オレたちひょうきん族
| オレたちひょうきん族 | |
|---|---|
| ジャンル | バラエティ番組 |
| 放送国 | |
| 制作局 | フジテレビ |
| プロデューサー | 横澤彪(初代)、三宅恵介(2代目) |
| 出演者 | ビートたけし 明石家さんま 島田紳助 山田邦子 片岡鶴太郎 コント赤信号 太平サブロー・シロー 西川のりお ぼんちおさむ ヒップアップ |
| オープニング | 「ウィリアム・テル序曲」 |
| エンディング | エンディングテーマ曲を参照 |
| 特番時代 | |
| 放送時間 | 土曜日 20:00 - 20:54 |
| 放送期間 | 1981年5月16日(第1回) 5月30日(第2回) 6月6日(第3回) 6月13日(第4回) 6月27日(第5回) 7月11日(第6回) 7月18日(第7回) 8月29日(第8回)-30分拡大放送 |
| レギュラー放送時代 | |
| 放送時間 | 毎週土曜日 20:00 - 20:54 |
| 放送期間 | 1981年10月10日-1989年10月14日 |
『オレたちひょうきん族』(オレたちひょうきんぞく)は、1981年5月16日から1989年10月14日までフジテレビ系で土曜日20:00 - 20:54(JST)に放送されていたお笑いバラエティ番組。放送開始当時、土曜日20時の人気・視聴率を全て集めていた『8時だョ!全員集合』に真っ向から挑み、2大お笑い番組と言われるまでになった人気番組である。通称「ひょうきん族」、「ひょうきん」。
目次 |
[編集] 概要
1981年5月16日に『決定!土曜特集・オレたちひょうきん族』(けっていどようとくばんオレたちひょうきんぞく)と言うタイトルで『ナイター中継』中止時の雨傘番組として放送され、同年10月10日より『決定!土曜特集』の冠を取ってレギュラー放送となった。その回の放送はタケちゃんマンのあとにひょうきんベストテンを流した。
当時は、フジテレビが視聴率ノルマを廃し、制作者が作りたいものを作る路線に転じ、“楽しくなければテレビじゃない”をキャッチフレーズとした頃で、作り手側の制作意欲の向上と、出演者である若手芸人の漫才ブームによる勢いとがあいまったバラエティ番組である。開始当時の裏番組には、お笑い番組の頂点に君臨していたTBS『8時だョ!全員集合』が放送されており、初回視聴率は9.5%(関東地区)。『全員集合』とのいわゆる「土8戦争」の結果、『全員集合』を放送終了に追い込み[1]、『欽ドン!』以降低迷状態が続いていたフジテレビの土曜夜8時台を見事立て直しに成功し、1980年代バラエティのリーダー格番組にまでなった。8年半の平均視聴率は、17.8%(ビデオリサーチ、関東地区)[2]。
また、吉本興業に代表される関西系事務所と渡辺プロ・太田プロに代表される関東系事務所のタレントが通常番組で共演するということは当時としては非常に画期的であり、その後吉本興業の東京進出(正確には再進出)へと繋がるきっかけを作った。
初めはお笑い番組らしく漫才コーナーもあったが、『笑っていいとも!』と同様、つまらない、人気が出ないとみるやすぐ企画をやめ新企画を練っていた。その手法は「とんねるずのみなさんのおかげです」等のバラエティに多大な影響を与えた。初期のころはスタジオに一般視聴者を入れて漫才やコントを披露するコーナーがあったが、その後は客は入れず、ギャグ毎に笑い声が被さる演出(ラフトラックとも。外国のシチュエーション・コメディでよく見られる、いわゆる声のエキストラ)がなされ、同じフジテレビのドリフ大爆笑と同様に、後のバラエティー番組でもよく見られる手法が採用された。
土曜日にプロ野球中継(ヤクルトや大洋、中日主催の巨人戦)がある時は『ひょうきん族』の枠でナイター中継が組まれ、しばしば番組が返上された。『全員集合』の枠でのナイター中継は当時ほとんど組まれる事はなかった。
オープニングに流れる曲はロッシーニ作曲の『歌劇「ウィリアム・テル」序曲第4部「スイス軍隊の行進(終曲)」』。これは『スネークマンショー』のオープニングをパロディにしたことによるもので、放送当初は『スネークマンショー』と同じ伊武雅刀がナレーションを行っていた。OP映像は、初期は単純な合成映像が使われたが、1983年4月から使われた東洋現像所ビデオセンター制作によるオープニングでは、当時としてはかなり珍しい最先端のCG映像を使用しており、特に1986年秋から使われた新しいバージョンのCGオープニングは、20年の時を経ても全く遜色ないほどの出来栄えである。
エンディングはEPOの『DOWN TOWN』。EPOは番組初期のアイキャッチ(“♪チャンネル~はそのまま”など)も担当していた。それ以外のエンディングは後述参照。
番組のBGMには、「バビル2世」、「勇者ライディーン」、「超電磁ロボ コン・バトラーV」、「機動戦士ガンダム」、「うる星やつら」、「超時空要塞マクロス」、「宇宙刑事ギャバン」などのサントラがよく用いられていた。
スタジオ以外でのロケーションによる撮影は、当時フジテレビの本社があった新宿区河田町やフジテレビ通り(現・あけぼのばし通り商店街。曙橋駅近く)一帯で行われたのが殆どだったが、北海道や軽井沢などでも行ったことがある。
タイトルロゴは上が「オレたち」、下が「ひょうきん族」となっているが、「ひ」の部分が大きいものであった。
2003年〜2004年には計5巻のDVD-BOX(それぞれ3枚組)が発売された。『8時だョ!全員集合』『ダウンタウンのごっつええ感じ』など名作お笑い番組が相次いでDVD化されブームとなっていた時期である。
また、放送ライブラリーでは、1983年11月12日放送分と1989年10月14日放送の最終回スペシャルである「TAKECHANマン忠臣蔵」を閲覧することが出来る。
2008年7月26日から7月27日にかけて放送された『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』(フジテレビ系列)では、『FNS向上委員会』のコーナーでの懺悔として約22年ぶりに「懺悔室」を再現。また当時のメンバーのうち、『ネプリーグスペシャル』のコーナーに「ひょうきんオールスターズ」としてさんま・鶴太郎・サブロー・島崎・山田が出演し、『クイズ!ヘキサゴンIIスペシャル』のコーナーにさんま・紳助・ジミー・村上・渡辺・ラサールが出演し、中継コーナーにたけしが出演した。
[編集] 出演者
[編集] レギュラー
- ビートたけし(ツービート) - メインキャスト[3]
- 明石家さんま
- 島田紳助(紳助・竜介)
- 片岡鶴太郎(特番第7回から出演)[4]
- 山田邦子(レギュラー時代より出演)
- 西川のりお(のりお・よしお)
- おさむ(ザ・ぼんち)[5]
- ウガンダ(ビジーフォー)
- 島田洋七[6](B&B)
- 太平サブロー・シロー(当時)
- ヒップアップ
- コント赤信号(1983年1月より出演)[7]
- アッパー8(1983年10月より出演)
- たけし軍団(1984年より出演)
- 石井めぐみ(1984年より出演)
- 村上ショージ(1982年より出演)
[編集] 準レギュラー
[編集] 特番時代(1981年5月〜8月)
- ビートきよし(ツービート)
- 松本竜介(紳助・竜介)
- 島田洋八(B&B)
- 伊丹幸雄
- 春やすこ・けいこ
- 九十九一
- まさと(ザ・ぼんち)
- 上方よしお(のりお・よしお)
- 春風亭小朝
- 栗山順子(ひょうきんベストテンにて黒柳徹子役として出演)
- オール阪神・巨人
- クルミ・ミルク
[編集] 前期(1981年10月〜1985年9月)
- ビートきよし(ツービート)
- 松本竜介(紳助・竜介)
- 島田洋八(B&B)
- 伊丹幸雄
- 春やすこ・けいこ
- 九十九一
- 安岡力也
- 山本リンダ
- 日吉ミミ
- 安倍律子(現:安倍里葎子)
- 若人あきら(現:我修院達也)
- 榎本三恵子(有名な「蜂の一刺し」に因み、ハチの着ぐるみで出演)
- 牛の吉田君(ホルスタインの雌牛)
- 吉田君のお父さん(“吉田君”の飼主である一般の酪農家。ビートたけしの発案で番組に出演。収録の度にたった一瞬の尺の為に茨城から飼主もろとも牛を連れて移動していた。お父さんの台詞は「ガッチョ~ン」の一言)
- よめきんトリオ
- 劇団東京乾電池
- 上方よしお(のりお・よしお)
- まさと(ザ・ぼんち)
- モト冬樹(ビジーフォー)
- グッチ裕三(ビジーフォー)
- オール阪神・巨人
- 今いくよ・くるよ
- クルミ・ミルク(ビートたけしがミルクの方を、女性ではあるが顔と太目の容姿を見て「お笑い界の坂上二郎」と呼んでいた)
- 小山茉美
- 劇団東京ヴォードヴィルショー
- 川上さんと長島さん
- 斉藤清六
- 可愛かずみ
- キャメロット
- 月亭八方
- 天地真理
- 松本明子
- 松村花子(アダモステ(仇申亭北(ペイ))の横で三味線と合いの手を入れていた曲師)
- 稲川淳二
※漫才ブームの影響が強く、ツービート、B&B、ザ・ぼんち、紳助・竜介、のりお・よしお等このブームで人気を得た若手芸人を中心とした合同コント番組という要素が強かった。また、安岡・日吉・山本は最終回にゲスト出演した。
[編集] 後期(1985年10月〜最終回)
- Mr.オクレ
- 前田政二
- 岡本麗
- キャメロット
- 天久美智子(あめくみちこ)
- 月亭八方
- 間寛平
- がってん娘
- 轟二郎
- 天地真理
- デーブ・スペクター(声 富山敬)
- 松本明子
- 野沢直子
- 八神康子
- 石井光三
- 塩沢とき
- 劇団七曜日
- ペコちゃん
- 木野花
- 迫文代
- 三田佳代
- 松村花子
- 浅川奈月(ひょうきんベストテンで小泉今日子を演じていた子役)
- 神谷明
- 園まり
- 坂田利夫(コメディNo.1)
- 稲川淳二
- 久本雅美
- 柴田理恵
- くず哲也
- マギー司郎
- コロッケ
- ロス・プリモス
- ピンクの電話
- チャイルズ
- きりこ(現:磯野貴理子)
- りん
- ゆうこ
- 関根勤
- 芹沢名人(たけし軍団)
- ジミー大西
- おきゃんぴー
- 佐野量子
- 大島智子(現:大島さと子)
- 渡辺理砂
- 渡辺千秋
- 若井小づえ
- ウイリー沖山
- ゆ〜とぴあ
- 浅見美那
- 相原巨典
- 森川正太
- イリア
ほか
[編集] フジテレビアナウンサー
- レギュラー(『ひょうきんベストテン』を担当、“ひょうきんアナ”とも呼ばれた)
- 準レギュラー
- 本間淳子(1983年 - 1984年ごろ『朗読の部屋』ほかコーナー進行)
- 牧原俊幸(1984年ごろから不定期出演)
- 山中秀樹(1985年ごろから不定期出演)
- 露木茂(1986年4月ごろから『ひょうきん私の秘密』コーナー進行)
- 逸見政孝(『ひょうきんスペシャル』に数回ゲスト出演)
- 有賀さつき(1989年ごろから不定期出演)
- 岩瀬恵子(1986年7月ごろから『青春グラフティ』コーナー進行)
- 川端健嗣(1986年6月から1987年10月まで『関根くんの知られてる世界』コーナー進行)
- 笠井信輔(1987年10月から『ひょうきん流行通信』コーナー進行)
[編集] オープニングナレーション
- ※2代目と3代目の間には、人気アニメ作品の登場キャラクターたち(担当の声優)が、週代わりでナレーションをした。
- 『Dr.スランプ アラレちゃん』出演:則巻 アラレ(小山茉美)
- ※終始、んちゃ・ほよよ等のアラレ語炸裂。
- 『パタリロ』出演:パタリロ(白石冬美)
- ※バタリロ語録で番組に「大人っぽい意見」。
- 『タイガーマスク』出演:タイガーマスク(富山敬)/健太(野沢雅子)
- ※実在のタイガーマスクにやたら詳しいプロレスマニアの健太に困るタイガー。
- 『うる星やつら』出演:諸星 あたる(古川登志夫)/ラム(平野文)
- ※クイズ形式で進む、ラムとあたるの夫婦漫才。
- 『銀河鉄道999』出演:星野鉄郎(野沢雅子)/メーテル(池田昌子)
- ※999が、惑星「ひょうきん」に、たどり着いた。
- 『機動戦士ガンダム』出演:アムロ・レイ(古谷徹)/シャア・アズナブル(池田秀一)
- ※ジオン軍の秘密兵器「ひょう金属」と「オジンの兵士」
- 『宇宙戦艦ヤマト』出演:古代進(富山敬)/森雪(麻上洋子)
- ※救ったハズの地球が「ひょうきん」に汚染されていた。
- 『鉄腕アトム』出演:アトム(清水マリ)/お茶の水博士(勝田久)
- ※アトムをひょうきん仕様に改造しようとするお茶の水博士。
- 『ゲゲゲの鬼太郎』出演:鬼太郎(野沢雅子)/目玉おやじ(田の中勇)
- ※妖怪「ひょうきん族」退治にきた鬼太郎親子。
- 『巨人の星』出演:星飛雄馬(古谷徹)/星一徹(加藤精三)
- ※ひょうきんの星を目指すため「ひょうきん養成ギブス」を開発
- 『ヤッターマン』出演:ドロンジョ(小原乃梨子)/ボヤッキー(八奈見乗児)/トンズラー(たてかべ和也)
- ※番組の人気を奪う為に現れた、おなじみのドロンボー一味(三悪)。
- 『科学忍者隊ガッチャマン』出演:健(森功至)/ジョー(ささきいさお)/ジュン(杉山佳寿子)/甚平(塩屋翼)/竜(兼本新吾)
- ※科学忍者隊メンバーで唯一ひょうきんになれない「コンドルのジョー」は1人苦悩する。
- 『アタックNo.1』出演:鮎原こずえ(小鳩くるみ)/早川みどり坂井すみ江)
- ※こずえとみどりのかけあい。「そうよ、わたしは負けないわ。年齢の壁に挑戦するんだわ!アターック!」
- 『Dr.スランプ アラレちゃん』出演:則巻 アラレ(小山茉美)
[編集] 決定!土曜特集 オレたちひょうきん族
1981年5月16日から8月29日まで「決定!土曜特集」枠で放送された「オレたちひょうきん族」のパイロット版。同年10月10日から「決定!土曜特集」の枠を取ってレギュラー放送された。2009年10月からフジテレビONEで全放送分が放送された。
出演者
- ツービート(ビートたけし・ビートきよし)
- 紳助・竜介(島田紳助・松本竜介)
- B&B(島田洋七・島田洋八)
- のりお・よしお(西川のりお・上方よしお)
- ザ・ぼんち(ぼんちおさむ・里見まさと)
- 明石家さんま
- 春風亭小朝
- 今いくよ・くるよ
- ヒップアップ(島崎俊郎・小林すすむ・川上泰生)
- 太平サブロー・シロー(太平サブロー・太平シロー)
- 春やすこ・けいこ
- クルミ・ミルク
- 栗山順子
- 山村美智子(フジテレビアナウンサー・ナレーションのみ)
- 伊武雅刀(オープニングナレーション)
ゲスト
番組リスト
- 第1回(1981年5月16日)初回視聴率9,5%
- 第2回(5月30日)視聴率8,8%
- 第3回(6月6日)視聴率8,3%
- 第4回(6月13日)視聴率10,1%
- 第5回(6月27日)視聴率10,4%
- オープニングコント「オーケストラ」
- 「ひょうきん族ベストテン」第1位はビートたけしの「いたいけな夏」
- 「じゃぱにーずぐらふぃてぃ」主役・・・ザ・ぼんち
- 第6回(7月11日)視聴率9,1%
- オープニングコント「オフィスレディ」
- 「ひょうきん族ベストテン」第1位はビートたけしの「いたいけな夏」2週連続ランクイン
- 「ザ・シネマ「七人の恋人」」主役・・・のりお・よしお
- 第7回(7月18日)視聴率13,4%
- 第8回(8月29日・決定!土曜特集版 最終回)
[編集] 番組に出演したゲスト
※順不同で記述。
[編集] お笑い・バラエティタレント
[編集] 歌手(アイドル・アーティスト含む)
|
[編集] 俳優・女優
[編集] 作家・スポーツ選手・文化人他
[編集] CSでの再放送時に関して
1998年にフジテレビCS放送が開始されてから絶え間なく放送、2009年8月8日にCSにおいて2度目の最終回を迎え翌週8月15日から3度目の放送を開始した。が、2011年8月23日の島田紳助の芸能界引退で紳助出演番組の2次利用が使用不可能になったことを受け、ひょうきん族のほぼ全ての回に紳助が出演していたことから、CSの放送は打ち切られ[8]、CSのホームページも閉鎖された。その前にも、紳助が不祥事を起こしてタレント活動を自粛した期間は、放送を一時中断していた。
CS放送中、権利上や諸事情により放送されない場合があった。また放送はするものの、コーナーそのものがカットされたり、ひょうきんベストテンの10位から4位の発表時にボカシが入ったり、映像が静止画に差し替えられたことも少なくなかった。レギュラー第1回放送分も、何らかのコーナーが10分程度カットされている。再放送がカットされたケースは現在のところ以下の通りである。
- 1982年9月4日のTBSドラマ『ピンキーパンチ大逆転』との連動企画を行った回
- サザンオールスターズの出演した回
- オフコースの出演した回
- シブがき隊、少年隊などのジャニーズ事務所所属タレントの出演した回(過去に在籍した人も含む)
- 当事務所は、基本的にCSにおける過去番組放送を許可していないが、TBSチャンネルではドラマを中心に再放送されるケースもある。また、地上波番組宣伝は放送される。
- バーニングプロダクション所属タレントの出演した回(過去に在籍した人も含む)
- 内藤やす子が出演した回はDVDには収録されている。
- キヨちゃんマン(タケちゃんマンの脇役キャラ)の登場する回
- 田代まさしの出演した回
- 再放送時に不祥事が報道され、放送を控えていたが、2010年に田代が再び不祥事を起こしたため放送自粛となった。
- 1985年3月30日放送分の山村美智子が番組を卒業した回
- ナンデスカマンロボの登場する回
- ビートたけしが収録をサボタージュした回
因みにひょうきんスペシャルの回はレギュラーと分けて放送。1982年12月25日のブラックデビル最終回もこの類に入る。2002年の秋までスペシャルを放送。2003年の元日にスペシャルのみを集中放送した。しかし、2006年から1985年12月放送以降のスペシャル版も通常の枠と一括され放送されるようになった。また、1981年5月16日~9月26日の単発枠時代に放送した回は、2009年フジテレビONEで「パイロット版」として放送した。
2009年8月15日から、不定期で三宅と番組出演者、川端健嗣のトーク番組「ひょうきん族話の泉」が放送された。
[編集] 主なコーナー
詳細は「オレたちひょうきん族のコーナー一覧」を参照
[編集] スタッフ
スタッフの姓と名の間にミドルネームがつけられていた。これは、スタッフの中に大滝詠一ファンがいて、彼のアルバムの奥付にはスタッフの姓と名の間にニックネームを挟んで記されているのを真似したためと言われる。
高平アクサイ哲郎、大岩ナリキン賞介、詩村マルユウ博史、永井ウタマロ準、榎ハーレム雄一郎、廣岡サモア豊、高田ギョロメ文夫、大倉ヨイショ利晴、鶴間ゴカボウ政行、益子ニクマン強、萩原カラオケ芳樹、高橋ニセモノ秀樹、本郷ミズワリ実、小笠原ヒッコシ英樹、加藤ムクチ芳一、岩立ブラボー良作、植竹シメサバ公和、内村イトコ宏幸、伊藤ダイサン正宏、清水トレンディ東
- プロデューサー
横澤オジン彪(初回 - 1987年8月)、三宅恵介(1987年9月 - 最終回)
- 三宅はプロデューサーとしてはミドルネームを使用していなかった。
- ディレクター
佐藤ゲーハー義和、永峰アンノン明、荻野ビビンバ繁、三宅デタガリ恵介、山縣ベースケ慎司
- ひょうきんディレクターズとしてレコード『ひょうきんパラダイス』をリリース
- 1987年8月末で佐藤・山縣両名が降板。翌9月より佐藤は荻野と「笑っていいとも!」のプロデューサーを共同で担当することとなり(荻野は引き続き「ひょうきん族」「笑っていいとも!」のディレクターも兼任)、後に「夢で逢えたら」などのプロデューサー業に専念することとなる。
- アシスタント・ディレクター
清水淳司、吉田正樹(現・ワタナベエンターテインメント会長)、窪田豊、栗原美和子(現・ドラマ第一制作部副部長)、片岡飛鳥(めちゃ²イケてるッ!総監督→現・バラエティ制作センター企画担当部長)、竹石康晴、佐藤一巳、豊島浩行
- キャラクターの衣装デザイン
やまもと寛斎ほか
[編集] 放送局
- 系列は放送終了時点のもの。
| 放送対象地域 | 放送局 | 系列 | ネット形態 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 関東広域圏 | フジテレビ | フジテレビ系列 | 制作局 | |
| 北海道 | 北海道文化放送 | 同時ネット | ||
| 青森県 | 青森テレビ | TBS系列 | 遅れネット | |
| 岩手県 | 岩手放送 | 現:IBC岩手放送 | ||
| 宮城県 | 仙台放送 | フジテレビ系列 | 同時ネット | |
| 秋田県 | 秋田テレビ | 1987年3月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 | ||
| 山形県 | 山形テレビ | |||
| 福島県 | 福島テレビ | 遅れネット →同時ネット |
1983年3月まではTBS系列とのクロスネット局 | |
| 山梨県 | 山梨放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | |
| 新潟県 | 新潟総合テレビ | フジテレビ系列 | 遅れネット →同時ネット |
1983年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 |
| 長野県 | 長野放送 | 同時ネット | ||
| 静岡県 | テレビ静岡 | |||
| 富山県 | 富山テレビ | |||
| 石川県 | 石川テレビ | |||
| 福井県 | 福井テレビ | |||
| 中京広域圏 | 東海テレビ | |||
| 近畿広域圏 | 関西テレビ | |||
| 島根県・鳥取県 | 山陰中央テレビ | |||
| 広島県 | テレビ新広島 | |||
| 山口県 | テレビ山口 | TBS系列 | 遅れネット | 1987年9月まではフジテレビ系列とのクロスネット局 |
| 岡山県・香川県 | 岡山放送 | フジテレビ系列 | 同時ネット | |
| 愛媛県 | テレビ愛媛 | |||
| 高知県 | 高知放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | |
| 福岡県 | テレビ西日本 | フジテレビ系列 | 同時ネット | |
| 佐賀県 | サガテレビ | |||
| 長崎県 | テレビ長崎 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 |
||
| 熊本県 | テレビくまもと | フジテレビ系列 | 1982年3月までは日本テレビ系列とのトリプルネット局 1989年9月までテレビ朝日系列とのクロスネット局 |
|
| 大分県 | テレビ大分 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
遅れネット | |
| 宮崎県 | テレビ宮崎 | 同時ネット | ||
| 鹿児島県 | 鹿児島テレビ | フジテレビ系列 日本テレビ系列 |
遅れネット | 1982年9月までテレビ朝日系列とのトリプルネット局 |
| 沖縄県 | 沖縄テレビ | フジテレビ系列 | 同時ネット |
[編集] ネット局に関する備考
- 福島テレビは1983年4月にTBS系列メインのクロスネット局からフジテレビ系フルネット局にネットチェンジしたものの、視聴者保護のため同年9月までTBS製作の『8時だョ!全員集合』の同時ネットを放送していた。そのため、本番組の同時ネットはフジテレビ系マストバイになった1983年10月からとなった。
- 新潟総合テレビでは1983年9月までの土曜20時台はテレビ朝日系番組の時差ネット枠だった。そのため、本番組は遅れネットで水曜日16:00から放送されていた。同時ネットは新潟テレビ21が開局してフルネット局になった1983年10月から。
- フジテレビ系メインのクロスネット局であったテレビ大分と鹿児島テレビは、日本テレビ系番組の同時ネットだったため遅れネットで放送されていた。
- フジテレビTWO→フジテレビONE(CS放送)でも再放送を実施していたが、島田紳助引退の影響で2011年8月から放送を休止している。
[編集] 備考
- 同番組が放送された土曜日午後8時の放送枠で現在放送されている『めちゃ×2イケてるッ!』の総監督を務める片岡飛鳥は、ひょうきん族にADとして参加していた。
- 裏番組の「全員集合」は、昼間から長時間に渡り打ち合わせを行ったらしいが、この番組は共演者と打ち合わせが行われていなかったらしい。
- 初回の土曜特集特番のみ、レギュラー候補としてとんねるずが出演していた。しかし、当時としては珍しい師匠の居ないコンビであったこと、さらに芸風が独特ゆえに他のタレントに受け入れられなかったこと、更に当時の所属事務所がライバル局であるNTV系専属タレントとして売り出していた等の理由からレギュラー入りは見送られた。この後、とんねるずは「とんねるずのみなさんのおかげです」を開始し、同局の看板バラエティ番組の地位をひょうきん族から奪取するとともに、1988年から現在に渡って、20年以上続く長寿番組となった。
- 番組後期の裏番組であるTBS『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』の放送期間中にメインである加藤茶と志村けんが裏番組で張り合っているにも関わらず『ひょうきん族』の収録現場に顔出したことがある。
- 末期の1989年1月7日に放送予定だった『'89新春ひょうきんスペシャル』が昭和天皇崩御に伴う報道特別番組に差し替えられたため放送が延期となった。
- 1989年3月には番組の途中で、映像が途切れる放送事故を起こした(地方のネット局は環境映像などで対応。フジテレビのみ黒画面のまま)。なかなか復旧しなかった為リアルタイムで話題になり、レギュラー放送よりも、かなり視聴率が高かった。さんまは後日の放送で「放送事故に負けた」と嘆いた。
- 2003年正月に放送された『さんまのまんま』(KTV)にゲスト出演したビートたけしは、番組の中で「俺が60歳になったらもう1度(ひょうきん族を)やってもいいかな」と語っていた。また、この番組の中で二人はお互いを「そんなに笑いを取れて羨ましい」(たけし)と「世界の北野と呼ばれていいわ。俺も何か残るもんが欲しい」(さんま)と嫉妬にも似た感情をもっており今でもお互いが刺激しあう関係であることが暴露された。そして、現在でも、火曜午後8時台に「ほんとは怖い家庭の医学」、「踊る!!さんま御殿」と裏番組同士今でも鎬を削っており、後にたけしのこの思いはさんまによって形を変えながらも、2008年に『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』として実現することとなった。
- 後にこの番組で使われた『懺悔室』が『NG大賞』、アミトリおばさん、砲丸の美少年が『いたずらウォッチング!!』(後に同時間帯で『ザ・ウォッチング!!』と言うタイトルでレギュラー昇格)、初期に見られた出演者を東西問わず若手グループ、コメディアンで作られた番組と言う手法は後の『夢で逢えたら』『とぶくすり』『はねるのトびら』等と後のフジテレビの人気バラエティ番組に多大な影響を及ぼした。また『懺悔室』は後にキャイ〜ン司会の『100%キャイ〜ン!』の『チクリ忍者』のコーナーとしてこれの類似コーナーが放送された。
- この番組で一躍有名となった片岡鶴太郎はたけしと番組スタート当初はとてもよい関係だったが、ある日2人がクラブで酒を飲んでいた時に鶴太郎が「自分の積み重ねた努力で自分はここまで来られた」と言うと、「自分が散々いじめてやったからここまで来た」とたけしに言われ、大喧嘩をし、その2人を和解させようとした山田邦子までも巻き込むこととなった。
- 映画監督の森田芳光は1985年に雑誌のインタビューで「今はコメディー映画を撮らない方がいい。いくら撮ってもひょうきん族を超えることはできない」と発言している。
- 映画監督のロバート・ゼメキスは1988年来日時ホテルで「日本にもヘンなテレビショーがあるじゃないか。昨夜見た『ひょうきん族』ぼくは笑っちゃったよ」と発言している(「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」パンフレット所載)。
- コントの中には、中京テレビのローカル番組『ジョークドキュメントBBS放送局』で使われたモノを手直ししてで使うことがあった。両番組に出演していたラサール石井によると、『ひょうきん族』の構成作家の中に『BBS放送局』の構成も手掛けていた作家がいたことから、コントのパイロット版として『BBS放送局』でやってみてうけたものを『ひょうきん族』で使うことがあったという。また、ひょうきんベストテンでコント赤信号の扮したアイドルグループが中継で出演するという設定を、中京テレビ社屋前で収録して放送している。ちなみに、当時の中京テレビは既に日本テレビの単独系列になっていた。
[編集] 番組の終焉とその後
- 1985年頃、視聴率が毎週20%超えが続いた時の事を、三宅ディレクターが「これはまずい。余りにも高過ぎる。変な方向に行かなければいいんだけど」と、一抹の不安を感じていたという。同じ頃には明石家さんまも「子供が見るようになってから番組が変わってしまった」と語っていた。
- 同番組に陰りが出てきたのは1987年頃からで(前の1986年末にたけしがフライデー襲撃事件を起こし「タケちゃんマン」が子供たちから見放されるようになり、又さんまも同年にTBS系「男女7人夏物語」に主演し、さらに紳助が入院して方向性が変わった事もある)、全般的にマンネリ傾向が見られるようにもなった。そして裏番組だったTBS「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」の隆盛もあって(「全員集合」を終了に追い込まれた意趣返し)、更に下降線を辿ることになり、末期の1988年頃には視聴率が一桁台になることが多くなっていった。この頃には同番組のメインでもあるたけしが事件を起こした以降は、殆ど出演しなくなっていた。「ひょうきんベストテン」を終わらせ、「タケちゃんマン」のかわりに「かまへんライダー」を入れたり、「全員集合」に似た形式の公開収録を度々行なうなどのテコ入れを施すも、結局視聴率を回復させるには至らず、1989年8月についに同番組の打ち切りを発表した。
- 楽屋においてたけし、さんまら一部を除く多くの出演者が『(副業による)金儲けの話しかしなくなっていた』とさんまが語っている。そんな状況に嫌気が差していたたけしの『もう(番組を)終わりにしたい』という旨の発言を受けて終了になった、とも後年さんまは語っている。ちなみに「さんまのまんま」にたけしがゲスト出演した際、たけしが『なんでアレ(ひょうきん族)終わっちゃったの?予算が無くなったから??』とさんまに問うたところ『アンタが『終わりにしたい』と言うたからやないか!!』と突っ込まれていた。
- 1989年10月14日に最終回を迎え、1981年5月16日の単発放送時オープニングで、出演者達がディナー・コントをする場面を、1989年10月14日時点の出演者で再現。放送開始時ディナーの最後にビートたけしが『オレたち!』と叫んだ後、他の出演者全員で「ひょうきん族!!」と叫び番組が始まったのを、最終回ラストでも同様に再現し、ディナーの最後にビートたけしが「オレたち!」と叫んだ後、他の出演者全員で「ひょうきん族!!」と叫んだ後、ビートたけしが続けて『おしまい!』間をおいて「さあ帰りましょう!」の言葉で締められた後、最終回エンディング曲が始まり、出演者・番組スタッフの拍手歓喜の中、エンドロールが流れ始め、ディナーテーブルのセットがあるスタジオから、次々に出演者[9]・番組スタッフが去り、照明が次々に落とされる中、ディナーテーブルだけが照らされ、最後は「長いあいだ本当にありがとうございました」のテロップで締められ、8年間の歴史に幕を閉じた。因みに、単発放送時でのこのコントのBGMはアントニオ・ヴィヴァルディの四季の『春』で、最終回には同曲の『秋』を入れたが、殆ど誰も気づいてくれなかったと「ひょうきん族話の泉」で三宅ディレクターが明かした。なお最終回エンディング曲は、EPOの『DOWNTOWN』(ニューレコーディングバージョン)だった。
- 終了後、10月・11月は特番編成でつなぎ、レギュラーとしての後枠は『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』に対抗するコントのバラエティ番組ではなく刑事ドラマ『あいつがトラブル』であった。その後、ドラマ枠からバラエティ番組枠に戻され、現在放送中の『めちゃ×2イケてるッ!』に引き継がれている。
- 山田邦子をメインにしたバラエティ番組『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』には、『ひょうきん族』のスタッフの多くが参加している。
[編集] エンディングテーマ曲
- 「星に願いを」(1981年5月16日)
- EPO「DOWN TOWN」(1981年5月 - 1982年9月)
- EPO「土曜の夜はパラダイス」(1982年10月 - 1983年2月)
- 麻香ヨーコ「グラマー・ボーイ」[10]、(1983年3月 - 1983年4月)
- 山下達郎「パレード」(1983年4月 - 1983年11月)
- EPO「涙のクラウン」(1983年12月 - 1984年9月)
- EPO「DOWN TOWN」(ニューレコーディングバージョン[11]、1984年10月 - 1985年9月、1989年10月14日(最終回))
- 山下達郎「土曜日の恋人」(1985年10月 - 1986年9月)
- 松任谷由実「土曜日は大キライ」(1986年10月 - 1987年9月)
- 松任谷由実「SATURDAY NIGHT ZOMBIES」(1987年10月 - 1988年9月)
- 松任谷由実「恋はNo-return」(1988年10月 - 1989年9月)
- 松任谷由実「卒業写真」(1989年10月7日(最終回直前スペシャル))
土曜日の放送ということもあり、曲名や歌詞に“土曜日”“土曜”“Saturday”といったキーワードが含まれている曲が使われ(「グラマー・ボーイ」・「パレード」・「恋はNo-return」・「卒業写真」を除く)、これによって“土曜日といえばひょうきん族”というイメージを定着させた。
2002年11月に"オレたちひょうきん族 オリジナル・サウンドトラック"CDが発売する予定だった。しかし直前で発売中止となり、2011年現在まで発売されていない、原因は不明。
[編集] 脚注
- ^ また、すでに体力・精神共に疲弊していたいかりや長介がネタ作りを放棄(しかし、いかりやは著書でこれを否定し、「干された」と言っている)して、82年頃に志村けんや加藤茶が主導権を握るようになっており、翌83年にいかりやから「もう俺は疲れた番組を止めよう」と発言して徐々に終了の方向にシフトしていった事も大きい。(いかりや長介「だめだこりゃ」・居作昌果「8時だョ!全員集合伝説」)
- ^ 2004年9月10日朝日新聞「懐かしのお笑い、なぜ人気(サブch.)」
- ^ ビートきよしの出演がなくなってからは、「ツービート」表記は無くなった
- ^ 初代OP時でのクレジット上での扱いは正式レギュラーが顔つきで紹介された後に、タレント名だけがテロップで表示される、いわゆる「準レギュラー」格での扱いで、正式レギュラー扱いとなったのは1983年、2代目のOPに切り替えられてからのことであった。
- ^ 一時、裏番組『ダントツ笑撃隊!!』(日本テレビ)に出演して番組を離れるも1982年に復帰。「ぼんちおさむ」を名乗るようになってからも当番組では「おさむ」名義のままだった
- ^ 1982年頃に降板し、約2年間番組を離れていたが石井章雄の洋七が好評で「W洋七」として復帰し、太平サブローの洋八と「B&B」として活躍
- ^ オープニングでは「赤信号」の名義だった。
- ^ 放送局の損失額は2億3000万円に
- ^ 最後に退場した山田邦子にスタッフから大きな拍手が送られた。これは「ひょうきん族」の流れを『やまかつ』で継ぐ意味もあった。
- ^ ED放送の前年1982にシングルレコードで発売された曲で、当番組のED用に用意された曲ではない。2011年現在までCD化されたことはなく、歌手もこの曲以外で、目立った芸能活動はしていない。
- ^ 該当するアレンジの曲はEPOのレコードおよびCDには収録されておらず、2011年現在、当番組のED映像資料以外での視聴は困難である。
[編集] 関連項目
- 日本お笑い史
- ひょうきん予備校→ひょうきんミニ放送局
- タケちゃんの思わず笑ってしまいました
- THE MANZAI
- 笑ってる場合ですよ!(もう一度笑ってる場合ですよ!)
- 明石家マンション物語→明石家ウケんねん物語
- FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!
- ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル(エンディングテーマに当番組のエンディングで使われた曲がよく使われる)
[編集] 後継番組
- ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!(1990年 - 1993年、メインはウッチャンナンチャン)
- BANG! BANG! BANG!(1996年1月 - 9月、メインは所ジョージ)
- めちゃ×2イケてるッ!(1996年10月 - 、メインはナインティナイン)
[編集] 外部リンク
- フジテレビ
- フジテレビONE/TWO/NEXT
- 超級バラエティ研究所 - タケちゃんマンに登場するキャラクターのデータベース
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決定!土曜特集・オレたちひょうきん族
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