細野晴臣

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細野晴臣
YMOのライブにて(2008年)}
YMOのライブにて(2008年
基本情報
別名 ハリー
ハリー細野
宇野主水
西原朱夏
出生 1947年7月9日(67歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都港区
血液型 A型
学歴 立教大学社会学部観光学科(当時)卒
ジャンル ロック
フュージョン
エキゾチカ
テクノポップ
アンビエント
エレクトロニカ
ワールドミュージック
ニューエイジ
職業 ミュージシャン
シンガーソングライター
作曲家
音楽プロデューサー
担当楽器 ボーカルベースギターピアノキーボードシンセサイザーシンセベースオルガンドラムスヴィブラフォーンパーカッションマンドリンドブロ・ギターシロフォンマリンバ三味線スティールパン
活動期間 1969年 -
レーベル ベルウッド・レコード
(1973年 - 1975年)
日本クラウン/パナム
(1975年 - 1977年)
アルファレコード
(1978年 - 1982年)
アルファレコード/YEN
(1982年 - 1984年)
テイチク/ノン・スタンダード、モナド
(1984年 - 1987年)
エピック・ソニー
(1987年 - 1996年)
エイベックス/cutting edge/daisyworld discs
(1996年 - 2003年)
コロムビアミュージックエンタテインメント → 日本コロムビア/daisyworld discs
(2008年 - )
事務所 ミディアム
共同作業者 エイプリル・フール
はっぴいえんど
ティン・パン・アレー
イエロー・マジック・オーケストラ
フレンズ・オブ・アース
HIS
スケッチ・ショウ
ヒューマン・オーディオ・スポンジ
公式サイト Daisy World Wide Web
著名使用楽器
ヘフナー・500-1
ミュージックマン・スティングレイ
アープオデッセイ
モーグ Multimoog

細野 晴臣(ほその はるおみ、1947年7月9日 - )は日本ミュージシャン京都精華大学ポピュラーカルチャー学部客員教授。2008年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

略歴[編集]

1947年東京都港区生まれ。特に裕福ではないが、厳しい環境でもなく自由な少年時代を過ごした。母方の祖父である中谷孝男ピアノ調律師、叔母が外資系の映画会社勤務という環境から、幼い頃からポピュラー音楽に親しんだ。中学時代にロックに興味を持ち、15歳あたりからギターを手に友人とバンドを組む。漫画家を志したこともあるが、立教高等学校(現・立教新座高等学校)、立教大学の同級生だった西岸良平の才能に感服し、漫画家を諦め音楽の道を進むことを決意する[1]。高校時代からフォークの洗礼を受け、ボーカルにも挑戦し始める。この頃、ボブ・ディランに大きな影響を受けた。

立教大学在学中にベースを始め、数多くのバンドを経た1969年エイプリル・フールのベーシストとしてメジャーデビュー。その後、大瀧詠一松本隆鈴木茂はっぴいえんどを結成し、日本語ロックの礎を築く(本人は当初、日本語ロックの礎を築くことに反対していたという)。1973年のはっぴいえんど解散後、ソロ活動と平行して鈴木茂、林立夫松任谷正隆キャラメル・ママ(のちにティン・パン・アレーと改名)を結成。演奏・プロデュースチームとして多数のアーティストの楽曲に参加、荒井由実などのプロデュースも行う。

自身のソロ・アルバムでは、ファーストの『HOSONO HOUSE』(1973年)は当時埼玉県狭山市アメリカ村にあった自宅で録音を行い、その後の『トロピカル・ダンディー』(1975年)、『泰安洋行』(1976年)、『はらいそ』(1978年)と続く「トロピカル三部作」では南国・楽園志向にアプローチし、この三部作でのニューオーリンズ沖縄ハワイ中国などの音楽をごった煮にしたサウンドは海外の好事家からも注目されるようになる(この作品に加えて、プロデュース作品である西岡恭蔵の『ろっかばいまいべいびい』がある。名義上はプロデュースだが、実質は共作である)。漫画家の諸星大二郎のファンであり、彼の漫画のタイトルから曲名をつけたこともある。

シンセサイザー・コンピュータを用いた音楽やディスコへの興味が高まっていった1978年、元サディスティック・ミカ・バンド高橋幸宏、当時スタジオ・ミュージシャンでもあった坂本龍一イエロー・マジック・オーケストラ (Y.M.O.) を結成。当初は細野主体の企画もののバンドと捉えられていたが、1980年にはその活動がブームを巻き起こす。Y.M.O.の成功をきっかけにメディアにも露出するようになり、アイドル・歌謡曲界への多数の楽曲提供、新人発掘のためのレーベル「YEN」の高橋との共同による立ち上げなど個人としても精力的に活動を行う。また、ヴィデオ・ゲーム「ゼビウス」の音源をダンス・ミュージックにアレンジした『ビデオ・ゲーム・ミュージック』(1984年)をプロデュース、ゲーム・ミュージックが音楽ジャンルとして確立するきっかけをつくった。

1983年のYMO散開(解散)後は、テイチクに移籍し、「Non Standard」と「Monado」の2つのレーベルを立ち上げる。Non Standardレーベルからはピチカート・ファイヴやWorld Standardを輩出。また、自身の代表作として映画『銀河鉄道の夜』のサウンド・トラックを手掛ける。Monadoレーベルからは実験的な作品を中心に所謂「観光音楽」と呼ばれる作品を発表。代表作として映画『パラダイスビュー』のサウンド・トラックを手掛ける。その後、1989年エピック・ソニーに移籍し、ソロアルバム『Omni Sightseeing』を発表。また、映画『紫式部 源氏物語』のサウンド・トラックを手掛ける。その後、ソロアルバム『メディスン・コンピレーション』を発表。その後もプロデューサーや作曲家としての活動や映画音楽の提供(『メゾン・ド・ヒミコ』他)などをこなしながらも、ソロアルバム発表や多くの他アーティストとのユニット(別項参照)結成など自己の音楽活動も枚挙に暇が無い。

YMO時代からの多忙と、日本のバブル崩壊以前の消費社会に対する疲弊に辟易とした後、1980年代後期にはワールド・ミュージック、1990年代にはアンビエント・ミュージックに深くアプローチし、大量消費に頼らない音楽を模索した。

自身のレーベル「daisyworld discs」を1996年に創設、2002年よりYMO時代の盟友、高橋幸宏とスケッチ・ショウ (SKETCH SHOW) を結成しフォーキーなエレクトロニカサウンドに取り組む。また2005年にはHISにてシングルをリリース、翌年この名義にて忌野清志郎のライブに参加するなどしている。

SKETCH SHOWは坂本龍一ともコラボレーションしており、ライヴやコンピレーション・アルバムでは3人でヒューマン・オーディオ・スポンジ (HAS) として活動も行う。2007年にはHASとしてのライブ活動のほか、YMOとしても「RYDEEN 79/07」を発表、さらにはHASYMOとしても「RESCUE」を発表するなど、活発な活動を行っている。

その一方で、2005年9月に狭山稲荷山公園で行われたハイドパーク・ミュージック・フェスティバルでは久々にヴォーカルをとって『HOSONO HOUSE』の曲を披露。以降、東京シャイネスハリー・ホソノ・クインテットなどのユニットを結成し、カントリー&ウェスタンスタイルのライブ活動を行う。これらの活動は2007年9月に発売されたソロ・アルバム「FLYING SAUCER 1947」に結実する。また、同年4月に坂本龍一の立ち上げたレーベル「commmons」からトリビュートアルバムが発売され、同年7月にはトリビュートライヴが日比谷野外音楽堂で催された。2008年にはトリビュートアルバムの続編も発表されている。

音楽家としての活動以外にも、俳優としてテレビドラマや映画に出演したり、また低音が響く声が評価され、TV番組やコマーシャルのナレーターとして起用されることも増えている。 しかし、本人は自分の声が嫌いのようで、YMOのアルバム『BGM』に収録されている「ラップ現象」など、イコライザーで自身の声の低域をカットしている楽曲もある。

2008年3月、平成19年度芸術選奨の大衆芸能部門で文部科学大臣賞を受賞。

2011年、『くるり×細野晴臣 東北ツアー』を開催。

一般的にはベーシストやキーボーディストとして知られているがギターピアノドラムスヴィブラフォーン三味線シロフォンオルガンマルチに演奏出来る。実際にクラウン時代の『トロピカル・ダンディー』や『泰安洋行』では、上記した楽器を演奏している他、ドラマーとしては、実際に大瀧詠一の「恋の汽車ポッポ」で、別名の宇野主水で参加している。また、荒井由実のルージュの伝言のVTRにおいてドラムで参加しており、「細野さん、ドラム叩けるの?」と本人から辛口のコメントをもらっている。[2]

狭山に住んでいた頃、「寝図美」と言う名前の猫を飼っていた[3]

また、70年代には、幾つかの雑誌にコラムを書いている。当時出したアルバムの事などである。それらのコラムは、CD-BOX『HARRY HOSONO CROWN YEARS 1974-1977』のブックレットに転載されており、読む事が出来る。アルバム『トロピカル・ダンディー』の歌詞カードにも「島について」と言うコラムを寄せている。

祖父・細野正文とタイタニック号について[編集]

細野晴臣の祖父である細野正文は、日本人で唯一豪華客船タイタニック号に乗船し、事故から生還した人物である。映画『タイタニック』の公開に合わせ、1998年にウォルター・ロード『タイタニック号の最期』(佐藤亮一訳、ちくま文庫)が再刊され、細野は祖父のことを記した文章を寄せた。
細野は2012年、事故犠牲者の共同墓地があるカナダハリファックスを訪れており、その模様は2012年6月7日のNHKBSプレミアム旅のチカラ」で放送された。大西洋海洋博物館に展示されている乗船名簿に祖父の名を見つける(M.Hosonoではなく、M.Hasonoと間違っている。)。事故が起きた100年前と同じ4月21日に行われた追悼式を再現した式典に参加する等した。また、犠牲者の共同墓地も訪れた。 細野は、同じミュージシャンとしてタイタニック号沈没まで演奏していて犠牲になった8人の音楽家の事が気になっていたと言う。

関連バンド・ユニット[編集]

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

アルバム[編集]

サウンドトラック[編集]

ベストアルバム[編集]

  • 決定版 細野晴臣ベスト・セレクション (1990年)
  • ベスト 15 (1992年)
  • Harry Up Hosono (1996年)

ユニット[編集]

リミックス[編集]

編集盤 ボックスセット[編集]

参加作品[編集]

  • MUJI BGM1980-2000
    • 1980年から誕生して20周年目の2000年まで無印良品店内で掛けられたオリジナルBGMを集めたコンピレーションアルバムで、disc-aの「Original BGM」、「Talking-BGM ver.」が細野の作品。ただし、店頭販売は終了(廃盤)している。

演奏で参加した事のあるアーティスト[編集]

細野は70年代に多くの作品で演奏に参加している。ここでは、はっぴいえんどティン・パン・アレイとして演奏に関わったアーティスト以外の1曲でも演奏で関わった事のあるアーティストを記する。

あがた森魚生田敬太郎いとうたかお井上陽水遠藤賢司大滝詠一大野義雄岡林信康小椋佳加川良笠井紀美子加藤和彦金延幸子ガロ喜多嶋修小坂忠斎藤任弘ザ・ディランII沢チエジミー・蒔田高田渡寺本圭一友部正人中川イサト中川五郎中山ラビ中島みゆき西岡恭蔵布谷文夫平尾昌晃ブレッド&バターミッキー・カーチス南正人南佳孝森山良子矢野顕子山下達郎山本コータロー和田アキ子

主な提供楽曲[編集]

著書[編集]

  • レコード・プロデューサーはスーパーマンをめざす CBS・ソニー出版, 1979.8
  • 地平線の階段 八曜社, 1979.11
  • 花に水 冬樹社, 1984.9 (カセットブック)
  • 技術の秘儀(吉成真由美との共著) 朝日出版社, 1984.12
  • レコード・プロデューサーはスーパーマンをめざす 徳間書店, 1984.7
  • 地平線の階段 徳間書店, 1985.5
  • 観光(中沢新一との共著) 角川書店, 1985.6
  • ネコの日 八曜社, 1985.6
  • 音楽少年漂流記 新潮社, 1988.1
  • 季刊音楽誌「H2」エイチ・ツー創刊0号(責任編集) 筑摩書房, 1991.9
  • The endless talking 細野晴臣インタビュー集(編・北中正和) 筑摩書房, 1992.3
  • テクノドン(編著・後藤繁雄) 小学館, 1993.7
  • アンビエント・ドライヴァー マーブルトロン, 2006.9
  • 対談の本 ロックンロールから枝豆まで マーブルトロン, 2007.3
  • 分福茶釜(聞き手・鈴木惣一郎) 平凡社, 2008.6
  • 神楽感覚(鎌田東二との共著) 作品社, 2008.10
  • HOSONO百景 いつか夢に見た音の旅(編・中矢俊一郎) 河出書房新社, 2014.3

主な出演番組[編集]

主な出演CM[編集]

Let's Go!、Let's go!II、SWEET CANDY、いつもの店、ミラクルライト) (1997年1999年) 森高千里と夫婦役で共演。

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

出典[編集]

  1. ^ 細野晴臣 - ほそやのWEBページ
  2. ^ ルージュの伝言
  3. ^ ボックスセット『Harry Hosono/Crown Years 1974-1977』のブックレットに一緒に写った写真が掲載されている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]