狭山市

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狭山市
さやまし
日章旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
団体コード 11215-1
面積 49.04km²
総人口 155,892
推計人口、2009年5月1日)
人口密度 3,180人/km²
隣接自治体 所沢市川越市入間市
飯能市日高市
市の木 {{{木}}}
市の花 ツツジ
市の鳥 オナガ
狭山市役所
所在地 〒350-1380 埼玉県
狭山市入間川一丁目23番5号
電話番号 04-2953-1111
外部リンク 狭山市公式ページ

狭山市位置図(埼玉県)

:政令指定都市 / :市 / :町・村
特記事項:
「お茶香るまち 狭山市」 狭山茶生産の街
(主産地は入間市)
テンプレート(ノート・解説・ウィキプロジェクト)

狭山市(さやまし)は埼玉県南西部、入間川流域にある人口約15万7千人の

目次

[編集] 概要

市域を西武鉄道の二路線が通る。1960年代以降東京郊外のベッドタウンとなり人口が急増した。近年では高度成長期に移り住んできた市民の高齢化(少子高齢化[1])が進む一方で、若年者が流出し、新規転入者は減少している。都心回帰現象の影響が大きい。2005年国勢調査では鳥取県を上回る社会人口減少率を記録した。原因として考えられるのは、交通面では新宿池袋各副都心までの電車実乗時間が通勤ラッシュ時でおよそ1時間、昼間時は40〜50分かかり、ベッドタウンとしてはやや遠めであること、および西武新宿線の地下鉄直通がないことなどがある[要出典]。都心回帰現象は満員電車かつ長時間乗車の通勤地獄が原因のひとつとなっている。また市街地や住宅の都市基盤整備の遅れが近隣に比べ目立つことなどが挙げられる。その他基本整備では、隣接の所沢市から比べると球切れした街灯が多かったり、街灯未整備箇所が多く暗い市道が目立つ[要出典]

市名の由来

[編集] 歴史

沿革
  • 1894年(明治27年) - 川越鉄道が開通。入間川駅(現・狭山市駅)・入曽駅開業。
  • 1933年(昭和8年) - 武蔵野鉄道稲荷山公園駅が開業。
  • 1938年(昭和13年) - 陸軍航空士官学校(現入間基地)が開設。
  • 1945年(昭和20年) - 戦後進駐軍に接収され「ジョンソン基地」になる。
  • 1954年(昭和29年)7月1日 - 入間郡入間川町入間村堀兼村奥富村柏原村水富村が合併し、狭山市となる。合併当時の人口は31,030人。(新市の名称の候補として「狭山市」のほか「入間川市」「入間市」「武蔵市」「武蔵野市」が挙げられ対立したが、1町5村の町村長による投票で最多得票であった「狭山市」に決定された。→参考文献:「狭山市史 現代資料編」)
  • 1958年(昭和33年) - ジョンソン基地の米軍機が市内で墜落事故を起こし、死傷者14名を出す。
  • 1963年(昭和38年) - ジョンソン基地が返還され、航空自衛隊入間基地となる。
  • 1960年代から、市内の工場・宅地開発が進み、人口が急速に増加する。
  • 1964年(昭和39年) - 新狭山駅が開業。
  • 1966年(昭和41年) - 川越狭山工業団地が完成
  • 1973年(昭和48年) - 狭山工業団地が完成
  • 1979年(昭和54年) - 西武新宿線入間川駅が狭山市駅と改称。
  • 1984年(昭和59年) - 人口が15万人を突破。
  • 1986年(昭和61年)4月1日 - 第2代市長町田佐一が死去、その後の市長選挙で第3代市長に大野松茂が選出される。
  • 2000年(平成12年)6月9日 - 財団法人日本品質保証機構(JQA)より市役所本庁舎を対象にISO14001を認証取得。
  • 2003年(平成15年)6月19日 - 第4代市長町田潤一が死去、その後の市長選挙で第5代市長に仲川幸成が選出される。
  • 2005年(平成17年)1月30日「入間市との合併に関して市民の意思を確認するための住民投票」が行われ、投票の結果、入間市との合併は中止になる。

[編集] 地理

市域の南西(入間・飯能方面)から北東(川越方面)にかけて一級河川の入間川が流れる。市の中心となる地域にも入間川という住所(旧入間川町の名残り)がついており、この川は街のシンボルにもなっている。

市街地は、おもに国道16号西武新宿線を軸として形成されている。市名の由来である「狭山茶」の茶畑は、入間・堀兼地区に多い。(なお、市名の由来ではあるものの、隣の入間市の方が生産量は多い)また、奥富地区には田圃も多く見られる。

隣接している自治体は、川越市所沢市入間市飯能市日高市で、特に入間市、川越市とは連続した市街地を形成している。入間郡三芳町とは地図によっては接しているように見えるが、実際はわずかに間に所沢市を挟んでいる。同様に川越市を挟んで東はふじみ野市(元大井町)、北西は鶴ヶ島市が近い。

市域は合併前の1町5ヶ村の区域に新興の2地域を加えた7地域に分けられ、それぞれに地区センター(市役所の支所。公民館に併設)を置いている。

  • 入間川地区
  • 入曽地区[2]
  • 堀兼地区
  • 奥富地区
  • 柏原地区
  • 水富地区
  • 狭山台地区(旧・堀兼村域)
  • 新狭山地区(旧・奥富村域)

[編集] 人口

狭山市と全国の年齢別人口分布図(比較) 狭山市の年齢・男女別人口分布図
紫色は狭山市
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
1980年 124,029人
1985年 144,366人
1990年 157,309人
1995年 162,240人
2000年 161,460人
2005年 158,074人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 行政

[編集] 概要

  • 現在まで長らく地方交付税交付金不交付団体であり[3]、市財政には余裕がある[4]。市内に進出した本田技研工業を始めとする企業の工場・事業所から納入される固定資産税収入と、敷地の9割が狭山市域にある航空自衛隊入間基地が置かれていることによる国有提供施設等所在市町村助成交付金(基地交付金)及び施設等所在市町村調整交付金(調整交付金)、更に特定防衛施設周辺整備調整交付金(防衛省補助金)が主要な財源である。
  • 本田技研工業の企業城下町として知られ、1987年4月以来、市議会には同社労働組合の組織内議員1名がいる。ただ業種の異なるロッテコーセーなど別の大企業の工場も進出しており、航空自衛隊入間基地勤務の自衛官も多数在住していることから、本田技研工業一社が市の命運を握るほどの影響力を有しているわけではなく、茨城県日立市愛知県豊田市のように市民の相当数が一企業グループに関わっているといった状況にはない。また市議会においても、本田技研工業労働組合に先立つ1975年4月からコーセー労働組合推薦の市議会議員1名が議席を維持していた[5]。また他の首都圏ベッドタウン同様、農業は衰退傾向にあるものの、農産物に特産物があるため農業関係者の存在も大きく、現在の市長は「狭山茶」の製造販売業を営む人物である。
  • 市役所、市民会館や総合体育館などは立派な造りとなっており、また市内には所沢市や川越市等にあるドッグラン等のペット共生施設公園等は無いが、動物園や体育館併設の多目的公園の智光山公園狭山稲荷山公園をはじめとするたくさんの公園が整備されている。入間川河川敷には川越市とともに川越狭山自転車道路(サイクリングロード)と広大な公園が整備されており、多くの市民にとって憩いの場となっている。
  • 1960年代から1980年代半ば、都内の20代・30代の当時の一般所得をターゲットにした無秩序なベッドタウン開発環境が災いし、都市整備(ハード)と住環境(ソフト)の追いつかないアンバランスな都市整備基盤が目立つ都市である。大型スーパーはあるが、県道東京狭山線整備が遅れている。直接東京メトロ線等で大手町駅や銀座方面などの都心部へ行く地下鉄乗り入れ線が狭山(稲荷山公園駅を除く)からは無い。都心から狭山直結路線整備の遅れは新規住宅着工整備に遅れを生じさせ、災いとなっている。これは最新の市内人口数や土地の基準路線価上昇率にハッキリとあらわれている。
  • 道路や駅前広場など都市基盤整備は近隣に比べ遅れている箇所が目立つ。
  • 千葉県北東部や埼玉県北部の人口減少都市と同じ傾向があるが、今後外部都市から狭山市への人口増対策に交通利便問題など含め、将来を見据え、既存の自然と調和した都市整備基盤が急務な都市である。
  • 市役所公式サイトの内容の豊富さ、見やすさなどに定評がある。また、市役所の公式サイトとしては異例の公式モバイル版サイトを全国市町村に先駆け開設し、現在1日あたりのアクセス数は相当数あり、その取り組みが新聞などにも取り上げられた。2006年、狭山市は「携帯電話を活用した情報配信の取り組み」により、「平成18年度地域づくり総務大臣表彰」(情報化部門)を受賞した。狭山市では既に2001年から市消防本部が地元消防団員を対象に市内の災害情報を携帯電話のメールで伝達していたが、2007年2月からはこのシステムを全市民に拡大し、希望者に対し携帯メールで市内の災害情報を配信する新規事業を開始した。
  • 2008年2月、新たな人口増及び少子化対策・子育て支援の一環として、市はこれまで未就学児童を対象に行っていた所得制限・費用上限無しの医療費助成の対象年齢を中学校3年生まで引き上げる方針を明らかにした[6]。まず2008年10月に小学校3年生までに適用範囲を広げた後、2011年度までに中学校3年生へと段階的に拡大する。これにより今後狭山市では中学卒業時まで入院・通院とも保険診療の医療費は無料となる。また2008年10月から医療機関での窓口払いも廃止される。この施策は比較的余裕がある市の財源を市民に還元する目的もある。

[編集] 市長

歴代市長
  • 初代 石川求助 (1954年昭和29年)8月15日1966年(昭和41年)8月14日) 3期12年
  • 2代 町田佐一 (1966年(昭和41年)8月15日〜1986年(昭和61年)4月1日) 5期20年
  • 3代 大野松茂 (現衆議院議員)(1985年(昭和61年)5月15日〜1994年平成6年)5月17日) 2期8年
  • 4代 町田潤一 (1994年(平成6年)5月18日〜2003年(平成15年)6月19日) 3期9年


市長選挙結果
2007年7月22日狭山市長選挙 投票率 48.27%
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
28,356 仲川幸成 無所属 市長
20,888 北田清 無所属 元市助役
11,716 高部忠雄 無所属 元市PTA連合会会長


2003年7月27日狭山市長選挙 投票率 36.81%
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
26,940 仲川幸成 無所属 前市議会議長
19,512 飯島邦男 無所属 埼玉県議会議員


2002年4月21日狭山市長選挙 投票率 44.04%
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
21,299 町田潤一 無所属 市長
11,515 竹内良二 無所属 前市課長
10,570 岩隈利輝 無所属 日本工業大学助教授
5,985 大島政教 無所属 前市議会議員・元市議会議長
5,890 中村正義 無所属 元埼玉県議会議員・元市議会副議長


1998年狭山市長選挙 無投票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
無投票 町田潤一 無所属 市長


1994年4月24日狭山市長選挙 投票率 54.39%
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
31,317 町田潤一 無所属 前埼玉県議会議員
30,065 大野松茂 無所属 市長
2,912 小屋松敬介 共産党 党支部役員


1990年4月22日狭山市長選挙 投票率 33.29%
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
30,160 大野松茂 無所属 市長
5,018 金子健一 共産党 党支部役員


1986年5月18日狭山市長選挙 投票率 60.13%
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
31,238 大野松茂 無所属 前埼玉県議会議員
22,198 北田保男 無所属 前市助役
2,931 竹村孝一 共産党 党支部役員


1982年狭山市長選挙 無投票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
無投票 町田佐一 無所属 市長


1978年狭山市長選挙 無投票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
無投票 町田佐一 無所属 市長


1974年7月28日狭山市長選挙 投票率 47.46%
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
18,659 町田佐一 無所属 市長
6,663 内笹井務 共産党 党支部役員


1970年狭山市長選挙 無投票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
無投票 町田佐一 無所属 市長


1966年狭山市長選挙 無投票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
無投票 町田佐一 無所属 前市助役・元市長職務執行者代理・元入間村長


1962年狭山市長選挙 無投票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
無投票 石川求助 自民党 市長


1958年狭山市長選挙 無投票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
無投票 石川求助 自民党 市長


1954年8月15日狭山市長選挙 投票率 80.11%
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
6,752 石川求助 自由党 前埼玉県議会議員・元入間川町長
6,548 中島中次郎 自由党 元埼玉県議会議員・元入間川町長
250 長野林太郎 社会党再建派 団体役員

[編集] 市議会

  • 議員定数:24
  • 議長:中村正義
  • 副議長:小谷野剛
  • 会派:◎は会派代表者。( )内数字は当選回数。
  • 志政会(9議席):◎田村秀二(4)・中村正義(7)・岩田三司(6)・尾崎忠也(6)・吉沢永次(6)・東山徹(3)・小谷野剛(2)・新良守克(1)・町田昌弘(1)
  • 公明党(4議席):◎渡辺智昭(5)・磯野和夫(2)・加賀谷勉(1)・齋藤誠(1)
  • 未来フォーラム(4議席):◎伊藤彰(3)・栗原武(3)・手島秀美(3)・三浦和也(1)
  • 日本共産党狭山市議会議員団(3議席): ◎広森すみ子(7)・猪股嘉直(3)・日野恵美子(大沢恵美子)(3)
  • 市民21(2議席):◎中川浩(4)・田中寿夫(政治団体新風21代表・1)
  • 無所属(2議席):大島政教(5)・高橋久美子(高橋ブラクソン久美子)(3)

[編集] 国政・県政

国政
埼玉県第9区を参照のこと。
埼玉県選挙区を参照のこと。
県政

西4区。定数は2人。近年選出の議員は以下のとおり。

  • 統一地方選挙埼玉県議会議員選挙(2003年4月)
    • 本木茂(1・無所属・自民党推薦)
    • 諸口高男(1・無所属・自民党推薦)

[編集] 再開発事業

  • 明治時代に開業した狭山市駅・入曽駅周辺の整備が進まず、入間市・所沢市・飯能市など周辺各都市に遅れをとっている。現在再開発事業をめぐり行政側・住民側ともにさまざまな動きがあり、議論が続いている。また2つの駅周辺の市街地はいずれも寂れつつあることから、再開発事業とは別に地域の活性化を求める声も多い。
狭山市駅西口地区再開発整備事業
  • 狭山市駅西口周辺は、ロータリーが未整備で歩道も確保されていないため危険であり、現在、整備事業が計画されている。しかし、行政や施行予定者となった都市再生機構に対し、地権者や市議会議員を含んだ市民から見直しを求める運動が起きており、このまま計画を進めることができるか、予断を許さない状況となっている。市民団体は狭山まちづくりネットワーク(ちなみに推進派の市民団体としては狭山市駅西口再開発事業を推進する会がある)が中心となっており、そこに複数の団体が所属している。見直しの主な要求は、予算規模の縮小。その中で2006年1月23日、地権者71名によるとする見直しを求める意見書が提出されたが、後に明らかになった名簿では実際には地権者は21名であり、物議を醸すこととなった。
  • 2007年4月17日、西武鉄道は「2007年度鉄道事業設備投資計画」を発表。この中で狭山市駅西口再開発事業に伴う狭山市駅駅舎改良工事は2007年度に調査・設計、2008年度着工、2009年度完成予定との計画が公表された。
  • 2007年6月22日、狭山市駅西口再開発事業の権利変換計画が国土交通大臣から認可され、2007年9月着工・2009年まち開き・2011年完成予定で本格的に工事が開始されることになった(『広報さやま』平成19年7月号)。2007年9月から駅舎の取り壊し工事が始まり、現在その準備として、駅舎工事用地確保のため駅周辺の店舗閉鎖と住民の転居、整地が行われている。
  • 2007年7月22日投開票の狭山市長選挙において、西口再開発事業の推進を掲げた現職の仲川幸成市長が再選され、西口再開発事業は引き続き推進されることになった。
  • 2008年11月から12月、「まちの愛称」が公募され、2009年3月、「スカイテラス」に決定した。
狭山市駅東口周辺の区画整理事業
  • 狭山市駅前東口周辺は区画が非常に入り組んでおり駅までのアクセスが悪いとされ、市の顔にふさわしい駅前を創出するべきとして、区画整理事業が長年に渡って議論されている。立ち退きに難色を示す住民と行政の対立があったが、現在事業は進められており、道路の建設が始まっている。
入曽駅周辺地区整備事業
  • 入曽駅周辺は商店や住宅が密集し、人や車の通行も多い一方で、駅前に通じる道路はいずれも狭隘であり、歩道も整備されていない。駅前は開業時以来の極めて狭い空間を有するのみであり、ロータリーや駅前広場がないことから路線バスの進入も危険な状態となっている(運行している西武バスは、現在中型車での運用。但し、大型標準尺車での運用が一時期は見られていた。現在でも代車として大型車が入る事はある)。また駅西口には武蔵野の面影を残す農地や雑木林が広がっていたが、近年駐車場や資材置き場に転用されるようになり、駅前にふさわしくない無秩序な土地利用が懸念されている。このため入曽駅東口地区整備事業及び入曽駅周辺地区区画整理事業が計画されているが、一部地権者の反対があり、現在具体的な進展は見られない。

[編集] 市町村合併構想

入間市との合併
  • 以前から入間市との合併構想がある。この構想はかつての入間川町豊岡町の合併構想にまで遡るものである。
  • 平成の大合併の流れを受け、2000年頃から入間市との合併が協議され、2006年1月1日に合併の予定となった(新市名は「狭山市」)。しかし2005年1月30日に行われた住民投票で合併反対が多数となり、一方の入間市でも住民へのアンケートで合併反対が多数となったため、合併協議会は解散した。

[編集] 経済

[編集] 工業

  • 川越狭山工業団地と狭山工業団地の2つの工業団地があり、ホンダの埼玉工場を筆頭に製造品出荷額県下1位と埼玉県一の工業都市となっている。
  • 市制施行時は特産物「狭山茶」により農業都市というイメージが強かったが、市政施行後の1955年(昭和30年)12月「狭山市工場誘致条例」を制定し、積極的に企業誘致を行った。翌年9月には工場誘致第1号として日本クロス工業(現在のダイニック)が進出[7]。以後工場誘致は順調に進み、市内各地に大企業の大型工場が進出した。1966年(昭和41年)に川越狭山工業団地、1973年(昭和48年)には狭山工業団地が相次いで完成。2つの大型工業団地を有する工業都市へと変貌した。1982年(昭和57年)以降現在まで製造品出荷額埼玉県内第1位となっており、県内最大の工業都市となっている。企業誘致は現在も行っている。

[編集] 農業

  • 農業は衰退している。しかし、地物の野菜が市内のスーパーの店頭に並んでいることも多い。
    • 狭山茶 は隣接する入間市などと共通の名産である。主産地は入間市。狭山市内では入間・堀兼地区が主要産地であるが、茶畑は減少傾向にある。
    • さといも 隣接する入間市所沢市などと共通の名産。さといもをつくっている農家はかなり減少しているが,
      • このあたりのさといもは高級で、よく東京や京都の高級料亭で使われる。ただ、地元ではあまり有名ではない。
    • 入間ごぼう 主産地は狭山市。かつては東京から京都大阪まで広く出荷された特産物であったが現在作付面積は大幅に減少している。
    • 入間にんじん かつては非常に多く出荷されたが現在作付面積は大幅に減少している。
    • 観光ぶどう園 入曽地区を中心に市内に点在。手軽なレジャーやイベント・学校の遠足などで利用されている。
    • JAいるま野管内である。

[編集] 商業

[編集] その他の企業

[編集] 姉妹都市・提携都市

[編集] 国内

[編集] 海外

[編集] 教育

小学校
  • 狭山市立入間小学校
  • 狭山市立入間川小学校
  • 狭山市立入間川東小学校
  • 狭山市立入間野小学校
  • 狭山市立御狩場小学校
  • 狭山市立奥富小学校
  • 狭山市立柏原小学校
  • 狭山市立笹井小学校
  • 狭山市立狭山台北小学校
  • 狭山市立狭山台南小学校
  • 狭山市立山王小学校
  • 狭山市立新狭山小学校
  • 狭山市立広瀬小学校
  • 狭山市立富士見小学校
  • 狭山市立堀兼小学校
  • 狭山市立水富小学校
  • 狭山市立南小学校
  • 西武学園文理小学校
中学校
  • 狭山市立入間中学校
  • 狭山市立入間川中学校
  • 狭山市立入間野中学校
  • 狭山市立柏原中学校
  • 狭山市立狭山台中学校
  • 狭山市立山王中学校
  • 狭山市立中央中学校
  • 狭山市立西中学校
  • 狭山市立東中学校
  • 狭山市立堀兼中学校
  • 西武学園文理中学校
高等学校
大学
専修学校
  • 駒野家政専修学校(2006年3月廃校)
各種学校
  • 社団法人狭山市医師会立狭山准看護学校(旧・狭山市立衛生学院)

[編集] 交通

[編集] 鉄道路線

[編集] 観光

[編集] 名所

  • 狭山市立智光山公園:こども動物園・菖蒲園・総合体育館・かんぽの宿狭山市立「智光山荘」など
  • 埼玉県立狭山稲荷山公園の名所・さやま大茶会会場(11月)
  • 狭山市立博物館:埼玉県立狭山稲荷山公園内
  • ふれあい健康センターサピオ稲荷山:埼玉県立狭山稲荷山公園に隣接
  • 武蔵野狭山林間コース入曽フィールドアスレチック 2001年廃園

[編集] 史跡

[編集] 催し

[編集] 狭山市出身・在住の有名人

[編集] その他

1979年、子供のカルシウム不足問題を解消するため、当時の市長町田佐一が自ら考案(町田は旧制東京農業大学出身で、農芸化学を専門としていた)し、丸美屋食品工業と共同開発・商品化したふりかけ。いわしを利用したもの。市内小中学校の給食時の献立に使用。当時余剰政府米が盛んに学校給食に利用され、パンに代わって米飯が給食の主流となる中、一時は周辺市町村の学校給食の献立にも採用されていた。狭山市役所のほか市内のスーパーマーケット店・農協等で販売し、一般にも流通した。現在も給食で出されており、また販売もされている。ただしローカル商品のため、市外での流通・販売はほとんどない。
  • 狭山抹茶「明松」(みょうしょう)
1990年、「さやま大茶会」開催に合わせ、狭山市において新たに商品化された抹茶。
  • saku saku」で歌われた「狭山のうた」
2004年11月02日放送のテレビ神奈川神奈川県域)の人気番組「saku saku」(埼玉県域(狭山市)をサービスエリアとするテレ玉では未放映)の中で、ご当地ソングとして「狭山のうた」が歌われた。歌詞は入間市との合併問題を扱った内容になっている。ビデオの中では、狭山市駅周辺の映像が映されている。

[編集] 狭山市に本拠を置くスポーツ

[編集] 電話番号市外局番

  • 狭山市の市外局番は当初は「0429」だったが、1998年4月29日付けで市内局番の不足を補うため市外局番末尾の「9」を市内局番の冒頭に変更し「042」とした。しかしそれでも市内局番の不足が懸念されることから、2004年1月11日には市外局番を「04」の2桁にして、「29」は市内局番の冒頭に再変更された。これらの処置は他に所沢MAに属する入間市所沢市でも行われた。
  • なお既に市外局番「04」で始まる地域は千葉県柏市流山市野田市我孫子市(こちらは市内局番がそれまで市外局番の末尾だった「71」で始まる4桁)、並びに鴨川市と、安房郡等の一部地域(こちらは市外局番末尾「70」で始まる4桁)が存在しているが、千葉県の「04」地域と通話をする場合も、必ず「04」からまわすことになる。
  • 但し天気予報に関しては従前と同じく「0429-177」となっている。

[編集] 狭山市を舞台にした作品

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 2006年度の狭山市の合計特殊出生率は1.10で、国(1.32)や埼玉県(1.24)全体に比べ低い。
  2. ^ 2009年4月1日、「入間地区」より改称。入間市との混同を避けるとともに、駅名とあわせ分かりやすくするため。以前から仲川市長が改称を提起しており、2008年には狭山市入間地区自治会連合会から要望書の提出もあった。
  3. ^ 2007年現在の埼玉県内の地方交付税交付金不交付団体は狭山市の他さいたま市(旧岩槻市相当分を除く)・川越市川口市所沢市上尾市戸田市入間市朝霞市和光市久喜市八潮市鶴ヶ島市入間郡三芳町の計14市町である。地方交付税交付金不交付の基準については財政力指数を参照。
  4. ^週刊ダイヤモンド2007年3月10日号特集「全国市町村「倒産危険度」ランキング」において、狭山市は全国1821市町村のなかで1720位であった。また入間市1654位・川越市1660位・所沢市1719位であり、周辺の都市とともに「倒産危険度」は極めて低く、財政力のある市であると紹介された。なお1位は北海道歌志内市、2位は夕張市・3位は空知郡上砂川町であった。
  5. ^ この市議は現在も議席を有しているが、コーセー労働組合自体は1995年以降組織的な選挙運動・政治活動を止めている。
  6. ^ 2008年3月、福岡県京都郡苅田町が同様の方針を決めた。苅田町も財政力のある自治体として知られる。「医療費無料、中3まで・・・苅田町で、県内初」『読売新聞』西部本社版九州発福岡県2008年3月4日付
  7. ^ 1996年深谷市の同社埼玉工場に統合移転。跡地にはカルフール狭山が出店。
  8. ^ 毎日新聞2005年3月18日
  9. ^ 狭山市国際交流協会ニュースレター№162

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