ソフトバンク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ソフトバンク株式会社
SOFTBANK CORP.
種類 株式会社
市場情報
東証1部 9984 1994年7月22日上場
略称 SB
本社所在地 〒105-7303
東京都港区東新橋一丁目9番1号
東京汐留ビルディング
設立 1981年昭和56年)9月3日
業種 情報・通信業
事業内容 グループ経営方針の策定および遂行、事業子会社への経営指導および管理
代表者 孫 正義(代表取締役社長)
資本金 1,875億1,090万円(2008年6月末現在)
売上高 連結:2兆7,761億6,800万円
単体:128億1,700万円
(2008年3月期)
総資産 連結:4兆5,589億100万円
単体:1兆3,367億8,700万円
(2008年3月期)
従業員数 連結:1万9,040人
単体:130人
(2008年3月末現在)
決算期 3月31日
主要株主 孫 正義 29.41%
日本マスタートラスト信託銀行 4.24%
日本トラスティ・サービス信託銀行 3.46%
資産管理サービス信託銀行 2.49%
(有)孫ホールディングス 2.31%
主要子会社 グループ会社の項目を参照
外部リンク http://www.softbank.co.jp/
特記事項:2006年10月2日に業種を卸売業から情報・通信業に変更。
  
本社の入居する東京汐留ビルディング

ソフトバンク株式会社(英文名称:SoftBankSOFTBANK CORP.)は携帯電話等の電気通信事業者や、インターネット関連企業、出版社等を傘下に置く持株会社。また、プロ野球チーム「福岡ソフトバンクホークス」の親会社でもある。

目次

[編集] 沿革

[編集] 1980年代

  • 1980年昭和55年) - 米国留学から帰国した孫正義福岡市博多区雑餉隈で2名のアルバイト社員とともにコンピュータ卸売事業の「ユニソン・ワールド」を設立(孫正義は、これを「ソフトバンクの始まり」と位置づけている)。孫は同社員の前で、「立ち上げた会社を10年で年商500億の会社にする」と豪語した。これを聞いた二人は非現実的な法螺話と受け取り、孫の力量を見限って辞めてしまった。[1]
  • 1981年(昭和56年) - 株式会社日本ソフトバンク設立。上新電機を相手にソフトウェア卸売の契約を結ぶ。
  • 1982年(昭和57年) - 当時パソコンソフト最大手のハドソンと契約。仕入れと販売先が揃う。さらに、パソコン関係の出版業務に進出し業務拡大を図った。一時期はパソコンソフト卸シェアの8割近くを占めていたと言われており、パソコンソフトの価格が下がらないのはソフトバンクに責任があるという責任追及論もあった。しかしソフト卸ビジネスが急速に拡大したのは、零細企業がほとんどであったパソコンソフトメーカーとの直接取引を嫌った、ハード販売店側の事情によるものであった。
  • 1983年(昭和58年) - 孫正義が重い慢性肝炎を患っていることが発覚し、病気療養のために孫は会長に一時退く。社長には日本警備保障(現セコム)の副社長だった大森康彦を招聘。
  • 1986年(昭和61年) - 孫正義が社長に復帰。大森康彦は会長に就任。
  • 1987年(昭和62年) - フォーバルと共同でNCC-BOX(世界初のLCR)を開発。フォーバルが全国の中小法人に無償配布し、新電電からのロイヤリティで莫大な利益を出す。この資金を基にソフトバンクは急速に成長していく。

[編集] 1990年代

  • 1990年平成2年) - ソフトバンク株式会社に社名変更。
  • 1994年(平成6年) - 株式を店頭公開しその資金を元にM&AIT関連企業への投資などを積極的に行う様になる。
  • 1995年(平成7年) - ジフ・デービス社に資本参加したが、収益が上がらず2000年(平成12年)に売却。またWindows 95の市場立ち上げのため、マイクロソフトと提携し、ゲームバンクを設立したが失敗に終わっている。
  • 1996年(平成8年) - 米国Yahoo!社に多額の出資をし、合弁Yahoo! JAPANを設立した。このYahoo! JAPANのNASDAQ上場時の売却益により多額の資金を得ることになる。同年、メモリメーカーのキングストン・テクノロジー社を買収。しかしながら、この買収は失敗に終わり、1999年に売却。多額の赤字を出した。また、オーストラリアのメディア王ルパート・マードックテレビ朝日の株を多数購入したが、朝日新聞グループが危機感より反発したため、結局、同グループに買い戻された。
  • 1998年(平成10年) - 東京証券取引所第1部に上場。それに伴い、ソフトバンクは純粋な持株会社に移行し、投資を主目的とした会社に位置づけられ、卸売り業・出版業などの各部門は子会社として分社化された。なお、創業事業で98年当時のグループ中核事業であった卸・商社機能を統括する中間持ち株会社としてソフトバンク・イーコマースを設立し、実際の事業部門としてソフトバンク・コマースをその下に置いた(両社とも現ソフトバンクBB)。また出版業についてはソフトバンク・パブリッシングを設立した(詳細はソフトバンククリエイティブを参照)。
  • 1999年(平成11年) - 東京電力マイクロソフトと共同で、無線による高速インターネット接続サービスの合弁会社スピードネットを設立。しかしながら2003年東京電力に営業譲渡し清算手続き。

[編集] 2000年代

[編集] 金融危機による影響

2008年(平成20年)10月29日の第2四半期決算の説明会で孫正義は「無借金になるまでの間は、数千億円単位の大きな投資をするつもりは全くない」と発言。買収をテコに拡大路線を歩み続けてきた同社にとって、意表の「M&A凍結宣言」。孫は「これを公言するのは、僕の人生プランの中でかなりのコミットメントです」と付け加えた。同時にこれまで頑なに拒んできた業績予想も営業利益キャッシュフローを来期分まで開示。32分間の説明会のうち事業内容の説明に充てたのはわずか3分で、残りはすべて財務関係の説明に充てた。合成債務担保証券(CDO)の損失リスクに関する情報も公表した。

米国発の金融危機による影響は2兆円超の有利子負債を抱えるソフトバンクを直撃し、5年のCDSが900ベーシスポイントを超えた。このことにより市場で期間5年の社債を発行すれば、金利上乗せ幅は9%にもなるため、孫自身「まるで破綻するかのような勘違いのスプレッド」だと2008年10月29日の第2四半期決算の説明会で発言した[3]

[編集] 純有利子負債完済宣言

2009年3月期決算説明会において約1.9兆円ある純有利子負債(リース債務除く)を2年度後(2011年度)に半減5年度後(2014年度)に完済すると発表した。これに関連してフリーキャッシュフロー黒字化が定着する今年度、半減の2011年度、完済の2014年度に株主配当を上げると宣言した。孫は「この完済宣言は僕の人生の中でかなりの大きなコミットメント。数か月前後してもコミットしたことは必ず実行する」と発言した。なお、純有利子負債を完済し終えるまでは大規模投資はしないと再度発言。しかし設備投資についてはソフトバンクモバイルが今後行う予定であるLTEが開始されても「端末が行き渡って初めてエリアが意味を成してくる。よってLTEにおける投資は一気に行うものではなく、数年に分散して行われるもの。何度も言ってるがハイテク機器は実は安い、設備投資のほとんどは実は鉄塔などのローテクにかかっていたもの。今後2年から3年後に投資が始まると思うが、現在の設備投資額のままいけると思っている。」として積極的に行う姿勢を示した。[4]

[編集] 事業内容

[編集] グループ会社

2005年9月30日現在で連結子会社153、持分法適用関連会社94である。同日以降の異動は次の通り。

[編集] 主な連結子会社

[編集] 主な持分法適用関連会社

[編集] 過去に子会社だった会社

(名称は当時のもの)

  • ソフトバンクRobo株式会社(現SBI Robo株式会社):SoftBank携帯の検索事業を行おうとしたが、Yahooと競合し、SBIグループに売却。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注・出典

  1. ^ 大下英治 『孫正義起業の若き獅子』講談社1999年(平成11年)、ISBN 4062087189
  2. ^ 井上篤夫『志高く 孫正義正伝』実業之日本社 ISBN 978-4-408-10705-9
  3. ^ http://www.softbank.co.jp/explanation/streaming/fnpresen/20081029/ja/agree.html ソフトバンク株式会社 第2四半期決算説明会 オンデマンド配信
  4. ^ http://www.softbank.co.jp/explanation/streaming/fnpresen/20090430/ja/streaming.html ソフトバンク株式会社 2009年3月期決算説明会 オンデマンド配信

 

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ