サンドウィッチマン (お笑いコンビ)

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サンドウィッチマン
SANDWICH MAN
メンバー 伊達みきお
富澤たけし
別名 サンド
結成年 1998年
事務所 フラットファイヴグレープカンパニー(2010年7月1日付)
活動時期 1998年 -
影響 さまぁ~ず
出会い 仙台商業高等学校ラグビー部
現在の活動状況 テレビ・ライブなど
芸種 漫才コント
ネタ作成者 富澤たけし
現在の代表番組 サンドのぼんやり〜ぬTV
サンドウィッチマンのラジオやらせろ!
SCHOOL NINE
バイキング
同期 麒麟
トータルテンボスなど
公式サイト 公式サイト
受賞歴
2007年 M-1グランプリ - 優勝 (敗者復活枠)
2009年 キングオブコント - 2位
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サンドウィッチマンは、日本のお笑いコンビ。所属事務所グレープカンパニー1998年9月にコンビ結成。2007年M-1グランプリ王者。コンビ名はサンドウィッチマンに由来。後述にあるが、元はトリオで活動していて、真ん中にいるメンバーがガリガリだったため、サンドウィッチのようだということでサンドウィッチマンと命名した。他に候補として三途の川、三角関係、三角州などがあった。

メンバー[編集]

ツッコミ担当(ネタによっては即興的なボケに回ることも)。
ネタ中では見かけによらず、「クレープ屋」「チーズ工場の工員」「パン工場であんパンの上にゴマをのせる工員」「ヨガの先生」などの堅気ながらどこか奇妙な職業という設定がある。
仙台藩伊達家分家の末裔。特技は、ゆで卵と生卵を見分ける。
愛称は、「伊達君」、「伊達ちゃん」、「おなべ」、「おなべちゃん」。
有吉弘行に付けられたあだ名は、「田舎のポン引き」。
極度の人見知り。その性格からアメトーークの「人見知り芸人」に出演している。
ボケ担当(ネタによってはツッコミに回ることも)。ネタの大部分を作っている[1]
ネタ中では接客業の設定が多い。
愛称は、「富澤君」、「トミー」、「おとみ」。
有吉弘行に付けられたあだ名は、「哀しきモンスター」。

コンビの共通点[編集]

来歴[編集]

二人は仙台商業高等学校(現仙台市立仙台商業高等学校)の同級生で、高校時代のラグビー部で知り合う。部員数が出場必要最低限の15人丁度である中で石巻工業と公式戦1回戦で対戦した際には、一方的な試合展開に耐えかねて自軍が途中棄権を申し出たが認められず、結局101対0の大敗を喫してしまった。[3]高校時代は現在の見た目とは正反対で、富澤は不良グループの1人で、伊達は優等生タイプであった。部活動では同じラグビー部に所属していたが、同じ学級にはなったことはない。また、現在では伊達が金髪で富澤が黒髪だが、デビュー当時は富澤が金髪で伊達が黒髪だったこともある。部活で知り合って以来の親友で、下積み時代から現在まで、一度も殴り合いのケンカをしたことがない(口ゲンカはしょっちゅう)。

卒業後、お笑い芸人になりたかった富澤は、就職すると辞めにくいとの理由でピザ屋でのアルバイトをしていた。伊達は、福祉系の専門学校へ進学するが、3ヶ月で中退。父の斡旋で福祉関連の会社に就職し、サラリーマンとして生活してゆくつもりであった。富澤は、1995年に創立された吉本興業仙台事務所(仙台吉本)への所属を目標に別の相方と組んで「ゆやゆよん」というコンビ名でアマチュア活動をしていたが、所属以前に仙台吉本が撤退してしまった[4](仙台吉本に所属していたという報道があったが、これは誤報)。

仙台吉本が閉鎖されたため、富澤は、もともとは伊達と組みたかったので、既に福祉関係の仕事に就いていた伊達を誘い、3年かけて口説き落としたという。その背景には伊達が祖父の死に接して「人生、好きな事やらないとなあ」と悟り、会社を辞める決意をしたというエピソードがある。1998年に二人で上京(これは同期だったポプラ並木が上京し、お笑い芸人として活動を始めた影響とのこと)。3年の期限を設けた。二人はまず『親不孝』と言うコンビを結成、その後、24歳の時に浜田ツトムを入れたトリオで『サンドウィッチマン』を結成。浜田が脱退(現在は『メインストリート』というコンビで活動)した後も元のコンビ名には戻さず、そのままになっている。ライブではウケていたがテレビ関係者からは声がかからなかった。かたっぱしからライブに出演していたある日、遂にとあるライブにテレビカメラが入り日本テレビの番組『エンタの神様』への出演が決まった。

2005年5月28日に『エンタの神様』に初登場。これが初めてのテレビ出演となる。

かつてはホリプロやH・R事務局に所属していた。しかしお笑いの事を解っていないマネージャー等に、ネタの内容について注意される事を嫌い、自由にネタをできる会社を探したところ、フラットファイヴに所属する事になる[5][6]

M-1グランプリ2007において、ますだおかだアンタッチャブルに続く三組目の吉本外芸人にして、大会唯一の敗者復活枠からの優勝を果たす。

2007年10月27日、2人の母校・仙台商業高等学校の文化祭「仙商祭」に出演した[7]。ただし、2人が在学中の頃の青葉区の校舎から、泉区に新築移転していた。この時のサンドウィッチマンの出演料は交通費代ということで10万円だった。2008年は単独ライブと日程が重なったため、出演できなかった。

2008年1月26日、仙台市の泉中央副都心にあるイトーヨーカドー仙台泉店で、fmいずみ「サンドウィッチマンのラジオやらせろ!(仮)」の公開収録を行った(観衆は2000人)。宮城県知事から「みやぎ夢大使[8]」に任命され、泉区長から区長賞を授与された。

伊達みきおが2009年5月11日、自身のブログでフリーアナウンサーの熊谷麻衣子と結婚することが明らかになり、2009年7月11日に挙式・入籍した。さらに、相方の富澤たけしは、2009年4月2日に年下の一般人彼女と入籍していた事が、2009年6月8日に所属事務所を通じてFAXでマスコミ各社に明らかになった。

キングオブコント2009ではM-1との2冠を目指し出場し、決勝進出を果たす。1stラウンドを1位で折り返すものの、結果は東京03に逆転されて2位。翌年度以降は出場していない。

2010年7月1日より、2005年から約5年間所属していた事務所のフラットファイヴを離れ、担当マネージャーが立ちあげた(株)グレープカンパニーの所属となった。同時に、フラットファイヴに所属していた多くの芸人達も、ホロッコ・ブラジルマンを除く殆どが共に(株)グレープカンパニーへとそのまま移籍した。ただしこれは所属事務所フラットファイヴの社長兼夫婦芸人であるホロッコがサンドウィッチマンのM-1優勝に触発されてか漫才業を再開するようになったため、『元々、お二人の事務所ですから。』という事で独立せざるを得ない状況だったという。

2011年3月、宮城県気仙沼市でのロケ中に東北地方太平洋沖地震が発生し被災したが、すぐに避難し二人ともブログで無事であることを報告[9]後述)。

芸風[編集]

  • 主にコントを行うが、動き・小道具よりもしゃべくりのやりとりで笑いを取るものが多いため、場所に応じては漫才に作り替えて披露することもある。2007年M-1グランプリで披露した漫才2本も、元々はコントとして作られたもの。そのためもあり、自分たちのことを「コント師」や「漫才師」ではなく「漫コン師」と自称するときがある(ただし、これは多少の下ネタとしても語られる)。
  • ネタは主に富澤がノート携帯電話に書き込みながら作っている。ツッコミの部分は伊達が付け加えたりするときもあるが、台本に起こし最終的な構成をかけているのは富澤である。同じ事務所に所属している構成作家・水野としあきもネタ作りに協力している場合もある。「母からの手紙」などの読み物ネタは伊達が中心となって作っている。
  • 富澤の方はパソコンで清書した台本を用いたいが、伊達の「富澤の女の子みたいな丸文字で書いた文字じゃないと頭に入らない。」という理由から、現在も台本は手書き[10]
  • 初めてテレビでネタ披露した番組は2005年のBSフジ「東京金歯(笑)」。
  • 漫才の際の出囃子は、Mess→Age Crew(feat.CUZSICK)の「青葉城恋唄21」(主に単独ライブで使用)。
  • 漫才でネタに入る時には「(伊達)世の中興奮する事っていっぱいあるけど、一番興奮するのは○○する時だよね」「(富澤)間違いないね」と言って始めることが多い。もしくは設定に入った途端に伊達が「興奮してきたなあ!」と言う。終わる時は伊達が「もういいゼ!」と言い締める。(「伊達のブログのタイトルにもなっている)。
  • 漫才のつかみやトークでの紹介時に30秒以下のショートコントをすることもある。トークやワイドショーでショートコントをやる際にはオチの後に「はい、○○!」と番組名や地名などを叫ぶ。
  • なおメンバーはネタ以外ではボケ、ツッコミの役割分担は気にしていないため、フリートークでは自由なポジションで対応している(立場が逆転して伊達に富澤がつっこむ様子も見られる)。
  • 単独ライブでは伊達がボケに回る「何でも知っている男」「クレーム処理」などのネタも存在する。これらのネタは伊達が作っている(伊達曰く「台本はなくアドリブでやっている」)。
  • 伊達は哀川翔のモノマネをすることがある。単独ライブではこのモノマネのキャラクターは「哀川チョウ」(チョウの漢字は毎回異なる)の名でコントとして披露されている(後半になるとほぼ地声になるほどモノマネの精度が落ちる)。
    • 『サンドウィッチマンライブ2010 新宿与太郎音頭』の特典映像(セル版のみに収録)で、哀川翔本人との対面、および対談を果たした。
  • 「ちょっと何言ってるか分かんない」「なんで何言ってるか分かんねえんだよ!」や「630円になります」「630円?はい、丁度だよ」「30円のお返しです」「600円じゃねえか!」など、お約束ともいえるやり取りが多くのネタに盛り込まれている(伊達がネタ中に「好きだな、このやり取り!大抵のネタに入れるな!」とツッコんだこともある)。また、「ピザじゃなくてピッツァです!」等と発音を上手くいうボケも多い。
  • 富澤のボケの中には「注文の方を繰り返します」を「厨房の方を振り返ります」と言うような、「ボキャ天」に近いものがあり、実際にボキャ天の復活特番に出演した際、満点の30点を獲得した。

太字は哀川チョウのキャラで披露したことがあるネタ、斜字は前述の伊達がボケ役のネタ。◎は漫才で披露したことがあるネタ。

TV番組のエピソード[編集]

  • フジテレビのバラエティ番組『めちゃ×2イケてるッ!』のコーナーで、2008年3月1日、8日放送の『お笑いブームにひっかかってませんスペシャル』と題された第9回笑わず嫌い王決定戦に出場予定であったが、M-1で優勝したことにより知名度が上がったため、出演が取りやめになったという経緯があった事を、2007年12月27日放送のナインティナインのオールナイトニッポン内で岡村隆史が述べている。
  • 爆笑オンエアバトル』も出場経験が無く、伊達の父親の「NHKに出るまで(売れたということを)認めない」という発言もあって本人達は出場を望んでいた。しかし当時はNHKのオーディションには合格しておらず、NHK側から「方向性が違う」として断られたことを本人たちが明かしている。伊達は「(M-1を獲得したので)一度も出ていないのに卒業勧告が来た」とブログに記している。[12]本人たちは「ガラの悪そうな外見だからNHKが出演させない」と自己分析していたが、同じくガラの悪い風貌であるえんにちは出場経験があるため、不鮮明な点が多かった。このように長らくNHKには出演していなかったが、同じくNHKの番組『笑・神・降・臨』出演により、本格的なNHK初出演を果たしている。ちなみに、M-1グランプリ決勝戦に進出経験のあるコンビでオンエアバトルに出演経験がないのはサンドウィッチマン、南海キャンディーズ変ホ長調スリムクラブの4組だけ。(南海キャンディーズの2人は「南海キャンディーズ」としての出演はないが、2人が以前組んでいたコンビではそれぞれ出演経験はある。ちなみに変ホ長調は日本テレビの『エンタの神様』への出演経験もなかった。それ以外の3組は全て出演経験がある。)
  • 爆笑レッドカーペット』への出演経験も長いことなく、出演を熱望していて『サンドウィッチマンライブ2008 新宿与太郎行進曲』の中でも「出ねぇっていうか、話こねぇんだよ…」というアドリブをした。エンタの神様の収録でも同様のセリフを発したが、オンエアではカットされている。[13]2010年6月20日の2時間スペシャルで初出演したが、ネタは披露せず特番時のコーナー「なぞかけキング決定戦」のみの出演だった。富澤が代表で出場、決勝まで進出した。一方の伊達は、姉妹番組である『爆笑レッドシアター』のツッコミ選手権に代表として2度出演、優勝を経験していて、こちらの番組ではネタも数回披露した。その後、2012年4月14日放送分の『爆生レッドカーペット』でのコーナー「激レアコラボカーペット」にて、 東北魂[14] として初めてコントを披露した。
  • 輝け!2005年お笑いネタのグランプリ』において、番組から「ピザの出前」というネタを年末に合わせて「年越しそばの出前」というネタに変えて参戦してくれ、と言われてやった結果、スベってしまったことがある。このことは、当然トラウマとなってしまったが、その後、秋元康から「客が悪かったかもしれないから、単独ライブで披露してハッキリさせた方が良いのでは?」と言われたため、『サンドウィッチマンライブ2008 新宿与太郎行進曲』の最後に「スベる度に3段階ある照明を暗くしていく(3回スベったらネタ強制終了)」という条件で再度やってみたところ、ネタ開始わずか1分21秒で強制終了というありえない結果になってしまった。ちなみに、その後納得いかないメンバーの頼みでネタを最初からやり直し、ルールに「ウケたら照明を1つ戻す」というものを追加して、何度も挑戦するという作業を繰り返したが、結局'M-1でウケていた部分で必ずスベって暗くなり、むしろネタよりも二人の予想に反して暗くなってしまうことの方がウケてしまうという散々な結果に終わってしまった[15]
    • また、導入部分でまだボケてもいないのに暗くなってしまう、伊達がネタを飛ばした為に強制終了となるなどのハプニングも多々あった。ちなみに、再挑戦による飽きが原因でスベった部分は「スベリ」にカウントされなかった。その他、照明が暗くなったり、明るくなる度に二人が浮かべる表情やアドリブなどもウケていたが、それはネタではないので「ウケ」にカウントされなかった。
  • エンタの神様』の本放送やDVD版によると、「職務質問」と「ファンレター」は2人の過去の実体験が元になっているとのこと。また、「ウエディングプランナー」と「旅行代理店」、「新人マネージャー」と「映画の宣伝」はそれぞれにつながりのある連作ネタ(後者のネタが、前者の後日談になっている)構成になっている。この他、「ハンバーガーショップ」と内容の一部が重複している「ドライブスルー」がある。

その他のエピソード[編集]

  • 東京に進出をしてから9年間、コンビ2人でアパートに住んでいたが、現在はそれぞれ個別に部屋を借り、妻子と共に生活している(互いに2009年結婚)[16]。この同居のエピソードが元で特に伊達がホモ疑惑を掛けられるが、メンバーはお互いが結婚するまで否定していた。ただし、否定を含めて番組などでネタにすることは何度かあった[17]
  • 宮城県や児童施設への寄付を目的としたチャリティーオークションのイベントで、私物を不定期に提供している。
  • 近年は刑務所への慰問も行っている[18]
  • 『伊集院光の日曜日の秘密基地』の1コーナーを担当していたが、自分達のブログで番組内での扱いに関して不満を書いた事[19]が、伊集院と当時のプロデューサーの知るところとなり、出入り禁止と伊集院がラジオで発言したことがあった。しかし、その後何度か登場はしており、出演しなくなったのはM-1で優勝した時期だったため、本当に出入り禁止になったとは考えづらい部分もある。
  • 関西で行われているMBS新世代漫才アワードという賞レースに、2007年になって初出場したが(出場はこの回1回限りだった)、180組いた参加者の中から勝ち抜いて40組に残るものの、250人の高校生審査員を前に行われた公開二次予選で高校生達から大きな笑いを取っていたにもかかわらず最下位になってしまい敗退した。二人は『ジャイケルマクソン』出演時にそのことについて触れられ、「それから関西に苦手意識がある」「そのとき1位通過したスマイルが大っ嫌いなんですよ」(ちなみにそのときスタジオにスマイルがいた)と逆にネタにしていた。
  • 憧れているお笑いコンビはさまぁ~ず。彼らのDVDを全て持っているらしく、伊達は「大石恵三」から大竹一樹に憧れ、上の縁だけ黒い眼鏡をしていたことがあった。「(ネタの突っ込み等が)さまぁ~ずと同じだね」とさまぁ~ずと仲のいいスタッフから言われることもある[20]。一時期の宣材写真でさまぁ~ずへのオマージュをしたこともある。
  • U字工事文化放送レコメン!』の中で「サンドウィッチマンと仲が良い」と言っており、ライブ等での共演のほか、番組でも数多く共演している。
  • 2011年以降、同郷の狩野英孝とテレビ等で共演する機会が増えている(但しサンドの2人は仙台市出身、狩野は栗原市出身)。この際、先輩であるサンドの2人は狩野を邪険(雑)に扱うことが多いが、実際にはとても仲が良い。
  • 二人がお笑い芸人としてデビューして以来の、『小島さん』という非常に熱心な男性ファンがいる。栃木在住。サンドウィッチマンが売れる以前から追っかけをしておりサンドウィッチマンがどこの県で公演しようと、必ずと言っていいほど毎回客席の最前列に現れるぐらいの熱の入れよう。同じ場所での複数回公演も必ず全て観覧しており、その事についてサンドから「公演は一度見れば充分ではないか?」とツッコミを入れられていたが小島さんは「回を追うごとの進歩を」と答えている。また後に敗者復活戦から一気に逆転した「サンドウィッチマン」に結成当時から注目していた事からもわかる通り、非常に優れたお笑いセンスを持ち合わせており、彼が喋ると大きな笑いが起きる事もある。当初は単独ライブの冒頭で少し絡む程度だったが、近年では彼をいじることが恒例となり、その模様は単独ライブのDVDにも毎回収録され、スタッフロールに名前が載るまでになっている。また2013年7月、TBCラジオの深夜特番『サンドのぼんやり〜ぬラジオ2013』では、スタジオの外側で観覧していた彼に入ってもらう形で、短時間だが“共演”も果たした。なお彼は個人的に、二人とも若干の付き合いがあり、伊達は自分の結婚式にも招待している。ただし、あくまでファンでありメンバーではないという理由から、ライブは毎回チケットを購入して参加している[21]

M-1グランプリのエピソード[編集]

M-1グランプリには2002年から出場し、2002年は1回戦敗退、2003年-2004年は2回戦敗退、2005年-2006年は準決勝敗退。

2007年も準決勝敗退したが敗者復活戦から決勝進出を果たした。
決勝ファーストラウンドで「街頭アンケート」というネタを披露。当時の敗者復活枠の最高点だった[22]651点を獲得し、キングコングと1点差でファーストラウンド1位通過する。この時、審査員のオール巨人はファーストラウンドの寸評にて「僕の中のこの92点(この回の巨人の最高評点)は完璧に近いですよね。期待の裏切りでどんどん笑いを取っていくわけですよね。何で、彼らが決勝のこの舞台に、敗者復活でなしに残ってへんのかなと思うくらい。ただ、もう一本こんなネタあったら大変なことになりますよこれ」[23]と語った。
最終決戦では3番手で「ピザのデリバリー」というネタを披露。鉄板のネタだが伊達が一瞬だけネタ(「コーラをピザにミックスしている」というボケの直後の部分)が飛んでしまい、それが伝染して富澤もその先のネタを一瞬忘れてしまった。伊達がすぐに思い出して立ち直ったので事なきを得たが、伊達は「僕と富澤にしかわからなかった、サンドウィッチマン史上最大のトラブル」と語っている[24]
結果は審査員7人中4票を獲得し、大会唯一の敗者復活戦枠から優勝した。ちなみに準決勝では「結婚式のスピーチ[25]」というネタをしており、ファーストラウンド1位通過後司会の今田耕司からそのネタを推されるが、「読み物漫才は決勝では不利」と聞かされていたため、「ピザのデリバリー」にネタを変更した(富澤曰く、「街頭アンケート」よりテンポが遅いため勝ち目がないと考えた、一応練習したが緊張で覚えられなかったらしい)。ただし、敗者復活戦会場の大井競馬場から決勝会場へ向かう最中に、2本目をどうするか話し合っていたと後に述べている[24]
番組終了後の記者会見で島田紳助松本人志と「彼らが準決勝で落ちた理由が不可解だ」と話し合っていたことを発言していた。メンバーは準決勝で負けた理由を「ガチガチで緊張していたからだろう」と語っている。また、敗者復活だから力まずにネタが披露できた、決勝8組に残っていたらガチガチに緊張して優勝は無理だったとも述べている。[26]
決勝の舞台で富澤はツカミで「名前だけでも覚えて帰って下さい」と述べた(後に自身のブログのタイトルにもなっている)が、それは敗者復活戦でのツカミに富澤が股間を触る下ネタを使用していた(富澤曰く「キンタ漫才」)が直前に番組スタッフから「下ネタはカットで」と言われたため、出番直前に急遽変更したものである(下ネタのツカミ自体はこの年以前にもネタに入れられていた)。優勝後の漫才では「名前だけでも・・・もういいや」に変わり、伊達が「もういいよそれは。大体わかるだろ」と返すこともあった。
トータルテンボス大村朋宏は、M-1終了後の『ヨシモト∞』にて「サンドウィッチマンかパンクブーブーが敗者復活の勢いをもって勝ち上がってきたら危ないと思っていた。」と発言。また、M-1グランプリ2007のDVDに収録されている舞台裏の模様で、敗者復活戦の勝者が発表された際に同大会決勝進出者の1組の千鳥・ノブが「エライやつが出てきた」と発言していることから、芸人の間では評判は高かったと思われる。
優勝後の記者会見で伊達が優勝賞金1000万円の使い道を「親にあげる」と発言したため、M-1グランプリリターンズでの賞金の贈呈式には2人の母親が呼ばれ、賞金も500万円ずつ2人の母親に授与された。
島田紳助は「敗者復活組に優勝は無い。もし優勝するなら圧倒的な力を見せつけなければならない。しかし彼らは本当に圧倒的だった。」と語っており、実際紳助はサンドウィッチマンにファーストラウンドでこの回の最高評点(98点)をし、最終決戦でもサンドウィッチマンに投票した。その一方で紳助と同じく9回審査員を務めた松本人志、中田カウスはそれぞれ「トータルテンボス、キングコングも、もう一笑いあれば優勝の可能性は全然あった」(松本)[27]「実力は伯仲だったが、トータルテンボスが一番ネタが練られていた」(カウス)[28]と評している。また、3組が最終決戦に進出するようになった2002年度以降では唯一全ての最終決戦進出組が審査員から票を獲得した回となっており、他の審査員の中でも意見が分かれている[29]
M-12009終了直後のよしもとオンラインでメンバーは自分達の優勝はあくまで敗者復活枠からの優勝であり、本当は決勝8組に入って優勝したかったこと、コントが専門なのにM-1で優勝し、キングオブコントで優勝を逃したのは皮肉だとも述べた。

東日本大震災のエピソード[編集]

  • 2011年3月11日気仙沼港市場で東北放送サンドのぼんやり〜ぬTV』のロケ中に東日本大震災東北地方太平洋沖地震)が発生し被災した。東北放送のスタッフの指示で安波山に避難したが[30]、津波で町が浸水した後に火災が発生し街中が火の海と化し、山を下りられない状態になってしまった[31]。その後、気仙沼市内のホテルのロビーに避難した[32]。東北放送スタッフが避難時の車内の様子や、大津波や火災の模様を撮影した映像は4月14日放送の『芸人記者 体当たりスクープSP』にて放送された。翌朝、無事であるとブログで報告し[33]、東北放送へ向かう最中、『久米宏 ラジオなんですけど』、テレビ東京フジテレビの災害特番に電話出演した。双方の実家へ寄り肉親の無事を確認後、翌日10時間かけて東京へ戻った[34]。なお、ブログのコメント欄は安否情報の連絡掲示板として開放されている[35]
  • 2011年3月13日の英国紙『インデペンデント』日曜版「がんばれ、日本!(Don't give up Japan!)」「がんばれ、東北!(Don't give up Tohoku!)」の文字に日の丸をあしらった1面は、スタッフから「日本人の妻が感動的なブログを読んだ」と聞いたジョン・マリン編集長が興味を持ち、伊達の公式ブログのエントリー『みんな頑張れ!』[36]の英訳文を読み、津波の写真や福島第一原子力発電所事故の写真を掲載すべきだという意見も多かったが、「震災の悲惨さを伝えるのも大切だが、人々を勇気づけるメッセージ発信も新聞の役割」と、伊達のブログからヒントを得て作られたものである[37]。なお、伊達のブログの一文『戦後、俺たちのじいちゃんやばぁちゃんは日本を復活させた。世界には奇跡と言われた日本の復興。必ず復興します! 日本をナメるな! 東北をナメるな!』は英訳され、インデペンデント電子版に紹介されている[38]
  • 2011年3月15日、日本テレビ系『DON!』に親族が罹災したフリーアナウンサーの生島ヒロシ[39]と共に出演。気仙沼市を襲った津波の様子などについて語った上で、避難所の映像などを積極的に放送し、安否情報を得られるようにして欲しいと訴えた[40]
  • 2011年3月16日、記者会見で『“東北魂”東北地方太平洋沖地震義援金口座』と銘打った銀行口座を開設し、募金活動を開始したことを発表[41][42]。伊達・富澤・所属事務所で1000万円を寄付する[43]東北魂のロゴ入りチャリティグッズも販売を開始した[44]。富澤によれば、和田アキ子からも電話がかかって来て、「何をしたらいいか教えてくれ、テレビ見てて辛い」と泣いていたという(これがホリプロ「あの鐘を鳴らすのはあなた基金」の開設につながった)。5月27日、2人は宮城県庁を訪れ、義援金9000万円の小切手とチャリティグッズのTシャツを村井嘉浩県知事に手渡した。26日までに義捐金口座には26297人から振込みがあり、チャリティーライブとチャリティグッズの収益を含め2億9722万円が集まった。義援金は岩手県や福島県、宮城県など計6県に配る。被災状況から宮城県には9000万円を贈った[45]
  • 数十回にわたって被災地を訪問している二人は、独自の義援金「東北魂」などで集めた約3億5千万円を被災した東北6県に届けた。 3月11日には気仙沼に足を運び、14時46分に黙とうを捧げ、風化させない動きを訴えている[46]。その活動が評価され、2012年5月1日、伊勢谷友介EXILE加藤登紀子小林幸子コロッケ坂本龍一サンドウィッチマン杉良太郎伍代夏子中村雅俊はるな愛が、日本財団により「被災地で活動した芸能人ベストサポート」に選出され、表彰されている[47]
  • 売れない時代からの目標であったラジオ番組『オールナイトニッポン』(ニッポン放送系列)だが、ニッポン放送のオファーに応える[48]形で2011年3月18日に初めて担当した。金曜パーソナリティはAKB48だったが、AKB側に許可を取り、前日に急遽一日限定で担当する事が発表されている[49]。番組に届けられたメール数は通常放送時の約5倍にあたる10,000通であり、その内被災地からのメールが半数に上った[50]。このことは、ライバル局であるTBSラジオでも宣伝された(JUNKが休止になった際に、金曜担当のバナナマンから1時からの10分間生放送で伝えられた)。この様子をJUNKリスナーがFAXで伝えたところ、「涙が出そうなほど嬉しかった」と語った。またこの番組の後、TBSラジオで「サンドウィッチマンの10分もらえたぜ!」を担当することになった。
  • 2013年、国土交通省の気象庁災害啓発ポスターに起用された。
  • 同年、“希望”がテーマとなっている、映画『それいけ!アンパンマン とばせ! 希望のハンカチ』でゲスト声優を務めた。

受賞歴[編集]

レギュラー番組[編集]

現在[編集]

テレビ番組
ラジオ番組

過去[編集]

テレビ番組
ラジオ番組

その他の出演作品[編集]

テレビ番組[編集]

映画[編集]

ラジオ番組[編集]

ドラマ[編集]

  • ハチワンダイバー(フジテレビ)ドラマ初出演
    • 溝端淳平演じる真剣師・菅田健太郎を応援する真剣師・角田吾郎(伊達)と飛鷹安雄(富澤)役を演じる。配役の都合でネタとは違い伊達は通常どおりチンピラ(?)だが、富澤は伊達の兄貴分になっている。
  • 土曜ワイド劇場刑事殺し』(朝日放送、2009年8月22日)
  • 特集ドラマ かつおNHK仙台、2013年12月18日) - 警察官 役

CM[編集]

PV[編集]

連載[編集]

書籍[編集]

著書[編集]

雑誌[編集]

  • お笑いTVLIFE Vol.1

オリジナルビデオ[編集]

DVD[編集]

  • サンドウィッチマンライブ2007 新宿与太郎哀歌
  • サンドウィッチマンライブ2008 新宿与太郎行進曲
  • サンドウィッチマンライブ2009 新宿与太郎狂騒曲
  • サンドウィッチマンライブ2010 新宿与太郎音頭
  • サンドウィッチマンライブ2011 新宿与太郎完結篇
  • サンドウィッチマンライブツアー2012
  • M-1グランプリ2005完全版〜本命なきクリスマス決戦!“新時代の幕開け”〜 (敗者復活戦)
  • M-1グランプリ2006完全版〜史上初!新たなる伝説の誕生〜完全優勝への道〜(敗者復活戦)
  • M-1グランプリ2007完全版 敗者復活から頂上へ〜波乱の完全記録〜
  • サンドウィッチマンのエンタねた vol.1:エンタの神様ベストセレクション (2008年9月19日発売)
  • サンドウィッチマンのエンタねた vol.2:エンタの神様ベストセレクション(2008年10月8日発売)
  • サンドウィッチマンのエンタねた vol.3:エンタの神様ベストセレクション (2010年5月26日発売)
  • サンドウィッチマンのエンタねた vol.4:エンタの神様ベストセレクション (2010年5月26日発売)
  • ハチワンダイバー DVD BOX
  • お台場お笑い道
  • サンドのぼんやり~ぬTV Vol.1 『真夏のサンド・水着オリンピック!』(2009年8月5日発売)
  • サンドのぼんやり~ぬTV Vol.2 『富澤の血液型・34年目の真実!』(2009年8月5日発売)
  • 東京ダイナマイト&サンドウィッチマンの漫才先生 in パラオ(CCRE、2009年8月5日発売)

CD[編集]

ゲーム[編集]

  • くりぃむしちゅーも観ながらいろいろゴチャゴチャ言ってますけども… 笑いのタマゴLサイズ(おひとり様何回でも)(ハドソン PSP、2006年3月23日発売)

脚注[編集]

  1. ^ 2010年4月19日放送お笑いさぁ~ん
  2. ^ 中部・北陸地方で2010年2月中旬から下旬に放送された番組 「BSNスペシャル ニッポンど真ん中!~サンドウィッチマンが行く!にいがた美食の裏めぐり~内での発言から。
  3. ^ サンドウィッチマン[ お笑いコンビ ] 中高生部活応援マガジン 2012年07月15日
  4. ^ サンドウィッチマン:「ぞうきんだからネタしかない」大逆転のM-1優勝を語る 毎日jp 2008年1月12日
  5. ^ テレビ番組「さんまのまんま」より
  6. ^ 以前所属していた事務所フラットファイヴの社長である堀田訓幸もホリプロ出身である。
  7. ^ 2007年10月26日(伊達みきおのブログ)
  8. ^ みやぎ夢大使(宮城県)
  9. ^ サンドウィッチマン伊達のもういいゼ!” (日本語). とりあえず無事です。. サンドウィッチマン 伊達みきお (2011年3月11日). 2011年3月17日閲覧。
  10. ^ 2008年のテレビ情報誌「ザ・テレビジョン」でのネタ帳披露記事より
  11. ^ ラジオでの披露歴あり。『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』、ニッポン放送、2013年1月31日放送分。
  12. ^ 雨の大阪へ‥ サンドウィッチマン 伊達みきお オフィシャルブログ 2008年4月18日
  13. ^ 『サンドウィッチマンのエンタネタ vol.3』にノーカットで収録されている。
  14. ^ 狩野英孝鳥居みゆきマギー審司との合同ユニット。
  15. ^ ちなみに、最後まで強制終了にならなかったのは3回目のチャレンジの時だった。
  16. ^ サンドウィッチマンが“男同士”10年間の同居生活を赤裸々に告白!?[リンク切れ]ザ・テレビジョン
  17. ^ 『M-1』覇者・サンドウィッチマン最速インタビュー! ホモ疑惑、そして優勝の舞台裏講談社モウラ)
  18. ^ 2009年の「笑撃!ワンフレーズ」での発言より
  19. ^ [1]2007年8月26日(富澤たけしのブログ)
  20. ^ 2010年4月20日放送お笑いさぁ~んより。さまぁ~ずとはトークのほかに即興コントも披露した
  21. ^ 高田文夫のラジオビバリー昼ズ』、ニッポン放送、2013年1月31日放送分。
  22. ^ 後にパンクブーブーが668点を記録し、更新される
  23. ^ メンバーが「ないです」のジェスチャーをすると巨人は「ホンマにないの?今辞退したらどうや」と述べた。これを聞いた司会の今田耕司は準決勝を見ていたらしく、「あったやん!」「面白かったやん!!」「俺見たもん、準決勝で!!」と突っ込んだ。巨人は最終決戦でもサンドウィッチマンに投票している。
  24. ^ a b 著書「敗者復活」より
  25. ^ ちなみに、これは前述の通り伊達が作ったネタ。
  26. ^ 「M-1完全読本2001-2010」のインタビュー
  27. ^ 2008年1月5日『放送室』。最終決戦では実際にサンドウィッチマンに投票している。
  28. ^ 著書「襲撃 中田カウスの1000日戦争」より。最終決戦では実際にトータルテンボスに投票している。
  29. ^ トータルテンボス2票(中田カウス、ラサール石井が投票)、キングコング1票(大竹まことが投票)、他の審査員は全てサンドウィッチマンに投票。
  30. ^ “サンド伊達、鼓舞「東北をなめるな!」”. サンケイスポーツ. (2011年3月13日). http://www.sanspo.com/geino/news/110313/gnf1103130504000-n1.htm 2011年3月17日閲覧。 
  31. ^ 地震”. サンドウィッチマン 富澤たけし オフィシャルブログ (2011年3月11日). 2011年3月17日閲覧。
  32. ^ とりあえず無事です。”. サンドウィッチマン 伊達みきお オフィシャルブログ (2011年3月11日). 2011年3月17日閲覧。
  33. ^ “メッセージ送り続けるサンドウィッチマン「僕らは元気です」”. スポーツニッポン. (2011年3月12日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/03/12/kiji/K20110312000412810.html 2011年3月17日閲覧。 
  34. ^ 東京に着きました。”. サンドウィッチマン 伊達みきお オフィシャルブログ (2011年3月14日). 2011年3月17日閲覧。
  35. ^ 安否確認専用”. サンドウィッチマン 富澤たけし オフィシャルブログ (2011年3月13日). 2011年3月17日閲覧。
  36. ^ みんな頑張れ! 伊達みきお公式ブログ 2011年3月12日閲覧
  37. ^ “英紙1面で「がんばれ日本」 きっかけは芸人ブログ”. 朝日新聞. (2011年3月16日). http://www.asahi.com/international/update/0316/TKY201103160082.html 2011年3月17日閲覧。 [リンク切れ]
  38. ^ Towns vanish, thousands die – but a nation begins its fightback THE INEDEPENDENT 2011年3月13日閲覧(英語)
  39. ^ 生島自身も仙台国際ホテルでの講演中に遭遇し、15時間かけて帰京している。また妹夫婦が津波の犠牲となった。
  40. ^ “危機一髪! サンドウィッチマン、生出演で恐怖語った…日テレ系「DON!」”. スポーツ報知. (2011年3月16日). http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110315-OHT1T00261.htm 2011年3月17日閲覧。 
  41. ^ お願い致します!”. サンドウィッチマン 伊達みきお オフィシャルブログ (2011年3月16日). 2011年3月17日閲覧。
  42. ^ 義援金の呼びかけ”. サンドウィッチマン 富澤たけし オフィシャルブログ (2011年3月16日). 2011年3月17日閲覧。
  43. ^ “サンドウィッチマン:義援金1000万円 口座「東北魂」開設 アッコ、紳助後押しでライブも”. まんたんWeb. (2011年3月16日). http://mantan-web.jp/2011/03/16/20110316dog00m200056000c.html 2011年3月17日閲覧。 
  44. ^ サンドウィッチマンら狩野英孝の婚約を祝福-BSフジ『東北魂TV』-”. テレビドガッチ (2011年10月6日). 2011年10月6日閲覧。
  45. ^ サンドウィッチマン、宮城県に義援金9千万円 YOMIURI ONLINE 2011年5月28日
  46. ^ 日本財団>被災地で活動した芸能人ベストサポート>表彰者一覧
  47. ^ 日本財団会長 笹川陽平ブログ>被災地で活動した芸能人ベストサポート
  48. ^ “今夜「サンドウィッチマンのオールナイトニッポン」急遽生放送”. エキサイトニュース. (2011年3月18日). http://www.excite.co.jp/News/comedy/20110318/NatalieComedy_46475.html 2011年4月9日閲覧。 
  49. ^ “サンド緊急ANN 被災地に笑顔届ける”. サンケイスポーツ. (2011年3月18日). http://www.sanspo.com/geino/news/110318/gnf1103180506002-n1.htm 2011年3月21日閲覧。 
  50. ^ “サンド番組に被災地からメール5000通”. サンケイスポーツ. (2011年3月20日). http://www.sanspo.com/geino/news/110320/gnf1103200502000-n1.htm 2011年3月21日閲覧。 
  51. ^ http://www.stv.ne.jp/tv/hotsand/index.html
  52. ^ 新番組「サンドウィッチマンのラジオやらせろ!」2007年7月2日(fmいずみ)
  53. ^ 2013年3月26日北海道新聞夕刊『日曜の夜「ひまの湯」で心ぬくぬく STV、5月から自社制作番組 サンドウィッチマンら出演』(当日閲覧)
  54. ^ http://www.週刊サンド新聞社.com/
  55. ^ 『これが東北魂だ』は、2012年から年1本のペースで制作・放映されている。震災で受けた被害から立ち上がり、復興へと歩みを進める人々の姿を放映の前年から長期間にわたって追い、翌年の年明けに放映、という流れとなっている。
  56. ^ [サンドウィッチマン]アンパンマンの声優に抜てき パンつながり?で「キターッ!!」”. マイコミジャーナル. 2013年4月9日閲覧。
  57. ^ 公共放送であるNHKでCMは流れないが、民放におけるCMと同じ形式のものであることから、便宜上ここに掲載する。なおNHKではこれを「スポット番組」と称している。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]