松竹芸能

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松竹芸能株式会社
Shochiku Geino Co., Ltd
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 松竹
本社所在地 日本
〒556-0017
大阪府大阪市浪速区湊町一丁目4番38号 近鉄新難波ビル9F
設立 1958年
(松竹新演芸株式会社として設立)
業種 サービス業
事業内容 タレント・俳優の養成ならびにマネージメント、演劇・テレビドラマ・イベントの企画・制作など
代表者 代表取締役社長 安倍彰
資本金 1億6,000万円
従業員数 80人
決算期 毎年12月31日
主要株主 松竹 100.0%
(同社の連結子会社
関係する人物 勝忠男(創設者の一人で社長・会長を歴任)
外部リンク shochikugeino.co.jp/
特記事項:1962年に松竹芸能株式会社に商号変更。
  

松竹芸能(しょうちくげいのう)は、芸能事務所松竹連結子会社である。大阪府大阪市に本社がある。吉本興業と並び、上方演芸界の二大プロダクションのひとつ。

目次

[編集] 沿革

1958年大阪歌舞伎座の地階にあった歌舞伎地下演芸場に芸人を配給していた新生プロダクション[1]と上方演芸[2]が合併。新たに松竹の資本参加を得て、前身会社である松竹新演芸が設立される。

以降、道頓堀角座(演芸の角座)を中心に、神戸松竹座新世界新花月に芸人を配給し、隆盛を極めるが、1980年前半に起こった「漫才ブーム」以降は吉本興業直営の花月劇場チェーンに観客を奪われ、1984年に角座は3年間にわたり閉鎖される。このことが発表された時、今は亡き6代目笑福亭松鶴がテレビで『その3年間、私ら芸人はどこに出ればいいんですか。代替の席も用意せずに閉館するなんて無茶だ』と訴えたことがある。その際彼の後ろに松竹芸能所属の芸人たちが居並んでいたことから、この時多くの所属芸人が同様の不満を持っていたと推測される。実際この間に松竹芸能を離脱した芸人も居たし、契約で角座に出演していた他の事務所の所属芸人たちも軒並み吉本に流れ、未だに松竹芸能の興行には戻ってきていない。

角座閉鎖後、1987年1月に同じ道頓堀の映画館・浪花座の一部を演芸場に改装し「演芸の浪花座」としてオープン、所属芸人の本拠地としたが、遠のいた客足を取り戻すことはできず、浪花座は2002年1月に閉館した。因みにこの浪花座閉館の際、サンケイスポーツ大阪本社版での「浪花座閉館」を報じた記事の中で正司敏江は、「角座(ビル)に映画館が2つあるから、どちらかを演芸場にできんやろか」という、「私案」とも言うべき興味深いコメントを残している。

2002年4月、道頓堀のパチンコ店「四海樓道頓堀店」4階の小ホール・「ミナミのど真ん中ホール」を間借りし、演芸興行を再開する。このホールは、パチンコ店の4階にあるというだけでなく、3階で券をもぎり、すぐに階段を上り、屋上を通過してホールへ入るという、まるで隠し部屋のような場所だった。

この「ミナミのど真ん中ホール」での興行から、若手芸人が中心となった日替わりのお笑いライブ「ナイトイベント」を新たに導入、昼は「とんぼり一番館」と銘打った従来からの寄席興行、夜は若手芸人によるライブという2部構成で、演芸興行を行うようになった。この「寄席」と「お笑いライブ」の『二部構成』というスタイルは、後述の「B1角座」以降にも継承されている。なお「とんぼり一番館」という名称は、「ミナミのど真ん中ホール」での興行を終えた2003年12月まで使われた。

「ミナミのど真ん中ホール」は、奇しくもますだおかだアメリカザリガニの人気が急上昇し始めた頃と重なり、大盛況となる。とりわけ場数を踏む機会が限られていた松竹芸能の若手芸人にとって、「ミナミのど真ん中ホール」は良い刺激や成長できる場所となった。それまでは月に1回程度のごく小規模な場でしか、ネタを披露する機会を与えられていなかったが、このホールにより松竹芸能の若手によるライブの回数は格段に増え、ファンにとっては伝説と言われるライブも多数生み出されていった。

2004年1月、道頓堀角座跡に建てられた角座ビル地下1階の居酒屋跡を松竹から賃借して「ライブスペースB1角座」を開設し、新たな常打小屋を確保。同時に劇場の運営を松竹芸能が直接行うことで、従前の間借り状態の劇場では制約があって難しかったオールナイトライブなど、より柔軟な形でのイベントの開催が可能となった。

2004年には、安倍彰が社長に就任している。

2006年には設立50周年を記念したロゴマークを作成し、制作を担当しているテレビ番組のエンドロールの社名の前に記している。なお、50周年というのは前述の上方演芸の設立年から数えたもので、松竹新演芸の設立から数えると同年で48年目である。また2008年には松竹新演芸の設立から数えると同年で50周年を機に社名の書体を宋朝体に改めた。

2007年1月に角座ビル3階に入っている映画館を閉館して改修し、現在の3倍の350席を確保して、角座を復活させると発表。新角座では演芸だけでなく、演劇など様々なプログラムを提供するとしていた。しかし、4月19日に防音面など構造上の問題が見つかり、改修費が当初の見込みから大幅に増えることが判明したとして、計画の白紙撤回を発表した。この一件は松竹芸能の甘い状況判断によって起きた事件だったことから、所属芸人の一部から不満の声も漏れた。 新角座の柿落としで予定されていた2代目桂春蝶の息子・桂春菜の3代目桂春蝶襲名披露公演は翌春以降に延期された(2007年5月11日付の京都新聞のインタビュー記事では、春菜は松竹芸能への不信感から独自に襲名披露公演を行うことが書かれている)。

演芸興行については、2008年7月5日より通天閣の真下にある「STUDIO210」にて、「通天閣劇場 TENGEKI」と称した興行を再開させている。「STUDIO210」(旧称「通天閣歌謡劇場」)は通天閣観光の運営するホールであり、松竹芸能はホール運営には携わっておらず、「TENGEKI」の開催は土・日のみで「B1角座」の時より縮小となる。これに先立って、2008年5月を最後に、角座ビルの建物施設の老朽化を原因に「B1角座」の閉館が発表され、本ビルの3階部分を改修しての新角座計画が、改めて甘い状況判断であった事を浮き彫りとした。同年5月31日をもって正式に「B1角座」は閉鎖、跡地は「中座」同様に、飲食店などのテナントを中心とした商業ビルになる予定。

[編集] 特徴

[編集] 多角な経営

「沿革」の項にて述べた特徴以外には、三波春夫のマネージメントを皮切りに、演芸以外にも幅広く展開。「ザ・ハングマン」等のテレビドラマを制作する傍ら、ジャニーズ事務所関西公演の勧進元にもなり、俳優陣やレポーター、モデル、タレントも数多く抱える。また、新世界・通天閣地下の「STUDIO210」にて行う歌謡ショー・「通天閣歌謡劇場」の運営も行う。

[編集] 名物社員

松竹芸能取締役・東京支社長で松嶋尚美マネージャーも兼務していたコズモ難波こと難波規精(コズモ難波という名前は、同志社大学・プロレス同好会時代のリングネームである)は、よゐこのいずれかをプロレス技で激励するという役割で「めちゃ×2イケてるッ!」に登場する名物社員(難波は、若手時代によゐこのマネージャーをしていた時期もある)であったが、2007年に松竹芸能を退社し、松嶋尚美の個人事務所「ステッカー」の社長となった。

[編集] タレント養成所

吉本興業に先駆け1968年に即戦力の新人タレントを発掘、供給することを目的として養成所が設立される。基本的にはお笑い芸人にこだわらない方針で、部門別で分かれており子役なども扱っている。2008年には、松竹芸能タレントスクールへと名称変更している。

[編集] 厳格で徹底したコンプライアンスと企業倫理

松竹芸能は厳格で徹底したコンプライアンス企業倫理を行っている事で知られている。所属芸人・タレント・社員による批判に対しては容赦なく徹底して許さない方針も創業当時から貫いており、芸人・タレントが自虐ネタとして使うことも禁じている。勝忠男の社長在任時には特に顕著に見られ、会社の方針に従わない芸人とタレントが悉く解雇という形で追放されていった。藤山寛美が多額の借金を抱え破産をし、寛美に解雇通告を行った事や嘉門達夫が笑福亭鶴光の門下時代、嘉門自身が鶴光と仕事観を巡って対立し、鶴光と松竹芸能に反旗を翻し、嘉門に対して鶴光一門から破門と事務所解雇の決断を下した事や、父である6代目笑福亭松鶴の一周忌記念落語会を無断欠席した5代目笑福亭枝鶴を解雇した事など、解雇に関するエピソードには枚挙に暇が無い。また、社員や解雇された芸人・タレントが解雇の経緯及び詳細を語ることも禁じられるなど、如何にコンプライアンスと情報漏洩防止には徹底しているかが窺い知れる。嘉門は破門・解雇については、「破門の理由は『サル自慰行為を教えると死ぬまでやり続ける』と言う俗説の真偽を確かめる為、師匠のペットのサルを実験台にした事である」などという"架空のエピソード"を頻繁に語っている。だが、真相に話が及ぶと、「ただいきなり、師匠からの破門と事務所からのクビを言い渡され、その場で社屋からつまみ出された」としか語っていない。

近年では、2009年、所属タレントの北野誠が、朝日放送のラジオ番組やイベントなどでの不適切発言があったとして、4月13日に無期限謹慎処分となり[3]、これを受ける形で、松竹と朝日放送が、日本音楽事業者協会に退会届を提出し、受理されていたことが、同月15日に判明[4]。これに関し、松竹芸能は「社内の極秘事項なので公表はできない」と、処分理由を明らかにしていない。また、北野誠自身も不適切な発言の内容に関しては「コメントできるような内容ではない」と回答を拒絶している。

[編集] 吉本興業との関係

松竹の演芸進出は1927年に遡る。吉本興業は松竹所有の道頓堀弁天座で諸芸名人会(萬歳大会)を興行して大成功を収めた。これを見た当時の松竹社長白井松次郎は自らも演芸進出を企てる。間もなくその資金力を背景に当時吉本に所属していた人気芸人を高額ギャラで釣って次々と引き抜いたため怨恨が発生。吉本の林正之助総監督(当時。のち会長)が松竹大阪事務所に乗り込み、脅しに行くという事件が発生したと言われている。この一件は白井が林に非礼を詫び、「松竹は吉本の芸人に一切手を出さない」と一礼を入れ事態は収拾した。

しかし、1939年白井は傍系の映画会社である新興キネマ(のち大映に合併)に演芸部を新設し、「新興演芸」の名で演芸に再進出した。ミスワカナ・玉松一郎あきれたぼういず等の吉本芸人を引き抜き、道頓堀浪花座や千日前アシベ劇場等で興行を行った。ライバル東宝が吉本と提携した事に対して行ったこの一件は演芸界を揺るがす大問題となった。吉本側は抗議したが、松竹自らが乗り出したわけではなく、結局裁判沙汰になるも二か月で和解。以降、吉本・新興で上方演芸界は二分されたが、新興キネマの合併消滅や戦時体制等で新興演芸は自然消滅の憂き目にあった。

終戦直後の1945年、吉本は所属する全ての芸人の借金を棒引きにした上で解雇を断行して演芸から撤退した。一方、5代目笑福亭松鶴等が落語会を催し、好評であるのを知った白井は、まず四つ橋文楽座で落語会を開催。好評だったため、1947年自ら経営する千日土地建物(通称・千土地。のちの日本ドリーム観光)の戎橋松竹で演芸に三たび進出した。このとき吉本は既に映画会社に転身していたが、この場合も千土地が表向き演芸興行を行い、松竹自らが進出することはなかった。なお、この戎橋松竹の支配人を務めていたのが、松竹芸能創業者の一人となる勝忠男である。

以降の経緯は、既述の通りであるが、吉本の演芸再進出は1959年であり、このとき既に松竹は道頓堀角座で演芸興行を本格的に行っていた。1960年代初頭は両社間での芸人の引き抜き・移籍は多かったが、やがて両社は所属芸人を引き抜かない協定を結んだ。このため、無理な引き抜きは行われなくなったが、在阪局制作のテレビ番組等で吉本または松竹の芸人は共演しないのが暗黙の了解である時代が1980年代後半まで続く。1980年代末期の頃から、両社が番組の制作に関与しない一部の番組(探偵!ナイトスクープたかじんnoばぁーなど)において共演するケースが徐々に現れ始める。しかしこの頃はまだ上岡龍太郎やしきたかじんといった中立の立場にいるタレントの力があってこその共演という認識が強く、過去の風潮そのものは変わらない状況が1990年代後半まで続いた。

1970年代後半のある正月に吉本所属の漫才師・横山やすしが松竹芸能系の演芸場である新世界新花月の楽屋へ遊びに行った際、泥酔していたやすしはそのまま新花月の舞台に上がってしまった。唖然とした観客はやすしに対し「吉本に怒られるぞ」とたしなめたという。大阪一厳しい客と言わしめた新花月の客にまで気を遣わせるほど、両社の関係は険悪だった。

1980年代以降、吉本興業に対して劣勢に立たされていた松竹芸能であったが、1980年代後半笑福亭鶴瓶が全国区となり、1990年代は森脇健児、近年ではオセロが大ブレイクし、さらに、よゐこTKOますだおかだアメリカザリガニ安田大サーカスなどがゴールデンタイムの全国ネット番組に出演する好調ぶりで、吉本との差が縮まってきている。その好調ぶりから、数年ほど前までは資本金が1千万円台だったのが、現在の1億円台にまで増資されている。

現在は両事務所所属の芸人が共演する機会も増え、過去の因縁は雪解けムードとなっている。特に、両者間の過去の関係において比較的影響力が少ないと推測される東京吉本が制作に関与する番組では、松竹所属のタレントがレギュラー・準レギュラー出演をするケースも少なからず見受けられる(「いきなり!黄金伝説。」のよゐこ・濱口や「ぐるぐるナインティナイン」のオセロなど。「いろもん貮・参」は鶴瓶と今田耕司東野幸治の3人が司会進行で、エンドロールには企画協力に松竹芸能と吉本興業の両社名が並んで表記されていた)。

2002年には、吉本興業最大の寄席劇場なんばグランド花月ますだおかだと、アメリカザリガニが松竹芸能の所属芸人としては初めて吉本の通常公演の出演者として舞台に立った。吉本主催の若手漫才選手権イベントM-1グランプリでの活躍が認められての大抜擢だったが、当時はまだ吉本と松竹は犬猿の仲であるという印象が強く残っていたため、関西のスポーツ新聞に「歴史的事件」として取り上げられたほどだった。当時の吉本興業常務取締役であった木村政雄が、この件について「今はもう所属事務所がどうこうという時代ではない。世界中の面白い人になんばグランド花月の舞台に立って欲しい」とコメントしていたことも、歴史的事件実現の背景にあった。

また、これに続いて吉本興業の木村明浩(バッファロー吾郎)が主催する大喜利イベント「ダイナマイト関西」の2006年オープントーナメントではM-1グランプリ同様に吉本以外の事務所所属の芸人や放送作家、フリーライター、そして、一般参加者の参加が可能となり、予選大会は大阪のbaseよしもとや東京のルミネtheよしもとといった吉本系の演芸場だけでなく、松竹系のB1角座でも開催された。このB1角座予選にはもちろん主催者としてバッファロー吾郎も出演し角座の舞台を踏んでいる。当日はTKO木下隆行が勝利し、本戦トーナメント開幕戦へと進出した。結果的にバナナマンホリプロ系列のホリプロコム所属)の日村勇紀に敗退したものの、木下は松竹所属の芸人としてなんばグランド花月の舞台を踏んだ。

更にはめちゃ×2イケてるッ!の企画「松竹DMC芸能」による濱口だましや、バッファロー吾郎木村明浩が企画し吉本興業が主催する大喜利イベント「ダイナマイト関西」の予選では、松竹芸能所属芸人の参戦のためB1角座を予選会場として使用するなど、会社を挙げて吉本興業中心の番組やイベントに協力する姿勢も見られる。また逆のパターンとしては、吉本興業製作の松本人志監督映画「大日本人」には海原はるかが出演。2008年には吉本伝統の番組枠であり、なんばグランド花月で収録されている「日曜笑劇場あったか人情コメディ 湯けむりパラダイス!」(朝日放送)に安田大サーカスがゲスト出演し、2009年には「日曜笑劇場・爆笑!ふれあいコメディ こちらかきくけ公園前」(朝日放送)にTKOがゲスト出演している。

また、2007年にNGKで行われた小籔千豊吉本新喜劇座長就任一周年記念イベント「コヤブ新喜劇〜座長になって一年たちましたスペシャル〜」に藤山直美が登場した。松竹新喜劇の顔であった藤山寛美の娘である直美の吉本新喜劇出演は「歴史的な瞬間」と小薮も語るほどであり、関西を代表する二つの喜劇の競演となった。

2007年公開の映画「大日本人」(松本人志監督・吉本興業製作)には海原はるかが出演。また、吉本が企画制作しているライブイベント「LIVE STAND」においても、2008年からは吉本以外に所属している芸人にも門戸が開かれ、松竹芸能からは海原はるか・かなたオジンオズボーンがこのイベントに出演した。同時期から関西ローカルのテレビ番組においても、「日曜笑劇場」(なんばグランド花月で収録され放送されている、前述の吉本新喜劇と同様の舞台コメディ。安田大サーカス・TKOがゲスト出演した)など、大阪吉本制作の番組にも松竹芸能所属の芸人がゲストとして招かれる機会が着実に増えている傾向にある。

[編集] 所属タレント

[編集] お笑いタレント

[編集] タレント

[編集] 落語家

[編集] 漫才師

[編集] 諸芸

[編集] 歌手

  • 偉偉
  • 正見里加

[編集] 俳優

  • 赤木奈美江
  • あげ田江美
  • 淺井志保
  • 浅野崇浩
  • 池下敦子
  • 出雲恵理加
  • 市川達也
  • 井上亮
  • 井上幸子
  • いま寛大
  • 上中進矢
  • 上野雅美
  • 宇都裕馬
  • 遠藤紗和
  • 大城純平
  • 小川剛志
  • 小川稔
  • 海徳桃代
  • 柏原愛
  • 柏原麻須美
  • 加藤奈々
  • 川崎あすか
  • 清野千萩
  • 小島秀哉
  • 小橋宏美
  • 桜岡達也
  • 酒田かおる
  • 笹山麻矢子
  • 嶋田ユキ
  • 嶋村晶子
  • 志村不砂子
  • 勝呂誉
  • 筋田詩織
  • 田井弘子
  • 高島美希
  • 高橋俊樹
  • 滝譲二
  • 武野功雄
  • 竹村卓
  • 立花建二
  • 田中里枝
  • 田端勝利
  • 田村ツトム
  • 伊達久志
  • 辻本瑞貴
  • 東野正志
  • 栃木和沙
  • 中島愛
  • 仲辻由圭里
  • 長岡佑香Christella
  • 西口泰央
  • 西島敦子
  • 濱田寿代
  • 原口志保
  • 春名真布実
  • 東口彩
  • 平川宗彦
  • 広松美咲
  • 松本麻希
  • 三浦誠二
  • 南出謙吾
  • 宮岸奈美
  • 宮小路涼華
  • 宗像志奈子
  • 山崎政一
  • 吉武周平
  • 若松正俊
  • 渡辺知晃
  • 和田聡一郎

[編集] 子役

  • 青野怜華
  • 阿部心
  • 天見倫子
  • 伊藤浩輝
  • 植田未羽
  • 上田美希
  • 大屋朱里
  • 尾崎孝史朗
  • 小野田顕児
  • 小野田昌浩
  • 片岡八駿
  • 金子凛太朗
  • 金子侑平
  • 金長輝燎
  • 河村妃乃
  • 藏前美郁
  • 小梅実久
  • 小西武
  • 小室奈弓
  • 齋藤雅乃
  • 坂下一愛
  • 佐上勇輝
  • 清水遼河
  • 高木美羽
  • 高嶋ゆかり
  • 高橋一眞
  • 瀧北華菜
  • 壇浦彩花
  • 鎮西彩乃
  • 冨岡重貴
  • 道場英莉
  • 中路葵
  • 中村加威
  • 長森由芽
  • 西岡輝流
  • 野崎優実
  • 橋本和也
  • 橋本真弥
  • 橋本麻里鈴
  • 畑下結莉花
  • 濱崎詩織
  • 濱中員季
  • 平田千華
  • 平野友梨
  • 平松敬介
  • 平松友也
  • 深井萌加
  • 藤田舜
  • 藤岡結夢
  • 藤岡皇佑
  • 藤岡桃音
  • 藤田育人
  • 藤原三梨子
  • 古川真実子
  • 古澤健
  • 前田旺志郎
  • 前田航基
  • 前川大将
  • 前田和
  • 松原有紀
  • 松宮果歩
  • 松村翔
  • 松本怜美
  • 水谷華
  • 水原海
  • 村上湧
  • 村上渓
  • 森田美依
  • 八木瑠実佳
  • 吉岡誠将
  • 吉岡翔馬
  • 吉岡竜輝
  • 脇本真花
  • ワトソン大輔

[編集] 過去の所属タレント

[編集] 養成所出身タレント

[編集] 制作番組

ほか多数

[編集] 労働問題

同社の元執行役員の男性2人が、2007年11月取締役から執行役員に降格され、翌2008年11月に解任されたとして、「名ばかり役員とされ、また、今回のリストラは違法解雇に当たる」などとして、大阪地裁労働審判を申し立てた[5]

[編集] 注釈

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  1. ^ 戎橋松竹の支配人だった勝忠男が興した芸能プロダクション
  2. ^ 秋田実を中心に設立された芸能プロダクションで、勝忠男も関係していた、現ケーエープロダクションの母体。
  3. ^ 北野誠さん:不適切発言 無期限の謹慎処分に 毎日新聞 2009年4月13日
  4. ^ 松竹芸能:音事協を退会 北野誠さんの不適切発言で 毎日新聞 2009年4月15日
  5. ^ [http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090222ddm041040109000c.html 労働審判:「名ばかり役員」解雇 松竹芸能の元執行役員、地位確認を申し立て ]

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク