長崎県

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長崎県
ながさきけん
地方 九州地方
団体コード 42000-0
ISO 3166-2:JP JP-42
面積 4,104.90km²
総人口 1,432,236
推計人口、2009年10月1日)
人口密度 349人/km²
隣接都道府県 (陸上)佐賀県
(海上)熊本県福岡県
県の木 ヒノキツバキ
県の花 雲仙ツツジ
県の鳥 オシドリ
他のシンボル 県の歌:長崎県民歌
県の獣:九州シカ
県の魚(春):タイイカアマダイ
県の魚(夏):アジイサキアワビ
県の魚(秋):サバトビウオヒラメ
県の魚(冬):ブリイワシフグ
知事 金子原二郎
長崎県庁
所在地 〒850-8570  長崎県
長崎市江戸町2番13号
長崎県庁(長崎県)
電話番号 095-824-1111
外部リンク 長崎県庁
長崎県の位置
特記事項 :

長崎県行政区画図

:市 / :町
長崎県県旗
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長崎県(ながさきけん)は、日本九州西端部の県。五島列島壱岐島対馬を含む。県庁所在地は、長崎市

目次

[編集] 地理

東に佐賀県と隣接する以外、周りは海である。対馬、壱岐、五島などの島嶼が多く、その数は971で全国一である。また、海岸線の長さは4,137kmで、北海道に次ぐ全国2位であるが、北方領土を除いた場合の北海道の海岸線は2,978kmとなり、大差で長崎県が第1位となる。面積が北海道の約20分の1である長崎県の海岸線がこれほど長大なのは、島嶼が非常に多いことに加え、リアス式海岸で海岸線が複雑に入り組んでいるからである。この地形的特徴により、長崎県全域に83箇所の港湾が点在している。その数は全国の7.4%に及び、全国有数の港湾県となっている。ちなみに長崎県内に、海岸線からの距離が15km以上の地点はない。

長崎県の主な地形

[編集] 気候

南西方向から暖流の対馬海流が流入してくるため、気候は温暖で、寒暖差も小さい。冬場は東シナ海側を中心に曇りがちの天気になる事が多く、時雨を降らせる事がある。積雪することは少ないが、すぐ西側は東シナ海なので季節風の風向によっては、雪雲が遮られずに供給される事により、大雪となることがある。特に2001年1月16日には長崎市で14cmの積雪を観測し、県内各地で大雪となった。しかし、九州地方最北端の対馬では朝鮮半島のすぐ南側に位置する為、東シナ海で発生した雪雲は朝鮮半島に遮られる上、朝鮮半島との海上区間はわずか50km程と極端に短いため雪雲は発達せず、降雪日は多いものの積雪することは稀である。

生物的見地からみると、各地の海岸にみられるアコウなどの亜熱帯性植物は温暖な気候を反映している。他にも大陸に近いためツシマヤマネコムツゴロウなどの大陸系遺存種が多いこと、各地の離島で多くの亜種変種が確認されていることなども特徴である。

島原半島活火山地帯で温泉が多いが、1990年-1995年雲仙・普賢岳の噴火は島原市深江町を中心に大きな被害をもたらした。また、東シナ海に突き出しているため、台風の上陸数も多く、長崎県に限らず、日本列島に大災害をもたらした台風9号(1970年、長崎市)、台風17号(1976年、長崎市)台風17号(1991年、長崎市)台風19号(1991年、佐世保市)台風18号(2004年、長崎市)台風14号(2005年、諫早市)台風13号(2006年、佐世保市)などの台風が上陸している。

[編集] 自然公園

[編集] 地名の由来

「長崎」という地名の由来は次のように長崎氏よりと言われている。 長崎氏は桓武平氏千葉流(九州千葉氏)の流れを汲む氏族であり、長崎県の名の由来になったことで知られる。現在の長崎県庁舎付近の長い御崎に館を構え、長崎港界隈の深堀から時津までの広い範囲を領していた九州千葉氏の一族が九州長崎氏を名乗ったことを起源とする説と 少数意見だか元弘三年(1333年)、北條氏新田義貞の軍勢に鎌倉を襲われて滅ぶと、代々伊豆国田方郡長崎村を領し、その地名を苗字として、鎌倉の執権である北條氏の執事をつとめていたことのある長崎氏の一人が九州に流れ(九州長崎氏)、長崎湾の奥を領して地侍になったと長崎甚左衛門純景がその系図で主張しているのがある。

[編集] 歴史

古くは肥前国佐賀県と壱岐・対馬を除く長崎県全域)、対馬国壱岐国に分かれていたが、肥前の国府は佐賀県の佐賀市旧大和町)にあった。

[編集] 古代

現在の佐世保市にあたる地域からは、福井洞窟泉福寺洞窟などの遺跡が見つかっており、いずれも国の史跡となっている。また、旧国見町(現在の雲仙市)には、百花台遺跡群があり、約3万年前に人々が生活した跡や使われていた道具が見つかっている。縄文時代の遺跡として有名なのが、南島原市(旧南高来郡北有馬町)の原山支石墓群である。そのほか、有喜貝塚、佐賀貝塚、白浜貝塚などが発見されている。2003年12月には、平戸市入口遺跡で10万年前の地層から旧石器が見つかったという報道もあり、古くから人が居住していた可能性が考えられる。

弥生時代の遺跡としては、魏志倭人伝に登場する「一支国」と見られる原の辻遺跡は現在の壱岐市芦辺町、石田町にあり、国の特別史跡に指定されている。また里田原遺跡が発見されており、当時の農業技術を知る上で重要なものの1つである。またこのほか、弥生時代の鉄剣が出土した富の原遺跡(大村市)、塔の首遺跡、日本最古のネコの骨が出土したカラカミ遺跡(壱岐市)などがある。

[編集] 古墳時代

県内の古墳の数は500を超え、その大半は壱岐に存在し壱岐古墳群として国の史跡に指定されている。古墳時代初期の古墳としては、対馬市の出居塚古墳根曽古墳群がある。後期に入ると、大規模な古墳が多くなる。その代表としては壱岐市の鬼の窟古墳があり、これは県内最大の円墳である。このほかには双六古墳(これは県内最大の前方後円墳である)、矢立山古墳群曲崎古墳群がある。

[編集] 飛鳥時代

倭国が朝鮮半島での白村江の戦いに敗れたため、664年に対馬・壱岐などに防人烽(とぶひ)を置き、唐や新羅からの侵攻に備えた。667年には対馬に金田城が築かれた。

[編集] 奈良・平安時代

小野妹子をはじめとする遣隋使遣唐使は、日本の最西北である壱岐や対馬、五島を経由し、朝鮮や中国に渡っていた。五島列島遣唐使南路の出発地として有名である。万葉集には関連した歌が数多く残されている。日本最後の寄港地であった、現在の三井楽町柏崎には、空海の「辞本涯の碑」が建てられている。

12世紀のはじめに入ると、平家の西日本への進出が進み、肥前国の松浦党や九州の武士の多くは平氏方につき、松浦党は壇ノ浦の戦いにおいても平氏方の水軍として戦った。

[編集] 中世

中世には松浦党などの海賊衆水軍)が興り、対馬を含め各地が倭寇の根拠地となった。

1274年文永の役)、1281年弘安の役)の元寇では対馬、壱岐、鷹島高麗軍が襲来したが、「神風」(大型台風)が九州を襲い元軍が退却したのはこれらの島々が破壊しつくされた後であり、これらの島々に神風の恩恵は全く無かった。

室町時代に入り、1419年には応永の外寇1507年には五島で玉之浦納の反乱が起こっている。

1550年には、ポルトガル船が平戸に来航した。これを知ったフランシスコ・ザビエルは鹿児島を出発し平戸を訪れ、布教を開始した。貿易都市となった平戸であったが、1561年に起きた宮ノ前事件によりポルトガル船は横瀬浦港(現在の西海市)に入港するようになった。ところが2年後の1563年、横瀬浦は武雄領主後藤貴明の焼き討ちに合い、壊滅。ポルトガル船は再び平戸に戻った。しかし、イエズス会宣教師コスメ・デ・トーレスの意向により、今度は大村領の福田浦(現在の長崎市)に入港することになった。この間、大村純忠はキリスト教の洗礼を受け、初のキリシタン大名となっている。1567年には、ポルトガル船が有馬領の口之津港に入港し、後にセミナリヨが建てられるなど、有馬は九州におけるキリスト教布教の拠点となっていった。大村純忠の兄である有馬義貞も口之津で洗礼を受けている。大村純忠は、ポルトガル貿易を自分の領地で行えるよう働きかけを行い、1571年に貿易港が口之津から長崎に移された。1580年には長崎をイエズス会に寄進した。1582年には天正遣欧少年使節が長崎港を出発し、スペイン、イタリア、ポルトガルを訪問した。

1588年、豊臣秀吉が長崎などを直轄地とした。2年後には天正遣欧少年使節が長崎に戻り、秀吉に謁見している。1592年には文禄・慶長の役により、松浦鎮信、有馬晴信、大村喜前、宗義智らが朝鮮に出兵している。南蛮貿易の継続させたい意向もあり、強硬な禁教は行っていなかった秀吉であったが、すでにバテレン追放令が出されており、1597年には長崎西坂でカトリック信者26人が処刑されている。

[編集] 近世

17世紀にはいるとオランダ東インド会社イギリス東インド会社が相継いで平戸支店を開設している。江戸時代の長崎県は佐賀藩島原藩(島原半島)、大村藩(彼杵地方)、平戸藩(松浦半島・平戸島・壱岐)平戸新田藩福江藩(五島列島)、対馬府中藩(対馬)、佐賀藩家老の諫早陣屋、交代寄合の五島家の富江陣屋、天領(長崎)に分かれる。江戸幕府鎖国方針により、ポルトガル人は長崎から追放され、1641年にオランダ商館が出島に移った。中国商船の長崎来航も認められており、長崎は鎖国下の日本では数少ない国際貿易港となった。また、対馬藩は幕府から李氏朝鮮との国交の実務を委任される傍ら朝鮮との貿易を公認され、釜山倭館を置いてこれらの業務を行っていた。このように、今の長崎県域には、鎖国時にも幕府公認で海外へ開かれていた港が2箇所存在した。ちなみに、鎖国下における江戸幕府公認の国際貿易港は上記2港のみである。

1637年島原の乱が起こった土地だけに江戸期を通じて隠れキリシタンが多く存在した(壱岐・対馬を除く)。なお現在でも、人口に対するキリスト教信者の割合が日本の他地域と比べて多い地域[1]である。

[編集] 近代以降

幕末の長崎港開港によって各国商船が来航し、長崎は国際貿易港として更に発展を遂げた。佐世保は日本海軍の大規模な軍港となり、長崎では戦艦武蔵が建造されるなど造船が発達した。第二次世界大戦末期、1945年6月29日(未明)に佐世保大空襲があり、1945年8月9日午前11時2分米国空軍爆撃機B-29によって長崎市に原子爆弾が投下され、広島市とともに原爆被災地となった。

[編集] 人口

Demography42000.svg
長崎県と全国の年齢別人口分布 長崎県の年齢・男女別人口分布
紫色 ― 長崎県
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
1980年 1,590,564人
1985年 1,593,968人
1990年 1,562,959人
1995年 1,544,934人
2000年 1,516,523人
2005年 1,478,632人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 行政

[編集] 歴代知事(公選)

詳細は「長崎県知事一覧」を参照

  • 初代 - 杉山宗次郎(1947年4月16日 - 1951年4月4日、1期)
  • 2-3代 - 西岡竹次郎(1951年5月6日 - 1958年1月14日、2期)
  • 4-6代 - 佐藤勝也(1958年3月2日 - 1970年3月6日、3期)
  • 7-9代 - 久保勘一(1970年3月2日 - 1982年3月1日、3期)
  • 10-13代 - 高田勇(1982年3月2日 - 1998年3月1日、4期)
  • 14-16代 - 金子原二郎(1998年3月2日 - 、3期目)

[編集] 財政

[編集] 平成18年度

  • 標準財政規模 3486億1900万円
  • 財政力指数 0.26935(都道府県平均0.46)
    • 財政力指数が0.3未満のIVグループ(10自治体)に分類されている
  • 経常収支比率 96.3%(都道府県平均0.46%)
    • 財政の硬直化が進んでいることを示す指標である
  • 実質収支比率 0.2
  • 実質公債費比率 10.9%(都道府県平均14.7%)
  • 人口100,000人当たりの職員数 1,463.76人(都道府県平均1,173.11人)
    • 長崎県行財政改革プラン(H18~H22)に基づき職員数の削減に取り組んでいる
  • ラスパイレス指数 101.6(都道府県平均99.6)
    • 現給保障を実施しているため、国の給与構造改革が完成する平成22年度まではおおむね現在の水準で推移する見込み 平成23年度以降は標準職務の見直し効果があらわれ逓減する見込み
  • 人口一人当たり地方債現在高(普通会計分の債務のみ)72万6355円(都道府県平均62万2416円)

地方債残高

  • 普通会計分の地方債現在高 1兆0765億6400万円
  • 上記以外の特別会計分の地方債(企業債)現在高 334億8800万円

[編集] 平成17年度

  • 財政力指数 0.25(平成17年度)

[編集] 離島行政

五島、壱岐、対馬には県の出先機関として地方局を設けている。平成17年の組織改変までは支庁と称していた。

[編集] 治安・防衛

[編集] 自衛隊

陸上自衛隊西部方面隊
海上自衛隊佐世保地方隊
航空自衛隊西部航空方面隊

[編集] 海上保安庁

第七管区海上保安本部
  • 長崎海上保安部(長崎市
    • 五島海上保安署(五島市)
  • 佐世保海上保安部(佐世保市)
  • 対馬海上保安部(対馬市)
    • 比田勝海上保安署(対馬市)
  • (唐津海上保安部)(佐賀県唐津市
    • 壱岐海上保安署(壱岐市)

[編集] 警察

長崎県警察

[編集] 経済

[編集] 産業

県庁所在地長崎市は歴史を誇る港湾都市で、観光客が多い。戦艦武蔵を建造した造船の町でもある。

県第2の市である佐世保市は昔からの軍港があり、現在も海上自衛隊米第7艦隊の基地があるほか、陸上自衛隊も駐屯している。また、南部にはヨーロッパの町並みを模した観光施設ハウステンボスがあり、韓国や台湾からの観光客も多い。

その他の地域もかつては炭鉱、底曳き網などの漁業基地、宝石サンゴ漁などにより繁栄したが、1970年代頃からそれらの産業が徐々に振るわなくなり、過疎化が進んだ。2000年代となっても過疎化は進行中で、産業の振興が重要課題となっている。

なお、壱岐・対馬地区は経済圏としては長崎や佐世保ではなく福岡に属する。

[編集] 長崎県に拠点事業所を置く主要企業

工場

[編集] 名産品

伝統工芸品
水産品
農産品
料理・加工食品

[編集] 地域

以下の13市4郡10町がある。「町」の読みは、すべて「ちょう」。村は2005年10月1日大島村の合併をもって消滅している。

[編集] 合併・消滅した自治体

本項では、記事がある市町村のみ掲載する。記事がないものについては、長崎県の廃止市町村一覧を参照のこと。

[編集] 交通機関

[編集] 航空

長崎県内の空港に就航している航空会社は以下のとおり。

[編集] 空港

2005年度旅客数(日本の空港#乗降客数参照)
空港 旅客合計 国内線 国際線
旅客数 定期便 旅客数 定期便
長崎 2,610,770人 2,555,843人 県外
東京名古屋
中部大阪宮崎
鹿児島那覇
54,927人 ソウル
上海
県内 対馬福江壱岐
対馬 312,827人 312,827人 県外 福岡 0人 -
県内 長崎
福江 163,779人 163,779人 県外 福岡・(関西 0人 -
県内 長崎
壱岐 28,976人 28,976人 県内 長崎 0人 -
上五島 4,702人 4,702人 県内 - 0人 -
小値賀 3,104人 3,104人 県内 - 0人 -

[編集] 鉄道・軌道

長崎県内で旅客輸送を行っている鉄道軌道は以下のとおり。

[編集] バス事業者

[編集] 道路

余談だが、警察庁JAFが毎年10月に合同で行っている「シートベルト着用率調査」による一般道でのシートベルト着用率は長崎県が近年連続して1位である。

[編集] 船舶航路

  • 長崎(長崎市)~奈良尾(新上五島町)~奈留(五島市)~福江(五島市)(九州商船
  • 長崎~福江(五島市)(五島汽船
  • 長崎~鯛の浦(新上五島町)(五島産業汽船
  • 長崎~神の島(長崎市)~伊王島(長崎市)~高島(長崎市)(長崎汽船
  • 茂木(長崎市)~富岡(熊本県苓北町)(安田産業汽船
  • 長崎空港(大村市)~時津(時津町)(安田産業汽船)
  • 長崎空港~長与港(長与町)(大村湾観光汽船
  • 長崎空港~ハウステンボス(佐世保市)(安田産業汽船)
  • 佐世保(佐世保市)~有川(新上五島町)(九州商船、五島産業汽船、美咲海送
  • 佐世保~宇久(佐世保市)~小値賀(小値賀町)(九州商船)
  • 佐世保~寄船(西海市)~横瀬西(西海市)~横瀬東(西海市)~小郡(西海市)~畑下(西海市)~川内(西海市)(瀬川汽船
  • 佐世保~崎戸(西海市)~江島(西海市)~平島(西海市)~友住(新上五島町)(崎戸商船
  • 佐世保~相浦(佐世保市)~津吉(平戸市)(津吉商船
  • 相浦~高島(佐世保市)~黒島(佐世保市)(黒島旅客船
  • 平戸(平戸市)~神浦(平戸市)~的山(平戸市)(平戸市営フェリー、美咲海送)
  • 平戸~度島(平戸市)(竹山運輸
  • 今福(松浦市)~飛島(松浦市)~殿ノ浦(松浦市)(鷹島汽船
  • 御厨(松浦市)~青島(松浦市)~船唐津(松浦市)~黒島(松浦市)~阿翁(松浦市)(鷹島汽船)
  • 福島(松浦市)~浦ノ崎(佐賀県伊万里市)(金子廻漕店)
  • 多比良(雲仙市)~長洲(熊本県長洲町)(有明フェリー
  • 島原外港(島原市)~大牟田(福岡県大牟田市)(島鉄高速船
  • 島原外港~熊本新港(熊本県熊本市)(熊本フェリー、九州商船)
  • 口之津(南島原市)~鬼池(熊本県天草市)(島鉄フェリー
  • 福江~青方(新上五島町)~小値賀~宇久~博多(福岡県福岡市)(野母商船
  • 福江~奈留~土井ノ浦(新上五島町)~郷ノ首(新上五島町)(五島旅客船
  • 福江・奥浦(五島市)~田ノ浦(五島市)(木口汽船
  • 比田勝(対馬市)~厳原(対馬市)~芦辺(壱岐市)/郷ノ浦(壱岐市)~博多埠頭(福岡県福岡市)(九州郵船
  • 比田勝~博多埠頭(九州郵船)
  • 厳原~芦辺/郷ノ浦~博多埠頭(九州郵船)
  • 厳原~芦辺~天神北(福岡県福岡市)(壱岐・対馬フェリー)
  • 印通寺(壱岐市)~唐津東(佐賀県唐津市)(九州郵船)
  • 印通寺~呼子(佐賀県唐津市)(壱岐・対馬フェリー)
  • 郷ノ浦~渡良浦(壱岐市)~原島(壱岐市)~長島(壱岐市)~大島(壱岐市)(壱岐市観光商工企業課)
  • 厳原/比田勝~プサン(大韓民国釜山広域市)(大亜高速海運

[編集] 廃止された航路

[編集] マスコミ

[編集] 新聞社

[編集] 放送局

[編集] テレビ

  • NHK長崎放送局
  • 長崎放送(NBC、JNN系列)
  • テレビ長崎(KTN、FNSFNN系列)
  • 長崎文化放送(NCC、ANN系列)
  • 長崎国際テレビ(NIB、NNSNNN系列)
  • 相対的に山間部が多く隣県の電波が届きにくく、「島原半島」「壱岐対馬」を除いて長崎県の放送局のみを視聴してきた。それに加え、陸地で県境を成すのは「佐賀県」のみである。ちなみに、「佐賀県」には、民放局がSTSサガテレビの1局でしかもUHFの電波のため長崎県内で受信できる所はごく一部である。その為、長崎放送が昭和34年に開局し、続いて昭和44年にテレビ長崎が開局したが、長年に渡って民間放送局の2局体制が続き、サガテレビを長崎県まで放送エリアを増やし、長崎放送がラジオ局を佐賀県に持っている為、中継所を設けると言う案まで飛び出していた。しかし、佐賀県内のほとんどの地域で福岡県のTV局の電波が届く事と、一部地域では熊本県の電波も届く為、スポンサーの理解が得られないし、国も認可しなかった。平成時代には、平成2年に長崎文化放送、平成3年に長崎国際テレビの2局の開局により4局化し改善されたが、福岡県並みの5局体制までは至っていないのが現状である。
  • 島原半島においては海を隔てて「熊本県」があり、良好な受信状態で視聴できるし、民放4局化も長崎県よりも一足早かったし、中継局の設置の遅れなどもあり、長崎県の放送を全く視聴しない家庭も珍しくない。
  • 壱岐対馬は、長崎県よりも福岡県に近く、テレビの創生期において、テレビの試験放送の電波を初めて受信したのは、壱岐対馬の電器屋と言われている。この地域は島原半島地域よりも、福岡県放送局を受信する家庭が多い。
  • 上記の2地域は、長崎県内のニュースや情報が不足し、県知事の名前も顔も知らないと言う人も少なからず存在した。
  • 佐世保市を中心とした「県北地域」は佐賀県境に比較的近いが、佐賀県の電波の恩恵を得る事ができなかった。佐賀県の中心地が遠く電波が弱い事と、佐賀県の放送局が混信防止の為、出力を絞った事や民間放送局が1局しかない事が原因だろうと、考えられる。
  • 尚、県内には山間部や離島が多数存在するため、電波の届きにくい難視聴地域がかなり存在している。各民放及びNHKが共同で中継局を設置し、難視聴地域の解消を目指しているが、デジタル化に伴う資金難から進んでいないのが現状である。

福岡県TVQ九州放送(TVQ、TXN系列)は一部地域で直接受信でき、ケーブルテレビを利用すれば長崎県内のほぼ全域(五島列島を除く)で視聴可能。

[編集] ラジオ

[編集] ケーブルテレビ局

[編集] 教育機関

[編集] 大学

[編集] 短期大学

[編集] 高等専門学校

[編集] 有形文化財建造物

国宝
重要伝統的建造物群保存地区

[編集] 長崎県を舞台にした作品

歌劇
戯曲
楽曲
小説・紀行・随筆
詩集
  • 山田かん『山田かん詩集』など
  • 詩・福田須磨子、下田秀枝、筒井茅乃、香月クニ子、朗読 吉永小百合『第二楽章 長崎から』1999
歌集・句集
映画・テレビドラマ
漫画
アニメ
ゲーム
体操

[編集] 長崎県内のスポーツチーム

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

公式

観光