松島電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
松島電車
路線総延長 3.8 km
軌間 1067 mm
電圧 550V 架空電車線方式直流
leer
東北本線旧線
exSTRq exBHFq exSTRq
松島
exKBHFl exSTRlg
0.0 松島駅前
STRrg xKRZ
東北本線現在線 [* 1]
STR exBHF
 ? 愛宕橋
STR exBHF
 ? 松島高城
HSTq STRrf exSTR
松島
STRq eBHFq xKRZu
宮城電気鉄道
exBHF
 ? 新富山
exKBHFe
3.8 松島海岸

  1. ^ 当線廃止後の開業
Nuvola apps kview.svg 地図外部リンク
松島電車
Searchtool.svg 停留所所在地
地図の不具合を報告

松島電車(まつしまでんしゃ)は、かつて宮城県松島町に存在した路面電車路線およびその運営会社。

概要[編集]

宮城県が日本三景松島を県立公園として整備しようとし、1902年明治35年)には観瀾亭瑞巌寺がある観光地区、さらに1909年(明治42年)には松島湾全体を県立公園に組み入れる許可を内務省から得た[1]1910年(明治43年)に県は「松島公園経営協議委員会」を設置して答申を受け、公園整備を本格化させた[1]五大堂を初めとする文化財の修復、インフラ整備、松島パークホテルの開業などを実施して、1915年大正4年)に「松島公園落成記念大会」が催行された[1]

すると、宮城県遠田郡涌谷町で電力事業を経営していた遠田電気が1917年(大正6年)に鉄道省東北本線の(旧)松島駅(現駅は後年路線付け替えで移設したもの)と松島公園内の観瀾亭前を連絡する軌道線を計画、終点を観瀾亭前から五大堂前に変更して同年特許が認可された。遠田電気は1921年(大正10年)、宮城県西北部の大崎地方電力事業を経営していた大崎水電に買収されたが、1922年(大正11年)に東北本線・(旧)松島駅と松島海岸を結ぶ3.8kmの路線として開業。その後、電気事業の県営化を計画していた宮城県により大崎水電が買収されたため、一時的に宮城県営となった。しかし県は軌道を運営する意志はなく、大崎水電の役員だった人たちに払い下げられ、1924年(大正13年)に松島電車となって再独立した。

しかし、並行するバスの運行開始に加え、1927年(昭和2年)には仙台市から直通する宮城電気鉄道(現・仙石線)の松島公園駅(現・松島海岸駅)が開通し、(旧)松島駅の利用客が減少したことなどから早々に経営難に陥った。1937年(昭和12年)には経営が行き詰って社長が交代、資本金を50万から10万円に減資し再起をはかったが、営業成績は好転せず債務不履行で債権者に線路や車両が差し押さえられ競売に付された。翌年、競売落札者が夜間にレールや電気設備を取り外して運行自体が不可能な状態となった[2]。刑事告訴や民事告訴の訴訟合戦になったが双方が和解。経営再建することになったが松島電鉄の自力では不可能で、監督官庁から行政指導を受けた宮城電気鉄道により1939年(昭和14年)合併される。合併後、軌道から地方鉄道に変更[3]して新富山-松島駅前間の運行再開を計画するが戦時色濃厚な時局柄果たせず、同社が戦時買収私鉄指定による国有化で仙石線となった1944年(昭和19年)には正式廃止となった。

保有車両数には初期に疑義もあるものの、1925年(大正14年)以降の鉄道統計によれば木造四輪単車のみを保有し、電動客車3両、付随客車2両の体制で運行末期まで推移したと見られている。車両の色はこげ茶色で集電装置はポールを用いていた。1937年(昭和12年)の写真によれば、電動客車3はベスチビュール(運転台全面の窓)付き、付随客車1はベスチビュール無しでいずれもドア無しのオープンデッキで、両車とも屋根はダブルルーフ(二重屋根)であかり取りのついたモニタールーフ。両車ともピン・リンク式連結器を持ち、台車ブリル21Eタイプを装備していた。前年の写真では電動客車・付随客車ともに車体に車両番号が記されておらず、現車には雨宮製作所の銘板が付いていたという[3]1938年(昭和13年)の運行休止後、付随車2両は五城目軌道に譲渡された。

路線データ[編集]

  • 路線距離(営業キロ):3.8km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:5駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線)
  • 電化区間:全線(直流550V[4]架空単線式)
  • 交換設備:高城
  • 変電所:高城付近(高城川の対岸)電動発電機(交流側3150V直流側550V)直流側の出力75KW、常用1、製造所明治電気[5]
  • 車庫:松島駅前付近(事務所を併設)と五大堂前終点の2か所[4]。松島駅前付近の車庫は松本橋(道路橋)近辺で跡地は1979年時点では米穀商の店舗だった。五大堂前の車庫は終点でY字形の配線で、片側が車庫。跡地は1979年時点では郵便局。

運行状況と営業成績[編集]

全線を十数分で結び当初60 - 90分毎、1927年(昭和2年)には30 - 60分毎になり、1935年(昭和10年)には省線発着毎に発車となっている。

通常電動客車1 - 2台を単行で運行。多客時は付随客車を連結したり続行運転を行った。保安設備はこれと言って存在せず、スタフも使用せず電話連絡で発車させていた。終点に機回し線を持たないので連結運転時は電動客車を先頭に終点まで運転し、終点到着後の折り返しは付随客車を先頭に旗と信鈴(チンチン、と鳴らすベルによる合図)を用いて推進運転した。全線を通じてほとんどが専用軌道で、両終点付近が併用軌道。軌道の状態も劣悪で、当時乗務員だった人によれば満員の連結電車で鉄橋を通行するのは不安だったと言う[6]

運賃は1923年(大正12年)から1929年(昭和4年)が24銭だったが、1933年(昭和8年)に20銭、1935年(昭和10年)に12銭と、競合する交通機関対策で値下げを強いられている[6]

年度 乗客(人) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円)
1922 145,122 28,138 19,920 8,218
1923 103,324 19,235 7,784 11,451 108,639 105,961
1924 125,600 26,077 17,811 8,266 償却金500 3,845
1925 158,056 27,084 21,197 5,887 償却金1,276
1926 132,927 23,436 17,009 6,427 2,215
1927 142,711 20,794 15,020 5,774
1928 129,003 19,256 14,482 4,774
1929 84,317 11,895 13,483 ▲ 1,588
1930 67,128 9,360 10,089 ▲ 729
1931 57,777 6,928 7,835 ▲ 907
1932 37,606 5,872 6,631 ▲ 759
1933 18,923 1,736 2,395 ▲ 659
1934 18,360 2,751 3,016 ▲ 265
1935 31,224 3,674 5,981 ▲ 2,307
1936 88,100 6,440 7,805 ▲ 1,365
1937 報告未整備
  • 鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版

歴史[編集]

  • 1917年(大正6年)7月16日 遠田電気が松島停車場前 - 松島観瀾亭前間に軌道事業を特許申請。
  • 1918年(大正7年)9月23日 終点を観瀾亭前から五大堂前に変更して特許認可[7]
  • 1921年(大正10年)
    • 5月1日 遠田電気が大崎水電に合併される。
    • 9月20日 大崎水電と宮城県の間で事業譲渡の仮契約を締結[8]
  • 1922年(大正11年)
  • 1923年(大正12年)8月1日 大崎水電が全事業を宮城県に譲渡[10]
  • 1924年(大正13年)2月15日 宮城県が電力事業と軌道事業を分離して軌道事業を松島電車に譲渡[10]。松島電車株式会社設立 [9][11]
  • 1938年(昭和13年)1月22日 競売落札者に夜間レール他設備を撤去されて翌日から全線休止。
  • 1939年(昭和14年)5月10日 宮城電気鉄道への譲渡が許可。
  • 1940年(昭和15年) 3月22日 軌道から地方鉄道へ変更を申請。
  • 1944年(昭和19年)
    • 5月1日 宮城電気鉄道が鉄道省に買収されて国有化される。
    • 12月30日 松島駅前 - 松島海岸間廃止公告。

停留所一覧[編集]

松島駅前 - 愛宕橋 - 松島高城(当初は高城) - 新富山 - 松島海岸(当初は五大堂前)

接続路線[編集]

事業者名は廃止時点のもの

  • 松島駅:国鉄東北本線
    • 1962年に廃止された東北本線旧・山線ルート上にあった旧駅

脚注[編集]

[ヘルプ]

出典[編集]

  1. ^ a b c 松島公園の整備 (PDF) (宮城県公文書館だより 13号 2008年6月)
  2. ^ 和久田 (1979) 59-60頁。松島電車側の債務不履行と、日中戦争開戦で高騰した鉄材の転売目的。
  3. ^ a b 和久田 (1979) 61頁。
  4. ^ a b 和久田 (1979) 60頁。
  5. ^ 『仙台逓信局管内電気事業要覧. 第18回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  6. ^ a b 和久田 (1979) 62頁。
  7. ^ 「軌道特許状下付」『官報』1918年9月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 和久田 (1979) 59頁。買収価格がまとまらず本契約が遅れた。
  9. ^ a b 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  10. ^ a b 1923年2月19日許可「軌道敷設権譲渡」『官報』1923年2月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第34回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)

参考文献[編集]

  • 和久田康雄 『日本の市内電車』 成山堂書店、2009年、142-143頁。
  • 和久田康雄「失われた鉄道・軌道をたずねて〈45〉松島電車」、『鉄道ピクトリアル』通巻361号、鉄道図書刊行会、1979年
  • 松島町史編纂委員会 『松島町史』通史編1、松島町、1991年、685-699頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]