対馬振興局

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長崎県旗
所管区(対馬市)

対馬振興局(つしましんこうきょく, Tsushima Branch of Nagasaki Prefectural Office)は、長崎県対馬を管轄する出先機関対馬市厳原町に置かれている。

2005年(平成17年)の組織改編までは「対馬支庁」、2009年(平成21年)までは「対馬地方局」と称していた。

所在地[編集]

  • 〒817-8520 長崎県対馬市厳原町宮谷224番地(地図を表示

組織[編集]

部署によって、住所が異なる場合があるので、( )で表す。

  • 管理部
  • 保健部 対馬保健所
    • 企画調整課
    • 衛生環境課
    • 地域保健課
  • 農林水産部
    • 農業振興普及課(対馬農業改良普及センター)
    • 家畜衛生課(対馬家畜保健衛生所)(美津島町鶏知[2]乙 110-4、地図
    • 農林整備部
    • 林業課
    • 水産課
    • 対馬水産業普及指導センター(美津島町久須保668、地図
  • 建設部
    • 管理課
    • 用地課
    • 道路課
    • 河川防災課
    • 港湾漁港課
    • 上県[3]土木出張所(上県町佐須奈乙937、地図) - パスポート業務は行っていない。[1]
    • 対馬空港管理事務所(美津島町鶏知乙283、地図

沿革[編集]

全般[編集]

  • 1868年明治元年)- 明治が始まり、対馬府中藩最後の藩主宗義達(のちに宗重正に改名)が新政府に朝鮮外交について考えを述べる。
  • 1869年(明治2年)- 最後の対馬府中藩[4]主、宗義達が版籍奉還を行い、藩の名称を厳原と改称。宗義達が厳原藩知事に任命され、同時に李氏朝鮮との交渉役を任せられる。
  • 1871年(明治4年)- 宗重正(=宗義達)が厳原藩知事の職を解かれる。廃藩置県により、厳原藩を厳原県と改称。間もなく伊万里県に合併。
  • 1872年(明治5年)- 伊万里県が佐賀県と改称。間もなく旧厳原県は長崎県に編入され、「長崎県出張所厳原支庁」が設置。
  • 1878年(明治11年)当時の町村数 - 上県郡に45村、下県郡に10町64村。
  • 1886年(明治19年)- 厳原支庁を「対馬島庁」と改称。
  • 1912年大正15年)- 対馬島庁と各郡(上県郡・下県郡)役所が廃止され、下県郡厳原町に「対馬支庁」を設置。[5]
  • 2005年(平成17年)4月 - 組織再編で、「対馬地方局」に改称。
  • 2008年(平成20年)4月
    • パスポート取扱業務を長崎県から対馬市へ移管。対馬地方局内と上県土木出張所のパスポート窓口を閉鎖[1]
      • 対馬振興局(本局)から対馬市役所厳原本庁舎(旧・厳原町役場)に移管。
      • 対馬振興局上県土木出張所から上対馬地域活性化センター(旧・上対馬町役場)に移管。
  • 2009年(平成21年)4月 - 組織再編で、「対馬振興局」(現組織名)に改称。
    • 対馬保健所を包括し、「保健部」とする。
    • 農林部・対馬農業改良普及センター・壱岐家畜保健衛生所対馬支所・水産部・対馬水産業普及指導センターを統合し、「農林水産部」とする。

各部[編集]

対馬保健所[6]
  • 設置年月日不明 - 「長崎県立厳原梅毒病院」
  • 1887年(明治20年)3月9日 - 「長崎県立梅毒検査所」
  • 1904年(明治37年)3月1日 - 「臨時厳原娼妓病院」
  • 1905年(明治38年)4月1日 - 「厳原娼妓病院」
  • 1911年(明治44年)4月1日 - 「鶏知[2]娼妓病院」
  • 1912年(昭和45年)4月1日 - 「鶏知娼妓病院厳原分院」
  • 1915年(大正4年)3月31日 - 「厳原娼妓病院」
  • 1918年(大正7年)4月12日 - 「長崎県立厳原病院」
  • 1932年(昭和7年)4月12日 - 「長崎県立厳原細菌検査所」
  • 1942年(昭和17年)10月22日 - 厚生省が厳原保健所(型別C級[7])の設置を認可。
  • 1943年(昭和18年)11月15日 - 厳原町大字厳原東里(現・対馬市厳原町東里)328番2号に「厳原保健所」を設置。対馬島13町村を所管とする。
  • 1944年(昭和19年)10月1日 - 簡易保険健康相談所を吸収併合。
  • 1947年(昭和22年)12月
  • 1950年(昭和25年)12月8日
    • 保健所機構改革により、2課制(総務課・衛生課)となり、衛生課長が1955年(昭和30年)度まで保健所長を兼務。レントゲン船「鶴丸」(つるまる)を配属。
    • 同年6月に勃発した朝鮮戦争(朝鮮動乱)により、対馬への不法入国者が急増したため、密航者への検疫業務が保健所所管となる。
  • 1951年(昭和26年)3月7日 - 保健所庁舎を海上保安庁に譲渡し、教員養成所校舎(対馬高等女学校[9]跡)を仮庁舎とする。
  • 1952年(昭和27年)8月1日 - 厳原町大字国分1442番2号に保健所庁舎を新築し、移転。
  • 1960年(昭和35年)10月1日 - 保健船[10]「鶴丸」を廃止し、「青い鳥」が新造の上、配属される。
  • 1961年(昭和36年)4月1日 - 保健所機構改革により3課制となる(現行類型L型[11][12]
  • 1968年(昭和43年)9月 - 現在地に保健所庁舎を新築し移転。
  • 1976年(昭和51年)
    • 4月1日 - 厳原保健所上県分室を設置。
    • 6月1日 - 保健船「青い鳥」を大瀬戸保健所[13]へ配属替え。
  • 1997年(平成9年)
    • 3月31日 - 厳原保健所上県分室を廃止。
    • 4月1日 - 「対馬保健所」に名称変更。
  • 2004年(平成16年)4月1日 - 保健所組織再編。総務課を総務企画課に改組し、各課の班制を廃止。
  • 2009年(平成21年)4月1日 - 地方機関再編により、「対馬振興局保健部 対馬保健所」となり、総務企画課を企画調整課と改称。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 長崎県パスポートインフォメーション –長崎県ウェブサイト
  2. ^ a b 読みは「けち」。本来は「雞知」と書くが、難しい漢字なので「鶏知」で代用されることが多い。
  3. ^ 読みは「かみあがた」
  4. ^ 「対馬藩」と呼ばれることも多い。
  5. ^ 五島・壱岐とともに、長崎県に3支庁が設置された。支庁#大正15年内務省告示第82号による支庁を参考。
  6. ^ 参考資料 対馬保健所の沿革(PDF)- 長崎県ウェブサイト
  7. ^ 保健所をその地域の規模や特徴に応じて分類された型の中の1つ(A型・B型・C型の3種類)。1961年(昭和36年)3月まで使用された旧分類法
  8. ^ 読みは「たけしき」。対馬市美津島町の地名。
  9. ^ 旧制・長崎県立対馬中学校とともに、長崎県立対馬高等学校の前身となった学校。
  10. ^ 医師や看護師を乗せ、診療所のない島々を巡回していた船。
  11. ^ 保健所をその地域の規模や特徴に応じて分類された型の中の1つ。(1)U型(都市の保健所)、(2)R型(農山漁村の保健所)、(3)UR型((1)と(2)の中間型)、(4)L型(人口き薄な地域の保健所)の4型に大別し、所管人口がきわめて少なく(3万人未満)、面積がそれほど広くない保健所を別にS型(支所型)としている。
  12. ^ 厚生白書(昭和35年度版)ウェブサイト
  13. ^ 大瀬戸は西海市大瀬戸町地区。大瀬戸保健所は長崎振興局保健部(西彼保健所)の前身。1997年(平成9年)に長崎保健所と統合の上、西彼保健所となった。

関連事項[編集]

外部リンク[編集]