川越市

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かわごえし
川越市
Tokinokane-2006-03-20 4.jpg
川越のシンボル時の鐘
Flag of Kawagoe, Saitama.svg
川越市紋章
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
団体コード 11201-1
面積 109.16km²
総人口 345,222
推計人口、2011年12月1日)
人口密度 3,160人/km²
隣接自治体 上尾市さいたま市坂戸市
狭山市鶴ヶ島市所沢市日高市
富士見市ふじみ野市入間郡三芳町比企郡川島町
市の木 カシ
市の花 ヤマブキ
その他 市の鳥:
市の日:12月1日
市の歌:われらの川越
川越市役所
所在地 〒350-8601
埼玉県川越市元町1丁目3番地1
川越市庁舎と太田道灌像
外部リンク 川越市

川越市位置図(埼玉県)

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村
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川越市(かわごえし)は、埼玉県南西部に位置する人口約34.5万人のである。旧・武蔵国入間郡。埼玉県内ではさいたま市川口市に次ぎ県内3位の人口を擁する。中核市業務核都市に指定されている。

目次

[編集] 概要

江戸時代には親藩川越藩城下町として盛えた都市で、「小江戸」(こえど)の別名を持つ。城跡・神社・仏閣・旧跡・歴史的建造物が多く、文化財の数では関東地方神奈川県鎌倉市栃木県日光市に次ぐ。戦災や震災を免れたため歴史的な街並が残っており、市内の観光名所には年間約620万人もの観光客が訪れる観光都市である。海外の旅行ガイドブックに紹介されることも多く、最近では外国人旅行者が多い(例えばニューヨーク・タイムズ紙の「2009年トラベルガイド」の 川越特集)。

埼玉県を代表する都市の1つ。市内に公立・私立の進学校が多く、埼玉県でも数少ない文教都市であり、住宅地としての人気も高い[1]

武蔵野台地の北端に位置し、荒川入間川が市内で合流する。地理的な要衝で平安時代には河越館豪族河越氏が興り、鎌倉幕府で権勢を誇った。室町時代太田道灌によって河越城が築城され、上杉氏、次いで北条氏武蔵国支配の拠点であった。戦国時代には関東平野の覇権を決する河越夜戦の舞台となった。河越夜戦は「日本三大夜戦」とされる。

川越城を擁する川越藩は江戸幕府の北の守りであり、武蔵国一の大藩としての格式を誇り、酒井忠勝松平信綱柳沢吉保など大老老中クラスの重臣が配された。そのため、江戸時代から商工業や学問の盛んな城下町であった。川越藩の歴代藩主は武蔵野の開発に力を注いだ。「知恵伊豆」と呼ばれた松平信綱は、川越藩士の安松金右衛門に命じ、玉川上水野火止用水新河岸川の開削、川島大囲堤の築造、川越街道の改修を行い、行政手腕の秀でた柳沢吉保は、川越に召抱えていた荻生徂徠の建議を入れ、筆頭家老の曽根権太夫に命じ、三富新田の開拓などを行った。

川越藩によって殖産政策が遂行され、農産物や絹織物工芸品など市場競争力のある特産品開発がなされた。川越藩領の狭山丘陵で河越茶(狭山茶)の栽培が進められ、武蔵野の開墾地ではサツマイモの栽培が盛んになった。高林謙三が開発した「高林式製茶機械」によって狭山茶は隆盛することとなり、赤沢仁兵衛が考案した「赤沢式甘藷栽培法」によってサツマイモの収穫量は劇的に増加した。寛政年間に焼イモが江戸で大流行すると、新河岸川や入間川の舟運で江戸に出回ったサツマイモは川越芋と呼ばれ味の良さで持て囃され、「イモの町」のイメージも定着した。こうした領内や秩父など近郊からの物資の供給地として「江戸の台所」と呼ばれ繁栄した。

埼玉県下随一の城下町(川越藩の石高は武蔵国で最大)であったので、廃藩置県では川越県、次いで入間県県庁所在地となった。入間県は東京の武蔵野市周辺から新座や秩父・熊谷本庄まで含んで発足、入間県の面積は現在の埼玉県の7割を占めていた。現在の埼玉県が成立した後でも、埼玉県内で最初に市制を施行したのは、県庁所在地となった浦和ではなく川越である。明治以降も先進的な発展が続き、埼玉りそな銀行の前身であり埼玉県で唯一の国立銀行であった第八十五国立銀行の発祥地である[2]。また旧川越藩御用商人衆には横田五郎兵衛山崎豊黒須喜兵衛など豪商が多く、米穀取引所や民間による銀行(川越銀行川越商業銀行)の設立や商工会議所医師会などの発足も埼玉県内で最初である。後に川越市初代市長となる綾部利右衛門ら川越商人の強い力で、埼玉県で最初に火力発電所水力発電所を設け、埼玉県下で最初に電灯が燈った町でもある。

川越商人に加え上広瀬村(現・狭山市)の清水宗徳が参画して川越鉄道甲武鉄道国分寺駅との間に建設された(現在の西武新宿線西武国分寺線のルーツ)。また、利右衛門らの川越電気鉄道大宮との間で開通した。川越電気鉄道は蒸気機関車ではなく、その名の通り、埼玉県で最初の電車であった。川越鉄道と川越電気鉄道は最終的に合併し、西武鉄道(旧)となり、川越藩三芳野村(現・坂戸市)出身の大川平三郎(「日本の製紙王」と呼ばれ大川財閥を作った)らが役員に名を連ねた。利右衛門らの西武鉄道は堤康次郎武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)と太平洋戦争中に合併する。一方、1902年明治35年)には利右衛門ら川越商人と川越商業銀行頭取で新河岸川の回漕業者でもあった福岡村(現・ふじみ野市)の星野仙蔵が東京 - 川越間の京越鉄道の敷設を計画した。これは本社を川越に置いて発足した東上鉄道に引き継がれ、1914年大正3年)に池袋駅 - 田面沢駅(現在の川越市駅の西方にあった)間で開通した。2年後には坂戸駅まで延伸。しかし、東上鉄道は1920年根津嘉一郎東武鉄道に吸収される。昭和になって軍需鉄道の八高線の建設が決まると川越商人たちが川越線建設を求める請願を行い、国策鉄道として省線の川越線が開通した。代わりに、川越 - 大宮間の電車(西武大宮線と改名)は廃線となった。

現在では、JR東武東上線川越駅(乗降客数で埼玉県内では大宮駅に次ぐ2位[3])及び、西武新宿線本川越駅を合わせた乗降客数は26万人を超え、東武東上線・川越市駅もあわせると中心市街地に駅が3つある事になる。旧市街地の玄関は西武の本川越駅で、新市街地の玄関は東武の川越駅である。川越駅周辺は、大宮駅周辺に次ぐ埼玉県内第2位の繁華街として賑わっている。

東京都心 - 川越間の競合路線

新宿池袋副都心から延びる鉄道路線の多くが川越へ通じており、都心部(特に西側)で川越の文字を目にすることが多い。JR・私鉄の複数の路線で新宿・渋谷・池袋に乗り換えなしで行く事が可能である。

新宿からは西武新宿線の本川越行き、埼京線の川越行き、東京メトロ副都心線(東武東上線直通)の川越市行き、の3ルートがある。また池袋からは埼京線、東武東上線、東京メトロ有楽町線(東武東上線直通)の3ルート。渋谷からは埼京線、東京メトロ副都心線の2ルート。新木場へも東京臨海高速鉄道りんかい線(川越線直通)、東京メトロ有楽町線の2ルートで乗り換えなしで行くことができる。また、川越など荒川以西の県西部は伝統的に浦和方面よりも多摩方面に交流があり、川越線は八高線と直通し八王子に乗り換えなしで、西武新宿線は西武国分寺線に乗り入れる列車があり国分寺に乗り換えなしで行くことができる。

室町時代より川越街道(現・国道254号)で、江戸時代より新河岸川舟運で、江戸と直結した物流の要衝であり、1971年(昭和46年)には関越自動車道練馬IC - 川越IC間で最初に完成、開通時の名称は「東京川越道路」であった。国道16号(東京環状)や首都圏中央連絡自動車道(圏央道)も通じている。

[編集] 人口

Demography11201.svg
川越市と全国の年齢別人口分布(2005年) 川越市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 川越市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
川越市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 171,029人
1975年 225,465人
1980年 259,314人
1985年 285,437人
1990年 304,854人
1995年 323,353人
2000年 330,766人
2005年 333,795人
2010年 342,714人
総務省統計局 / 国勢調査
  • 1886年明治19年)の調査では、川越城下の人口はおよそ15,000人。埼玉県内で唯一、人口が1万人を超えていた。
  • 1902年(明治35年)の埼玉県人口動態調査では、川越町(当時)の人口はおよそ27,000人で埼玉県内1位。2位の熊谷町は15,000人、3位の本庄町はおよそ9,000人だった。
  • 1920年大正9年)の第1回国勢調査人口では、埼玉県の総人口は約130万人。川越町はおよそ25,000人で1位。県庁所在地の浦和町(現・さいたま市浦和区)の2.5倍、大宮町(現・さいたま市大宮区)の2倍の人口を擁していた。川越町の町域は当時の市街地の一部に過ぎず、街は町域外に拡大、明治以降、人口は主に旧仙波村など隣接地で増加していった。川越は昭和になっても埼玉県内で最大の人口の都市であった。

[編集] 昼夜人口比率

昼夜人口比率は、96.51%(2005年)。

さいたま市は91.89%。また埼玉県内は所沢市の85.02%、越谷市の83.84%、上尾市の82.92%、春日部市の80.15%など、70%-80%台の市が大半である。

[編集] 地理

[編集] 気候

ケッペンの気候区分では温暖湿潤気候に属する。1年を通じて穏やかな気候で、年平均降水量は1320mm、年平均気温は15.8℃、年平均相対湿度は62.8%、年平均風速は2.1m/s。(数値は2009年)。

[編集] 地誌

都心から30km圏に属し、北緯35度55分30秒、東経139度29分08秒(市役所のある元町)。市域は東西およそ16.3km、南北およそ13.8km。標高は元町で海抜18.5m、市の南端が最も高く50.7m、東部が最も低く6.9m、標高差およそ44mである。

荒川多摩川に挟まれた地域を武蔵野台地と言い、川越はその北東端に位置する。武蔵野台地は奥秩父山地水源とする多摩川が形成した扇状地である。太古の多摩川(古多摩川)は東京都神奈川県の都県境方面ではなく埼玉県西部の入間郡を横断して流れていた(今の入間川の流路とほぼ同じ)。武蔵野台地は柳瀬川以北を特に川越台地と呼び、さらに入間川を超えた北西側を特に入間台地と呼ぶ。南西には狭山丘陵が接する(狭山丘陵も古多摩川が土砂を堆積してできた丘陵で、狭山丘陵の形成によって多摩川は後に流路を南に変えることになった)。河越館が築かれたのは入間台地の東限で、川越城が築城されたのは川越台地の北限である。川越城は地形を利用した平山城であった。1457年長禄元年)に川越城と江戸城を築城した太田道灌は、両城を結ぶ防衛ラインとして川越街道を造った。以来、川越街道より西南側へ多摩地域までが武蔵野と呼ばれる地方で、文化的な一体性がある。

川越台地を取り囲むように周囲は低地であり市内からは関東平野を囲む山々を眺めることができる。外秩父山地や武蔵野台地の武蔵野面(古多摩川が形成した高位の河岸段丘)に降った雨は、入間川や新河岸川越辺川不老川小畔川赤間川など(今では多摩川水系ではなく)荒川水系の幾多の河川を形成し、川越の町を囲むような低地に主に北西方向から南東に流れる。町は台地上に形成され、南側の台地に拡大する余地が残っており、歴史的にも南へ街が広がってきた。甲武信ヶ岳を源とする荒川は江戸時代寛永の瀬替えにより大宮台地西側を流れるようになり流量を増やした。荒川は、大持山から流れ出た入間川と当市内の古谷上で合流して日本でも最大規模の河川敷を形成する(国道16号上江橋は河川にかかる国道の橋としては日本最長である)。このため、「外川」と呼ばれた荒川の対岸の大宮などとは歴史的にも結び付きがあまり無い。

川越街道は入間川や荒川を渡ることなく江戸へ通じたので、荒川や利根川の氾濫に苦しめられた中山道に劣らず賑わった。「内川」と呼ばれた新河岸川は江戸へ向って傾斜し隅田川に合流するので、川筋が整備され舟運が盛んであった。大正時代に新河岸川は赤間川と合流され、さらに川越市街を取り巻く形となった(大正時代に新河岸川のルートに東武東上本線が建設され、舟運は廃された)。こうした河川が市内北部や東部に広大な氾濫地である荒川低地を作り出し、稲作地帯となっている。市内東部には埼玉県内最大の自然沼である伊佐沼もある。旧荒川の流路に沿って自然堤防も形成されている。こうした沖積層は、地下水位が高く軟弱な粘土やシルトが厚く分布している。

一方、武蔵野台地(川越台地・入間台地)上にある市内中心部・南部・西部は対照的に洪積台地となっており、富士山浅間山火山灰が形成した関東ローム層(立川ローム層とその下の武蔵野ローム層)の下には古多摩川が形成した比較的安定した礫層がある。関東ローム層は保水力が無く井戸水に困り、また江戸時代以前は武蔵野台地を水源とする川は石神井川や不老川など数少なくその上、瀬切れを起こし易く台地上では水の確保に苦労した。現在では武蔵野の雑木林の面影を残し、水はけが良いことから畑作地帯となっている。

地名の由来

直接の由来は平安時代河越館を構えた豪族河越氏[4] であるが、その由来は古来より諸説ある。 川越は古来より武蔵国の中枢で、諸方に交通の便が拓けていたが川越市街地を川が囲む形となっており、入間川を越えないとたどり着けない地であることから「河越」と称されたという説や、養寿院にある銅鐘(国の重要文化財)に「武蔵国河肥庄」という銘があり吾妻鏡にも文治2年(1186年)の記述に既に「河肥」の文字があることから入間川の氾濫によって肥沃な地であるからという説、などである。

[編集] 歴史

[編集] 先史・古代

武蔵野に占へかたやきまさでにも告らぬ君が名占に出にけり

みよし野の田の面の雁もひたぶるに君がかたにぞ寄ると鳴くなる

[編集] 中世(戦国時代まで)

[編集] 近世

  • 徳川家康関東に入封すると、松平氏と同族の譜代筆頭最古参で大老四家である雅楽頭酒井家の祖となる酒井重忠の所領となり、川越藩が立藩。酒井重忠は徳川家康の伊賀越えに功を上げ、三河国西尾城主から川越城に入ると、商人のを廃止し楽市・楽座的政策で商業が繁栄する種を撒いた。川越は戦略拠点であり、徳川家康は同時に市内北部の鯨井には軍略に長けた戸田一西も据えた(鯨井藩)。江戸時代を通して、「江戸の大手小田原城搦手川越城と言われる程[誰によって?]、川越藩は江戸の北の砦として重視され、石高に較べ非常に多くの家臣を擁した。江戸期より河越が川越に変わる。酒井重忠の弟で老中酒井忠利は第2代藩主となり喜多院を再興、家康のブレイン天海僧正は喜多院を拠点とした。徳川家光の乳母・春日局にも所縁がある。川越は鷹狩を楽しむ地でもあり、特に徳川家康から徳川家光までの将軍三代にかけては頻繁に長逗留した。徳川家光にいたっては林羅山を伴い、週に2度川越で鷹狩をするほどであった。
  • 川越藩の歴代藩主には、酒井忠利、酒井忠勝堀田正盛松平信綱柳沢吉保秋元喬知秋元凉朝 、松平直克、松平康英などの親藩譜代の有力大名が配された。川越藩主のうち、幕閣老中だけでも7名を数える。川越藩主は酒井忠利が徳川家康の再従弟、松平直侯が将軍・徳川慶喜の弟、というように血縁でも重視された封地であった。
  • 藩政の基礎を作ったのは、後に大老に上り詰めた酒井忠勝(酒井忠利の子)で、城下の三芳野神社など寺社の再建や時の鐘などの建立、五人組制度や開墾奨励を行った。次の藩主・堀田正盛は春日局の孫で、徳川家光に近侍して老中に昇進を遂げた藩主で、寛永15年(1638年1月28日)の川越大火から寺社の再興に尽力した。堀田正盛も大老四家である堀田氏の祖となった。島原の乱を平定した功で川越藩主となった老中首座・松平信綱は、由井正雪の乱の鎮圧など江戸で幕政に多忙であったが、川越では町割り(十ヶ町四門前町、じっかちょうしもんぜんまち)を行って商業が栄える種を撒き、検地で小農自立を推し進めた。これらが川越の特産品開発に結びついた。松平信綱の政策はその後の各藩の手本とされた。また、松平信綱によって川越城は2倍の規模の近代的城郭となった。
  • 中興の祖は、儒者でもある幕府側用人(大老格)・柳沢吉保である。柳沢吉保の頃から川越は「小江戸」と呼ばれるようになる。柳沢吉保は儒学者の荻生徂徠細井広沢などを召抱えて川越に住まわせて顧問とし、川越は文化的にも隆盛した。柳沢吉保は武蔵野の新田を開発、藩財政の安定を図った。続く藩主・秋元喬知は将軍・徳川綱吉に進講する元禄時代の学者肌の老中として、また硬骨漢として知られる[誰によって?]。秋元喬知に随行して高山繁文太陽寺盛胤といった有能な家臣が甲斐国から移り住んだので、養魚絹織物養蚕などの副業も盛んになった。秋元氏第4代の川越藩主・秋元凉朝は幕閣において田沼意次との確執で知られる老中で、秋元凉朝は平賀源内を招聘、川越藩は平賀源内を用いて奥秩父大滝中津峡で鉱山開発を行った(現在のニッチツ秩父鉱山)。
  • 川越藩は、徳川家康の次男・松平秀康を祖とし徳川御三家御三卿に次ぐ御家門越前松平家が川越藩主となった時代(7代、100年間)に、17万石の盛期を迎えた[7]。中でも松平斉典は「好学の名君」と呼ばれ、藩儒・保岡嶺南に命じ藩校博喩堂を開設、保岡嶺南は川越版「日本外史」を刊行した。国学では林述斎の高弟で古事記偽書説で知られる盲目の医師・沼田順義を藩に招いた。松平斉典は西大手門に目安箱を置いて衆庶の声を藩政に取り入れた。経世家として高名な海保青陵は川越城下に生活、川越絹や煙草など特産品開発を指南した。川越絹は川越絹平(武士の着る地)や川越斜子(晴れ着の羽織地)として知られ、秩父絹や青梅縞とは異なる高級ブランド織物であった。江戸で一世を風靡していた狂歌師元木網歌人尾高高雅も川越城下に暮らした。国学者で考古学者井上淑蔭が活躍したのもこの頃である(井上淑蔭と嵩俊海権田直助を「埼玉の三学者」という[8])。
  • 城下町で武蔵国の商工農の中心地であった川越は、江戸とは川越街道新河岸川舟運で結ばれ繁栄を極めた。地方都市にもかかわらず江戸時代に武蔵国で唯一の九斎市が立つほどで、十組仲間という株仲間も組織された。川越城下は川越宿として川越街道の第7の宿場でもあった。川越街道は、川越藩主の江戸への参勤交代や荒川東岸の埼玉郡などにも在った川越藩領への連絡でも重要な役割を果たした。また川越児玉往還とも呼ばれ、川越藩領だった上州前橋への重要な道であった。江戸時代に物流・経済にとって最重要であったのは物を運べない街道ではなく舟運であり、新河岸川の上流には、川越の外港として川越五河岸が築かれ千住を経て浅草花川戸まで舟が行き交った。多摩地域からの物資も青梅街道ではなく、新河岸川の舟運を用いて江戸市中に運ばれていたほどの物流の大動脈であった。新河岸川の便利な早舟は「川越夜舟」と呼ばれ、川越街道や中山道から客足を奪った。
  • 江戸時代、川越は大火(寛永15年、享保3年など)、洪水(寛保2年の「寛保の大洪水」、文政5年など)等の災害を経験した。荒川入間川が合流した寛永年間以降、治水は藩の重要な政策となり、私財を投げうって被災した窮民を助けた川越の名主奥貫友山のような慈善家、藩領の治水に生涯を捧げ農民救済に献身した安井政章のような川越藩士がいた。篤志家の中島孝昌はそうした郷土史に目を向け、入間郡地誌の集大成「武蔵三芳野名勝図絵」全3巻を著し松平直恒に献納した。
  • 浮世絵師喜多川歌麿は、伝馬騒動の時の藩主・秋元凉朝の時代(宝暦3年)に、川越城下に生まれたとも言われる。川越には昔から、歌麿の絵を所蔵する商人が多かったという[9]

[編集] 幕末

川越城本丸御殿

[編集] 近代(第二次世界大戦まで)

明治に入り、1871年(明治4年)に川越藩は廃藩となるも、城下町の産業・人材や資本の蓄積・文化の伝統から、埼玉県随一の商都・金融の中心地、米取引・穀物集散地として栄えた。江戸時代から絹織物の大産地だったが中島久平ら川越商人は唐桟織など綿織物への転進に成功し、戦前までは日本一のコーデュロイベッチンの産地でもあった。新興経済人である川越商人は自力で川越から鉄道を延ばし、教育や公共事業への強い情熱を抱いて様々な教育施設が整備された。文芸や武道も盛んで、特に著名な画家剣道家を多く輩出した。埼玉県における婦人運動の中心地でもあった。日中戦争が始まるまで、埼玉県最大の人口であった。戦時中は軍の銅鐘などの供出要請に反対運動が起こり、文化財を守った。

明治時代
八十五銀行本店(現・埼玉りそな銀行川越支店)
人口18,607人、面積:7.46km²
大正時代
  • 1912年大正元年) - 陸軍特別大演習が立川村から熊谷町にかけての東京・埼玉で行われる。川越はその御座所となり、即位した大正天皇が川越で軍を統監した。
  • 同年 - 1892年(明治25年)より川越で宣教をしていたフランス人神父・メイランによって、カトリック教会聖堂が建立(小教区の教会として埼玉県最古。現・カトリック川越教会)。
  • 同年 - 洋館の川越町役場が完成(現在の市庁舎に建替えるため、1971年昭和46年)に解体される)。
  • 1913年(大正2年) - 川越電気鉄道が水力発電事業に進出。埼玉県内や群馬県に電力供給するため、武蔵水電を設立。水力発電所神流川に完成する。
  • 1914年(大正3年) - 東上鉄道池袋駅-田面沢駅間で開通(現在の東武東上本線)。
  • 1915年(大正4年) - 1904年(明治37年)に「青年文庫」を開設した安部立郎が、この年に本格的な私立川越図書館を開館(2年後に町立になる。現在の川越市立中央図書館。安部はその後も郷土資料の収集や復刻、「入間郡誌」の編纂を行った)。
  • 1920年(大正9年) - 埼玉県立川越蚕業学校開校(後に県立蚕業学校、戦後は埼玉県立川越農業高等学校。現・埼玉県立川越総合高等学校)。
  • 同年 - 新河岸川の改修工事が埼玉県内・東京市内の全域で始まる。
  • 同年 - 道路法(旧法)の施行に合せて埼玉県が県道を制定。川越町 - 浦和町間の道路が埼玉県道1号となる(その後、国道16号の一部となってこの旧埼玉県道1号は消滅)。
  • 同年10月1日 - 第1回国勢調査が実施される。川越町は埼玉県内で最大の人口を記録(2位は熊谷町)。
  • 1922年(大正11年)12月1日 - 入間郡仙波村を編入し、埼玉県内で最初に市制施行、川越市となる(内務省告示第313号)。
人口30,359人、世帯数5,414世帯、面積12.36km²
  • 同年 - 山村裁縫手芸伝習所開設(現・山村学園高等学校)。
  • 同年 - 埼玉県で最初の医師会が発足(現・川越市医師会)。
  • 1923年(大正12年) - 埼玉県で最初の百貨店・山吉デパートが開店。
  • 同年9月1日 - 関東大震災。当市内の被災は比較的軽微で、全壊家屋20棟(埼玉県内の全壊家屋は4,700棟)。
  • 1924年(大正13年)10月10日 - 都市計画法(旧法)に基づき、埼玉県内唯一の市である川越に埼玉県で最初の都市計画委員会が設置される。
  • 1926年(大正15年) - 武州瓦斯設立。埼玉県内に本社を置く最初の一般ガス事業者となる。
  • 同年 - 石川製糸の創業者・石川幾太郎らの尽力で、埼玉県川越商業学校開校(後に川越市立高等女学校と合併し埼玉県川越商業高等学校。現・川越市立川越高等学校)。
  • 同年 - 市内の医師らが資金を出し合い、無報酬で私立川越産婆看護婦学校を設立(現・川越准看護学院)。また、無料の川越助産院も開院。
昭和時代(戦前)
1930年頃の川越
人口37,578人、面積16.68km²

[編集] 戦後・現代

川越は埼玉県で最初の市であったが広域合併をせずに市制施行できたため、戦前の埼玉5市(川越、熊谷、川口、浦和、大宮)の中で最も面積が狭かった。戦後、県内では次々に新しい市が誕生していったが、川越は常に「県内で面積最小の市」であった。そのため、他市のような十分な市域を確保する必要から1955年に近隣の村を編入、折からの高度経済成長で、東京のベッドタウン色を強めながら人口が増えていった。また、1950年代に入ると初雁橋、開平橋上江橋、落合橋など荒川入間川を渡る橋梁が順次完成し、当市を取り巻く交通が大きく変化した。

人口104,854人、世帯数19,799世帯、面積110.28km²
平成時代

[編集] 市域の変遷

1868年
以前
1879年
(明治12年)
1885年
(明治18年)
1889年
(明治22年)
4月1日
1896年
(明治29年)
3月29日
1922年
(大正11年)
12月1日
1939年
(昭和14年)
12月1日
1939年
(昭和13年)
5月1日
1943年
(昭和18年)
11月3日
1955年
(昭和30年)
4月1日
現在




川越城下17町
(川越町)
川越町 川越町 市制 川越市 川越市 川越市 川越市





松郷
東明寺村
小久保村
脇田村
小仙波村
  野田村
  田面沢村 田面沢村 田面沢村 川越市
に編入
野田新田
小室村
今成村
小々谷村
大仙波新田 仙波村 仙波村 川越市
に編入
川越市
大仙波村
新宿村
岸村
豊田新田村 大田村 大田村 大田村 大田村 大田村 大東村 川越市
に編入
豊田本村
池辺村
大塚村 南大塚村
大塚新田村
大袋新田 日東村 日東村 日東村 日東村 日東村
大袋村
藤倉村
山城村
増形村
北田島村 芳野村 芳野村 芳野村 芳野村 芳野村 芳野村
谷中村
鴨田村
石田本郷
菅間村
伊佐沼村




比企郡
鹿飼村
比企郡
植木村
入間郡
に移行
植木村 植木村 植木村 芳野村
に編入
比企郡
上老袋村
比企郡
中老袋村
比企郡
下老袋村
古谷村
に編入
古谷村
比企郡
東本宿村




古谷上村 古谷村 古谷村 古谷村 古谷村 古谷村
古谷本郷
小中居村
大中居村
高島村
八ツ島村
今泉村 南古谷村 南古谷村 南古谷村 南古谷村 南古谷村 南古谷村
南田島村
久下戸村
並木村
牛子村
古市場村
木野目村
渋井村
藤間村 高階村 高階村 高階村 高階村 高階村 高階村
砂村
砂新田
扇河岸村
上新河岸村
下新河岸村
寺尾村
志垂村 山田村 山田村 山田村 山田村 山田村 山田村
中寺山村
福田村
網代村
宿粒村
下寺山村
向小久保村
府川村 府川村
高畑村
石田村
上寺山村
中福村 福原村 福原村 福原村 福原村 福原村 福原村
今福村
砂久保村
上松原村
下松原村
下赤坂村




高麗郡
安比奈新田
高麗郡
霞ヶ関村
入間郡
に移行
霞ヶ関村 霞ヶ関村 霞ヶ関村 霞ヶ関村 霞ヶ関村
高麗郡
的場村
高麗郡
笠幡村
高麗郡
小堤村
高麗郡
名細村
名細村 名細村 名細村 名細村 名細村
高麗郡
鯨井村
高麗郡
上戸村
高麗郡
下小坂村
高麗郡
平塚村
高麗郡
平塚新田
高麗郡
吉田村
高麗郡
天沼新田
高麗郡
下広谷村

[編集] 旧町名

当市にはかつては城下町の名残を残す多数の町名が存在していたが、地番が複雑を極めていたため早急な整理が望まれたことや、自治省によって東京都荒川区岩手県釜石市とともに町名地番整理事業の実験都市に指定されたことも相まって、住居表示に関する法律が施行される前に、全国に先駆けて1961年(昭和36年)度より町名地番整理が実施された。

当市を含む各地で住民の激しい反対運動が展開され、町名整理を断念した自治体もあったが、市は4年間をかけて順次町名地番整理を行い、伝統ある町名の多くが消滅した。こうした町名変更は自治省も「行き過ぎ」として問題だったことを認め、石川県金沢市長崎県長崎市福島県会津若松市など伝統ある各地で「町名は文化遺産である」という旧町名復活運動が盛んになり、由緒ある地名に戻されている。当市は未だである。

下記に挙げるおもな旧町名の中には現存のもの、また1961年(昭和36年)度以前に整理されて消滅したものも含む。

上五ヶ町
  • 本町(→元町)
  • 高沢町(→元町)
  • 江戸町(→大手町)
  • 南町(→幸町)
  • 北町(喜多町として現存)
下五ヶ町
  • 鍛冶町(→幸町)
  • 多賀町(→幸町)
  • 志義町(→仲町)
  • 志多町(現存)
  • 上・下松江町(松江町として現存)
その他
  • 宮元町
  • 倉町
  • 郭町
  • 宮下町
  • 同心町
  • 清水町
  • 北久保町(→三久保町)
  • 南久保町(→三久保町)
  • 堅久保町(→三久保町)
  • 猪鼻町
  • 鉄砲町
  • 境町(堺町・餌差町)
  • 立門町
  • 六軒町
  • 黒門町
  • 横新田町
  • 新田町
  • 菅原町
  • 仙波町
  • 小仙波町
  • 一番町
  • 二番町
  • 三番町
  • 西町
  • 岸町(喜志町)
  • 神明町
  • 坂上町
  • 坂下町
  • 石原町
  • 袋町
  • 相生町(←行養町)
  • 鷹部屋町
  • 橘町
  • 瀬尾町
  • 鉦打町
  • 中原町
  • 六反町
  • 五反町
  • 大工町
  • 代官町
  • 杉下町
  • 厩下町
  • 野田町
  • 新宿町
  • 通町
  • 連雀町
  • 脇田町
  • 今成町
  • 小ヶ谷町
  • 月吉町
  • 小室町
  • 門前町


松郷脇田村内の旧町名に関してはそれぞれの項を参照のこと。

[編集] 隣接している自治体・行政区

[編集] 行政

[編集] 歴代市長

氏名 就任年月日 退任年月日
初代 綾部 利右ヱ門 1922年12月1日 1923年2月
2 武田 熊蔵 1923年8月1日 1927年7月31日
3 寺尾 規矩郎 1927年9月22日 1931年9月21日
4 林 寿夫 1931年10月13日 1932年1月15日
5 早川 金十郎 1932年3月1日 1935年8月13日
6 橋本 定五郎 1935年8月17日 1939年8月16日
7 伊達 徳次郎 1939年8月24日 1943年8月23日
8 渋谷 塊一 1943年9月14日 1945年3月16日
9 河合 正臣 1945年4月21日 1946年8月16日
10-15 伊藤 泰吉 1946年10月7日 1965年7月31日
16-19 加藤 瀧二 1965年9月19日 1981年1月7日
20-22 川合 喜一 1981年2月8日 1993年2月7日
23-26 舟橋 功一 1993年2月8日 2009年2月7日
27- 川合 善明 2009年2月8日

[編集] 名誉市民

[編集] 財政

[編集] 平成20年度

[編集] 行政・司法機関

[編集] 国の出先機関

[編集] 特殊法人の機関

[編集] 県の出先機関

  • 埼玉県川越地方庁舎
  • 川越県土整備事務所
  • 川越県税事務所
  • 川越農林振興センター
  • 西部教育事務所
  • パスポートセンター 川越支所
  • 西部環境管理事務所
  • 西部地域創造センター
  • 西部産業労働センター
  • 埼玉県消費生活支援センター川越
  • 埼玉県下水道公社新河岸川上流水循環センター

[編集] 市の機関

  • 川越市役所(川越市役所出張所設置条例(昭和36年3月29日 条例第7号)によって出張所が設置されている)
    • 川越市役所芳野出張所
    • 川越市役所古谷出張所
    • 川越市役所南古谷出張所
    • 川越市役所高階出張所 2008年(平成20年)5月1日開館の複合施設「高階市民センター」内に併設
    • 川越市役所福原出張所
    • 川越市役所山田出張所
    • 川越市役所名細出張所 2009年(平成21年)11月30日開館の複合施設「名細市民センター」内に併設
    • 川越市役所霞ヶ関出張所
    • 川越市役所霞ヶ関北出張所
    • 川越市役所大東出張所
  • また、出張所を補うものとして、川越市役所連絡所及び証明センター規則(平成3年7月31日 規則第26号)により以下の連絡所が設置されている。
    • 川越市役所南連絡所(以前は南公民館と併設されていたが、現在はアトレマルヒロ1階に移転している)
    • 川越市役所霞ケ関出張所川鶴連絡所
    • 川越市役所本川越駅証明センター(西武本川越ペペ2階)
  • 川越市上下水道局
  • 川越市下水道管理センター
  • 川越市保健所
  • 川越駅西口土地区画整理事務所
  • 川越市道路管理事務所
  • 川越市計量検査所
  • 川越市生活情報センター
  • 川越市市民会館・やまぶき会館
  • 川越西文化会館(メルト)
  • 川越南文化会館(ジョイフル)
  • 北部地域ふれあいセンター
  • 東部地域ふれあいセンター
  • 市立美術館
  • 児童センターこどもの城
  • 川越駅東口児童館
  • 高階児童館
  • 川越駅東口多目的ホール
  • 国際交流センター
  • 女性活動支援のひろば
  • 女性会館
  • 農業ふれあいセンター
  • サンライフ川越・芳野台体育館
  • 勤労青少年ホーム(KWYC クイック)

[編集] 警察

  • 川越警察署(第二方面本部・交通機動隊西部分駐隊・機動捜査隊川越方面隊・自動車警ら隊川越方面隊)

[編集] 消防

[編集] 広域行政

[編集] 市議会

  • 議員定数:36
  • 議長:三上 喜久蔵(やまぶき会)
  • 副議長:小ノ澤 哲也(公明党議員団)
  • 会派
    • やまぶき会(11人)
    • 公明党議員団(7人)
    • 自民クラブ(4人)※自由民主党系
    • プロジェクト川越21(2人)
    • 日本共産党議員団(4人)
    • 民主党議員団(3人)
    • 市民フォーラム(2人)
    • みんなの党(2人)
    • 無所属(1人)

平成23年12月14日現在

[編集] 再開発事業

川越北環状線事業
駅前整備事業
地域振興ふれあい拠点施設整備事業
  • 埼玉県と川越市共同の大規模PFI事業として 地域振興ふれあい拠点施設(仮称) を川越駅西口に建設する。県と市の発表では、川越駅西口の2.4ヘクタールの用地に、埼玉県は、産業支援の企業交流施設(6,000m2程度)・大学コンソーシアムのサテライト教室(1,000m2程度)・県地方庁舎(6,000m2程度)を、川越市は市民活動センター(5,000m2程度)・1700席の劇場型多目的ホール(8,000m2程度)を建設する。他に民間の商業施設が入居する。駐車場も整備する。2008年(平成20年)に事業者選定で入札した大成建設兵庫県姫路市で不祥事を起こし、その関係で事業者選定手続が現在ストップしている。
川越城址公園計画
中央通り沿道街区土地区画整理事業
  • 本川越駅前から連雀町交差点まで道路を現状11mから20mに拡幅及び沿道の土地区画整理を行う事業。この通りにはクレアモールよりも小規模ながら商店街がある。一方で、中央通りには老舗も多く、伝統的な建築物の破壊も危惧されている。旧市街地への車の制限こそ考える時だ、という反対意見も出ている[要出典]

[編集] 姉妹都市・提携都市

「蔵の街」として知られる栃木県栃木市千葉県香取市(旧佐原市)とともに小江戸サミットを開くなど、観光面で交流している。

[編集] 経済

産業人口(1990年国勢調査より)
  • 就業者総数:152,727人
  • 第一次産業:4,848人(3.2%)
  • 第二次産業:55,358人(36.3%)
  • 第三次産業:90,941人(59.5%)

[編集] 工業

1965年(昭和40年)に狭山市とともに積極的な工場誘致を行い、当時、日本一の面積であった[15]川越狭山工業団地が完成、更に1980年代には富士見工業団地川越工業団地が造成され、市内の住工混在の解消を図っている。首都圏中央連絡自動車道川島ICに近い市内には、川越第二産業団地の整備も進んでいる。埼玉県内最大級の工業都市で、製造品出荷額は狭山市に次いで埼玉県内第2位(2009年)。機械類の生産が最多であるが、化学工業が多いのも特徴である。

[編集] 農業

など。

  • 江戸時代の寛政年間焼き芋が流行(それまでは蒸したサツマイモだった)、文化年間に焼き芋屋の宣伝コピーとして、「栗(九里)より(四里)うまい十三里(十三里半とも)」と謳われた程のサツマイモの名産地であった。将軍・徳川家治に献上されて「川越芋」の名がついた、と言われる。主要地は市内南西部。次第に栽培の容易な「紅あずま」やサトイモ、葉物野菜などへの作物転換が行われるようになっていったが、近年では幼稚園や小学校の「いも掘り遠足」(農業体験型の観光藷掘り)が盛んになっている。
  • 有志により「川越いも友の会」が結成され、10月13日を「サツマイモの日」に制定し、川越芋を復興する取り組みで1999年平成11年)に「サントリー地域文化賞」を受賞した。現在の会長は世界的なサツマイモ研究の権威で川越在住のアメリカ人・ベーリ・ドゥエル東京国際大学教授[16]
  • サツマイモと並んで当市の特産物であったのがで、老中の秋元喬知甲斐国から川越藩主に転封され川越で殖産政策を行って盛んになった。特に神奈川県川崎市で誕生した甘柿の禅寺丸の大産地として有名だったが、戦後廃れてしまった。
  • 現在では、南西の台地上に位置する福原・大東地区を中心に葉物野菜が、北や東の川沿い低湿地の芳野・山田・名細・田面沢、古谷を中心に稲作が行われている。当市は丘陵や山地がない平坦地なため埼玉県下最大の経営耕地面積を有する。近郊農業地域で野菜と米の出荷量が多く、当市の農業産出額は深谷市熊谷市本庄市に次いで埼玉県内第4位である(2009年)。当市は埼玉県内で商業、工業、農業の産業バランスが良い市とされ、農業従事者も埼玉県平均より青年層が多く、高齢化の割合が少ないのが特色となっている。
  • 「小江戸川越ブランド産品」の認定制度があり、小江戸川越黒豚や小江戸川越地鶏などを育てている。特産品開発の先進的な取組みを農林水産省経済産業省が共同で支援・表彰する「農商工連携88選」に、埼玉県内からは「コエドブルワリー」(地ビール)と「ひびき」(やきとり・黒豚)の当市の2社だけが選出された。2010年(平成22年)には川越城址近くにJAいるま野の「あぐれっしゅ川越」がオープン、地元農産物の大型直売センターで賑わっている。

[編集] 商業

川越駅東口・クレアモール
川越マイン

川越駅周辺は、埼玉県では大宮駅周辺に次ぐ商圏人口を有し、駅周辺の年間小売販売額・小売業売り場面積とも大宮駅に次いで埼玉県内第2位の繁華街を形成し、買い物客で終日賑わっている。当市全体の小売業の年間商品販売額さいたま市川口市に次いで埼玉県内第3位である(2009年)。

クレアモールの店舗

など

  • 川越駅東口から北へ伸びる商店街クレアモール」(川越サンロード商店街と川越新富町商店街の統一名)は関東地方でも有数の集客力を持つ商店街。地元の若年層・近隣から通学してくる高校・大学生や高齢者層まで平日でも人通りが多く、商店街の通行量調査では埼玉県で1位となっている[17]。クレアモールは電線が地中化、御影石舗装で店舗とはバリアフリー化が成されている。ストリートミュージシャンも登場する。クレアモールは、中央通り、大正浪漫夢通り、川越一番街へと続き、全長は2kmを超える。
  • 商都としての長い伝統と蓄積から、埼玉県内に店舗を広げる地域密着の商業資本の本社がある。丸広百貨店は、1951年(昭和26年)に川越本店がオープン。東京に隣接する埼玉県西部の百貨店の中でも売上高が首位の店舗で、埼玉県内でも上位に入る。ヤオコーも本社を当市に置く東京証券取引所第一部上場のスーパーである。イトーヨーカドー川越店は、1967年(昭和42年)開店。イトーヨーカドーの5番目の店舗で東京都以外に初進出した最初の店舗であった。イトーヨーカドーは浅草が創業の地だが、社名は一時期「川越倉庫株式会社」といい、川越と縁が深い。
  • 地元の商店が健在で古着屋・骨董店など専門店も多く、首都圏の他の中枢都市と比較すると、店舗型の風俗店をほとんど目にしないのが大きな特徴である。埼玉県内の多くの都市がロードサイド店舗の集積や大規模ショッピングモールの開店で逆に中心市街地空洞化、地域経済や社会を支える地元商店の壊滅を招き、駅前はサラ金ビルが乱立している。しかし、川越は例外的な都市で活気があり、中小企業庁は日本の「がんばる商店街77選」に、埼玉県内からは当市内の7つの商店街と秩父市の「みやのかわ商店街」の2都市だけを選定している。
  • 埼玉県随一の商都だったこともあって、埼玉りそな銀行などの地元金融機関や三大メガバンクの他にも、八十二銀行長野県)、足利銀行栃木県)、群馬銀行東和銀行群馬県)、青梅信用金庫(東京都)などの他県を地盤とする銀行の支店が古くから置かれている。

[編集] メディア

[編集] 地域

[編集] 健康

  • 平均年齢:40.7歳(男39.8歳、女41.7歳)

[編集] 教育

[編集] 幼稚園

  • あおば幼稚園
  • あそか幼稚園
  • 岡田幼稚園
  • かすみ幼稚園
  • 霞ヶ関幼稚園
  • 川越幼稚園
  • 川越あさひ幼稚園
  • 川越白ゆり幼稚園
  • 川越なかよし幼稚園
  • 川越ひばり幼稚園
  • 川越第二ひばり幼稚園
  • 川越双葉幼稚園
  • 南双葉幼稚園
  • 川鶴ひばり幼稚園
  • 新河岸幼稚園
  • 高階幼稚園
  • 東光幼稚園
  • ながさわ幼稚園
  • のぞみ幼稚園
  • 初雁幼稚園
  • ひかりの子幼稚園
  • ひつじ幼稚園
  • 第二ひつじ幼稚園
  • 日の丸幼稚園
  • ひまわり幼稚園
  • ひまわり東幼稚園
  • ひまわり南幼稚園
  • ふくはら幼稚園
  • ふじま幼稚園
  • 藤原白百合幼稚園
  • みよしの幼稚園
  • ルンビニ幼稚園

[編集] 小学校

公立
  • 川越市立高階西小学校
  • 川越市立高階南小学校
  • 川越市立大東西小学校
  • 川越市立大東東小学校
  • 川越市立中央小学校
  • 川越市立月越小学校
  • 川越市立寺尾小学校
  • 川越市立名細小学校
  • 川越市立広谷小学校
  • 川越市立福原小学校
  • 川越市立古谷小学校
  • 川越市立古谷東小学校(2009年3月31日閉校)
  • 川越市立南古谷小学校
  • 川越市立武蔵野小学校
  • 川越市立山田小学校
  • 川越市立芳野小学校
私立

[編集] 中学校

公立
私立

[編集] 高等学校

川越市立
埼玉県立
私立

[編集] 特別支援学校

[編集] 大学

当市では、「育英資金」という奨学金制度がある。なお、本奨学金は返還義務が伴う。また、「川越市交通遺児奨学金」制度があり、本制度は小中学生対象の給付型である。

[編集] 学校教育以外の施設

[編集] 職業能力開発校

[編集] 図書館

市内には図書館が4ヶ所、図書配本所が2ヶ所、図書分室が1ヶ所ある。また都市部での移動図書館は少ない中、「やまぶき号」が2007年3月まで運行されていた。かつては、川越駅西口から徒歩5分の場所にある川越福祉センター(2008年3月15日閉館)向かいに埼玉県立川越図書館が長年運営されてきたが、2003年3月31日をもって廃止された。

川越市立図書館
  • 中央図書館
  • 西図書館
  • 高階図書館
  • 川越駅東口図書館
    • 霞ヶ関北配本所
    • 高階南配本所
      • 霞ヶ関南分室

図書館の広域自治体間相互利用協定により、以下の市民にも開かれている。

レインボー協議会構成市町の住民は、書籍のみでAV資料は貸出されない。
  • 東京国際大学図書館も利用可能だが、私立大学であり利用資格や利用制限がある。

[編集] 博物館・美術館

当市に本社を置くヤオコーが創業120周年を記念したメセナとして開設。現代リアリズムの洋画家・三栖右嗣の作品を収蔵。ショップやカフェも併設。建物の設計は伊東豊雄。一般開館は2012年3月から。

[編集] 公民館

市内には公民館が17ヶ所と常勤職員が常駐しない分館が1ヶ所、分室が1ヶ所ある。またこの他に町内公民館と定義づけされた自治会集会所がある。

なお、名細公民館の分館として長く使用された川越市下広谷南公民館は名細公民館の移転に伴って廃止された。

単立館・併設館
  • 川越市中央公民館
  • 川越市南公民館
  • 川越市北公民館
  • 川越市芳野公民館 芳野出張所と併設
  • 川越市古谷公民館 古谷出張所と併設
  • 川越市南古谷公民館 南古谷出張所と併設
  • 川越市高階公民館 2008年(平成20年)5月1日開館の複合施設「高階市民センター」内に併設
  • 川越市高階南公民館
  • 川越市福原公民館 福原出張所・福原コミュニティセンターと併設
  • 川越市大東公民館 大東出張所と併設
  • 川越市大東南公民館
  • 川越市山田公民館 山田出張所と併設
  • 川越市名細公民館 2009年(平成21年)11月30日開館の複合施設「名細市民センター」内に併設
  • 川越市霞ヶ関公民館 霞ヶ関出張所と併設
  • 川越市霞ヶ関北公民館
  • 川越市伊勢原公民館 霞ヶ関北小学校・西図書館と併設
  • 川越市川鶴公民館 川鶴連絡所と併設
分館・分室
  • 川越市さわやか活動館
  • 川越市中央公民館分室(小泉八雲ゆかりの建物を大正時代に川越に移築した屋敷)

[編集] 公共福祉施設

市内には市民会館が1ヶ所、文化会館が2ヶ所、運動公園、武道館、霊園が各1ヶ所ある。施設の運営維持管理は 財団法人川越市施設管理公社 が行っている。また、文化会館の小規模なものとして住民管理方式を取り入れた地域ふれあいセンターが2ヶ所ある。なお、1974年11月11日より33年余りにわたって運営されてきた 川越福祉センター(川越駅西口徒歩5分)は、2008年3月15日をもって廃止された。

  • 川越市市民会館・川越市市民会館やまぶき会館
  • 川越南文化会館(ジョイフル)
  • 川越西文化会館(メルト)
  • 川越運動公園
    • 総合体育館
    • 陸上競技場
    • テニスコート
  • 川越武道館
  • 川越福祉センター
  • 川越市民聖苑やすらぎのさと
  • 川越市北部地域ふれあいセンター(川越市山田)
  • 川越市東部地域ふれあいセンター(川越市並木、川越税務署隣)

[編集] 電話番号

市外局番049であり、坂戸市、鶴ヶ島市、富士見市(水谷東二丁目・三丁目以外)、ふじみ野市、入間郡全域、比企郡川島町、鳩山町と同一(川越MA)。荒川左岸の古谷上の一部は048

[編集] 郵政

郵便番号は市内全域が「350-00xx,08xx,11xx」である。

主な郵便局

[編集] 娯楽・レジャー施設

[編集] 映画館

閉館した映画館

[編集] ゴルフ場

[編集] 交通

[編集] 鉄道路線

東武鉄道
東日本旅客鉄道(JR東日本)
西武鉄道

なお、西武新宿線の列車の愛称は川越市にちなんだ名称になっている。(特急「小江戸」号、快速急行「川越」号)

廃線
休止路線

西武鉄道の前身、西武鉄道(旧)1925年大正14年)に、入間川からの砂利輸送が目的で南大塚駅から安比奈線を開通させた。入間川には、安比奈線と埼玉県営鉄道の2つが対岸の東武と西武の駅から向かい合うように延びていた。

1950年(昭和25年)に電化され蒸気機関車から電気機関車に変ったが、その貨物輸送も1967年(昭和42年)で廃止された。なお、現在でも休止路線扱いである。

[編集] バス

路線バス
小江戸巡回バス
市内観光バス
  • イーグルバス:小江戸巡回バス(レトロなボンネットバスで市内の名所を巡回している。車内アナウンスは英語・中国語に対応。1日フリー乗車券がある)。
  • 東武バスウエスト:小江戸名所めぐりバス(1日乗り放題のバス)。
高速バス
深夜急行バス
  • 東武バスウエスト:池袋駅西口 - 志木駅南口 - 川越駅東口 - 本川越駅 - 神明町車庫(ミッドナイトアロー川越号)
  • 東武バスウエスト:川越駅東口 - 本川越駅 - 坂戸駅北口 - 東松山駅 - 森林公園駅南口(ミッドナイトアロー東松山・森林公園号)

[編集] タクシー

タクシーの営業区域は県南西部交通圏で、所沢市東松山市飯能市和光市などと同じエリアとなっている。

[編集] 道路

高速道路
一般国道
主要地方道
その他の県道

[編集] 町並み保存

[編集] 住宅団地

  • 初雁団地
  • 新宿町団地
  • 川越いせはら住宅
  • 川越西山住宅 (笠幡)
  • 川越北谷住宅 (岸町)
  • 川越岸町やまぶき住宅
  • 川越久下戸住宅
  • 川越月吉町団地
  • 川越月吉町住宅
  • 川越今泉住宅
  • 川越今福住宅
  • 川越山田住宅
  • 川越小中居住宅
  • 川越小堤住宅
  • 川越東坂上住宅 (新宿町)
  • 川越神明町住宅
  • 川越仙波町住宅
  • 川越的場住宅
  • 川越藤原住宅
  • 川越南大塚住宅
  • 住友川越霞ヶ関分譲地(現・上戸新町)
  • 東急霞ヶ関ニュータウン(現・霞ヶ関東2~5丁目)
  • かわつる三芳野団地
  • 川鶴団地
  • いせはら団地
  • 霞ヶ関角栄団地 - 角栄建設(現・ジョイント・レジデンシャル不動産)造成の団地

むさし緑園都市

  • UR川鶴グリーンタウン (川越・鶴ヶ島地区)
  • UR川越ニューシティいせはら (霞ヶ関)

[編集] 観光

世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」と謳われ、年間620万人の観光客を集めている。NHK大河ドラマが「春日局」、「葵徳川三代」、「義経」、「風林火山」など、当市にも関係するテーマだと観光客が増える。

海外から来日した国賓にも日本の代表的な町並みとして紹介されており、2007年3月28日には今上天皇夫妻がスウェーデン国王カール16世グスタフ夫妻を案内し、西武新宿線お召し列車行幸した。

当市は国土交通省観光ルネサンス事業に指定され、外国人富裕層の誘致促進の観光振興策を実施している。外国人観光客向けプロモーションビデオのコンペ「小江戸川越ビデオ大賞」も行い、優秀作は海外に配信している。当市は東京近郊で交通至便、江戸情緒を実体験できる町として人気があり、外国人観光客は年間4万人超となっている[24]韓国の人気番組「私たち結婚しました」のロケ地となるなど外国メディアに登場することも増えている。

2008年2月からは、川越商工会議所を中心に小江戸川越検定が行われており、市外からも多くの人が受検している。

  • 観光案内所
川越市観光案内所は、埼玉県初のビジット・ジャパン案内所で、川越駅構内と川越一番街にある。
ジェイアールバステックが、神奈川県鎌倉市と当市で観光レンタサイクル事業を行っており、川越駅近くで借りられる。本川越駅近くにもレンタサイクルがある。
路地の光景
蔵造りの町並み
喜多院の「五百羅漢」

[編集] 名物・特産

江戸時代から特産品。飢饉の時の非常食であったサツマイモを美味な商品作物にまで育てたのは川越で、今では川越芋の生産量は減ったが、サツマイモの加工基地となっている。川越芋は、火が通りやすく芋きんとんなど加工すると美味になる品種で、芋せんべいや芋羊羹、芋松葉、芋納豆、芋シュー、二色芋ババロア、芋プリンなど豊富。黄色い「芋ソフトクリーム」や「紫芋ソフトクリーム」は川越発祥。イモ菓子だけでなくイモ料理も名物で、「サツマイモを食すなら川越で」と言われた天保年間から豊富な料理を築いてきた。芋うどん、芋おこわは定番。「えぷろん亭」、「源氏家」はオリジナルのサツマイモ料理。「いも膳」は、いも懐石で知られ「サツマイモ資料館」を2008年(平成20年)まで開館していた(閉館後、資料は川越市立博物館に寄贈)。
川越名菓「亀の最中」の「亀屋」は1783年天明3年)創業で旧川越藩御用達。「亀屋栄泉」、「くらづくり本舗」、「芋十」、「東洋堂」、「右門」、「道灌」、「紋蔵庵」、「稲葉屋本舗」など1世紀を経た老舗が揃う。亀屋栄泉には「芋菓子の歴史館」もある。
川越だんごは甘くない醤油味の焼きだんごで歯応えがある。寛永年間には城下の社交場として定着しており、今でも街中に店が多い。安政年間創業の「成田山だんご」や1861年文久元年)創業の「田中屋」など。
生地から手作りの手焼きせんべいの店が「塩野」、「大玉や」など街中にある。川越煎餅は伝統的に醤油味の塩せんべいである。「せんべい・あられは鉄火焼」のCMのホンダ製菓は当市生まれの会社で本社・工場・直売所も全て市内にある。
慈覚大師円仁が川越で栽培したのが狭山茶のルーツ。昔は河越茶といった。群書類従所収の南北朝時代異制庭訓往来に既に「日本5大銘茶」として河越茶の名が記されている。
川越は江戸時代は小麦の大産地で、川越そうめんは新河岸川舟運で将軍家に献上され続けた名産品。かつての高沢町には、そうめん屋が軒を連ねていた。「川越舟運亭」など。
入間川など、市内の河川で良質の鰻が取れたことから昔から鰻料理で有名。「小川菊」は1809年文化6年)の創業。「いちのや」は1832年天保3年)創業。「東屋」、「小川藤」なども明治初期からの老舗。
料亭の町」とも言われた。川越藩の貴賓館であった関東有数の豪商・横田五郎兵衛の1000坪の別邸を料亭にした「山屋」、文人墨客に利用されてきた1868年(明治元年)創業の「初音屋」など。
「吉寅」は1877年明治10年)創業のすき焼きの老舗。国の登録有形文化財の洋館の「太陽軒」は大正期の洋食。「楽天」は1932年(昭和7年)に初めてとんかつと名付けた東京・上野の「楽天」の唯一の支店(上野本店は今は無い)。
古くから蕎麦の栽培に適した土地で、江戸の影響を受け継いで蕎麦屋が多く喜多院の参道などに蕎麦屋が目立つ(茶そばの「寿庵」など)。「百丈」は店舗が国の登録有形文化財の指定。
天保年間創業の「松本醤油」、1789年寛政元年)創業の「笛木醤油」など天然醸造の醤油作りが残る。「小江戸鏡山酒造」は地酒「鏡山」の造り酒屋芋焼酎三芳町で栽培された川越芋を原料とする川越いも焼酎「富の紅赤」がある。
COEDOビールは地元川越名産のサツマイモを原料としている。ドイツの名門ブラウマイスター仕込みのプレミアムクラフトビールで、モンドセレクションで最高金賞をダブル受賞、iTQi コンテストでは日本のビールで初めて最高のクリスタルテイストアワードを獲得、ヨーロピアンビアスターアワードでは2010年に国産ビールで初の金賞を受賞。北米オーストラリアなど海外輸出も行っており、アメリカではグルメスーパーホールフーズ・マーケットでも販売されている。
当市から東京都武蔵村山市にかけての武蔵野台地は江戸時代から「手打ちうどん」(武蔵野うどん)の本場で、「ざるうどん」の店は市街地の周辺に多い。
ラーメン店が多い激戦区である。中でも「頑者」はつけ麺ブームの火付け役で、テレビ・雑誌などのマスメディアに登場する機会も多く、新横浜ラーメン博物館にも支店を出している。
川越太麺焼きそばがある。もんじゃ焼きなど。東松山みそだれ焼きとりの「ひびき」の本社は当市にある。
寛永年間に藩主の松平信綱が興した川越の地場産業で、桐箪笥発祥の地である。大火の多い江戸で重宝された。川越の桐箪笥は島村利正の小説『桐の花』でも描かれている。皇后美智子のご成婚で桐箪笥を納めた天保年間創業の「桔梗屋」が有名。
川越絹など織物の一大産地だった川越だが、唐桟(とうざん)は江戸時代に南蛮から入ってきた縞木綿で、粋で高価な唐桟は江戸で一世を風靡した。川越商人はいち早く量産化に成功して川越唐桟(川唐)と呼ばれている。川唐は近年メディアで特集されることが多くなっている。

[編集] 名所

  • 時の鐘
    川越のランドマーク。寛永年間に藩主だった酒井忠勝が建立した鐘楼。現在の鐘楼は1893年明治26年)の川越大火の翌年に再建されたもの。この再建に際しては晩年を川越で過ごした渋沢栄一の資金援助や明治天皇からの下勅金を受けた。3層構造の塔で、高さは16メートル。400年近くにわたって川越城下に時を知らせており、今も機械式で一日4回、銅鐘を打っている。環境省選定の「日本の音風景100選」。
  • 川越一番街
    蔵造りの街並みが残る。福島県喜多方市岡山県倉敷市とともに「日本三大蔵の町」。川越城西大手門跡の先にある高札場であった「札の辻」を中心とした一帯が藩主・松平信綱の時代から商人地区の上五ヶ町。町の3分の1を焼失した1893年(明治26年)の川越大火で焼け残ったのが江戸期の蔵造り建築であったので、その後、各商家が倣った。かつては200棟を超える蔵造りの町屋が建ち並び、川越商人の財力を示した。高価な黒漆喰をふんだんに用いているのが川越の見世蔵の大きな特徴である。
    現在は資料館、ギャラリー、個性的なカフェなどに利用されていることも多い。川越藩士であった橋本雅邦のコレクションがある「山崎美術館」、「服部民俗資料館」、川越藩御用絵師・舩津蘭山の「蘭山記念美術館」、「松下紀久雄むかし絵美術館」などがある。1792年寛政4年)に豪商の西村半右衛門によって建てられた「大沢家住宅」は現存する関東地方最古の蔵造りで、国の重要文化財。「陶舗やまわ」は蔵と店を繋ぐトロッコがありNHK連続テレビ小説つばさ」の舞台「甘玉堂」となった。川越一番街は夜にライトアップされることがある。
  • 大正浪漫夢通り
    大正時代の家並みや石畳の商店街。レトロな建物の多くが映画「陰日向に咲く」「免許がない!」、ドラマ「相棒」「菊次郎とさき」などの撮影舞台になっている。
  • 菓子屋横丁
    1796年(寛政8年)に江戸菓子を製造したのが始まり。江戸時代は「あめ屋横丁」と呼ばれた。関東大震災で被害を受けた東京に代り駄菓子を製造供給するようになり、昭和初期には70軒ほどの業者が軒を連ねていた。現在では20軒ほどまで減少したが、昭和の雰囲気を残し修学旅行のリハーサルで訪れる学校も多い。飴細工や日本一長い巨大なふ菓子が人気。環境省の「かおり風景100選」に選定されている。「駄菓子の資料館」もある。横丁近くの路地には堀が廻らせてあり、ニシキゴイが泳いでいる。
  • 立門前通り
    蓮馨寺の門前町として戦前は川越で一番賑わった通り。1899年明治32年)に完成した旧「鶴川座」は首都圏唯一の木造芝居小屋の遺構。日本に残る唯一の木造織物市場建築[25] である旧「川越織物市場」など、レトロな建造物が多く残り、最近はこの周辺が市民による保存運動の焦点となっている。川越織物市場は映画「無法松の一生」のロケ地。連続テレビ小説「つばさ」のタイトルバックはこの一帯で、最近はCMの撮影も増えている。
  • 喜多院
    川越大師。関東天台総本山淳和天皇の勅で慈覚大師円仁によって830年天長7年)に創建された。徳川家康のブレインであった慈眼大師天海によって隆盛を極め、家康も論議を聴きに参詣した。家康の命で藩主の酒井忠利によって大伽藍が建立された。狩野吉信職人尽絵屏風など多くの国の重要文化財を有する。1638年寛永15年)の川越大火でほとんどが焼け落ち、「徳川家光誕生の間」「春日局化粧の間」など江戸城紅葉山にあった建物の一部が徳川家光の命でここに移築され、重要文化財として往時の江戸城の貴重な遺構を今に伝えている。一方、東京都台東区上野寛永寺本堂は喜多院の本地堂を移築したものである。五百羅漢1782年天明2年)から半世紀を費やして造られ日本三大羅漢の1つ。小堀遠州流枯山水庭園がある。松平大和守家7代のうち川越で没した5人の藩主の廟所もある。毎年1月3日の初大師の日にだるま市が開かれ、その日だけで30万人以上の人出がある。
  • 中院
    天台宗別格本山。喜多院と同じく円仁によって830年に創建されたと伝える。かつては喜多院(北院)より隆盛を誇った。天台教学の関東での中心地で古文書を多く所蔵する。島崎藤村に縁が深く、その茶室もある。川越茶(狭山茶)はここがルーツで、その起源を記した「狭山茶発祥の地碑」がある。しだれ桜も有名。
  • 仙波東照宮
    本殿、拝殿、石鳥居、随身門、唐門など国の重要文化財。日本三大東照宮の1つ。徳川家康の遺骸は久能山から日光へ運ばれる途中、天海によりこの地が選ばれ四日間にわたって家康の法要はここで行われた。国の重要文化財である岩佐又兵衛三十六歌仙額がある。徳川家光の命で仙波東照宮創建の造営奉行となった老中で川越藩主の堀田正盛以降の歴代藩主奉献の灯篭も並ぶ。童謡「あんたがたどこさ」はここが発祥と言われている。
  • 川越城(初雁城)
    上杉持朝の居城として家宰の太田道真道灌父子が1457年長禄元年)に築城。関東七名城日本100名城の1つ。本丸御殿は江戸時代後期の藩主・松平斉典の建立。入間県県庁舎ともなった。本丸御殿大広間が現存しているのは、日本では川越城の他には高知城のみで、貴重な遺構である。富士見櫓跡なども残っている。川越城中ノ門堀跡は、2010年(平成22年)に整備された。川越市役所前(川越城西大手門跡)に太田道灌の立像がある。
  • 三芳野神社
    初雁天神。童謡「通りゃんせ」の元となった神社。807年大同2年)に平城天皇の創建と伝わる。995年長徳元年)には一条天皇により菅原道真も配祀された。かつての川越城内に位置した「お城の天神さま」で喜多院、仙波東照宮とともに江戸幕府の直営社であった。三芳野神社に行くには城の門番に特別の許可を貰わねばならず、細道とは社殿に至る参道で、その様子が童謡に歌われたものである。三芳野神社にある「初雁の杉」が初雁城(川越城の別名)の由来となった。東京都千代田区平河町平河天満宮は、三芳野神社を川越城の守護神として崇敬した太田道灌がここから分祀したものである。
  • 浮島神社
    浮島稲荷神社。「うきしま様」と呼ばれ安産の神として親しまれている。太田道真の密生した湿地帯であるこの地に川越城を築城する際、城地守護のために祀ったのが由来である。川越城七不思議に纏わる神社である。
  • 日枝神社
    慈覚大師円仁喜多院鎮守として日吉大社勧請したもの。本殿は国の重要文化財。山王祭で有名な東京都千代田区永田町日枝神社は、太田道灌が川越のこの日枝神社から分祀したもの。江戸時代を通して幕府の厚い保護を受けた。
  • 成田山川越別院本行院
    川越不動。成田山新勝寺の全国初の別院で真言宗。毎月28日には蚤の市(骨董市)で賑わう。また骨董市に合せて、絹織物の大産地だった文化を守ろうとNPO法人によって「川越きもの散歩」が毎月行われている。11月には火渡り祭が行われ、12月にはギリヤーク尼ヶ崎の公演が境内で行われている。
    川越にまつわる資料・文化財の調査・蒐集・展示を行っている民間の川越歴史博物館はこの別院の正面にある。川越歴史博物館は河越太郎重頼の長覆輪太刀などを貴重な品を所蔵している。
  • 東明寺
    一遍上人建立の時宗の寺院。河越夜戦激戦地跡で、河越夜戦は「東明寺口合戦」とも呼ばれ、境内に河越夜戦記念碑がある。将兵の遺骸を納めた富士塚が残っている。ここで戦死した難波田憲重の霊を祀った天満宮もある。
  • 氷川神社
    欽明天皇の即位2年(541年)に武蔵国一宮である大宮氷川神社を分祠したことに始まると伝える。太田道灌以来、川越の総鎮守で歴代藩主が篤く信仰した。関東三大祭りの1つである川越祭りは「川越氷川祭」であり、氷川神社の祭礼である。朱塗りの大鳥居は木造としては日本最大で、扁額は勝海舟の書。境内には柿本人麻呂を奉る人麻呂神社や、江戸城二の丸にあった東照宮本殿を移築した八坂神社もある。8月には薪能も行われる。
  • 養寿院
    曹洞宗の古刹で河越経重の開基。河越太郎重頼の墓がある。1260年文応元年)に造られた銅鐘は国の重要文化財で、鎌倉高徳院の「長谷の大仏」(国宝)と同じ丹治久友の作である。
  • 蓮馨寺
    1549年天文18年)、河越城主・大道寺政繁の母・蓮馨によって開基。開山は感誉存貞上人。代々、高僧が住職を勤め、感誉上人の他にも徳川家康の帰依を受けた源誉存応上人など、蓮馨寺の住職は徳川家菩提寺である東京・増上寺法主となった。江戸時代には、浄土宗関東十八檀林の1つとして幕府の僧侶養成機関だった。今は下町情緒を残した子育て・無病息災の寺で、毎月8日には「呑龍上人縁日」が行われる。
  • 川越八幡宮
    川越一宮1030年長元3年)、源頼信平忠常の乱平定の祈願をここで行い、戦勝に感謝して創祀したもので、河越氏に縁が深く、江戸時代を通じ川越城主の篤い崇敬があった。今上天皇御生誕を記念して1933年(昭和8年)に境内に植樹された縁結び銀杏がある。境内社に民部稲荷神社があり、足腰を強くするという御利益で、箱根駅伝出場選手が参拝に訪れる。また民部稲荷神社は相撲稲荷とも言い、「まんが日本昔ばなし」でも放送された「老狐物語」の伝説が残る。
  • 河越館
    国の史跡。河越館跡史跡公園となって整備された。平安時代末期から室町時代にかけて武蔵国で勢力を張った豪族・有力御家人であった河越氏の館跡。河越能隆がこの地に移住し河越氏となった。戦国時代初期には、扇谷上杉家上杉朝良が城主を務める河越城に対峙するために、山内上杉家上杉顕定が陣所(上戸陣)を7年間も張ったところでもある。また、館跡の一角にある常楽寺時宗の古刹で、河越城主だった大道寺政繁小田原の役で降伏、豊臣秀吉の命で自害したところである。源義経とその正室の京姫(郷御前河越重頼の娘)の供養塔もある。
  • 永島家住宅
    川越城南大手門跡近くにある武家屋敷川越藩御典医の屋敷で、埼玉県内で唯一の武家屋敷遺構である。枳殻生垣は川越藩の特徴であった。
  • 旧戸田家住宅
    伊佐沼公園に「伊佐沼庵」として移築されている。江戸時代に福原地区に建てられた萱葺きの古民家で馬屋をもち、民具・農具なども残り、武蔵野の農家の江戸時代の暮らしを伝える貴重な資料である。
  • 新河岸川河岸場跡
    舟運の船着場跡では最も城下町寄りの仙波河岸が史跡公園になっている。江戸時代以来の川越五河岸には、船問屋の「伊勢安」跡がある。
    新河岸川の旧赤間川部分で舟運を再興しようという動きがあり、濯紫公園(たくしこうえん)を基点に約2kmの観光舟運の試航がされている。濯紫公園は藩主・柳沢吉保の家老・山東小市郎の別邸「濯紫園」跡で現在は親水公園。ただし、観光舟運の区間は江戸時代以来の新河岸川舟運が行なわれていた区間ではない。
  • 日本聖公会川越キリスト教会
    1889年明治22年)に建立された聖公会の教会で、埼玉県最初のキリスト教会。日本聖公会では北関東教区で最初の教会でもある。1878年(明治11年)、アメリカから帰国したばかりの横山錦柵(最初に自転車に乗った日本人とされる)によって川越で伝道が始められた歴史を持つ。川越大火で失われたが、1921年(大正10年)に再建された現建物もゴシック様式の赤煉瓦造り(日本煉瓦製造)で、国の登録有形文化財の指定を受けている。設計はアメリカの聖公会から派遣され、池袋に移転した立教大学の諸聖徒礼拝堂(チャペル)の設計管理も担当したウィリアム・ウイルソン。再建資金はニューヨーク大学のピーターソン教授夫妻の寄付金に多くを負った。
  • カトリック川越教会
    1892年(明治25年)より川越で宣教をしていたフランスのパリー外国宣教会司祭プラシード・メイランによって1912年(大正元年)にカトリック教会が建立され、埼玉県で最初のカトリックの小教区が誕生した。1933年(昭和8年)には白亜の聖堂が完成した。戦前はフランシスコ修道会カナダ管区の担当する教会となった。美しい教会で平成になって改築され、埼玉景観賞を受賞している。
  • 八十五銀行本店(現・埼玉りそな銀行川越支店)
    川越のシンボルの1つ。1918年(大正7年)に建てられた洋館で、国の登録有形文化財指定埼玉県内第1号。銀行の看板なども周囲の景観に合わせた色合いにして営業している。設計は保岡勝也。昭和30年代まではこの本店隣(現在は埼玉りそな銀行の駐車場)に川越貯蓄銀行の本店もあり、洋館が2つ並んでいたが、そちらは取り壊されてしまった。「日本の電力王」と呼ばれた福澤桃介は川越で成長したが、父親がここで書記の仕事をしていた。
  • 武州銀行川越支店(現・川越商工会議所)
    国の登録有形文化財。高島屋日本橋店や資生堂本店、京都市美術館などを設計した前田健二郎の設計で、メダリオンやドーリア式の柱に趣がある。少年時代を川越で過ごした澁澤龍彦は、父親がこの支店長だった。
  • 旧山吉デパート
    山吉デパートが1936年(昭和11年)に増築した洋館。近年、修復された。設計は保岡勝也。山吉デパートは1923年(大正12年)にオープンした埼玉県内最初の百貨店で、秩父市の矢尾百貨店より1年早かった。江戸時代から続く呉服商で川越渡辺銀行を創立した渡辺吉右衛門がオーナーで、エレベーターや屋上庭園もある高級デパートだった。1942年(昭和17年)に戦争のため閉館。戦後は1951年(昭和26年)から1964年(昭和39年)まで丸木百貨店(現・丸広百貨店川越店)となった。隣接して、1915年(大正4年)に出来た洋館・旧「田中屋美術館」もある。
  • 旧山崎氏別邸庭園
    これも当市に縁の深い保岡勝也の設計で、ステンドグラスが美しい洋館と数寄屋造りの和室が融合した主屋。枯山水茶庭から成る庭園は、埼玉県内で初の国の登録記念物(名勝地)に指定された[26]1926年(大正15年)の完成以来、川越に来た皇族の宿泊所としても用いられ、李氏朝鮮の最後の皇太子李垠も滞在し、その碑がある。現在は市の所有で不定期に公開される。
    当市は蔵造りだけでなく街中にいくつも洋館が残っている。国の登録有形文化財としては、旧六軒町郵便局の特徴ある赤屋根の木造洋館がある。
  • 藤間流発祥の地碑
    日本舞踊五大流派の1つ藤間流は、入間郡藤間村(現・川越市藤間)出身の初代・藤間勘兵衛が、宝永年間に江戸に出、出身地の藤間の名を冠した藤間勘兵衛を名乗り、歌舞伎の振り付けを始めたことに由来する。武者小路実篤の「武蔵野に生きている藤間の里」という直筆の碑もある。
  • 正岡子規句碑
    正岡子規帝国大学在学中の1891年(明治24年)に川越を旅した際に詠んだ歌が石碑になっている。当市にはこうした文学碑が少なくない。

砧うつ隣に寒き旅寝哉

  • 川越の「自由の鐘」
    1951年(昭和26年)4月8日喜多院境内で在日米国ボーイスカウト第3隊グランドハイツ(朝霞市)と川越ボーイスカウト第2団による日米ボーイスカウト交歓キャンプが開催された。これを記念して、米国側からは「自由の鐘」、川越側からは刺繍の隊旗が互いに寄贈された。この「自由の鐘」にはアメリカボーイスカウト連盟 (BSA) のマークが、添えられたプレートにはこの鐘の由来が綴られており、現在は川越市民会館脇に建てられている。川越はスカウト運動が盛んで川越ボーイスカウトは埼玉県内最古の1つ、カブスカウトの設立も埼玉県内最初である。
  • 小江戸川越七福神めぐり
    当市は七福神を祀る寺院が多く天海僧正の江戸時代より七福神めぐりが起こり、現在も市民・観光客で賑わう。
  • 川越市立博物館
    古代からの当市の歴史や文化・民俗・産業を年代順に展示。特に川越城や城下町の仕組み、新河岸川舟運、江戸時代の職人の技術や明治の蔵造りの町並み再現など。当市在住で時代考証家の稲垣史生も市立博物館開設に貢献した。柳沢吉保荻生徂徠など川越に暮らし活躍した人物に焦点を当てるなど、企画展にも力を入れている。
  • 川越市立美術館
    小村雪岱小茂田青樹岩崎勝平相原求一朗など川越生まれの画家や、橋本雅邦井上安治など川越藩の画家の作品を収蔵・展示。
  • 川越市産業観光館(小江戸蔵里
    越後杜氏1875年(明治8年)に創業した造り酒屋「鏡山酒造」跡地でクレアモールに面している。鏡山酒造の大吟醸は鑑評会で金賞の常連で日本航空のファーストクラスで振舞われていた。現在は市の所有で、白壁塗りの「明治蔵」「大正蔵」「昭和蔵」という3つの時代の酒蔵(いずれも国の登録有形文化財)などが市の特産品施設やカフェ・レストラン・ギャラリーとして整備された。ジャズコンサートなども催される。
  • 川越市蔵造り資料館
  • 川越まつり会館
  • 川越水上公園

[編集] 主要祭事

  • 川越まつり(10月の第3日曜日とその前日の土曜日。ただし10月14日と15日が土曜日と日曜日の場合はその両日)
関東では数少ない山車の曳き回しの祭りで、関東三大祭の1つ。国の重要無形民俗文化財。川越城下の大半が焼き尽くされた1638年(寛永15年)の川越大火の翌年、幕府の老中首座であった松平信綱が川越藩主となり町の再興が為される中、1648年慶安元年)、松平信綱が神輿・獅子頭を寄進、信綱によって総鎮守である氷川神社の祭礼として始まる。東京神田明神神田祭などが山車ではなく神輿の祭りに変わってしまった現在、江戸天下祭の面影を最も良く残した祭りである。
1850年嘉永3年)のに、魚子(ななこ)という川越藩の家臣・三田村源八の娘が、同年に死去した藩主の松平斉典を偲び軒先に切子灯篭を掲げたことに始まる、とされる。現在は市民祭りと化し、提灯が飾られ、川越藩火縄銃鉄砲隊保存会の実物の火縄銃の演武など時代行列も行われる。

[編集] 川越歳時記

新河岸川桜まつりの舟遊び
  • 1月
    • 3日 初大師(だるま市)(喜多院
    • 9日 一升講(鯨井 春日神社)
    • 成人の日前日 餅つき踊り(南大塚、西福寺)県指定・無形民俗文化財
    • 15日 筒粥の神事(石田、藤宮神社)市指定・無形民俗文化財
  • 2月
    • 11日 弓取式(下老袋、氷川神社)県指定・無形民俗文化財
  • 3月
    • 春分の日21日 ふせぎ(芳地戸、尾崎神社)市指定・無形民俗文化財
    • 下旬 新河岸川桜まつり(新河岸川河川敷)
    • 下旬 小江戸川越春まつり(5月の春まつり民踊大会まで市内各所で祭りが続く)
  • 4月
    • 第2日曜日 万作(老袋、氷川神社)県指定・無形民俗文化財
    • 14日 足踊り(南田島、氷川神社)市指定・無形民俗文化財
    • 15日 祭ばやし(今福、菅原神社)県指定・無形民俗文化財
    • 15日 祭ばやし(中台、八雲神社)県指定・無形民俗文化財
    • 第3土・日曜日 ささら獅子舞(石原町、観音寺)県指定・無形民俗文化財
    • 19日 神楽(中福、稲荷神社)市指定・無形民俗文化財
  • 7月
    • 13日 初山(富士見町、浅間神社)
    • 第2日曜日 まんぐり(上寺山、八咫神社)市指定・無形民俗文化財
    • 15日付近の日曜日 万作(鯨井、八坂神社)市指定・無形民俗文化財
    • 第3日曜日 獅子舞(福田、星行院・赤城神社)市指定・無形民俗文化財
    • 中旬 小江戸川越花火大会(伊佐沼公園または安比奈親水公園)
    • 下旬 川越百万灯夏まつり
  • 9月
    • 1日 お炊き上げ(新宿町、雀の森神社)
    • 敬老の日前日 ほろかけ祭り(古谷本郷、古尾谷八幡神社)県指定・無形民俗文化財
    • 15日 獅子舞(古谷本郷、古尾谷八幡神社)
    • 下旬 川越市美術展(川越市立美術館
  • 10月
    • 13日 いもの日まつり・芋供養(菅原町、妙善寺)
    • 中旬 獅子舞(上寺山、八咫神社)市指定・無形民俗文化財
    • 第3日曜日とその前日の土曜日 川越祭り 国指定・重要無形民俗文化財
    • 下旬 川越産業博覧会(川越運動公園)
  • 11月
  • 12月

[編集] 宿泊施設

[編集] オブジェ

街中にオブジェ(屋外彫刻)が多い。時間を表すオブジェとしては以下のようなものがある。

  • 「時世」(平成の時の鐘として川越駅東口のロータリーにある。藤田久数作。午後6時、9時、0時に夜空に高く光を放ち、時間を告げる。北米照明学会賞)
  • 「こども川越まつり」(アトレマルヒロの駅側の入口上部に、市制施行80周年を記念し設置されたからくり時計。からくりの動作はアトレの開店時間から午後9時までの毎正時)
  • 「24MONUMENT PLAZA」(川越駅東口の広場にあるピラミッド状の日時計。高瀬昭男作)

[編集] 川越を舞台にした作品

[編集] 出身有名人

[編集] 歴史的人物

[編集] 政財界

[編集] 芸術

[編集] 芸能

[編集] スポーツ

[編集] その他

[編集] ゆかりのある人物

[編集] マスコミ

[編集] その他

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 「住みたい町」ランキング、埼玉県は川越がトップ(朝日新聞。2010年10月15日)
  2. ^ 埼玉県県立文書館のサイトより
  3. ^ 埼玉県内の主要駅乗降客数の推移
  4. ^ 川越歴史博物館のサイトより
  5. ^ 「川越市史(本編)第二巻 中世編」より
  6. ^ 桜田で豊臣秀吉方の武士に殺害されたとも
  7. ^ この間の家格親藩なので老中など幕府の役職には就いていない。
  8. ^ 埼玉ゆかりの偉人データベース 嵩 俊海 埼玉県文化振興課
  9. ^ 経済産業省の事業として、ニューヨーク日本国総領事館公邸で「小江戸川越と歌麿の世界 in ニューヨーク」などのイベントも開催されている。
  10. ^ 角川日本地名大辞典
  11. ^ 商家での児童労働は当時の川越の社会問題となっていた。
  12. ^ 広島へ投下された兵器の正体を国内でいち早く「原子爆弾」と訳し政府に報告したのは、川越市で海外放送を傍受した通信社だった(朝日新聞。2010年8月9日)[リンク切れ]
  13. ^ 埼玉県財政比較分析表
  14. ^ 川越駅西口周辺地区基本構想を策定
  15. ^ 川越狭山工業会の公式サイトより
  16. ^ Barry Duell, The Japan Times, Saturday, June 23, 2007
  17. ^ 埼玉県内商店街通行量調査 川越のサンロード、新富町が1、2位独占(産経ニュース。2010年4月5日)
  18. ^ 蔵の街川越・屋台骨は、やはり住民パワー「川越蔵の会・総務大臣表彰」(クオリティ埼玉。2011年1月17日)
  19. ^ 「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2010」が決定 大賞は高松、川越、長浜などで地方再生を手がけた西郷真理子さん(Nikkei online。2009年12月4日)
  20. ^ MIPIM、西郷真理子氏の市街地再生計画が日本初のアワード受賞(日経BP。2011年3月25日)
  21. ^ 川越の歴史生かす街計画、国が認定 最大で50%補助も(朝日新聞。2011年6月9日)
  22. ^ 「川越・一番街」の交通に関するアンケート調査結果について(埼玉大学・川越市) (PDF)
  23. ^ 川越に自転車専用通行帯 県内設置は23年ぶり(埼玉新聞。2009年6月29日)
  24. ^ 外国人観光客:7割増、昨年4万2000人(毎日新聞。2011年3月3日)
  25. ^ 川越織物市場の会のサイト
  26. ^ 旧山崎氏別邸庭園が県内初の国登録記念物へ(毎日新聞。2010年11月20日)
  27. ^ 埼玉県最萌トーナメント

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