新河岸川
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| 新河岸川 | |
|---|---|
護岸改修された新河岸川(ふじみ野市)
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| 水系 | 一級水系 荒川 |
| 種別 | 一級河川 |
| 延長 | 25.7 km |
| 水源の標高 | -- m |
| 平均流量 | -- m³/s |
| 流域面積 | 411 km² |
| 水源 | 武蔵野台地北部 |
| 河口、合流先 | 隅田川(岩淵水門) |
| 流域 | 埼玉県、東京都 |
新河岸川(しんがしがわ、しんかしがわ、しんがしかわ[1])は、埼玉県及び東京都を流れる一級河川。荒川水系隅田川の支流[2]である。
目次 |
[編集] 地理
武蔵野台地北部に降った雨を集め、流れる支流を合わせながら荒川の西岸沿いを流れて東京都北区の岩淵水門先で隅田川に合流する[3]。
1920年(大正9年)~1931年(昭和6年)に改修されるまで川越市の伊佐沼が源流とされ、大和町(現在の和光市)新倉で荒川に合流していた。
[編集] 歴史
江戸時代、川越藩主松平信綱によって、多数の屈曲を持たせて流量を安定化させる改修が行われ、江戸と川越を結ぶ舟運のルートとして栄えた。江戸時代末期から明治時代初めが全盛期であった。
客を乗せる早舟は、川越夜船とも呼ばれ、川越と江戸を4日から5日で往復した。貨物輸送にはこれより遅い船と速い船があり、速い船は2日で往復した。船は喫水が浅い高瀬舟で、明治・大正期にはニブネと呼ばれていた。積載量は70石から80石、長さ15メートルくらいのものが多かった。
明治時代に川越鉄道(現在の西武新宿線)や川越馬車鉄道(のちの西武大宮線、廃止)、大正時代にはほぼルートを同じくする東上鉄道(現在の東武東上線)が開業した結果、舟運は衰退していった。
1910年(明治43年)以降の荒川の直線化工事に合わせ志木より下流も掘り進められ、岩淵水門で隅田川に合流する現在の形となった。さらに昭和に入ると志木より上流の旧河川も洪水防止のため河川改修工事が行われ、その結果河道が直線化されて流量が保てなくなり、船の運行ができなくなって舟運の時代は終わりを告げた。
ふじみ野市に於いて新河岸川の舟運で栄えた船問屋を修理、復元した福岡河岸記念館が一般公開されている。
[編集] 支流
上流から
[編集] 橋梁
下流から
- 志茂橋
- 岩淵橋
- 新荒川大橋(国道122号(北本通り))
- 東北本線(宇都宮線)・高崎線・京浜東北線
- 中の橋
- 浮間橋(東京都道447号赤羽西台線)
- 埼京線・東北新幹線・上越新幹線
- 新河岸大橋
- 新河岸橋
- 長後さくら橋[4]
- 平成橋
- 志村橋(国道17号(中山道))
- 蓮根橋
- 舟渡大橋(東京都道447号赤羽西台線)
- 西台橋
- 徳丸橋
- 芝原橋
- 新早瀬橋
- 早瀬人道橋
- 笹目橋(国道17号新大宮バイパス、首都高速道路5号池袋線)
- 芝宮橋
- 内間木橋
- 新盛橋
- 武蔵野線
- 新宮戸橋
- 宮戸橋
- いろは橋(埼玉県道・東京都道40号さいたま東村山線)
- 袋橋
- 岡坂橋 - (国道463号)
- 木染橋
- 第二新河岸橋 - (国道254号富士見川越有料道路)
- 養老橋 - (埼玉県道56号)
- 川崎橋 - (埼玉県道335号)
- 旭橋 - (埼玉県道336号)
- JR川越線
- 畳橋
- 仙波大橋 - (国道16号)
- 新琵琶橋 - (埼玉県道15号)
- 新城下橋
- 宮下橋 - (埼玉県道51号)
- 東明寺橋 - (埼玉県道12号)
- 高沢橋 - (埼玉県道39号)
- 三日月橋 - (埼玉県道15号)
[編集] 関連項目
[編集] 備考
- ^ 国土交通省荒川上流河川事務所では「しんがしがわ」、小平市立図書館では「しんかしがわ」、国土交通省新河岸川総合治水事務所では「しんがしかわ」と読み仮名を振っている。
- ^ 国土交通省荒川上流河川事務所の新河岸川朝霞調節池建設事業のページ
- ^ 国土地理院 地図閲覧サービス(試験公開)による2万5千分1地形図:赤羽[南東] : 西方から荒川に沿って流れてくる川が新河岸川
- ^ 浮間水再生センター連絡橋。歩行者と自転車に開放

