円谷プロダクション

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株式会社円谷プロダクション
Tsuburaya Productions Co., Ltd.
Tsuburaya production head office hachimanyama setagaya tokyo 2009.JPG
八幡山の旧本社社屋
種類 株式会社
略称 円谷プロ
本社所在地 日本の旗 日本
150-0031
東京都渋谷区桜丘町9-8
KN渋谷3ビル4階
設立 1963年4月12日(株式会社円谷特技プロダクションとして発足)
業種 情報・通信業
事業内容 映画事業
テレビ事業
コマーシャル事業
ブルーレイ、DVD事業
音楽、映像事業
キャラクター事業
イベント事業
テーマパーク事業
レジャー施設事業
コンピューターのソフトウェア及びハードウェア事業
コンピューターグラフィックス事業
インターネット事業
特殊美術設計施工
代表者 代表取締役社長 大岡新一
資本金 3億1,000万円(2008年1月21日時点)
売上高 55億8,884万円(2007年2月期実績)
総資産 52億896万円(2007年2月期実績)
従業員数 71人
決算期 毎年2月末日
主要株主 フィールズ 51.0%(連結子会社
バンダイ 49.0%
主要子会社 上海圓谷企画有限公司(100%出資)
関係する人物 円谷英二(創業者)
外部リンク 円谷プロダクション
円谷ステーション
特記事項:1968年12月6日に株式会社円谷プロダクションへ商号変更。
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円谷プロダクション(つぶらやプロダクション)は、日本の独立映像製作会社。

円谷英二により設立された後、幾たびか経営母体が変遷し、現在はフィールズグループ傘下にある。

概要[編集]

高度な特殊撮影技術を用いた作品を作ることで知られ、ウルトラシリーズを始めとする数多くのテレビ番組劇場用映画を製作し続けている。

経営母体の変遷[編集]

円谷プロの作品は、ウルトラシリーズに代表される様に、クオリティの高い作品が多いが、それゆえに1本当りの制作費が高くなり、作れば作るほど制作費の赤字がかさむという負の連鎖に長年悩まされていた。やがてこの問題は、同社の経営に度々大きく影響を及ぼしはじめた。

東宝傘下時代[編集]

創設当初は創設者の円谷英二の出身映画会社である東宝との結びつきが強く、円谷プロの筆頭株主にもなっており、東宝役員が非常勤役員を兼ねたり、支配人など事務系スタッフを出向させていた。また、同社砧撮影所や傍系スタジオである東宝ビルト(東京美術センター)の施設を円谷プロに提供したり、東宝受注のテレビ映画を孫受け発注するなどしていた。

怪奇大作戦』が終了する頃になってもテレビ局からの新番組の発注はなく仕事が途絶える。経営に行き詰まった円谷プロは資金調達のために1968年に増資。筆頭株主の東宝はこれを引き受け、円谷プロの60%の株を取得して子会社化。社長は円谷英二だが、東宝からは7人の役員が派遣され、東宝の藤本真澄も代表権を持った。専務は円谷皐、取締役には円谷一や有川貞昌などが就任。東宝はリストラによる経営再建策で、金城哲夫らの所属する企画文芸部を廃止して、約150人いた社員を40人にまで圧縮した[1][2]。滞っていた業者への支払いや借金返済についても、親会社となった東宝の力によって5年間の猶予期間が設けられ、そのおかげで円谷プロは制作を継続することができた[3]

1979年昭和54年)、劇場用に再編集された「ウルトラマン」が松竹富士系で大ヒットした際、「キネマ旬報」誌に、ライバルの松竹陣営に塩を送った格好の東宝は渋い顔という記述がある(東宝での配給は断ったという)。

経理は東宝の出向重役が管理しており、代表印も東宝側が保有していた。これにより東宝のメインバンクであった三和銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)からの融資も容易になっており、経営難を乗り越えることができていた[4]

しかし三代目社長の円谷皐はこの状況を快く思っておらず、1992年にTBSへ期限付きで譲渡していたウルトラシリーズの販売権や窓口権が戻ってくると、これらの権利を担保に得た資金で円谷の事実上の個人会社であった円谷エンタープライズが東宝の保有する円谷プロ株を買い取り、東宝との資本関係を解消した[4]

円谷家経営時代[編集]

円谷プロ株は、円谷皐が過半数の株を取得する円谷エンタープライズが45.5%を保有し、円谷皐も個人として円谷プロ株の15%を所有しており、円谷皐が株の過半数を握るオーナー社長として経営にあたった[5]

1995年に円谷皐が死去すると、息子の円谷一夫がオーナー社長の地位を引き継いだ。21世紀初頭からは、テレビシリーズの本格的再開に伴う制作費の増加の一方で大ヒットに恵まれなかったこと、東宝から離反による後ろ盾の三和銀行をなくしたことによる経営基盤の弱体化[6]、さらにかねてからのTBSとの関係悪化[7]などで経営が悪化し、2007年平成19年)2月期決算では、売上高約56億円に対して、当期純利益は約4,400万円にとどまった。累積赤字が重なり倒産への危機感から、円谷一夫への不満を募らせた役員の間から円谷昌弘への社長交代の要望が出され、2003年に経営体制を一新。円谷一夫が代表権を持つ会長に、制作部プロデューサーだった円谷昌弘が社長に就任し、円谷プロを退社していた円谷粲と円谷英明が復帰して一族で経営にあたることになった[8]。一方、高野宏一専務ら古くからの役員は、この過程でバンダイの乗っ取りに加担するクーデターを計画したとして、辞表を出すように要求され、円谷プロを去ることになった[9]。 しかし2004年になって円谷昌弘はスキャンダルにより、社長を弟の円谷英明と交代[10]。経理の正常化を目指した円谷英明もまた1年後に役員会で解任動議が出され、過半数の株を持つ会長の円谷一夫の同意により、社長職を解任された[11]。そして、東宝不動産の取締役だった大山茂樹を社長に招聘したものの、2007年6月取締役会で、大幅なリストラを主張した大山を円谷一夫が解任し、円谷一夫が再び社長を兼任するなど、短期間で社長が交代する混乱を見せた[12]

TYOの連結子会社化[編集]

銀行からの融資がストップし、30億円の累積赤字を抱えて、2007年に円谷プロは倒産の危機に直面した。そこで円谷プロの非常勤役員だった森島恒行の紹介により、CM映像コンテンツ製作などを手がける映像大手会社の株式会社TYOから当面の資金繰りのために数千万円の融資を受ける。しかし返済できずに担保となっていた円谷プロ株の45.5%を所有する円谷エンタープライズの過半数の株をTYOが取得。さらにTYOが第三者割当増資で取得した株式と合わせて、円谷エンタープライズの筆頭株主(80%保有)となった。また、円谷一夫が当時保有していた円谷プロ株式の大半(22.5%)を円谷エンタープライズに譲渡することにより、円谷エンタープライズにおける円谷プロ株式の保有比率を45.5%から68.0%に引き上げた。これらのプロセスを経て、円谷プロの経営権はTYOが取得して、TYOグループ入りした[13]

TYOの経営参画後は、円谷一夫が円谷プロ、円谷エンタープライズの両社の取締役会長として残ったものの、円谷プロ創業以来続いてきた創設者一族の円谷家による同族経営に、終止符がうたれることとなった。

バンダイナムコグループの資本参加[編集]

その後、TYOによる内部的な組織改革などが進み、これらと平行して、円谷とはウルトラシリーズで強い縁を持つバンダイナムコグループ(以下、BNG)が資本参加。2008年平成20年)1月、TYOは、持ち株のうち33.4%を、BNGの子会社であるバンダイに譲渡売却。2009年平成21年)7月には更なる株式譲渡が行われており(現在のバンダイ持ち株比率は49%)、BNGの円谷における経営発言力は増加している。

そしてこの間に、円谷一夫は取締役会長から名誉会長へ退き、その名誉職も2009年に退任となり、これで円谷家は円谷プロの経営から一切排除されることとなった。

フィールズの連結子会社化[編集]

2010年平成22年)4月2日、TYOは保有する51%の株式すべてを、パチンコ開発販売会社のフィールズ株式会社に売却、円谷プロはフィールズの子会社となった[14][15]

歴代社長[編集]

歴代 氏名 在職期間 備考
初代 円谷英二 1963年 - 1970年 円谷プロダクション創立者
2代目 円谷一 1970年 - 1973年 円谷英二の長男
3代目 円谷皐 1973年 - 1995年 円谷英二の次男
4代目 円谷一夫 1995年 - 2003年 円谷皐の長男
5代目 円谷昌弘 2003年 - 2004年 円谷一の長男、女性社員へのセクハラ問題で退任
6代目 円谷英明 2004年 - 2005年 円谷一の次男
7代目 大山茂樹 2005年 - 2007年 東宝不動産の取締役から招致、円谷家以外から初の社長就任
8代目 円谷一夫 2007年 大山茂樹を解任して復帰
9代目 森島恒行 2007年 - 2008年 円谷エンタープライズの創設に参加
10代目 大岡新一 2008年 - 現在 円谷プロダクションの生え抜きカメラマン

歴史[編集]

  • 1948年 - 太平洋戦争中に戦意高揚映画を撮影したことから東宝公職追放(依願解雇)された円谷英二が、自宅に特殊映画技術研究所(通称「円谷研究所」)を設立。
  • 1950年 - 東宝砧撮影所内へ研究所を移転。
  • 1952年 - 円谷英二、公職追放解除で東宝に戻る。
  • 1956年 - 新たに、円谷英二自宅に「円谷特技研究所」を設立。
  • 1963年4月12日 - 円谷特技研究所を法人化、「株式会社円谷特技プロダクション」を設立[16]
  • 1963年10月27日 - 円谷特技プロとしての初仕事となる映画『太平洋ひとりぼっち』が公開[17][16]
  • 1964年3月30日 - 東宝が資本と役員を投入。東宝傘下になると同時に砧撮影所近くの衣装部倉庫を円谷特技プロダクションに提供。このときにうしおそうじらが去る[18]
  • 1966年1月2日 - 初のテレビシリーズ『ウルトラQ』が放映されウルトラシリーズ開始
  • 1966年7月17日 - 初のカラーテレビシリーズ『ウルトラマン』が放映開始。
  • 1968年 - 円谷皐がフジテレビを退社して、円谷プロへ入社。
  • 1968年4月1日 - 番組販売業務を担う子会社として「円谷エンタープライズ」を円谷皐が設立。
  • 1968年12月6日 - 東宝が増資を引き受けて60%の株を持つ親会社に。役員10人中、7人が東宝からの派遣に。「株式会社円谷プロダクション」に改名[16]。同時に円谷皐は専務に就任。東宝の主導で150人の社員が40人にまでリストラし、企画文芸部も廃止。
  • 1969年 - 金城哲夫上原正三池谷仙克が退社。
  • 1970年1月25日 - 円谷英二の病死により、円谷一が2代目社長に就任。
  • 1973年2月 - 円谷一の急死により、円谷皐が3代目社長に就任。同年、田口成光が退社。
  • 1976年10月 - 実写とアニメによるテレビシリーズ『恐竜探険隊ボーンフリー』が放映開始。
  • 1979年4月 - 自社初の完全アニメーション作品の『ザ☆ウルトラマン』が放映開始。
  • 1981年 - 高野宏一が取締役に就任。
  • 1983年4月 - 円谷一夫と円谷英明が入社[19]
  • 1984年 - 経営危機に陥り倒産回避のため、この年より7年間の期間限定で『ウルトラQ』から『ウルトラマンタロウ』番組販売権と窓口権をTBSに数千万円で売却[20]
  • 1987年 - 世界進出を目指してハリウッドに現地法人の子会社ウルトラコムを設立して『ウルトラマンUSA』を公開。
  • 1989年6月 - 円谷粲が退社し、7月に資本関係のない円谷映像を設立[21]
  • 1990年 - オーストラリアの制作会社との合作『ウルトラマンG』を公開。
  • 1991年 - 中華人民共和国上海市にアニメ制作会社の円谷アニメーションスタジオカンパニーを設立[22]
  • 1991年 - 隣接地のアパート・一軒屋を購入。母屋敷地は東宝所有のまま。業務使用の他、撮影にも使用(グリッドマン等)
  • 1992年 - 親会社の東宝から自社株を買い戻し、東宝傘下から独立。円谷皐が過半数の株を取得して経営権を掌握。諸権利を円谷プロ、円谷エンタープライズ、円谷音楽出版(円谷ミュージック)の3社に配分[23]
  • 1995年5月 - 円谷皐が病気により社長を退任。円谷一夫が4代目社長に就任。12月に円谷皐が死去し、円谷プロの過半数の株を円谷一夫が相続[24]
  • 1996年3月 - 熊本県荒尾市に直営テーマパークウルトラマンランドを開園。
  • 1996年8月15日 - アメリカ法人のウルトラコムを解散[25]
  • 1996年9月7日 - ウルトラシリーズ16年ぶりの新作『ウルトラマンティガ』が放映された。
  • 1998年 - タイチャイヨー・プロダクションとの間でウルトラマンシリーズの日本国外での権利をめぐるいわゆる「ウルトラマン裁判」が始まる。
  • 2002年5月 - 円谷粲が副社長として再入社して、製作部を担当[21]
  • 2002年6月 - 資金繰りに行き詰まり、銀行からの借り入れも出来ずにバンダイから経営改善を条件に12月を返済期限に2億円の融資を受ける[9]
  • 2003年 - クーデターを企てたとして辞表を提出させられていた高野宏一専務他6人の取締役が退任。高野は円谷プロを提訴[9]右田昌万が退社。
  • 2004年6月 - 円谷英明が6代目社長に就任
  • 2005年 - 本社を世田谷区から同区八幡山に移転。砧の旧本社は改装し、砧社屋として、怪獣等の着ぐるみの保管やCG製作に使用された後、2008年(平成20年)に取り壊し。同年、円谷英明社長が退任し大山茂樹が7代目社長に就任。円谷粲副社長が退社[21]
  • 2007年 - 円谷プロの過半数の株をTYOが取得して子会社化。設立以来の円谷家による同族経営に終止符が打たれた。10月31日をもって、俳優・タレントのマネジメント部門である「芸能部」が解散となった。
  • 2008年1月7日 - 円谷エンタープライズ、同じTYO傘下の製作プロダクション「ビルドアップ」、円谷プロダクションの3社が合併。円谷プロが存続会社となり、TYOの完全子会社化が完了した。ビルドアップは「円谷プロの特撮製作セクション」として再スタートし同時に資本金を1,000万円から3億1,000万円へ大幅増資。
  • 2008年1月21日 - ウルトラシリーズの玩具を長年手がけてきたバンダイがTYOより株式33.4%を取得し円谷プロに出資、同時に従来は年毎更新であった円谷プロ作品の商品化権の独占化を達成する。同月末、丸山浩が退社。
  • 2008年2月6日 - 砧社屋(旧本社)を閉鎖、敷地を東宝へ返却及び隣接地の自社所有分を東宝不動産へ売却して取り壊しを発表。最後のマスコミ向け公開を実施[26]
  • 2010年4月2日 - TYOは保有する全株式を株式会社フィールズに譲渡。円谷プロはフィールズの連結子会社となる。
  • 2011年7月 - 本社を世田谷区八幡山から渋谷区桜丘町に移転した。
  • 2013年9月1日 - ウルトラマンランドが閉園した。

作品[編集]

テレビ[編集]

映画[編集]

オリジナルビデオ[編集]

CM[編集]

舞台[編集]

制作協力[編集]

ヒーロー一覧[編集]

エピソード[編集]

エイプリルフール[編集]

2000年代後半から、エイプリルフールになると、インターネット上で手の込んだネタを発表することでも知られる[27][28]。これらのネタは公式サイト「円谷ステーション」を運営するサイバーエデン(円谷英二のひ孫にあたる円谷洋平が社員として所属するweb制作会社)が企画し、最後に円谷プロが監修するという形をとっている[28](2010年時点)。これまで発表された主なネタは下記の通り。

  • 2005年 - バルタン星人が円谷プロダクション公式サイト「円谷ステーション」を乗っ取る。円谷プロダクション公式サイトでのエイプリルフールネタの第一号[28]
  • 2006年 - SNSサイト「エムナナハチ(m-78)」(mixiのパロディ[28])。
  • 2007年 - 前回と同じく「エムナナハチ」。前回、アクセスが集中してしまったためにサーバダウンを起こし、観覧できなかったファンから苦情が寄せられたこともあり、ウルトラの父による謝罪文を掲載。実際にサーバー環境の増強も行われた[28]。前日がウルトラマンメビウスの最終回であったこともあり、メビウスのアカウントでログインする形になっていた。
  • 2008年 - カネゴンによるアフィリエイトブログ「カネゴンの78ちゃんねるまとめサイト」(2ちゃんねる系まとめサイトのパロディ[28])。ウルトラ兄弟やウルトラ怪獣達が2ちゃん語VIP語で会話を繰り広げるという珍妙な光景が繰り広げられた。また、一部には特撮!板のウルトラネタも含まれていた。
  • 2009年 - 前回に引き続きカネゴンのブログに加え、ゴモラゾフィー・ザギなどのブログも閲覧できるようになっていた。ゴモラのブログ(しょこたん☆ぶろぐのパロディ)に書かれたメールアドレスに応援メールを送信すると個別に本獣からの返信があったが、メールが殺到したためか返信が翌日に持ち越されたりした人もいた。また、ニコニコ動画のパロディ「シュワシュワ動画」も開設。公式配信されている動画のほかに、当時のニコニコ動画で人気だった動画のパロディも表示された。
  • 2010年 - Twitterのパロディ[28]「円谷ッター(ツブッター)」を開設。主要ウルトラマンや怪獣・宇宙人たちが24時間ほぼリアルタイムで“つぶやき”続けた[注 1]。この他、シュワシュワ動画では生放送も実施。放送中に発表された「ウルトラマン80放送30周年記念・DVDボックス」は実際に発売されることになった。なお、「Twitterのパロディ」というアイディアは以前からあり、当初は名称も「デュワッター」だったが、わかりにくいという理由で「円谷ッター」に変更された[28]
  • 2011年 - 東北地方太平洋沖地震への配慮から、この年の企画は行われなかったが、代わりに「ウルトラ5つの誓い2011」がYouTubeで配信された[29]
  • 2012年 - イベントに携わっていた円谷洋平が転職したことを機に行われないことを、Twitterで経緯とともに告知。

人気投票[編集]

2010年と2013年の2度に渡り、インターネット上で歴代キャラクターの人気投票を実施している。

その他[編集]

  • 祖師ヶ谷大蔵駅近くに旧本社があったことから、周辺の商店街は「ウルトラマン商店街」として営業中であるが、この町おこしプロジェクトにおいて円谷プロはウルトラマンの版権を無償提供している。
  • 2005年9月 - 移転して間もない本社ビルの地下部分が豪雨により水没した。
  • 2011年7月 - 渋谷区桜丘町に本社を移転した。

所属スタッフ[編集]

過去の所属スタッフ[編集]

過去の関連スタッフ[編集]

円谷プロダクション芸能部[編集]

円谷浩をマネジメントする目的で設置され、円谷浩が他社へ移籍した後も所属タレント俳優のマネージメントを行っていたが、慢性的な赤字体質を脱却できず、経営改革に伴い2007年10月31日をもってセクションを閉鎖した。閉鎖後、所属タレントの一部とスタッフの大半は、円谷ミュージックの新会社「T.M.Lab」に移籍していたが、2013年11月末をもって「T.M.Lab」がプロダクション、マネージメント業務を終了したため、所属していた大半の俳優は新設の芸能事務所「Vif(ヴィフ)」に移籍した。

過去の所属タレント[編集]

男性[編集]

女性[編集]

グループ[編集]

円谷プロダクションから独立した会社[編集]

関連施設[編集]

砧社屋[編集]

かつての砧社屋(旧本社)2008年2月閉鎖

円谷プロダクションの初代社屋。元々は東宝砧撮影所で京都衣装(現:東宝コスチューム)の衣装倉庫として使用されていた施設であり、1964年に東宝が資本参加した際に円谷プロダクションへ提供された[34]。京都衣装以前は医療関係の建物であったとされる[34]

2005年の本社移転に伴い名称をKinuta Digital Symphony(KiDS)とし、CG部門の編集スタジオとして使用されていたが、2008年に解体された。

快獣ブースカ』の大作研究所や『ウルトラセブン』第8話の警察署などは砧社屋の建物を使用して撮影されている[34]

円谷プロ製作以外の作品では、『有言実行三姉妹シュシュトリアン』第40話「ウルトラマンに逢いたい」のロケ地の1つとして使用されている。

怪獣倉庫[編集]

砧社屋内に存在した怪獣やヒーローのぬいぐるみ(着ぐるみ)の保管倉庫。当初はぬいぐるみに特化していたわけではなく、ミニチュアなども保管されていた[34]

2008年の砧社屋の閉鎖により倉庫も解体されたが、京都衣装時代から存在した衣装整理用の札が貼られた柱の一部は円谷プロで保管されている[35]

ウルトラファイト』第196話「怪獣死体置場」や『ウルトラマンマックス』第24話などの撮影に使用されている[34]

東宝ビルト[編集]

2009年まで存在した東宝の撮影所の一つ。円谷プロダクションの所有施設ではないが『ウルトラQ』以来多くの作品が撮影され、円谷プロの出資により改築も行われるなど関係性は深かった[34]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ なお、つぶやき自体はTwitterの公認アカウントを取得して行われたので各ウルトラマン・怪人・怪獣の個別つぶやきはTwitter上で閲覧できたが、「ブースカ」と「ウルトラマンフェスティバル2010」のアカウント以外は「翻訳者の体力的限界」を理由に1日のみで更新を停止し、それまでのつぶやきも全面的に削除された。その後、一部のアカウントは不定期に更新されている。外部リンクの「円谷ッター(ツブッター)跡地」にTwitterの円谷プロ公認アカウントリンク集あり。

出典[編集]

  1. ^ 円谷英明 2013, pp. 49 - 50.
  2. ^ 白石雅彦『円谷一 ウルトラQとテレビ映画の時代』双葉社、2006年、p.239
  3. ^ 伊藤孝一、公野勉、小林義寛『映画はこうしてつくられる』風塵社、2008年、p.225。円谷粲インタビューより
  4. ^ a b 円谷英明 2013, pp. 87 - 92.
  5. ^ 円谷英明 2013, pp. 129.
  6. ^ 円谷英明 2013, pp. 89.
  7. ^ 円谷英明 2013, pp. 64-65.
  8. ^ 円谷英明 2013, pp. 140-142.
  9. ^ a b c 大揺れ円谷プロ、セクハラ後はリストラ騒動 前専務のカリスマ特技監督が怒りの提訴ZAKZAK 2003年9月2日
  10. ^ 円谷英明 2013, pp. 170.
  11. ^ 円谷英明 2013, pp. 182.
  12. ^ 円谷英明 2013, pp. 183.
  13. ^ 円谷英明 2013, pp. 163、186.
  14. ^ 子会社化(株式会社円谷プロダクションの株式取得)に係る株式会社ティー・ワイ・オーとの譲渡契約締結に関するお知らせ (PDF)
  15. ^ 円谷プロ、パチンコ機器関連会社の傘下に YOMIURI ONLINE(読売新聞)2010年3月17日
  16. ^ a b c 「円谷特技プロの創立」『不滅のヒーローウルトラマン白書』 朝日ソノラマ〈ファンタスティック・コレクション・スペシャル〉、1982年12月31日、初版、11頁。雑誌コード:67897-80。
  17. ^ 白石雅彦『円谷一 ウルトラQとテレビ映画の時代』双葉社、2006年、p.177
  18. ^ 白石雅彦『円谷一 ウルトラQとテレビ映画の時代』双葉社、2006年、pp.179-180
  19. ^ 円谷英明 2013, pp. 73、77.
  20. ^ 円谷英明 2013, pp. 74-75.
  21. ^ a b c プロフィール 円谷夢工房公式サイト内
  22. ^ 津田浩司「国境を越える日本映像ビジネスの現状」『』1996年2月号、pp.56-57
  23. ^ 円谷英明 2013, pp. 90.
  24. ^ 円谷英明 2013, pp. 126、129.
  25. ^ 平成13年(ワ)第12140号 著作権確認等請求事件 裁判例 裁判所ウェブサイト
  26. ^ 円谷プロの“聖地”にお別れMSN産経ニュース 2008年2月6日報道 :※現在は公開終了。Internet Archive Wayback Machine内に納められた当時のコンテンツはこのリンク先から閲覧可能。
  27. ^ 2010年4月1日、今年もすごいぞ! エイプリルフールネタ合戦、円谷プロから2ちゃんまで
  28. ^ a b c d e f g h 毎年話題のエイプリルフール企画を生み出す「円谷プロ」インタビュー、INTERNET watch(インプレス)、2010年4月23日 6:00。
  29. ^ 【ウルトラマン基金】ウルトラ5つの誓い2011 ウルトラチャンネル
  30. ^ 「ニュース 「円谷ヒーロー&怪獣・星人ランキング」実施中!壁紙プレゼント!」、円谷プロダクション公式ウェブサイト、2010年8月17日
  31. ^ 円谷ヒーロー・怪獣 & 宇宙人ランキング!結果」、ウルトラマンシリーズ45周年記念サイト(円谷プロダクション公式ウェブサイト)、2011年1月
  32. ^ 円谷プロ50周年記念 ウルトラ怪獣総選挙」、円谷プロダクション公式ウェブサイト、2013年9月
  33. ^ ウルトラヒーロー総選挙2013」、円谷プロダクション公式ウェブサイト、2013年9月
  34. ^ a b c d e f ウルトラマン全史 2013, pp. 4-5.
  35. ^ 『円谷プロ図録』 ネコ・パブリッシング〈NEKO MOOK〉、2013年、160頁。ISBN 978-4-7770-1440-8

関連書籍[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]