和光市
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和光市(わこうし)は、埼玉県南部にある人口約7万8千人の市。
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[編集] 概況
戦後、急速に東京のベッドタウンとして人口が増え、本田技研工業の工場建設(現在は工場は廃止)によって工業都市として発展。株式会社本田技術研究所の和光研究所、独立行政法人国立病院機構埼玉病院、独立行政法人理化学研究所のほか、近年では、税務大学校、司法研修所、裁判所職員総合研修所などの国や民間の研究・研修施設の立地が進んでいる。
人口増加率は、1995年から2005年までの10年間で、21パーセントであり、埼玉県の市町村では1位である。全国ではトップ10に入っている。また生産年齢人口の割合も75パーセントに上り、全国トップ10に入っている。このため東京都内に比べて児童数が多く全体に若い雰囲気の街とも言える。
近年急速に住宅地として発展している街であるが、23区に隣接しているにもかかわらず、雑木林、畑が点在し、湧水もあり、まだ武蔵野の自然が残っており、市内を流れる谷中川付近では、野生の狸が目撃されることもある。しかし、江戸時代以前の面影を残すような建築物などはあまり残っていない。
[編集] 地理
- 埼玉県の南側、東京都と接する位置にある。
- 地形的には武蔵野台地上にあり、市の東側・東京都板橋区との境に沿うように白子川が、市の北端には荒川・新河岸川が流れている。市の中央部を東西に通る東武東上線を境にして、その南部は台地であり、北部は低地になっている。
- 東上線を境に南側は大規模に開発されており、国・民間の研究機関・本社や団地が立ち並び、近年急速に商業集積が進んだ。北側は小規模開発の住宅地と畑が混在しており、区画整理が実施されている地域もあるが、北口駅前はまだ開発が進展していない。
- 江戸時代には白子地区が川越街道の宿場町として栄えていた。当時の街並みはほとんど残っていないが、江戸時代の川越街道(旧国道254号から大坂通りを通り笹目通りを抜けて浅久保通り)の周辺には、古民家がわずかであるが残っている。また、その周辺には現在でも井戸があり、旧川越街道沿いの富沢病院駐車場では今も湧水が豊富である。近年病院側(地主)が駐車場整備のため一部閉鎖してしまったが、敷地には柵もないため道路からは湧水が確認できる。現在も付近の鮮魚店、寿司屋が湧水を営業で使用しており、湧水量は多い。
- 東京外環自動車道、笹目通りが市内を横断、国道254号が市内を縦断しており、市内から至近距離に関越自動車道、首都高速の入口がある。和光市駅は東武東上線と地下鉄有楽町線、副都心線が利用でき、また、居住エリアによっては、三田線、大江戸線、西武池袋線も利用できるので様々な場所にアクセスしやすく、交通の要衝となっている。
[編集] 歴史
[編集] 近世まで
- 白子川沿いの台地には縄文期の遺跡が発見されている。隣接する成増地区にも同様に遺跡があり、台地上に集落が築かれていたと思われる。現在、その集落跡には寺社が建てられているケースが多い。
- 古墳時代から奈良時代にかけて、渡来人の移住があったとされる。その理由として白子(シラコ)は新羅(シラギ)の、新倉は新座(すなわち新羅)の転化とする説や、百済王子の住んだとされる牛房城伝説があるが、考古学的には実証されていない。ただ江戸時代中期までは新倉は「新座」と表記されており(読みは同じ"にいくら")、志木市や新座市にも同様の渡来人伝説があることから、単なる伝説ではないと考えられている。新座郡の項も参照されたい。
- いずれにせよ、かなり古い時代から白子台地には集落が築かれており、現に寺社も多く、その中心地は現在バス停に名をとどめているだけだが「市場」辺りだったらしい。
- 戦国期には白子台地上で上杉勢と北条勢の争い「白子の戦い」があった。
- 江戸期には川越街道の宿場として白子宿が栄えた。その中心地は熊野神社であり、現在もなお周辺には旧家が多い。中でも花火を稼業とした富沢家は中心的役割を占めており、現在も富沢姓の旧家が多い。また、江戸時代には新河岸川を通る水運も盛んであり、新倉には河岸が設けられていた。
- 鉄道が敷かれ、川越街道のルートが変更されると、白子宿や新倉の河岸は寂れた。白子宿周辺では豊富な清水を利用して魚の養殖、水車営業も行われたが、市の中心地は駅周辺に移って行った。以前の白子には湧水が盛んに沸き出ており、明治9年(1876年)には白子村の熊野神社境内に日本最初の養魚場ができ、明治23年(1890年)に養魚場は閉鎖された。又、近くには、以前湧き水が流れ落ちていたため、滝坂と呼ばれる坂が現在でもある。
- 川越街道は、15世紀に江戸城と川越城を築いた太田道灌が部分的にあった古道をつないだものが起源と考えられており、元々は近世の川越街道(現在の旧川越街道、埼玉県道109号新座和光線)の東を蛇行していた。近世の川越街道の完成は松平信綱が川越城に入った寛永16年(1639年)以後のことである。
[編集] 近代以降
- 江戸時代、当市域は新座郡に属し、上新倉村・下新倉村・白子村の3村が設置されていた。
- 1869年(明治2年)2月9日 (旧暦) - 3村は品川県の所属となる。
- 1871年(明治4年)11月14日 (旧暦) - 3村は品川県から入間県へ移管される。
- 1873年(明治6年)6月15日 - 入間県と群馬県合併により3村は熊谷県所属となる。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 熊谷県が分割され、3村は埼玉県所属となる。
- 1884年(明治17年)4月1日 - 連合戸長制施行により、3村は白子村連合戸長役場の所属となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、上新倉村が白子村連合戸長役場の所属から離脱し新倉村となる。また、下新倉村・白子村は合併し(新)白子村が発足。
- 1891年(明治24年)6月15日 - 新倉村大字長久保を東京府に移管(北豊島郡大泉村、現在の東京都練馬区大泉学園町の一部)。
- 1896年(明治29年)3月29日 - 新座郡が北足立郡に編入され、新倉村・白子村は北足立郡所属となる。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 新倉村と白子村が合併し、北足立郡大和町(やまとまち)となる。
- 1970年(昭和45年)10月31日 - 大和町が市制施行に伴い名称変更、和光市になる。
[編集] 市名(町名)の由来
- 町制施行時に、町名に関してもめた為、「大いなる和」で一つになると言う意味から「大和町」と名付けられた。
- 市制施行時に、神奈川県大和市やほぼ同時期に市制施行する東京都東大和市と区別する為に新市名を一般公募し、「和光市」と名付けられた。地元にはこのような地名は無く、大和町と同じくいわゆる瑞祥地名である。
- 一般公募の際、現在の和光市内に住む「和光」さんも「和光市」と応募して、市の名称として採用されたという逸話がある。
[編集] 合併の状況
長らく関係の深い朝霞市・志木市・新座市との合併を目指す運動がしばしみられる。
1960年代には、当時の朝霞町・足立町・大和町・新座町4町で合併し市制施行を目指す動きがあったが、話がまとまらないうちに1967年朝霞町が単独で市制施行し、合併はついえた。また、市制施行の人口要件が3万人に下げられたことから、大和町も含めた他の3町も単独で市制施行した。
平成の大合併の最中、2001年(平成13年)4月に「朝霞市・志木市・和光市・新座市合併協議会」が設置された。しかし、2003年(平成15年)4月13日に4市で実施された、合併の是非を決める住民投票が実施された際、和光市では投票の77%が反対という圧倒的な結果で合併は否決され(朝霞市、志木市は賛成多数、新座市はわずかに賛成多数)、合併は取りやめとなった。
いずれの動きにも、和光市の住民は合併に否定的な傾向を見せている。これには、地方交付税不交付団体であるなど和光市が財政的に恵まれていること(他の3市に比べ収支が圧倒的に黒字である)や、東京都に隣接しているという地理的な影響があったものと思われる。
[編集] 人口
| 和光市と全国の年齢別人口分布図(比較) | 和光市の年齢・男女別人口分布図 | ||||||||||||||||||
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■紫色は和光市
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
[編集] 産業
- 本田技研工業和光本社
- 本田技術研究所(本田技研工業の研究開発子会社)本社・和光研究所・和光基礎技術研究センター・和光西研究所
- ホンダ開発本社
- レインボーモータースクール(ホンダグループ)
- イトーヨーカ堂和光店
- 写研
など。
和光市駅南口は近年、区画整理が完了したことに伴い、多くの商業ビル、銀行などが立ち並ぶようになった。今後は北口地区の区画整理が実行される。
駅周辺は、当市の中心地であるが、都内に近いこともあって、それほど駅前への商業集積はなく、都内や市の周辺の消費が目立つ。市中心部の旧川越街道、笹目通り沿いには、近年発展した住宅街と、かつてからあるセメント会社や倉庫が点在している。又、荒川付近には産業廃棄物の集積場などがある。
かつて、戦前は、陸軍施設があったため軍需工場が立ち並んでおり、戦後は、米軍施設(キャンプ・ドレイク)があったため、旧川越街道沿いには、朝霞市を中心に米軍相手の商店があった。
東京に接しているが農地も比較的残っており、大消費地への近さを生かした近郊農業が行われている。
豊富な湧水を生かし「酒造り」が行われていた。2大銘柄として下新倉浅久保に「秀峰」、本村に「長泉(ながいずみ)」があったが、現在は二銘柄とも廃業している。
[編集] 行政
- 市長:松本武洋(2009年5月26日就任)
- 歴代市長:
- 柳下潔(在任1970年~1989年)
- 田中茂(在任1989年~2001年)
- 野木実(在任2001年~2009年)
[編集] 行政機関等
- 和光市役所
- 駅出張所
- 牛房(ごぼう)出張所
- 吹上出張所
- 坂下出張所
- 埼玉県南西部消防本部(朝霞地区一部事務組合運営の消防本部)和光消防署
- 白子分署
- 警察は和光市全域を朝霞警察署が管轄している。
- 和光市駅前交番
- 和光交番(白子2丁目にある)
- 新倉駐在所
- 和光郵便局(集配局 担当地域:和光市全域)(風景印あり)
- 和光市民文化センター サンアゼリア
- 独立行政法人国立病院機構 埼玉病院(旧国立埼玉病院)
- 理化学研究所和光本所
- 司法研修所
- 裁判所職員総合研修所
- 税務大学校和光校舎
- 国立保健医療科学院
- 陸上自衛隊朝霞駐屯地
- 県営和光樹林公園
・彩湖(道満グリーンパーク隣接)
- 広域行政
- 朝霞地区一部事務組合(朝霞市、志木市、和光市及び新座市の4市が設立している。)
[編集] 教育
- 小学校
- 中学校
- 高等学校
- 専門学校
- 大学校
独立行政法人国立病院機構 埼玉病院 敷地内に、目白大学の第3キャンパス(目白大学大学院看護学研究科「修士課程」、目白大学心理カウンセリングセンター)が平成21年4月開校予定。
[編集] 交通
[編集] 鉄道
[編集] 和光市駅
- 和光市駅は昭和9年2月1日完成。島式ホーム2面4線の駅。東京地下鉄の車庫・停留・折り返し設備である和光検車区がある。東京地下鉄の駅としては唯一埼玉県内にある。1日の乗降人員は128,306人(平成19年度)で、東武東上線内では、池袋駅、朝霞台駅に次ぎ、川越駅とほぼ並んでいる。
- 都営三田線と東武東上線にかつて乗り入れ構想が存在しており、大和町駅(当時)から分岐するとされていたが頓挫した。詳細はこちらを参照。
[編集] その他
都営大江戸線には光が丘駅~大泉学園町の延伸構想があり、土支田地区・大泉3丁目地区・大泉学園町地区と、和光市から程近い場所に駅が建設される計画がある。詳細は大江戸線の項を参照。
[編集] バス
[編集] タクシー
タクシーの営業区域は県南西部交通圏で、川越市・所沢市・東松山市・飯能市などと同じエリアとなっている。
[編集] 道路
- 国道254号(川越街道)
- 富士見川越有料道路(国道254号バイパス)の和光市(外環道)までの延長は着工に向けて用地買収もすすみ、将来的には、和光市(笹目通り)から川越までが開通予定である。
- 国道298号
- 国道17号 - 笹目橋付近のわずかな区間が和光市内を通っている。
- 主要地方道(県道)
[編集] 出身有名人
[編集] 姉妹都市・友好都市
[編集] 海外
[編集] 国内
- 友好都市
- 長野県佐久市 - 1995年9月「災害時における相互応援協定」締結
- 栃木県那須烏山市 - 1996年9月「災害時における相互応援協定」締結
- 新潟県十日町市 - 2004年8月27日「災害時における相互応援協定」締結
[編集] その他
- 市外局番:048(市内全域)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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