道頓堀角座
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| 情報 | ||||
| 通称 | 角座、松竹角座、SY角座 | |||
| 正式名称 | ||||
| 旧名称 | ||||
| 完成 | 1652年 | |||
| 開館 | 1986年 | |||
| 開館公演 | {{{開館公演}}} | |||
| 閉館 | 2007年4月18日 | |||
| 最終公演 | {{{最終公演}}} | |||
| 収容人員 | (2館合計)885人 | |||
| 客席数 | 角座1:488 角座2:401 |
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| 延床面積 | {{{延床面積}}}m² | |||
| 設備 | ドルビーデジタルサラウンドEX、DTS、SDDS | |||
| 用途 | 映画上映 | |||
| 旧用途 | 演芸場 | |||
| 運営 | 松竹株式会社 | |||
| 所在地 | 〒542-0071 大阪府大阪市中央区道頓堀1-4-20 |
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| 電話番号 | ||||
| アクセス | 大阪市営地下鉄御堂筋線なんば駅14番出口から東へ徒歩5分 | |||
| 公式サイト | ||||
道頓堀角座(どうとんぼりかどざ)は、かつて大阪市中央区の道頓堀にあった劇場、演芸場、映画館。慶安5年/承応元年(1652年)開場。平成19年(2007年)廃座[1]。
目次 |
[編集] 沿革
江戸時代は「角の芝居」とも呼ばれた芝居小屋であった。戎橋側から浪花座、中座、角座、朝日座、弁天座の5つの芝居小屋を「五つ櫓」(いつつやぐら)又は「道頓堀五座」と呼んだ。1758年(宝暦8年)、歌舞伎の舞台に不可欠である「回り舞台」が初めて採用され、以降全国的に広まる。1920年(大正9年)松竹の経営に移る。以降松竹系の演劇興行が行われたが、戦災で焼失。戦後「SY角座」となり洋画専門の映画館として復興した。
1958年(昭和33年)、演芸プロダクションの新生プロダクション(勝忠男代表)と上方演芸(秋田實代表)は、それまで芸人を供給していた千日前の歌舞伎地下演芸場が4月一杯で閉鎖される事となったため、代替の出演場所を探して松竹を頼る事となった。松竹は角座を演芸場に改装の上5月に再開場、大規模な映画館の設定をそのまま生かして演芸場に転用した事で、従来の演芸場にはない1000席規模の「マンモス演芸場」が誕生した。さらに芸人供給元の新生・上方両社は松竹の出資を受けて合併、松竹新演芸(後の松竹芸能)が発足した。
演芸場となってからの角座は、引き続き松竹が経営し興行を行ってはいたが、実際の番組編成や芸人の配給等一切は松竹芸能が執り仕切っていた。このため、松竹芸能の盛衰と運命を共にする事となり、1960年代~1970年代は上方演芸の殿堂として隆盛を誇っていたが、1980年代の漫才ブームでは一転して吉本興業の花月劇場チェーンに水を空けられる結果となった。
この事態に対応すべく、表記を「KADOZA」と改め、場内の提灯を取り外して出演者も若手芸人に絞る(それまではかしまし娘など大ベテランのホームグラウンドだった)といったリニューアルを断行したが、結果は裏目に出てしまい客離れが加速。以降ジリ貧状態が続いた末1984年(昭和59年)に閉鎖される。
1986年(昭和61年)、飲食店を含めた複合ビルとして改築され、松竹系の映画館「角座1」「角座2」(当初「SY角座」「松竹角座」)として再開場。以降、映画興行を継続してきたが、なんばパークス(大阪難波の大阪球場跡地を南海電気鉄道が再開発した一大複合施設)に松竹がシネマコンプレックスを設ける事となったため、競合を避けるべく2007年(平成19年)4月18日をもって閉鎖された。
2004年(平成16年)1月1日より角座ビル地下一階の一部を松竹芸能が賃借して、「ライブスペースB1角座」として演芸場を復活させた。しかし、松竹本社が角座ビルそのものの土地建物を売却する方針を固めた事から、2008年(平成20年)5月31日の昼夜の興行を最後に「B1角座」は閉鎖された。[2]。
[編集] 主な出演者
開場から全盛期の頃の出演者
[編集] 漫才
- 鳳啓助・京唄子
- もろ多玉枝・広多成三郎
- ミスワカサ・島ひろし
- 五條家菊二・松枝
- 桜川末子・松鶴家千代八
- 松葉家奴・松葉家喜久奴
- 芦乃家雁玉・林田十郎
- 都家文雄・荒川歌江
- 三人奴
- 砂川捨丸・中村春代
- 秋田Aスケ・Bスケ
- 香島ラッキー・ヤシロセブン
- 東五九童・松葉蝶子
- 三遊亭小円・木村栄子
- 三遊亭柳枝・南喜代子
- 秋山右楽・左楽
- 海原お浜・小浜
- 平和ラッパ・日佐丸
- 夢路いとし・喜味こいし
- 若井はんじ・けんじ
- 上方柳次・柳太
- 中田ダイマル・ラケット
- レツゴー三匹
- 暁伸・ミスハワイ
- 勝浦きよし・さよこ
東京からツービートやおぼんこん等が出演。
他多数
[編集] 落語
[編集] ショウ
[編集] 漫談
[編集] 奇術
[編集] 曲芸
[編集] 映画館
[編集] 角座1
- 定員488席。常にヒット予想の高い洋画を多く上映。1994年に大阪松竹座が改築のため閉鎖して以降は丸の内ルーブル系の作品を主に上映していた。
- 主な上映作:「A.I.」「ハリー・ポッターシリーズ」「オーシャンズ11」「マトリックス・リローデッド」「マトリックス・レボリューションズ」「トロイ」「蒼き狼 地果て海尽きるまで」他
[編集] 角座2
- 定員401席。やや特徴のある邦画・洋画を上映。特に丸の内プラゼールや丸の内ピカデリー2で上映される作品を多く上映していた。
- 主な上映作:「男はつらいよ」シリーズ(第37作「幸福の青い鳥」から最終作「寅次郎紅の花」まで)、劇場版「必殺シリーズ」(第3作「裏か表か」から最終作「三味線屋・勇次」まで、「始末人」は除く)、「釣りバカ日誌」シリーズ(第19作「あとは能登なれハマとなれ!」まで)、「バカヤロー!」シリーズ(全4作)、「夜逃げ屋本舗」3部作、「学校」4部作
「座頭市(1989)」「シュート!」「忠臣蔵外伝 四谷怪談」「御法度」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「たそがれ清兵衛」「壬生義士伝」「座頭市(2003)」「天国の本屋〜恋火」「隠し剣 鬼の爪」「SHINOBI」「SAYURI」「ミュンヘン」「子ぎつねヘレン」「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」他
- 主な上映作:「男はつらいよ」シリーズ(第37作「幸福の青い鳥」から最終作「寅次郎紅の花」まで)、劇場版「必殺シリーズ」(第3作「裏か表か」から最終作「三味線屋・勇次」まで、「始末人」は除く)、「釣りバカ日誌」シリーズ(第19作「あとは能登なれハマとなれ!」まで)、「バカヤロー!」シリーズ(全4作)、「夜逃げ屋本舗」3部作、「学校」4部作
※座席数はすべて閉館時のもの。
[編集] 脚注
- ^ 松竹芸能の「B1角座」を含めれば、廃座は平成20年(2008年)になる。
- ^ B1角座について、松竹は迷走を重ねた。松竹芸能は「B1角座」を存続し、移転拡大するつもりだった(上記映画館角座の閉鎖に伴い、同映画館があったスペースを賃借して演芸場に改装するという計画)が、しかし構造上の問題で断念。次いで、「B1角座」を移転せずに営業を継続する方針でいたものの、上記のように本社が土地建物の売却を決定したために、角座そのものを完全に閉鎖するという選択を強いられた。これについては、桂春菜の桂春蝶襲名興行との絡みでトラブルになった。
角座は閉鎖したものの、松竹芸能の演芸興行は、2008年7月5日から劇場「STUDIO210」で、「通天閣劇場 TENGEKI」という興行名で継続されている。しかし開催日は土・日だけである。[1] 月曜は全国的に有名な「通天閣歌謡劇場」が同じく松竹芸能主催で開催されている[2]。
また、角座閉鎖によって、前述の「(劇場・映画館としての)道頓堀五座」は全て消滅した事になる。

