平山亨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
 ひらやま とおる
平山亨
別名 八手三郎、田中守
生年月日 1929年3月19日(82歳)
出生地 日本の旗日本
民族 日本人
ジャンル 映画監督、テレビプロデューサー
活動期間 1954年 -1990年

平山 亨(ひらやま とおる、1929年3月19日 - )は、株式会社レッド・エンタテインメント・デリヴァー取締役[1]東映の元社員で、助監督(映画)、映画監督、当時の東映テレビ事業本部長・渡邊亮徳の指揮下で、プロデューサーを勤めた。作詞家としては「田中守」のペンネームも使用している。松村昌治(中山昌一)[2]は義兄。

目次

[編集] 経歴

  • 1954年(昭和29年)3月 - 東京大学文学部美術史科を卒業。その後、東映株式会社入社。京都撮影所助監督に就任、松田定次監督に師事する。『笛吹童子』で初のテレビ時代劇助監督を務める。
  • 1963年(昭和38年) - 映画監督に昇任し、『銭形平次 捕物控』(主演 里見浩太郎)で初監督。
  • 1965年(昭和40年)12月 - 京都から東京に異動して、東映本社、渡邊亮徳の絶大なる協力、援助、薫陶を受けながら、退職するまで渡邊の腹心の部下としてテレビ部プロデューサーに就任し活動し続けていく。
  • 1966年(昭和41年)10月 - 就任後は、『悪魔くん』でテレビドラマ初プロデュース。
  • 1971年(昭和46年)4月 - 『仮面ライダー』が大ヒット、『ライダー』の生みの親の一人として知られる。
  • 1979年(昭和54年) - テレビ企画営業第二部長兼プロデューサーに就任。
  • 1990年(平成2年) - 東映を定年退職。「八手三郎」は、彼が所属していた東映テレビ事業部[3]の共同ペンネームで、引き続き使われている。最後のプロデュース作品は『じゃあまん探偵団 魔隣組』となった。
  • その後しばらく神社で神職を務めていた。
  • 2006年(平成18年) - 株式会社レッド・エンタテインメント・デリヴァーに取締役として就任。

[編集] 人物

スターシステムで知られる東映時代劇のノウハウを、『仮面ライダー』など新しいキャラクターを生み出すに当たって「カタ型の美」を取り入れようとした本社テレビ部事業部長・渡邊亮徳によって、京都で時代劇にかかわってきた平山は、東映本社テレビ事業部に配属される。以後、単純明快な作風のヒーロー番組を多期に渡って輩出し、1970年代以降の東映特撮路線へとつなげていった。

平山の人物像として、藤岡弘野田昌宏をはじめ、彼の「温厚さ、人柄の良さ」を挙げる関係者は多い。

仮面ライダー』第9・10話の撮影中の事故で主演の藤岡弘が重傷を負い、出演続行が不可能と判明した時には、緊急企画会議で毎日放送側やスタッフが「本郷猛の死亡案」に傾くなか、平山は頑なにこれに反対し、「子供たちのオールマイティーの夢を壊すわけにはいかない(議事録より)」としてこれを認めず、2号ライダー(一文字隼人)の起用と翌年の藤岡の番組復帰につなげ、ひいては仮面ライダー第一シリーズを4年近くに亘り継続させた。藤岡自身が認めるように、彼にとって平山は恩人であり、また「ダブルライダー」としての後年に残るセールスを実現しえたのは、ひとえに平山の功績である。

がんばれ!!ロボコン』では、「ロボコンに100点を!」というファンレターが届きメインライターの上原正三も「たまには、100点でも良いのではないか?」と100点を取る脚本を提案したが「100点を出すと、視聴者が離れる」と思い、断り続けた。

特撮作品で組んだ山田稔とは親交が深く、自身の著書によると、実現はしなかったがプロデューサーを務めた『ペットントン』のパイロット監督を山田に依頼したり、亡くなる直前の山田の病床を見舞っていたという。

著書に、『仮面ライダー名人列伝』、『東映ヒーロー名人列伝』などがある。ここでは、かかわった作品ごとに、プロデューサー・監督・俳優・スーツアクターなど、多くのスタッフ・キャストに触れて、「名人である」と評している。声優で「名人」と断じているのは山本圭子(『がんばれ!!ロボコン』のロボコン役)だけである(他に、名前の出ている声優は納谷六郎のみ。納谷の場合は、「藤岡弘の代役を務めた」という事実に触れるだけに留まっている)。

一戸建ての自宅が、『超人バロム・1』第22話の「平山眼科」など、よく作品中のロケに使われている。『仮面ライダーV3』第5・6話の遺影など、肖像写真が劇中で使われることもある。近年はボランティア活動にも深い関心を示しており、2007年には、不用品を収集して支援活動にあてるボランティアサークル「ゆうあい」の顧問に就任するなど、親と子が無理せず参加できる取り組みに着目している。

仮面ライダーアマゾン』OPテーマ冒頭の「ア・マ・ゾーン!」の掛け声は平山の発想によるものである。2010年7月4日科学技術館にて行われたトイフェスティバルの岡崎徹のトークショーで、飛び入り参加した平山自らが「密かな自慢」として披露した。

[編集] 作品リスト

[編集] 映画

[編集] 助監督

ほか、130本以上

[編集] 監督

[編集] プロデューサー

[編集] 特撮テレビドラマ

[編集] 平山亨監督復帰記念作品

[編集] テレビドラマ(特撮以外)

[編集] その他

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています

以下は、クレジットされていないが、企画協力などを行った作品である(『東映ヒーロー名人列伝』による)。 クレジットされているかどうか分からない作品も、含まれている(Wikipediaに記事がない作品など)。

関連作品
  • スパイダーマン(1978年5月17日 - 1979年3月14日 東京12チャンネル系)※DVD-BOXのライナーによると、平山はごく初期の段階で企画にかかわり、制作に入る前の時点で吉川進に交代。また渡辺宙明によると、「八手三郎」名義でOPを作詞したとのことである。
  • スーパー戦隊シリーズ
  • 特捜エクシードラフト(1992年2月2日 - 1993年1月24日 テレビ朝日系)※監督の鈴村展弘によると平山の推薦で同作に参加したとのことである。
  • 月曜ドラマランド悪魔くん(1986年9月15日 フジテレビ系)※英語教師の役で、平山が出演
  • ボイスラッガー(1999年1月12日 - 3月30日 テレビ東京系)※総監督、俳優としての出演もあり
  • ゲゲゲの女房(2010年4月 - 9月 NHK)に登場する城西映画テレビ部のプロデューサー・船山信義(演:風間トオル)のモデルは平山である。

[編集] よく起用されたスタッフ・キャスト

[編集] 著作

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 読売新聞 2007年12月20日紙面より
    http://job.yomiuri.co.jp/interview/jo_in_07122501.cfm
  2. ^ 岩佐陽一 『最終回にほえろ!PART2』 同文書院1998年、222頁
  3. ^ 現在は機構改革により映像本部テレビプロデューサー集団

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス