筑摩書房
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| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 非上場
|
| 略称 | ちくま |
| 本社所在地 | 〒111-8755 東京都台東区蔵前二丁目2番5号 |
| 電話番号 | 03-5687-2680(営業) |
| 設立 | 1940年6月18日 |
| 業種 | 情報・通信業 |
| 事業内容 | 雑誌・書籍の出版・販売 |
| 代表者 | 菊池明郎 |
| 資本金 | 7350万円 |
| 従業員数 | 40名 |
| 外部リンク | http://www.chikumashobo.co.jp/ |
筑摩書房(ちくましょぼう)は、日本の大手出版社。
目次 |
[編集] 概要
1940年(昭和15年)6月18日に東京帝国大学出身の古田晁が創業。
名称は、古田の故郷である長野県東筑摩郡筑摩地村(現在は塩尻市)にちなむ。
1942年に、臼井吉見、中村光夫、唐木順三を顧問として株式会社筑摩書房設立。戦後は、月刊誌『展望』を創刊、全集(『現代日本文学大系』、『太宰治全集』、『中島敦全集』、『定本柳田国男集』など多数)。また古典・現代文の教科書を現在まで毎年出している。
とりわけ文学者を中心に、個人全集を増補改訂し繰り返し刊行するので、「全集の筑摩」と言われた。2004年5月に『世界古典文学全集. 第17巻 老子・荘子』が出され、1964年『世界古典文学全集. 第1巻 ホメーロス』以来丸40年で、全54冊が刊行完結した。
1963年から1992年まで、古今東西の人文学術書を再刊する「筑摩叢書」を約360冊刊行した。1970年に和田芳恵『筑摩書房の三十年』(付.図書総目録、非売品)を出した。
1978年7月12日、業績不振のため会社更生法の適用を申請。全集・教科書などの刊行は続けられた。
1985年よりちくま文庫、1992年よりちくま学芸文庫、1994年よりちくま新書を刊行開始した。
「ちくま文学の森」(1988年)、赤瀬川原平「老人力」(1998年)などのヒット作を出している。
1991年2月に創立50周年記念出版で『筑摩書房図書総目録 1940-1990』が出された。なお月刊PR誌に『ちくま』がある。
[編集] 倒産・再建について
2007年3月、出版関係者の集いの『本の会』主催の講演会(東京・文京区本郷)にて、社長の菊池明郎(倒産時は入社7年目の営業マン)が、『筑摩書房はどのようにして復活したのか、倒産30年の軌跡』で倒産・再建の詳細を語った。
- 『損をしてもいいから、良い本を出そう』が創業精神であったため、経営がピンチになるたびに、創業者の古田晁が自分の財産である山林を売って、赤字を補填してきた。
- 倒産時は社長が労働組合を恐れ、ボーナスを大盤振舞いし、放漫経営をしていた。
- 再建のために、『マーケティング重視への転換。実売率を高めていく』の方針をたてた。
- まずは、書店からのスリップでデータを取り、分析、解析。やがて、POSデータの活用も行った。また、解析のためのシステムの開発も十分に行い、同業他社に比べ、早くから社内LANを導入し、全員がパソコンを持った。埼玉にある倉庫にも無線LANを使い、返品、入庫のデータを飛ばすなどした。
- ロバート・キヨサキ著『金持ち父さん 貧乏父さん』は、今までの筑摩書房では考えられない種類の本で、社内でもぼろくそに言われ大不評だった。だが、シリーズとして250万部以上が売れるベストセラーになった。
[編集] 関係者による書籍
- 柏原成光 『本とわたしと筑摩書房』 パロル舎 2009年6月
- 同 『黒衣の面目 編集の現場から』 風濤社 1997年
- 著者は1996~99年に社長に就いていた(菊池は後任)。倒産・再建の経緯や、関連人物を回想している。
- 田中達治 『どすこい出版流通 筑摩書房「蔵前新刊どすこい」営業部通信 1999-2007』 ポット出版、2008年7月
- 著者(1950~2007年)は菊池の後任の営業部長で取締役にも就いたが、2007年7月に病気退任、数か月後没した。
- 古田の伝記には、塩澤実信『古田晁伝説 人間ドキュメント』 (河出書房新社 2003年)がある。
[編集] 本社
もとは貸しビルだったが買い取り本社にした。川本三郎のエッセイの中で、神田神保町の隣の神田小川町に小さな建物の本社があったが、そこを1988年に売却し、蔵前に移転後は編集者が、神保町という偉大な図書館から離れてしまったために、色々と苦労させられている旨が述べられている。なおサービスセンターは大宮市(現在さいたま市北区櫛引町)にある。刊行書籍の奥付には「在庫の問い合わせなどはそちらに連絡して下さい」と但し書きがある。なおセンター倉庫は上尾市にある。