長崎電気軌道
本社ビル
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| 種類 | 株式会社 |
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| 本社所在地 | 〒852-8134 長崎県長崎市大橋町4番5号 |
| 設立 | 1914年8月2日 |
| 業種 | 陸運業 |
| 事業内容 | 軌道事業 総合広告代理業 不動産業 ほか |
| 資本金 | 2億1000万円 |
| 外部リンク | www.naga-den.com |
長崎電気軌道株式会社(ながさきでんききどう)は、長崎市内で路面電車路線を営業する軌道事業者。本社社屋前にある社名の石碑には現在でも長﨑電氣軌道と刻まれている。2000年の西鉄北九州線廃止以降、純然たる軌道事業者としては九州唯一の私企業となっている。
通称は電鉄、長崎電鉄。地元住民の間では電車という名称もよく使われている(JRを「JR」「列車」「汽車」などと呼び区別している)。電話帳にも「長崎電気軌道」以外に「長崎電鉄」という表記で記載されている。なお資料によっては長崎電軌という略称を用いているものもあるが、あまり一般的ではない。
1914年(大正3年)8月2日設立。1915年(大正4年)11月16日、病院下(現在の大学病院前) - 築町間の電気軌道(路面電車)を開業し、現在、5路線4系統を営業する。以前はバス事業も行っていたが、1971年(昭和46年)に長崎自動車(長崎バス)に事業譲渡して撤退している。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 大正
- 1914年(大正3年)8月2日:創立総会を長崎商業会議所で開催。(資本金50万円)
- 1915年(大正4年)
- 5月:工事施工が認可され、着工。
- 11月16日:病院下(現在の長崎大学付属病院正門登り口付近) - 築町間(現在の1,2号系統)開通、営業開始。
- 1916年(大正5年)12月27日:千馬町(現在の築町 - 出島間) - 大浦海岸通間開通。
- 1917年(大正6年)6月4日:大浦海岸通 - 石橋間(現在の5号系統)開通。
- 1919年(大正8年)12月25日:長崎駅前 - 桜町間(現在の3号系統)開通。電車の開通で人力車の廃業続出。
- 1920年(大正9年)
- 1921年(大正10年)
- 1924年(大正13年):長崎港内連絡船の新設を計画。
- この時すでに、長崎交通船株式会社が大波止 - 水ノ浦間、元船町 - 志賀間に連絡船を運航していたが、長崎電鉄の進出に脅威を感じ、同年4月1日に長崎市に営業権を譲渡し、市営交通船として運行を開始した。
- 1925年(大正14年)
- 5月:港内連絡船開業に備え、三菱長崎造船所で「電鉄丸」6隻を建造。
- 7月:旭町・水ノ浦航路に港内連絡船「電鉄丸」を就航。船車連絡運賃制[1]で市営交通船と対抗。
- 12月:戸町航路に電鉄丸を就航。
[編集] 昭和(戦前)
- 1927年(昭和2年)
- 1930年(昭和5年)
- 1933年(昭和8年)12月25日:下の川 - 大橋間(現在の1,2,3号系統)開通。
- 長崎市立商業学校(現長崎市立長崎商業高等学校)がこの時、油木地区(現 長崎県立体育館(アリーナかぶとがに)付近)に移転したことから、油木方面への通学上の便利を図ることが開通の目的の一つであった。
- 1934年(昭和9年)12月20日:諏訪神社前 - 蛍茶屋間(現在の2,3,4,5号系統)開通。
- 1943年(昭和18年)
- 1月:軍需工場の出勤時刻に、工員最優先の輸送を開始。この間は停車する駅を少なくし、急行運転とする。
- 12月18日:連絡船(電鉄丸)と設備一切を、長崎市へ73万円で譲渡。
- 1944年(昭和19年)
- 1月:戦争による人手不足のため、学徒運転手が誕生。
- 8月1日:運賃改定。従業員の待遇改善のために、運賃を10銭に値上げ(+4銭)。
- 9月:初の女子運転手が登場。人手不足はより深刻になる。
- 10月10日:大橋車庫火災により、車両8両焼失。
- 1945年(昭和20年)8月9日:原爆投下により、全線不通、車両16両焼失、職員120人死亡。
[編集] 昭和(戦後)
- 1945年(昭和20年)11月25日:運行再開。(長崎駅前 - 蛍茶屋間)
- 1946年(昭和21年)
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)5月18日:運賃改定。5円に値上げ(+2円50銭)。
- 1950年(昭和25年)
- 1951年(昭和26年)9月1日:運賃改定。8円に値上げ(+2円)。
- 1952年(昭和27年)6月1日:運賃改定。10円に値上げ(+2円)。
- 1953年(昭和28年)
- 4月1日:バス事業に参入。住吉・蛍茶屋間の電車路線と並行する。距離8.366km、車両7台。
- 9月1日:運賃改定。13円に値上げ(+3円)。
- 1960年(昭和35年)5月7日:住吉 - 赤迫間(現在の1,2,3号系統)開通。
- 1961年(昭和36年)11月1日:運賃改定。15円に値上げ(+2円)。
- 1962年(昭和37年)7月8日:363号車が無人暴走し、新大工町で365号車と衝突。12人が死傷。車両は大破し、日本車輌に回送修理後復帰した。
- 1965年(昭和40年)6月1日:運賃改定。20円に値上げ(+5円)。
- 1968年(昭和43年)
- 1969年(昭和44年)5月1日:運賃改定。25円に値上げ(+5円)。子供15円。
- 1971年(昭和46年)3月1日:バス事業を長崎自動車に譲渡。
- 1973年(昭和48年)4月9日:運賃改定。大人30円(+5円)に値上げ。子供20円(+5円)に値上げ。
- 1974年(昭和49年)10月17日:運賃改定。大人40円(+10円)に値上げ。子供はそのまま20円。
- 1975年(昭和50年)4月17日:運賃改定。大人50円(+10円)に値上げ。子供30円(+10円)に値上げ。
- 1977年(昭和52年)
- 1978年(昭和53年)8月16日:電車全車両ワンマン化完了。
- 1979年(昭和54年)6月1日:運賃改定。大人70円に値上げ(+10円)、子供40円に値上げ(+10円)。
- 1980年(昭和55年):軽快電車2000形を導入。
- 1981年(昭和56年)9月1日:運賃改定。大人80円に値上げ(+10円)、子供はそのまま40円。
- 1982年(昭和57年)7月23日:長崎大水害により、同日夕方から同年7月26日までの間全線運休。
- 1983年(昭和58年)8月4日:運賃改定。大人90円に値上げ(+10円)、子供50円に値上げ(+10円)。
- 1984年(昭和59年)6月1日:運賃改定。大人100円に値上げ(+10円)、子供はそのまま50円。
- 1987年(昭和62年)4月6日:電鉄原爆殉職者の碑除幕式を挙行。長崎電気軌道OBが松山町の爆心地公園(平和公園交番そば)に碑を建立。
[編集] 平成
- 1990年(平成2年)
- 1998年(平成10年):昭和町通電停を一時廃止し、千歳町電停を設置。昭和町通電停はのちに赤迫方面のみ復活。
- 1999年(平成11年)8月31日:赤迫 - 石橋線廃止。
- 2003年(平成15年):超低床電車3000形を導入、専用ダイヤを設ける。
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)4月30日:本社にあった路面電車資料室を移転して長崎西洋館内に路面電車資料館を開館。
- 2011年(平成23年)2月15日:超低床電車5000形を導入。
[編集] 経営体制
長崎市は狭隘な谷間に線状に市街地が形成され、面的広がりを持たない。これは、公共交通機関を運営するにあたり集客の面で有利な条件である。また、均一制運賃の採用、車両や線路の敷石などを他の企業から譲り受け、カラー電車、電車内の広告などの宣伝料により黒字経営を実現している。長崎市北部、滑石方面への延伸計画があるが、勾配、道路幅の制約、建設費といった問題があり、進展していない。長崎駅付近の連続立体交差化事業により、高架駅となる長崎駅下へ路面電車を延伸する予定があり、そこからさらに浦上川対岸の稲佐・飽の浦方面へ延伸する構想も出している。この構想は旭大橋の架け替えが条件となっている[3]。
運賃は1984年(昭和59年)6月1日にそれまでの1乗車90円から100円(子供は50円)に改定して以降、25年にわたり値上げを行わなかった。1989年の消費税導入、1997年の同税率引き上げの際も、「10円の値上げは便乗値上げになる」として消費税は転嫁されず、100円のまま据え置かれた。さしずめ100円均一運賃のコミュニティバスの先駆者的な存在とも考えられる。2008年に今後のバリアフリー対応や運行情報管理システムなどの導入といった設備投資や安全対策で経費の増大が見込まれるため、2009年度以降運賃を値上げする方針であることが明らかにされ[4][5]、2009年8月3日に同年10月1日より運賃を1乗車120円(子供60円)に値上げすることを決定し、九州運輸局に認可申請をして[6]、同年8月31日に認可された。そして、同年10月1日より25年ぶりに運賃を値上げし、120円とした。
11枚綴り1000円の回数券を発行していたが、2008年3月20日より、順次長崎スマートカードが利用できるようになり、2008年12月にツーマン車(150形・160形)を除いた全車両で使用可能となったため、回数券は2008年12月31日に発売を終了した。2009年9月30日まで使用可能で、それ以降は2009年12月31日まで払い戻しとなる。また、長崎スマートカード導入とともに運賃箱が自動両替機付きのものに更新されていて、薬袋のような両替袋と手動運賃箱もツーマン車を除いて姿を消した。ただし、ながさきみなと祭りや精霊流しなどで混雑する場合は係員が手動運賃箱と長崎スマートカードのカードリーダーを持って電停に立つ。 長崎スマートカードの全車両対応により2009年1月1日より築町電停で貰える乗り継ぎ券は、現金・回数券利用者のみとなり、スマートカード利用者は自動的に乗りつぎ後の乗車が無料になるよう設定されている(ただし、30分以内の時間制限あり)。2009年1月10日より長崎電気軌道でも定期券タイプの長崎スマートカードが発売されている。 また、長崎市内のおもな観光地に行けるため、観光客・修学旅行生の利用も多く、そのような利用者は1枚500円の「1日乗車券」を利用することもある。500円という金額は他都市のフリー切符よりは安い方だが、通常運賃が120円のため5回以上乗らないと元が取れない[7]。なお、1日乗車券は車内では販売していないので、乗車前に売店などで購入する必要がある。
2007年7月2日、九州運輸局から2006年に起こした3件の追突・接触事故を報告しなかったとして、安全管理などの改善を求める行政指導を受けた。事故の中には、運転士が骨折する事故もあったが、会社は「軽微な事故と認識していた」という[8]。
[編集] 運行
下記の5系統が運行されている。
- ■1号系統(青)
- 赤迫 - 住吉 - 浦上車庫前 - 長崎駅前 - 大波止 - 西浜町 - 正覚寺下(約6分間隔)
- □2号系統(白)
- 赤迫 - 住吉 - 浦上車庫前 - 長崎駅前 - 大波止 - 西浜町 - 公会堂前 - 蛍茶屋
- ■3号系統(赤)
- 赤迫 - 住吉 - 浦上車庫前 - 長崎駅前 - 桜町 - 公会堂前 - 蛍茶屋(約6分間隔)
- ■4号系統(黄)
- 蛍茶屋 - 公会堂前 - 西浜町 - 正覚寺下(約12分間隔)
- ■5号系統(緑)
- 蛍茶屋 - 公会堂前 - 西浜町 - 築町 - 石橋(約7分30秒間隔)
- 2号系統は深夜往復1便ずつ運行しているのみで、時刻表・路線図などでは廃線に近い扱いとなっているが、越年運転時には深夜に約8分間隔で運行されるほか、精霊流しなどのイベント時、あるいは何らかの事情で3号系統が運休となった時に振り替えて運行されることがある。最近の事例では低床車両である3000形が導入された2005年に、3000形専用ダイヤの中に一時的に組み込まれていたほか(同形増備に伴い廃止された)、2007年5月に公会堂前で発生した3号系統の脱線事故の影響で、5月24日 - 7月18日まで2号系統の赤迫行きが代替として終日運行されている(蛍茶屋行きは3号系統で通常運行)。
- 以前は早朝深夜などの時間帯に本数が少ないものの赤迫 - (大波止)- <築町折り返し> - 石橋(7号系統)も運行されていたが、1999年8月31日で廃止されている。このため現在赤迫 - 石橋へ行くためには築町での乗り換えが必要となる。
- このほか、出入庫系統として、浦上車庫前 - 赤迫(通称Z系統)の運行や、イベント時や繁忙期などに臨時便として赤迫、浦上車庫前 - 築町などの運行もある。方向幕は2号系統と同じく白であり、系統番号はない。また臨時便の場合、車内放送も次の停留所の案内のみを表す簡単なものが使われることもある。
- 2000年10月ごろに試験的に駅前環状線の運行が行われた。長崎駅前 - 桜町 - 公会堂前 - 西浜町 - 築町 - 長崎駅前のルートで運行されたが、利用者がそれほど多くなく、定常化には至らなかった。
- 2012年現在は、赤迫-(大波止)-石橋ではなく、赤迫-(大波止)-築町が7号系統とされているが、運行上の名称であるために旅客案内で使用されることはない。
[編集] 路線
下記の5路線計11.5kmを有している。全線軌間1435mm、直流電化 (600V)。
- 赤迫支線
- 赤迫 - 住吉間 0.4km(全線複線)
- 1・2・3号系統が走っている。全列車が本線に直通し、赤迫支線のみの運行はない。
- 本線
- 住吉 - 正覚寺下間 6.9km(全線複線)
- 電停
- 住吉 - 昭和町通り(赤迫行きのみ停車) - 千歳町 - 若葉町 - 長崎大学前 - 岩屋橋 - 浦上車庫前 - 大橋 - 松山町 - 浜口町 - 大学病院前 - 浦上駅前 - 茂里町 - 銭座町 - 宝町 - 八千代町 - 長崎駅前 - 五島町 - 大波止 - 出島 - 築町 - 西浜町 - 観光通り - 思案橋 - 正覚寺下
- 1・2・3号系統が走る長崎電気軌道の主要路線(4・5号系統も途中のごく一部区間のみだが走っている)。
- 本線・赤迫支線の運行経路は長崎自動車の主要路線(1番系統北部方面行きや20番系統長崎新地ターミナル行きなど)と競合している。このため、道の尾・滑石・時津・長与方面から長崎市内へ通っている通勤・通学客は、朝は赤迫や住吉で路面電車に乗り換える(夕方はその逆)ケースが目立つようになっている。
- 2005年(平成17年)6月1日から長崎自動車が大学病院線を運行の際、大橋電停に横付けするような形でバスを運行している。同一電停における電車とバスの乗り継ぎはヨーロッパでは普及しているが、日本ではまだ珍しい。
- 岩屋橋 - 浜口町間は併用軌道ではなく専用軌道である。
- 1944年1月に戦争時の急行運転を開始する前は現在よりもっと電停の数が多く、山王神社前電停(現在の大学病院前 - 浦上駅前間)、本社前電停(現在の茂里町 - 銭座町間)などが存在した。詳しくは下のおもな廃止電停を参照。
- 築町電停開業前は、現在の出島 - 築町間に千馬町電停が存在し、大浦方面への乗り換え電停となっていた。
- 桜町支線
- 長崎駅前 - 公会堂前間 0.9km(全線複線)
- 通常は3号系統のみが走る。
- 線路の構造としては桜町 - 公会堂前(長崎警察署前の電停) - 公会堂前(長崎市民会館前の電停) - 賑橋へと接続することも可能になっているが、この路線は精霊流しなどで大波止方面の道路が車両通行止めになったときの臨時便でしか使用されない。
- 「古町支線」と記載されている資料も存在する。
- かつては桜町付近からは現在のようにトンネルで公会堂前電停へ抜けるルートではなく、急勾配を上って現在の勝山市場付近を通り、諏訪神社方面へ抜けるルートになっていた。
- 大浦支線
- 築町 - 石橋間 1.1km(大浦海岸通 - 石橋間単線(単線自動閉塞式))
- 蛍茶屋支線
- 西浜町 - 蛍茶屋間 2.2km(全線複線)
- 2・3・4・5号系統が走る。
- 蛍茶屋電停は折り返し可能な島式1面2線の電停。線路はそのまま車庫へ繋がっている。
[編集] 電停番号
知名度はあまり高くないが、昭和末期[9]から各電停に番号が振られている(駅ナンバリング)。赤迫電停から順に11番から通しで全電停(昭和町通り電停を除く)に振ってある。なお、電停廃止により欠番が生じた場合でも番号は詰めない。詳しくは各系統の記事を参照。
[編集] おもな廃止電停
- 岡町…大橋 - 松山町間
- 下の川橋…松山町 - 浜口町間
- 浦上…浜口町 - 病院下間(旧線区間)
- 病院下…浦上 - 坂本町間(旧線区間)
- 坂本町…坂本町 - 浦上駅前間(旧線区間)
- 岩川町…大学病院前 - 浦上駅前間
- 竹の久保通…現在の茂里町電停付近
- 本社前……竹の久保通 - 井樋の口間(旧線区間)
- 井樋の口…現在の銭座町電停付近
- 稲佐橋通…現在の宝町電停付近
- 寿橋…稲佐橋通 - 八千代町間(旧線区間)
- 千馬町…出島 - 築町間
- 恵美須町…長崎駅前 - 豊後町間
- 豊後町…現在の桜町電停付近
- 古町…公会堂前 - 諏訪神社前間
- 馬町…現在の諏訪神社前電停付近
- 桜馬場町…新大工町 - 新中川町間
- 中川町…新中川町 - 蛍茶屋間
- 酒屋町…賑橋 - 公会堂前間
- 入江町…築町 - 市民病院前間 (ダイエー長崎店前付近)
- 出師橋…入江町 - 市民病院前間
[編集] 施設等
- 本社 - 長崎市大橋町4-5
- 西町営業所、浦上車庫、工場を併設。
- 蛍茶屋営業所 - 長崎市中川2丁目14-16
- 蛍茶屋車庫 - 長崎市中川2丁目15-8
- 赤迫配車室 - 長崎市中園町21
- 西浜町臨時発売所 - 西浜町(1・5号系統)電停付近の歩道上
このほか変電所、駐車場、貸しビルを所有する。
[編集] 車両
[編集] 現有車両
- 150形 151(元箱根登山鉄道小田原市内線200形)※過去には152 - 155も存在した
- 160形 168(元西鉄福岡市内線100形)※過去には161 - 163・166・167も存在した
- 201形 201・203・205・207・209
- 202形 202・204・206・208・210
- 211形 211 - 216
- 300形 301 - 310
- 360形 361 - 367
- 370形 371 - 377
- 500形 501 - 506(大阪市電1701形の機器流用車)
- 600形 601(元熊本市電170形)※過去には602も存在した
- 700形 701(元東京都電杉並線2000形)※過去には702 - 706も存在した
- 1050形 1051(元仙台市電モハ100形)※過去には1052 - 1055も存在した
- 2000形 2001(1980年製の軽快電車。2002号は2010年3月引退)
- 1200形 1201 - 1205(西鉄北九州線の機器流用車)
- 1300形 1301 - 1305(西鉄北九州線300形の機器流用車)
- 1500形 1501 - 1507(西鉄北九州線600形の機器流用車)
- 1700形 1701・1702(700形の機器流用車)
- 1800形 1801 - 1803(西鉄北九州線600形の機器流用車)
- 3000形 3001 - 3003
- 5000形 5001 - 5002
[編集] 過去の車両
- 自社発注4輪単車 1 - 63
- 120形 121 - 130(元大阪市電)
- 80形 81 - 85(元京都市電)
- 130形 131 - 134(元阪急北野線)
- 110形 111 - 120(元西鉄大牟田市内線)
- 有明形 1・62・121・134(各二代目、元西鉄福岡市内線)
- 170形 171 - 177(元西鉄福岡市内線100形)
- 800形 801・802(元都電3000形)
- 87形 87・88(元西鉄福岡市内線花電車)
元の形式は不明だが、長崎市内に路面電車の廃車体を利用した洋食屋「キッチンせいじ」がある。
[編集] 日本初・日本一
- 日本初の車体広告(カラー電車、1964年)
- 日本初の商業ビル内を走る路面電車(浜口町 - 松山町間の長崎西洋館)
- 路面電車としては日本一安い運賃(一律120円)
- 現役営業車両としては日本最古かつ唯一の木造電車(160形168号 明治44年製)
[編集] カラー電車(車体広告)
日本で初めて車体広告(現在のラッピングフィルムによるものではなく、塗装によるもの)を採用した公共交通機関で、1964年に開始された。初のスポンサーは鐘紡だった。地元企業から全国的に有名な企業のものまで数多くのパターンがあり、特に有名なのは1500形・1506号車の日清チキンラーメン号であるが2010年夏に終わり今は通常塗装で走っている(ただし、最新鋭の3000形は車体広告の実績がない)。また、鉄道繋がりからかハドソンのゲーム「桃太郎電鉄」の広告が採用されたこともある。契約は月単位で、号車によってはデザインがめまぐるしく変わるものもある。1801号は「じゅうはちがいちばん」と語呂合わせできるため、地元銀行の十八銀行が頻繁に使用している。2004年度から長崎電気軌道の主催でカラー電車の人気投票も行われている。
なお、長崎の景観に配慮して、全在籍車両の40%を超えないように調整されている。
[編集] 系統板
現在は方向幕に行先・系統番号を表示し、色も系統に合わせたものになっているが、1984年前後までは軽快電車2000形および、当時最新鋭の1200形を除いて、系統板を車両前方に掲げていた。
系統板は系統に割り振られた色をバックに番号が書かれていた(1号系統はバックは白だった)。
[編集] 長崎電鉄バス
長崎電気軌道がかつて行っていたバス事業の名称。長崎電軌バスやN.E.T.の名称も使われていた。
1932年1月、長崎 - 諫早間の乗合自動車運輸営業願書を、翌年には長崎市内の同願書を提出したが、長崎県営バス(長崎県交通局)が1934年3月に開業したために、長崎電軌は諫早線の願書を取り下げた。さらに、1936年4月には長崎バス(長崎自動車)も開業したが、それでも1950年頃までは、長崎市内唯一の交通機関は路面電車であった。 しかし、戦後の経済復興によりライバル会社による市内のバス運行が急激に拡充されていったため、軌道業防御の目的で再び乗合バスの免許を申請し、1953年4月1日から蛍茶屋 - 住吉間の電車路線と並行の市内線バス営業を開始した。都市計画による道路新設拡幅にともない、路線を延長していき、1955年3月1日からは一般貸切バスを、1963年9月16日からは定期観光バスも営業を開始した。ただ、主要路線は既に長崎バスに押さえられていた影響もあり、事業経営は思わしくなかった。さらに、モータリゼーションの進展がバス事業はもとより路面電車事業にも打撃を与え、長崎電気軌道自体も経営不振に陥ってしまった。このままではバス事業・路面電車事業ともに共倒れになると考え、経営陣は1971年3月1日にバス部門を長崎自動車へ完全譲渡して、路面電車に一本化した。
このような状況に陥ったバス事業兼営の路面電車事業者は路面電車を廃止してバスに一本化したケースが多く、バスを廃止して路面電車に一本化したケースは全国でも珍しいが、これはバス路線が長崎バスや県営バスと競合する区間が多かったことなどがあげられる。
また、石原裕次郎主演の映画『若い力』では、この会社のバスが登場している。
1967年12月5日、バス事業における未開発路線をカバーする目的と、長崎市内のタクシー車両数の不足、滑石地区の開発と発展性に対しての必要性をあげて「電鉄タクシー」の経営免許の申請書を福岡陸運局に提出していたが、タクシー業は競合相手が多く、1970年1月24日に申請は却下されている。
[編集] 路線
バス事業末期の路線。番号と運行系統。
- 3…大橋 - 西城山小入口 - 中央橋
- 4…大橋 - 県営住宅前 - 中央橋
- 5…大橋 - 若草町 - 中央橋
- 16…大橋 - 大学病院前 - 中央橋
- 39…昭和町 - 市役所前 - 中央橋
- 25…西町 - 桜町 - 蛍茶屋
- 105…西町 - 大波止 - 中央橋
- 106…葉山 - 大波止 - 中央橋
- 42…西町 - 市役所前 - 中央橋
- 48…葉山 - 市役所前 - 中央橋
- 31…蛍茶屋 - 市役所前 - 西町
- 87…中央橋 - 市役所前 - 寺川内
- 86…中央橋 - 滑石団地内 - 寺川内
- 34…江平中学校前 - 大学病院前 - 長崎駅前
- 97…江平中学校前 - 大学病院前 - 正覚寺下
- 98…江平中学校前 - 大学病院前 - 中央橋
[編集] 脚注
- ^ 交通船と路面電車セットの料金
- ^ 1922年(大正11年)7月10日創業。
- ^ 「「長崎港」を再生整備へ 交流人口増めざす[リンク切れ]」長崎新聞 2008年12月27日。
- ^ 「“最安運賃”の長崎電気軌道、来年度以降値上げ方針[リンク切れ]」 長崎新聞 2008年7月4日。
- ^ 「聞きたい言いたい:松本容治さん(58)=長崎電気軌道社長=[リンク切れ]」 長崎新聞 2008年7月4日。
- ^ 「上限運賃変更認可申請について (PDF)」長崎電気軌道、2009年8月3日。
- ^ 1977年の販売開始から2009年9月30日までは6回以上乗らないと元が取れなかった。
- ^ “長崎電気軌道:骨折しても「軽微な事故」 運輸局が指導”. 毎日新聞. (2007年7月3日)[リンク切れ]
- ^ 1985年発行の社史『ふりかえる二十年のあゆみ』に、番号が記された電停の写真が記載されている。
[編集] 参考文献
- 『ふりかえる20年の歩み』長崎電気軌道、1985年
- 田栗優一『長崎「電車」が走る街 今昔 海と坂の街定点対比』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年 ISBN 9784533059872
- 市制百年 長崎年表、1989年(平成元年)4月1日
[編集] 外部リンク
- 長崎電気軌道株式会社 - 公式ウェブサイト
- 長崎の路面電車 -個人サイトだが長崎電気軌道から資料提供を受けている公認ファンサイト
- 長崎のちんちん電車
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