東京国際ファンタスティック映画祭

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東京国際ファンタスティック映画祭
Tokyo International Fantastic Film Festival
2002年まで「東京ファンタ」が行われていた 東京都渋谷区の東急文化会館(現在は渋谷ヒカリエ)
2002年まで「東京ファンタ」が行われていた
東京都渋谷区の東急文化会館(現在は渋谷ヒカリエ
イベントの種類 映画祭
通称・略称 東京ファンタ
正式名称 東京国際ファンタスティック映画祭
旧イベント名 TAKARAファンタスティック映画祭
開催時期 毎年10月下旬 - 11月上旬
初回開催 1985年5月31日 - 6月7日
最終開催 2005年10月13日 - 10月16日
会場 渋谷パンテオン(1985年 - 2002年)
新宿ミラノ座(2003年 - 2005年)
主催 東京国際ファンタスティック映画祭実行委員会
協賛 タカラ(1985年)
サントリー(1988年)
ジャックス(1989年 - 1998年)
QFRONT(1999年 - 2000年)
運営 東急レクリエーション
プロデューサー 小松沢陽一
いとうせいこう
出展数 33作品(2005年)
来場者数 13,012名(2004年)[1]
新宿ミラノ座への交通アクセス
最寄駅 西武新宿駅
駐車場 なし
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東京国際ファンタスティック映画祭(とうきょうこくさいファンタスティックえいがさい、Tokyo International Fantastic Film Festival)は、1985年から2005年まで毎年秋に東京で開催されていた映画祭である。TAKARAファンタスティック映画祭を前身とし、2002年までは渋谷地区、2003年からは新宿地区で開催された。SFホラーなどが主軸で上映された。愛称は「東京ファンタ」。東京国際映画祭協賛企画。

概要[編集]

1985年の開催時には、東急文化会館内の渋谷パンテオンにて17タイトルが上映された。2003年6月の東急文化会館の閉館にともない、会場を新宿ミラノ座(現・新宿ミラノ1)に移した。2005年には33タイトルが上映された。

2000年までは映画祭のプロデューサー兼司会を小松沢陽一が務めたが、2001年に司会を病欠し、代わりに2002年からはいとうせいこうがチーフクリエイター(2005年のみチーフプロデューサー)という肩書きで参加していた。

また映画祭が20周年を迎える記念として、当時のチーフクリエイターであったいとうせいこうの発案により、今まで東京ファンタにはなかったコンペティションが企画され、2003年よりデジタルショートアワード「600秒」がスタート。

しかしスポンサー探しが難航する等資金面で苦戦を強いられたこともあり[2]2006年以降開催を休止しているが、同年発足した東京国際シネシティフェスティバルへとその特色は受け継がれた。会場は同じく新宿ミラノ1。

また2007年より、映画祭内で開催していたデジタルショートアワード「600秒」が、名前を「第一回デジタルショートアワード」と変え、単独開催することが決定。このコンペティションの総合グランプリを決める本選(決勝大会)は、2008年3月29日の23時より新宿ミラノ1にてオールナイトで開催され、明け方5時に結審した。記念すべき第一回総合グランプリ受賞作品は、永野宗典監督の『黄金』となった。

2014年12月12日に、「東京ファンタ復活祭2014」として、新宿ミラノ1にて一夜限りの復活祭を行った。このイベントは2014年末で閉館となる当劇場のクロージングイベントの一環にもなっている。  

関連項目[編集]

関連文献[編集]

  • 小松沢陽一著『夢人間たちの共和国 : 東京国際ファンタスティック映画祭10年史』(シネマハウス刊、1995年10月、ISBN 4-7952-2057-3

出典[編集]

  1. ^ 第17回東京国際映画祭” (PDF). 角川本部員配布資料. 首相官邸ホームページ (2004年11月). 2014年4月30日閲覧。
  2. ^ 東京ファンタ映画祭中止…スポンサー探し難航で”. ZAKZAK. 産経新聞社 (2006年7月4日). 2014年4月30日閲覧。

外部リンク[編集]