スティーブ・マックイーン

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Steve McQueen
スティーブ・マックイーン
スティーブ・マックイーン
本名 Terrence Steven McQueen
生年月日 1930年3月24日
没年月日 1980年11月7日(満50歳没)
出生地 インディアナ州ビーチグローブ
死没地 シウダー・フアレス
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
配偶者 ニール・アダムス (1956-1972)
アリ・マッグロー (1973-1978)
バーバラ・ミンティ (1980)
主な作品
荒野の七人』『大脱走』『砲艦サンパブロ
ブリット』『ゲッタウェイ』『パピヨン
タワーリング・インフェルノ』『ハンター

スティーブ・マックイーンSteve McQueen、本名:Terrence Steven McQueen、1930年3月24日 - 1980年11月7日)は、アメリカ合衆国俳優である。左利き。

スタントマンに頼らないそのアクションで一時代を築き、世界中の映画ファンを熱狂させた。

目次

[編集] 生涯

インディアナ州インディアナポリス近郊のビーチグローブ出身。父親は曲芸飛行士、母は家出娘であった。生後6ヶ月の頃に両親が離婚。母親の再婚と共に各地を転々とするなど環境に恵まれず、14歳の頃、カリフォルニア州立少年院に入れられる。1年半後に出所し、17歳で海兵隊へ入隊。除隊後はバーテンダーやタクシードライバー、用心棒などで生計を立てる。

1951年、ガールフレンドの勧めで俳優の道を選びネイバーフッド・プレイハウスに入学、アクターズ・スタジオを経てブロードウェイにデビューする。1956年傷だらけの栄光』でポール・ニューマン扮するロッキーの悪友役(出演時間は合計して5分程)で映画デビュー、1958年にテレビ出演した『拳銃無宿 Wanted Dead or Alive』のヒットにより一躍有名になった。

その後、『荒野の七人』『大脱走』『華麗なる賭け』『ブリット』など数々の映画に出演。1979年に米国西部開拓時代に実在した賞金稼ぎをモデルにした『トム・ホーン』の撮影中、アスベストが原因の中皮腫を発症していることが見つかった。翌1980年に『ハンター』で主演するものの、その時点で余命数ヶ月を宣告されていた。中皮腫の原因は海兵隊時代に乗務した戦艦の船室の内装に多用されたり、趣味のレースで当時使われたアスベスト製の耐火服・耐熱フェイスマスクから長期にわたりアスベスト繊維を吸引したのが原因ではないかといわれている。また荒野や砂漠の光景として使われる撮影場所が軍の核実験で汚染されていたのが体調をさらに悪化させたともいわれている。

LOP RABBITS as pets”(意訳『ペットとしてのロップ・ウサギ』)によると、マックイーンは死期間近の晩年を動物介在療法で用いられるロップイヤー・ウサギの一種であるフレンチ・ロップ(耳が垂れた大型のカイウサギ)と共に過ごしたという[1]。米国内では認められていなかった手術をメキシコで受けたが、その翌日の11月7日死去。50歳。

生涯における来日回数は2回。初来日は1966年『砲艦サンパブロ』のプレミア時。当時の妻のニールも帯同している。但し、次の会場が香港であったため、日本での滞在時間はわずか20時間であった。2回目は1978年の肖像権訴訟時(後述)である。

[編集] 逸話

脱走

マックィーンは『大脱走』や『パピヨン』で脱走を企てる役を演じているが、彼は実際に海兵隊の兵役中も数多く脱走しており、全て失敗に終わっている。

映画チラシと写真集

マックィーンの出演した作品の映画チラシはとても人気が高く、中には1枚で数十万単位の値がつく物もあり、コレクターの間ではクリント・イーストウッドと共に現在も人気を誇る。 具体的な例として『荒野の七人』『戦う翼』『戦雲』『大脱走』『ガールハント』『マンハッタン物語』『傷だらけの栄光』『マックイーンの絶対の危機』『ハイウエイ』『シンシナティ・キッド』等の初版チラシが挙げられる。

写真集に『スティーヴ・マックィーン』(1975年)、『マックィーン ザ ヒーロー(ともに芳賀書店 1981年)、『スティーヴ・マックィーンスタイル』(近代映画社 2004年)がある。また、かれが所有していた膨大な数のスポーツカーやオートバイの写真集『マックイーンズ マシン』(2008年)も出版されている。『The Last MILES/日本語版』(2011年)。

家族

女優のニール・アダムスアリ・マッグローバーバラ・ミンティと3度の結婚歴がある。俳優のチャド・マックイーンは長男。チャドの長男で孫のスティーブン・R・マックイーンも俳優になった。『砲艦サンパブロ』でのロケ中、メイクアップアーティストビル・ターナーカオリ・ナラ・ターナーの仲人をすすんで取り持つなど、人情家の一面もあった。

交友

ホンダF1の初代ドライバーロニー・バックナムとは親友だった他、ブルース・リーとは武道での師弟関係そして親友でもあり、リーの下積み時代を支えた一人である。また、チャック・ノリスが教える空手の道場に息子のチャドともに、生徒として通っている。そのノリスに俳優への道を強く勧め、彼の主演作を劇場でともに鑑賞し逆に演技についてのアドバイスを行っている。ノリスはマックイーンからの教えを忠実に守り、スーパースターへと成長した。

隣人にはザ・フーのドラマー、キース・ムーンがいた。ロック史上に残る「変人」を隣人に持ったマックイーンは、一時期ノイローゼに陥ってしまったという。近年、女性歌手のシェリル・クロウが『Steve Mcqueen』と言う作品を発表している。

モータースポーツ

モータースポーツで養われた腕前は、作品にも遺憾なく発揮され、『大脱走』ではバイクで牧草地での疾走シーン、さらに自身を追ってくるドイツ兵のバイクアクションまでやってのけている。またカーアクションの草分け的作品『ブリット』では、フォード・マスタングファストバックをチューニングし、危険なカーアクションを自らのドライブテクニックで披露している。後年、新型のフォード・マスタングのCMに彼がCGで出演している。また新型のマスタングを劇中と同じモスグリーンにペイントしチューニングを施した『ブリット』仕様も発売されている。

自身の出演した「栄光のル・マン」では、一般公道を仕切ったサルト・サーキットでのロケに際し、当時の花形ドライバーに混じって実際にマシンを走らせる程のドライビングスキルを見せている。本人は実際にル・マン24時間レースに参戦する意向であったというが、スタッフ等周囲からの強硬な反対に遭い、参戦が実現する事はなかった。代わりに映画公開翌年のセブリング12時間レースに出場する機会を得たが、本人はル・マンに出られなかったことを生涯悔やんでいたという(後に息子のチャド・マックイーンが出場を果たしている)。

ホンダのCM『エルシノアCR250』への出演については、ホンダのスタッフがテストしているところにたまたまスティーブが遊びに来て、このバイクを気に入ったことから実現したものである。

まぼろし

タワーリングインフェルノ』の成功後、『カッコーの巣の上で』『遠すぎた橋』『未知との遭遇』『地獄の黙示録』などの主演オファーを受けたが、断っている。

肖像権訴訟

1971年に公開された主演映画「栄光のル・マン」の日本での宣伝に際して、タイアップ企業となった松下電器産業(現・パナソニック)とヤクルト本社が映画のスチルやフィルムを製品(松下はラジオ、ヤクルトは乳酸飲料「ジョア」)の広告と組み合わせた宣伝を自分の承諾なしにおこなったとして、この両社および配給会社の東和、広告制作者の電通を相手取り、肖像権侵害の損害賠償として100万ドル(公開当時のレートで3億6千万円)を求める裁判を、1973年に日本の東京地方裁判所に提訴した。

マックイーンが裁判を起こしたのは単に肖像を結果として無断使用されたからというだけの理由ではなかった。彼が1978年に日本の裁判所に出廷して証言したところによると、乳酸製品(証言では「ヨーグルト」と表現)は自分が好まないもので、本来なら絶対に引き受けることがない仕事であること、松下電器のラジオについては自分は商品の説明を受けておらず、それに対する責任を引き受けることができないからだと述べている[2]

この裁判は1980年11月10日に判決が下された。判決ではタイアップ広告の手法は広く映画の宣伝において一般に認められているもので、マックイーンの代理店と東和の間の契約条項の範囲内であるとした。このため、東和側が承諾の必要性を検討する注意義務はなく、過失を問うことはできないと認定し、マックイーン側敗訴の判決を下した[3]

この判決はマックイーンの死去から3日後に行われたため、当時のマスコミでは「マックイーンあの世で敗訴」といった見出しで報じられた。

[編集] 主な出演作品

年度 映画名 役柄
1956年 傷だらけの栄光
1956年 当然の疑惑を超えて
1958年 ニューヨークの顔役 マーティン・キャンベル
1958年 マックイーンの絶対の危機 スティーブ・アンドリューズ
1959年 セントルイス銀行強盗 ジョージ・ファウラ
1959年 戦雲 ビル・リンガ
1960年 荒野の七人
The Magnificent Seven
ヴィン
1961年 ガールハント ファージー・ハワード
1962年 突撃隊 ジョン・リース
1962年 戦う翼 バズ・リクソン
1963年 大脱走
The Great Escape
独房王 ヒルツ
1963年 雨の中の兵隊 ユースティス・クレー
1963年 マンハッタン物語 ロッキー・ババサーノ
1965年 ハイウェイ ヘンリー・トーマス
1965年 シンシナティ・キッド エリック・ストーン
1966年 ネバダ・スミス マックス・サンド
1966年 砲艦サンパブロ ジェーク・ホルマン
1968年 華麗なる賭け トーマス・クラウン
1968年 ブリット フランク・ブリット
1969年 華麗なる週末 ブーン・ホガンベック
1971年 栄光のル・マン マイケル・ディレイニー
1971年 栄光のライダー 特別主演
1972年 ジュニア・ボナー/華麗なる挑戦 ジェイ・アール・ボナー
1972年 ゲッタウェイ ドグ・マッコイ
1973年 パピヨン アンリ・シャリエール
1974年 タワーリング・インフェルノ マイケル・オハラハン
1977年 民衆の敵 トーマス・ストックマン
1980年 トム・ホーン トム・ホーン
1980年 ハンター ラルフ・ソーソン

[編集] 吹き替え

[編集] 脚注

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  1. ^うさぎと暮らす』NO.35  2010年 spring、p52
  2. ^ 「スティーブ・マックイーンが言い残していったこと」「暮らしの手帖」1981年1-2月号[1]
  3. ^ 東京地判昭和55年11月10日(「判例時報」981号P19、「判例タイムズ」425号P64)[2]

[編集] 参考文献

  • 山崎恵子「海の向こうのうさぎたち   World Rabbit Story」、『うさぎと暮らす』NO.35   2010年 spring、マガジンランド
  • ラストイヤーズ(2010年 NHK)

[編集] 関連文献

[編集] 外部リンク

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