テレビランド

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テレビランドは、1973年2月から1997年1月まで刊行していた児童向けテレビ番組雑誌。通称:テレラン。

目次

[編集] 概要

企画が東映株式会社、発行元を黒崎出版として創刊。オイルショックの影響で、1973年11月号からは編集スタッフごと徳間書店に移って刊行された。徳間書店としては、「週刊アサヒ芸能」、「問題小説」に次ぐ定期刊行物。競合誌は、講談社の「テレビマガジン」、秋田書店の「冒険王」、1976年からは小学館の「てれびくん」も加わる。

創刊の経緯から、東映作品とのタイアップ雑誌としての側面を持っており、創刊から休刊までの間ほとんどの東映特撮アニメ作品を掲載した。 そのため、作品ごとの資料性が競合他誌より高いことも特色。 特に全盛期(1975年頃~1990年代初頭)には、徳間書店では唯一の子供向けのキャラクター雑誌であった。玩具面では、バンダイとのタイアップが多かった。

[編集] 歴史

初期では「別冊テレビランド」という兄弟誌があった。

1970年代後半には、『宇宙戦艦ヤマト』特集をきっかけに増刊として『ロマンアルバム』シリーズを出版。いずれも好セールスを記録し、アニメ雑誌アニメージュ』の創刊に多大な貢献をした。

1979年に入ると競合誌より遅れる形で『仮面ライダーシリーズ』のリバイバル特集に重点が置かれ、同年スタートしたスカイライダーに受け継がれることになる。

ただし、休刊の話は当初から何度も出ており、これは付録が付く分利益率が低かったためである。

1980年代には、わんぱっくシリーズ、カラーグラフシリーズを刊行。本誌ではバンダイと共に発売当初からマシンロボの特集を組んだり、また後楽園ゆうえんちスーパー戦隊シリーズショーの特集を組んだり、過去に掲載した特撮作品を取り上げた『テレラン名作劇場』という企画も組まれ、誌面が充実。イメージキャラクターであるドンちゃんもこの時期に登場した。

創刊20年目を迎えた1992年の2月号から雑誌のサイズを拡大。この時期から初めて『ウルトラマンシリーズ』と『勇者シリーズ』を掲載する。

しかし1997年の2月号を最後に、予告なしの突然の休刊。徳間書店はこの時期に借金を抱えていたため、リストラの一環で雑誌の休刊が続いており、テレビランドの休刊も徳間康快社長の鶴の一声だったという。休刊時には、元編集長の尾形英夫とつきあいのあったバンプレスト社長・杉浦輝夫から「テレビランド」買い取りの打診があったが、尾形が徳間書店を離れていたためにこの話は実現しなかった。

休刊後もカラーグラフシリーズだけは刊行を続け、現在も「徳間テレビグラフ」として存続している。また、末期の編集スタッフにより、ハイパーホビーが創刊されている。

[編集] 編集者・スタッフ

徳間書店に移ってからの編集長。「テレビランド」からアニメ雑誌「アニメージュ」を創刊。
自ら志願して「週刊アサヒ芸能」から「テレビランド」編集部へ移籍。後に「アニメージュ」編集長、スタジオジブリプロデューサーに。
黒崎出版からの編集者。マンガ「とよみたんとエーコたん」の人気キャラクターのモデルになる。
  • 鈴木克伸
黒崎出版からの編集者。徳間書店からさらに学習研究社へ移籍して、アニメ雑誌「アニメディア」の創刊にあたる。
  • 校条満
虫プロ商事の編集者を経て、黒崎出版の「テレビランド」へ。徳間書店では後に「リュウ」「ザ・モーションコミック」といったマンガ雑誌の編集長を務める。
  • 高橋望
1983年に徳間書店に入社して「テレビランド」へ配属。その後、「アニメージュ」編集部からスタジオジブリへ移籍。
スクウェア・エニックスの執行役員。ファミコン名人のバンダイの橋本名人でもあった。学生時代に「テレビランド」「アニメージュ」でアルバイトをした経験がある。
アルバイトとしてカット描きをしていた。

[編集] 掲載作品

番組本放送時に掲載されていた作品を記載。

[編集] 特撮

[編集] アニメ

[編集] ドラマ

[編集] バラエティ

[編集] 人形劇

[編集] 玩具

[編集] オリジナルまんが

[編集] 参考資料

  • 尾形英夫『あの旗を撃て!「アニメージュ」血風録』(2004年、オークラ出版)
  • 大塚英志『「おたく」の精神史 一九八〇年代編』(2004年、講談社現代新書