや要介護者の車への乗り降りをサポートする車両や、車椅子に乗ったまま後部ハッチバック部分から乗り降りが可能な車両、乗降を補助する補助ステップや車いすの電動収納装置等を備えた車両などである。
  6. ^ 自操車とは、Honda・テックマチックシステムと呼ばれる足の不自由な方が手や左足で運転できる補助装置などを搭載した車両や、手の不自由な方が片手でハンドルやウインカーの操作を行う事が可能な車両である。
  7. ^ http://www.gknaerospace.com/
  8. ^ http://www.avcorp.com/
  9. ^ 福井威夫6代目社長は、代表権のない取締役相談役に。伊東孝紳専務が本田技研工業株式会社代表取締役社長と子会社の株式会社本田技術研究所代表取締役社長の双方を兼務。4月1日、株式会社本田技術研究所代表取締役社長に就任。6月23日開催の定時株主総会後の取締役会で、本田技研工業株式会社代表取締役社長に正式就任した。
  10. ^ ホンダがF1撤退 業績悪化で維持断念 産経新聞 2008年12月5日閲覧
  11. ^ SUPER GTシリーズへのNSX-GTでの参戦終了について
  12. ^ 埼玉県危機管理防災部・防災航空センター「航空消防・埼玉県防災航空隊」

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ