名古屋鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

名古屋鉄道株式会社
Nagoya Railroad Co.,Ltd.
名古屋鉄道本社のある名鉄百貨店本店メルサ館(現・メンズ館)ビル
種類 株式会社
市場情報
東証1部 9048
名証1部 9048
略称 名鉄
本社所在地 450-8501
愛知県名古屋市中村区名駅一丁目2番4号
電話番号 052-571-2111
設立 1921年(大正10年)6月13日
業種 陸運業
事業内容 旅客鉄道事業 他
代表者 代表取締役社長 木下栄一郎
資本金 841億8451万円(2007年3月末現在)
売上高 単体:1,044億円(2007年3月期)
連結:6,969億円(2007年3月期)
従業員数 5,411名(2006年4月1日現在)
決算期 3月31日
主要子会社 名鉄バス名鉄百貨店豊橋鉄道大井川鐵道岐阜乗合自動車など
外部リンク www.meitetsu.co.jp/
  

名古屋鉄道株式会社(なごやてつどう、英称Nagoya Railroad Co.,Ltd.)とは、愛知県岐阜県を基盤とする大手私鉄である。通称、名鉄(めいてつ、英称:Meitetsu)。本業の鉄・軌道業では、この両県に総営業距離約445kmにおよぶ近鉄東武に次いで日本の私鉄第3位の路線網、第2位の駅数を擁している(日本の大私鉄御三家に数えられる)。本社は愛知県名古屋市中村区名駅一丁目2番4号、近鉄名古屋駅に隣接する名鉄名古屋駅上に設けた名鉄バスターミナルビル名鉄百貨店本店メンズ館ビル)内に置いている。

目次

[編集] 概要

名古屋鉄道は、名古屋経済界の中核名門企業「旧五摂家」の1社に数えられ(旧五摂家:旧東海銀行(現:三菱東京UFJ銀行)・中部電力東邦瓦斯松坂屋・当社)[要出典]中部地方を中心に数多くの不動産を所有する企業であり、これらの「開発事業」も経営の重要な柱となっている。関連事業を中心に多角的な企業展開を行っており、連結決算の対象・非対象併せて200社以上のグループ企業がある。

2005年に開港した中部国際空港空港連絡鉄道として乗り入れる唯一の鉄道会社でもある。

この記事は、下記のページに内容を分割しています。このテーマに関する情報については、それぞれのページをご参照ください。

[編集] 沿革

[編集] 創業・黎明期

現在の名古屋鉄道(名鉄)は、太平洋戦争の終結以前に中京圏の多くの鉄道会社が合併して成立したものであるが、その起源は1894年(明治27年)6月に名古屋市内で馬車鉄道を運行する名目で設立された企業の「愛知馬車銕道」である。

同社は当初から「電気鉄道」の運行を目論んでいたが、当時の当局(内務省)が最先端技術を使用した「電気鉄道」の設立・路線免許の申請を受け付けられず、取敢えず前例がある「馬車鉄道」として設立許可・路線免許の出願(取得)を勧められて発足した。ただ、これには諸説があり、「電気鉄道」免許に関しては、1892年(明治25年)から内務省の事務取扱いが規定されたとの記録もある事から、発足時の資金不足に加えて、馬車鉄道免許を先行して出願していた「名古屋馬車鉄道」との統合(競願取下げ)も視野に入れた、企業(起業)戦略の一環との見方もある。

[編集] 名古屋電気鉄道の発足

会社発足後も引き続き「電気鉄道」事業への参入を模索し、この時点では唯一の先行事例である京都電気鉄道(後、市営化され京都市電となる)から出願方法や資金的・技術的な支援を受けつつ、改めて「電気鉄道」の路線(動力変更)免許を得て、1896年(明治29年)6月には社名を「名古屋電気鉄道」(名電)に改め、京都市についで日本で2番目の電車運行を開始した。以後、同社は市内各所へ網の目のように路線網を構築し、併せて1910年(明治43年)に初の郊外路線を開業して、以降は尾張北中部の各市町と名古屋市を結ぶ郊外路線を充実させていった。

明治末期から大正時代に入ると、東京市(当時)はじめ主要都市では市内電車の「市営化」が進み、名電も名古屋市から市内路線の買収を申し入れられていた。当時の名電は郊外路線の拡充に精力を傾けている時であり、ドル箱である市内路線の譲渡は会社の存立基盤を危うくするため、時代の趨勢は感じつつも譲渡時期の引き延ばしを図っていた。 折り悪しく「大正デモクラシー」の風潮も手伝って、1914年(大正3年)には名電の運賃値上げが大きな社会問題化して、独占事業に対する批判と「電車市営化」を訴える世論が一気に沸騰し、ついには市民(群集)による本社・駅設備・車両等に対する焼き討ち事件が発生した。事態収拾に向けて名古屋市と話し合い(市長・議会・名電の三者会談)が持たれた際、運賃改定(値上げ)時は必ず市当局(議会)の同意を得ること、25年後には市内線全線を名古屋市へ譲渡する旨の約束を迫られ、名電側はやむなく受諾した。

[編集] 郊外路線の分離・(旧)名古屋鉄道の発足

1919年(大正8年)に熱田電気軌道を合併した後、熱田線の整備を行うためには道路拡幅を市当局から要請され、いずれ譲渡する路線に多額の工事費・移転補償費を支出する是非が社内で議論された。前後して、改めて市当局から早期の市内線譲渡を迫られたこともあり、約束の譲渡期限まで20年近く残っていたが、この際、前倒しで市内線の譲渡を決断し、その前段階として名電は1921年(大正10年)6月に郊外線部門を引き継ぐ(旧)「名古屋鉄道」を新たに設立(会社を分割)し第二の創業とした。

1922年(大正11年)8月に名古屋市電気局(後の名古屋市交通局)へ市内線部門を乗務員ごと譲渡して名古屋市電が発足し、(旧)名古屋鉄道の発足後も、残った市内線の営業を続けていた名電は会社を解散・清算した。なお、市営化後も柳橋-押切町間の郊外線から市内線への乗入れ(営業権)は、譲渡条件として保持されたまま(当該区間は市営・名鉄の二重免許区間)であった。

[編集] 1921年当時の名古屋電気鉄道保有路線

市内線
  • 栄町線:名古屋駅 - 千種間
  • 押切線:志摩町 - 押切町
  • 公園線:赤塚 - 門前町間
  • 築港線:熱田駅 - 築港間
  • 江川線:浄心 - 船方間
  • 覚王山線:西裏 - 覚王山間
  • 片端線:明道橋 - 平田町間
  • 大曽根線:東新町 - 大曽根間
  • 堀内線:名古屋駅 - 那古野間
  • 熱田線:栄町 - 東築地間(熱田伝馬町 - 東築地間は、元熱田電気軌道の路線)
郊外路線


[編集] 愛知電気鉄道の発足

また、1909年(明治42年)には、名古屋以西の路線(名古屋本線東枇杷島駅以西・犬山線など)を建設していた名古屋電気鉄道に対し、以東の路線(名古屋本線の神宮前駅以東・常滑線など)を建設する事になる「知多電車軌道」(後に「愛知電気鉄道」と改称)も設立された。

愛知電気鉄道(愛電)は、1910年に知多半島西岸の振興と、それまで舟運に頼っていた常滑焼など特産品の効率的な運送を図るために設立された鉄道会社で、1913年に現在の常滑線を全通させ、続いて旧東海道沿いに名古屋市三河地方との連絡を意図した路線(現在の名古屋本線神宮前駅以東に当たる)の建設を開始した。一方、官設鉄道(後の国鉄・現JR)東海道本線以外に、私鉄による第2幹線を建設しようと「東海道電気鉄道」という会社が設立され、愛知郡御器所村(現名古屋市昭和区)から豊橋市に至るまでの路線免許を得て、さらに豊橋市から浜名湖北岸をまわり浜松市に至る計画を持っていた遠三電気鉄道にも出資していたが、その最大の資本提供者で過去に日本電気鉄道(東京-大阪間電気鉄道敷設計画)の計画も推し進めていた安田善次郎が1921年に暗殺されたため、計画は宙に浮いてしまうことになった。

そこで、東海道電気鉄道の創設者であり愛知電気鉄道の経営にも携わっていた福澤桃介福澤諭吉の娘婿)は、当時有松裏駅(現・有松駅)まで開通していた愛電有松線と、東海道電気鉄道の免許線との接続(知立付近)を計画し、同鉄道は愛電に吸収合併された。同鉄道は当初から画期的な高速鉄道を目指しており、それに見合う高規格で愛知県東端にある豊橋市まで建設された。このため設備投資が嵩んで相当な負債を抱えており、あまつさえ、当時の日本はアメリカに端を発した世界恐慌による強烈な不況風が全国に吹き荒れていたこともあって、愛電は深刻な経営難に陥っていた。

その後、福沢は経営責任を取る形で愛電から手を引いたものの、福沢の理想主義的で強引な経営手法を間近に見て学んだ藍川清成らが経営を引き継ぎ、結局、会社の体質そのものは変わらなかった。

[編集] 「名鉄」誕生の経緯

現在の名鉄は、1935年(昭和10年)に、(旧)「名古屋鉄道」が1930年(昭和5年)9月に改称した「名岐鉄道」(名岐)「愛知電気鉄道」(愛電)が合併して誕生したものである。

合併前の名岐は多額の内部留保を蓄えて名古屋式経営のお手本とも言うべき無借金経営を行っていたが、愛電は多額の負債(当時の金額で226万円)を抱えており、資本金の規模こそほぼ同等(名岐1910万円・愛電1709万円)ではあったが、その財務内容には雲泥の差が付いていた。

折りしも1930年代の日本は、世界恐慌を境として大陸(現在の中国など)への進出・利権を廻り、欧米列強との対決(戦時)色が強くなり始めた頃であり、民間企業の間にも競争から合同(民族団結)への機運が次第に高まってきた。この時点では、戦時立法である「国家総動員法」や「陸上交通事業調整法」の成立前であったが、長引く昭和恐慌の影響もあって、愛電の経営が危機に瀕していることから、当地の交通事業を再編(統合)して安定した鉄道輸送を図るべく、名古屋財界の有力者を中心に民間主導の型で検討・折衝が進められることとなった。

当初名岐側は、事実上「愛電の救済合併」との意味合いが強く、相当に不利となるこの合併を渋っていたものの、当時の名古屋市長が仲立ちしたこともあって結局この話を断れず、更には愛電側の顔を立てるため、表面上は対等合併(合併比率は名岐1:愛電0.8)の形を取って行われた。

このため、新生「名古屋鉄道」初代社長には名岐社長である跡田直一の就任が内定していたが、合併日(8月1日)を目前にして病死(7月17日)した事から、急遽、愛電社長の藍川(同副社長に内定)が繰上がる形でその座に就く事となり、旧名岐の社員からは、病床にあった跡田の死を見越した「藍川の会社乗っ取り」との声も聞かれた。

「陸上交通事業調整法」が施行された後も、愛知・岐阜の交通各社は法律(強制統合)の直接的な対象とはならず、名鉄を中心とした統合は「戦時」と言う時勢の後押し(法律の趣旨に沿うための半強制的な風潮)はあったものの、形式上は各社の自主的な判断で行われた。

[編集] 戦中・戦後の動き

合併後の名鉄は最初の課題として、旧名岐鉄道路線(西部線)と旧愛知電気鉄道路線(東部線)の連絡線建設を進め、国鉄(当時)名古屋駅の移転跡地を譲受し、そこに新ターミナルとして地下駅の「新名古屋駅」(現、名鉄名古屋)を建設・開業し、新生名鉄(東西連絡)のシンボルとした。

新駅には手狭になった西部線のターミナル押切町を置き換える目的もあったため、まず西部線から建設を進め、次第に物資統制が厳しくなる中にあって1941年(昭和16年)に完成・開業させ、その後、東部線のターミナル神宮前までの路線建設に着手し、1944年(昭和19年)に連絡線が開通した。その間、太平洋戦争の開戦など情勢は日増しに悪化する中、戦時緊急整備路線の指定を受けて鉄道省(当時)の全面的な協力を得たものの、それでさえ建設資材の調達には困難を極め、不用不急路線・設備の転用を図り、更には新名古屋~山王間の高架橋部分を一部木材で代用するなど、急場しのぎの工事であった。また、線路は一応繋がったものの、当初同時期に予定された西部線の昇圧工事はこの情勢では見送らざるを得ず、金山を境にして以西は架線電圧が600Vに据え置かれ、結局、架線電圧が1500Vの東部線とは直通運転が出来ないままに終戦を迎えた。

終戦直後は、名鉄も他の各私鉄・国鉄(当時)と同様に車両や設備の疲労・消耗が激しく、定時運行も侭ならない、更には満足な資材とて揃わない中ではあったが、いち早く西部線の主要各線を東部線と同じ1500Vへ昇圧する工事に着手し、東西路線の一体化を戦後復興の第一目標に据えて取り組んだ。この結果、戦災の傷が未だ癒えない1948年(昭和23年)には第一次の昇圧工事が完成し、新岐阜(現、名鉄岐阜)・新鵜沼・津島~新名古屋(現、名鉄名古屋)~神宮前~豊橋・常滑間などが一体的に運営(直通運転)されるようになり、現在の運行形態の基礎が出来上がった。

なお、合併前の1929年(昭和4年)にも名古屋地下鉄道として直通路線の構想は存在したが、着工までに至らなかった。

[編集] 主要年表

[編集] 愛知馬車銕道~名岐鉄道

[編集] 愛知馬車銕道・名古屋電気鉄道
  • 1893年(明治26年)6月 名古屋駅前~県庁前・名古屋駅前~枇杷島間に馬車鉄道敷設特許を申請(1894年3月特許)。
  • 1894年(明治27年)6月 愛知馬車銕道設立。
  • 1896年(明治29年)6月 愛知馬車銕道、動力を馬から電気に改めて社名を名古屋電気鉄道に改称。
  • 1898年(明治31年)5月 笹島~県庁前(現在の名古屋市中区栄付近)間を開業。京都に次ぐ、日本で2番目の電車営業を開始した。
  • 1901年(明治34年)2月 路線拡張に乗務員の増員が間に合わず、初の労働争議が発生。乗務員が2日間ストライキを行う。
  • 1906年(明治39年)12月 尾張電車鉄道一宮電気鉄道が名古屋電気鉄道への吸収合併に合意し、競願していた押切~岩倉~一宮間・押切~津島間・岩倉~犬山間の軌道敷設特許を取得。名古屋市郊外へ進出する足掛かりを掴む。
  • 1912年(明治45年)3月 アメリカのインターアーバン視察を元に、初の郊外線となる押切駅(当時の名古屋側ターミナル駅、後の押切町駅)~枇杷島駅(後の枇杷島橋駅、現・枇杷島分岐点)間開業。
    • 以後、現在の名古屋以西の路線にあたる、犬山線一宮線津島線などを順次開業。当時これらの郊外路線を、名古屋市外への路線という意味から「郡部線」と総称した。
  • 1913年(大正2年)11月 郡部線の始発駅として柳橋駅開業。郡部線車両の市内線(押切町~柳橋間)乗入れ開始。
  • 1915年(大正4年)10月 皇太子(当時、後の昭和天皇)市内線(白鳥~築港間)にご乗車。
  • 1919年(大正8年)4月 熱田電気軌道を合併。
  • 1921年(大正10年)6月 市内線(路面軌道)部門を全て名古屋市へ譲渡するための準備として、「郡部線」部門の経営母体となる(旧)名古屋鉄道を名古屋電気鉄道の全額出資会社として設立。

[編集] (旧)名古屋鉄道・名岐鉄道
  • 1921年(大正10年)7月 名古屋鉄道、名古屋電気鉄道から「郡部線」部門の譲渡(資産の現物出資と「郡部線」を担当する社員の移籍)を受ける。
  • 1922年(大正11年)8月 名古屋電気鉄道、市内線部門も名古屋市に譲渡(移籍)して解散。市内線部分は名古屋市電(名古屋市電気局。現交通局)となる。
  • 1925年(大正14年)8月 1896年(明治29年)6月に創立され、現在の尾西線を当時運営していた尾西鉄道が名古屋鉄道に合併される。
  • 1927年(昭和2年)11月 昭和天皇が犬山行幸時に押切町~犬山橋間を往復ご乗車。
  • 1928年(昭和3年)4月 岐阜へ直接向かう路線の延長を計画し、その第一歩となる押切町駅~新一宮駅(現名鉄一宮駅)間が開業。
  • 1930年(昭和5年)8月 1909年(明治42年)11月に創立され、現在廃止された岐阜市内線揖斐線美濃町線を当時運営していた美濃電気軌道が名古屋鉄道に合併される。
  • 1930年(昭和5年)9月 名古屋鉄道、名岐鉄道に社名変更。
  • 1932年(昭和7年)10月 省営高山線へ、温泉客用直通列車(柳橋~下呂間)を運転開始(大戦末期に中止)。
  • 1935年(昭和10年)3月 1924年(大正13年)4月に創立され、現在の各務原線を当時運営していた各務原鉄道が名岐鉄道に合併される。
  • 1935年(昭和10年)4月 木曽川橋梁の完成により新一宮(現、名鉄一宮)~笠松間が開通し、押切町~新岐阜(現、名鉄岐阜)間が全通。新製車のデボ800形電車を用いて、押切町~新岐阜間を34分で結ぶ直通特急を設定。

[編集] 愛知電気鉄道

  • 1909年(明治42年)9月 知多電車軌道設立、軌道法による熱田~常滑間の特許を申請。
  • 1910年(明治43年)11月 軽便鉄道法による鉄道に申請を切り替え、社名を愛知電気鉄道に改称。
  • 1912年(明治45年)2月 初の路線である、伝馬町(現在廃止、名古屋市熱田区)~大野間(現常滑線大野町駅)を開通。
  • 1913年(大正2年)8月 現在の常滑線にあたる、神宮前常滑間が全線開業。
  • 1917年(大正6年)3月 名古屋本線の東側の第一歩にあたる、有松線(現名古屋本線の一部)神宮前~笠寺(現本笠寺)間開業。
  • 1922年(大正11年)7月 1920年(大正9年)8月に設立され、御器所(名古屋市昭和区)~下地町(豊橋市)間の鉄道免許を得ていた東海道電気鉄道が愛知電気鉄道に合併される。
  • 1926年(大正15年)4月 豊橋線(現名古屋本線の一部)東岡崎~小坂井間開通。豊川鉄道の豊川まで直通運転を開始。
  • 1926年(大正15年)12月 1910年(明治43年)2月に創立され、岡崎新駅~西尾駅~吉良吉田駅~吉田港駅・西尾駅~平坂駅間の鉄道(西尾駅~吉良吉田駅間は現在の名鉄西尾線の一部、他は現在廃止)の鉄道を運営していた西尾鉄道が愛知電気鉄道に合併される。
  • 1927年(昭和2年)6月 伊奈~吉田(現、豊橋)間を開通により、神宮前~吉田間全通。豊川鉄道との相互乗入れ(双方の単線を相互利用して複線運転)を開始。新製の電7形電車を用いて、直通急行(1往復のみ特急)運転開始。このとき特急は63分、急行は72分運転であった。なお、この特急の表定速度は当時日本一となる59km/hを誇った。
  • 1930年(昭和5年)4月 電鉄事業と並ぶ主力事業であった電灯事業(電力供給)を分離、翌年に東邦電力へ事業譲渡。
  • 1930年(昭和5年)9月 電9形電車を用いて、神宮前~吉田間を57分で結ぶ超特急「あさひ」運行開始。
  • 1934年(昭和9年)5月 神宮前駅本屋を東海道線の西側に新築移転。

[編集] 名古屋鉄道

[編集] 戦前・戦中
  • 1935年(昭和10年)8月 名岐鉄道と愛知電気鉄道が合併、(新)名古屋鉄道が発足した(形式上は「名岐鉄道」が存続会社となって同時に(新)「名古屋鉄道」と改称し、「愛知電気鉄道」は解散した)。
    • この日より、旧「名岐鉄道」の各線を「西部線」、旧「愛知電気鉄道」の各線を「東部線」と総称した。
  • 1938年(昭和13年)5月 現在の中央道特急バスの前身となる、名古屋~飯田間の急行バスを飯田街道(国道153号線)経由で運転開始(1941年8月休止、1952年7月再開)。
  • 1939年(昭和14年)9月 1902年(明治35年)3月に創立され、現在の瀬戸線を当時運営していた瀬戸電気鉄道を名鉄が合併。
  • 1940年(昭和15年)9月 1922年(大正11年)3月に創立され、現在の豊橋鉄道渥美線を当時運営していた渥美電鉄を名鉄が合併。
  • 1941年(昭和16年)6月 1912年(明治45年)に創立され、現在の三河線蒲郡線を運営していた三河鉄道を名鉄が合併。
  • 1941年(昭和16年)8月 東枇杷島駅(移設)~新名古屋(現、名鉄名古屋)駅間を開業。「郡部線」当時からのターミナルであった押切町駅~東枇杷島駅間と柳橋駅までの市電乗り入れを廃止し、国鉄(現JR)名古屋駅前に地下線(駅)で乗り入れる。
  • 1943年(昭和18年)2月 1927年(昭和2年)に創立され、現在の河和線を運営していた知多鉄道を名鉄が合併。
  • 1943年(昭和18年)3月 1926年(大正15年)に創立され、現在の広見線の一部区間を当時運営していた東美鉄道と、1919年(大正8年)に創立され、現在の竹鼻線を当時運営していた竹鼻鉄道を名鉄が合併。
  • 1943年(昭和18年)8月 子会社の名鉄自動車へ名鉄直営のバス事業を譲渡・統合。同時に愛知県内の尾三自動車ほか4社も名鉄自動車が合併。
  • 1944年(昭和19年)3月 1925年(大正14年)5月に創立され、現在の西尾線の一部を運営していた碧海電気鉄道と、1924年(大正13年)1月創立で、現在廃止された谷汲線を当時運営していた谷汲鉄道、並びに元来共に現在のJR東海飯田線の一部を運営していたが、既に鉄道路線が国家買収されていた豊川鉄道(1896年(明治29年)2月設立)と鳳来寺鉄道(1921年(大正10年)9月設立)を名鉄が合併(ただし、豊川鉄道・鳳来寺鉄道は証券類等事務上の処理のみ)。
  • 1944年(昭和19年)9月 旧名岐鉄道系の路線(西部線)と旧愛知電気鉄道系の路線(東部線)が、金山駅(翌1945年に金山橋駅に改称。現、金山駅)で繋がる。

[編集] 戦後
  • 1945年(昭和20年)12月 GHQ(駐留軍)の指導により、名古屋鉄道労働組合(名鉄労組)を結成。
  • 1947年(昭和22年)6月 名鉄自動車を合併し、バス事業を全て名鉄直営とする。
  • 1948年(昭和23年)5月 西部線の主要路線を東部線と同じ1500Vへ昇圧し、東西路線の直通運転を開始。
    • この日より、新岐阜(現名鉄岐阜)駅~豊橋駅間を「名古屋本線」と名称変更(全線に亘って路線名を見直し・変更)。
  • 1950年(昭和25年)4月 飯田線への直通運転を不定期列車で再開(1954年小坂井支線と共に廃止)。
  • 1952年(昭和27年)4月 創業記念日を(旧)名古屋鉄道の設立日である6月13日に制定。
  • 1954年(昭和29年)10月 旧渥美電鉄系の渥美線を、豊橋鉄道へ譲渡。
  • 1957年(昭和32年)7月 名鉄ビル全館完成。本社事務所をビル内に移転、業務開始。
  • 1958年(昭和33年)3月 庄内川橋梁を新橋梁へ切り替え。これにより名古屋本線の最急曲線を緩和し、枇杷島分岐点の通過速度を20km/hから40km/h(後に50km/h)へ引き上げ。
  • 1959年(昭和34年)4月 ダイヤ改正。5500系電車が登場し、量産車としては日本国内初となる料金不要冷房車の運行を開始。また、知立駅新設(移転)・配線変更により、名古屋方面から三河線への直通列車を増発。
  • 1961年(昭和36年)6月 初代パノラマカーと呼ばれる7000系電車名古屋本線の特急に就役。これにより、最高運転速度を110km/hに引き上げ認可・運行開始。
  • 1962年(昭和37年)3月 ラインパーク(現、モンキーパーク)モノレール線、日本国内初の跨座式モノレールとして開通。
  • 1965年(昭和40年)8月 戦前に行われていたが中断していた国鉄高山本線との直通運転を、神宮前駅~高山駅間に準急たかやまを新設したことで再開する。
  • 1965年(昭和40年)11月 須ヶ口駅鳴海駅間にM式ATS(速度照査式ATS)を設置。1968年(昭和43年)7月までに全線(岐阜軌道線区間を除く)の設置を完了。
  • 1967年(昭和42年)6月 名鉄バスセンター開業、本社事務所を同バスターミナルビル内に移転。
    • 日本国内初のビル(立体)型バスターミナルであり、当時としては東洋一の規模を誇った。
  • 1970年(昭和45年)6月 田神線が開通、モ600形電車を使用して新岐阜駅~美濃駅間の直通運転を開始。世界的にも稀有な軌道車両による鉄道線乗入れが始まる。
  • 1971年(昭和46年)3月 日本民営鉄道協会(民鉄協)を脱退(1982年8月に民鉄協へ復帰)。
  • 1971年(昭和46年)9月 名鉄と住友商事との共同出資で「名鉄住商車両工業」(後に名鉄住商工業へ改称)設立。日本国内で初めて車両保守部門を分社化し全面委託を行う。
  • 1973年(昭和48年)8月 岐阜市内線でワンマン運転を開始。

[編集] オイルショック後(高度経済成長期終焉後)
  • 1974年(昭和49年)9月 都市間連絡(特急)主体から急行を復活させるなど、都市圏輸送に改める白紙ダイヤ改正を実施。
  • 1975年(昭和50年)8月24日 中央自動車道・中津川~駒ヶ根間開通を機に、一般道経由で運行していた「名飯急行バス」を高速経由に改めた「中央道特急バス(現・中央道高速バス)」として開業。直営では初の高速バス路線(事業)となる。
  • 1976年(昭和51年)12月 名鉄初の本格的な3扉通勤車6000系登場。第1次オイルショック後に急増した通勤客輸送で威力を発揮し、名鉄における「通勤車」の地位を確立。
  • 1977年(昭和52年)3月 ダイヤ改正。座席指定特急のみを「特急」とし、料金不要の特急を「高速」に種別変更。
  • 1978年(昭和53年)8月 瀬戸線東大手~栄町間の地下新線が開通。長年の悲願であった名鉄線の栄新都心への乗り入れが実現。
  • 1979年(昭和54年)7月 豊田線が開通、名古屋市営地下鉄鶴舞線との間で名鉄初の都市型相互直通運転を開始。
  • 1982年(昭和57年)3月 ダイヤ改正。7000系5編成を名鉄初の線内特急の専用車(通称白帯車)に改造・運用開始。以降、特急運用の専用車化を進め、1988年(昭和63年)に特急専用車1000系「パノラマSuper」を新造・登場させるきっかけとなる。
  • 1983年(昭和58年)6月 特急列車に女性乗客掛(正式な乗務員としては戦後国内初)が乗務を開始。以降、順次増員を進めて早朝・深夜を除く全特急列車(指定席)に乗務となる。
  • 1983年(昭和58年)11月 特急座席管理システム完成、座席指定券のオンライン発売(前売)を開始。12月1日の全列車から機械発券に切り替え。
  • 1984年(昭和59年)1月 東名古屋港駅を除き貨物取り扱いを廃止。
  • 1984年(昭和59年)3月 ダイヤ改正。全線を網羅した「名鉄電車・バス時刻表」(現・「名鉄時刻表」)を初刊行。以後、ダイヤ改正毎に刊行。
  • 1985年(昭和60年)3月 ダイヤ改正。前年に八百津線へ導入した軽量気動車「LEカー」を、広見線(新可児~御嵩間)・三河線(猿投~西中金間)にも導入・本格運用を開始し、ワンマン運転を実施。
  • 1987年(昭和62年)3月 新名古屋駅(現、名鉄名古屋)全面改装工事完成。これにより、普通乗車券を含めた自動改札機の本格使用を開始(以降、主要駅の自動改札化を進める)。
  • 1988年(昭和63年)5月 全日空・名鉄グループ各社の共同出資で中日本エアラインサービス(NAL)を設立。コミューター路線の開拓に着手。
  • 1989年(平成元年)7月 金山総合駅完成。東西連絡線開業時からの金山橋駅を移転し、駅名も「金山」に改称。新名古屋駅乗入れ列車に限り100%冷房化(ただし、運用上どうしても新名古屋駅に停車する営業列車に非冷房車が連結される場合が存在したが、その場合は同駅において該当車両のドア扱いを行わないことで「100%」とした)。
  • 1990年(平成2年)4月 名鉄初のプリペイドカード「パノラマカード」を発売開始、名古屋本線金山~神宮前間の複々線化完成。
  • 1990年(平成2年)6月 サンライズバス設立。同年10月に名鉄バス蒲郡営業所(名古屋鉄道蒲郡自動車営業所)を移管し、採算(存続)の難しいバス路線を分社化する嚆矢となる。
  • 1990年(平成2年)8月 特急専用車(1000系)増備により、名古屋本線特急の120km/h運転を開始。
  • 1990年(平成2年)10月 ダイヤ改正。本線特急を指定席車と自由席車併結(一部指定席化)とし、自由席特急の性格を持っていた「高速」を統合。また、瀬戸線以外の準急を急行へ統合し、停車駅の見直し(特別停車駅による停車駅調整)を行う。またこの改正より民鉄で初めて前照灯の昼間点灯を開始。

[編集] バブル崩壊後(安定成長期終焉後)
  • 1991年(平成3年)4月 片道普通乗車券の様式を、郡部線開業時より続いた行先表示から「金額表示」式へ変更。
  • 1992年(平成4年)4月 CI導入、新社章・コーポレートカラー(メイテツブルー)等を制定し、(旧)名古屋鉄道以来の社章を変更。
  • 1993年(平成5年)8月 上小田井駅周辺の連続立体化工事完成により、犬山線も地下鉄鶴舞線と相互直通運転を開始。
  • 1994年(平成6年)6月 創業100周年を記念し、岐阜県可児市に名鉄資料館が開館。
  • 1996年(平成8年)4月 ダイヤ改正。旧型(非冷房)車淘汰により1500V路線の全車冷房化を達成。
  • 1999年(平成11年)5月 ダイヤ改正。特急列車を「出入台」・「リクライニングシート」など設備の整った専用車のみで運行開始(7000系白帯車の特急運用終了)。これに併せて、従来の「指定席車」(座席指定券)を「特別車」(特別車両券)へ変更する制度改正も実施。
  • 1999年(平成11年)10月 名鉄バス加木屋管理所を知多乗合(知多バス)へ移管。
  • 2001年(平成13年)9月 特急北アルプス号を廃止。これをもって36年間継続した(名岐鉄道の乗り入れ開始から中断をはさんで49年目を数えた)高山本線への直通運転が終了。
  • 2003年(平成15年)3月 上飯田連絡線が開通、小牧線と新規開業の地下鉄上飯田線への直通運転を開始。同時にSFカードシステム「トランパス」を小牧線に導入(SFパノラマカード発売開始)。以後、順次「トランパス」導入路線(駅)の拡大を進める。前後駅に建設されていた待避線の使用を開始し、特急などの頻度が増えた。余談ではあるが、2003年度は車両の新造が全く行われない異例の年となった。
  • 2004年(平成16年)4月 名鉄の全額出資会社として名鉄バスを設立。名鉄のバス部門を全面的に移管・分社化。同時に、岐阜市内・近郊の路線を関連会社の岐阜乗合自動車(岐阜バス)へ譲渡。
  • 2005年(平成17年)1月 空港線が正式開業。白紙ダイヤ改正により、定期列車としては初めて豊橋駅から常滑線への直通列車が運転開始。同年2月中部国際空港開港により空港連絡鉄道としての使命を担う。
    • 特別停車などで曖昧だった、列車種別を今までの特急急行・普通の3種別から快速特急・特急・快速急行・急行・準急・普通の6種別にし、停車駅の明確化を図った。
    • 空港線開業と同時に、新名古屋新一宮新岐阜の各駅を「新**」から「名鉄**」に改称する駅名変更を行う(しかし同じ「新」を冠する新鵜沼新可児新木曽川などの各駅では同様の改名は行われなかった。また、名電各務原など「名電**」と名乗る4駅やJRと同名ながら全くの別駅である春日井に関しても改名は行われず統一変更とはならなかった。新岐阜駅前については岐阜市内線の廃止が決定していたので改称されずに廃止となった)。
    • また、従来は旧字体・本字体を使用していた新那加(「那」は偏の中の横画2本が、かまえの右側へ突き抜ける字体「」であった)・瓢箪山(旧、瓢山。箪の「単」の部分が「單」)の2駅の表記を慣用の字体に変更した。
    • 空港線開業により、利用者が少ない特急列車の廃止・運行区間の縮小なども実施。
  • 2005年(平成17年)4月 岐阜600V線区(岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線)を全廃し、事実上「鉄道線」として運行されている豊川線を除き、軌道線(いわゆる路面電車路線)が消滅。これにより総営業キロ数がこれまで第3位であった東武鉄道を下回り、第2位から第3位に転落。
  • 2006年(平成18年)9月 空港特急「ミュースカイ」を除く全車特別車の列車を廃止し、他の特急列車を全て一部特別車編成とする計画を発表。
  • 2007年(平成19年)6月 ダイヤ改正。河和線に直通(河和駅に発着)する特急列車を、全車特別車編成から一部特別車編成に置き換える。

[編集] 鉄軌道事業

[編集] 路線

1894年(明治27年)の創業後、1935年(昭和10年)の愛知電気鉄道との合併により、現在の路線網が完成した。 愛知県の郊外鉄道の中では最もきめ細かい路線網であり、名古屋通勤輸送ではナンバー1の鉄道である。中京圏随一、東海地方全体ではJR東海に次ぐ最大の民間交通機関。このうち、一部路線の列車が、名古屋市営地下鉄鶴舞線上飯田線)と直通運転を行っている。名古屋地区の鉄道はJR東海、地下鉄、近鉄、名鉄の4事業体だけで、全体の約8割を占める。

営業キロ数は、鉄道線437.0km、軌道線7.2km、モノレール線1.2kmの合計445.4kmにおよぶ。2000年以降の600V線区を始めとする相次ぐ赤字線廃止が始まるまでは、日本の民鉄の営業距離の中で近鉄に次ぐ2位、駅数は1位(JR四国をも上回り、JR各社を含めても日本全国第6位)であったが、2005年4月以降は営業距離だと近鉄・東武に続く3位、駅数では近鉄に次ぐ2位となっている。

名鉄は路線全体に占める無人駅や小規模な駅の比率が、他の大都市の鉄道と比べ大変多い。路線1キロあたりの利用客や収入に関する比率も、かなり低めである。さらに名古屋都市圏よりも人口密度の低い福岡都市圏を走る西鉄よりも輸送密度が低い。これは、名古屋都市圏は他都市圏と比べて非常に車所有率が高く、道路網が卓越しているためモータリゼーションが特に進んだ地域であることが原因と言える。このため、合理化を進め、また運賃の確実な収受を行うために2003年から駅集中管理システム、2005年6月29日から小牧線、2006年4月29日から名古屋本線はじめ主要9線区に乗車券確認システムを導入、各線に順次設置を進めている。

[編集] 路線網配置

名鉄の路線網の特徴は、名古屋を中心に岐阜方面・豊橋方面双方に支線が広がっていることである。多くの支線を持つ鉄道会社は他にもあるが、大都市・名古屋から見て南北両方向に広がるのは名鉄以外に余り見られない。これを「2つの扇を広げた」と称することもある。このため支線から名古屋市内へ直通する列車の多くは、一方の支線から名古屋本線に入って名古屋市内を通過した後にもう一方の側の支線に入るという運転形態をとり、ターミナル駅の名鉄名古屋始発・終着となる列車がほとんどない。これは名鉄名古屋駅で全ての客を降ろしたり折り返さなくて済み、市内を通過する乗客は乗り換えなくともよい、という長所がある反面、ダイヤが複雑化したり、名古屋市内の区間では日中時間帯も過密ダイヤになる等の短所も抱える。なお、近年は前述した乗客の減少や中部国際空港アクセス輸送の強化により、名古屋本線から支線へ直通する列車は最盛期に比べると減少している。

また路線を多数持つ鉄道会社は、路線の正式名称と運転区間が一致せず、一つの路線名が複数の運転区間に分かれたり、複数の路線名が一つの運転区間となるケースがよくある。名鉄もこれに該当し、例えば三河線においては、路線縮小前は4つの運転区間に分かれていた。

岐阜方面西側の支線 岐阜方面東側の支線
豊橋方面西側の支線 豊橋方面東側の支線

区間・車両など独立性の強い路線

※廃止路線は閑散線区の合理化・廃止の項を参照のこと。

[編集] 運行列車種別

※各列車種別の説明は列車種別の項を参照のこと。2008年4月現在の種別を掲載しているが、同年6月29日ダイヤ改正において一部路線の運行列車種別が変更となる予定である。

路線名 運賃計算上の区分 列車種別の設定 路線名 運賃計算上の区分 列車種別の設定
快速特急 特急 快速急行 急行 準急 普通 快速特急 特急 快速急行 急行 準急 普通
名古屋本線 A 豊川線 C
西尾線 B 蒲郡線 B
三河線 C 豊田線 B
常滑線 B 空港線 B
河和線 B 知多新線 C
築港線 B 瀬戸線 B
津島線 B 尾西線 C
各務原線 B × 犬山線 B
広見線 C × 小牧線 B
竹鼻線 C 羽島線 C
モンキーパーク
モノレール線
D  
  • 運賃計算上の区分
    • A・B・C:それぞれの区分を表す
    • D:均一制運賃
    • 背景が赤(豊田線空港線知多新線羽島線):全線、または一部区間で加算額を設定している線区
  • 列車種別の設定
    • ●:設定・運行
    • ○:全車特別車の列車のみ設定・運行(快速特急・特急)
    • ◎:全車特別車・一部特別車の列車を設定・運行(快速特急・特急)
    • ×:設定しているが、この種別を名乗っての運行はない
    • -:設定なし
  • 種別の色・文字
    • 列車の方向幕(LCD式・LED式を含む)については上記の表どおり。
    • ただし、駅で掲示されていたり配布されたりしている時刻表については「普通」の種別はそのままだと見にくいので、反転して白地に黒文字となる(「準急」については緑色なので反転してしまうと休日ダイヤの黄色地と重なってしまうのでそのままである)。
    • また種別は4文字の「快速特急」「快速急行」はLCD式の広い行き先表示の場合のみそのまま表記され、その他幕式・LED式の種別表示器や駅のLED式・回転式列車表示板(ソラリー)には「快特」「快急」と略される。

[編集] 列車種別

2005年1月から路線により最高6種類の列車種別となっている。各種別の運行路線については上記を参照。

1990年~1995年、2003年~2005年の間は「特急」・「急行」・「普通」(一部線区には「特急」・「急行」が無く、また瀬戸線では「急行」・「準急」・「普通」の3種別)のみであったが、同じ種別でも特別停車駅(運行時間・行先別などにより停車の有無が変わる駅)が異なるなど、一定の法則性は確保していたものの、一般利用者にはやや分かりにくい複雑なダイヤであった。

そこで中部国際空港の開業を機に、一部の例外を除いて各種別の停車駅を明確化(固定)するため、大幅に種別を増加した。またこれに伴い、各駅の時刻表(駅配布版を含む)の表記方法も一新した。色分けは上記を参照のこと。

  • 快速特急:停車駅を最小限に抑え、名鉄名古屋駅中部国際空港駅への最速達列車。名古屋本線・常滑線以外は特急と同じ停車駅。新安城・国府通過の特急と、神宮前~中部国際空港のノンストップ特急(ミュースカイ)がこれに当たる。特急との所要時分の差は本線系統で3分、常滑線・空港線系統で8分となっている。
  • 特急:沿線)の中でも特に利用が多い駅や、沿線を代表する駅に停車駅を絞った列車。名古屋本線では新安城と国府にも停車し、常滑線では太田川や常滑などに停車する。
    • 快速特急・特急には特別車一般車とがある。これらの詳細は「名鉄特急」のページを参照。
  • 快速急行:沿線市町の代表駅、または利用者が多い駅などに停車する列車。大里・栄生・大江通過の急行がこれに当たる。使用車種にもよるが、急行と比べて必ずしも最高速度や所要時分が大幅に優るわけではない。
  • 急行:快速急行よりも名古屋本線では2駅、常滑線・犬山線では各1駅多く停車。その他の線区では快速急行と同じ停車駅に停車する列車。
  • 準急:急行の停車駅よりも、名古屋本線では5駅、瀬戸線では2駅、犬山線では1駅多く停車。各務原線は急行と同じ停車駅。
    • 英語表記は本線系と瀬戸線では異なっており、本線系は「Semi Express」、瀬戸線では「Sub Express」となっている。
  • 普通:各駅に停車する。なお名鉄では「各駅停車」の語を用いない。特急や急行の待避が多く表定速度が遅いことから、社内において「ダラ」の隠語がある。現在、豊橋駅からの発着はない。

2005年1月のダイヤ改正で、以前の「特急」は「快速特急」・「特急」の2種類へ、「急行」は「快速急行」・「急行」・「準急」の3種類へ細分化された。また、改正以前の特急標準停車駅(太田川・常滑を除く)は「快速特急」の停車駅、急行標準停車駅は「快速急行」の停車駅を基準にしたが、新たに上位列車の停車駅へ昇格した駅もある。

なお、1977年より1990年まで、それ以前の追加料金が不要の「特急」を「高速」へ、「座席指定券」が必要な「座席特急」を「特急」へ種別呼称を改めて運行していたが、「一部指定席(現・特別車)特急」ができたことで、再び「特急」に吸収された。

また、同様に1990年までは「準急」の種別も存在しており(現在と停車駅が若干異なる)、これに関しては「急行」の特別停車駅を増やして統合している(2005年の種別増加は逆の流れとみなせる)。

さらに「快速急行」の名称は、1995年から2003年まで「全車一般席車特急」の名称変更の形で存在し、それ以前にも線区を限定して運行されていたことがある。

[編集] 車両

2000系電車「ミュースカイ」
2000系電車「ミュースカイ」

名古屋鉄道の車両形式を参照のこと。

[編集] 乗務員区所

-の右側は主な乗務区間(列車により相違あり)

  • 名古屋乗務区 - 名古屋本線(原則、神宮前で交代)・竹鼻線・羽島線・尾西線・津島線・豊川線〔旧名古屋運転区+旧名古屋車掌区〕
  • 神宮前乗務区 - 常滑線・築港線・河和線・空港線・知多新線
  • 犬山乗務区 - 犬山線(本線直通列車は神宮前まで乗務)・各務原線・小牧線・広見線・地下鉄上飯田線
  • 知立乗務区 - 三河線・豊田線・西尾線・蒲郡線(いずれの線区も本線直通列車は神宮前まで乗務)
  • 喜多山乗務区 - 瀬戸線

モンキーパークモノレール線は犬山幹事駅職員が担当。

[編集] 運賃

名古屋鉄道の運賃は、営業キロではなく、あらかじめ一定の割合を乗じた「運賃計算キロ程」によって運賃を計算する。計算方法は以下の通り(子供は半額、5円の端数は切り上げ)。運賃額は2006年4月1日現在。

(例)名鉄岐阜駅 -(名古屋本線)- 神宮前駅 -(常滑線)- 太田川駅 -(河和線)- 富貴駅 -(知多新線)- 内海駅の運賃

次の区間の運賃は競合上の理由から特定額に設定されている。また、この区間内で下記の運賃を上回る区間の運賃は下記の額を採用する。

以下の区間では均一運賃を採用している。

  • モンキーパークモノレール線:150円
大人キロ制区間運賃表
キロ程 運賃 キロ程 運賃 キロ程 運賃
初乗り3km 160円 33~36 590円 73~76 1180円
4 180円 37~40 650円 77~80 1230円
5~7 220円 41~44 710円 81~85 1280円
8 230円 45~48 770円 86~90 1330円
9~12 290円 49~52 840円 91~95 1380円
13~16 340円 53~56 900円 96~100 1430円
17~20 390円 57~60 960円 101~110 1510円
21~24 440円 61~64 1020円 111~120 1600円
25~28 490円 65~68 1080円 121~130 1680円
29~32 540円 69~72 1130円 131~139 1760円
  1. 乗車する区間の、各乗車線区ごとに、営業キロを算出する。