ホンダ・アコード
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アコード(ACCORD)は、本田技研工業が生産する中型乗用車である。 1985年にレジェンドが発売されるまでは、同社のフラッグシップであった。
シビックと同様、横置きエンジンのFFレイアウトを採用している。更に、このクラスの車種で一度も消滅せずに存在している車種の1つである。
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[編集] 誕生までの経緯
アコードが1.6L 2BOXというコンセプトに決定した背後には、頓挫した大きな計画が存在した。それは、クラウン、セドリッククラスに投入する2.0L 直列6気筒 CVCCを搭載したアッパーミドルカー、「653計画」である。初代シビックの大成功で業績が回復し、当時のコロナ、ブルーバードクラスではなく、より大きな高級乗用車の開発を行っていたところが、創業当初から今日まで至りチャレンジ精神旺盛なホンダらしいといえる。しかし、まだ乗用車市場にしっかりとした根を張っておらず、自動車マーケットを闘い始めたばかりだったことが、「653計画」の命運を決することになったが、この車の開発を通じて得た経験と技術が、後にこの計画の受け皿になった「654(初代アコードの開発名)計画」にとっては最も貴重な捨石となった。
ボディは4ドアで、スタイルは独立したトランクを設けた台形デザインを採用。丸型4灯を持つフロントマスクの表情や、リアピラーを強く傾斜させたシルエットなどに、後の初代アコードとの近似性を指摘する声もある。そのエクステリア・デザインを担当したのは、初代シビックをはじめ、後に初代アコードや、初代、2代目のプレリュードなどのエクステリア・デザインを手がける岩倉信弥(多摩美術大学教授、2004年8月現在)であった。インテリア・デザインは、初代シビックを始め、初代アコードのインテリア・デザインも手がけた大塚紀元である。
エンジンは川本信彦が手がけた。全長は当時のプリンスG型6気筒よりも12cmもコンパクトで、振動もバランサーシャフトを使用せず、ブロックの剛性配分で乗り切り、小型、軽量、静粛を実現していたという。その先進的なコンポーネンツの新しさもさることながら、最上級車ゆえに装備面でも当時の最先端技術を採用し、エアコン、パワーステアリング、カットパイルのカーペットの他、現在では当たり前となっているダッシュボードパネルの一体成型技術をものにしていた。
しかし、最終生産試作車による海外での走行テストをこなし、金型発注が始まった段階で突如、本社役員会で開発中止の決定が下る。理由は販売網にあった。まだ本格的な四輪販売店を持たず、二輪販売店にて店頭販売するという当時のホンダの販売形態で、高級車の販売はあまりにもリスクが大きすぎた。代わりに、シビックよりも一つ上のクラスの車の開発を計画、それが初代アコードとして日の目をみることとなる。アコード計画には、「653計画」に関わっていたスタッフがほぼ全員が開発に加わり、それまでに得たノウハウが投入された。
[編集] 歴史
[編集] 初代 (1976-1981年 SJ/SM型)
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1976年5月7日に、1.6Lエンジンを搭載した中型の3ドアハッチバック車として、初代シビックを拡大したようなスタイルで登場。1300→145以来の3BOX4ドアセダンは、1977年10月14日に発売された。開発責任者(LPL)はシビックも手がけた木澤博司。シビックから上級クラスの車に買い替えるユーザーの受け皿となる車が存在していなかったことが、開発の理由と言われている。
好燃費・低公害車を主眼に設計され、アメリカ及び日本では、51年排出ガス規制をクリアしたEF型 1.6L 直列4気筒 CVCC SOHC エンジンを搭載した。
1978年9月1日には、53年排出ガス規制をクリアしたEK型 1.8L 直列4気筒 CVCC SOHCエンジンを搭載。また、最上級グレード「EX」には、当時の国産車では珍しかった車速感応型パワーステアリングが標準装備され、その後追加された「EX-L」にはパワーウインドーが、1800サルーン「EX-L」にはフルオートエアコンが追加されるなど、「小さな高級車」指向が強かった。(そのため1800サルーンのダッシュボードはトレイのない、アメリカ車的な独自のデザインであった)
1979年10月にホンダマチックをOD付(OD-☆-Lの3速セミAT。それまでは☆-Lの2速)に改良。パワーステアリング付のサルーン1800ESを追加。
1980年4月25日にはエンジンがCVCC-IIにバージョンアップと同時にサルーンは角目4灯式ヘッドライトに衣換え。パワーアップとラピッド・レスポンスコントロールシステムによるドライバビリティの向上が図られた。また同年7月には初期型以来(エンジンはクイントと同じ90PSのEP型)1.6L(CVCC-II)モデルが復活した。
[編集] 2代目 (1981-1985年 SY/SZ/AC/AD型)
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1981年9月22日、フルモデルチェンジ。搭載エンジンは、EP型 直列4気筒 CVCC II SOHC 1.6LとEK型 直列4気筒 CVCC II SOHC 1.8L。キャッチコピーは「独創のワールド・クオリティ」であった。同時に姉妹車のビガーが誕生した。オプションで、前後の荷重変化による車高変化を修正し、2段階の車高変化が可能な「オートレベリングサスペンション」を装着できた。クルーズコントロールは全グレードに装備され、操作スイッチはハンドルに取り付けられた(それまではステアリングコラムに専用のレバーを設置するのが通例であった)。
1982年11月3日に、一部変更。ホンダマチックは4速フルオートマチックへ改良された。
1983年6月17日にマイナーチェンジ。直列4気筒 CVCC II SOHC 12Valve クロスフロー エンジン(EY型:1.6L, ES型:1.8L)を新たに採用。日本車初となる4輪ABSを搭載(当時は4wA.L.B.という略称であった)。
1984年5月24日に、1.8L PGM-FI仕様エンジンが追加された。なお、このエンジンはCVCCでは無い。
[編集] アメリカでの地位を確立
1982年に、日本車として初めてアメリカ(オハイオ州メアリーズヴィル工場)で、生産されることになった。以来15年間、アメリカでベストセラーの日本車の地位を守り続けた。
[編集] 3代目 (1985-1989年 CA1/2/3型)
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1985年6月4日、セダンをフルモデルチェンジ。国内、北米、オーストラリアモデルはリトラクタブル・ヘッドライト採用。ヨーロッパモデルは、セダンが異型4灯式ヘッドライトを採用した。
搭載エンジンは、新開発の直列4気筒 DOHC 16Valve 1.8L CVデュアルキャブ仕様のB18A型と2.0L PGM-FI仕様のB20A型及びSOHC 16Valve 1.8L シングルキャブレター仕様のA18A型で、1987年のマイナーチェンジの際に2.0L シングルキャブレター仕様のA20A型が追加された。(北米はA20A型 キャブ/PGM-FIのみ、オーストラリア、ヨーロッパは、A16A型キャブ、A20A型 キャブ/PGM-FI、B20A型PGM-FI)なお、全てCVCCでは無い。B20A型は、エンジンヘッドだけでなくエンジンブロックもアルミニウム(当時は鉄が一般的)で生産され、エンジン重量あたりの出力効率は当時世界一であった。
サスペンションには、レーシングカーやスポーツカーが採用する、4輪ダブルウィッシュボーンを量産車として初めて採用。これ以降の、多くの自動車メーカーのサスペンションデザインに影響を与えた。ボディーデザインはフラッシュサーフェス処理により空力に優れ、cd値=0.32を達成した。同車は、1985年日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞している。
1985年7月20日、ハッチバックがフルモデルチェンジされ3ドアワゴンのような形になり、エアロデッキとサブネームが付けられた。搭載エンジンは、B18A型, B20A型及びA18A型キャブ仕様。ヨーロッパではA20A型 キャブ/PGM-FI仕様が販売された。なお、北米, オーストラリアでは、エアロデッキとは異なったファーストバックタイプの3ドアハッチバック仕様が用意され、エアロデッキは販売されなかった。
1987年5月にマイナーチェンジ。大型バンパー、カラードドアミラー、リアコンビネーションランプの意匠変更、B20A型のヘッドカバーの塗装色変更(金→黒)、2.0Lモデルのブレーキローター径の変更、オートマッチクトランスミッションの改良、インテリアトリムの変更、電動格納式ドアミラーの追加等である。
1987年7月3日に、ヨーロッパ向けに販売されていた異型2灯式ヘッドライトを装着した、アコードCAの販売を開始。「CA」とは「CONTINENTAL ACCORD」の意味である。なお、欧州市場でも、エアロデッキはリトラクタブルライトを装着し販売された。
1988年4月8日に、北米で開発及び生産された、アコードクーペ(左ハンドル仕様)の国内販売が開始される。(海外の日本車工場の乗用車を輸入して販売するのは、これが史上初めてである)。搭載エンジンはA20A型 PGM-FI仕様のみ。同時に異型2灯式ヘッドライトのアコードCAにもDOHCエンジン搭載車が追加される。
1988年9月の一部変更ではAT車にシフトロックシステムを追加するのと同時にエアコンを標準装備して価格を引き下げたスーパーステージが追加される。
- CMキャラクターというのは設けられなかったが、森進一の歌う「SUMMER TIME」が流れる。これは当時、かなりの話題を呼び、演歌以外の歌も歌うのだということを印象づけた。またCM内で「ダブル・ウィッシュボーン・サス」とナレーションを入れるなど機能的な強調がされていた。
- このモデルまではプリモ店でも扱っていた。(プリモ店にはその後アコードに代わってアスコット→トルネオが扱われる)
- アコードシリーズはこのモデルからカスタムカーファンに愛されるようになる。
[編集] 4代目 (1989-1993年 CB1/2/3/4型)
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キャッチコピーは1990年代をリードする期待を込め「90's ACCORD」として、CMキャラクターにはジェフ・ベックを起用した。
ボディバリエーションは、初代から続いていた3ドアハッチバックが廃止され、サッシュドアを用いた4ドアセダンのみのラインナップだったが、後にアメリカ・オハイオ州HAM生産のクーペとワゴンが加わる。
スタイルは先代のキープコンセプトだったが、サイズは5ナンバーフルサイズとなり、先代よりも一回り大きくなるも、全高が大きくとられたことによるサスペンションストロークにゆとりが生まれたことにより、乗り心地は大きく向上した。また、バブル期に開発されたことから、ボディには当時、アウディが取り入れ始めた亜鉛メッキ鋼板を広範囲に渡って使用されたほか、室内の内張りの素材も見直され、音がこもりやすいフロアやルーフには新開発のハニカム構造の防音材を採用し、防音のみに限らず、タッチにも気を配った細やかな配慮がされた。また、この代のエポックとして、スタンレー電気と共同開発したマルチフレクター式ヘッドライトが採用され、バルブのみが取り替えられるタイプに変更された。
エンジンはアルミ合金製ブロックを採用した新開発のF型に変更。全車4バルブヘッドを持ち、1.8LはSOHC 電子制御キャブレター仕様のみ、2.0LはDOHC/SOHC 電子制御インジョクション仕様とSOHC 電子制御キャブレター仕様のラインナップだったが、後にHAM産のワゴン、セダン及びクーペ用の2.2L SOHC 電子制御インジョクション仕様が追加される。
ミッションは、全グレードともに特徴的な7ポジションの4段ATと5段MTが用意されたが、2.0L SOHC仕様とアメリカ産のクーペ、ワゴンは4段ATのみだった。ATはホンダ内製のもので、国産他社が採用していない二軸式と呼ばれるものだったが、変速ショックはやや大きなものであった。
メインマーケットのアメリカではフォード・トーラスを抑えて、3年連続して全米トップセールスを記録するほどの大ヒットだったが、対照的に国内マーケットでは振るわなかった。