宇宙戦艦ヤマト

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宇宙戦艦ヤマト
ジャンル SFアニメ
アニメ
原作 西崎義展山本暎一(企画原案)
監督 松本零士
キャラクターデザイン 岡迫亘弘
メカニックデザイン スタジオぬえ
アニメーション制作 オフィス・アカデミー
製作 讀賣テレビオフィス・アカデミー
放送局 讀賣テレビ
放送期間 日本の旗 1974年10月6日 - 1975年3月30日
アメリカ合衆国の旗 1979年9月17日 - 1980年3月10日
テンプレート - ノート
ウィキプロジェクト アニメ漫画ゲーム
ポータル アニメ漫画文学ゲーム

宇宙戦艦ヤマト』(うちゅうせんかんヤマト)は、1974年讀賣テレビ放送日本テレビ放送網放送されたテレビアニメ及び、1977年に劇場公開されたアニメーション映画作品。通称「一作目」「ヤマト」「ヤマト1」「パート1」。

本項目では、宇宙戦艦ヤマトシリーズの第1作であるテレビアニメ、劇場版について記述する。権利関係を含むシリーズ全体については『宇宙戦艦ヤマトシリーズ』を、また、続編の詳細については各項目を参照。

概要[編集]

戦争としての戦闘の描写、その中で繰り広げられる人間ドラマと主人公の成長やSFガジェットなどの詳細な設定は、放映当時(1970年代)のアニメーション作品としては斬新な試みが取り入れられた連続作品である。

当初は同時間帯に放送されていた『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』(フジテレビ)、『猿の軍団』(TBS)などの影響もあって視聴率が低迷。予定の回数を待たずに打ち切られた。

しかし、再放送などで改めて注目され、再編集した劇場映画が公開される頃までには社会現象とも言える大ブームとなっていた。子供のものと思われていたアニメ作品に中・高校生から青年層までの幅広い視聴者が存在していたことを広く示すことになった。その後の『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』『超時空要塞マクロス』『新世紀エヴァンゲリオン』に至るアニメブームの先駆けとなった。

映画レコード小説漫画アニメ雑誌ラジオドラマキャラクター商品など、アニメビジネスにおいて多くの足跡を残した。後にビデオCDLDDVDテレビゲームなどもリリースされている。

本作品の著作のクレジットはオフィスアカデミーであり、小説や漫画などの形で先行した、いわゆる原作(漫画、小説)は存在しない[1]。(詳細については宇宙戦艦ヤマトシリーズ#知的財産権に関する特記を参照)。

ストーリー[編集]

西暦2199年地球は謎の異星人国家・ガミラス帝国の侵略を受けていた。ガミラスは冥王星に前線基地を建設し、西暦2192年より、地球に対して遊星爆弾による無差別攻撃を加えていた。海は蒸発し地球は赤茶けた姿に変貌し、放射能汚染で地上の生物は死滅する。人類は地下都市を建設し、地球防衛軍を結成して抵抗を続けていたが、科学力の差の前になす術もなく、地下にも放射能汚染が進行し、人類の絶滅まであと一年と迫っていた。

最後の地球防衛艦隊も壊滅し人類生存の希望は完全に潰えたかに見えた時、外宇宙から飛来した一隻の宇宙船が火星に不時着、通信カプセルが回収される。その中には、宇宙の彼方イスカンダル星から、「放射能除去装置 コスモクリーナーDを受け取りに来るように」とのメッセージと、航海に必要な波動エンジンの設計図が納められていた。

九州・坊ノ岬沖に、250年も前の世界大戦の末に沈んだ戦艦「大和」も、干上がった海底にその姿を晒していたが、実は、選ばれた人類と生物を地球から脱出させる宇宙移民船へと極秘裏に改造中だった。地球防衛軍は、この「大和」に、波動エンジンを搭載し、コスモクリーナーの受領のための宇宙戦艦「ヤマト」に改造した。

14万8千光年の彼方、大マゼラン星雲イスカンダル星に向け、1年以内に地球に帰還しなければ人類滅亡という状況下、宇宙戦艦ヤマトは人類最後の希望を託されて往復29万6千光年の旅に発つ。

ヤマトはガミラス帝国と戦い、未知の宇宙空間における障害を乗り越えながら、イスカンダルを目指して行く。

制作の経緯[編集]

本作は、虫プロ商事瑞鷹エンタープライズにも籍を置いていたオフィスアカデミーのプロデューサー西崎義展虫プロダクション山本暎一に声をかけ1973年の初め頃に企画を立ち上げた[2][3]。前2作(『海のトリトン』、『ワンサくん』)を商業的に失敗で終えた西崎はロバート・A・ハインラインの『地球脱出』(後に『メトセラの子ら』に改題)における「地球の危機的状況から脱出して宇宙に移住の地を求める」話に刺激を受けた[4]。これに豊田有恒スタジオぬえのメンバーが参加して練られたものである。テレビアニメ草創期に虫プロでアニメの脚本を執筆していた豊田は、当時アニメ界から離れていたが、西崎と虫プロ出身である山本暎一の要請に応える形で参加した[5]

ちなみに西崎は、子供の頃に海野十三[注 1]南洋一郎によるSF冒険作品から影響を受け、透明な飛行機や空飛ぶ戦艦などに憧れていた[6]

最初の企画案は、藤川桂介と豊田有恒が競合する形で創られた。

藤川案におけるタイトルは『宇宙戦艦コスモ(仮題)[7]

一方、豊田案におけるタイトルは『アステロイド6』。『西遊記』を下敷きにして遠い異星に人類を救う放射能除去装置を取りに行くという基本ストーリーで[8]、この段階での敵はコンピュータだった。宇宙船は、小惑星そのものにエンジンを組み込んだもので、「岩石宇宙船イカルス」と呼ばれていた[9]

豊田案が提出用企画書の原案となり、岩石宇宙船の内部に戦艦が内蔵された「アステロイドシップヤマト」なるアイデアに変更された。その名残りがアステロイドリングに見られる。

宇宙船のデザインはスタジオぬえの松崎健一が行い、戦艦「三笠」のイメージ[10]から「長門」らしくなり、最終的には「大和」となった。企画書(後述)に描いたのは背景監督の槻間八郎だった[11]

当時の世相として、公害問題やオイルショックなど大規模な社会問題が頻発し、『ゴジラ対ヘドラ』や『日本沈没』『ノストラダムスの大予言』『漂流教室』など、1970年代前半には“滅亡”や“公害”をテーマにした作品がブームとなっており[12][13]、放射能汚染による地球の滅亡と復活という内容には、そうした公害と終末ブームという世相が企画当初から意識されていた[8]

その後、元虫プロの作家の石津嵐、脚本家の藤川桂介、イラストの斉藤和明、背景美術の槻間八郎が加わり検討が繰り返された結果、敵は異星人となり、放射能汚染された地球を救うためにヤマトが放射能除去装置を求めてイスカンダル星を目指すという大筋が完成した。この時点で、ワープ航法や波動砲といったヤマトを象徴するギミックも考案されている。

1973年夏の終わり頃までに『宇宙戦艦ヤマト』の名を冠した企画書[14]が完成。全45ページにおよぶ同企画書は、『ポセイドン・アドベンチャー』や『日本沈没』に触れる導入部から始まり、全52話のプロット、ヤマト艦内の命令系統図、ヤマト本体のスペック、イスカンダル到着までの日程・行程、乗組員の制服・武器、さまざまな惑星・異星人・宇宙船などに関する諸設定をイメージ・イラスト付きでまとめていた[15]

1974年の4月頃になって、松本零士がデザインのスタッフとして参加依頼を受けた。これは、設定制作の野崎欣宏の推薦によるものだった[4]。既に『宇宙戦艦ヤマト』のタイトルも読売テレビでの放映も決定していた段階での参加だったが[16][17]、結果的にキャラクターや個々のストーリー作りなど作品制作に深く関わるようになる。さらに監督を務める予定だった山本暎一が、他の仕事のため1974年6月末にヤマトから抜けることになったことにより、松本が石黒昇のサポートを受けながら監督も務めた[4]。松本は、キャラクターやメカのデザインをするとともに、『新選組血風録』を元に若者の集団劇を構成した[18][19]

一説では、『セクサロイド』に感銘した西崎が松本にデザイン監修を持ちかけたところ、「全てを任せてもらえるのでなければ」といったん断られたが、上記のように山本が離脱したため、西崎が松本の条件を受け入れることになったとされている[20]。これについて西崎は1978年のエッセイで、『セクサロイド』で機械と人間がうまく共存している描写に共感を覚え、また同作における女性のイメージが自分の理想像になったと述べている[6]

松本は、上記の1973年の企画書にあったキャラクター設定・メカ設定を一新し、1974年5月21日に基本ストーリーの初稿を執筆した。「ガミラス」という名称が初めて使われたのも、この稿である[20]

放映の決定[編集]

西崎はテレビ局へ企画を持ち込み、1974年8月に読売テレビに売り込むためのパイロットフィルムが制作された[21]。こうして『宇宙戦艦ヤマト』の放映枠は日本テレビ系の日曜19時半に決まった。企画当初は虫プロでのアニメ制作が予定されていたが、虫プロは倒産し[22]、本作はオフィス・アカデミーで企画製作を行うこととした。なお、『宇宙戦艦ヤマト』の企画は西崎プロデューサーが在籍していた瑞鷹で行われ、フジテレビ系の裏番組『アルプスの少女ハイジ』が瑞鷹の製作番組だったため、道義上の問題から、別会社での製作になったのだという瑞鷹の高橋茂人の見解もある[23]

なお、当初の企画書では全52話だったが、放送決定時には全39話に短縮された[24]

『ハイジ』の裏番組になったため『ハイジ』の視聴者である幼児をターゲットとせず、本作は『ルパン三世(旧)』、『ゼロテスター』と同じく中学生以上を取り込む事になった[25]

製作状況[編集]

制作するスタジオは広く、スタッフの質と量は通常のテレビアニメなら4シリーズ分が制作できるだけの人材が投入されたが、絵コンテで参加した安彦良和は西崎プロデューサーによる会議の連続でスケジュール管理が破綻していたと証言している[26]。そのため現場はかなり過酷な環境であったと言われ[27]、打ち切りは低視聴率のせいではなく、放送スケジュールに間に合わせてフィルムを納品できなくなったため西崎の側から降りたのではないかと安彦が推測するほどであった[26]。映像が間に合わずシナリオだけで録音をしたという声優の証言もある[要出典]。作中の七色星団会戦は、「タイガープロ(作画プロダクション)をつぶしかねない程の日程と描きこみが行われた」とする当時の同プロダクション代表・白土武の証言もある[要出典]。要因として、西崎の会議主義のため会議が多く、製作現場で描く時間がなかったことが挙げられている[26][27]。後年に徳間書店から発売されたロマンアルバムなどの資料によれば、会議中に作画された絵がそのまま決定稿として採用されたという。

音楽とストーリーの融合性も当初から重視していた西崎は、『ワンサくん』で組んだ宮川泰を引き続き起用し、山本暎一と相談しながら、迫力あり、かつ番組の基本テーマを強調するような音楽を製作するよう依頼した[6]

主題歌を歌ったささきいさおの証言によれば、プロデューサーである西崎からは「想いをこめて男のロマンを」と、音楽監督である宮川からは「いさましく」と指示されたため、混乱したという。録音テイクでは、かなりのNGが出た後、声を嗄らしたささきの歌声が、悲壮なロマンを彷彿とさせるということで決定となったそうである[28]

別バージョン[編集]

第1話、第2話、第22話には諸般の事情により本放送で使用されなかったり、再放送以降使用されない別バージョンが存在し、それぞれ「NG版第1話」、「再放送第2話」、「本放送NG第22話」と呼ばれている。これらは『宇宙戦艦ヤマトDVDメモリアルボックス』及び『宇宙戦艦ヤマトTV BD-BOX』に映像特典として収録されている[29]

第1話
NG版第1話では島大介の声が仲村秀生ではなく、新人であった野村信次(本放送では相原義一役)が演じているが、古代の声を演じた富山敬にトーンが重なるために、本放送版では落ち着いた仲村秀生に変更され、島の声だけが再録音された。他にも沖田艦に格納される100式探索艇の入庫角度がやや異なったり、OPとEDの歌手がささきいさおではなく、山崎あきら子門真人風に歌っている。このNG版第1話の原盤は現在紛失しており、メモリアルボックスでは簡易テレシネで録画した家庭用ビデオ版から収録している。
第2話
再放送版第2話では大日本帝国海軍戦艦大和の出撃シーンと続く戦闘シーンで「軍艦マーチ」がBGMとして使用されている。本放送時に、戦争賛美アニメとレッテルが貼られるのを避けたい松本監督と石崎すすむら若手現場スタッフが西崎プロデューサーに猛反対し、放送直前のためにフィルムのプリントが間に合わなかったため、新潟地方を除く全国では、軍艦マーチの部分をヤマトBGMにテープで切り替えられて放送された[30]。しかし1975年から1978年までの再放送では、本放送のヤマトBGM版のフィルムで放送された地方と、「軍艦マーチ」版のフィルムで放送された地方があった。
第22話
本放送NG版第22話とは1975年3月2日に放映された本放送バージョンで、通常のヤマトの宇宙背景は暗紺色が基本であるが、この第22話の七色星団の戦闘での宇宙背景はドメル艦隊側を暗黒星雲、ヤマト側を七色混成発光星域の明色宇宙と区別されるべきであったが、通例の暗紺宇宙背景のまま撮影されてしまった。他にも、本来同一画面に映るはずのないガミラスファイターと急降下爆撃機が重なってしまったり、ラストの宇宙葬の場面で古代のセリフがないのに口が動き、いわゆる「口パク」になるといったNGシーンがあった。
制作の遅れから本放送ではNGシーンを修正する間もなく放送されたが、第26話制作の直後には再撮影と編集作業が行われ、1977年以降の再放送には新プリントされた修正版が放送されている[注 2]

放映と影響[編集]

1974年10月6日から1975年3月30日まで26回にわたり、讀賣テレビ放送をキー局として放映された。 当初は最大39話(企画時では全51話)の放送を予定し、小マゼラン基地撃破編などのストーリーが用意されていた。視聴率ビデオリサーチ調べで平均6.0%、ニールセン調べで平均7.3%に終わった[31]。しかしながらSFファンからは人気を得て、日本SF大会のファン投票で星雲賞を受賞する。

低視聴率に加えて、前述の過酷な制作、そして1話あたり予算が500万円の計算だったのが800万円かかって[32]、1話制作すると100万円単位の赤字が出たために[33]、第3クールへの延長は第1クール中に断念され、終盤への伏線を削除して全26話に再構成の上で製作・放映された。

しかし、再放送や映画化により社会現象とも言える人気を得て、ヤマトブームのみならず、後述のアニメブームの他、アニメ史上でさまざまな影響をもたらした。

同人誌即売会コミックマーケットは当初は少女マンガが中心であったが、本作によりアニメのサークルの参加が増え始めた[34]

1970年代から1980年代の声優ブームは、本作のヒットによってアニメ声優が注目された影響とも言われる[35][36]

漫画市場においても、『宇宙戦艦ヤマト』が、漫画とテレビアニメの関係がどちらが主体とは言い難い複雑で密接なものとなり、メディアミックスによる市場拡大がなされる転機となった作品との評価がある[37]

後のクリエイターに与えた影響も大きく、庵野秀明出渕裕らはヤマトがなければ今の自分はなかったとの旨を語っている[38][39]

本作が当時の中高生に人気を博した理由に関して、社会学者からモラトリアムの拡大が指摘されている。当時は高校進学率や大学進学率が大きく伸びており、モラトリアムの期間が拡大した結果、中高生が本作のようなアニメを楽しむ余裕があったとされている[40]

日本国外[編集]

日本国内だけでなく、アメリカで1977年に再編集した劇場版『Space Cruiser Yamato』が公開され、1979年より『Star Blazers』という題名で、シンジケーション番組としての都市部でテレビ放映された。『STAR BLAZERS』視聴率はさほどでもなく、その人気はアメリカ全土ではなく東海岸を中心にしたものにとどまった。『科学忍者隊ガッチャマン』の改変に比較すると、『STAR BLAZERS』の改変は暴力的な描写や戦艦大和の削除などわずかにとどまった。宇宙戦艦ヤマトの艦名はギリシア神話に登場するArgo(アルゴー船)に変更され、登場人物もWASP風に改名された[41][42]

アメリカから再輸出されたオーストラリアイタリアなどの国々でも同様である。

アジアでは、韓国1981年に『宇宙戦艦V号』(우주전함V호)のタイトルで放送され[43]、『銀河艦隊地球号』(은하함대지구호)という模倣作品も登場した[44]香港では『太空奇艦』として放送され、ともに漫画版や絵本ムック海賊版も出版されていた[45]台湾では『宇宙戰艦』のタイトルで放送された(但し、テレビ版第1作と第2作のみ)。

アニメブーム[編集]

再放送で起こった本作のブームを引き継ぐ形で『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』が人気を得たことで、ヤマトブームに終わらず、アニメブームの火付け役になったとの評価が定着している[46][47]

1975年3月末の本放送の終了後、西崎プロデューサーの資金繰りで再放送の権利が『ワンサくん』と抱き合わせで東北新社に売却[48]。実際は、1975年の再放送時には再放送権は売却しておらず東北新社は西崎の再放送権売却の提案を蹴っており、再放送の業務委託をしたに過ぎない。再放送は西崎が独自に実施し大ヒットさせた。そのヒット後、当時東北新社代表である植村伴次郎が”あの時買っておけば良かった”と後悔したことを西崎に言った逸話がある。1975年夏に近畿地方から再放送が始まり、1975年秋から全国的に行われる人気が高まる[49]。高視聴率を得たほか[50]、これをきっかけに全国各地でファンクラブが結成される[49][51]。ファンクラブは最盛期には全国で851団体、15万人を数えたという[52]。ファンクラブは西崎プロデューサーの呼びかけに応えて、主題歌のラジオ番組へのリクエストや映画公開の際にはポスター貼りなどを行って、ヤマトブームの盛り上げに一役買った[53]。1977年12月には、オフィスアカデミーが主宰し、西崎が会長の公式ファンクラブ「宇宙戦艦ヤマト・ファンクラブ本部」が発足し、機関誌「宇宙戦艦ヤマト」を発行していた[54][55]

そして、『宇宙戦艦ヤマト』によって多数誕生した中高校生・ハイティーン世代のファンへ向けてアニメ雑誌が誕生した。当時は、児童向けのテレビ雑誌の『テレビマガジン』『テレビランド』『冒険王』があった程度で、アニメ雑誌が存在せず、まずサブカルチャー雑誌としてスタートした『月刊OUT』が1977年6月号(創刊第2号)でヤマト特集を行った。このヤマト特集は、同人活動を行なっていたファンの小牧雅伸氷川竜介、伊藤秀明(ケッダーマン)をライターに起用して執筆がなされ[56]、雑誌としては異例の増刷になった[57][58]。若者向けの商業誌で本格的にヤマトが取り上げられたことは初めてであり[56]、この『月刊OUT』の50ページのヤマト特集がヤマトブームの火つけ役だったとも言われる[59]。さらに同年8月に発売されたテレビランド増刊『ロマンアルバム宇宙戦艦ヤマト』はファンクラブに入っていない層からの多大な反響を得て、『アニメージュ』に繋がるアニメ雑誌の流れを作る[60][61]

ヤマトによって形成された世代層向けに、本作の成功面と失敗面を研究して『機動戦士ガンダム』が企画された[62]ことを、日本サンライズに在籍していた飯塚正夫や元社長の山浦栄二と吉井孝幸が証言している。元々『機動戦士ガンダム』の企画は、宇宙空母ペガサスを主役として企画されたものだった[63][64]バンダイにとっても、ヤマトのプラモデルのノウハウは、ガンプラに活かされることになった(詳細は、#関連商品#玩具を参照)。

社会・暗部への影響[編集]

上記の様な一般社会への好ましい影響ばかりではなく、カルト教団と云った社会の暗部にも影響を与えている。特にオウム真理教はさまざまなサブカルチャーの影響を受けていることが指摘され、本作についてもその一つとして影響が取り沙汰されている。具体的には空気清浄機のコスモクリーナー、行動部隊の白い愛の戦士という名称、教団の自主アニメにおける宇宙船のコクピットとコスチューム、滅びに瀕した人類を救うというモチーフなどである[65][66][67]

英語表記[編集]

1977年に第1作を再編集して輸出した映画版の英語表記は『Space Cruiser Yamato』だった。プロデューサーの西崎義展がクルーザーを所有していたためとされる[68]。現在は『Space Battleship Yamato』に変更されている。

アメリカ合衆国では、『STAR BLAZERS[69] の題名でテレビ放映された。

主な登場キャラクター[編集]

地球人[編集]

沖田十三
ヤマト艦長。52歳。
歴戦の勇将だが、宇宙放射線病に侵されている。イスカンダルへの旅を命を賭けるだけの価値があるものだと考え、ヤマトに乗り込む。
古代進
ヤマト戦闘班長。17歳。
沖田以外のヤマト乗組員の中では唯一家族を一人残らず失っている。兄を戦死させた沖田を当初は信用していなかったが、次第に信頼していくようになる。血気盛んな性格で、命令違反や独断行動をよくとっていたが、航海の中で成長して行き、バラン星での戦闘後、沖田から艦長代理に任命される。
森雪
ヤマト生活班長。17歳。
ヤマト唯一の女性乗組員[注 3]。後に古代と恋仲となる。
島大介
ヤマト航海班長。17歳。
古代とは親友でありライバル。古代とは対照的に冷静な性格で、イスカンダルへの航海を最優先に考える。
古代守
駆逐艦ゆきかぜ艦長。冥王星会戦において、撤退命令を拒否し、敵艦隊へ特攻していき行方不明となる。

イスカンダル人[編集]

スターシャ
イスカンダルの女王。地球へ救済の手を差し伸べる。
サーシャ
スターシャの妹。波動エンジンの設計図を持って地球へ向かうが、ガミラスの攻撃を受け火星に不時着。古代と島が発見したときには既に息絶えていた。

ガミラス人[編集]

デスラー
大ガミラス帝国を統べる総統。地球への移住を計画する。
ヒス
大ガミラス帝国の副総統。
ドメル
太陽系方面作戦司令長官。歴戦を潜り抜けてきた名将で、ルビー戦線から凱旋帰国した後、ヤマト討伐に志願する。
ゲール
太陽系方面副司令官。元は司令官だったが、ドメルの着任に伴い降格された。ドメルとは折り合いが悪い。
シュルツ
ガミラス冥王星前線基地司令官。遊星爆弾を使用し、地球環境の改造を行った。

主な登場メカニック[編集]

地球防衛軍[編集]

艦艇[編集]

宇宙戦艦ヤマト
本作の主役戦艦。全長265.8m。乗組員数114名。
イスカンダルから提供された波動エンジンの設計図により、地球で最初に光速突破を果たした。元々は選ばれた人類を乗せて地球を脱出するために造られた移民船。
沖田艦
地球防衛艦隊に所属する宇宙戦艦。冥王星会戦において唯一生還した。
突撃宇宙駆逐艦ゆきかぜ
地球防衛艦隊に所属するミサイル艦で、古代守が艦長を務める。同型艦が多数登場するが、全艦撃沈される。

航空機・宇宙艇[編集]

コスモ・ゼロ
ヤマト艦載機。
ブラックタイガー
ヤマト艦載機。

ガミラス軍[編集]

ガミラス軍の艦艇[編集]

駆逐型デストロイヤー艦
ガミラスの中では最もポピュラーな艦艇。ヤマトより旧型の地球艦では全く歯が立たない性能を有している。
高速空母
ガミラスが保有する円盤型の空母。発進前のヤマトを急襲した。
ドメラーズ2世
七色星団の戦いにおけるドメル艦隊の旗艦。艦首両舷に瞬間物質移送器を搭載しており、艦載機をワープさせることでヤマトへの奇襲を行った。
三段空母
ガミラスの精鋭空母。4つの飛行甲板を有する。七色星団の戦いにおいて、ルビー、サファイア、ダイヤ戦線から3隻が召集された。
戦闘空母
ガミラスの精鋭空母。飛行甲板を反転させることで多数の砲門を露出させ、砲撃戦も行うことができる。七色星団の戦いにおいて、オメガ戦線から召集された。
デスラー艦
デスラーの座乗艦で、元はガミラス天井都市にある総統府。艦首に波動砲と同原理のデスラー砲を搭載している。

ガミラス軍の航空機・宇宙艇[編集]

ガミラス戦闘機
冥王星前線基地等に配備されている戦闘機。後に偵察の機体の1機がヤマトに鹵獲された。
ドメル式DMF-3型高速戦闘機
七色星団の戦いにおいて第1空母に搭載された戦闘機。通称「ガミラスファイター」。
ドメル式DMB-87型急降下爆撃機
七色星団の戦いにおいて第2空母に搭載された爆撃機。
ドメル式DMT-97型雷撃機
七色星団の戦いにおいて第3空母に搭載された雷撃機。
重爆撃機
七色星団の戦いにおいて戦闘空母に搭載された大型の爆撃機。ヤマトの波動砲口にドリルミサイルを発射した。

ガミラス軍の各種兵器[編集]

遊星爆弾
地球に投下されている隕石型の爆弾で、地球上の都市を壊滅へ追いやり、地表を放射能で汚染した。
反射衛星砲
冥王星前線基地に配備されていた拠点防衛兵器。反射衛星を中継して砲撃を行うことができ、事実上の死角がない。

登場勢力・天体[編集]

太陽系
地球
太陽系第3惑星。ガミラスの手によって地表を放射能汚染されており、その放射能が地下都市をも汚染しつつある。
地球防衛軍
地球を守るために編成された軍。ガミラスとの戦いで消耗しきっており、最後の頼みである地球防衛艦隊も冥王星会戦で壊滅した。
火星
太陽系第4惑星。冥王星会戦の最中、サーシャが不時着した。
木星
太陽系第5惑星。波動エンジンに異常を来たしたヤマトがその引力につかまり、木星圏へ引き寄せられた。
浮遊大陸
木星の雲の中の衛星軌道に乗っている大陸。ガミラスによって占領されていたが、ヤマトの波動砲によって消滅した。
土星
太陽系第6惑星。
タイタン
タイタンの衛星。コスモナイトが微量に埋蔵されている。
冥王星
太陽系第9惑星[注 4]。ガミラスの前線基地が設置されている。
太陽系サンザー
大マゼラン星雲内にある恒星系。
イスカンダル
サンザーの第8惑星。ガミラス星とは二重惑星の関係。
ガミラス帝国
サンザーの第8惑星を母星とする星間国家。20世紀の始め以来、宇宙侵略を着々と進めていたが、母星の寿命が近づいたため地球への移住を計画し、地球人類の抹殺を計る。
オクトパス原始星団
銀河系と外宇宙の境界付近にある8つの原始星で構成された星団。ヤマトはここで3週間もの足止めを食うことになる。
ビーメラ星
銀河間空間に存在する惑星。昆虫型のヒューマノイドによる社会が構成されているが、現在ではガミラスの支配下に置かれ、ガミラスの傀儡と化した女王による恐怖政治が行われている。
バラン星
銀河系と大マゼラン星雲のちょうど中間に位置する惑星。ガミラスの基地が存在する。主星を持たない暗黒の星だが、ガミラスによって打ち上げられた人工太陽が惑星の周囲を周っている。
七色星団
大マゼラン星雲の手前にある星団。それぞれ違った習性に基づく6つの星とガス状の暗黒星雲からなる混成星団。ヤマトとドメル艦隊による決戦が行われた。

用語[編集]

波動エンジン
イスカンダルから伝えられた恒星間航行用エンジン。宇宙エネルギーを取り込み圧縮して、光よりも速いタキオン粒子に変換し、それを動力とする。
宇宙キロ・宇宙ノット
本作で使用される架空の単位。宇宙キロは宇宙空間での距離を表す場合に、宇宙ノットは宇宙空間での艦船などの速度を表す場合に使用される。宇宙キロ、宇宙ノットは共に、本作に限らず松本作品で宇宙を舞台とした作品でしばしば使用されるが、実在する距離・速度との換算が作中に明確に登場したことはない。
宇宙放射線病
ヤマトの初代艦長沖田十三が度重なる海戦で受けた戦傷により発症する。ヤマト出航前には、すでに蝕まれており、航海途中に悪化する。本作のリスペクトとして『トップをねらえ!』、続く『トップをねらえ2!』に同様の病名が登場している。
コスモクリーナーD
イスカンダル星の所有する放射能除去装置。イスカンダル星のスターシャから、「滅亡したくなければ、受け取りに来るように」のメッセージが地球に送られ、ヤマトは旅立つことになる。
イスカンダル星ではパーツ単位で引き渡され、スケジュールの関係上、地球への帰路の最中に真田志郎により艦内工場にて組み立てられる。地球到着直前、不測の事態により試運転もなしに起動、空気から放射能を除去する過程で酸欠状態を作り出してしまうことが判明、改修が行われた。
そして、ヤマトの帰還とともに、荒廃した地球がもとの青さを取り戻す光景が、本作のラストシーンとなった。

未使用設定[編集]

古代守が松本のオリジナルキャラクターであるキャプテンハーロックの名前で再登場する事や、小マゼラン星雲での戦い、ヤマト艦内に潜入した女性兵士イローゼの破壊工作なども企画されたが、視聴率低迷の影響で話数が削減され未使用に終わった[70]

放送開始当初は、航海途中での大規模な反乱が予定されていた[70]。 その首謀者は初期プロットでは真田技師長だったが、監督の山本暎一が首謀者は徳川機関長だと勘違いしたため、出航当初は艦橋にいた機関長が途中から機関室に籠る描写が増えたり、島航海長と対立したりといった伏線が描かれていた。 シリーズ中盤、部下の藪機関士が徳川機関長を焚き付けるような台詞を口にした点について他のスタッフから指摘されて山本も勘違いに気付き、また低視聴率による放送短縮により徳川機関長率いる機関部員の反乱はオミットされたが、その名残として薮がイスカンダルで反乱を起こすことになる[71]

主題歌[編集]

オープニングテーマ「宇宙戦艦ヤマト」
エンディングテーマ「真赤なスカーフ」
2曲とも、作詞 - 阿久悠 / 作曲 - 宮川泰 / 歌 - ささきいさおミュージカル・アカデミー(初回盤)。

コーラスグループは再発売の際にロイヤル・ナイツに変更された。その後の商品化ではロイヤル・ナイツ版(の『宇宙戦艦ヤマトIII』のオープニング曲)を収録するのが通例となっていた。ミュージカル・アカデミー版は2000年春に通信販売限定で発売された『松本零士音楽大全』で初回盤以来の商品化(初CD化)が実現し、同年発売のささきのベスト・アルバム『佐々木功ソングブック グレイテスト・ベスト』に収録されたことで通常市場にて正式に復活した。2001年、本編に使用された歌曲を全曲収録した「宇宙戦艦ヤマト ETERNAL EDITION File No.10 Yamato The Best」には「ミュージカル・アカデミー」版が収録され、その反対に「ロイヤル・ナイツ」版が番外化し、他の本編未使用歌曲とともに「Yamato The Best II」に収録された。

ささきいさおは1978年のインタビューで、主題歌に子門真人が関わっていた(歌手オーディションに参加した)と証言した。これについて、当時、日本コロムビア文芸部に所属していた堀江美都子は、子門がオーディションで歌った可能性はあると述べている[72]。当時の日本コロムビアでは、主題歌製作の際、まず歌を作ってからオーディションで歌手を選ぶという基本方式をとっていた。中には『仮面ライダー』『仮面ライダーV3』などのように、異なる歌手による録音を実行するケースもあったが、本作で子門版が録音されたかどうかは不明である。2005年にNHK-BS系列局で放映されたTV番組内で、ささきいさおは当時のことを「自分の他に何名かの歌手が既にデモテープの録音を済ませており、その中に子門(真人)さんの名前があった」と語っている。ただし、ささき自身は子門が吹き込んだとされる「ヤマト」のデモテープを実際に聴く機会は無かったという。

オープニング・テーマはハ短調であるが、録音に際してささきいさおに渡されていた譜面は、調号を書き忘れたハ長調のものだった。オーケストラの演奏を聴いて、事態に気付いた彼は1時間で譜面を覚え直して録音に臨んだという。[73]

さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』上映期の「ヤマト・ファンクラブ本部」会報や『冒険王』1978年9月号などに、阿久悠自身の作詞によるOPの3・4番が掲載された[74]。どこかで歌唱されたとの説もあるが、その音源が存在するかどうかは不明である。また、宇宙戦艦ヤマト全記録集のTVシナリオ版(1979年)では、阿久悠自筆原稿よりOPの1・2・3・4番が掲載されている。

エンディングテーマ「真赤なスカーフ」は、プロデューサーの西崎義展がファンクラブにリクエストするよう働きかけ、ニッポン放送のリクエスト番組で1位になった[75][76]

オープニング主題歌は21世紀に入ってからも高校野球応援歌の定番の曲で、阪神甲子園球場などではブラスバンドが頻繁に演奏している。そのほか、Jリーグ柏レイソルの応援歌としても採用されている。2007年のリーグ戦ではこのアニメのネタを引用して、試合に勝利するたびに「地球滅亡まで勝ち点○○」という横断幕が掲げられた。海上自衛隊の海外派遣の際には見送りの曲として使用される。阪神タイガース前田大和は、自身の名前にちなんで入場曲として採用している。2013年7月1日からはJR西日本呉線呉駅接近メロディーにも採用されている[77]

2006年3月21日に亡くなった宮川泰の葬儀時、遺言により葬送の曲として使われた[78][79]

オープニング主題歌のバージョン
  • テレビ版『宇宙戦艦ヤマト』のオープニングで使用された主題歌には、4バージョンが存在する。
バージョン1(第12話 - 第21話)
市販の音源には原則としてこのバージョンのフルサイズが収録される。
バージョン2(第5話 - 第11話)
バージョン1とイントロ部が異なる。効果音の後に途中から入る。
バージョン3(第1話 - 第4話・第22話)
イントロ部が合唱。上記バージョンとはコーラスと曲のミックスが異なる。ささきいさおの歌は軽くエコーが掛かっているが同じ音源を使用している。
バージョン4(第23話 - 第25話)
バージョン3と同様イントロ部は合唱だが、エンディングのコーラス部分と長さ、歌詞表記の有無、アニメーションが異なる。
『宇宙戦艦ヤマト2』
『宇宙戦艦ヤマト』バージョン1のイントロのサウンドエフェクトが異なっている。
『宇宙戦艦ヤマトIII』
『宇宙戦艦ヤマト2』と同じバージョンの最後の部分(「銀河を離れ〜」以降)を『宇宙戦艦ヤマト』の別バージョン(『宇宙戦艦ヤマト』で使われたバージョン3&4のエコーが掛かっていないもの)に差し替えてミックスした曲。エンディング部分が短くなっている。
第1話NG版の子門真人風に歌う山崎あきらの別テイクが収録されている。
「英語盤 SPACE CRUISER YAMATO」
シングル盤。発売元:日本コロムビア株式会社。商品番号:CK-517。発売日:1978年12月[80]
A面:SPACE CRUISER YAMATO(2分12秒)。
B面:THE RED SCARF(3分00秒)。
2曲とも、日本語オリジナル版のカラオケ(作曲・編曲 - 宮川泰)を流用したもので、訳詞はDonald P. Berger、歌はささきいさおによる(バックコーラス無し)。
外国版の主題歌
Star Blazers-Iscandar(Star Blazersの最初の主題歌、歌手不明)
Star Blazers-Comet Empire
Star Blazers2

番組挿入歌(スキャット)は歌手の『川島和子』が担当している。

スタッフ[編集]

企画・原案・プロデューサーは西崎義展、監督は松本零士(絵コンテ・美術・設定デザインも担当)、演出は石黒昇。松本のキャラクター原案を元にしたキャラクターデザインは岡迫亘弘。SF設定は豊田有恒。スタッフの多くが虫プロダクション(旧虫プロ)の出身者により占められた[81]山本暎一、藤川、宮川、石黒昇などのメインスタッフは前年の西﨑プロデュースの虫プロ作品『ワンサくん』から続投である [82]

演出の石黒昇は、アニメに初参加だった監督の松本零士をサポートし、絵コンテを全てをチェックして、西崎と松本のイメージを画面作りに反映する演出作業を行った。石黒はSF好きということもあり、無重力での爆発などヤマト独特の爆発フォルムを産み出したり、さまざまな自然現象のエフェクトアニメーションにも手腕をふるった[45][83]。作画面では、岡迫と芦田豊雄の虫プロ系と、小泉謙三のスタジオメイツと白土武タイガープロダクションと主に東映動画(現・東映アニメーション)の仕事を主にしていた作画プロダクションに二分された。そのため、作画監督によってキャラクターの顔が異なり、そのことは逆にアニメファンにアニメーターの個性を認識させる一因となった[84]。オープニングやバンクのヤマトの作画は泉口薫が担当した[85]

構成と監修でクレジットされている映画監督の舛田利雄は、西崎プロデューサーに監督とストーリーの監修を依頼されたが同時期に既に制作に入っていた東宝映画『ノストラダムスの大予言』の仕事のため、企画会議に3度出席しただけで実際にはテレビシリーズには直接タッチしていない[86]

初期の企画担当者で基本設定を考案した豊田有恒は、裏番組の『猿の軍団』の原作者の1人となったことから、脚本は執筆せず、監修という立場でSF設定の助言をするにとどまった[87]

企画段階から参加して企画書をまとめた山本暎一は「宇宙戦艦ヤマト」のロゴをデザイン。一旦は別の仕事の海外取材をしていたが、西崎プロデューサーの要請で復帰。各話のラフを担当した上に脚本を執筆してヤマトを人間ドラマ中心にシフトさせた他、脚本と絵コンテのチェックの役目を負った[88][89][90]

富野喜幸安彦良和らが制作スタッフとして参加しており、主に絵コンテを担当した。ただし富野は「ヤマト」制作への参加は当初から乗り気ではなく、強引に発注された絵コンテのストーリーが気に入らず内容を改竄して、参加は第4話のみに留まる。西崎主導の作品と分かって縁を切るために喧嘩を売ったのだと富野は自著で回想した[91][92]。ただし富野はプロデューサーとしての西崎については評価しており、「機動戦士ガンダム」を制作した理由もライバルとして評価する西崎を打倒するため、ロボットものを使ってでもヤマトを潰すためだったと公言している[93][94]

なお、監督については、クレジットされていた松本零士ではなく、実質的には、製作総指揮をとっていた西崎義展だった。三共と東北新社のパチンコの訴訟で、東京地方裁判所は各証拠に基づいて「本件映画の監督は,映画における表示では補助参加人P1とされていたが,その制作に当たっての実質的な監督業務は,P2が行った」という「当裁判所の判断」を下している[95]。松本自身も、著作者人格権裁判の後、2004年に西崎と交わした和解書で自身は「総設定・美術・デザイン」の担当であり、「監督」は西崎であったことを確認している[96]

音楽面では、西崎の強い意向で、フルオーケストラ(第1作は正確にはビッグバンド型式)をバックにした主題歌や楽曲が宮川泰の手で製作された。『ヤマト』以前は予算の制約からこのような例は多くなかった。

本作から、アニメ音楽のサウンドトラックはオーケストラが増えて、ビデオがまだ普及していない時代において音楽編とともにドラマ編がリリースされていた[97]

各話リスト[編集]

各サブタイトルはアフレコ台本上の表記どおり。また映画化においては、各エピソードに対し主に以下の変更点が加えられた。

  • シリーズ全体で構成に影響のない、一話完結エピソードはカット。テレビシリーズでは前後編にまたがっていたエピソードや戦いを、1回分に集約だけではなく劇場版用に描き直した部分もある。特に第26話の後半部分は石黒昇による絵コンテ、芦田豊雄らによる新規作画が行われている。
話数 放送日 サブタイトル 海外版サブタイトル 脚本 絵コンテ 演出助手 作画監督 背景 劇場版での編集反映 人類滅亡までの日数
第1話 1974年
10月6日
SOS地球!!甦れ宇宙戦艦ヤマト The Battle at Pluto 藤川桂介 松本零士
石黒昇
井内秀治 芦田豊雄 椋尾スタジオ 物語の発端であるため反映。 -
第2話 10月13日 号砲一発!!宇宙戦艦ヤマト始動!! Carrier Attacks the Sleeping Yamato 白土武 第3話と統合しつつ冒頭部分と回想シーンを反映。 364日
第3話 10月20日 ヤマト発進!!29万6千光年への挑戦!! Ultra-Menace Missile 石黒昇[注 5] 石崎すすむ 芦田豊雄
(作画演出)
水野尾純一 第2話の部分と統合しつつ発進のいきさつを反映。 363日
第4話 10月27日 驚異の世界!!光を飛び越えたヤマト Test Warp to Mars 富野喜幸
石黒昇
腰繁男 白土武 東篠俊寿 ワープテストを中心に反映。 362日
第5話 11月3日 浮遊大陸脱出!!危機を呼ぶ波動砲!! Jupiter's Floating Continent 松本零士
石黒昇
石崎すすむ 芦田豊雄 水野尾純一 波動砲テストをダイジェストで反映。 361日
第6話 11月10日 氷原に眠る宇宙駆逐艦ゆきかぜ! Paladin 田村丸 安彦良和 井内秀治 白土武 東篠俊寿 一話完結エピソードのため、カット。 359日
第7話 11月17日 ヤマト沈没!!運命の要塞攻略戦!! The Reflex Gun (Part 1) 藤川桂介 松本零士
石黒昇
腰繁男 芦田豊雄 水野尾純一 冥王星基地攻略戦をダイジェストで反映。 356日
第8話 11月24日 決死のヤマト!!反射衛星砲撃破せよ!! The Reflex Gun (Part 2) 安彦良和 石崎すすむ 小川隆雄 東篠俊寿 354日
第9話 12月1日 回転防禦!!アステロイド・ベルト!! The Asteroid Ring 腰繁男 小泉謙三 水野尾純一 一話完結エピソードのためカット。
ただしシュルツの戦死とアステロイドベルトのみ使用。
338日
第10話 12月8日 さらば太陽圏!銀河より愛をこめて!! We Will Return 田村丸 池野文雄 井内秀治 白土武 東篠俊寿 一話完結エピソードのためカット。
ただし太陽系との別離のみ反映。
315日
第11話 12月15日 決断!!ガミラス絶対防衛線突入!! Desslok Mines 藤川桂介 安彦良和
石黒昇
腰繁男 芦田豊雄 水野尾純一 ガミラスの作戦会議を第12話と統合して反映。 311日
第12話 12月22日 絶体絶命!!オリオンの願い星、地獄星 The Sea of Fire 田村丸 安彦良和 石崎すすむ 白土武 東篠俊寿 オリオン星の戦闘と沖田の発病を反映。 308日
第13話 12月29日 急げヤマト!!地球は病んでいる!! The Gamilon Pilot 藤川桂介 小泉謙三
石黒昇
長谷川康雄 小泉謙三 一話完結エピソードのためカット。
ただしドメル登場のみ反映。
305日
第14話 1975年
1月5日
銀河の試練!!西暦2200年の発進!! Octopus Star Storm 安彦良和 腰繁男 芦田豊雄 水野尾純一 一話完結エピソードのためカット 280日
第15話 1月12日 必死の逃亡!!異次元のヤマト Galactic Whirlpool 白土武 石崎すすむ 白土武 273日
第16話 1月19日 ビーメラ星、地下牢の死刑囚!! Stop at Beeland 山本暎一 安彦良和 野村和史 岡迫亘弘 東篠俊寿 267日
第17話 1月26日 突撃!!バラノドン特攻隊 Balanosaurus 藤川桂介 松本零士
石黒昇
腰繁男 白土武 263日
第18話 2月2日 浮かぶ要塞島!!たった二人の決死隊!! Magnetron Wave 安彦良和 石崎すすむ 芦田豊雄 260日
第19話 2月9日 宇宙の望郷!!母の涙は我が涙 Communication Satellite 山本暎一 石黒昇 腰繁男 岡迫亘弘 255日
第20話 2月16日 バラン星に太陽が落下する日!! The Artificial Sun 安彦良和 長谷川康雄 小泉謙三 一話完結エピソードのためカット。
ただしバラン星基地のカットなどを一部反映。
253日
第21話 2月23日 ドメル艦隊!!決死の挑戦状 Challenge of the Rainbow Galaxy 藤川桂介 寺田和男 坂本三郎 七色星団戦への導入部を反映。 215日
第22話 3月2日 決戦!!七色星団の攻防戦!! The Battle of the Rainbow Galaxy 松本零士
石黒昇
- 白土武 ほぼノーカットで反映。 214日[98]
第23話 3月9日 遂に来た!!マゼラン星雲波高し!! Dragged to Gamilon 山本暎一 安彦良和 石崎すすむ 芦田豊雄
小川隆雄
(作監補佐)
ヤマトの到着とガミラスの作戦を使用。 164日
第24話 3月16日 死闘!!神よガミラスのために泣け!! The Battle of Gamilon 腰繁男 小泉謙三 ほぼノーカットで反映。 161日
第25話 3月23日 イスカンダル!!滅びゆくか愛の星よ!! Iscandar 石崎すすむ 岡迫亘弘 イスカンダル到着後の大半を新規撮影。 131日
第26話 3月30日 地球よ!!ヤマトは帰ってきた!! The Journey Home 藤川桂介 松本零士
石黒昇
- 新規作画を交えて反映。
デスラーの逆襲と雪の戦死はカット。
-

放送局[編集]

ほか


ビデオソフト[編集]

下記のほか、3社から計4回ビデオ化がされている[99]

宇宙戦艦ヤマト TVシリーズPART1パーフェクトコレクション
販売元:バンダイビジュアル / 発売日:1990年7月27日
全7枚組のレーザーディスクのボックス。
宇宙戦艦ヤマト DVDメモリアルボックス
品番:BCBA-0530 / 販売元:バンダイビジュアル / 発売日:2000年07月25日
全5枚組のDVDのボックス。初回放送の再現という意図で製作されており、16mmの放送用フィルムや家庭用ビデオ収録の映像を収録している[99]。映像は当時最良の解像度のアナログ信号で収録された[99]。パイロット版やNG版第1話などの映像特典を多数収録している[99]
全64ページの解説冊子「宇宙戦艦ヤマト DVDメモリアルボックス 保完ファイル」が付属する。
なお、まだ本作の権利問題が解決する前に発売されたボックスのため、再生する際に冒頭で「原作・総設定 松本零士」のテロップが流れる。
宇宙戦艦ヤマト TV DVD-BOX[100]
品番:BCBA-3167 / 販売元:バンダイビジュアル / 発売日:2008年02月22日
全7枚組のDVDボックス。ハイビジョン対応テレビが増え始めている中で立てられたHDリマスター化企画により、西崎義展の監修の下製作された[99]。35mmのオリジナルネガから、映像をHDリマスター化して収録している[99]。映像特典の類はない。
全27ページの解説冊子「宇宙戦艦ヤマト TV DVD-BOX 記録ファイル」が付属している。この冊子は、上記の「宇宙戦艦ヤマト DVDメモリアルボックス 保完ファイル」の続編として作成されている[99]
宇宙戦艦ヤマト TV BD-BOX[101][102]
品番:BCXA-0451(スタンダード版)、BCXA-0452(豪華版) / 販売元:バンダイビジュアル / 発売日:2012年07月27日
全5枚組のBDボックス。上記の「TV DVD-BOX」と同様、35ミリHDネガテレシネを行った高画質映像を収録している。絵コンテ本編再生と初回放送版再現モード、およびオーディオコメンタリーを特典映像として収録。完全初回限定生産の豪華版にはさらに映像特典や音声特典を収録した特典ディスクが追加されている。
全36ページの解説冊子「宇宙戦艦ヤマト TV BD-BOX スタンダード版ファイル」が付属し、さらに豪華版には全64ページの「宇宙戦艦ヤマト TV BD-BOX 豪華版ファイル」が併せて付属する[注 6]

劇場版[編集]

宇宙戦艦ヤマト
監督 舛田利雄
脚本 藤川桂介
山本暎一
原案 西崎義展
製作 西崎義展
製作総指揮 西崎義展
ナレーター 木村幌
音楽 宮川泰
編集 鶴渕允寿
配給 オフィスアカデミー(東急レクリエーション
東映洋画(東京都外)[103]
公開 日本の旗 1977年8月6日
上映時間 151分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
興行収入 21億円[104]
次作 さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち
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1977年、テレビ放映版を再編集したものが劇場公開された。テレビでは商業的に失敗に終わったヤマトを、日本国外輸出向けに舛田利雄と山本暎一らの協力で再編集したもので、西崎プロデューサーはこれを最後にアニメから手を引き、ファン向けに1週間だけ劇場公開するつもりだったという[105][106]

以下、劇場映画化と国外展開に関する、おおまかな流れについて述べる。

テレビ放送終了後の再製作[編集]

テレビ放送終了後、第22話の再撮影が行われた[107]。同話は、過密スケジュールの影響でNGシーンが入ったままテレビ放送されていたが(#別バージョン参照)、第21話 - 第22話(七色星団の戦い)を1つにまとめて40分の中編映画としてフィルム・レンタル会社に売り込むことを想定し、修正されることになったのである。ここから劇場映画化というアイデアが生まれた[107]

1975年5月、劇場向けの再編集開始。

当初は5時間の長さであったが、舛田利雄の監修のもと沖田艦長の物語に焦点を当てる方針で第13-19話分を丸ごと削除するなどして、約2時間短縮した[107]

さらに、イスカンダル到着シーンの脚本が書き直され、最終回のデスラー再襲シーンも削除され、2時間8分まで短縮。イスカンダルのシーンは、スターシアがすでに亡くなっており、立体ホログラムで登場するという設定で、石黒昇が新たな絵コンテを起こし[108][109][107]、芦田豊雄のスタジオが作画を行った[107][110]。よって、古代守の生存・再登場もない。このシーンが入っているバージョンは、俗に「スターシア死亡編」と呼ばれる。なお、もともと16ミリのレンタルフィルム向け総集編として製作されたことと予算不足で、追加シーンは16mmフィルムで撮影されている。そのため35ミリフィルムで撮影されたテレビ版からの再利用部分に比べると画質が粗い[107][109]

テレビ版の再評価[編集]

1975年9月より札幌地域、翌1月より読売テレビ系で再放送が始まり、他地域でも続々と再放送が行われるにつれ、『宇宙戦艦ヤマト』が再評価されるようになり、特に関東地域では20%の視聴率を記録した[107]

日本国外での展開[編集]

1976年頃までに、オフィスアカデミーは日本映画の国外販売に従事するようになっており、『宇宙戦艦ヤマト』もそのラインナップに加えられた[107]。その際、上映時間が短い方が売りやすいということで、さらにオリオン星関連のシーン(第12話)を削除して1時間38分まで短縮された[107]

1977年5月、英語吹替版『Space Cruiser Yamato』(「スターシア死亡編」)が第30回カンヌ国際映画祭に出品された[111][107]。英語版のチラシも配られ、アメリカ合衆国メキシコカナダイギリスフランスなど、11か国の配給会社と契約が成立[112][107]。アメリカでは映画館での上映のみでなく、一部ではテレビ放送も行われた[注 7][107]

日本国外での評価[編集]

1978年3月発行の『Starburst』誌(イギリスのSF・ファンタジー雑誌)第2号に『Space Cruiser Yamato』の映画評が掲載されたが、その筆者は『宇宙戦艦ヤマト』が『スター・ウォーズ』の後発だと勘違いし、両作品の共通点を挙げ連ねて酷評した[107]

『月刊OUT』の特集記事[編集]

劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の存在が一般に知られるようになったのは『月刊OUT』誌の1977年6月号(同4月下旬発売、創刊第2号)においてである[113]。同号には、ヤマト・アソシエイション(YA)というファンクラブの協力により、西崎義展のインタビュー、エピソード・ガイド、キャラクター・ガイド、ヤマト百科などを含む全60ページ[注 8]のヤマト大特集が掲載された[114]

『月刊OUT』が8月号(6月下旬発売)で再び『宇宙戦艦ヤマト』を取り上げ、8月6日から劇場公開されるという情報を掲載。元々、オフィスアカデミーの自主配給により新宿の映画館でファンのみを対象とした1週間の上映会を行うつもりだったが、同誌6月号に対するファンの好反響などを受け、東急レクリエーション系の東京都内の劇場4館での公開が決定したのである。同号には前売券の入手方法も掲載され、前売券が大量に売れる。

この『月刊OUT』誌上の東京上映のみという情報が、後述の全国公開に発展する流れを生む[104]

周辺の動き[編集]

1977年7月、日本コロムビアよりテレビ版のサウンドトラックLP(CS-7033)が発売され、ヒット。この場合の「サウンドトラック」は、「テレビのオリジナル音声から編集した名場面集」という意味で[注 9]、OP主題歌の冒頭にも「無限に広がる大宇宙...」という、テレビでおなじみのナレーションと効果音が入っていた。また、帯には「君は覚えているか! あの熱き血潮を!!」と書かれていた。

その他にも、再放送の人気やファンクラブの活動が新聞などで次々と報道される。

日本での公開前夜[編集]

『月刊OUT』が9月号(7月下旬発売)で2度目のヤマト大特集を組む[114][注 10]

1977年8月5日夜、公開を翌朝に控え、セル画プレゼントを目当てにしたファンが劇場前に行列を作った。それまで、アメリカ映画の『エクソシスト』で徹夜が生じたことはあったが、日本映画で初めて徹夜組が出たのはこのヤマト劇場版第1作だと言われている[115][116][117]

「ファンが劇場前に行列」というテレビ報道を見た西崎らは、同夜のうちに劇場前にかけつけた。同伴した石黒昇によれば、西崎は並んでいるファン全員と握手しかねない勢いだったという[113]。ちなみに、この時に徹夜で行列したファンの数は2万人以上である[113][118]

日本での劇場公開[編集]

1977年8月6日、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』が東京の4館で公開。1977年夏に日本で上映されたのは2時間10分の「スターシア死亡編」である[110][119][120][121]

前述の『月刊OUT』8月号誌上で東京の4館のみでの上映の情報が伝わると、全国での上映を希望する声が高まり、オフィスアカデミーでもファンクラブを通じて、ラジオ局への曲リクエストとポスターを貼る作戦を行い、マスコミの話題となる[104]。これらの反響により、地方都市の配給は東映が担当して東映洋画系にも拡大される。東京公開から1週遅れの8月13日に札幌市の2館公開予定だったのが、旭川市函館市室蘭市に拡大公開されることになった[122][113])ことを皮切りに地方のブッキングが進み、全国ロードショーが決定する[104][117] [112] 。

地方での上映館が増えたのは、アメリカ映画『ブラックサンデー』の上映中止事件によって穴が空いた地方の映画館が存在したことも一因だった。最終的に225万2000人の観客を動員し、9億円の配給収入、21億円の興行収入をあげて[104]、1977年の日本映画では9位の興行成績を記録したヒット作品となった[123]

当時は長編のアニメ映画といえば、東映動画(現・東映アニメーション)による低年齢向けの東映まんがまつりの独擅場という状況であったが、劇場版ヤマトのヒットはこの状況を打ち破り、ハイティーンのアニメファン向けにテレビアニメ再編集版や新作の長編アニメが続々と劇場で公開されるアニメ映画ブームをも巻き起こした[124][125]。宣伝面では従来の「まんが映画」に代わって「アニメ」という言葉を全面に押し出し、特典付き前売券や初日舞台挨拶、セル画プレゼントなど、後発のアニメ映画で一般的になる手法を使ったはしりとなったのが本作である[117][113]

テレビ放送とビデオソフト化[編集]

劇場公開の翌年、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』公開前日の1978年8月4日にテレビ放送されたのは、スターシアが生存しており救出された古代守と恋愛関係にあるというテレビシリーズに沿った形で146分になった「スターシア生存編」である[119]。「生存編」として再編集されたことにより、薮の反乱がなかったストーリーであるにもかかわらず(地球帰還時、第一艦橋に薮の姿が見える)、古代守・スターシアとの別れの場面で雪が負傷しているというシーンが存在する。

劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の放送局はテレビシリーズの日本テレビ系ではなく、フジテレビであり、日本テレビと競り合って5,000万円で放送権を獲得した。視聴率は31.9%[52][126]。以後、「スターシア死亡編」はヤマトシリーズの正史ではなくなり、再公開の際にも上映されず[127][128]、翌1979年にフジテレビが放送した『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』は「スターシア生存編」に則ったテレビ版第1作および『2』の続編となっている。

1979年7月14日開始の「宇宙戦艦ヤマトフェスティバル」において、西崎義展プロデュース作品の『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』『海のトリトン』とともに3本立てでロードショー公開(東映洋画部配給)された時も「生存編」が上映された。その時の配給収入は5億1千万円だった[129]

長らく封印状態だった「スターシア死亡編」は、1990年になってレーザーディスク「宇宙戦艦ヤマト 劇場版パーフェクトコレクション」の特典映像として初収録された [127][128]。この映像特典は、当初16ミリレンタルフィルム用の総集編フィルムとして制作されながら、劇場公開にあたってカットされたスターシャの宮殿が沈む部分も収録されている[109]

なお、DVD及びBD盤に「死亡編」として収録されているものは不完全なものであり、公開時の「死亡編」は完全な形ではソフト化されていない。

関連商品[編集]

1977年11月、日本コロムビアが『Space Cruiser Yamato』の箱入りLPレコードを発売。LPの収録内容は英語吹替版の音声トラックを編集して54分にまとめたもので、付属ブックレットには日英両語の脚本が掲載され、スタジオぬえによる描き下ろしポスターも同梱されていた[107]

なお、日本コロムビアは1978年12月、ささきいさお歌唱による英語版主題歌シングル「SPACE CRUISER YAMATO / THE RED SCARF」(#主題歌)を発売したが、これは劇場版『Space Cruiser Yamato』とは直接関係はない[107]

パイロット版[編集]

1974年8月に読売テレビに売り込むために制作されたパイロットフィルム。作曲家の宮川泰は参加しておらず、BGMには映画『2001年宇宙の旅』でも使用されたリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」など3曲が使用された。LDではそのままの形で収録されているが、DVD及びBDでは版権の問題で音声完全収録が不可能となり、ナレーションや効果音のあるオリジナル音声は差し替えとなり、全編にBGMとして「無限に広がる大宇宙」「地球を飛び立つヤマト」が流れるのみである。

1974年8月/9分/イーストマンカラー

キャスト
  • ナレーション - 納谷悟朗
  • イスカンダル星のスターシャ - 平井道子
スタッフ
  • 絵コンテ - 岡迫亘弘、石黒昇
  • 演出 - 岡迫亘弘
  • 原画 - 岡迫亘弘、芦田豊雄、野館誠一、正延宏三

脚注[編集]

注釈[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 松本零士も海野十三に憧れていたため、自分がキャラクター設定を任された際に、艦長を「沖田十三」と命名した。
  2. ^ 一方、古代に撃墜されるガミラスファイターが、本来の緑ではなく紫色になっている場面は修正されていない。
  3. ^ ただし、第10話では雪以外の女性乗組員の姿も確認される。プロデューサーの西崎は、元々ヤマトの女性乗組員は雪一人と考えていたが、現場との情報伝達が不十分のため作画されてしまったと語っている。
  4. ^ 放映当時の設定。現在では準惑星に分類されている、
  5. ^ アカデミーの資料では、第3話絵コンテは松本零士と石黒昇の2名となっていたが、その後の「宇宙戦艦ヤマト TV DVD-BOX 記録ファイル」(バンダイビジュアル・2008/2/22発行)で訂正されている。
  6. ^ スタンダード版はストーリー解説等を中心としたベーシック版で、豪華版は「宇宙戦艦ヤマト DVDメモリアルボックス 保完ファイル」に新規資料を収録した増補改訂版である。
  7. ^ これは後に『STAR BLAZERS』という英題で放送されたテレビ版ではなく、あくまでも劇場版のテレビ放送である。
  8. ^ 5月号(創刊号)の次号予告では50ページとされていたが、6月号の表紙によれば60ページである。
  9. ^ 当時はまだ、アニメのBGM集という商品は存在しなかった。「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」が発売になる前のことである。
  10. ^ 当時の『月刊OUT』はアニメ雑誌ではなく、当時はまだ、アニメ雑誌という媒体そのものすら存在していなかったが、本作の記事が載った号の売上が高かったことからアニメ関連の記事が増えるようになり、結果的にアニメ雑誌のパイオニアとなった。

出典[編集]

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参考文献[編集]

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  • 藤川桂介 『アニメ・特撮ヒーロー誕生のとき ウルトラマン、宇宙戦艦ヤマトから六神合体ゴッドマーズまで』 ネスコ、1998年ISBN 4-89036-979-1
  • 石黒昇・小原乃梨子 『テレビ・アニメ最前線 私説・アニメ17年史』 大和書房、1980年
  • 『ガンダム者 ガンダムを創った男たち』 Web現代「ガンダム者」取材班編、講談社、2002年ISBN 4-06-330181-8安彦良和とスタジオぬえの松崎健一のインタビュー
  • 猪俣謙次 『ガンダム神話』 ダイヤモンド社、1995年ISBN 4-478-95007-5
  • 猪俣謙次・加藤智 『ガンプラ開発戦記 誕生から大ブームまで』 アスキー新書、2010年ISBN 978-4-04-870216-4
  • 松本悟・仲吉昭治 『俺たちのガンダム・ビジネス』 日本経済新聞出版社、2007年ISBN 978-4-532-16598-7
  • 『ガンダム・エイジ ガンプラ世代のためのガンダム読本』 『映画秘宝』関係者の中にいたガンダム野郎編、洋泉社、1999年ISBN 4-89691-379-5
  • 『庵野秀明 パラノ・エヴァンゲリオン』 竹熊健太郎編、太田出版、1997年ISBN 4-87233-316-0
  • 『アニメ大好き! ヤマトからガンダムへ』 池田憲章編、徳間書店、1982年ISBN 4-19-402631-4
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外部リンク[編集]

日本テレビ系列(ここまで読売テレビ製作) 日曜19:30枠
前番組 番組名 次番組
侍ジャイアンツ
(1973年10月7日 - 1974年9月29日)
宇宙戦艦ヤマト(第一作)
(1974年10月6日 - 1975年3月30日)