大沼電鉄

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大沼電鉄(おおぬまでんてつ)は、かつて北海道七飯村(現・七飯町)と鹿部村(現・鹿部町)の間を結んでいた軌道路線およびその運営会社である。

1929年国鉄函館本線大沼駅(現・大沼公園駅)と大沼温泉・鹿部村を連絡する目的で敷設されたが、戦時中の1945年不要不急線に指定され、函館本線砂原支線の開通と同時に廃止された。戦後の1948年銚子口駅にて砂原支線と接続する形で一部の区間が地方鉄道として復活したが、長続きせず最終的に1952年に廃止された。

目次

[編集] 路線データ

※「戦前」は1945年廃止直前のデータ、「戦後」は復活後、1952年の廃止直前のデータを示す(以下すべて同じ)。断り書きがないものは両者共通のデータ。

  • 路線距離(営業キロ):17.2km(戦前)/11.3km(戦後)
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:9駅(戦前)/6駅(戦後)※起終点駅を含む
  • 複線区間:全線単線
  • 電化区間:全線電化(直流600V)
  • 閉塞方式
  • 根拠法:軌道法(戦前)/地方鉄道法(戦後)

[編集] 運行形態

1930年10月1日改正時

  • 運行本数:大沼 - 鹿部間7往復
  • 所要時間:全線17.2kmを45分

1943年4月1日改正時(終戦直前)

  • 運行本数:大沼 - 鹿部間7往復
  • 所要時間:全線17.2kmを40分

1950年9月1日改正時

  • 運行本数:新銚子口 - 鹿部間5往復
  • 所要時間:全線11.3kmを30分

[編集] 歴史

  • 1924年(大正13年)4月2日 - 大沼電鉄を設立
  • 1928年(昭和3年)4月17日 - 大沼 - 鹿部間の特許を保有していた渡島軌道を吸収合併
  • 1929年(昭和4年)1月5日 - 大沼 - 新本別間が開通
  • 1929年(昭和4年)1月31日 - 新本別 - 鹿部間が開通し全通
  • 1929年(昭和4年)6月17日 - 北海道駒ヶ岳噴火により被災し約2か月間運休
  • (時期不明) - 国鉄大沼駅へ乗り入れ開始、駅名を大沼→大沼公園、鬼柳→池田園、溜の沢→大沼温泉に改称
  • 1945年(昭和20年)6月1日 - 全線廃止
  • 1948年(昭和23年)1月16日 - 銚子口 - 鹿部温泉間が開通(銚子口駅付近を除き旧路盤を使用)。復活にあたり、廃止前の駅名を新小川→駒見、新本別→宮の浜、鹿部→鹿部温泉に改称
  • 1949年(昭和24年)2月20日 - 鹿部温泉→鹿部に改称(国鉄鹿部駅を鷹待駅に改称のため)
  • 1952年(昭和27年)12月25日 - 銚子口 - 鹿部間、全線廃止

[編集] 駅一覧

戦前
大沼駅(0.0km) - 大沼公園駅(0.0km) - 大八湾駅(1.5km) - 池田園駅(3.5km) - 銚子口駅(5.2km) - 大沼温泉駅(8.6km) - 新小川駅(10.3km) - 新本別駅(15.8km) - 鹿部駅(17.2km) ※キロ程は大沼駅起点
戦後
銚子口駅(0.0km)(貨物扱いのみ) - 新銚子口駅(0.0km) - 大沼温泉駅(2.7km) - 駒見駅(4.4km) - 宮の浜駅(9.9km) - 鹿部駅(11.3km) ※キロ程は銚子口駅起点
  • 戦前の銚子口駅と戦後の銚子口駅は別。
  • 鹿部駅は、国鉄鹿部駅とは全く離れた場所にあった。

[編集] 接続路線

※呼称は営業当時のもの

  • 大沼駅・大沼公園駅:国鉄大沼駅(現・大沼公園駅
  • 銚子口駅(戦後)・新銚子口駅:国鉄銚子口駅

[編集] 車両

開業当時に準備した車両は木造2軸電車デ1・2、木造2軸客車フ1・2、有蓋貨車ワフ1・2、無蓋貨車ト101・102の計8両で、いずれも日本車輌東京支店で製造された自社発注車両である。貨車は保有したが電気機関車や電動貨車は保有せず、電車デ1・2が客車・貨車を牽引していた。

その後、1937年(昭和12年)度内にフ2が廃車となっている。

1942年(昭和17年)には車両検査・故障時の便を図るため、富山電気鉄道(現・富山地方鉄道)から名古屋電車製作所1913年(大正2年)製の木造2軸電車デ11(もと愛知電気鉄道16→黒部鉄道デ11)を譲り受け、デ3とした。翌1943年(昭和18年)には半鋼製2軸客車のフ2(二代目)を新製している。

1945年の廃止後、デ3は1947年(昭和22年)に富山地方鉄道に譲渡され、翌年に開業した高岡軌道線(現・万葉線高岡軌道線)で使用された。1950年(昭和25年)頃、デ5010形の製造により廃車となっている。

他の車両は戦後も保管され、1948年の再開業により再び使用開始されている。その後、水産物を中心とする貨物輸送が増大したため、1950年(昭和25年)に国鉄から有蓋車ワ18452・18381、ワフ184・239・1595、冷蔵車レ1522の6両を譲り受け、ワ201・202、ワフ203 - 205、レ201として使用開始した。

1952年の廃止によりデ1・2、フ1・2は茨城交通に譲渡された。デ1・2はモハ3・4となり茨城線で、フ1・2はハフ13・14となり湊線で使用された。ハフ13・14は1963年(昭和38年)3月に、モハ3・4は1964年(昭和39年)9月にそれぞれ廃車となった。

[編集] 参考文献