ショッカーO野

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ショッカー O野(ショッカー おおの、ローマ字表記:Shocker OH!NO!、1961年3月10日 - )は、日本のイベントプロデューサー。神奈川県横浜市出身。AB型。本名は大野 浩(おおの ひろし)[1]

司会者・構成作家・ラジオパーソナリティとしての活躍も多く、その場の役割に応じて「闘う司会者」・「闘う構成作家」・「闘うパーソナリティ」のいずれかをキャッチフレーズにしている。

来歴・人物[編集]

大学在学中に、大野剣友会ジャパンアクションクラブのスタントマンとして特撮番組に出演。その後、出版社、放送作家、島田洋七のマネージャー、石ノ森章太郎のマネージャー等を経て、独立。現在は特撮作品のプロデュースを中心に、特撮・アニメイベントの司会、フリーライター、声優、ラジオパーソナリティー・構成作家、専門学校講師等、多岐にわたり活躍しており、職業を尋ねられた際は説明に困りながら「何でも屋」と答えている。その経歴から平山亨水木一郎金子吉延等の特撮業界の関係者とも親交が深い。

さくまあきらが作った出版会社に、営業マンとして呼ばれ所属していたことがある。それが縁で「ジャンプ放送局」の編集を手伝っていた時期がある。出版会社は、ショッカーO野が入社した時点で赤字経営が続いていたため、半年後に会社を計画倒産させる予定だったらしく、在籍していた期間は短い。なお、「桃太郎伝説」を作る事で得た利益の一部が退職金に充てられた。

あかほりさとると声が似ている事から、自身がパーソナリティを務めた番組でネタにした事もあった。

特撮・アニメイベントの司会や、「桃太郎電鉄シリーズ」内のミニゲームに出演していることで有名。

スタントマン時代、ヒーローアクションショーでの司会、ヒーロー、悪役等、何でもこなすことができた。その結果、全てのキャラを一人で演じる「一人ライダーショー」なる宴会芸を身に付けた。mamiのRADIかるコミュニケーションのイベントでこの芸を披露し、喝采を浴びた。

芸名の由来[編集]

ニッポン放送のラジオ番組「島田紳助のおっと危ない!東京ばくだん小僧」内の一コーナーであるアタック北斗の拳(アニメ映画とのタイアップ企画でラジオパーソナリティーはさくまあきら)にて、ラジオ出演に慣れていない「土居孝幸」、「榎本一夫」を補佐する形で笑い役として呼ばれる。初出演時、さくまあきらに「今日はショッカーも来ています」と紹介され「イィー」という鳴き声を披露、そのままショッカーという名前でラジオに出るようになる。後にショッカーという名前は著作権的に危ないのではと考え、石ノ森章太郎に相談したところ、「僕が名付け親になれば問題ないんだろう」とお墨付きを貰う。

出演作品[編集]

テレビアニメ[編集]

大地丙太郎監督作品で起用されることが多い。

劇場アニメ[編集]

OVA・ラジオドラマ[編集]

ゲーム[編集]

ラジオ[編集]

インターネット番組[編集]

  • ショッカーO野の秘密基地へようこそ!!(ねこぷ!
  • さくまあきらアワー ~帰ってきたジャンプ放送局~ 2010年8月30放送(ニコニコ動画
  • さくまあきらアワー ~また帰​ってきちゃったジャンプ放送局​~ 2010年11月27日放送(ニコニコ動画)
  • ヤス&O野のラジオトークバトル・ハイパー!(岩崎康雄オフィシャルサイト)

CD[編集]

  • 青春ラジメニア おかげ“SUMMER”CDスペシャル! PartII(NECアベニュー 1996年7月20日発売 ゲスト出演)
  • 真冬の流れ星(東芝EMI 1997年12月17日発売 WITH YOUのメンバーとして参加)

テレビ番組[編集]

映画[編集]

司会[編集]

ほか多数

著書[編集]

  • 「ライダーキックは痛かった」(勁文社、1988年10月発売)
  • 「ショッカーO野の熱血ヒーロー日記」(小野敏洋との共著、ラポート、1989年5月発売)
  • 「カルトクエスト500 仮面ライダー編」(バンダイ、1992年発売)
  • 「超科学分析 仮面ライダーが面白いほどわかる本」(仮面ライダー分析調査委員会との共著、中経出版、2001年10月発売)

出典[編集]

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  1. ^ プロフィール”. 2012年3月4日閲覧。
  2. ^ キャスト”. DD北斗の拳. 2013年2月24日閲覧。
  3. ^ 『非公認戦隊アキバレンジャー』 ショッカーO野の戦闘報告 2012年4月20日

外部リンク[編集]