ダイハツ工業

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ダイハツ工業株式会社
Daihatsu Motor Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報
東証1部 7262
大証1部 7262
本社所在地 日本の旗 日本
〒563-8651
大阪府池田市ダイハツ町1番1号
設立 1907年3月1日
業種 輸送用機器
事業内容 自動車現行車種を参照)
代表者 伊奈功一(取締役社長)
資本金 284億400万円
2008年3月31日現在)
売上高 単体 1兆2,708億3,600万円
連結 1兆7,026億200万円
(2008年3月期)
総資産 単体 7,617億4,900万円
連結 1兆1,524億9,800万円
(2008年3月期)
従業員数 単体 11,921名
(2007年9月30日現在)
決算期 3月31日
主要株主 トヨタ自動車 51.19%
外部リンク http://www.daihatsu.co.jp/
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ダイハツ工業株式会社(ダイハツこうぎょう、Daihatsu Motor Co., Ltd.)は、日本の自動車メーカーの一つである。本社は大阪府池田市。ブランド名・社名の由来は、証券取引市場において、東京と大阪にそれぞれ存在した「発動機製造」を「トーハツ(東京)」「ダイハツ(大阪)」と略称したことから。現在のコーポレーションスローガンは「Innovation For Tomorrow」および「もっとにできること。」(2011年8月22日よりこちらを主としながら並行して使用)。トヨタ自動車連結子会社である。トヨタグループ15社のうちのひとつ。

目次

[編集] 概要

[編集] 歴史

日本で最も歴史の長い量産車メーカーで、大阪高等工業学校(後の大阪帝国大学工学部)の研究者を中心に、1907年に「發動機製造株式會社」として創立された。その当初は工場等の定置動力用として用いられるガス燃料の内燃機関(ガス発動機)の製造を手がけていた。

現在はトヨタ自動車連結子会社トヨタグループであり、会長に前トヨタ自動車副社長の白水宏典が就任するなど、トヨタ色が強くなっている。ちなみにトヨタ自動車とは1967年から業務提携を行っており、OEM供受給[1]やトヨタからの受託生産などを行なっている。トヨタからの受託により、小型車や商用車、およびそれらに搭載されるエンジンの実開発も多く担当している。

なお、大阪府で不動産業を営む企業「大発産業株式会社」との関係はない。

[編集] 自動車

1930年に自社製小型ガソリンエンジンを搭載したオート三輪「ダイハツ号」の製造で自動車業界に参入。1960年代までオート三輪業界でマツダとともに市場を二分、以降は小型四輪車、軽自動車の生産にシフトしている。

特に主力製品の軽自動車では、トップメーカーであるスズキとの激しいシェア争いを展開している。2006年はスズキが軽自動車減産(普通車増産)の戦略をとり、2007年からその方向性を明確にしたことで、1973年から2006年まで34年連続トップのスズキを抜いて初めて首位に立った。

社団法人全国軽自動車協会連合会の発表した、2006年度(2006年4月から2007年3月までの一年間)軽四輪車新車販売台数速報[2]によれば、総台数で61万6,206台を記録し、スズキの60万5,486台を上回り、軽自動車の販売台数で首位に踊り出た。

オート三輪の時代はエンブレムに「大阪城」のイラストを模したものを使用していた。現在の「D」を模したマークは1960年代後半に登場し何度かの修正を経ながら現在まで使用され続けている。1998年まで車台にエンブレムが搭載されることは少なかったが、ロゴリニューアルに伴い多用されるようになった。

ダイハツ車専門のカスタマイズブランドとしてD-SPORTが存在する(SPKという会社の1部門で、ダイハツ工業と直接関係はない)。

かつては、シャレードでのサファリラリー参戦や、ミラストーリアでの国内ラリーダートトライアルへの参戦、また近年ではブーンWRCラリージャパン)にスポット参戦するなど、国内外のモータースポーツに積極的に参戦してきたが、2009年1月13日、「昨今の自動車業界を取り巻く経済状況の厳しい状況」および「(年を追うごとに)深刻化する若者の車離れ」などを理由に、モータースポーツ活動の休止と、関連会社DCCSが主催するジムカーナ競技会ダイハツチャレンジカップの終了を発表した。

1965年から電気自動車の開発を始め、1966年にコンパーノバンをベースとした試作車を発表。1968年にはハイゼットEVの販売を開始、以後電動ゴルフカートやDBC-1ハローラガーEVなどさまざまな車種を発表、販売している。

[編集] エンジン・その他機械類

その機械加工能力の水準を買われ、1920年代以来、国鉄(当初は鉄道省)との関わりも深く、鉄道向け機器としては蒸気機関車用の自動給炭機(国鉄・汽車製造との共同開発)や客車室内の引き戸用ドアチェック、通勤電車の自動ドア向けドアエンジンなどを製造した。このため、鉄道用空気ブレーキ装置の大手メーカーである日本エヤーブレーキ(現・ナブテスコ)の設立にも関わっている。

ディーゼルエンジン開発にも早くから取り組み、車載向けの小型高速ディーゼル機関だけでなく、船舶用の低速大型ディーゼル機関も生産した。太平洋戦争後の1950年代以降は、国鉄のディーゼル機関車気動車向けディーゼル機関生産に、先発の新潟鐵工所神鋼造機と共に携わった。また自動車用の分野でも、1960年代初頭に小型トラック用としてはクラス初のディーゼルエンジン採用で先鞭を付け、後にはシャレードで当時世界最小排気量の乗用ディーゼルエンジンを開発したりするなど、小型ディーゼルエンジン技術でも実績を残している。なお、中~大型船舶用ディーゼルエンジンは1966年に分社された系列の「ダイハツディーゼル」に移管して製造されている。

[編集] コマーシャル戦略

オート三輪業界でもいち早く太平洋戦争直後の1940年代末期から大量生産システムの本格導入に取り組むと共に、日本全国へのディーラー網整備を早期に完了し、小型商用車市場に地歩を築いた存在である。

自動車業界ではテレビコマーシャルの活用の先駆的存在でもあった。1957年に発売した軽オート三輪「ミゼット」は小型軽便な実用性と廉価さを武器に「街のヘリコプター」のキャッチフレーズで売り出されたが、相前後してダイハツは、大阪で製作され1958年から放送されて高い視聴率を誇った喜劇テレビドラマやりくりアパート』のスポンサーとなり、ミゼットの売り込みをかけた。番組の最後には主演のコメディアン大村昆佐々十郎らが実車のミゼットをを横に、コミカルなギャグ混じりに「ミゼット!」と車名を連呼するインパクトたっぷりの生コマーシャルが放送され、ミゼットはこのCM効果も手伝って当時の大ヒット作となっている。

地元であるJR新大阪駅の在来線コンコース、および和歌山駅には常設のダイハツ車の展示スペースがあり、新型モデルが時折入れ替わりをしながら一台展示されている。(ちなみに、マツダも地元広島県のJR広島駅のコンコースに常設の展示スペースがある)

親会社のトヨタ自動車と同様テレビCMには芸能人が多く出演する傾向がある。

[編集] 海外事業

インドネシアではアストラ・インターナショナルとの合弁で「アストラ・ダイハツ・モーター」 (ADM) を設立。ダイハツ車の販売と、ジャカルタ・スンター工場にてダイハツおよびトヨタブランド車の製造を行っている。スンター工場は2010年度には生産能力を年30万台に引き上げている[3]マレーシアでは1993年に現地資本との合弁でマレーシア第二のメーカープロドゥアを設立。2006年には第一のマレーシアの自動車メーカープロトンを抜いてマレーシア市場最大手に踊り出ている。

一方、その他の地域においては販売不振による撤退が目立つ。1989年には当時小型車市場が拡張の傾向にあったアメリカ市場への参入を試みたが、親会社のトヨタの知名度が強すぎたせいか米国内でのダイハツの知名度が低く、ディーラー網の整備にてこずったことなどから売れ行きが伸びなかった為、1992年をもって撤退した。また、2006年3月には韓国車との競合などでやはり不振を極めていたオーストラリア市場からの撤退を、2007年11月にはベトナムの現地合弁会社ベトインド・ダイハツ(ビンダコ)の清算および同国市場からの撤退を発表している。さらに2011年1月にはヨーロッパ市場からの撤退も発表した[4]

中華人民共和国ではこれまでシャレードテリオスなどダイハツの車種が現地生産されていたものの、ダイハツブランドでの販売は行われていなかった。2007年第一汽車子会社の一汽吉林汽車との合弁でセニアの生産・販売を行いダイハツブランドの展開を開始したが、知名度不足から販売が低迷したため2009年には早くも展開を断念し、同年中に一汽ブランドへ変更することを発表した。しかしながら、双方のメンツを重んじ、対外的には「技術援助契約の枠組の変更」という表現が取られている。主な要因は、

  1. 既存の吉汽ブランドは小型商用車を主に販売し、乗用車を拡販するための日本国内ノウハウ移転が定着しなかったこと
  2. 投入したセニアは元々インドネシア市場用に開発された車両であり、モータリゼーションでは先を進んでいた中国市場のユーザーの嗜好(特に見栄を重んじる)に適合しなかったこと
  3. コスト抑制のため中国国内での部品調達を試み、調達部門を先頭に現地メーカーの指導がなされたが、目標とする品質を達成することができず、吉汽側にも改善の意欲が無く、「ダイハツ」ブランドを名乗り続けることが困難との判断がなされたこと

と考えられている[5]

[編集] 沿革

  • 1907年 大阪に發動機製造株式會社を創立。
  • 1930年 三輪自動車を発売する。
  • 1933年 東京支社を開設。
  • 1939年 池田工場(現・本社工場第1地区)を操業。
  • 1951年 社名を發動機製造株式會社からダイハツ工業株式会社に改称。
  • 1961年 池田第2工場(現・本社工場第2地区)を操業。
  • 1965年 本社を池田に移転。
  • 1966年 ディーゼル機関の製造販売部門を分離独立し、ダイハツディーゼル株式会社を設立。
  • 1967年 トヨタ自動車と業務提携。
  • 1972年 多田工場を操業。
  • 1973年 京都工場を操業。
  • 1974年 滋賀第1工場(現・滋賀工場第1地区)を操業。
  • 1980年 西宮部品センターを操業。
  • 1989年 滋賀第2工場(現・滋賀工場第2地区)を操業。
  • 1998年 トヨタ自動車がダイハツ工業株の過半数を取得し同社の連結子会社トヨタグループとなる。
  • 1998年 10月1日よりロゴを「DAIHATSU」から「DAIHATSU」へ変更。
  • 2003年 鏡工場を操業。
  • 2004年 ダイハツ車体(現・ダイハツ九州)の大分工場を操業。
  • 2006年 6月29日付にて、「執行役員制度」、「本部制」を導入。
  • 2007年 1973年以来、軽自動車販売台数首位に立っていたスズキを抜き、初めてトップに躍り出る。
  • 2007年 3月1日に創業100周年を迎えたのを機にコーポレーションスローガンを「Innovation For Tomorrow」に変更。
  • 2010年9月28日 親会社であるトヨタ自動車2011年9月以降に軽自動車事業に参入することを発表し、同時にダイハツからムーヴコンテ(2011年9月26日ピクシススペースとして発売)およびハイゼットトラック、ハイゼットカーゴ(ともに2011年12月1日ピクシストラックピクシスバンとして発売)(このほか、未定の1車種も)をOEM供給することを発表。
  • 2011年8月22日 新コーポレーションスローガンとして「もっと軽にできること。」を制定。

[編集] 生産拠点

[編集] 車種一覧

[編集] 現行生産車種

車種 初登場年 現行型 備考
発表 マイナーチェンジ
ミニバン/1BOX
BOON LUMINAS ブーンルミナス 2008年 2008年12月25日 - アトレー7以来4年ぶりのミニバン車種、
トヨタではパッソセッテとして販売
SUV/クロスオーバーSUV
BE-GO ビーゴ 2006年 2006年1月17日 2008年11月13日 2012年現在、同社における国内市場向け車種としては
フラグシップにあたる車種
テリオス後継、トヨタではラッシュとして販売
ハッチバック/2BOX
COO クー 2006年 2006年5月8日 トヨタではbB(2代目)として販売
[6]
BOON ブーン 2004年 2010年2月15日(2代目) トヨタではパッソとして販売
軽自動車
ATRAI WAGON アトレーワゴン 1999年 2005年5月9日(5代目※) 2007年9月3日 ※貨物ナンバー車(1981-2001)を含む、
ワゴンとしては2代目、スバルでは
ディアスワゴンとして販売
COPEN コペン 2002年 2002年6月19日
TANTO タント 2003年 2007年12月19日(2代目) 2010年9月24日
TANTO CUSTOM タントカスタム 2005年 2007年12月19日(2代目) 2010年9月24日 エアロパーツ装着
TANTO Exe タントエグゼ 2009年 2009年12月24日 2011年11月29日 スバルではルクラとして販売
TANTO Exe CUSTOM タントエグゼカスタム 2009年 2009年12月24日 2011年11月29日 エアロパーツ装着
スバルではルクラカスタムとして販売
TERIOS KID テリオスキッド 1998年 1998年10月6日 2006年8月23日
MIRA ミラ 1980年 2006年12月16日(7代目) 乗用モデルは1989年発売
スバルではプレオ(2代目)として販売
MIRA CUSTOM ミラカスタム 2006年 2006年12月16日 エアロパーツ装着、ミラアヴィ後継
スバルではプレオカスタムとして販売
MIRA COCOA ミラココア 2009年 2009年8月17日 ミラジーノの実質的な後継車種
MIRA e:S ミライース 2011年 2011年9月20日 同社のエッセに代わる軽乗用車としてのエントリーモデル
MOVE ムーヴ 1995年 2010年12月13日(5代目) - スバルではステラ(2代目)として販売
MOVE CUSTOM ムーヴカスタム 1997年 2010年12月13日(5代目) - エアロパーツ装着、スバルではステラカスタム(2代目)として販売
MOVE CONTE ムーヴコンテ 2008年 2008年8月25日 2011年6月6日 トヨタではピクシススペースとして販売
MOVE CONTE CUSTOM ムーヴコンテカスタム 2008年 2008年8月25日 2011年6月6日 エアロパーツ装着、トヨタではピクシススペースカスタムとして販売
商用車
HIJET TRUCK ハイゼットトラック 1960年 1999年1月6日(9代目) 2007年12月10日 2012年現在販売されている軽自動車の商標としては
最古となる車種(9代51年)
トヨタではピクシストラックとして販売
HIJET CARGO ハイゼットカーゴ 1961年 2004年12月20日(10代目) 2007年12月10日 初代-8代目(1961年-1999年)まではハイゼットバンとして販売。トヨタではピクシスバンとして販売
MIRA VAN ミラバン 1980年 2007年12月10日(7代目) スバルではプレオバン(2代目)として販売

[編集] 日本国外専売車種

[編集] トヨタからの委託生産車種

[編集] スバルからの委託生産車種

[編集] 過去の生産車種

[編集] 過去のトヨタからの委託生産車種

[編集] 過去のスバルからの委託生産車種

[編集] プロドゥア生産車種(ダイハツで生産されている車とほぼ姉妹車)

  • ルサ(ダイハツ・ゼブラのバッジ違いの姉妹車)
  • ノーティカ(ビーゴと姉妹車、日本で生産)
  • クナリ(2代目ムーヴと姉妹車)
  • クリサ(5代目ミラと姉妹車)
  • マイヴィ(ブーンと姉妹車)
  • ビバ(6代目ミラ、ミラアヴィと姉妹車、プロドゥア・クリサの後継車。)
  • アルザ(ブーンルミナスと姉妹車。)

[編集] 過去に公開されたコンセプトカー

[編集] コーポレーションスローガン

  • 「ワールドミニで未来を創る」
  • 「We Do Compact」(2004年頃までCM中に表示されていた)
  • 「テーマは、品質。」
  • それ、ダイハツがやります
  • 「ひとりひとりを楽しくする品質。Goodが、ギュッと。」(~2002年)
  • 「ワンダフルスモール」(2003年~2007年)
  • 「Innovation for Tomorrow」(2007年~2011年)
  • 「もっと軽にできること。」(2011年~)

[編集] 関連項目

[編集] 企業など

[編集] モータースポーツ

2009年1月13日モータースポーツ活動の休止が発表され、これらのイベントから撤退、もしくは休止することとなった。

[編集] 不祥事など

  • 同社が、フレックスタイム制を適用した社員約1,000人に対してサービス残業を行わせていたとして、淀川労働基準監督署から是正勧告を受けていたことが、2009年4月2日に判明した。同社は、フレックス制適用の社員について、社内のパソコンが社内ネットワーク接続している時間を労働時間として計算していたが、同労基署の調査によって、接続を切断した後も業務を続けていた社員が複数に亘って存在していたことが確認された。これを受け同社は、該当社員に対し、未払いの時間外労働手当約5,000万円を支払った[7]
  • 2009年10月10日、滋賀工場で粉塵爆発による火災が発生し1人死亡、2人負傷。

[編集] 脚注

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  1. ^ 2011年5月現在、日本国内でトヨタ→ダイハツへのOEM車種は販売されていない。
  2. ^ 社団法人全国軽自動車協会連合会の該当ページ
  3. ^ ダイハツ、インドネシアの生産能力を年30万台に引き上げ”. 日刊工業新聞 (2010年1月13日). 2011年1月15日閲覧。
  4. ^ ダイハツ、欧州市場での新車販売を終了…2013年に”. Response. (2011年1月14日). 2011年1月15日閲覧。
  5. ^ ダイハツ、中国事業を縮小 自社ブランド展開断念”. 日本経済新聞 (2009年7月18日). 2009年7月18日閲覧。
  6. ^ スバルではデックスとして販売されていたが、生産終了。
  7. ^ ダイハツがサービス残業 是正勧告受け5000万円支払う[リンク切れ] 産経新聞 2009年4月4日

[編集] 外部リンク

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