石原裕次郎

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いしはら ゆうじろう
石原 裕次郎
石原 裕次郎
映画「勝利者」での石原裕次郎
本名 石原裕次郎
生年月日 1934年12月28日
没年月日 1987年7月17日(満52歳没)
出生地 日本の旗 日本 兵庫県神戸市須磨区
死没地 日本の旗 日本 東京都新宿区信濃町
民族 日本人
身長 178 cm
血液型 A型
職業 俳優歌手声優司会者モデル実業家ヨットマン
活動期間 1956年 - 1987年
活動内容 1956年:『太陽の季節』でデビュー。
配偶者 石原まき子(北原三枝)
著名な家族 父:石原潔
母:石原光子
兄:石原慎太郎
公式サイト フィルモグラフィ/石原裕次郎/石原プロモーション
主な作品
映画
太陽の季節
狂った果実
嵐を呼ぶ男
テレビ
太陽にほえろ!
大都会」シリーズ
西部警察」シリーズ
備考
石原裕次郎賞(追悼創設)映画の殿堂(1990年)

石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう、1934年昭和9年)12月28日 - 1987年昭和62年)7月17日)は、日本俳優声優歌手であり、司会者モデルといったマルチタレント実業家ヨットマンとしても活動していた。身長178cm、血液型はA型。愛称はタフガイ・裕ちゃん・ボス・ユージロー石原軍団総帥石原プロモーション元代表取締役社長(初代)兼会長。

来歴[編集]

概要[編集]

兵庫県神戸市須磨区北海道小樽市神奈川県逗子市に育つ。父・石原潔(山下汽船社員)は愛媛県、母・光子は広島県宮島の出身[1][2]

マリア幼稚園(現在の小樽藤幼稚園)卒園、稲穂国民学校時代に競泳天狗山スキーに親しむ。逗子中学校時代からはバスケットボールに熱中した。その後、慶應義塾高等学校を目指すが受験に失敗し、慶應義塾農業高等学校に籍を置くが、1951年に慶應義塾高等学校に編入学。卒業後は慶應義塾大学法学部政治学科内部進学するが、放蕩生活に明け暮れる。

大学在学中から、俳優を目指し東宝大映日活のオーディションを受けるも全て不合格。しかし1956年に、映画プロデューサー水の江瀧子と兄・慎太郎の推薦があって、慎太郎の芥川賞受賞作『太陽の季節』の映画化の端役で映画デビュー。その後、慶応義塾大学を中退して日活に入社。『太陽の季節』に続いて製作された、同じく慎太郎原作の映画化作品『狂った果実』では、後に妻となる北原三枝を相手役に主演。その後は歌手・俳優として活躍し、主演映画が連続ヒットし、瞬く間に昭和を代表する日本最高のスターの一人となったが、ケガや病気に苦しんだ一生でもあった。1963年に石原プロモーションを設立。70年代以降は、映画から離れ『太陽にほえろ!』、『大都会』などテレビドラマで活躍した。戒名は陽光院天真寛裕大居士。万成石五輪塔神奈川県横浜市鶴見区にある總持寺に立てられている。墓碑には妻直筆で次のような言葉で綴られている。

美しき者に微笑を、淋しき者に優しさを、逞しき者に更に力を、全ての友に思い出を、愛する者に永遠を。心の夢醒める事無く。

ケガ・病気の遍歴[編集]

  • 1952年:バスケットボール最中に左足膝に大ケガ。
  • 1956年:この頃まで、酒とたばこと女に溺れる日々を送る(不良少年)。幼少時代から肝臓は悪かったといわれている(高校生の頃に黄疸を発症したことがある)。
  • 1957年:自由が丘無免許運転し右足打撲(もう一つは映画ロケ中にデッキチェアーに手を挟み右手薬指負傷)。
  • 1961年:志賀高原スキー場でスキーヤーと衝突し右足首粉砕複雑骨折(後に右太股腫性膿瘍の手術で入院)。
  • 1964年:ハワイでヨット乗船中に右まぶたを11針縫う。
  • 1965年:ヨット乗船中に腹痛のため大会を途中断念。
  • 1967年:右手親指骨折および左足打撲で入院。
  • 1968年:右足打撲で全治1か月入院。
  • 1971年:心労胸部疾患(後に急性肺炎肺結核と判明)のため映画宣伝中に入院。
  • 1974年:階段で転倒し左肩打撲(後に左鎖骨骨折と判明)。
  • 1978年:舌下潰瘍のため入院・手術。その後悪性腫瘍舌癌)との診断を受けたが、石原本人には告知されなかった(1983年再発)。
  • 1979年:舌下白板症と診断され、術後部に潰瘍が出来たため再手術し退院。
  • 1981年:4月、『西部警察』のロケ撮影中、背中と胸に激痛が走り慶應義塾大学病院に緊急入院。当初椎間板ヘルニアと疑われたが、その後解離性大動脈瘤と診断され(後に右耳が難聴となる)大手術を決行。生還率3%と言われたが、手術後、奇跡的な回復を遂げ無事退院(見舞い客は1万2000人、手紙5000通、花束2000束、千羽鶴1000束、さらには石原の車のボディーにも励ましのメッセージを書く人もあった)。退院後も首、腰の痛み、発熱が続いた。
  • 1984年:肝臓癌が発覚し、倦怠感・腰痛の末、原因不明の発熱にいたる(前の定期健診で肝細胞癌と診断されるが、裕次郎本人には最期までガン告知せず)。
  • 1986年:5月、高熱が続くため慶應義塾大学病院に入院。血圧降下剤の副作用による肝内胆管炎と診断。7月に退院後はハワイで静養。
  • 1987年:4月、ハワイから帰国直後に慶應義塾大学病院へ検査入院。5月に一旦退院した(カテーテル治療)ものの、間もなくして再入院。しかし容態悪化(高熱)、ついには幻覚症状(肝性脳症)を発する。そして7月17日金曜日午後4時26分肝細胞癌のため死去。52歳没。

エピソード[編集]

人物[編集]

(以下、呼称については「裕次郎」と記載)

映画デビューについて
  • 父が亡くなった頃にショックから自暴自棄になった裕次郎は、家から金目の物を持ち出しては換金し、その金で銀座などへ繰り出す遊行三昧の日々を送り、兄・石原慎太郎から心配された。そんな頃に兄は水の江瀧子より『太陽の季節』の映画化を促されたため、「裕次郎って弟がいるんだけど、遊び人でどうしょうもない奴で…弟を出してくれるんなら」という条件を提示した。瀧子はその条件を呑み、裕次郎は同作品で俳優デビューし、脇役ではあったが主演格に匹敵するダイナミックな存在感で注目されることとなる。裕次郎本人は「太陽の季節」への出演は至って遊び感覚で、迎えの車に乗り初めて日活撮影所へ降り立った時は素肌にヨット・パーカーを羽織り、海水パンツゴム草履履きといったいでたちに、その場に居合わせた宍戸錠小林旭は「何だ!ありゃあ?!?」と仰天したという(テレビでの小林旭談)。
  • 1956年3月28日、日活撮影所内の理容室で『太陽の季節』の撮影に際し、太陽族に扮する連中の「慎太郎刈り」のモデルを引き受けたのが日活での初仕事であった[3]
  • 『狂った果実』が映画化されることとなり、シナリオを書き上げるため有楽町の日活ホテルに缶詰状態だった兄は左手で書くのは早かった。しかし読み難かったため裕次郎が「俺が清書しなきゃあ誰も読めない!」と付きっ切りで清書しながらも自身が演ずる役のセリフを少なくするよう慎太郎に催促するという具合であった。だが兄弟で一つの仕事を成し終えるその姿に世間は「太陽族の美しい兄弟愛」と褒め称えた。
仕事に対する姿勢
  • 俳優業について、しばしば「男子一生の仕事にあらず」と語っていた。
  • セリフ覚えが悪いことで知られ、開いた状態の台本を机の中に置いて演技を行ったこともあるという。その代わり、NGを出すことはほとんどなかったともいわれる。
  • ロケ先などで女学生に囲まれサインをねだられても断ることが多かった。理由は「真っ白な紙に名前だけ書いて渡すなんて試験の答案のようなもの」であることから[4]
  • 銀座の恋の物語」、「二人の世界」、「夜霧よ今夜も有難う」などの数々のヒット曲がある裕次郎だが、『紅白歌合戦』には1957年第8回雪村いづみの応援ゲストとして出演したことはあるものの、歌手としては生涯出場しなかった。「歌は素人」という理由で毎年、歌手としての出場を辞退していたといわれている。
  • ヒット曲を多数持つスター歌手が他人の持ち歌をカバーすることに消極的だった時代に、積極的に他人の持ち歌(当時のヒット曲や古い流行歌など)をレコードに吹き込んだ。ただ一曲、梶芽衣子の「怨み節」のカバーについては断られたという[5]

性格など[編集]

  • 性格として今で言う体育会系の気質があり、車の中や外、店の隅(外)・店内で運転手を待たせることや、自分の車の中に1人でも人が残ることを嫌っていたという。また人前で食事をすることも嫌っていた。
  • 困っていることがあると自ら率先して動くタイプであった。また、「人の悪口は絶対に口にするな、人にしてあげたことはすぐ忘れろ、人にして貰ったことは生涯(一生)忘れるな。」というポリシーを持っていた。
  • スポーツ界や政財界などを問わず広い交友関係を楽しんだ人物で、誰かに会ったときは必ず、上下関係分け隔てなく、あいさつのときは立ち上がり、握手をするという礼儀正しさでもよく知られていた。
  • 気遣いのできる優しい性格と豪快な人柄から石原プロモーション所属の俳優達からはもちろん、『西部警察』で共演した三浦友和および柴俊夫らからも『石原社長』と呼ばれていた。さらに石原プロが倒産の危機のときには家のない社員全員に家を建ててプレゼントとしたことがある。また、現在でも石原プロのイベントなどで名物となっている炊き出しは、裕次郎が考案したものである。

好きなもの、趣味など[編集]

その他のエピソード[編集]

  • 1960年、日本の芸能界で初めて記者会見を開いた[7]。当時は同じ映画会社の所属でスター同士の恋愛がタブーだった時代で、マスコミに騒がれたことに嫌気を差して後の妻まき子である北原三枝とともにアメリカに逃れていたが、元日活社長堀久作の説得に応じ帰国、羽田空港の控え室で会見に応じたのが記者会見の第一号とされる。ちなみに芸能界の記者会見の第二号も、その10ヶ月後に開いた二人の結婚会見だとされる。
  • 1961年の大けがの際、赤木圭一郎の訃報の直後に入院していたため、アメリカ支配権下時代の沖縄琉球放送が偽の訃報を流すというハプニングがあった。
  • 1965年には国粋会ピストル密輸事件に絡み家宅捜索を受け、後に銃刀法違反で有罪となる。
  • 甥の(兄・慎太郎の三男)石原宏高を養子にしたがっていたとも伝えられる。
  • ハワイで過ごす芸能人の先駆けとなった人物でもある。
  • 志賀高原スキー場での負傷後、療養を兼ねて信玄の隠し湯として知られる下部温泉下部ホテル」の別館に妻と共に滞在していた。この別館は裕次郎によって「裕林亭」と名付けられ、現在も客間として提供されている。

その他[編集]

1980年1月に成城の自宅(上神明遺跡内)において、古墳時代の遺跡、土器が発見されたこともある。それが歴史的大発見で話題になった。なおこれを契機に苅谷俊介は考古学に目覚めて石原プロモーションを退社している。

家族・親族[編集]

小樽にて家族写真
(左から父・潔、裕次郎、母・光子、兄・慎太郎

石原家[編集]

愛媛県松山市八幡浜市大洲市兵庫県神戸市須磨区北海道小樽市神奈川県逗子市東京都
1899年 (明治32年) 12月生 - 1951年 (昭和26年) 10月没
  • 母・光子
1909年 (明治42年) 9月生 - 1992年 (平成4年) 6月没
1932年 (昭和7年) 9月生 -
1933年 (昭和8年) 7月生 -

裕次郎は良家の子弟というイメージがあるが、父・潔は山下汽船のサラリーマンであり、旧制中学も出ていない身から叩き上げて関連会社役員にまで出世した人物。累代の名家とも、一代の商才で財を成した新興富裕層とも異なる、戦後の新興中流階級に属する。

略系図[編集]

         石原潔━光子
           ┣━━━━━━━━━━━━━┓
       石原慎太郎━典子         石原裕次郎━まき子
           ┃          
           ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓
        石原伸晃  石原良純  石原宏高   石原延啓

出演[編集]

映画[編集]

  • 1956年
    • 太陽の季節 監督 古川卓巳(1956.5.17 日活 伊豆 役)
    • 狂った果実 監督 中平康(1956.7.12 日活 滝島夏久 役)
    • 乳母車 監督 田坂具隆(1956.11.13 日活 相沢宗雄 役)
    • 地底の歌 監督 野口博志(1956.12.12 日活 ダイヤモンド冬 役)
    • 月蝕 監督 井上梅次(1956.12.19 日活 松木 役)
    • 若ノ花物語
    • 人間魚雷出撃す 監督 古川卓巳(1956.12.26 日活 黒崎中尉 役)
  • 1957年
    • お転婆三人姉妹 踊る太陽 監督 井上梅次(1957.1.1 日活 大助君 役)
    • ジャズ娘誕生 監督 春原政久(1957.4.3 日活 南条春夫 役)
    • 勝利者 監督 井上梅次(1957.5.1 日活 夫馬俊太郎 役)
    • 今日のいのち 監督 田坂具隆(1957.6.26 日活 岩本岩次郎 役)
    • 幕末太陽傳 監督 川島雄三(1957.7.14 日活 高杉晋作 役)
    • 海の野郎ども 監督 新藤兼人(1957.8.20 日活 千鳥松 役)
    • 鷲と鷹 監督 井上梅次(1957.9.29 日活 千吉 役)
    • 俺は待ってるぜ 監督 蔵原惟繕(1957.10.20 日活 島木譲次 役)
    • 嵐を呼ぶ男 監督 井上梅次(1957.12.28 日活 国分正一 役)
  • 1958年
    • 心と肉体の旅
    • 夜の牙 監督 井上梅次(1958.1.15 日活 杉浦健吉 役)
    • 錆びたナイフ 監督 舛田利雄(1958.3.11 日活 橘 役)
    • 陽のあたる坂道 監督 田坂具隆(1958.4.15 日活 田代信次 役)
    • 明日は明日の風が吹く 監督 井上梅次(1958.4.29 日活 松山健次 役)
    • 素晴しき男性 監督 井上海次(1958.7.6 日活 団武男 役)
    • 風速40米 監督 蔵原惟繕(1958.8.12 日活 滝颯夫 役)
    • 赤い波止場 監督 舛田利雄(1958.9.23 日活 富永二郎 役)
    • 嵐の中を突っ走れ 監督 蔵原惟繕(1958.10.29 日活 吉良千吉 役)
    • 紅の翼 監督 中平康(1958.12.28 日活 石田康二 役)
  • 1959年
    • 若い川の流れ 監督 田坂具隆(1959.1.15 日活 曽根健助 役)
    • 今日に生きる 監督 舛田利雄(1959.3.10 日活 城俊次 役)
    • 男が爆発する 監督 舛田利雄(1959.4.29 日活 室戸謙作 役)
    • 山と谷と雲 監督 牛原陽一(1959.5.31 日活 牧戸次郎 役)
    • 世界を賭ける恋 監督 滝沢英輔(1959.7.12 日活 村岡雄二 役)
    • 男なら夢を見ろ 監督 牛原陽一(1959.8.9 日活 木島夏雄 役)
    • 欧州駈けある記
    • 清水の暴れん坊 監督 松尾昭典(1959.9.27 日活 石松俊雄 役)
    • 天と地を駈ける男 監督 舛田利雄(1959.11.1 日活 稲葉鉄男 役)
    • 男が命を賭ける時 監督 松尾昭典(1959.12.27 日活 小室丈太郎 役)
  • 1960年
    • 鉄火場の風 監督 牛原陽一(1960.1.15 日活 畑中英次 役)
    • 白銀城の対決 監督 斎藤武市(1960.3.6 日活 伊庭俊介 役)
    • あじさいの歌 監督 滝沢英輔(1960.4.2 日活 河田藤助 役)
    • 青年の樹 監督 舛田利雄(1960.4.29 日活 和久武馬 役)
    • 天下を取る 監督 牛原陽一(1960.7.13 日活 大門大太 役)
    • 喧嘩太郎 監督 舛田利雄(1960.8.10 日活 宇野太郎 役)
    • やくざ先生 監督 松尾昭典(1960.9.21 日活 新田悠三 役)
    • あした晴れるか 監督 中平康(1960.10.26 日活 三杉耕平 役)
    • 闘牛に賭ける男 監督 舛田利雄(1960.12.27 日活 北見徹 役)
  • 1961年
    • 激流に生きる男(怪我で出演断念)
    • 街から街へつむじ風 監督 松尾昭典(1961.1.14 日活 正木晋一 役)
    • あいつと私 監督 中平康(1961.9.10 日活 黒川三郎 役)
    • 堂堂たる人生 監督 牛原陽一(1961.10.22 日活 中部周平 役)
    • アラブの嵐 監督 中平康(1961.12.24 日活 宗方真太郎 役)
  • 1962年
    • 男と男の生きる街 監督 舛田利雄(1962.1.14 日活 岩崎捷夫 役)
    • 銀座の恋の物語 監督 蔵原惟繕(1962.3.4 日活 伴次郎 役)
    • 青年の椅子 監督 西河克己(1962.4.8 日活 高坂虎彦 役)
    • 雲に向かって起つ 監督 滝沢英輔(1962.5.1 日活 坂木武馬 役)
    • 憎いあンちくしょう 監督 蔵原惟繕(1962年7月8 日活 北大作 役)
    • 零戦黒雲一家 監督 舛田利雄(1962.8.12 日活 谷村雁 役)
    • 若い人 監督 西河克己(1962.10.6 日活 間崎慎太郎 役)
    • 金門島にかける橋 監督 松尾昭典(1962.11.3 日活 武井一郎 役)
    • 花と竜 監督 舛田利雄(1962.12.26 日活 玉井金五郎 役)
  • 1963年
    • 何か面白いことないか 監督 蔵原惟繕(1963.3.3 日活 早坂次郎 役)
    • 太陽への脱出 監督 舛田利雄(1963.4.28 日活 速水志郎 役)
    • 夜霧のブルース 監督 野村孝(1963.6.30 日活 西脇順三 役)
    • 太平洋ひとりぼっち 監督 市川崑(1963.10.27 日活 青年 役)
  • 1964年
    • 赤いハンカチ 監督 舛田利雄(1964.1.3 日活 三上次郎 役)
    • 夕陽の丘 監督 松尾昭典(1964.4.29 日活 篠原健次 役)
    • 鉄火場破り 監督 斎藤武市(1964.7.12 日活 関東政 役)
    • 殺人者を消せ 監督 舛田利雄(1964.9.19 日活 早川次郎 役/泉信夫 役)
    • 敗れざるもの 監督 松尾昭典(1964.10.30 日活 橋本鉄哉 役)
    • 黒い海峡 監督 江崎実生(1964.12.31 日活 槙明夫 役)
  • 1965年
    • 城取り 監督 舛田利雄(1965.3.6 日活 車藤三 役)
    • 青春とはなんだ 監督 舛田利雄(1965.7.14 日活 野々村健介 役)
    • 泣かせるぜ 監督 松尾昭典(1965.10.1 日活 響伸作 役)
    • 素晴らしきヒコーキ野郎 監督 ケン・アナキン(1965.10.9 日活 Yamamoto 役)
    • 赤い谷間の決斗 監督 舛田利雄(1965.12.29 日活 風間信吾 役)
  • 1966年
    • 二人の世界 監督 松尾昭典(1966.2.25 日活 北条修一 役)
    • 青春大統領 監督 江崎実生(1966.4.27 日活 峰岡鷹志 役)
    • 夜霧の慕情 監督 松尾昭典(1966.6.1 日活 堀部良郎 役)
    • 夜のバラを消せ 監督 舛田利雄(1966.7.9 日活 徳川新六 役)
    • 帰らざる波止場 監督 舛田利雄(1966.8.13 日活 津田史郎 役)
    • 栄光への挑戦 監督 舛田利雄(1966.10.8 日活 宗吾郎 役)
    • 逃亡列車 監督 江崎実生(1966.12.24 日活 有坂大作 役)
  • 1967年
    • 夜霧よ今夜も有難う 監督 江崎実生(1967.3.11 日活 相良徹 役)
    • 嵐来たり去る 監督 舛田利雄(1967.5.3 日活 富坂の英五郎 役)
    • 波止場の鷹 監督 西村昭五郎(1967.8.12 日活 久須見健一 役)
    • 東京の田舎っぺ(声のみ)
    • 君は恋人 監督 斎藤武市(1967.11.3 日活 石崎監督 役)
    • 黄金の野郎ども 監督 江崎実生(1967.12.23 日活 立原英次 役)
  • 1968年
    • 遊侠三国志・鉄火の花道 監督 松尾昭典(1968.1.13 日活 小村伸次郎 役)
    • 黒部の太陽 監督 熊井啓(1968.2.17 日活 岩岡 役)
    • 昭和のいのち 監督 舛田利雄(1968.6.22 日活 日下真介 役)
    • 忘れるものか 監督 松尾昭典(1968.12.28 日活 岡部司郎 役)
  • 1969年
    • 風林火山 監督 稲垣浩(1969.3.1 東宝 上杉謙信 役)
    • 栄光への5000キロ 監督 蔵原惟繕(1969.7.15 松竹 五代高之 役)
    • 人斬り 監督 五社英雄(1969.8.9 大映 坂本竜馬 役)
    • 嵐の勇者たち 監督 舛田利雄(1969.12.31 日活 島地陶介 役)
  • 1970年
    • 富士山頂 監督 村野鐵太郎(1970.2.28 日活 梅原悟郎 役)
    • 待ち伏せ 監督 稲垣浩(1970.3.21 東宝 弥太郎 役)
    • ある兵士の賭け 監督 千野皓司 キース・ラーセン(1970.6.6 松竹 北林宏 役)
    • スパルタ教育くたばれ親父 くたばれ親父 監督 舛田利雄(1970.8.12 ダイニチ 田上悠三 役)
    • 戦争と人間(1部) 監督 山本薩夫(1970.8.14 ダイニチ 篠崎書記官 役)
  • 1971年
    • 男の世界 監督 長谷部安春(1971.1.13 ダイニチ 製作 紺野忠夫 役)
    • 甦える大地 監督 中村登(1971.2.26 松竹 製作 植松一也 役)
  • 1972年
    • 影狩り 監督 舛田利雄(1972.6.10 東宝 製作 十兵衛 役)
    • 影狩り・ほえろ大砲 監督 舛田利雄(1972.10.10 東宝 製作 室戸十兵衛 役)
  • 1973年
    • 反逆の報酬 監督 澤田幸弘(1973.2.17 東宝 製作 沖田徹男 役)
  • 1976年
    • 凍河 監督 斎藤耕一(1976.4.24 松竹 竜野一郎 役)
  • 1982年
  • 1984年
    • アゲイン(新撮部分への出演なし)
    • 零戦燃ゆ(主題歌のみ)


テレビドラマ[編集]


ラジオ[編集]

レギュラー番組[編集]

ラジオドラマ[編集]

CM[編集]

※放映されなかったCM

大会出場[編集]

  • 大島ヨットレース(1959年・1963年)
  • トランス・パシフィック・レース(1965年・1973年・1975年)
  • アドミラルズ・カップ・レース(1977年)
  • パンナム・クリッパーカップ・ヨットレース(1982年)
  • インビテーショナル・ゴルフ大会-途中ホールアウト(1986年)
  • 石原裕次郎メモリアルヨットレース(死後)

パチンコ[編集]

歌手活動[編集]

書籍[編集]

写真集[編集]

出版[編集]

連載[編集]

演じた俳優[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ グレートマザー物語参照。
  2. ^ 佐野眞一『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』(講談社 2003年)
  3. ^ 近代映画 近代映画社 1970年2月号 146頁。
  4. ^ 以上の2件は近代映画 近代映画社 1970年3月号 141-142頁。
  5. ^ 高柳六郎『石原裕次郎 歌伝説―音づくりの現場から』社会思想社(現代教養文庫)、2000年、101-104頁。ISBN 4-390-11637-1
  6. ^ ただし、ヘッドランプを含むフロントフェンダー部分は所有当初から300SLロードスター用のものに交換されている。
  7. ^ 有吉弘行&劇団ひとり&ビビる大木の天才リトル(2014年3月30日、フジテレビ

関連項目[編集]

※なお生前ラジオ日本TBSラジオには出演できなかった。

記念館[編集]

ファンが集まる店[編集]

関連人物[編集]

外部リンク[編集]