臼井吉見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 文学 |
|---|
![]() |
| ポータル |
| 各国の文学 記事総覧 出版社・文芸雑誌 文学賞 |
| 作家 |
| 詩人・小説家 その他作家 |
臼井 吉見(うすい よしみ、1905年6月17日–1987年7月12日)は、日本の編集者、評論家、小説家。
目次 |
[編集] 来歴・人物
長野県南安曇郡三田村(現・安曇野市)に、父貞吉・母きちの次男として生まれる。 旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)、旧制松本高校を経て、東京帝国大学文学部卒業。 松本中学では後に筑摩書房の創業者となる古田晁、俳優・演劇評論家の松本克平が同級であった。
教員を務めた後、1946年創刊の総合雑誌『展望』(筑摩書房)の編集長を務め、文芸評論家としても活躍。『日本文学全集』『現代教養全集』などを編集した。1964年から代表作となる大河小説「安曇野」の執筆を始め、1974年に完結し、谷崎潤一郎賞を受賞した。
1977年、『展望』5月号に掲載した『事故のてんまつ』(まもなく単行本化)は、川端康成の孤独な生い立ちから自殺までの背景を描いた作品で、川端家から強く抗議を受け、販売差止め仮処分の民事訴訟が提起された[1]。これに対して、臼井・筑摩書房側は死者に対する名誉毀損による民法上の不法行為は成立しないと主張した[2]。
NHKのクイズ番組『それは私です』に、解答者として出演していたこともある。
道の駅アルプス安曇野ほりがねの里に臼井吉見文学館の展示がある。
[編集] 著書
- 近代文学論争 (筑摩書房、1956年)のち<筑摩叢書>上
- 人間と文学 筑摩書房 1957
- あたりまえのこと 新潮社 1957
- どんぐりのへた 随想集(筑摩書房、1957年)
- 15年目のエンマ帖(中央公論社、1961年)
- 小説の味わい方 新潮社、1962 のち新潮文庫
- むくどり通信 東南アジア・中近東の旅 筑摩書房 1962
- 人と企業 成長会社の異色経営者論 中央公論社 1963
- 大正文学史 筑摩叢書 1963
- 安曇野 全5巻(筑摩書房、1965-74年) ちくま文庫全5巻 1987
- 臼井吉見評論集 ~ 戦後 全12巻(筑摩書房、1965-66年)
- 蛙のうた ~ ある編集者の回想(筑摩書房、1965年)
- 人間の確かめ 文藝春秋 1968
- 一つの季節(小説)筑摩書房 1975
- 田螺のつぶやき(文藝春秋、1975年)
- 教育の心(毎日新聞社、1976年)
- 日本語の周辺 毎日新聞社 1976、旺文社文庫 1982
- 肖像八つ(筑摩書房、1976年)
- 残雪抄 筑摩書房 1976
- ものいわぬ壷の話(筑摩書房、1976年)
- 展望 或る編集者の戦後(創世記 1977年)
- 作家論控え帳(筑摩書房、1977年)
- 事故のてんまつ(筑摩書房、1977年)
- ほたるぶくろ 筑摩書房、1977
- 文芸雑談(筑摩書房、1978年)
- 炉ばた談義 筑摩書房 1978
- 自分をつくる 筑摩書房 <ちくまぶっくす> 1979、ちくま文庫 1986
- 獅子座(筑摩書房、1979-81年)
- 草刈鎌(筑摩書房、1980年)
- 臼井吉見集 全5巻 筑摩書房、1985
[編集] 編著
- 宮本百合子研究 津人書房 1948
- 黒馬ものがたり アンナ・シュウエル 筑摩書房、1955
- 大学生 この考える葦 河盛好蔵共編 潮文社 1958
- 太宰治読本 その生涯と作品 学習研究社 1959
- 安保・1960 筑摩書房 1969
- 柳田国男回想 筑摩書房 1972
- そのひと ある出版者の肖像(径書房、1980年)
[編集] 主な編集
- 戦後十年名作選集(1955年)
- 現代教養全集(1956年-1960年)
- 現代の教養(1966年-1967年)
- 柳田国男回想(1972年)
- 碌山荻原守衛全作品集(1975年)
- 土とふるさとの文学全集(1976年)
[編集] 校歌
- 長野県安曇野市立堀金中学校
- 信州大学教育学部附属松本小学校
- 長野県松本市立島内小学校
[編集] 脚注
- ^ 『中日新聞』1977年6月4日
- ^ 『事故のてんまつ』は、お手伝いさんの女性がやめたことが川端康成の自殺のひきがねになったのであり、川端には異常な恋愛性向があったという内容である。また、お手伝いさんが旧・被差別階級出身であり、また、川端の夫人の家系も同様であるかのような憶測を含む記述が問題になった。夫人については、進藤純孝が自身の「伝記川端康成」の中で、夫人の父が卵屋だったと誤って記述したものを、臼井が脚色したものだが、これらのことに対して部落解放同盟から糾弾を受けた。結局、朝日新聞からこの小説自体がお手伝いさんの人権を侵害しているとの批判を受けたことをきっかけとして、臼井が謝罪し和解が成立、単行本は絶版となった。この経緯は『証言・事故のてんまつ』(講談社)に詳しい。
後年城山三郎の『落日燃ゆ』をめぐる裁判で、死者の名誉は一般に保護されると考えられるが侵害の不法行為に対する請求権の行使者についての実定法上の規定が存在しないという判例が出た。同裁判では遺族の敬愛思慕の情への保護を死者自身の名誉に対する保護とは切り離した上で、これについては年月の経過とともに歴史的事実探求や表現の自由への配慮が優先するとし、本人の死去から44年が経過していた当該案件では意図的な虚偽でない限り敬愛思慕の念を受忍しがたい程度に害するとはいえないと判断した。『事故のてんまつ』では死者に対する名誉毀損についてどのような判断を下そうとしたのか、また、遺族の敬愛思慕の情の保護をどのような基準で判断するつもりだったかは、和解が成立していたので定かではない。
