神田神保町

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神田神保町
駿河台下交差点から神田すずらん通り方向を望む
(2011年12月25日)
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 東京都
特別区 千代田区
地域 神田地域
人口 (2012年(平成24年)2月1日現在)
 - 計 2,770人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 101-0051
市外局番 03
ナンバープレート 品川

神田神保町(かんだじんぼうちょう)は、東京都千代田区の地名。住居表示未実施だが、一丁目から三丁目まで存在する。2011年2月1日現在の人口は2,770人[1]郵便番号は101-0051。

地理[編集]

東京都千代田区北部に位置し、神田地域に属する。北で西神田、北東で猿楽町、東で神田駿河台、南東で神田小川町、南で神田錦町一ツ橋、南西で九段南、西で九段北と接する。 中心部には東西に靖国通りが、南北に白山通りが通る。この2つの交差地点が神保町交差点である。多くの書店出版社、出版問屋の取次店が所在し、世界最大規模の古書店街、書店の町として知られている。中には解体新書の原本を販売している店も存在する。また、スポーツ用品店や登山用品店も多く立ち並ぶ。靖国通りと明大通りの交わる駿河台下交差点を境に、楽器店街の御茶ノ水スポーツ用品店街の神田小川町に隣接しており、商業地として賑わっている。その他、救世軍日本本営・神田小隊がある。

専修大学黒門

神保町とその周辺には、明治大学法政大学日本大学専修大学東京医科歯科大学順天堂大学共立女子大学駿台予備校大原簿記学校TACLECなどがあり、学生街としても機能している。かつては東京商科大学國學院大學、また昭和50年代までは中央大学もこの地にあり、法律学校を興りとする明治・中央・法政・日大・専修は神田に集った各校として「神田5大学」と呼ばれていた。特に明治、中央、日大、専修が軒を連ねる街並みは、パリのカルチエ・ラタンにちなんで「日本のカルチェ・ラタン」として知られた。この名称は関東大震災や戦災・学生運動・校地拡大等のために郊外に移転した大学もあるものの、公式に認められている名称であり、今日においても使用されている。こうした地域性から安価な飲食店が多く立ち並んでいる。また、神保町は「裏路地文化」が根付く下町でもあると各種雑誌などに紹介されており、メインストリートから脇道に入ると、中央線快速沿いや今川小路など大都心としての性格と日常生活が融合した独特の雰囲気が残っている。しかし、近年は大学校舎の高層化や、再開発による高層ビルマンションの建設で街並みも変貌を遂げつつある。小学館集英社の本社がある一ツ橋に隣接しており、神保町内にも多数の出版社が所在している。

書店街・古書店街[編集]

靖国通り沿いには古書店が多く立ち並ぶ

神田古本祭りや神保町ブックフェスティバル等、に関するイベントも毎年行われている世界最大級の書店街である。特に古書店が多く、古書店街としても世界最大級である。神保町最大の書店は三省堂書店神保町本店で、神保町のランドマーク的存在ともなっており、神保町は三省堂書店創業の地でもある。その他の大規模店舗としては、「グランデ」「ブックマート」「ブックタワー」の書籍チェーンを展開する書泉東京堂書店も所在するが、大部分の店舗は、専門性のある著名な店舗であっても、小規模な書店・古書店である。

古書店の多くは靖国通り沿いに在り、それら多くは通りの南側に即ち北向きに建っている。これは日光が当たって本が傷むのを防ぐためのしきたりである。

靖国通り開通以前のメインストリートだった神保町すずらん通り沿いの古書店もほぼ北向きに立っている。三省堂書店もかつてはすずらん通り側(「けやき広場」側)が正面となっていた。

飲食店街[編集]

タンゴがかかる老舗喫茶店(2008年1月)

神田地区においては神田駅ほどではないが、飲食店も多い。2000年以降はカレー専門店が増え、カレー激戦区とも言われる[2]。フランチャイズチェーンなどによる飲食店も増加しており、従来からの店を含め天麩羅、麺類、洋食、中華など、各種の飲食店が営業をしている。またクラシカルな喫茶店が多いのも特徴で、「文豪が通った」とされるもある。

奇数番地と偶数番地[編集]

神田神保町の現在の町域は、1934年1月1日の区画整理により誕生した。この区画整理は現在の靖国通りの拡幅工事と並行して行われ、神田神保町の地番の数字を新たに割り当てる際、靖国通りより南では奇数を、北では偶数を、靖国通り側から順に割り当てた。このような通りの両側での奇数・偶数の使い分けは、住居番号の付け方として日本以外では一般的なものである。

靖国通り沿いは現在でも住居表示が行われておらず、依然として上記の地番によって住所を表現している。このため、住所を見るだけで靖国通りの南北どちらに位置するのか、靖国通りからどれくらい離れているのかを直感的に把握できる。

住居表示の街区表示板と同機能のものを、町会が独自に設置している地区もある。

歴史[編集]

かつては映画館が多数存在したが、ほとんどが閉館し、長らく岩波ホール1館のみとなっていた、しかし2007年7月7日に神保町シアタービルがオープンし、映画用の神保町シアター吉本興業運営の神保町花月が入居したが、吉本興業東京本社は短期間で撤退した。

沿革[編集]

1913年大正2年)、当時小川町を広域地名としていたこの辺り一帯が、大火で焼失した。神田高等女学校(現・神田女学園中学校・高等学校)教員だった岩波茂雄が焼け跡に古書店を開き、同店内で夏目漱石の作品や『哲学叢書』の出版販売も行って大成功を収めた。 これが岩波書店の起こり。

岩波の成功により教養人・大学生が神保町に足を運ぶようになったため、以後、一誠堂古書店、東京堂等の店舗新設が見られ、また読書の場を供すべくカフェを開業する者が相次いだ。

1921年(大正10年)、神田区駿河台に「文化学院」が開校し、音楽、美術、舞踊など芸術関係書が濃紺くるみの学術書やけばけばしい猥雑本とともに書店の軒先に彩りを添えるようになり、「ない本はない」と言われた。関東大震災後、復興事業として一大舗装道路「大正通り」(現・靖国通り)が完成すると、交差点名として「神保町」が登場、昭和後期には今日の様な景観を呈し始めた。

1934年(昭和9年)、震災後の復興に伴う土地区画整理事業により、「表神保町」・「通神保町」及び靖国通り北側の「表猿楽町」を併せて「神保町一丁目」とし、「南神保町」と「一ツ橋通町の一部」及び靖国通り北側の「北神保町」並びに「中猿楽町」を併せて「神保町二丁目」、今川小路一丁目〜三丁目が神保町三丁目となる。

司馬遼太郎の紀行文集『街道をゆく』によれば、太平洋戦争中、アメリカ軍が「神保町の古書が焼失することは、文化的に極めて大きな損失である」として、この一帯のみ空襲を避けたという。しかしこの説は都市伝説だともいわれており、確証は疑問である。

1987年バブル期の頃は、地価高騰の中で都心にも関わらず地価に割安感があったため、神保町の各店舗が地上げ屋の格好のターゲットとなり、放火などの事件も発生した。しかし各店舗が一致団結してこれに抵抗したため、結果的に大多数の店舗がこの地に残る事になった。

地名の由来[編集]

「神保町」の名は、戦国大名越中神保氏の一族である江戸時代旗本神保長治に由来する[3]。この屋敷は現在の神田神保町二丁目にあり、その前面を通る道は「神保小路」と呼ばれていた。

再開発事業・ジェイシティ東京[編集]

神保町は周辺と同様、いくつもの道路により細かく分断された街区上に古くからの建物が密集しているため、防災性と「土地の高度利用」が課題として挙げられている。この課題への克服と、土地価格高騰による人口流出の傾向に歯止めをかけるため、千代田区は1990年に再開発基本計画を作成し、この地区を「住み続けられる街」のモデル地区にすることを具体化した。その後この計画は「神保町一丁目南部地区第一種市街地再開発事業」として1994年2月に都市計画決定され、2000年に権利変換を終えて工事が開始され幾つかの震災復興期の建物が失われた。

再開発事業の内容は、神田神保町一丁目の43番地から71番地の奇数番地と、33番地の計16街区2.5ヘクタールを区画整理により3街区に統合し、商業施設棟と居住棟を有する総延床面積14万2000平方メートルの複合施設を建設するというものである。この事業は2003年11月をもって完了した。総事業費はおよそ645億円で、そのうち約8パーセントは千代田区の補助金を利用した。事業主体は地権者およそ130人からなる神保町一丁目南部地区市街地再開発組合で、三井不動産が「プロジェクトマネジメント業務」(総合企画)を担当した。なお、地区の防災性を高めるため、周辺の白山通りの拡幅と広場の設置が同時に行われた。

この複合施設はジェイシティ東京と呼ばれ、再開発計画における北街区の現101番地(旧33番地)には神保町101ビルが、西街区の現103番地(旧49・51・53・55・69・71番地)には東京パークタワーが、東街区の現105番地(旧43~47・57~67の奇数番地)には神保町三井ビルディングが建設された[4]

神保町101ビル[編集]

  • 延床面積:4,517平方メートル
  • 地上:12階
  • 地下:なし
  • 高さ:50.60メートル
  • 鉄骨造、コンクリート充填鋼管柱
  • 文化産業信用組合など

東京パークタワー[編集]

  • 延床面積:48,243平方メートル
  • 地上:29階
  • 地下:3階
  • 高さ:104.79メートル
  • 高層鉄筋コンクリート造、一部は鉄骨鉄筋コンクリート造
  • 住宅など
神保町三井ビルディング

神保町三井ビルディング[編集]

再開発事業の沿革[編集]

  • 1994年2月:都市計画決定(東京都告示第84号、この決定内容はその後2年ごとに計2回修正)、東京都住宅マスタープランで「住宅供給型再開発促進ゾーン」に指定
  • 1995年10月:事業主体・神保町一丁目南部地区市街地再開発組合が設立される
  • 1997年3月:権利変換計画の認可
  • 2000年2月:権利変換完了
  • 2000年10月:工事着工
  • 2001年:一般販売した251戸が即日完売する
  • 2002年1月:神保町101ビル竣工
  • 2003年3月:神保町三井ビルディング・東京パークタワー竣工
  • 2003年9月:神保町一丁目南部地区市街地再開発組合が解散

交通[編集]

鉄道
バス
道路

神保町を舞台・背景とした作品[編集]

小説
漫画
映画
TVアニメ
ラジオドラマ
楽曲

出身者[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 町丁別世帯数および人口(住民基本台帳):平成24年2月1日現在-千代田区役所、2012年2月15日閲覧。
  2. ^ ナビブラ神保町: 「神保町カレーの実力をチェック!」(執筆: 小野員裕
  3. ^ 日本歴史地名大系、平凡社。
  4. ^ 数字は『都市計画マスタープラン 地域別まちづくりプラン』千代田区役所より。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]