川越市

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かわごえし
川越市
Tokinokane.jpg
川越のシンボル時の鐘
Flag of Kawagoe, Saitama.svg
川越市紋章
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
団体コード 11201-1
面積 109.16km²
総人口 349,474
推計人口、2014年5月1日)
人口密度 3,200人/km²
隣接自治体 上尾市さいたま市坂戸市狭山市
鶴ヶ島市所沢市日高市
富士見市ふじみ野市
入間郡三芳町比企郡川島町
市の木 カシ
市の花 ヤマブキ
その他 市の鳥:
市の日:12月1日
市の歌:われらの川越
川越市役所
所在地 350-8601
埼玉県川越市元町一丁目3番地1
北緯35度55分30.5秒東経139度29分8.8秒
川越市庁舎と太田道灌像
外部リンク 川越市

川越市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

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川越市(かわごえし)は、埼玉県南西部に位置する人口約35万人のである。旧・武蔵国入間郡東京都特別区部への通勤率は16.3%(平成22年国勢調査)。埼玉県内ではさいたま市川口市に次ぐ第3位の人口を擁する。中核市業務核都市保健所政令市に指定されている。

概要・歴史[編集]

江戸時代には親藩譜代川越藩城下町として栄えた都市で、「小江戸」(こえど)の別名を持つ。城跡・神社・寺院・旧跡・歴史的建造物が多く、文化財の数では関東地方神奈川県鎌倉市栃木県日光市に次ぐ。歴史まちづくり法により、国から「歴史都市」に認定されている(埼玉県内唯一の認定)。戦災や震災を免れたため歴史的な街並が残っており、市内の観光名所には年間約620万人もの観光客が訪れる観光都市である。海外の旅行ガイドブックに紹介されることも多く、最近では外国人旅行者が多い(例えばニューヨーク・タイムズ紙の「2009年トラベルガイド」の 川越特集)。

埼玉県を代表する都市の1つ。市内に大学や公立・私立の進学校が多く、埼玉県でも数少ない文教都市であり、住宅地としての人気も高い[1][2]

武蔵野台地の北端に位置し、荒川入間川が市内で合流する。地理的な要衝で平安時代には河越館豪族河越氏が興り、武蔵国筆頭の御家人として鎌倉幕府で権勢を誇った。室町時代上杉氏家宰太田道灌によって河越城が築城され、上杉氏、次いで北条氏の武蔵国支配の拠点となった。戦国時代には関東平野の覇権を決する河越夜戦の舞台となった。河越夜戦は「日本三大夜戦」とされる。江戸時代以前は江戸を上回る都市であり、「江戸の母」と称された[3]

川越城を擁する川越藩は江戸幕府の北の守りであり、武蔵国一の大藩としての格式を誇り、酒井忠勝堀田正盛松平信綱柳沢吉保など大老老中クラスの重臣や御家門越前松平家が配された。そのため、江戸時代から商工業や学問の盛んな城下町であった。川越藩の歴代藩主は武蔵野の開発に力を注いだ。「知恵伊豆」と呼ばれた松平信綱は、川越藩士の安松金右衛門に命じ、玉川上水野火止用水新河岸川の開削、川島大囲堤の築造、川越街道の改修を行い、行政手腕の秀でた柳沢吉保は、川越に召抱えていた荻生徂徠の建議を入れ、筆頭家老の曽根権太夫に命じ、三富新田の開拓などを行った。

川越藩によって殖産政策が遂行され、農産物や絹織物工芸品など市場競争力のある特産品開発がなされた。川越藩領の狭山丘陵で河越茶(狭山茶)の栽培が進められ、武蔵野の開墾地ではサツマイモの栽培が盛んになった。高林謙三が開発した「高林式製茶機械」によって狭山茶は隆盛することとなり、赤沢仁兵衛が考案した「赤沢式甘藷栽培法」によってサツマイモの収穫量は劇的に増加した。寛政年間に焼イモが江戸で大流行すると、新河岸川や入間川の舟運で江戸に出回ったサツマイモは川越芋と呼ばれ「栗よりうまい十三里」というフレーズと味の良さで持て囃され、「イモの町」のイメージも定着した。こうした領内や秩父など近郊からの物資の供給地として「江戸の台所」と呼ばれ繁栄した。

埼玉県下随一の城下町(川越藩の石高は武蔵国で最大)であったので、廃藩置県では川越県、次いで入間県県庁所在地となった。入間県は現在の東京都武蔵野市周辺から新座や秩父・熊谷本庄まで含んで発足、入間県の面積は現在の埼玉県の7割を占めていた。現在の埼玉県成立後、埼玉県内で最初に市制を施行したのは川越である(大正11年の市制施行は北海道札幌市などと同年)。明治以降も先進的な発展が続き、埼玉りそな銀行の前身であり埼玉県で唯一の国立銀行であった第八十五国立銀行の発祥地である[4]。また旧川越藩御用商人衆には横田五郎兵衛山崎豊黒須喜兵衛など豪商が多く、米穀取引所や民間による銀行(川越銀行川越商業銀行)の設立や商工会議所医師会の発足なども埼玉県内で最初である。後に川越市初代市長となる綾部利右衛門ら川越商人の強い力で、埼玉県で最初に火力発電所水力発電所を設け、埼玉県下で最初に電灯が燈った町でもある。

川越商人に加え、上広瀬村(現・狭山市)の清水宗徳が参画し、川越鉄道甲武鉄道国分寺駅との間に建設された(現在の西武新宿線西武国分寺線のルーツ)。また、綾部らの川越電気鉄道大宮との間で開通した。川越電気鉄道は蒸気機関車ではなく、その名の通り、埼玉県で最初の電車であった。川越鉄道と川越電気鉄道は最終的に合併し、西武鉄道(旧)となり、川越藩三芳野村(現・坂戸市)出身の大川平三郎(「日本の製紙王」と呼ばれ大川財閥を作った)らが役員に名を連ねた。綾部らの西武鉄道は堤康次郎武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)と太平洋戦争中に戦時合併する。一方、1902年明治35年)には綾部ら川越商人と川越商業銀行頭取で新河岸川の回漕業者でもあった福岡村(現・ふじみ野市)の星野仙蔵が、東京 - 川越間の京越鉄道の敷設を計画した。これは本社を川越に置いて発足した東上鉄道に引き継がれ、1914年大正3年)に池袋駅 - 田面沢駅(現在の川越市駅の西方にあった)間で開通した。2年後には坂戸駅まで延伸。東上鉄道は1920年根津嘉一郎東武鉄道と合併する。昭和になって軍需鉄道の八高線の建設が決まると川越商人たちが川越線建設を求める請願を行い、国策鉄道として省線の川越線が開通した。代わりに、川越 - 大宮間の電車(西武大宮線と改名)は廃線となった。

現在では、JR東武東上線川越駅は1日約19万人が乗降し(埼玉県内では大宮駅に次ぐ2位[5])、近接する西武新宿線本川越駅を併せた乗降客数は26万人を超え、東武東上線・川越市駅も併せると中心市街地に駅が3つあることになる。旧市街地の玄関は西武の本川越駅で、新市街地の玄関は東武の川越駅である。川越駅周辺は県内有数の繁華街として賑わっている(詳細データなどは「商業」の項目も参照されたい)。

東京都心 - 川越間の競合路線

新宿池袋副都心から延びる鉄道路線の多くが川越へ通じており、都心部(特に西側)で川越の文字を目にすることが多い。JR・私鉄の複数の別ルートで新宿・渋谷・池袋に乗り換えなしで行くことが可能である。

新宿からは西武新宿線の本川越行き、埼京線の川越行き、東京メトロ副都心線(東武東上線直通)の川越市行き、の3ルートがある。また池袋からは埼京線、東武東上線、東京メトロ有楽町線(東武東上線直通)の3ルート。渋谷からは埼京線、東京メトロ副都心線の2ルート。新木場へも東京臨海高速鉄道りんかい線(川越線直通)、東京メトロ有楽町線の2ルートで乗り換えなしで行くことができる。また、川越など荒川以西の県西部は歴史的には荒川対岸の浦和方面よりも多摩方面と交流があり、川越線は八高線と直通し八王子に乗り換えなしで、西武新宿線は西武国分寺線に乗り入れる列車があり国分寺に乗り換えなしで行くことができる。

室町時代より川越街道(現・国道254号)で、江戸時代より新河岸川舟運で、江戸と直結した物流の要衝であり、1971年(昭和46年)には埼玉県内で最初の高速道路として関越自動車道練馬IC - 川越IC間で完成、開通時の名称は「東京川越道路」であった。国道16号(東京環状)や首都圏中央連絡自動車道(圏央道)も通じている。

その他:

人口[編集]

Demography11201.svg
川越市と全国の年齢別人口分布(2005年) 川越市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 川越市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
川越市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 171,029人
1975年 225,465人
1980年 259,314人
1985年 285,437人
1990年 304,854人
1995年 323,353人
2000年 330,766人
2005年 333,795人
2010年 342,714人
総務省統計局 国勢調査より
  • 1886年明治19年)の調査では、川越城下の人口はおよそ15,000人。埼玉県内で唯一、人口が1万人を超えていた。
  • 1902年(明治35年)の埼玉県人口動態調査では、川越町(当時)の人口はおよそ27,000人で埼玉県内1位。2位の熊谷町は15,000人、3位の本庄町はおよそ9,000人だった。
  • 1920年大正9年)の第1回国勢調査人口では、埼玉県の総人口は約130万人。川越町はおよそ25,000人で1位。県庁所在地の浦和町(現・さいたま市浦和区)の2.5倍、大宮町(現・さいたま市大宮区)の2倍の人口を擁していた。川越町の町域は当時の市街地の一部に過ぎず、街は町域外に拡大、明治以降、人口は主に旧仙波村など隣接地で増加していった。
  • 埼玉県内の市が4市に増えた1935年昭和10年)の国勢調査では、川越市の人口は35,000人強であり、合併や市制施行を経た川口市浦和市熊谷市に次いで4番目に人口の多い市となった。
  • 一時期、人口増加のペースが落ちたものの、近年の人口増加数は首都圏で最も顕著な都市の一つである。

昼夜人口比率[編集]

昼夜人口比率は、96.51%(2005年)。

さいたま市は91.89%。また埼玉県内は所沢市の85.02%、越谷市の83.84%、上尾市の82.92%、春日部市の80.15%など、70%-80%台の市が大半である。

地理[編集]

気候[編集]

ケッペンの気候区分では温暖湿潤気候に属する。1年を通じて穏やかな気候で、年平均降水量は1320mm、年平均気温は15.8℃、年平均相対湿度は62.8%、年平均風速は2.1m/s。(数値は2009年)。

地誌[編集]

川越市中心部周辺の空中写真。
1984年撮影の13枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

都心から30km圏に属し、北緯35度55分30秒、東経139度29分08秒(市役所のある元町)。市域は東西およそ16.3km、南北およそ13.8km。標高は元町で海抜18.5m、市の南端が最も高く50.7m、東部が最も低く6.9m、標高差およそ44mである。

荒川多摩川に挟まれた地域を武蔵野台地と言い、川越はその北東端に位置する。武蔵野台地は奥秩父山地水源とする多摩川が形成した扇状地である。太古の多摩川(古多摩川)は東京都神奈川県の都県境方面ではなく埼玉県西部の入間郡を横断して流れていた(今の入間川の流路とほぼ同じ)。武蔵野台地は柳瀬川以北を特に川越台地と呼び、さらに入間川を超えた北西側を特に入間台地と呼ぶ。南西には狭山丘陵が接する(狭山丘陵も古多摩川が土砂を堆積してできた丘陵で、狭山丘陵の形成によって多摩川は後に流路を南に変えることになった)。河越館が築かれたのは入間台地の東限で、川越城が築城されたのは川越台地の北限である。川越城は地形を利用した平山城であった。1457年長禄元年)に川越城と江戸城を築城した太田道灌は、両城を結ぶ防衛ラインとして川越街道を造った。以来、川越街道より西南側へ多摩地域までが武蔵野と呼ばれる地方で、文化的な一体性がある。

川越台地を取り囲むように周囲は低地であり市内からは関東平野を囲む山々を眺めることができる。外秩父山地や武蔵野台地の武蔵野面(古多摩川が形成した高位の河岸段丘)に降った雨は、入間川や新河岸川越辺川不老川小畔川赤間川など(今では多摩川水系ではなく)荒川水系の幾多の河川を形成し、川越の町を囲むような低地に主に北西方向から南東に流れる。町は台地上に形成され、南側の台地に拡大する余地が残っており、歴史的にも南へ街が広がってきた。甲武信ヶ岳を源とする荒川は江戸時代寛永の瀬替えにより大宮台地西側を流れるようになり流量を増やした。荒川は、大持山から流れ出た入間川と当市内の古谷上で合流し、日本でも最大規模の河川敷を形成する(国道16号上江橋は河川にかかる国道の橋としては日本最長である)。このため、「外川」と呼ばれた荒川の対岸の大宮などとは歴史的にも結び付きがあまりない。

川越街道は入間川や荒川を渡ることなく江戸へ通じたので、荒川や利根川の氾濫に苦しめられた中山道に劣らず賑わった。「内川」と呼ばれた新河岸川は江戸へ向って傾斜し隅田川に合流するので、川筋が整備され舟運が盛んであった。大正時代に新河岸川は赤間川と合流され、さらに川越市街を取り巻く形となった(大正時代に新河岸川のルートに東武東上本線が建設され、舟運は廃された)。こうした河川が市内北部や東部に広大な氾濫地である荒川低地を作り出し、稲作地帯となっている。市内東部には埼玉県内最大の自然沼である伊佐沼もある。旧荒川の流路に沿って自然堤防も形成されている。こうした沖積層は、地下水位が高く軟弱な粘土やシルトが厚く分布している。

一方、武蔵野台地(川越台地・入間台地)上にある市内中心部・南部・西部は対照的に洪積台地となっており、富士山浅間山火山灰が形成した関東ローム層(立川ローム層とその下の武蔵野ローム層)の下には古多摩川が形成した比較的安定した礫層がある。関東ローム層は保水力が無く井戸水に困り、また江戸時代以前は武蔵野台地を水源とする川は石神井川や不老川など数少なく、その上、瀬切れを起こしやすく台地上では水の確保に苦労した。現在では武蔵野の雑木林の面影を残し、水はけが良いことから畑作地帯となっている。

地名の由来[編集]

直接の由来は平安時代河越館を構えた豪族河越氏[6] であるが、その由来は古来より諸説ある。

川越は古来より武蔵国の中枢で、諸方に交通の便が拓けていたが川越市街地を川が囲む形となっており、入間川を越えないとたどり着けない地であることから「河越」と称されたという説や、養寿院にある銅鐘(国の重要文化財)に「武蔵国河肥庄」という銘があり吾妻鏡にも文治2年(1186年)の記述に既に「河肥」の文字があることから入間川の氾濫によって肥沃な地であるからという説、などである。

隣接している自治体・行政区[編集]

行政[編集]

歴代市長[編集]

氏名 就任年月日 退任年月日
初代 綾部 利右ヱ門 1922年12月1日 1923年2月
2 武田 熊蔵 1923年8月1日 1927年7月31日
3 寺尾 規矩郎 1927年9月22日 1931年9月21日
4 林 寿夫 1931年10月13日 1932年1月15日
5 早川 金十郎 1932年3月1日 1935年8月13日
6 橋本 定五郎 1935年8月17日 1939年8月16日
7 伊達 徳次郎 1939年8月24日 1943年8月23日
8 渋谷 塊一 1943年9月14日 1945年3月16日
9 河合 正臣 1945年4月21日 1946年8月16日
10-15 伊藤 泰吉 1946年10月7日 1965年7月31日
16-19 加藤 瀧二 1965年9月19日 1981年1月7日
20-22 川合 喜一 1981年2月8日 1993年2月7日
23-26 舟橋 功一 1993年2月8日 2009年2月7日
27-28 川合 善明 2009年2月8日

名誉市民[編集]

財政[編集]

川越市の2012年度(平成24年度)の財政力指数 0.95であり、これは埼玉県内全40市の中で、戸田市和光市朝霞市八潮市所沢市さいたま市に次いで7番目に高い。2007年度~2010年度においては財政力指数が1.00を超えていたが、2011年度以降は1.00を下回っている[7]

行政・司法機関[編集]

国の出先機関[編集]

特殊法人の機関[編集]

県の出先機関[編集]

  • 埼玉県川越地方庁舎
    • 川越県税事務所
    • 川越農林振興センター
    • 西部教育事務所
    • 西部環境管理事務所
    • 川越比企地域振興センター
    • 埼玉県消費生活支援センター川越
  • パスポートセンター 川越支所
  • 川越県土整備事務所
  • 川越建築安全センター
  • 埼玉県下水道公社新河岸川上流水循環センター
  • 埼玉県住宅供給公社川越支所

市の機関[編集]

  • 川越市役所(川越市役所出張所設置条例(昭和36年3月29日 条例第7号)によって出張所が設置されている。なお、平成26年4月1日から「出張所」は「市民センター」に改称される予定[8]。)
    • 川越市役所芳野出張所
    • 川越市役所古谷出張所
    • 川越市役所南古谷出張所
    • 川越市役所高階出張所 2008年(平成20年)5月1日開館の複合施設「高階市民センター」内に併設
    • 川越市役所福原出張所
    • 川越市役所山田出張所
    • 川越市役所名細出張所 2009年(平成21年)11月30日開館の複合施設「名細市民センター」内に併設
    • 川越市役所霞ヶ関出張所
    • 川越市役所霞ヶ関北出張所
    • 川越市役所大東出張所
    また、出張所を補うものとして、川越市役所連絡所及び証明センター規則(平成3年7月31日 規則第26号)により以下の連絡所が設置されている。
    • 川越市役所南連絡所(以前は南公民館と併設されていたが、現在はアトレマルヒロ1階に移転している)
    • 川越市役所霞ケ関出張所川鶴連絡所(平成26年4月1日から「川越市役所川鶴市民センター」に改称予定[8]。)
    • 川越市役所本川越駅証明センター(西武本川越ペペ2階)
川越市上下水道局
川越市保健所
  • 川越市上下水道局
  • 川越市下水道管理センター
  • 川越市保健所
  • 川越駅西口土地区画整理事務所
  • 川越市道路管理事務所
  • 川越市計量検査所
  • 川越市生活情報センター
  • 川越市市民会館・やまぶき会館
  • 川越西文化会館(メルト)
  • 川越南文化会館(ジョイフル)
  • 北部地域ふれあいセンター
  • 東部地域ふれあいセンター
  • 市立美術館
  • 児童センターこどもの城
  • 川越駅東口児童館
  • 高階児童館
  • 川越駅東口多目的ホール
  • 国際交流センター
  • 女性活動支援のひろば
  • 女性会館
  • 農業ふれあいセンター
  • サンライフ川越・芳野台体育館
  • 勤労青少年ホーム(KWYC クイック)

警察[編集]

消防[編集]

広域行政[編集]

市議会[編集]

  • 議員定数:36
  • 議長:小野澤 康弘(やまぶき会)
  • 副議長:倉嶋 美恵子(やまぶき会)
  • 会派
    • やまぶき会(11人)
    • 公明党議員団(7人)
    • 自民無所属クラブ(5人)※自由民主党系
    • 日本共産党議員団(4人)
    • 民主党議員団(3人)
    • プロジェクト川越21(2人)
    • 市民フォーラム(2人)
    • みんなの党(1人)
    • 無所属(1人)

平成24年9月5日現在

再開発事業[編集]

高度経済成長期の1970年代に市政が低迷した影響で都市整備全般で中核市としては立ち遅れた水準にあり再開発が急がれる。

川越北環状線事業
市街地への車の流入を回避する環状道路の最後の整備区間として埼玉県道160号川越北環状線が工事中である。一方、坂戸市鶴ヶ島市日高市比企郡川島町など、当市の周辺自治体とを結ぶ放射状幹線道路の整備は進んでおらず(歩道の整備や拡幅)、踏切の立体交差化も進捗していない。
駅前整備事業
西部地域振興ふれあい拠点施設整備事業
埼玉県と川越市共同の大規模事業として西部地域振興ふれあい拠点施設(仮称)が川越駅西口に建設中である。県と市の発表では、川越駅西口の2.4ヘクタールの用地に、埼玉県は、産業支援の企業交流施設(6,000m²程度)・大学コンソーシアムのサテライト教室(1,000m²程度)・県地方庁舎(6,000m²程度)・多目的ホールを、川越市は市民活動センター(5,000m²程度)・オーケストラピットも備えた県内最大規模の劇場(8,000m²程度)を建設する。他に民間の商業施設を隣接地に建設する。2008年(平成20年)にPFI事業の業者選定で入札した大成建設兵庫県姫路市で不祥事を起こし、その関係で事業者選定手続が一度ストップした経緯がある。2014年度完成予定。
川越城址公園計画
川越城富士見櫓の復元計画がある。川越城址は整備されておらず、本丸跡地は初雁球場や市民プール、二の丸跡は川越市立博物館三の丸跡は埼玉県立川越高等学校、その他も宅地と化してしまっている。
中央通り沿道街区土地区画整理事業
本川越駅前から連雀町交差点まで道路を現状11mから20mに拡幅及び沿道の土地区画整理を行う事業。この通りにはクレアモールよりも小規模ながら商店街がある。一方で、中央通りには老舗も多く、伝統的な建築物の破壊も危惧されている。

姉妹都市・提携都市[編集]

「蔵の街」として知られる栃木県栃木市千葉県香取市(旧佐原市)とともに小江戸サミットを開くなど、観光面で交流している。

経済[編集]

  • 産業人口(2005年国勢調査より)
    • 就業者総数:164,573人
    • 第一次産業:3,375人 (2.1%)
    • 第二次産業:43,628人 (26.5%)
    • 第三次産業:111,160人 (67.5%)

工業[編集]

1965年(昭和40年)に狭山市とともに積極的な工場誘致を行い、当時、日本一の面積であった[10]川越狭山工業団地が完成、更に1980年代には富士見工業団地川越工業団地が造成され、市内の住工混在の解消を図っている。首都圏中央連絡自動車道川島ICに近い市内には、川越第二産業団地の整備も進んでいる。埼玉県内最大級の工業都市で、製造品出荷額も7,868億円と狭山市に次いで埼玉県内第2位(2009年)である。機械類の生産が最多であるが、化学工業が多いのも特徴である。

農業[編集]

など。

  • 江戸時代の寛政年間焼き芋が流行(それまでは蒸したサツマイモだった)、文化年間に焼き芋屋の宣伝コピーとして、「栗(九里)より(四里)うまい十三里(十三里半とも)」と謳われた程のサツマイモの名産地であった。将軍・徳川家治に献上されて「川越芋」の名がついた、と言われる。主要地は市内南西部。次第に栽培の容易な「紅あずま」やサトイモ、葉物野菜などへの作物転換が行われるようになっていったが、近年では幼稚園や小学校の「いも掘り遠足」(農業体験型の観光藷掘り)が盛んになっている。
  • 有志により「川越いも友の会」が結成され、10月13日を「サツマイモの日」に制定し、川越芋を復興する取り組みで1999年平成11年)に「サントリー地域文化賞」を受賞した。現在の会長は世界的なサツマイモ研究の権威で川越在住のアメリカ人・ベーリ・ドゥエル東京国際大学教授[11]
  • サツマイモと並んで当市の特産物であったのがで、老中の秋元喬知甲斐国から川越藩主に転封され川越で殖産政策を行って盛んになった。特に神奈川県川崎市で誕生した甘柿の禅寺丸の大産地として有名だったが、戦後廃れてしまった。
  • 現在では、南西の台地上に位置する福原・大東地区を中心に葉物野菜が、北や東の川沿い低湿地の芳野・山田・名細・田面沢、古谷を中心に稲作が行われている。当市は山地がない平坦地なため2,693haと埼玉県下最大の経営耕地面積を有する。近郊農業地域で野菜と米の出荷量が多く、当市の農業産出額は深谷市熊谷市本庄市に次いで埼玉県内第4位である(2009年)。当市は埼玉県内で商業、工業、農業の産業バランスが良い市とされ、農業従事者も埼玉県平均より青年層が多く、高齢化の割合が少ないのが特色となっている。
  • 「小江戸川越ブランド産品」の認定制度があり、小江戸川越黒豚や小江戸川越地鶏などを育てている。特産品開発の先進的な取組みを農林水産省経済産業省が共同で支援・表彰する「農商工連携88選」に、埼玉県内からは「コエドブルワリー」(地ビール)と「ひびき」(やきとり・彩の国黒豚)の当市の2社だけが選出された。2010年(平成22年)には川越城址近くにJAいるま野の「あぐれっしゅ川越」がオープン、地元農産物の大型直売センターで賑わっている。

商業[編集]

川越駅東口・クレアモール
川越マイン
丸広本店・本館クレアモール側

川越市の小売業年間商品販売額は、さいたま市川口市に次いで埼玉県内第3位である(2009年)。

メディア[編集]

地域[編集]

町名・大字[編集]

健康[編集]

  • 平均年齢:40.7歳(男39.8歳、女41.7歳)

教育[編集]

幼稚園[編集]

  • あおば幼稚園
  • あそか幼稚園
  • 岡田幼稚園
  • かすみ幼稚園
  • 霞ヶ関幼稚園
  • 川越幼稚園
  • 川越あさひ幼稚園
  • 川越白ゆり幼稚園
  • 川越なかよし幼稚園
  • 川越ひばり幼稚園
  • 川越第二ひばり幼稚園
  • 川越双葉幼稚園
  • 南双葉幼稚園
  • 川鶴ひばり幼稚園
  • 新河岸幼稚園
  • 高階幼稚園
  • 東光幼稚園
  • ながさわ幼稚園
  • のぞみ幼稚園
  • 初雁幼稚園
  • ひかりの子幼稚園
  • ひつじ幼稚園
  • 第二ひつじ幼稚園
  • 日の丸幼稚園
  • ひまわり幼稚園
  • ひまわり東幼稚園
  • ひまわり南幼稚園
  • ふくはら幼稚園
  • ふじま幼稚園
  • 藤原白百合幼稚園
  • みよしの幼稚園
  • ルンビニ幼稚園

小学校[編集]

公立
  • 川越市立高階西小学校
  • 川越市立高階南小学校
  • 川越市立大東西小学校
  • 川越市立大東東小学校
  • 川越市立中央小学校
  • 川越市立月越小学校
  • 川越市立寺尾小学校
  • 川越市立名細小学校
  • 川越市立広谷小学校
  • 川越市立福原小学校
  • 川越市立古谷小学校
  • 川越市立古谷東小学校(2009年3月31日閉校)
  • 川越市立南古谷小学校
  • 川越市立武蔵野小学校
  • 川越市立山田小学校
  • 川越市立芳野小学校
私立

中学校[編集]

公立
私立

高等学校[編集]

川越市立
埼玉県立
私立

特別支援学校[編集]

大学[編集]

当市など埼玉県西部にある各大学は彩の国大学コンソーシアムを結び単位互換制度や公開講座を実施している。

当市では、「育英資金」という奨学金制度がある。なお、本奨学金は返還義務が伴う。また、「川越市交通遺児奨学金」制度があり、本制度は小中学生対象の給付型である。

学校教育以外の施設[編集]

職業能力開発校[編集]

図書館[編集]

市内には図書館が4か所、図書配本所が2か所、図書分室が1か所ある。また都市部での移動図書館は少ない中、「やまぶき号」が2007年3月まで運行されていた。かつては、川越駅西口から徒歩5分の場所にある川越福祉センター(2008年3月15日閉館)向かいに埼玉県立川越図書館が長年運営されてきたが、2003年3月31日をもって廃止された。

  • 川越市立図書館
    • 中央図書館
    • 西図書館
    • 高階図書館
    • 川越駅東口図書館
    • 霞ヶ関北配本所
    • 高階南配本所
    • 霞ヶ関南分室

図書館の広域自治体間相互利用協定により、以下の市民にも開かれている。

博物館・美術館[編集]

公民館[編集]

市内には公民館が17か所と常勤職員が常駐しない分館が1か所、分室が1か所ある。またこの他に町内公民館と定義づけされた自治会集会所がある。

なお、名細公民館の分館として長く使用された川越市下広谷南公民館は名細公民館の移転に伴って廃止された。

  • 単立館・併設館
    • 川越市中央公民館
    • 川越市南公民館
    • 川越市北公民館
    • 川越市芳野公民館 芳野出張所と併設
    • 川越市古谷公民館 古谷出張所と併設
    • 川越市南古谷公民館 南古谷出張所と併設
    • 川越市高階公民館 2008年(平成20年)5月1日開館の複合施設「高階市民センター」内に併設
    • 川越市高階南公民館
    • 川越市福原公民館 福原出張所・福原コミュニティセンターと併設
    • 川越市大東公民館 大東出張所と併設
    • 川越市大東南公民館
    • 川越市山田公民館 山田出張所と併設
    • 川越市名細公民館 2009年(平成21年)11月30日開館の複合施設「名細市民センター」内に併設
    • 川越市霞ヶ関公民館 霞ヶ関出張所と併設
    • 川越市霞ヶ関北公民館
    • 川越市伊勢原公民館 霞ヶ関北小学校・西図書館と併設
    • 川越市川鶴公民館 川鶴連絡所と併設
  • 分館・分室
    • 川越市さわやか活動館
    • 川越市中央公民館分室(小泉八雲ゆかりの建物を大正時代に川越に移築した屋敷)

公共福祉施設[編集]

市内には市民会館が1か所、文化会館が2か所、運動公園、武道館、葬祭場が各1ヶ所ある。施設の運営維持管理は 財団法人川越市施設管理公社 が行っている。また、文化会館の小規模なものとして住民管理方式を取り入れた地域ふれあいセンターが2か所ある。なお、1974年11月11日より33年余りにわたって運営されてきた 川越福祉センター(川越駅西口徒歩5分)は、2008年3月15日をもって廃止された。

  • 川越市市民会館・川越市市民会館やまぶき会館
  • 川越南文化会館(ジョイフル)
  • 川越西文化会館(メルト)
  • 川越運動公園
    • 総合体育館
    • 陸上競技場
    • テニスコート
  • 川越武道館
  • 川越福祉センター
  • 川越市民聖苑やすらぎのさと
  • 川越市北部地域ふれあいセンター(川越市山田)
  • 川越市東部地域ふれあいセンター(川越市並木、川越税務署隣)

電話番号[編集]

市外局番049であり、坂戸市、鶴ヶ島市、富士見市(水谷東二丁目・三丁目以外)、ふじみ野市、入間郡全域、比企郡川島町、鳩山町と同一(川越MA)。荒川左岸の古谷上の一部は048

郵政[編集]

郵便番号は市内全域が「350-00xx,08xx,11xx」である。

主な郵便局

娯楽・レジャー施設[編集]

映画館[編集]

閉館した映画館

ゴルフ場[編集]

その他[編集]

交通[編集]

古くから入間地区の交通の要衝として位置づけされていた為、周辺各都市への交通が中心部から放射状に発達しているものの、市内環状方向の交通の整備や、主要道路の拡幅が今後の課題。また鉄道各駅付近には市営駐輪場(有料または無料)があり、自転車と公共交通機関のパークアンドライドが整備されているのも特徴である。

鉄道路線[編集]

中心駅:;川越駅

なお、西武新宿線の列車の愛称は川越市にちなんだ名称になっている。(特急「小江戸」号、快速急行「川越」号)

廃線[編集]

休止路線[編集]

西武鉄道の前身、西武鉄道(旧)1925年大正14年)に、入間川からの砂利輸送が目的で南大塚駅から安比奈線を開通させた。入間川には、安比奈線と埼玉県営鉄道の2つが対岸の東武と西武の駅から向かい合うように延びていた。

1950年(昭和25年)に電化され蒸気機関車から電気機関車に変ったが、その貨物輸送も1967年(昭和42年)で廃止された。なお、現在でも休止路線扱いである。

バス[編集]

小江戸巡回バス

タクシー[編集]

タクシーの営業区域は県南西部交通圏で、所沢市東松山市飯能市和光市などと同じエリアとなっている。

道路[編集]

国道254号線富士見川越バイパス

町並み保存[編集]

住宅団地[編集]

  • 初雁団地
  • 新宿町団地
  • 川越西山住宅(笠幡)
  • 川越北谷住宅(岸町)
  • 川越岸町やまぶき住宅
  • 川越久下戸住宅
  • 川越月吉町団地
  • 川越月吉町住宅
  • 川越今泉住宅
  • 川越今福住宅
  • 川越山田住宅
  • 川越小中居住宅
  • 川越小堤住宅
  • 川越東坂上住宅 (新宿町)
  • 川越神明町住宅
  • 川越仙波町住宅
  • 川越的場住宅
  • 川越藤原住宅
  • 川越南大塚住宅
  • 川越グリーンパーク(古谷上)
  • ファミリータウン春日(小堤)
  • 住友川越霞ヶ関分譲地(現・上戸新町)
  • 東急霞ヶ関ニュータウン(現・霞ヶ関東2~5丁目)
  • かわつる三芳野団地
  • 川鶴団地
  • いせはら団地
  • 霞ヶ関角栄団地 - 角栄建設(現・ジョイント・レジデンシャル不動産)造成の団地
  • UR川鶴グリーンタウン(むさし緑園都市川越・鶴ヶ島地区)
  • UR川越ニューシティいせはら(むさし緑園都市霞ヶ関)

観光[編集]

世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」と謳われ、年間620万人の観光客を集めている。NHK大河ドラマが「春日局」、「葵 徳川三代」、「義経」、「風林火山」など、当市にも関係するテーマだと観光客が増える。

海外から来日した国賓にも日本の代表的な町並みとして紹介されており、2007年3月28日には今上天皇夫妻がスウェーデン国王カール16世グスタフ夫妻を案内し、西武新宿線お召し列車行幸した。

当市は国土交通省観光ルネサンス事業に指定され、外国人富裕層の誘致促進の観光振興策を実施している。外国人観光客向けプロモーションビデオのコンペ「小江戸川越ビデオ大賞」も行い、優秀作は海外に配信している。当市は東京近郊で交通至便、江戸情緒を実体験できる町として人気があり、外国人観光客は年間4万人超となっている[20]韓国の人気番組「私たち結婚しました」のロケ地となるなど、外国メディアに登場することも増えている。

2008年2月からは、川越商工会議所を中心に小江戸川越検定が行われており、市外からも多くの人が受検している。

路地の光景
蔵造りの町並み
喜多院の「五百羅漢」

名物・特産[編集]

  • サツマイモ
    江戸時代から特産品。飢饉の時の非常食であったサツマイモを美味な商品作物にまで育てたのは川越で、今では川越芋の生産量は減ったが、サツマイモの加工基地となっている。川越芋は、火が通りやすく芋きんとんなど加工すると美味になる品種で、芋せんべいや芋羊羹芋松葉、芋納豆、芋シュー、二色芋ババロア、芋プリンなど豊富。川越の「芋菓子」は草加煎餅五家宝とともに「埼玉三大銘菓」とされる[21]。黄色い「芋ソフトクリーム」は川越発祥。イモ菓子だけでなくイモ料理も名物で、「サツマイモを食すなら川越で」と言われた天保年間から豊富な料理を築いてきた。芋うどん、芋おこわは定番。「えぷろん亭」、「源氏家」はオリジナルのサツマイモ料理。「いも膳」は、いも懐石で知られ「サツマイモ資料館」を2008年(平成20年)まで開館していた(閉館後、資料は川越市立博物館に寄贈)。
  • 和菓子
    川越名菓「亀の最中」の「亀屋」は1783年天明3年)創業で旧川越藩御用達。「亀屋栄泉」、「くらづくり本舗」、「芋十」、「東洋堂」、「道灌」、「紋蔵庵」、「稲葉屋本舗」など1世紀を経た老舗が揃う。亀屋栄泉には「芋菓子の歴史館」もある。
  • 川越団子
    川越だんごは甘くない醤油味の焼きだんごで歯応えがある。寛永年間には城下の社交場として定着しており、今でも街中に店が多い。安政年間創業の「成田山だんご」や1861年文久元年)創業の「田中屋」など。
  • 煎餅
    生地から手作りの手焼きせんべいの店が「塩野」、「大玉や」など街中にある。川越煎餅は伝統的に醤油味の塩せんべいである。「せんべい・あられは鉄火焼」のCMのホンダ製菓は当市生まれの会社で本社・工場・直売所も全て市内にある。
  • 漬物豆腐蒟蒻なども江戸時代からの名物。
  • 川越茶
    円仁(慈覚大師)が川越で栽培したのが狭山茶のルーツ。昔は河越茶といった。群書類従所収の南北朝時代異制庭訓往来に既に「日本5大銘茶」として河越茶の名が記されている。
  • 素麺
    川越は江戸時代は小麦の大産地で、川越そうめんは新河岸川舟運で将軍家に献上され続けた名産品。かつての高沢町には、そうめん屋が軒を連ねていた。「川越舟運亭」など。
  • うなぎ蒲焼
    入間川など、市内の河川で良質の鰻が取れたことから昔から鰻料理で有名。「小川菊」は1809年文化6年)の創業。「いちのや」は1832年天保3年)創業。「東屋」、「小川藤」なども明治初期からの老舗。
  • 懐石会席料理
    料亭の町」とも言われた。川越藩の貴賓館であった関東有数の豪商・横田五郎兵衛の1000坪の別邸を料亭にした「山屋」、文人墨客に利用されてきた1868年(明治元年)創業の「初音屋」など。
  • 洋食
    「吉寅」は1877年明治10年)創業のすき焼きの老舗。国の登録有形文化財の洋館の「太陽軒」は大正期の洋食。「楽天」は1932年(昭和7年)に初めてとんかつと名付けた東京・上野の「楽天」の唯一の支店(上野本店は今は無い)。
  • 蕎麦
    古くから蕎麦の栽培に適した土地で、江戸の影響を受け継いで蕎麦屋が多く喜多院の参道などに蕎麦屋が目立つ(茶そばの「寿庵」など)。「百丈」は店舗が国の登録有形文化財に登録。
  • 醤油地酒
    天保年間創業の「松本醤油」、1789年寛政元年)創業の「笛木醤油」など天然醸造の醤油作りが残る。「小江戸鏡山酒造」は地酒「鏡山」の造り酒屋芋焼酎三芳町で栽培された川越芋を原料とする川越いも焼酎「富の紅赤」がある。
  • 地ビール小江戸ブルワリー
    COEDOビールは地元川越名産のサツマイモを原料としている。ドイツの名門ブラウマイスター仕込みのプレミアムクラフトビールで、モンドセレクションで最高金賞をダブル受賞、iTQi コンテストでは日本のビールで初めて最高のクリスタルテイストアワードを獲得、ヨーロピアンビアスターアワードでは2010年に国産ビールで初の金賞を受賞。北米オーストラリアなど海外輸出も行っており、アメリカではグルメスーパーホールフーズ・マーケットでも販売されている。
  • 武蔵野うどん
    当市から東京都武蔵村山市にかけての武蔵野台地は江戸時代から「手打ちうどん」(武蔵野うどん)の本場で、「ざるうどん」の店は市街地の周辺に多い。製麺所も点在し、入間地方で食べられている「よもぎうどん」も作られている。
  • ラーメン
    ラーメン店が多い激戦区である。中でも「頑者」はつけ麺ブームの火付け役で、テレビ・雑誌などのマスメディアに登場する機会も多く、新横浜ラーメン博物館にも支店を出している。
  • B級グルメ
    川越太麺焼きそばがある。もんじゃ焼きなど。東松山みそだれ焼きとりの「ひびき」の本社は当市にある。
  • 箪笥
    寛永年間に藩主の松平信綱が興した川越の地場産業で、桐箪笥発祥の地である。大火の多い江戸で重宝された。川越の桐箪笥は島村利正の小説『桐の花』でも描かれている。皇后美智子のご成婚で桐箪笥を納めた天保年間創業の「桔梗屋」が有名。
  • 唐桟織
    川越絹など織物の一大産地だった川越だが、唐桟(とうざん)は江戸時代に南蛮から入ってきた縞木綿で、粋で高価な唐桟は江戸で一世を風靡した。川越商人はいち早く量産化に成功して川越唐桟(川唐)と呼ばれている。川唐は近年メディアで特集されることが多くなっている。

名所[編集]

博物館・美術館については、「博物館・美術館」の項目を参照。

  • 時の鐘
    川越のランドマーク。寛永年間に藩主だった酒井忠勝が建立した鐘楼。現在の鐘楼は1893年明治26年)の川越大火の翌年に再建されたもの。この再建に際しては晩年を川越で過ごした渋沢栄一の資金援助や明治天皇からの下賜金を受けた。3層構造の塔で、高さは16メートル。400年近くにわたって川越城下に時を知らせており、今も機械式で一日4回、銅鐘を打っている。環境省選定の「日本の音風景100選」。
  • 川越一番街
    蔵造りの街並みが残る。福島県喜多方市岡山県倉敷市とともに「日本三大蔵の町」。川越城西大手門跡の先にある高札場であった「札の辻」を中心とした一帯が藩主・松平信綱の時代から商人地区の上五ヶ町。町の3分の1を焼失した1893年(明治26年)の川越大火で焼け残ったのが江戸期の蔵造り建築であったので、その後、各商家が倣った。かつては200棟を超える蔵造りの町屋が建ち並び、川越商人の財力を示した。高価な黒漆喰をふんだんに用いているのが川越の見世蔵の大きな特徴である。
    現在は資料館、ギャラリー、個性的なカフェなどに利用されていることも多い。川越藩士であった橋本雅邦のコレクションがある「山崎美術館」、「服部民俗資料館」、川越藩御用絵師・船津蘭山の「蘭山記念美術館」、「松下紀久雄むかし絵美術館」などがある。1792年寛政4年)に豪商の西村半右衛門によって建てられた「大沢家住宅」は現存する関東地方最古の蔵造りで、国の重要文化財。「陶舗やまわ」は蔵と店を繋ぐトロッコがありNHK連続テレビ小説つばさ」の舞台「甘玉堂」となった。川越一番街は夜にライトアップされることがある。
  • 大正浪漫夢通り
    かつては「銀座商店街」と呼ばれるアーケード街であったが、近年に撤去。大正時代の家並みや石畳の商店街。レトロな建物の多くが映画「陰日向に咲く」「免許がない!」、ドラマ「相棒」「菊次郎とさき」などの撮影舞台になっている。
  • 菓子屋横丁
    1796年(寛政8年)に江戸菓子を製造したのが始まり。江戸時代は「あめ屋横丁」と呼ばれた。関東大震災で被害を受けた東京に代り駄菓子を製造供給するようになり、昭和初期には70軒ほどの業者が軒を連ねていた。現在では20軒ほどまで減少したが、昭和の雰囲気を残し修学旅行のリハーサルで訪れる学校も多い。飴細工や麩菓子、駄菓子、横丁たこせんが人気。環境省の「かおり風景100選」に選定されている。「駄菓子の資料館」もある。横丁近くの路地には堀が廻らせてあり、ニシキゴイが泳いでいる。
  • 立門前通り
    蓮馨寺の門前町として戦前は川越で一番賑わった通り。1899年明治32年)に完成した旧「鶴川座」は首都圏唯一の木造芝居小屋の遺構。日本に残る唯一の木造織物市場建築[22]である旧「川越織物市場」など、レトロな建造物が多く残り、最近はこの周辺が市民による保存運動の焦点となっている。川越織物市場は映画「無法松の一生」のロケ地。連続テレビ小説「つばさ」のタイトルバックはこの一帯で、最近はCMの撮影も増えている。
  • 喜多院
    川越大師。関東天台総本山淳和天皇の勅で慈覚大師円仁によって830年天長7年)に創建された。徳川家康のブレインであった天海(慈眼大師)によって隆盛を極め、家康も論議を聴きに参詣した。家康の命で藩主の酒井忠利によって大伽藍が建立された。狩野吉信職人尽絵屏風など多くの国の重要文化財を有する。1638年寛永15年)の川越大火でほとんどが焼け落ち、「徳川家光誕生の間」「春日局化粧の間」など江戸城紅葉山にあった建物の一部が徳川家光の命でここに移築され、重要文化財として往時の江戸城の貴重な遺構を今に伝えている。一方、東京都台東区上野桜木寛永寺根本中堂は喜多院の本地堂を移築したものである。五百羅漢1782年天明2年)から半世紀を費やして造られ日本三大羅漢の1つ。小堀遠州流枯山水庭園がある。松平大和守家7代のうち川越で没した5人の藩主の廟所もある。毎年1月3日の初大師の日にだるま市が開かれ、その日だけで30万人以上の人出がある。
  • 中院
    天台宗別格本山。喜多院と同じく円仁によって830年に創建されたと伝える。かつては喜多院(北院)より隆盛を誇った。天台教学の関東での中心地で古文書を多く所蔵する。島崎藤村に縁が深く、その茶室もある。川越茶(狭山茶)はここがルーツで、その起源を記した「狭山茶発祥の地碑」がある。しだれ桜も有名。
  • 仙波東照宮
    本殿、拝殿、石鳥居、随身門、唐門など国の重要文化財。日本三大東照宮の1つ。徳川家康の遺骸は久能山から日光へ運ばれる途中、天海によりこの地が選ばれ四日間にわたって家康の法要はここで行われた。国の重要文化財である岩佐又兵衛三十六歌仙額がある。徳川家光の命で仙波東照宮創建の造営奉行となった老中で川越藩主の堀田正盛以降の歴代藩主奉献の灯篭も並ぶ。童謡「あんたがたどこさ」はここが発祥と言われている。
  • 川越城(初雁城)
    上杉持朝の居城として家宰の太田道真道灌父子が1457年長禄元年)に築城。関東七名城日本100名城の1つ。本丸御殿は江戸時代後期の藩主・松平斉典の建立。入間県県庁舎ともなった。本丸御殿大広間が現存しているのは、日本では川越城の他には高知城のみで、貴重な遺構である。富士見櫓跡なども残っている。川越城中ノ門堀跡は、2010年(平成22年)に整備された。川越市役所前(川越城西大手門跡)に太田道灌の立像がある。
  • 三芳野神社
    初雁天神。童謡「通りゃんせ」の元となった神社。807年大同2年)に平城天皇の創建と伝わる。995年長徳元年)には一条天皇により菅原道真も配祀された。かつての川越城内に位置した「お城の天神さま」で喜多院、仙波東照宮とともに江戸幕府の直営社であった。三芳野神社に行くには城の門番に特別の許可を貰わねばならず、細道とは社殿に至る参道で、その様子が童謡に歌われたものである。三芳野神社にある「初雁の杉」が初雁城(川越城の別名)の由来となった。東京都千代田区平河町平河天満宮は、三芳野神社を川越城の守護神として崇敬した太田道灌がここから分祀したものである。
  • 浮島神社
    浮島稲荷神社。「うきしま様」と呼ばれ安産の神として親しまれている。太田道真の密生した湿地帯であるこの地に川越城を築城する際、城地守護のために祀ったのが由来である。川越城七不思議に纏わる神社である。
  • 日枝神社
    円仁(慈覚大師)が喜多院鎮守として日吉大社勧請したもの。本殿は国の重要文化財。山王祭で有名な東京都千代田区永田町日枝神社は、太田道灌が川越のこの日枝神社から分祀したもの。江戸時代を通して幕府の厚い保護を受けた。
  • 成田山川越別院本行院
    川越不動。成田山新勝寺の全国初の別院で真言宗。毎月28日には蚤の市(骨董市)で賑わう。また骨董市に合せて、絹織物の大産地だった文化を守ろうとNPO法人によって「川越きもの散歩」が毎月行われている。11月には火渡り祭が行われ、12月にはギリヤーク尼ヶ崎の公演が境内で行われている。
    川越にまつわる資料・文化財の調査・蒐集・展示を行っている民間の川越歴史博物館はこの別院の正面にある。川越歴史博物館は河越太郎重頼の長覆輪太刀などを貴重な品を所蔵している。
  • 東明寺
    一遍上人建立の時宗の寺院。河越夜戦激戦地跡で、河越夜戦は「東明寺口合戦」とも呼ばれ、境内に河越夜戦記念碑がある。将兵の遺骸を納めた富士塚が残っている。ここで戦死した難波田憲重の霊を祀った天満宮もある。
  • 氷川神社
    欽明天皇の即位2年(541年)に氷川神を勧請したと伝える。太田道灌以来、川越の総鎮守で歴代藩主が篤く信仰した。関東三大祭りの1つである川越祭りは「川越氷川祭」であり、氷川神社の祭礼である。朱塗りの大鳥居は木造としては日本最大で、扁額は勝海舟の書。境内には柿本人麻呂を奉る人麻呂神社や、江戸城二の丸にあった東照宮本殿を移築した八坂神社もある。8月には薪能も行われる。縁結びの神様として知られ近年は外国人の参拝が多い。
  • 養寿院
    曹洞宗の古刹で河越経重の開基。河越太郎重頼の墓がある。1260年文応元年)に造られた銅鐘は国の重要文化財で、鎌倉高徳院の「長谷の大仏」(国宝)と同じ丹治久友の作である。
  • 蓮馨寺
    1549年天文18年)、河越城主・大道寺政繁の母・蓮馨によって開基。開山は感誉存貞上人。代々、高僧が住職を勤め、感誉上人の他にも徳川家康の帰依を受けた源誉存応上人など、蓮馨寺の住職は徳川家菩提寺である東京・増上寺法主となった。江戸時代には、浄土宗関東十八檀林の1つとして幕府の僧侶養成機関だった。今は下町情緒を残した子育て・無病息災の寺で、毎月8日には「呑龍上人縁日」が行われる。
  • 川越八幡宮
    川越一宮1030年長元3年)、源頼信平忠常の乱平定の祈願をここで行い、戦勝に感謝して創祀したもので、河越氏に縁が深く、江戸時代を通じ川越城主の篤い崇敬があった。今上天皇生誕を記念して1933年(昭和8年)に境内に植樹された縁結び銀杏がある。境内社に民部稲荷神社があり、足腰を強くするという御利益で、箱根駅伝出場選手が参拝に訪れる。また民部稲荷神社は相撲稲荷とも言い、「まんが日本昔ばなし」でも放送された「老狐物語」の伝説が残る。
  • 熊野神社
    1590年天正18年)に然誉文応僧正が紀州熊野から勧請。毎年12月3日には酉の市で賑わう。鎌倉宇賀福神社と同じ祭神が祭られているため銭洗弁天がある。
  • 河越館
    国の史跡。河越館跡史跡公園となって整備された。平安時代末期から室町時代にかけて武蔵国で勢力を張った豪族・有力御家人であった河越氏の館跡。河越能隆がこの地に移住し河越氏となった。戦国時代初期には、扇谷上杉家上杉朝良が城主を務める河越城に対峙するために、山内上杉家上杉顕定が陣所(上戸陣)を7年間も張ったところでもある。また、館跡の一角にある常楽寺時宗の古刹で、河越城主だった大道寺政繁小田原征伐で降伏、豊臣秀吉の命で自害したところである。源義経とその正室の京姫(郷御前河越重頼の娘)の供養塔もある。
  • 永島家住宅
    川越城南大手門跡近くにある武家屋敷川越藩御典医の屋敷で、埼玉県内で唯一の武家屋敷遺構である。枳殻生垣は川越藩の特徴であった。
  • 旧戸田家住宅
    伊佐沼公園に「伊佐沼庵」として移築されている。江戸時代に福原地区に建てられた萱葺きの古民家で馬屋を持ち、民具・農具なども残り、武蔵野の農家の江戸時代の暮らしを伝える貴重な資料である。
  • 新河岸川河岸場跡
    舟運の船着場跡では最も城下町寄りの仙波河岸が史跡公園になっている。江戸時代以来の川越五河岸には、船問屋の「伊勢安」跡がある。
    新河岸川の旧赤間川部分で舟運を再興しようという動きがあり、濯紫公園(たくしこうえん)を基点に約2kmの観光舟運の試航がされている。濯紫公園は藩主・柳沢吉保の家老・山東小市郎の別邸「濯紫園」跡で現在は親水公園。ただし、観光舟運の区間は江戸時代以来の新河岸川舟運が行われていた区間ではない。
  • 日本聖公会川越キリスト教会
    1889年明治22年)に建立された聖公会の教会で、埼玉県最初のキリスト教会。日本聖公会では北関東教区で最初の教会でもある。1878年(明治11年)、アメリカから帰国したばかりの横山錦柵(最初に自転車に乗った日本人とされる)によって川越で伝道が始められた歴史を持つ。川越大火で失われたが、1921年(大正10年)に再建された現建物もゴシック様式の赤煉瓦造り(日本煉瓦製造)で、国の登録有形文化財に登録されている。設計はアメリカの聖公会から派遣され、池袋に移転した立教大学の諸聖徒礼拝堂(チャペル)の設計管理も担当したウィリアム・ウイルソン。再建資金はニューヨーク大学のピーターソン教授夫妻の寄付金に多くを負った。
  • カトリック川越教会
    1892年(明治25年)より川越で宣教をしていたフランスのパリー外国宣教会司祭プラシード・メイランによって1912年(大正元年)にカトリック教会が建立され、埼玉県で最初のカトリックの小教区が誕生した。1933年(昭和8年)には白亜の聖堂が完成した。戦前はフランシスコ修道会カナダ管区の担当する教会となった。美しい教会で平成になって改築され、埼玉景観賞を受賞している。
  • 八十五銀行本店(現・埼玉りそな銀行川越支店)
    川越のシンボルの1つ。1918年(大正7年)に建てられた洋館で、埼玉県内では最も早く国の登録有形文化財に登録された。銀行の看板なども周囲の景観に合わせた色合いにして営業している。設計は保岡勝也。昭和30年代まではこの本店隣(現在は埼玉りそな銀行の駐車場)に川越貯蓄銀行の本店もあり、洋館が2つ並んでいたが、そちらは取り壊されてしまった。「日本の電力王」と呼ばれた福澤桃介は川越で成長したが、父親がここで書記の仕事をしていた。
  • 武州銀行川越支店(現・川越商工会議所)
    国の登録有形文化財。高島屋日本橋店や資生堂本店、京都市美術館などを設計した前田健二郎の設計で、メダリオンやドーリア式の柱に趣がある。少年時代を川越で過ごした澁澤龍彦は、父親がこの支店長だった。
  • 旧山吉デパート
    山吉デパートが1936年(昭和11年)に増築した洋館。近年修復された。設計は保岡勝也。山吉デパートは1923年(大正12年)にオープンした埼玉県内最初の百貨店で、秩父市の矢尾百貨店より1年早かった。江戸時代から続く呉服商で川越渡辺銀行を創立した渡辺吉右衛門がオーナーで、エレベーターや屋上庭園もある高級デパートだった。1942年(昭和17年)に戦争のため閉館。戦後は1951年(昭和26年)から1964年(昭和39年)まで丸木百貨店(現・丸広百貨店川越店)となった。隣接して、1915年(大正4年)に建てられた洋館・旧「田中屋美術館」もある。
  • 旧山崎氏別邸庭園
    これも当市に縁の深い保岡勝也の設計で、ステンドグラスが美しい洋館と数寄屋造りの和室が融合した主屋。枯山水茶庭から成る庭園は、埼玉県内で初の国の登録記念物(名勝地)に登録された[23]1926年(大正15年)の完成以来、川越に来た皇族の宿泊所としても用いられ、李氏朝鮮の最後の皇太子李垠も滞在し、その碑がある。現在は市の所有で不定期に公開される。
    当市は蔵造りだけでなく街中にいくつも洋館が残っている。国の登録有形文化財としては、旧六軒町郵便局の特徴ある赤屋根の木造洋館がある。
  • 藤間流発祥の地碑
    日本舞踊五大流派の1つ藤間流は、入間郡藤間村(現・川越市藤間)出身の初代・藤間勘兵衛が、宝永年間に江戸に出、出身地の藤間の名を冠した藤間勘兵衛を名乗り、歌舞伎の振り付けを始めたことに由来する。武者小路実篤の「武蔵野に生きている藤間の里」という直筆の碑もある。
  • 正岡子規句碑
    正岡子規帝国大学在学中の1891年(明治24年)に川越を旅した際に詠んだ歌が石碑になっている。当市にはこうした文学碑が少なくない。

    砧うつ隣に寒き旅寝哉

  • 川越の「自由の鐘」
    1951年(昭和26年)4月8日喜多院境内で在日米国ボーイスカウト第3隊グランドハイツ(朝霞市)と川越ボーイスカウト第2団による日米ボーイスカウト交歓キャンプが開催された。これを記念して、米国側からは「自由の鐘」、川越側からは刺繍の隊旗が互いに寄贈された。この「自由の鐘」にはアメリカボーイスカウト連盟 (BSA) のマークが、添えられたプレートにはこの鐘の由来が綴られており、現在は川越市民会館脇に建てられている。川越はスカウト運動が盛んで川越ボーイスカウトは埼玉県内最古の1つ、カブスカウトの設立も埼玉県内最初である。
  • 小江戸川越七福神めぐり
    当市は七福神を祀る寺院が多く天海の江戸時代より七福神めぐりが起こり、現在も市民・観光客で賑わう。

主要祭事[編集]

川越歳時記[編集]

新河岸川桜まつりの舟遊び
  • 1月
    • 3日 初大師(だるま市)(喜多院
    • 9日 一升講(鯨井 春日神社)
    • 成人の日前日 餅つき踊り(南大塚、西福寺)県指定無形民俗文化財
    • 15日 筒粥の神事(石田、藤宮神社)市指定無形民俗文化財
  • 2月
    • 11日 弓取式(下老袋、氷川神社)県指定無形民俗文化財
  • 3月
    • 春分の日21日 ふせぎ(芳地戸、尾崎神社)市指定無形民俗文化財
    • 下旬 新河岸川桜まつり(新河岸川河川敷)
    • 下旬 小江戸川越春まつり(5月の春まつり民踊大会まで市内各所で祭りが続く)
  • 4月
    • 第2日曜日 万作(老袋、氷川神社)県指定無形民俗文化財
    • 14日 足踊り(南田島、氷川神社)市指定無形民俗文化財
    • 15日 祭ばやし(今福、菅原神社)県指定無形民俗文化財
    • 15日 祭ばやし(中台、八雲神社)県指定無形民俗文化財
    • 第3土・日曜日 ささら獅子舞(石原町、観音寺)県指定無形民俗文化財
    • 19日 神楽(中福、稲荷神社)市指定無形民俗文化財
  • 7月
    • 13日 初山(富士見町、浅間神社)
    • 第2日曜日 まんぐり(上寺山、八咫神社)市指定無形民俗文化財
    • 15日付近の日曜日 万作(鯨井、八坂神社)市指定無形民俗文化財
    • 第3日曜日 獅子舞(福田、星行院・赤城神社)市指定無形民俗文化財
    • 中旬 小江戸川越花火大会(伊佐沼公園または安比奈親水公園)
    • 下旬 川越百万灯夏まつり
  • 9月
    • 1日 お炊き上げ(新宿町、雀の森神社)
    • 敬老の日前日 ほろかけ祭り(古谷本郷、古尾谷八幡神社)県指定無形民俗文化財
    • 15日 獅子舞(古谷本郷、古尾谷八幡神社)
    • 下旬 川越市美術展(川越市立美術館
  • 10月
  • 11月
  • 12月

宿泊施設[編集]

オブジェ[編集]

街中にオブジェ(屋外彫刻)が多い。時間を表すオブジェとしては以下のようなものがある。

  • 「時世」(平成の時の鐘として川越駅東口のロータリーにある。藤田久数作。午後6時、9時、0時に夜空に高く光を放ち、時間を告げる。北米照明学会賞)
  • 「こども川越まつり」(アトレマルヒロの駅側の入口上部に、市制施行80周年を記念し設置されたからくり時計。からくりの動作はアトレの開店時間から午後9時までの毎正時)
  • 「24MONUMENT PLAZA」(川越駅東口の広場にあるピラミッド状の日時計。高瀬昭男作)

川越を舞台にした作品[編集]

出身有名人[編集]

歴史的人物[編集]

政財界[編集]

芸術[編集]

芸能[編集]

スポーツ[編集]

その他[編集]

ゆかりのある人物[編集]

マスコミ[編集]

その他[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “埼玉県は「川越」がトップ 「住んでみたい」街ランク、順位が変動 長谷工アーベスト”. asahi.com (朝日新聞社). (2010年10月15日). http://www.asahi.com/housing/jutaku-s/JSN201010150006.html 
  2. ^ 「2012年版 住んでみて良かった街ランキング」
  3. ^ 川越市役所前の太田道灌像の碑文より
  4. ^ 埼玉県県立文書館のサイトより[リンク切れ]
  5. ^ 埼玉県内の主要駅乗降客数の推移(ぶぎん地域経済研究所) (PDF)
  6. ^ 川越歴史博物館のサイトより
  7. ^ 総務省「地方公共団体の主要財政指標一覧」
  8. ^ a b 広報川越1314号(2014年3月10日) 7ページ目「出張所・川鶴連絡所が市民センターになります」
  9. ^ 川越駅西口周辺地区基本構想を策定
  10. ^ 川越狭山工業会の公式サイトより
  11. ^ “Barry Duell” (英語). The Japan Times Online (ジヤパンタイムズ). (2007年6月23日). オリジナル2007年10月13日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20071013174130/http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/fl20070623vk.html 
  12. ^ “埼玉県内商店街通行量調査 川越のサンロード、新富町が1、2位独占”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2010年4月5日). http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/saitama/100405/stm1004052055008-n1.htm [リンク切れ]
  13. ^ 2020年東京五輪決定 ゴルフ会場は霞ヶ関カンツリー倶楽部
  14. ^ 蔵の街川越・屋台骨は、やはり住民パワー 「川越蔵の会・総務大臣表彰」”. クオリティ埼玉. 日本電子新聞社 (2011年1月17日). 2011年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月3日閲覧。
  15. ^ 「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2010」が決定 大賞は高松、川越、長浜などで地方再生を手がけた西郷真理子さん”. 日経ウーマンオンライン. 日経BP社 (2009年12月4日). 2013年6月3日閲覧。
  16. ^ 【MIPIM】西郷真理子氏の市街地再生計画が日本初のアワード受賞”. 日経不動産マーケット情報. 日経BP社 (2011年3月25日). 2013年6月3日閲覧。
  17. ^ “川越の歴史生かす街計画、国が認定 最大で50%補助も”. asahi.com (朝日新聞社). (2011年6月9日). オリジナル2011年9月28日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20110928122111/http://mytown.asahi.com/areanews/saitama/TKY201106080452.html 
  18. ^ 「川越・一番街」の交通に関するアンケート調査結果について(埼玉大学・川越市) (PDF)
  19. ^ “川越に自転車専用通行帯 県内設置は23年ぶり”. Web埼玉 (埼玉新聞社). (2009年6月29日). オリジナル2009年6月30日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20090630165647/http://www.saitama-np.co.jp/news06/29/09x.html 
  20. ^ “外国人観光客:7割増、昨年4万2000人”. 毎日jp (毎日新聞社). (2011年3月3日). http://mainichi.jp/area/saitama/archive/news/2011/03/03/20110303ddlk11020253000c.html [リンク切れ]
  21. ^ 埼玉県物産観光協会
  22. ^ 川越織物市場の会のサイト
  23. ^ “旧山崎氏別邸庭園が県内初の国登録記念物へ”. 毎日jp (毎日新聞社). (2010年11月20日). http://mainichi.jp/area/saitama/news/20101120ddlk11040126000c.html [リンク切れ]
  24. ^ 埼玉県最萌トーナメント

外部リンク[編集]

行政
観光