八月の狂詩曲

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八月の狂詩曲
監督 黒澤明
脚本 黒澤明
原作 村田喜代子『鍋の中』
製作 黒澤久雄
製作総指揮 奥山融
出演者 村瀬幸子
吉岡秀隆
大寶智子
伊崎充則
井川比佐志
リチャード・ギア
音楽 池辺晋一郎
撮影 斎藤孝雄
上田正治
編集 黒澤明
製作会社 黒澤プロダクション
フィーチャーフィルムエンタープライズ
配給 松竹
公開 日本の旗 1991年5月25日
上映時間 98分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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八月の狂詩曲』(はちがつのラプソディー)は、1991年平成3年)に公開された日本映画である。村田喜代子芥川賞受賞小説 『鍋の中』を、黒澤明が映画化した。配給は松竹

キャッチ・コピーは「なんだかおかしな夏でした…。」。

ストーリー[編集]

ある夏休み。長崎市街から少し離れた山村に住む老女・鉦の許に4人の孫たちがやってきた。都会の生活に慣れた孫たちは田舎の生活に退屈を覚えながらも、長崎の街にある戦争の傷跡や鉦が話す昔話を聞いて、戦争に対する考えを深めていく。

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

挿入歌[編集]

エピソード[編集]

  • おばあちゃんの家は長崎県の山中の設定であるが、長崎県で適当な場所が見つからなかったために、群馬県内にロケーションセットを建てて撮影は行われた。念仏堂は撮影終了後に、リチャード・ギアの希望により彼のアメリカの別荘へ移築された。これは、ハリウッド俳優としては破格の安い出演料で出演してくれたギアに対する埋め合わせの意味もあったという。ギアはおばあちゃんの家も欲しがったが、さすがに大変なのであきらめてもらったという。
  • クラーク役には当初、ジーン・ハックマンが予定されていたが、健康上の理由から降板した。ハックマンの年齢がクラーク役としては高齢なため、黒澤は難色を示したが、脚本を読んだ本人の熱望を受けてのものであった。
  • この映画の撮影時にはなかった平和公園のアメリカからの慰霊碑は、1992年(平成4年)10月にアメリカのセントポール市から寄贈されている。この慰霊碑への寄付を募るために「八月の狂詩曲」上映会がセントポール市で開催された。また、本島等長崎市長からこの件に関して黒澤監督へ礼状が送られてきた。
  • 誤解されることも少なくないが、クラークが「すみませんでした」「私達悪かった」と鉦おばあちゃんに謝っている場面は、アメリカ人であるクラークが原爆投下を「すみませんでした」「悪かった」と謝罪しているわけではない。「私達」とは、「鉦の兄であるハワイに移民した錫次郎やクラークらの一家」のことであり、「すみませんでした」は「鉦おばあちゃんの夫が被爆死したことを知らなかった」ことに対してであり、「悪かった」のは鉦おばあちゃんが「長崎の人」なのに、夫の死因に思いが至らなかったことである[1]
  • アリの行列を撮影するための待ち時間が余りにも長かったことから、撮影終了後にリチャード・ギアは「もうアリとは共演しない」と言い残して帰国した。ちなみに、この場面は黒澤の書いた当初の脚本では、蟻の行列を見ているのは信次郎だけであった。それをクラークと信次郎の2人にしたのは、脚本を読んだギアの提案を黒澤が取り入れたものである。なお、ギアが出演した群馬ロケでは、クラークが視線を下げて蟻が地面に行列を作る部分までしか撮影できず、蟻がバラの木を上っていく場面は、京都の下鴨神社で演出補佐の本多がB班を組んでロケ撮影したものである。
  • 黒澤作品は雨のシーンが印象的と言われるが、唯一ラストシーンが雨の作品である。

脚注[編集]

  1. ^ かつてはRhapsody in August - Wikipedia英語版にも同趣旨の記述があったが現在は削除されており、本作品に批判的な批評のみが記述されている。

外部リンク[編集]