ロータス・エリート

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エリートElite )は、イギリスの自動車メーカー、ロータスが製造・販売していたスポーツカーである。

初代が1957年から1963年まで、2代目が1974年から1982年まで製造されたが、両車に直接的なつながりはない。

歴史[編集]

初代(1957年-1963年)[編集]

ロータス・エリート(初代)
Lotus-Elite-'60.jpg
Lotus 14 Pau 2006.jpg
乗車定員 2人
ボディタイプ 2ドアクーペ
エンジン 直列4気筒SOHC 1216cc 最高出力76ps/6100rpm 
変速機 4MT
駆動方式 フロントエンジン・リアドライブ
サスペンション  前:独立 ウィッシュボーン コイル 後:独立 チャプマンストラット ラジアスロッド コイル
全長 3660mm
全幅 1470mm
全高 1170mm
ホイールベース 2235mm
車両重量 585kg
後継 ロータス・エラン(初代)
-自動車のスペック表-

初代の開発コードネームはロータス14、オールFRP製のモノコックボディを持つロータス初のGTカーとして1957年のロンドンショーにデビューした。

創業者コーリン・チャップマンの友人で会計士を本業とするピーター・カーワン・テイラー(Peter Kirwan-Taylor )の原案をデ・ハビランド・エアクラフトに勤務するフランク・コスティン(Frank Costin )が仕上げたcd値0.29の空力的で美しいスタイリング、軽量なボディと高出力のコヴェントリー・クライマックスFWEエンジンによる高い動力性能、ロータスならではの卓越した操縦性で、セブンとともに、ロータスのスポーツカーメーカーとしての地位を不動のものにした。レースにおいてもル・マン24時間レースで6回のクラス優勝を遂げるなど大活躍した。

しかし、初期の生産上の問題からブリストル飛行機に外注されたFRPモノコックボディの生産性の低さ、構造上不可避であったこもり音、FWEエンジンの過大なオイル消費、「常にガムテープと針金を積んで置くべきだ」と評された低い工作水準などから生産台数は伸び悩み、初代エランに道を譲り、累計生産台数998台をもって1963年に短い生涯を終えた。現存車は今でも理想のスポーツカーの一台として高値で売買されている。

日本には当時の代理店、芙蓉貿易の手で数台輸入された。当時のオーナーの中には本田宗一郎博俊父子も含まれていた。この車はホンダの実験車としても用いられ、ホンダ・S600のダッシュボードデザインにはエリートの影響が窺われる。

1980年代以降は中古並行輸入でも相当数が上陸している。

2代目(1974年-1982年)[編集]

ロータス・エリート(2代目)
Lotus Elite Brentwood 1976.jpg
ボディタイプ 2ドアワゴン
エンジン 1973cc/2.174cc 水冷直列DOHC16バルブ
変速機 4AT/5MT
駆動方式 FR
全長 4.470mm
全幅 1.820mm
全高 1.210mm
ホイールベース 2.490mm
車両重量 1061 – 1111 kg
-自動車のスペック表-

1974年にデビューしたエラン+2・130Sに代わるロータス初のフル4シーターモデル(コードネーム・ロータス75及び82)に、11年ぶりにエリートの名が復活した。 二代目エリートはジェンセン・ヒーレーや1975年デビューのエスプリと共通のボクスホール製エンジンをベースとするタイプ907エンジン(1973ccDOHC直列4気筒)をフロントに積み、エランやヨーロッパ同様、鋼板バックボーンフレームにFRP製のボディを架装したものであった。ロータスとしては初めてパワーステアリング、エアコンがオプションで選択でき、1976年にはオートマチック車も追加されるなど、従来のピュアなスポーツカーとはまったく異なる、高級サルーン志向のモデルであった。直線を基調としたスタイリングは社内デザイナー(オリバー・ウィンターボトム)によるものである。1975年には、ボディ後部をファストバックにしたエクラが発売される。1980年にはシリーズ2.2となり、エンジン排気量は2,174ccにアップされ、エクステリアも変更が加えられた。1982年に生産を終了した。

ロータスのスーパーカー、高級サルーンへの転進の動きは余りにも強過ぎる軽量小型スポーツカーとしてのブランドイメージによって多くのロータスファンに戸惑いとともに迎えられることとなり、これらの車種が大成功を収めることはなかった。日本にも当時のディーラー・アトランテック商事によって輸入されたが、売れ行きは芳しくなかった模様である。

参考文献[編集]

関連項目[編集]