日本テレビ放送網

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日本テレビ放送網株式会社
Nippon Television Network Corporation
Ntv-0tele-logo.svg
Nittele tower Shiodome 2007-2.jpg
日本テレビタワー(汐留駅方向から)
種類 株式会社
略称 日本テレビ、日テレ、NTV、AX
本社所在地 105-7444
東京都港区東新橋一丁目6番1号
設立 2012年(平成24年)4月26日
(日本テレビ分割準備株式会社)[1]
業種 情報・通信業
事業内容 放送法による基幹放送事業及び一般放送事業、メディア事業、その他放送に関連する事業
代表者 代表取締役社長執行役員 大久保好男
資本金 60億円(2012年10月1日現在)
売上高 連結:3054億6000万円
単独:2648億2000万円
(2012年3月期)
総資産 連結:5432億2800万円
単独:5018億0400万円
(2012年3月期)
従業員数 単独:1161人
(2012年10月1日現在)
決算期 3月31日
主要株主 日本テレビホールディングス(株) 100%
関係する人物 正力松太郎(創業者・初代社長)
外部リンク http://www.ntv.co.jp/
特記事項:売上高及び総資産は旧・日本テレビ放送網(現:日本テレビホールディングス)のもの
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日本テレビ放送網株式会社(にっぽんテレビほうそうもう、英称:Nippon Television Network Corporation)は、関東広域圏放送対象地域としてテレビジョン放送を行う特定地上基幹放送事業者である。 また、スカパー!プレミアムサービスプラットフォームとして日テレG+の放送を行う衛星一般放送事業者でもある。

1953年8月28日に日本初の民間放送テレビ局として開局した。

一般的には日本テレビ(にほんテレビ)または日テレ(にっテレ、Nittele)と呼ばれる。他に「NTV」(エヌティーヴィー)、「AX」(エーエックス、アックス)という略称もある。

なお、当社は2012年10月1日認定放送持株会社制移行のために(旧)日本テレビ放送網株式会社(現日本テレビホールディングス株式会社・旧会社)から新設分割され現業を移管・放送免許を承継された(新)日本テレビ放送網株式会社(現行会社)が現業を行なっている。

本項では、2012年9月30日までの旧会社と10月1日以降の現行会社について述べる。

概要[編集]

日本テレビ放送網
英名 Nippon Television
Network Corporation
放送対象地域 関東広域圏東京都茨城県栃木県群馬県埼玉県千葉県神奈川県
ニュース系列 NNN
番組供給系列 NNS
略称 NTV
AX
愛称 日テレ、NTV
呼出符号 JOAX-DTV
開局日 1953年8月28日
本社 〒105-7444
東京都港区東新橋一丁目6番1号
北緯35度39分51.91秒
東経139度45分35.68秒
座標: 北緯35度39分51.91秒 東経139度45分35.68秒
演奏所 #スタジオを参照
リモコンキーID 4
親局 東京 25ch
アナログ親局 東京 4ch
ガイドチャンネル 4ch
主な中継局 #デジタル放送参照
主なアナログ中継局 #アナログ放送参照
公式サイト 日本テレビ
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日本テレビ
基本情報
略称(愛称) NTV、日テレ
運営(番組供給)事業者 日本テレビ放送網株式会社
本社(本部) 〒105-7444
東京都港区東新橋一丁目6番1号
ジャンル 地デジ難視対策衛星放送
放送内容 地上デジタル放送サイマル放送(マルチ編成の場合は主番組のみ)
視聴料金 無料
衛星基幹放送(BSデジタル放送)
放送事業者 社団法人デジタル放送推進協会
チャンネル番号 Ch.294
物理チャンネル BS-17ch
放送開始 2010年3月11日
放送終了 2015年3月31日終了予定
公式サイト
特記事項:
地デジ難視対策衛星放送対象リスト(ホワイトリスト)に掲載された地区のみ視聴可能。

放送免許[編集]

呼出符号(コールサイン)[編集]

※テレビジョン単営局に対する最初の予備免許であったため、「JO*X-TV」シリーズの中で“A”が与えられた。

保有チャンネル[編集]

関東広域圏における地上波放送以外に、以下のチャンネルを放送、供給している。

日テレG+
自ら衛星一般放送事業者としてスカパー!プレミアムサービス(標準画質放送)で放送しているほか、ハイビジョンチャンネル(「日テレG+HD」)はスカパー!プレミアムサービスの衛星一般放送事業者であるスカパー・ブロードキャスティングスカパー!放送事業者であるシーエス日本に供給。一部のケーブルテレビ局へのチャンネル供給も行い、各局においてサイマル放送を行っている。
日テレNEWS24
スカパー・ブロードキャスティング(スカパー!プレミアムサービス)、SCサテライト放送(スカパー!)、一部のケーブルテレビ局へのチャンネル供給を行い、各局においてサイマル放送を行なっている。
日テレプラス
チャンネル運営はシーエス日本が行う。スカパー!ではシーエス日本が自ら放送するほか、スカパー!プレミアムサービスにおけるハイビジョン放送ではスカパー・ブロードキャスティング、スカパー!プレミアムサービス(標準画質放送)の衛星一般放送事業者であるジャパンイメージコミュニケーションズ、一部のケーブルテレビ局へもそれぞれ供給している。

ネットワーク[編集]

日本テレビ系列のリモコンキーID地図

1966年NNNNippon News Network)を、また1972年NNS(Nippon television Network System)を形成し、各系列局とネットワークを結んでいる。現在NNN加盟局は30局、NNS加盟局は29局。日本テレビの報道取材地域には関東広域圏の他に沖縄県が含まれる(沖縄県にNNN系列局がないため)。

呼称[編集]

開局以来長年「4チャンネル」、「AX」、「NTV」などを略称として使用してきたが、1995年前後よりキャンペーンコピーに「日テレ」を使用し始める。2000年12月には、開局した系列のBS日本のチャンネル名称を「BS日テレ」とした。

2003年の放送開始50周年と汐留移転を契機にコーポレートロゴを「日テレ」とするなど、正式な略称・愛称として「日テレ」が採用された。なお、新聞テレビ情報誌番組表での表示は従来通り「日本テレビ」のままだが、デイリースポーツ東京版では「日テレ」(以前は「NTV」)、一部番組の動画配信では「NTV」として表記されている。

業界ではCX(フジテレビ)、EX(テレビ朝日)、TX(テレビ東京)に合わせ「AX」と呼ぶこともある。これに因んで、かつては渋谷SHIBUYA-AX(シブヤ-アックス、2014年5月31日営業終了)というライブスペースを運営していた時期があり、1990年代後半の土曜深夜には『AX』(読みは「アックス」)という番組もあった(『読売新聞は〜い朝刊』の次番組)。また、2010年には日本テレビタワーにミニライブハウス「汐留AX」(SHIODOME-AX)を設立した。

登記上の社名は「にほん」では無く「にっぽん」と読むのが正しい(これはNHKの場合と同様。ただし、アナウンサーも「にほんテレビ」と読むことが多く、鳩の休日を始めとする局名告知においては全て「にほんテレビ」で統一されている)。

沿革[編集]

1950年代[編集]

1960年代[編集]

  • 1960年6月 テレビ視聴率調査にニールセン方式を採用。
  • 1960年9月10日 カラーテレビ本放送開始(NHKラジオ東京(KRT)と共に東京地区では初)。当日、記念番組が4時間に渡って放送される。
  • 1961年1月8日 大相撲初場所で初のカラー中継放送を開始。
  • 1961年6月4日シャボン玉ホリデー』放送開始(この番組は、1972年10月1日に終了した)。
  • 1962年 フランス国営放送(RTF)と番組交換協定締結。朝6時台から深夜12時まで切れ目のない全日放送体制が完成。
  • 1962年4月1日 名古屋放送(NBN、現在の名古屋テレビ放送)が開局。東海テレビ放送からネットワークを引き継ぐ。
  • 1963年1月21日キユーピー3分クッキング』放送開始。
  • 1963年11月22日 通信衛星リレー1号を利用して、日米間で初の白黒テレビの電送実験。放送中にケネディ大統領暗殺事件が発生し急遽別番組を編成。
  • 1964年9月30日 テレビ西日本がネットワークから離脱。これにより福岡地区の日本テレビ系番組の大半がRKB毎日放送に移動する(1969年3月31日まで)。
  • 1964年10月10日 東京オリンピック開催。これに関する自社制作におけるカラー放送を強化する。
  • 1964年 多摩丘陵・よみうりランド内にカラー公開スタジオ「NTVスタジオ」が完成。
  • 1965年 パキスタンにテレビ受像機200台を寄贈。
  • 1965年11月8日11PM』放送開始。
  • 1966年4月1日 NNN(Nippon News Network)発足。
  • 1966年5月15日笑点』放送開始。
  • 1966年7月1日 ザ・ビートルズの日本武道館来日公演番組『ザ・ビートルズ日本公演』をカラーで独占中継(VTR録画)し、視聴率は56%に達した[3]
  • 1966年 世界初、カラーのスポットコマーシャル(日立製作所提供)の放送が開始される。
  • 1967年7月21日 福井近夫が社長に就任。
  • 1967年 ニューヨーク支局を開設。アメリカ・NBC内に特設スタジオを設置し、衛星中継による海外ニュースを放送。
  • 1968年4月 新宿区に独自の送信所を兼ねた日本最大のテレビ塔建設を発表。(後に計画は中止に)
  • 1968年 西本館竣工。
  • 1969年4月1日 中京テレビ放送(CTV)、福岡放送(FBS)他全国各地に開局したアナログUHF局とネットワークを組む。福岡放送はRKB毎日放送からネットワークを引き継ぎ、4年半ぶりに福岡地区での日本テレビ系マストバイ局が復活した。
  • 1969年10月9日 当時の会長、正力松太郎が死去。
  • 1969年10月11日 大蔵省の指摘により粉飾決算が発覚。過去数年分の有価証券報告書を訂正。
  • 1969年12月1日 資本金を24億円に増資。
  • 1969年 コンピュータ導入(第1世代APM)で本格的な番組運行自動化を開始。

1970年代[編集]

  • 1970年1月4日NNNドキュメント』放送開始。
  • 1970年5月29日 小林與三次が社長に就任し、読売色が一層強まる。
    • この頃より対外的に使用する社旗を、青地に社章(「NTV」ロゴを丸で囲った物)を白く抜いた物より、読売新聞の社旗を模した上から緑・赤・青色の模様の旗に変更。
  • 1970年11月10日 同局の送信所を、麹町の本社社屋に隣接したテレビ塔から東京タワーに移行。
  • 1970年 那覇、ワシントン、モスクワ、ソウルに各支局を開設。世界ネットを強化。
  • 1971年 全国高校サッカー選手権大会毎日新聞社に代わって主催し、独占中継権を得る。自社制作の番組のカラー化率がほぼ100%に達する(日本の民放初)。
  • 1972年4月1日 系列18社によるNNS(日本テレビネットワーク協議会)発足。当時のネット局名古屋テレビ放送(NBN)と番組編成を巡って係争。この結果、12月に東海地区のテレビネットを中京テレビ放送(CTV)へ一本化する事に決定(CTV開局後もNBNと2局並列でクロスネット加盟=当時CTVはNET中心の編成=であった)。
  • 1972年5月23日 朝鮮中央放送委員会とテレビフィルムを定期交換する協定に調印[4]
  • 1973年1月14日 ハワイで行われたエルビス・プレスリー・ショーを独占衛星生中継。
  • 1973年 アメリカABCニュース社と、ニュース提供と衛星中継に関する契約を締結。
  • 1973年10月31日 日本テレビ系列愛の小鳩事業団設立。
  • 1973年12月20日 読売新聞社、朝日新聞社、毎日新聞社の3社首脳間で日本テレビと東京放送(TBS)の新聞資本を統一する合意が成立。
  • 1974年 石油危機による電力節減のため、郵政省が民放各社に深夜の放送自粛を要請。在京5社の申し合わせで、1月7日から深夜0時30分で放送終了となる。
  • 1974年3月31日 開局以来の3社ニュースの放送が『読売新聞ニュース』に一本化される。
  • 1974年5月 読売新聞社は朝日新聞社と毎日新聞社が持つ全ての日本テレビ株式を購入。これで日本テレビは完全に読売グループの傘下に入る。
  • 1974年 小林社長、バチカンでローマ教皇パウロ6世から勲章を授与される。
  • 1974年12月1日 資本金を37億2500万円に増資。
  • 1975年 同局の「愛の小鳩事業団」が日本で初めての「手話スクール」を開講する。
  • 1975年 UHF局(テレビ神奈川)へのプロ野球リレーナイター供給を開始。
  • 1975年6月29日 『NNNドキュメント 明日をつかめ!貴くん〜4745日の記録』放送。翌年、日本のテレビ番組で初めて国際エミー賞を受賞。
  • 1975年10月8日15日水曜ロードショー』にて、名作映画『風と共に去りぬ』がテレビで世界初放映される(8日が前編、15日が後編)[5]
  • 1976年11月25日 日本テレビ放送網文化事業団設立。「フランス美術賞展」などの美術展を開催。
  • 1977年3月20日 資本金を41億円に増資。
  • 1977年10月 視聴者参加型大型クイズ番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』スタート(以後1992年まで毎年1回行われた)。
1978年制定のシンボルマーク

1980年代[編集]

1990年代[編集]

  • 1990年5月21日 無償新株式(1:0.05)発行。
  • 1991年8月1日 1単位の株式数を100株から10株に変更。
  • 1991年8月 『第3回世界陸上競技選手権東京大会』のホストブロードキャスターを務め、世界131か国に鮮明な映像・音声を送る。
  • 1992年11月6日 SNGデジタル伝送実験局免許取得。氏家齊一郎が社長に就任。
  • 1993年1月 開局40周年を機に宮崎駿デザイン・スタジオジブリ制作によるマスコットキャラクター「なんだろう」が誕生。「なんだろう」の使用期間は当初は1年間の予定であったが、日本テレビのシンボルマークとして、企業ロゴが変わった現在でも使用されている[6]
  • 1994年 アール・エフ・ラジオ日本の株式を取得し、持分法適用関連会社とする。
  • 1994年11月24日 アナログハイビジョン実用化試験局免許取得(BS9チャンネル、アナログハイビジョン実験専用のNHKと民放の合同チャンネル)。第1回『流転の海』他を放送。
  • 1994年12月21日 日本テレビ郵便爆弾事件発生。
  • 1995年1月2日 視聴率年間三冠王獲得(1994年)。
  • 1995年7月13日 ワイドクリアビジョン本放送開始。
  • 1995年 インターネットに日本テレビ公式webページ(http://www.ntv.co.jp/)を開設。
  • 1996年4月3日 CSデジタル放送「CS★日テレ」の委託放送業務認定取得、同年8月28日に放送開始。
  • 1996年 報道局にNNNニュースチャンネルを設置。「情報番組倫理ガイドライン」完成。
  • 1997年2月24日 CSデジタル放送(トライアルサービス)委託放送業務認定取得。
  • 1997年3月2日 民放初全日視聴率100週連続トップ獲得。
  • 1997年 NCN(日本テレビケーブルニュース)の24時間化に際し、チャンネル名を「NNN24」(NTV NONSTOP NEWS24)と改称(2005年12月1日に日テレNEWS24と名称変更)。
  • 1998年 照明業務と電源・空調の運用業務を関連会社2社に業務移管。NNN24が本放送を開始。技術展「NAB’98」で国際優秀賞を受賞。BS準備室の新設、ビーエス日本創立総会が開かれる。
  • 1998年6月 29か月連続月間四冠王民放新記録達成。
  • 1999年 キャンペーン「日テレ営業中」がJR東日本ポスターグランプリ’99・駅サインボード部門《金賞》受賞。視聴者と直接意見の交流、「日テレ式フォーラム」開催(民放初の試み)。小林與三次本社取締役会長が死去。

2000年代[編集]

  • 2000年 汐留新社屋建設工事地鎮祭。インターネット事業会社「フォアキャスト・コミュニケーションズ」設立。日本データ放送株式会社(略称NDB・BSの940ch)設立。視聴者と直接意見の交流、日テレ「フォーラム2」開催、視聴者とテレビの信頼回復を目指す。CS準備室開設。NTT-ME、NTT東日本とともに、テレビ番組アニメなどの映像コンテンツをインターネット上で流通させるための市場、B-Bat構想を発表。高木盛久本社最高顧問・元社長が死去。
  • 2000年12月1日 午前11時、系列のBSデジタル放送「BS日テレ」(デジタルBS4ch)放送開始。
  • 2000年12月16日 ライブハウスSHIBUYA-AXオープン。
  • 2001年 株式会社シーエス日本創立総会開催、21世紀型高機能放送発進。創業以来の大機構改革構想発表、CEO・COO制の導入、取締役会、執行役員会の二本柱で新しい経営体制の下、新世紀の活動をスタート。氏家齊一郎代表取締役社長が代表取締役会長兼グループCEO、間部耕苹専務取締役が代表取締役副会長兼グループEO、萩原敏雄専務取締役が代表取締役社長兼COOにそれぞれ昇格。BS日テレ新聞広告が読売広告大賞で金賞受賞。「NNNニュースダッシュ」のリアルタイム字幕放送を開始(BS日テレは2004年10月から)。
  • 2001年9月28日ズームイン!!朝!』終了 (後番組は 『ズームイン!!SUPER』)。
  • 2001年9月30日 開局以来、同局の放送開始、終了又は1日の起点時間に放送する『鳩の休日』を諸事情により休止。
  • 2002年3月 シーエス日本が東経110度CSデジタル放送を開始。
  • 2003年4月 新本社ビル「日本テレビタワー」竣工。
日テレロゴ(2003年から2012年)
  • 2003年7月 CIを導入。通称名を「日本テレビ」「NTV」から「日テレ」「NIPPON TELEVISION」へと変更。ロゴマークも「なんだろう」を継承しながら、デザインを一新した。略称「NTV」の国内での使用も中止し[7]、国内での対外愛称は「日テレ」に統一した[8]
  • 2003年8月 汐留に本社移転。
  • 2003年10月25日 同局プロデューサーによる視聴率不正操作が発覚。翌月18日、取締役会において代表取締役3名の自主的降格および自主的役員報酬返上が承認される。これにより氏家齊一郎会長がグループCEO辞任、間部耕苹副会長がグループEO辞任・代表取締役社長へ降格、萩原敏雄社長が代表取締役副社長へ降格。
  • 2003年12月1日 午前11時、地上デジタルテレビジョン放送を開始。
  • 2003年12月 10年連続視聴率四冠王達成。
  • 2004年2月29日 開局50年を機に放送センター・本社スタジオ機能が汐留に移転。地上デジタルテレビジョン放送・BSデジタル・CSデジタルを問わず全ての放送メディアにおいて、生放送のほとんど全ての番組がハイビジョン制作になる。同時にCS放送「NNN24」についてもハイビジョン制作率を大幅に拡大[9]。NNN24のハイビジョン制作の映像は、地上デジタル放送とBS日テレで見る事ができる。同時にアナログ・デジタル統合マスター(NEC製)の運用を開始。なお、汐留新社屋移転後も麹町の旧社屋は麹町分室として継続運用される。これにより、番組の送出マスターは地上波が汐留新社屋、BS・CSの衛星放送は麹町分室からの送出体制となった。
  • 2004年11月5日 読売新聞グループ本社マスコミ集中排除原則により、歴史的に第三者名義で実質保有してきた日本テレビ株につき、有価証券報告書を同グループ名義へと訂正、同社株は一時「監理ポスト」に割り当てられた(同年11月22日まで)。
  • 2005年6月29日 間部耕苹代表取締役社長が代表取締役相談役に、久保伸太郎が代表取締役社長に就任。
  • 2005年10月27日深夜 インターネットを利用したビデオ・オン・デマンドサイト「第2日本テレビ」がオープン。
  • 2005年12月1日 「NNN24」を「日テレNEWS24」に名称変更。
  • 2006年3月1日 「G+ SPORTS&NEWS」を「日テレG+」に名称変更(ロゴマークは変更なし)。
  • 2006年4月1日 地上デジタルワンセグの本放送を開始。
  • 2006年4月3日 サービスエリアである関東地区内の報道取材がほとんどハイビジョン化される。
  • 2006年4月12日 ポッドキャスティングでの動画配信に参入。
  • 2006年9月29日 全民放中の最長寿番組『NNNきょうの出来事』が終了し、52年の歴史に幕。 (後番組は『NEWS ZERO』)
  • 2007年4月2日 日本テレビの制作子会社4社の事業再編を実施、統括持株会社日テレ・グループ・ホールディングス」と技術・制作・イベント・美術の4事業会社によるグループ体制を開始。
  • 2008年4月1日 2001年9月30日まで、同局の放送開始、終了又は1日の起点時間に放送していた『鳩の休日』が、CG使用の15秒ショートバージョンで新たに復活する(地上波デジタル用はハイビジョン制作として初登場する)。
  • 2009年3月16日 細川知正が社長に就任。
  • 2009年4月6日 開局以来初めてゴールデンタイムに生放送の帯番組『サプライズ』を編成(2010年3月12日に終了)。
  • 2009年11月1日祝10周年!!今夜嵐巻き起こせ…驚きの嵐世紀の大実験!!学者も予測不可能SP&奇跡呼ぶ実験的生ライブ!!』にて、が行ったライブの一部をアナグリフ方式による3D立体映像として生放送。地上波における3D立体映像の生放送に日本で初めて成功した。

2010年代[編集]

歴史[編集]

開局当日の編成(1953年8月28日)[編集]

  • 11:20に放送開始 。第一声は「JOAX-TV、こちらは日本テレビでございます」。
  • 11:20 「開局記念式典」の実況中継(当時の内閣総理大臣であった吉田茂が開局の祝辞を述べた。)
  • 11:50 祝賀舞踊「寿式三番叟」
  • 12:00に本来ならテレビCM第1号となる精工舎提供の正午時報が放映される予定であったが、フィルムが裏返しとなっていたため、無音の状態で放送された。
  • 12:00 歌の祭典
  • 12:30 記録映画「上代の彫刻」
  • 13:00 NTVニュース天気予報(ここで一旦放送中断。テストパターン画像が放送された。)
  • 17:30 放送再開 日本南方民謡集
  • 17:40 テレビ浮世絵
  • 17:55 リサイタル
  • 18:10 国際ニュース
  • 18:20 週間テレニュース
  • 18:40 記録映画「天竜川」
  • 19:00に精工舎のCMが放送された。これが実質的なコマーシャルの第1号。
  • 19:00 花競祝写絵
  • 19:45 劇場中継「ニューヨーク幻想曲」(会場:帝国劇場
  • 21:00 「開局記念式典」の録画中継
  • 21:15 テレニュース(これで放送終了)

開局から1980年代まで[編集]

正式社名が日本テレビ放送網であるように、元々は一社で日本全国にテレビネットワークを形成することを目的として設立された。東京に中央放送局としてメインスタジオとマスターを置き、大阪や名古屋、札幌、福岡など主要都市に放送局を設置。拠点間は独自に通信網を設置してマイクロウェーブで結び、テレビ放送で使用しない帯域は通信目的として賃貸、またファクシミリ新聞などに使用する事としていた。同社は放送事業のみならず、通信事業の民営化も目指していたことになるが、この構想(正力構想と呼ばれる)は当時の郵政省に一蹴され、結局関東地区のローカルテレビ局として開局する事となる。正力構想が実現していれば、現在の日本国内の民放の仕組みは異なるものになっていた可能性がある。

開局当初、テレビ受像機のない家庭が殆どであったため、広告媒体としての民放テレビをアピールすべく、首都圏の主要箇所に街頭テレビを設置。テレビ普及に役立てた。また、麹町局舎横のテレビ塔を展望目的に一般へ公開。東京タワーができるまでは観光名所となっていた。

プロ野球やプロレス中継などのスポーツ番組や『なんでもやりまショー』などのバラエティー番組に強みを持ち、ラジオ東京テレビ(現在のTBSテレビ)開局後も営業成績では上回っていた。特に後楽園スタヂアム(現在の東京ドーム)と巨人主催試合独占中継権を結んだのが有利に働いた。

日本民間放送連盟には、当初加盟しなかった。電波の送信もNHKや他の民放とは異なり、東京タワーではなく自社鉄塔からの送信を継続した。「全ては自社こそテレビのパイオニアである」ということを自負していたからであるが、東京タワーより低い麹町の自社鉄塔からの送信は、局舎周囲に高い建物が増加するにつれ難視聴地域を拡大させた。このため、正力は新宿区東大久保に用地を確保。東京タワーの2倍の高さを誇る、通称「正力タワー」を構想するが、後に頓挫する。建てる予定であった用地は後に日本テレビゴルフガーデンとしてオープンした。

しかし、読売新聞社主の正力松太郎が社長を務めていることで、大阪の完全系列局である読売テレビの開局が「大阪読売新聞」の部数増に繋がったことなどの事例もあり、いくら強いコンテンツを持っていても「読売色」を警戒する地方局が多く、ネットワーク形成ではTBSの後手に回ってしまう。このため報道が手薄になり、かつ番組販売も芳しくなかった。加えて上記の通り難視聴地域が増加したこと、さらに肝心の自社制作番組そのものが不振となり、1960年代半ばから業績は下降。

正力の死後、粉飾決算の公表や東京タワーへの送信所移転、名古屋地区の単独ネット化、読売新聞への完全系列化、ラジオ日本との提携など正力の娘婿である小林與三次の手で改革が行われた。しかし、一連のバラエティー番組が気を吐いて視聴率は持ち直したものの、依然として巨人戦に頼った編成のため、全体ではまだ「民放の雄」と呼ばれたTBSに及ばずといった感は否めなかった。その後、朝枠に『ズームイン!!朝!』などの情報番組を投入し、夕方の報道番組も強化。ようやく持ち直した視聴率も1980年代当時、「軽チャー路線」で成功し視聴率三冠王に輝いていたフジテレビの後塵を拝し、現場では「どうすればフジテレビに勝てるのか」を常に研究していたという。

1990年代以降[編集]

そんな中で日本テレビが打ち出したのがとにかく視聴者が興味を持つ内容を番組制作や内容に盛り込むことで、高い視聴率を確保しようというものである。また、視聴率を強調することも含めた形で始められた番宣バラエティ『TVおじゃマンボウ』を開始することで、視聴者へのPRを行った。

1990年代は1980年代末に発足した社内チーム「クイズプロジェクト」を機にバラエティ番組『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』・『マジカル頭脳パワー!!』が登場。早朝5時台に『あさ天5』を立ち上げ、『ジパングあさ6』や『ズームイン!!朝!』など報道・ワイドショーが人気コンテンツとなる。1993年夏頃から、バラエティー番組や巨人戦中継などの人気番組を持つ日本テレビは、以前から「三冠王」であったフジテレビをついに追い抜くと、その勢いも次第に強まっていった。1994年 - 2003年に10年連続「年間視聴率四冠王」、1994年度 - 2002年度に9年連続「年度視聴率四冠王」(ゴールデンタイムプライムタイム全日に更にノンプライムを加えての表現)を達成した。更に、「月間四冠王」を史上最高となる46か月連続で達成するなど、「民放界の雄」として一時代を築き、君臨し続けた。

しかし2003年度には、巨人戦視聴率の低下によるプライムタイムでの視聴率低迷の結果、プライムタイムが2位になり、「三冠王」の一角をフジテレビに奪われた。そして2004年度(2004年4月 - 2005年3月)の調査では、ついに全部門2位となり「三冠王」のタイトル全てをフジテレビに奪われた。

この時期には長寿番組が続々と終了した。平日午前のワイドショー『ルックルックこんにちは』(2001年春)を皮切りに、朝の情報番組『ズームイン!!朝!』(2001年秋)、サスペンスドラマ番組『火曜サスペンス劇場』(2005年秋)、夕方の報道番組『NNNニュースプラス1』(2006年春)、お昼の生活情報番組『午後は○○おもいッきりテレビ』(2007年秋)といった番組が次々と打ち切られた。52年間続いた民放テレビ局最長寿の報道番組『NNNきょうの出来事』(2006年秋)にもメスが入り、結果2000年代前中盤の数年で日本テレビのタイムテーブルはほとんど塗り替えられた。

2000年代終盤以降はスポンサーニーズの高いコアターゲット層(T層・F1層・F2層)を意識した番組編成が功を奏し、全時間帯での視聴率向上に成功している。2008年・2009年には2年連続でノンプライム帯での年間・年度視聴率首位を獲得した。

2011年には8年ぶりに「年間視聴率三冠王」、2011年度には9年ぶりに「年度視聴率三冠王」をそれぞれフジテレビから奪還した。

特徴[編集]

日本テレビの中継車
日本テレビの中継車(新春スポーツスペシャル箱根駅伝中継の場合)

日本テレビは日本のテレビ業界において、新しい放送媒体・放送形式を積極的に早く導入し、導入するや否やその媒体を用いた放送を定着させてきた事で有名である。放送免許取得や民間資本による開局・本放送開始はもちろんのこと、コマーシャルの放送、カラー放送音声多重放送(世界初)、ワイドクリアビジョン放送、洋画の日本語吹き替え放送、L字型画面データ放送ワンセグ放送独自番組放送(非サイマル放送)、3D立体映像での生放送、完全3D映像による野球中継、ネット動画配信サービス、放送中のドラマ全話無料配信も日本の民間放送では日本テレビが初めてであった。

選挙特番における出口調査を全国規模で導入したのも日本テレビ報道局が最初である。

ビデオ・オン・デマンド事業にもテレビ局としては早く参入し、日本初のテレビ局主導のインターネット動画配信サービス「第2日本テレビ」を運営していた(2012年10月から「日テレオンデマンド ゼロ」に改称)。完全無料化も功を奏し、テレビ局が運営するビデオ・オン・デマンドサービスの中で再生回数トップを誇り、2009年1月には単月黒字化に成功した。2010年12月からは有料動画配信サービス「日テレオンデマンド」の運営も開始された。2014年には「Hulu」から日本市場向けの事業を継承し、定額制動画配信サービスに参入する。

ウェブサイトの充実にも積極的に取り組んでおリ、公式ウェブサイトアクセス数も在京民放テレビ局の中で首位を獲得している。

近年環境問題に関して積極的に取り組んでいる。2003年3月に「日テレ・エコ委員会」を発足させ、在京民放キー局として初めてISO環境マネジメントシステム規格ISO 14001の認証を取得したほか、2004年から毎年6月5日世界環境デーを含む1週間を「日テレ系ecoウィーク」と題し、期間中は番組やイベントを通して環境問題を提起している。2010年には「つなげよう、ecoハート。」をテーマにNHKと連携してキャンペーンを繰り広げる。

著名なアニメーション映画監督宮崎駿率いるスタジオジブリとの関係が深く、同社の作品を独占的にテレビ放送する権利を持つ。また、日本テレビのマスコット「なんだろう」も宮崎駿が手掛けたものである。

現在、東京民放キー局の中では唯一時代劇やサスペンスドラマ・刑事ドラマの制作を行わず、再放送枠も設けていない[17]。連続ドラマはヒット作には恵まれても制作数は少なめ。ドラマコンテンツはBS日テレや日テレプラスでも再放送している。海外ドラマについては韓国などアジア圏のドラマをBS日テレ等で放送するパイオニアでもある。1990年代以降の主な再放送枠で放送するコンテンツは、バラエティ番組や情報番組・連続ドラマの再放送やPR番組、アニメ(新作放映が中心)など。

かつては、他の民放キー局に比べて収入全体に占める放送収入の割合が著しく高い状態であったが、近年は映画事業通販事業、イベント・文化事業などによる放送外収入も好調である。

映画事業に関しては、スタジオジブリ作品や『名探偵コナン』シリーズ、細田守監督作品などのアニメ映画のほか、『デスノート』・『20世紀少年』・『カイジ』・『GANTZ』など少年漫画青年漫画の実写化がある。

データ放送では鉄道運行情報を表示しており、JR東日本線の運行情報をJR東日本公式で表示している唯一のテレビ局である[18]。また『歌スタ!!』は在京キー局の中で深夜番組としては最初にデータ放送を導入した番組である。

本社・支社・支局[編集]

東京汐留にある日本テレビタワー
日本テレビタワー(新橋駅方向から)
本社
麹町分室(旧本社)
生田スタジオ
八王子支局
  • 東京都八王子市本町24番8号 読売八王子ビル
横浜支局
前橋支局
関西支社
名古屋支局
那覇支局

スタジオ[編集]

汐留・日本テレビタワー[編集]

マイスタジオ・日テレ大時計
ゼロスタジオ
日本テレビ麹町分室(旧本社)

汐留の日本テレビタワーの本社スタジオ機能は2004年2月29日に稼働し、生放送の報道・情報番組と一部のバラエティ番組が制作されている。

19階から24階は一般のテナントビルとして賃貸しており、19階は日テレグループ各社やSBSなど海外テレビ局の東京支局、20階から24階には一般企業が入居している。20階には準キー局である読売テレビの東京支社も入居している。

旧本社・南本館にあったマイスタジオの名称は汐留移転後も使用されている。

S1スタジオ(13階、211坪)
S2スタジオ(13階、138坪)
上記2スタジオはバラエティ・報道・情報番組番組向けの収録・生放送対応スタジオ。
S3スタジオ(9階、148坪)
S4スタジオ(9階、148坪)
上記2スタジオは報道・情報番組向けの生放送対応スタジオ。
NEWSスタジオ(5階、130坪)
隣接する報道フロアからも放送できる。
SVスタジオ(13階、71坪)
バーチャルスタジオとして使用される。
SKY1スタジオ(15階、31坪)
SKY2スタジオ(15階、31坪)
タワートップスタジオ(32階)
上記3スタジオは共に都心の眺望が特徴。
マイスタジオ(2階、92坪)
ゼロスタジオ(1階、22坪)
汐留AX(1階、旧・テレビバ)
上記3スタジオはオープンスタジオ。ゼロスタジオはサテライトスタジオでもある。

麹町分室[編集]

汐留・日本テレビタワーに本社が移転された後も、旧社屋は麹町分室「日テレ麹町ビル」として北本館にある2つのスタジオと南本館にある貸しスタジオに限り、引き続き使用している。日本テレビで最大面積を誇るGスタジオがあることから、主に観客入れや出演者が多い番組が収録されている。また制作部門の一部デスクは分室に留まっている。

また、日本テレビグループ企業の本社が入居しており、BS日テレ・CS日本の本社と送出マスターもここにある。周辺には、バップなど日本テレビの子会社・関連会社が入居する別館群がある。旧西本館は一般テナントビルとして使用されている。

麹町社屋は「西本館」、「南本館」、「北本館」、「カラーセンター」の4棟から成り立っており、カラーテレビ放送開始に伴い建設された「カラーセンター」が後に新築された南本館と合体化された。しかし旧「カラーセンター」棟は老朽化が激しく、本社移転を契機として使用を中止した。

Kスタジオ(北本館5階、180坪)
バラエティ・音楽番組向けの収録スタジオ。
Gスタジオ(北本館1階、250坪)
バラエティ・音楽番組向けの収録・生放送対応スタジオ。
Vスタジオ(北本館5階、31坪)
当初はバーチャル専用スタジオとしてKスタジオの美術倉庫の一部を改装して作られた。本社機能が汐留に移転した後は、インタビュー等で利用されている。
STUDIO NiTRo CUBE(南本館4階、65坪)
NiTRoが運営する貸しスタジオ。バラエティ・通販番組向けの収録スタジオ。

新社屋・旧社屋の扱いについて[編集]

2004年に日本テレビの本社機能はデジタル放送に対応するため、開局以来本社を置いていた千代田区二番町(通称:麹町)から港区東新橋(通称:汐留)に移転した。

しかし、移転後に本社機能・番組収録を全て旧社屋から新社屋にシフトしたTBSやフジテレビとは違い、日本テレビは麹町社屋がさほど老朽化していない事や、新社屋の敷地面積が他の在京民放の社屋より狭いことなどから、本社機能と報道・情報番組制作、一部のバラエティー番組制作が『日本テレビタワー』にシフトし、バラエティ番組の多くが汐留に本社を移した現在も『麹町分室』で制作されており、BS・CS放送の番組送出は麹町で行っている。こうした機能分散の例はテレビ朝日六本木ヒルズ完成前の時代(アークヒルズのスタジオ建設や本社機能移転)などがある。

『麹町分室』で制作された番組は『日本テレビタワー』(汐留社屋)に光ファイバーでHD/SD転送されてローカルマスターを経由して日本テレビの親局(東京タワーもしくは東京スカイツリー)から送出し放送されたり、ネットマスターを経由して全国の系列局に送出される。逆に『日本テレビタワー』で制作したBS・CSの番組は『麹町分室』に光ファイバー転送されてそれぞれのマスターを経由して放送される。

汐留・麹町間はスタッフ専用のシャトルバスで結ばれている(六本木再開発時代のテレビ朝日も同様)。

生田スタジオ[編集]

スタジオ技術は子会社のNiTRo(旧NTV映像センター)が請け負っている。災害時の送出機能も備えている。

第1スタジオ(260坪)
第2スタジオ(200坪)
上記2スタジオはドラマ制作用スタジオ。
第3スタジオ(200坪)
バラエティ番組制作用スタジオ。

番組編成[編集]

傾向[編集]

伝統的に巨人戦を中心としたスポーツ中継や情報番組バラエティ番組を得意としている。

巨人戦中継は開局当時から「ドル箱番組」として日本テレビの番組編成の中心となっていたが、2002年を境に視聴率の低下が続き、ついに2006年には年間平均視聴率が1桁を記録するようになった。これにより視聴率とスポンサーの点で特に大きく依存してきた日本テレビは大きなダメージを受けた。対策として東京ドームの巨人主催ゲームの数試合をNHKや他の民放に開放したり、あるいはBS日テレへ移行したりして地上波の中継は縮小傾向にある。現在では地上波中継も週末のデーゲームが中心となっている。

ワイドショー情報番組が多く制作されており、ノンプライム帯に占める生放送の割合が高い。2014年現在、月曜日 - 木曜日は午前4時から午後7時まで生放送番組が連なっている(一部のミニ番組を除く)。この分野を得意としている日本テレビはゴールデンタイムプライムタイム全日に加え、ノンプライムも視聴率の1つの区分として重要視している。

バラエティ番組では1960年代から1970年代に掛けて『光子の窓』、『シャボン玉ホリデー』、『ゲバゲバ90分』などの名番組を制作。その後1980年代には目立つバラエティ番組が無く視聴率も低迷したものの1990年代にはその勢いを取り戻した。その反面で一時期までは『ロンパールーム』や『カリキュラマシーン』などの教育番組にも取り組んだ。

他局と比較してゴールデンタイム・プライムタイムで放送されているバラエティ番組の本数が非常に多い。そのため、一部のバラエティ番組は情報エンターテインメント局で制作されている。

アニメについては『ルパン三世』、『それいけ!アンパンマン』や読売テレビ制作の『名探偵コナン』などを放送。スタジオジブリ制作の映画作品にも加わるなど、アニメ史に残る作品を輩出して来た。

番組の開始時間を00分の定時ではなく、55分や57分などのいわゆるフライングスタートをキー局でいち早く導入した局であり[19]、現在では他局でも多用されているが、2008年10月から2011年6月まではテレビ東京と同じように、月 - 金曜日の21時枠の番組を20:54開始に統一するという思い切った編成も行っていた[20]

ドラマ[編集]

1970 - 90年代初頭にかけ、当時のプロデューサー岡田晋吉を中心に『太陽にほえろ!』、『大都会シリーズ』、『俺たちの勲章』、『われら青春』、『俺たちの旅』といった刑事アクションや青春ドラマを量産。一時代を築くと共に、松田優作中村雅俊柴田恭兵ら多数のスターを発掘した。また、水谷豊主演による『熱中時代』、『事件記者チャボ!』などのスタジオドラマも高視聴率を記録している。

2010年10月現在、プライムタイムで放送されている全国ネットの連続ドラマ枠は『水曜ドラマ』・『土曜ドラマ』の2本。これは他局に比べて少ないが、『家なき子』や『金田一少年の事件簿』『ごくせん』『家政婦のミタ』など国民的な人気を得るドラマも少なくない。『水曜ドラマ』は女性層、『土曜ドラマ』はファミリー層を意識した作品を放送している。日本テレビの主なテレビドラマの初回延長は原則15分である。

番組のテコ入れ[編集]

日本テレビの番組の特徴として、大規模なテコ入れが多いことがあげられる。

例えば『伊東家の食卓』は生活に役立つ「裏ワザ」を紹介する内容にしてから視聴率が上向き、『エンタの神様』は歌やマジックなどを取り入れた総合エンターテインメント番組からお笑いに特化した番組に変化することで視聴率が上昇。いずれの番組も開始から数か月は不振であったものの新機軸を入れることにより視聴率が上向いた成功例として知られる。

24時間テレビ』は第14回(1991年)には平均視聴率6.6%を記録するなどマンネリ化が進行していたが、第15回(1992年)以降はエンターテインメント化に成功し、近年では年間視聴率トップ10に毎回ランキングされるほどの高視聴率番組になっている。『高校生クイズ』もマンネリ化により一時は視聴率が10%を割るところまで低迷していたが、第28回(2008年)から“知力の甲子園”というコンセプトに衣替えしたことが功を奏し、視聴率は急上昇した。

しかし、テコ入れによってかえって視聴率を低下させることもしばしばで、例えば『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』では「ウリナリ芸能人社交ダンス部SP」や「ポケットビスケッツ」等の企画が好評を博したが、人気が低迷し「レギュラー陣入れ替え」をしたものの振るわず終了。

また、人気番組であった『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』も、初代司会者逸見政孝ガン闘病による降板後番組名と内容変更を繰り返し、終了した。

『伊東家の食卓』も放送10年目にリニューアルしたが、このときは「裏ワザ」がほとんど紹介されなくなり、半年後に終了した。

系列局の制作番組[編集]

他系列に比べ、系列局が全国ネットの番組を制作する機会が多い。

2014年現在、読売テレビは『金田一少年の事件簿R』(土曜日17時台)、『名探偵コナン』(土曜日18時台)、『秘密のケンミンSHOW』(木曜日21時台)、『ダウンタウンDX』(木曜日22時台)、『木曜ドラマ』(木曜日24時台)、平日14時・15時台の『情報ライブ ミヤネ屋』、土曜日8時・9時台の『ウェークアップ!ぷらす』を制作している。中京テレビは『まさかのタメ年トークバラエティー!ビックラコイタ箱』を制作している。

かつては深夜のバラエティー枠『ZZZ』を系列局に開放し、札幌テレビ(『爆笑問題のススメ』など)、山口放送(『三宅裕司のドシロウト』など)、テレビ岩手(『フライデーナイトはお願い!モーニング』)、広島テレビ(『松本紳助』など)、福岡放送(『新型テレビ』など)が制作に参加した。

夏期・冬期には『土曜ロータリー』・『土曜パラダイス』・『日曜スペシャル』などの放送枠で各系列局制作のマストバイ22局向け全国ネット番組が相次いで放送される。年に1 - 2回のペースで全国ネットの単発番組を制作している系列局も多い。

現在のゴールデンタイム・プライムタイム編成[編集]

※2014年7月現在

月曜日 火曜日 水曜日 木曜日 金曜日 土曜日 日曜日
19

有吉ゼミ 火曜サプライズ トリックハンター あのニュースで
得する人損する人
笑神様は突然に… 天才!志村どうぶつ園 ザ!鉄腕!DASH!!
20

世界まる見え!
テレビ特捜部
踊る!さんま御殿!! 1億人の大質問!?
笑ってコラえて!
ぐるぐる
ナインティナイン
ネプ&イモトの
世界番付
世界一受けたい授業 世界の果てまで
イッテQ!
21

人生が変わる
1分間の深イイ話
解決!ナイナイアンサー ザ!世界仰天ニュース 秘密のケンミンSHOW 金曜ロードSHOW! 土曜ドラマ
金田一少年の
事件簿N(neo)
行列のできる
法律相談所
22

しゃべくり007 幸せ!ボンビーガール 水曜ドラマ
ST
赤と白の捜査ファイル
ダウンタウンDX 嵐にしやがれ おしゃれイズム
有吉反省会

報道局[編集]

報道局は、政治部・経済部・社会部・外報部・生活文化部・映像取材部・ニュースセンター・マルチニュース制作部・ネットワークニュース部・業務部・NNN事務局・解説委員会・報道審査委員会の13部署からなり、汐留・日テレタワー5階の報道局を中心に業務を行っている(報道フロア 340坪)。2012年6月1日付の組織改正で、民放では珍しい生活文化部が設置された。

海外の放送局を模して、レールカメラを配置した報道フロアをはじめ、パーマネントセットを配置した放送スタジオも完備している。CS放送・日テレNEWS24(旧NNN24)のスタジオもここにある。この報道局内設備もすべてHDに対応している。ニュース映像素材は最近ではHDカメラによる取材や現場からの中継も行っており、民放キー局としては報道取材におけるHDの導入が早く、今では日本テレビの放送エリア内の取材は、ほぼ全面的にHD化されている。

地方局が取材したニュースについては取材した系列局のテロップを「NNN」と併記して表示する(連名で表示する場合もある)。重大な事件・大規模な事故・災害の取材の際、地元局以外の系列局の支援を受け共同取材する場合や、高校野球等系列各局が集結して取材を行う場合は「NNN取材団」と表示する。この表示は地上波放送各種ニュース番組・日テレNEWS24ともにおこなわれている。

報道スタジオは5階報道局に隣接して置かれ、サブは3つある。主にNEWS1サブでは地上波、NEWS2サブは日テレNEWS24で使用される。この他に素材収録用の簡易サブもある。

ニュース映像の収録編集は4階のCVセンターテロップCGなどの制作は4階のテロップセンターで行われている。

NNN系列各局や海外メディア配信へのニュース配信を行う「ニュースチャンネル」が6階にあり、ニュース配信を行う送出設備のほかVTR編集室・カメラ1台の顔出し設備がある。

具体的に制作されている番組の種類は次の通り。

その他、日本テレビ・報道局制作番組の分野別一覧も参照のこと。

制作局[編集]

2011年7月に発足した部署。2006年に従来の編成本部が制作局と名称を変え、その中の部署も一新された。実質、その編成本部の前の編成局が復活したようなもの。新しい部署として、「ドラマ制作部」、「CP班グループ」、「業務部」が作られた。また、新たに「スポーツ・情報局」が発足し、スポーツ番組や情報番組はこのスポーツ・情報局の担当となった。2009年7月の組織改正により制作局が廃止され、バラエティー局とドラマ局に分割されたが、2011年7月の組織改正で再び統合され、制作局の下にバラエティーセンターとドラマセンターが置かれた。さらに2012年6月からはバラエティーセンターとドラマセンターが廃止され制作局に移管した。

具体的に制作されている番組の種類は次の通り。

その他、日本テレビ制作局制作番組の分野別一覧も参照のこと。

スポーツ局・情報カルチャー局[編集]

制作局と共に2006年に「スポーツ・情報局」として発足した部署。従来の編成本部の制作していたスポーツ番組や情報番組がこの部署の制作担当となった。その後、2007年7月の組織改正により、スポーツ局と情報エンターテインメント局に分割された。スポーツ局には「CP班グループ」と「スポーツ企画推進部」、情報エンターテインメント局には「CP班グループ」がそれぞれ作られた。

2012年12月より情報エンターテインメント局は情報カルチャー局に改称された。

具体的な制作番組は以下の通り。

その他、日本テレビ・スポーツ・情報局制作番組の分野別一覧も参照のこと。

主な役員・社員[編集]

現在
過去

アナウンサー[編集]

イベント[編集]

日本テレビでは以下のように、汐留「日テレプラザ」(日テレタワー敷地内)および周辺にて年数回開催される総合イベントをはじめ、『ズームイン!!SUPER』などの番組主体のイベントも開催しているほか、ミュージカルや美術展などにも力を入れている。

また、ラジオ日本で放送している日本テレビ提供の番組『坂上みきのエンタメgo!go!』でもイベント情報を紹介している。

総合イベント[編集]

毎年開催されているイベント
過去に開催されたイベント

その他の主催イベント[編集]

毎年7月 - 8月に逗子海岸にオープンする海の家。期間中は日本テレビの各番組内でロケや中継が行われる。

主な製作映画[編集]

※は現在でも継続してシリーズ化されている映画

1970年代
1980年代
1990年代
2000年代前半
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
2015年

日本テレビが製作・出資に関わる映画は、「製作委員会方式」による作品が主流である。準キー局の読売テレビ、親会社の読売新聞、基幹系列局の札幌テレビミヤギテレビ静岡第一テレビ中京テレビ広島テレビ福岡放送などが制作委員会に名を連ねている作品が多い。

オープニング・クロージング[編集]

アナログ放送[編集]

  • 鳩の休日(開局 - 2001年9月・2008年4月 - 2011年7月24日)
    • 初代はモノクロで放送用の周波数も表示していた。アナウンスは男性、女性の2バージョンあり。
    • 2代目はカラー。
    • 3代目は音声多重放送に対応したものに変更。映像は2代目と同じ。
    • 4代目はCGアレンジ(開局55周年に関連しての復活、2009年3月よりロゴを変更した現行のものに変更)。
    • 2011年7月24日のアナログ放送終了時には、2代目のカラー・モノラル版で、最後の画面に「58年間ありがとうございました」の文字が入ったものが流され、停波となった。
    ナレーション:2代目・結城雅子アナウンサーといわれているが未詳、3代目・青尾幸アナウンサー(音声多重放送のアナウンスも担当)、4代目・藤井貴彦アナウンサー
    BGM作曲:深井史郎
  • NNN24ジャンクション(2000年1月17日 - 2001年9月)
    ナレーション:平川健太郎アナウンサー
  • クロージング(2000年1月 - 2001年9月)(※ナレーションなし)
  • 日テレブランド?バージョン(2001年10月 - 2003年6月)
    ナレーション:井田由美アナウンサー(現在は報道局所属)
  • 日テレバージョン(2003年7月 - 2008年3月)
    ナレーション:井田由美アナウンサー

デジタル放送[編集]

  • 新社屋静止画バージョン(2003年12月 - 2008年3月)
    映像に動きは無く、BGMも無い。また、「JOAX-DTV、ご覧のチャンネルは、日本テレビデジタルテレビジョンです。」と2回繰り返しアナウンスされる。
  • 鳩の休日(2008年4月 - 2013年12月)
    ナレーション:藤井貴彦アナウンサー
  • 「見たい、が世界を変えていく。」バージョン(2014年1月 - )
    新社屋静止画バージョンとは異なり、局名告知アナウンスは1回のみ。

歴代キャッチフレーズ[編集]

  • 1.2.3(ワン・ツー・スリー)!4(ヨン)チャンネルで楽しさ満開(1982年4月)
  • 読んでみる。4でみる。(1982年10月)
  • おもしろまじめに4チャンネル(1983年2月 - 1985年6月、小林完吾徳光和夫
  • 活火山です。4チャンネル(1985年7月 - 1986年2月、三宅裕司
  • 元気が大好き4チャンネル(1986年2月 - 4月)
  • わたしの好奇心4チャンネル(1987年4月 - 9月)
  • この春、プラス1(1988年4月)
  • ロマンリッチ4チャンネル(1988年10月 - 1989年9月)
  • 土、迫力。4チャンネル(1989年10月)
  • 3.14倍(当社比)の春です。(1990年3月、中畑清
  • 一秒ごとに、新製品です。(1990年4月)
  • ハートフルコミュニケーション。(1990年10月 - 1992年8月)
  • みんなのなかに、私はいます。(1992年8月 - 1993年12月、開局40周年)[23]
  • Virginから始めよう。(1994年1月 - 1995年3月)
  • それって、日テレ。(1995年4月 - 1996年3月)
  • そんなあなたも、日テレちゃん。(1996年8月 - 1997年7月)
  • 日テレちゃんパワー(1997年8月 - 12月)
  • 日テレ営業中(1998年1月 - 1999年8月)
  • 日テレ式(1999年9月 - 2001年3月)
  • 日テレブランド?(2001年4月 - 2003年6月)
  • 日テレ(2003年7月 - 2004年1月)
  • &日テレ(2004年2月 - 2006年3月)
  • 放送の情報だけ、番組のカタチがある「日テレ」(2006年4月 - 2006年9月)
  • 日テレちん(2006年10月 - 2009年3月)
  • 日テレ55(GoGo)(2008年1月 - 2009年3月、開局55周年)
  • NITTELE SPRING(2009年4月1日 - 2009年4月30日)
  • 日テレダベア(NITTELE DA BEAR)(2009年5月 - 2012年12月)
  • 0テレ Go! Next 60(2013年1月 - 2013年12月、開局60周年)
  • 見たい、が世界を変えていく。(2014年1月 - )

主なグループ会社[編集]

子会社[編集]

関連会社[編集]

  • 日活株式会社 - 映画企画・制作・配給
  • 黒剣電視節目製作股份有限公司(黒剣テレビ番組制作株式会社) - 台湾・中国・東南アジア向けテレビ番組制作・販売

出資会社[編集]

財団法人[編集]

スタジオ技術系協力会社[編集]

送信所・中継局[編集]

本送信所[編集]

現在の送信所である東京スカイツリー

予備送信所[編集]

※2013年5月30日以前は新宿センタービル(東京都新宿区西新宿一丁目25番1号)が予備送信所として使われていた。

主な中継局[編集]

全145局の送信所が存在する。

  • 東京都
    • 新島 - 25ch
    • 伊豆大島 - 41ch
    • 八丈 - 30ch
    • 青梅沢井 - 25ch
    • 八王子 - 25ch
    • 新島本村 - 25ch
    • 八王子上恩方 - 35ch
    • 鶴川 - 36ch
    • 小仏城山 - 37ch
  • 茨城県
    • 水戸 - 14ch
    • 日立 - 14ch
    • 十王 - 38ch
    • 山方 - 34ch
    • 常陸鹿島 - 25ch
    • 日立神峰 - 25ch
    • 竜神平 - 41ch
    • 北茨城 - 14ch
    • 奥久慈男体 - 25ch
    • 大子 - 14ch
    • 里美 - 14ch
    • 御前山 - 25ch
    • 水府 - 14ch
    • 笠間 - 34ch
    • 岩瀬 - 25ch
    • 那珂湊 - 25ch
  • 栃木県
    • 宇都宮 - 34ch
    • 矢板 - 19ch
    • 足利 - 25ch
    • 今市 - 25ch
    • 馬頭 - 25ch
    • 日光清滝 - 36ch
    • 鹿沼 - 14ch
    • 足尾 - 37ch
    • 那須伊王野 - 25ch
    • 日光広久保 - 14ch
    • 黒羽中野内 - 25ch
    • 烏山神長 - 25ch
    • 南那須志鳥 - 25ch
    • 黒羽川上 - 33ch
  • 群馬県
    • 前橋 - 33ch
    • 沼田 - 25ch
    • 利根 - 25ch
    • 吾妻 - 14ch
    • 下仁田 - 25ch
    • 桐生 - 25ch
    • 草津 - 38ch
    • 片品 - 34ch
    • 川場 - 25ch
    • 沼田発知 - 14ch
    • 桐生梅田 - 33ch
    • 嬬恋田代 - 33ch
    • 沼田沼須 - 14ch
    • 倉渕 - 14ch
    • 妙義 - 14ch
    • 横川 - 25ch
    • 嬬恋干俣 - 25ch
    • 片品東小川 - 25ch
    • 子持小川原 - 14ch
    • 利根大原 - 25ch
    • 白沢 - 14ch
    • 松井田上増田 - 14ch
  • 埼玉県
    • 秩父 - 25ch
    • 小鹿野 - 55ch
    • 児玉 - 25ch
    • 鬼石 - 18ch
    • 秩父定峰 - 30ch
    • 秩父栃谷 - 30ch
    • 風布- 25ch
    • 飯能上赤工 - 33ch
    • 横瀬根古谷 - 30ch
    • 飯能原市場 - 33ch
  • 千葉県
    • 銚子 - 25ch
    • 東金 - 25ch
    • 大多喜 - 25ch
    • 君津 - 25ch
    • 長南 - 33ch
    • 市原加茂 - 33ch
    • 勝浦 - 25ch
    • 館山 - 25ch
    • 小見川 - 25ch
    • 佐原 - 25ch
    • 下総光 - 25ch
    • 丸山 - 33ch
    • 勝浦総野 - 33ch
    • 鴨川 - 44ch
  • 神奈川県
    • 平塚 - 25ch
    • 小田原 - 52ch
    • 南足柄 - 32ch
    • 湯河原 - 32ch
    • 愛川 - 32ch
    • 箱根湯本 - 32ch
    • 横須賀武 - 32ch
    • 相模湖 - 25ch
    • 仙石原 - 29ch
    • 山北 - 25ch
    • 津久井 - 29ch
    • 久里浜 - 32ch
    • 逗子 - 32ch
    • 秦野 - 32ch
    • 横須賀鴨居 - 29ch
    • 湯の沢 - 29ch
    • 笹下 - 25ch
    • 釜利谷 - 33ch
    • 秦野菩提 - 41ch
    • 中井 - 32ch
    • 戸塚 - 25ch
    • 鎌倉 - 32ch
    • 衣笠 - 32ch
    • 大船 - 32ch
    • 箱根強羅 - 29ch
    • 小田原東 - 52ch
    • みなとみらい - 52ch
    • 藤野 - 32ch

アナログ放送概要[編集]

2011年7月24日終了時点

  • 標準テレビジョン放送(地上アナログ放送):JOAX-TV(VHF4ch、映像171.25MHz/50kW、音声175.75MHz/12.5kW)
  • 標準テレビジョン音声多重放送:JOAX-TAM
  • 標準テレビジョン文字多重放送:JOAX-TCM

全97局の送信所が存在し、中継局から視聴する場合でも4にプリセットされることが一般的であった。

  • 東京都
    • 大井町 - 70ch 品川区大井町地区では東京4chを視聴している家庭がほとんどである。
    • 八王子 - 35ch 八王子市周辺でも、東京4chを視聴している家庭が多い。
    • 多摩 - 51ch 多摩市周辺でも東京4ch視聴者が多い。
    • 新島 - 54ch(垂直偏波)
    • 八丈島 - 4ch
    • 三宅島 - 4ch
    • 小笠原父島 - 53ch
  • 茨城県
    • 水戸 - 42ch(垂直偏波) 水戸市周辺でも日立54ch視聴者が多い。
    • 鹿嶋 - 33ch
    • 日立 - 54ch
    • 高萩 - 53ch
  • 栃木県
    • 宇都宮 - 53ch
    • 日光 - 54ch
    • 矢板 - 36ch
  • 群馬県
    • 前橋 - 54ch
    • 富岡 - 53ch(垂直偏波)
    • 桐生 - 53ch
    • 沼田 - 53ch
  • 埼玉県
    • 児玉(熊谷・本庄) - 53ch(垂直偏波)
    • 秩父 - 16ch
  • 千葉県
    • 成田 - 53ch
    • 銚子 - 53ch
    • 香取佐原 - 54ch
    • 勝浦 - 53ch
    • 館山 - 54ch(垂直偏波)
  • 神奈川県
    • 山下町 - 71ch 東京4ch視聴者が多い。
    • 横浜みなと - 54ch 東京4ch視聴者が多い。
    • 久里浜 - 41ch(北方向は水平偏波・西方向は垂直偏波)
    • 平塚 - 35ch(垂直偏波) 地域によっては東京4ch視聴者が多い。
    • 小田原 - 54ch
    • 湯河原 - 53ch

70・71chは難視聴対策のためのSHF放送。

区域外再放送[編集]

長野県・静岡県の各一部地域のCATV事業者は各県に系列局はあるものの激変緩和措置として、区域外再放送をアナログ放送終了後3年間(2014年7月24日まで)を限度として実施していた。 緩和措置の期間満了後は個別協議により次の通り継続実施する。

静岡県

情報カメラ設置ポイント[編集]

●…ハイビジョンカメラ

現在

過去に設置

沖縄県に日本テレビ系列局が存在しない理由[編集]

沖縄県アメリカ占領下の1960年前後に相次いで開局した沖縄テレビ琉球放送の2局とも拘束性の強い単独ネットで開局した。前者はフジテレビとの資本提携で開局し、九州などの第2局がフジテレビ・日本テレビ・テレビ朝日の3局クロスで開局したのを尻目に、NHK沖縄放送局の前身の沖縄放送協会開局後、1969年に正式に単独ネット局に。後者は草創期の九州のネット回線の都合からTBS系列に加盟しJNN協定でクロスネットが認められなかったためであった。なお、沖縄テレビを開局させた同社初代社長・具志頭得助はフジテレビの前に日本テレビを訪れ、「時期尚早」と断られている[24]

その後、1989年に設立された南西放送を日本テレビ系列として開局させる計画があった。民放テレビ第3、4局の周波数が割り当てられていたこともあり、琉球朝日放送テレビ朝日系列)とともに1995年秋の同時開局が有力視されていたが、日本テレビの沖縄進出凍結に伴って計画は頓挫し、1999年には沖縄県の民放テレビ第4局用の周波数割当そのものが取り消された(宮崎県内でも、3局目を日本テレビ系で開局する予定で社屋用地も取得していたが、諸事情で計画が頓挫し周波数割当そのものが取り消された)。

現在は日本テレビで放送されている番組の一部は沖縄テレビ(フジテレビ系列)(『土曜サスペンス劇場』→『ドラマ・コンプレックス』→『火曜ドラマゴールド』、『NTV土曜ドラマ』などの番組提供付きの番組などを放送)と琉球放送(TBS系列、一時期は『木曜スペシャル』を同時ネットしていたが、現在は主に夕方枠・深夜枠でローカル扱いの番組で放送)で放送されている。また、CS★日テレで日本テレビの番組を沖縄でも視聴することができたが、2000年9月の放送終了に伴い、ほとんどの日本テレビの番組がリアルタイムで見られなくなった。さらに、政府の事業仕分けにより、最後まで沖縄テレビで同時ネットされていた政府広報番組『ご存じですか』と『新ニッポン探検隊』が2010年3月に終了したため、沖縄県内で日本テレビから同時ネットされているレギュラー番組は無くなった。

不祥事・事件・トラブル[編集]

関連項目[編集]

ネットワーク
NNS非フルネット(マストバイ)局
クロスネット局
  • テレビ大分(フジテレビ系列とのクロスネット)
  • テレビ宮崎(フジテレビ系列・テレビ朝日系列とのクロスネット)
他系列局への番組販売

脚注[編集]

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  1. ^ 認定放送持株会社への移行に伴い、2012年(平成24年)10月1日付けで商号を「日本テレビ分割準備株式会社」から「日本テレビ放送網株式会社」に変更。なお、旧・日本テレビ放送網株式会社(現・日本テレビホールディングス株式会社)の設立日は1952年(昭和27年)10月28日
  2. ^ a b カール・ムント米上院議員は、「VOA(ボイス・オブ・アメリカ)」構想を打ちたて、世界中で広まりつつあった共産主義の撲滅に乗り出した「プロパガンダの雄」である。ムントはCIA正力松太郎を推薦した。正力松太郎は、1951年、大蔵大臣だった池田勇人を説得、さらに朝日新聞村山長挙毎日新聞本田親男に働きかけ、3社でテレビ事業を行う約束を取り付ける。正力の仕掛けた3大紙協力体制のもと、「受信機も無い時代に民放テレビは時期尚早」と反対する吉田茂総理の説得に成功する(ベンジャミン・フルフォード『ステルス・ウォー』 講談社 2010年 ISBN 9784062161244, Page238,241)
  3. ^ NTVは同年6月30日と7月1日の2公演分をカラーVTRにて収録している。その経緯については、ビートルズ#日本公演を参照のこと。
  4. ^ テレビ夢50年 データ編 148ページ 日本テレビ放送網 2004年発行
  5. ^ 日本テレビは当時、この映画をテレビにて放映する為に、放送権を6億円で購入したとされる。(引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争-そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、130頁に記載されている。ISBN 4062122227
  6. ^ 当初は緑色の体に黒色の線で縁取りしたものが使われていたが、2003年7月に新ブランドマークが導入され、現在は体を塗りつぶさず、線を金色で縁取りしたものとなっている。現在このブランドマークは日本テレビのほか、グループ会社のBS日テレ、CS日本、RFラジオ日本、日テレ・グループ・ホールディングス、日テレイベンツ、日本テレビアートなどでも使用されている。
  7. ^ 但し、海外向けには「NTV」の使用を継続、ロゴも「日テレ」の部分に「日テレ」と同様の書体で「NTV」と表記。また、番組キャラクター・グッズ商品の承認済シールに張られている「NTV」は従来から使用している開局当時のロゴを表記している。
  8. ^ CI導入当初はクレジットに「製作著作 日本テレビ『日テレ(ロゴ)』」と混乱防止の為に表記していたが、2005年10月より「製作著作『日テレ(ロゴ)』」という表記になり、新ロゴへの移行をほぼ完了した。『ぐるぐるナインティナイン』、『あなたと日テレ』などごく一部の番組は「製作著作 日本テレビ『日テレ(ロゴ)』」の表記が残っていたが、後述の「日テレ55」表記化に伴って現在は完全消滅した。また、番組表など業務目的の略称としての「NTV」は引き続き使用されている。なお、2008年1月1日から「なんだろう」が消滅し「日テレ55」のクレジット表記(ロゴの色は「日テレ」部分は、「55」部分は)に変更された。これは、2008年8月28日に開局満55周年を迎えるためで、2009年3月までの限定使用となった。但し、東京ドームにある第2放送席の背後に書かれているロゴは、前代のロゴのままである。また、読売ジャイアンツ球場のレフトフェンスに書かれいるロゴも、前代のままである。
  9. ^ 汐留移転前はスタジオ内映像のみハイビジョンであったが、移転後はスタジオ内映像の他、社屋屋上のお天気カメラ(麹町旧社屋など既存の設置地点でも一部HD化)、お天気情報などのCG画像、一部のニュース素材、月1回放送の「ディリープラネット金曜発言中」もハイビジョン化された。
  10. ^ この試合は、地上波の日本テレビ及びネット局、BSデジタルのBS日テレ、CS放送の日テレG+でも放送されたが、それらでは通常の2Dでの放送であった。なお、この3D中継に於いては、3D中継専用の中継車・専用カメラを5台手配し、実況・解説等のコメンタリーおよび画面表示もそれ専用とする等の特別体制で実施した。
  11. ^ なお、BS日テレとCS放送の日テレG+、日テレプラスではすでに開局当初から一部のモノラル二重音声番組を除き編成上全ての番組でステレオ放送(一部はモノステレオ放送)を実施している。しかし、『24時間テレビ』内のドラマ企画は未だにモノラル二重音声放送のままである。
  12. ^ 日テレが10月に持ち株会社に移行 グループ経営を強化,産経新聞,2012年3月29日
  13. ^ 日本テレビ放送網株式会社、株式会社BS日本及び株式会社シーエス日本などの認定放送持株会社への移行(会社分割、簡易株式交換及び商号変更)による経営統合に関する基本合意書の締結並びに日本テレビ放送網株式会社の子会社(分割準備会社)の設立についてのお知らせ
  14. ^ 日本テレビ放送網株式会社、株式会社BS日本及び株式会社シーエス日本の 認定放送持株会社体制への移行に関する統合契約、吸収分割契約及び株式交換契約の締結 についてのお知らせ 7ページ
  15. ^ 株式会社タツノコプロの子会社化
  16. ^ Huluの日本市場向け事業を継承し定額制動画配信に参入
  17. ^ かつては土曜12時台に再放送枠を設けていた。
  18. ^ フジテレビでも実施しているが日本テレビが業界初。他にも都営地下鉄日暮里・舎人ライナーの時刻表、都営バスの時刻表や接近情報も表示している。なお情報提供元はジェイアール東日本企画である。ちなみに私鉄・地下鉄はレスキューナウが担当。
  19. ^ 1993年開始の『ザ・ワイド』(日本テレビ・よみうりテレビ共同制作、2004年度よりよみうりテレビ(→読売テレビ)・日本テレビ共同制作)が始まりである
  20. ^ 基本的に20時54分頃は地方局ごとのミニ番組が放送されることが多い為、読売テレビ中京テレビ以外の系列局は基本的に21時開始となっていた。そのため、系列局への配慮として20:54からは放送内容の告知を中心とした『まもなく!○○』と言う名称のミニ番組扱いとなり、実質的には21時から番組本編に入っていた。ただし、特別番組の多い改編期には20:54から番組本編が始まる事もあった。
  21. ^ 日テレNEWS24(CS)制作の番組。
  22. ^ 平日版は日テレNEWS24制作(CS)の番組。
  23. ^ 青森放送など一部系列局でも使われた。
  24. ^ 沖縄テレビ30年の歩み(1990年刊行)より。
  25. ^ 正確には、テレビ朝日系列(サブ)とのクロスネット局である。しかし、元々日本テレビ系列(NNN・NNS)単独加盟局であり、編成もかつてのNNS非フルネット(マストバイ)局並みおよびクロスネット局以上であることから、日本テレビ系列(NNN・NNS)単独加盟局とみなすことが多い。

外部リンク[編集]