テレビ映画

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テレビ映画(テレビえいが)とは、一般の映画と同様にフィルムで撮影され、制作ノウハウも映画のものを踏襲し、スタッフの大半も映画出身であるが、映画館での上映ではなく、テレビ番組としての放映を前提として製作される映像作品をいう。1980年代頃まで、ビデオで撮影(ただし、ビデオ撮影のハンディカメラが広く運用されるまでは屋外ロケーションなどでは一部、16mmフィルムによる撮影もなされていた)されたテレビドラマと区別する意味で、フィルムで撮影するものをテレビ映画と呼んでいた。テレビ映画では主に16mmフィルムが用いられた。これは、テレビよりさらに画質の高さが求められる35mmフィルムを用いた映画館などの劇場公開を想定して制作されたものではないのと、35mmフィルムに比べて格段と廉価で制作できるからである。

概史[編集]

1950年代ビデオテープレコーダ (VTR) が登場する前には、アメリカ合衆国を中心にフィルム(主に16mmフィルム)を使った映画として、キー局でドラマや西部劇などの作品が製作されており、1本が30 - 60分程度の短編作品の数十から200本程度のシリーズものの形で製作された。日本ではビデオカメラで撮影した生放送のスタジオドラマを放送していたが、アメリカでは時差があるためにフィルムで撮影していた。また、1948年にアメリカの連邦最高裁判所の判決で、ハリウッド映画のメジャースタジオが独占禁止法に触れて、制作と興行が切り離されて、余剰人員がテレビ映画の制作に乗り出したのも要因の一つである。

日本では、民間放送テレビ局の増加する1957年頃から、映画会社が五社協定により、テレビへの協力を拒否した事から、代わりのコンテンツとして西部劇やドラマなどのアメリカ製テレビ映画が多く輸入され、1960年代に全盛期を迎えた。テレビ局が自らテレビドラマを制作するよりも、3分の1から4分の1の予算で済む安上がりで出来のいいアメリカのテレビ映画が重宝されたのである。何よりも開局当時のテレビ局に制作能力のなかったこと、テレビドラマを作れる制作プロダクションがなかったという事情があった。

しかし、1959年フジテレビとNET(現・テレビ朝日)の2局が新たに開局。アメリカのテレビ映画の需要が増大して、優れた日本国外産のテレビ映画の不足と高騰と招いてしまう。こうした事情から、日本のテレビ局はビデオ撮影の自社制作のテレビドラマを量産させ、下請け発注による日本国産のテレビ映画が隆盛していくことになる。

日本初のテレビ映画はKRT(現・TBS)の子会社の東京テレビ映画株式会社が制作した10分の帯番組『ぽんぽこ物語』で、1957年11月11日から放送開始された。しかし『ぽんぽこ物語』は赤字で制作中止となり、その代わりに1958年2月24日から放送されたのが15分の帯番組『月光仮面』である。『月光仮面』は広告代理店宣弘社が自社制作した低予算番組だったが、大ヒット番組となり、これに続く子供向けヒーロー番組を生み、これが実質的な日本初のテレビ映画とされることも多い。

映画会社の東映はNETの開局にあたって資本参加し、1958年に東映テレビプロダクションを発足させて、『風小僧』『七色仮面』などを制作して放送。さらに放送終了後に再編集して、映画館で上映した。東映のテレビ部門ではその後も『仮面ライダーシリーズ』『スーパー戦隊シリーズ』などの子供向け特撮ヒーロー作品、『銭形平次』『暴れん坊将軍』などの時代劇、『Gメン'75』『特捜最前線』などの刑事ドラマなどを制作していった。

他の映画会社もテレビ時代に対応すべく、1958年10月に大映がテレビ製作室を10月に設立。後の大映テレビである。東宝は1959年2月にテレビ部を、3月には松竹がテレビ製作専門委員会を設けた。新東宝1960年に倒産し、制作部門を母体として、1961年にテレビ映画制作を専門とする国際放映が設立された。

一方、テレビ局側でもTBSがテレビ局が主導してテレビ映画を制作するために、映画制作課は1963年に設立した。1966年の『ウルトラQ』をはじめとした、東宝特撮を担当していた円谷英二率いる円谷プロダクションによる特撮テレビ映画シリーズに、TBSのディレクターを出向させるなどしている。日本テレビも自社のドラマ制作部とは別に、テレビ映画をプロデュースする映画制作部という部署が作られていた。さらに日本テレビは1959年 - 1961年にかけて、日米映画と共同で制作した10作品ほどのテレビ映画を、放送直後に新東宝の配給で劇場公開するという、当時では珍しい試みを行っていた(この点で、テレビ局制作による劇場映画の先駆けといえる)。

これらテレビ映画は初期は30分作品も多かったが、やがて1時間作品、1980年代に2時間ドラマが登場すると長時間化していき、高い予算をかけた作品も増えていった。映画界からは見下され、担い手もプログラム・ピクチャーと呼ばれた添え物映画を作ってきた職人的監督が多かった。しかし1958年をピークに日本映画が急速に斜陽化して制作本数が激減すると、本編を撮影できなくなった映画監督の受け皿となり、さらには市川崑深作欣二佐藤純彌といった有名な映画監督がテレビ映画を手がけることも増えていった。

現状[編集]

1980年代以降、ビデオテープレコーダの機能が充実したり、ハイビジョン撮影が可能になると、現像焼付けの処理が必要なフィルムを使ったテレビ映画はほとんど作られなくなり、映画会社のテレビ部門も撮影にビデオカメラを使うようになった。ただ、その過渡期において撮影や照明、美術などで、16mmフィルム撮影の技術や環境を一部そのままビデオ撮影でも踏襲したため、フィルム撮影の時には発生しなかった、陰影や深みのない平板な画像になってしまったり、撮影用装置のうち建物など大道具の粗雑さが目だったりと、ビデオ撮影のノウハウを習得し終わらないままでフィルム撮影からビデオ撮影に移行した現場の状況もあった。そして現在、テレビ映画は死語になりつつある。

ただし、時代劇特撮ヒーロードラマ(テレビ朝日の『スーパーヒーロータイム』枠)等においては、ビデオの画調よりも、かつてのテレビ映画のそれが好まれる傾向にある。そのため、HD24Pなどに代表されるデジタルビデオで撮影されていても、画像処理により、あえてテレビ映画の画調に近づけている例も少なくない [1]。近年では北海道テレビが2008年からスペシャルドラマを制作するに当たって制作サイドのこだわり[2]でHD24Pを使って撮影を行なっている[3]

参考資料[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 日本と違ってフィルムへのこだわりが強い欧米では、大型ドラマの場合、依然として35ミリ映画用カメラを使ったフィルム撮影の方が主流である。
  2. ^ 演出の藤村忠寿は、2008年8月17日放送の『はい!テレビ朝日です』内のインタービューにて、「映画を作るつもりで制作した」と述べている。
  3. ^ スペシャルドラマ自体は1996年から制作されているがVTR撮影だった。

関連項目[編集]