セントポール (ミネソタ州)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
セントポール市
City of Saint Paul
TE-Collage Saint Paul.png
Flag of St. Paul, Minnesota.svg
市旗
愛称 : The Capital City(都)、The Saintly City(聖者の街)、Pig's Eye(豚の目)、Shortz P、The Sliver City(銀の街)
標語 : "The most livable city in America"
位置
右:ラムゼイ郡の位置(ミネソタ州)左:セントポールの位置(ラムゼイ郡)の位置図
右:ラムゼイ郡の位置(ミネソタ州)
左:セントポールの位置(ラムゼイ郡)
座標 : 北緯44度56分39秒 西経93度5分34秒 / 北緯44.94417度 西経93.09278度 / 44.94417; -93.09278
行政
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
  ミネソタ州
  ラムゼイ郡
 市 セントポール市
市長 クリス・コールマン
(ミネソタ民主農民労働党)
地理
面積  
  市域 145.5km2(56.2mi2
    陸上   136.7km2(52.8mi2
    水面   8.8km2(3.4mi2
標高 214m(702ft
人口
人口 2010年現在)
  市域 285,068人
    人口密度   2,085.4人/km2(5,399.0人/mi2
  都市圏 3,279,833人
その他
等時帯 中部標準時UTC-6
夏時間 中部夏時間UTC-5
公式ウェブサイト : City of Minneapolis, Minnesota

セントポールSaint Paul)は、アメリカ合衆国ミネソタ州東部に位置する都市。同州の州都であり、ミネアポリスに次ぐ州第2の都市である。人口は285,068人(2010年国勢調査[1]。市名は1841年に建てられたセントポール大聖堂に由来している。このセントポールと西に隣接するミネアポリスとをあわせてTwin Cities(双子の都市)とよく呼ばれる。「双子の都市」は、ミネアポリスが州の経済・文化の中心で地方の中枢都市であるのに対し、セントポールはミネソタ州会議事堂や州の各種機関が集まる州の政治の中心地であり、役割を分担している。この「双子の都市」および近隣のブルーミントンセントクラウドなどを含んだミネアポリス・セントポール都市圏は約360万人の人口を抱える[1]

歴史[編集]

スネリング砦とセントポールを結ぶ橋、1880年

2,000年ほど前、この一帯には古代のネイティブ・アメリカンによるホープウェル文化が花開いていた。彼らが土葬を行った塚は、現在ではインディアン・マウンド・パークとして残っている。その後、1600年頃から1837年にかけてこの地に住み着いていたダコタ族はその塚の近くに住居を構え、土葬を行うのにその塚を用いた[2][3]19世紀初頭、毛皮取引商人、探検家宣教師などのグループがスネリング砦の守りとしてこの地にやってきた。彼ら初期の移民の多くはカナダから南下してきたフランス系であった。

初期の入植者はミシシッピ川ミネソタ川の合流点近くに建つ砦の近くに住んでいた。やがてウイスキーの取引が盛んになってくると、それまで砦の守りについていた軍人をあまり快く思っていなかったピエール・パラントによって、軍人は砦の管轄下にあった土地から追い出された。ピエール・パラントは毛皮商人から転身した酒商人で、Pig's Eyeの目)という異名を持っていた。1820年頃、この地はネイティブ・アメリカン、ヨーロッパ人の入植者、アメリカ人の軍人が混住する、西部開拓時代の辺境の地であった。1820年代前半のこの地は「ピッグズ・アイ・ランディング」(Pig's Eye Landing)と呼ばれ、西へと向かう入植者たちの目的地、また重要な交易拠点となっていた。1837年ヘンリー・スクールクラフトとおよそ200人のダコタ族との間に交わされた条約により、入植者たちにこの地が開かれる一方で、ネイティブ・アメリカンはこの地を追われた[2]。この条約が成立すると、東からも移民がこの地にやってきた。

セントポール大聖堂。現在の建物は1915年に完成した。

1841年カトリックのガルティア神父はこの地にセントポール大聖堂を建てた。このとき、ガルティア神父が最も敬う聖人の名を冠したこの大聖堂から名を取り、入植地の名が現在のセントポールに改められた。1847年にはニューヨーク出身のハリエット・ビショップがセントポール初の学校を開校した[4]1856年には、ドイツ系ユダヤ人の開拓者がセントポール初のシナゴーグを設立した[4]

1849年ミネソタ準州が成立すると、翌1850年にはセントポールが準州の州都になった。その後しばらくしてセントピーターに州都を移す法案がミネソタ州議会にて提案・可決され、議長の決定を待つのみとなったが、議長を務めていたジョー・ロレットが法案を持って失踪し、会期終了まで身を隠していたため廃案となり、州都はセントポールにとどまった[5]1854年、セントポールは正式な市になった。1858年にはミネソタ州が連邦32番目の州に昇格し、セントポールがその州都になった。

セントポールが通商・交通の中心地となっていった要因のひとつに地理的条件があった。この周辺でのミシシッピ川の両岸には切り立った崖が続く。セントポールはランバーツ・ランディングと呼ばれる、セント・アンソニー滝の約22km下流にある、船をつけることのできる最上流の岸に形成された。セント・アンソニー滝を利用して粉挽き産業が発展していったミネアポリスに対し、セントポールはそういった地形を活かし、当時辺境の地であったミネソタや南北ダコタへの玄関口としての役割を担った。1958年には1,000隻以上の蒸気船が客の乗降や貨物の積降のためにセントポールに停泊した[4]。やがてセントポールを拠点としてグレート・ノーザン鉄道ノーザン・パシフィック鉄道[6]などの鉄道が開通すると、ミネソタと南北ダコタとを分かつレッド川流域へと通ずる道路網が整備されていった。100年以上にわたって、セントポールは辺境の町であり、鉄道の町であった。しかし今日では、セントポールは商業都市として、そして州都としての機能のほうが強い。セントポールはThe Last City of the East(東部最後の街)と呼ばれている[7]

地理[編集]

セントポールは北緯44度56分39秒西経93度5分34秒に位置している。アメリカ合衆国統計局によると、セントポール市は総面積145.5km²(56.2mi²)である。そのうち136.7km²(52.8mi²)が陸地で8.8km²(3.4mi²)が水域である。総面積の6.07%が水域となっている。市の標高は214mで、ミネアポリスよりかなり下がる。

セントポールはミネソタ州の東部に位置している。ミシシッピ川は市の西から南西、南東へと流れ、市境を形成している。西にはミネアポリスが隣接している。ミネアポリス・セントポル両市のダウンタウン間は約16kmである。そのほか、北側にはファルコンハイツ、ローダーデール、ローズビル、メープルウッドといった郊外都市がひしめいている。メープルウッドはセントポールの東側にもその市域が広がっている。ミシシッピ川を隔てた南側にはウェストセントポール、サウスセントポール、リリーデール、メンドータ、メンドータハイツの各市が位置している。

ミネソタ州はLand of 10,000 Lakes(1万の湖の地)と呼ばれるほど湖の多い州として知られているが、セントポールの周辺にも大小の湖が散りばめられたように存在する。その中でも大きいものにはピッグス・アイ湖、ファレン湖、コモ湖などがある。

セントポールの気候は中西部でも北のほうにあたる、アッパー・ミッドウェストと呼ばれる地域における典型的な気候である。乾燥して寒い冬と温暖で時折蒸し暑くなる夏に特徴付けられ、また気温の年較差が大きいという内陸性の気候である。冬の寒さは厳しく、最高気温でも摂氏0度に満たない日が続き、夜は氷点下15度まで下がる。ケッペンの気候区分では冷帯湿潤気候Dfa)に属する。ミネアポリス・セントポール都市圏の平均気温は摂氏7度ほどで、アメリカ合衆国本土の主要都市圏の中では最も低い。セントポールの気候に関してはミネアポリス#地理も参照のこと。

政治[編集]

 
上: ミネソタ州会議事堂
下: ミネソタ州知事官邸

ミネアポリス・セントポールは民主党のミネソタ支部であるミネソタ民主農民労働党(DFL)の勢力が強い。2007年現在のセントポール市長もミネアポリス市長同様DFL所属である。また歴代市長のうち3人がアイルランド出身であり、現在の市長もアイルランド系である。市議会は市を7つに分けた各地区の代表1人ずつ、計7人の議員から構成されている[8]

ミネソタ州の州都であるセントポールには州の機関が集中している。市のシンボルともなっているミネソタ州会議事堂はセントポールのダウンタウンの北西部に立地している[9][10]。ミネソタ州会議事堂はミネソタ州上院・下院の各議院のほか、司法長官州知事の執務室を備えている。同議事堂はミネソタ州最高裁判所の法廷も併設しているが、ほとんどの裁判は隣接するミネソタ司法センター内にある法廷で行われる。カス・ギルバートの設計によるルネサンス調のこの議事堂は1905年に建てられ、1972年国家歴史登録財に指定された。議事堂の建物のモデルとなったのはバチカン市国サン・ピエトロ大聖堂であった。ダウンタウンの西約5km、サミット通りにある[11]ミネソタ州知事官邸も国家歴史登録財に指定されている。1910年に建てられたこのチューダー調の官邸はミネアポリスの建築家、ウィリアム・チャニング・ホイットニーが設計した。

セントポールはアメリカ合衆国下院のミネソタ第4選挙区に属している。同選挙区は1949年までは共和党が概ね強かったが、それ以降は民主党およびDFLの勢力が非常に強い。また進歩の気風が圧倒的に強く、革新92%[12]に対し、保守はわずか4%[13]というバランスになっている。

セントポールにあるエクセル・エナジー・センターでは2008年9月に共和党の党大会が行われた。2007年9月26日、立候補していた他の3都市、クリーブランドニューヨークタンパを蹴って開催地をセントポールに決定した。その決定を受けて、民主党は党大会をミネアポリス・セントポールで行うことを断念し、ニューヨークとデンバーのいずれかから選ぶことになった。ミネアポリス・セントポールで共和党の党大会が開かれるのは1892年以来、116年ぶり2度目のことであった。

経済[編集]

トラベラーズ本社ビル

政治面では州の中枢であるセントポールだが、経済面では地方中枢都市であるミネアポリスのほうが一歩抜きん出ている。ターゲットをはじめとするミネアポリス・セントポール都市圏の主要企業の多くはミネアポリスに本社ないし重要拠点を構えている。セントポールに本社を構える主な企業としては、保険大手のトラベラーズ、医療機器製造のセント・ジュード・メディカル、化学・衛生製品のエコラブ、医科・歯科・獣医科用品のパターソン・デンタル、相互会社のミネソタ・ライフ、ビジネス用ソフトウェアのローソン・ソフトウェア、アウトドア用品のガンダー・マウンテンなどが挙げられる。またメープルウッドには3Mが本社を置いている。

市の雇用は保健部門(男性6%、女性16%)、教育サービス部門(男性7%、女性13%)、金融・保険部門(男性6%、女性6%)、プロフェッショナル・科学技術部門(男性8%、女性6%)などによって支えられている。また州都らしく行政部門の比率も高く、男性5%、女性6%にのぼる[14]

交通[編集]

ミネアポリス・セントポール国際空港

セントポールの玄関口となる空港は市の南西約15kmに立地するミネアポリス・セントポール国際空港IATA: MSP)である。同空港はデルタ航空ハブ空港の1つで、全米各地のみならず、日本成田国際空港オランダスキポール空港など世界各地の主要空港からも直行便がある。年間利用客数は3,500万人を超え、全米第12位である[15]。また、ミシシッピ川の対岸にはセントポール・ダウンタウン空港がある。同空港は発着便数の多いミネアポリス・セントポール国際空港の補助的な役割を果たし、地元企業、航空学校、および陸軍の航空隊に利用されている。1970年代から1980年代にかけては、ミネアポリス・セントポール国際空港とセントポール・ダウンタウン空港との間にレイクステート航空の定期旅客便が飛んでいた。運賃は片道5ドル、往復10ドルであった[16]

ミネアポリス・セントポール都市圏では2本の州間高速道路I-35I-94が交わる。I-35は州北東部のダルースに始まり、テキサス州のアメリカ=メキシコ国境まで合衆国中央部を南北に走る幹線である。ミネアポリス・セントポール都市圏内ではI-35は東西に分かれ、I-35Wはミネアポリスを、I-35Eはセントポールを通る。一方、I-94は東西に走る州間高速道路の中では最も北側を走っている。支線のI-494はミネアポリス・セントポール都市圏の外郭環状道路となっている。このほかにも、ミネアポリス・セントポール都市圏内には一部高速道路となっている国道、州道、市道をあわせて、都市圏中に高速道路が張り巡らされている。

ミシシッピ河畔を走る鉄道

シカゴシアトルポートランドとを結ぶアムトラックの長距離列車、エンパイア・ビルダー号はセントポールのミッドウェイ駅に停車する。同駅はミネアポリスとセントポールのちょうど中間点にあるが、住所はセントポール市になっている。

アメリカ合衆国内の他都市同様、ミネアポリス・セントポール都市圏における主な交通手段は自動車であるが、公共交通機関の整備も進んでいる。市の公共交通機関の主となっているのはメトロ交通局(Metro Transit)の路線バスである。同局は連節バス140台を含む821台のバスを所有し、ミネアポリス・セントポール両市およびその周辺に118系統のバス路線を縦横に走らせている[17]。また、ミネアポリスのライトレール路線整備の一環として、ユニバーシティ・アベニューを通り、ミネアポリスとセントポールの両ダウンタウンを結ぶライトレール、セントラル・コリダー線を敷設する計画が2014年の開通を目指して進められている[18]

ミネアポリス同様、セントポールにもダウンタウンのビルの2階を結ぶスカイウェイと呼ばれる屋内通路網がある。ミネアポリスほど大規模ではないものの、セントポールのスカイウェイはダウンタウンの25ブロックにわたり、総延長は8kmにおよぶ[19][20]。スカイウェイによってミネソタの厳しい冬の寒さや雪を気にすることなくダウンタウンのビル間を行き来できるだけでなく、1階の車道を通る車と2階のスカイウェイを通る人との通行路の分離もなされている。

教育[編集]

マカレスター大学

ミネソタ大学ツインシティー校はミネアポリスキャンパスに大半の学部を置いているが、セント・アンソニー公園の北東、セントポールの北西に隣接するファルコンハイツにもセントポールキャンパスを有している。セントポールキャンパスには農学部の建物が置かれ、これらを取り囲むように大学所有の農場がいくつかある。このほか、セントポールには以下の大学がキャンパスを置いている

また上記のほか、セントポールにはミネソタ州会議事堂の近くにキャンパスを置くセントポール大学、およびミネアポリスに本部を置くメトロポリタン州立大学の2つのコミュニティ・カレッジがある。市の南西、ミネソタ州知事官邸の近くにキャンパスを構えるウィリアム・ミッチェル法科大学院[22]は、J.D.の学位を授与する、ロー・スクールのみの大学院大学である。

セントポール公立学区は約42,000人の児童・生徒を抱える、州第2の規模を有する学区である。同学区内の児童・生徒は人種・民族的な多様性に富んでおり、母国語とする言語の数が70ヶ国語にのぼるが、多くの学校では英語スペイン語ミャオ語ソマリ語の4ヶ国語のみが用いられている。同学区は小学校48校、中学校8校、高校7校、オルタナティブ・スクール3校、特別学校1校を有している。同学区内では6,500人以上の教師・職員が勤務している[23]。そのほか、同学区は就学前教育や生涯教育の機会も提供している。2006年には、同学区は設立150周年を迎えた。

また、セントポールは私立学校やチャーター・スクールも数多く有している。1991年にミネソタ州のチャーター・スクール法が全米に先駆けて成立すると、翌1992年には、セントポールにシティ・アカデミーという全米初のチャーター・スクールが開校した。2007年現在、セントポール市内にはチャーター・スクールは21校、私立学校は38校ある[24][25]

文化[編集]

文化施設と名所[編集]

フィッツジェラルド・シアターの内部

ミネアポリスの劇場街にこそ及ばないものの、セントポールにもいくつかの劇場がある。中でも著名なのは、セントポールが生んだ文豪F・スコット・フィッツジェラルドの名を冠したフィツジェラルド・シアター[26]である。同劇場は1910年に建てられた、セントポール市内で最古の劇場である。当初はワールド・シアターという名称であったが、1994年に現在の名称に改められた。1995年には国の史跡に指定された。同劇場では演劇のほか音楽のコンサートやバレエの公演が行われている。また、ダウンタウンにはオードウェイ演技芸術センター[27]が立地する。同センターは1985年に音楽用のホールとして建てられたが、2000年に多目的ホールへと用途を変え、それに伴って現在の名称に改められた。同センターではミネソタ・オペラやセントポール・チャンバー・オーケストラ、シューバート・クラブといった地元の楽団をはじめ、ブロードウェイミュージカルのツアー公演も行っている。

セントポールには博物館・美術館も数多く存在する。ミネソタ大学はセントポールキャンパス内にゴールドスタイン・デザイン美術館を有する[28]。ミネソタ科学博物館は技術自然科学物理学数学に関する展示物を展示している。ミネソタ交通博物館はミネソタ州会議事堂の北にあるジャクソン・ストリート転車台を保存し、博物館として公開している。この転車台は、もともとは1907年にグレート・ノーザン鉄道が設置したものであった。このほか、セントポールにはミネソタ子供博物館、シューバート・クラブ楽器博物館、ミネソタ・アメリカン・アート美術館、トレーシズ歴史文化博物館、ミネソタ歴史センターが立地している。

ランドマーク・センター

セントポール市内の歴史的な建造物としては、アレクサンダー・ラムジーの家、ジェームス・J・ヒルの家、フィッツジェラルドの家、フランク・B・ケロッグの家、ランドマーク・センターなどが残っている。ランドマーク・センターは1894年から1901年にかけて建てられたロマネスク調の建物で、連邦地方裁判所や郵便局として使われてきた。裁判所として使われていた時代には、ジョン・デリンジャーマシンガン・ケリーベビーフェイス・ネルソンなどがここで裁かれた[29][30]1969年に国の史跡に指定され、1972年から1978年にかけて全体的な改装がなされた。改装後はミネソタ・アメリカン・アート美術館、ラムゼイ郡歴史協会、シューバート・クラブが入居する、セントポールの芸術の中心地の1つとなっている。

イベント[編集]

毎年労働者の日の2週間前から当日まで、ミネソタ大学セントポールキャンパスに隣接するステート・フェア会場ではミネソタ・ステート・フェアが開催される。このミネソタ・ステート・フェアは全米50州のステート・フェアの中で、総来場者数がテキサス州のステート・フェアに次いで2位という大規模なものである。会期中には家畜の品評会、芸術展、料理ショーが開かれ、模擬店では特大のコーンドッグなどさまざまな食品が売られる。また酪農振興の一環として、プリンセス・ケイ・オブ・ザ・ミルキーウェイというミスコンテストが開かれる。同コンテストの参加者は親か兄弟姉妹が酪農業に従事していることが条件とされ、容姿だけでなく、コミュニケーション能力、酪農業界の知識、酪農業のプロモーションへの関心も評価基準とされる。

夏のビッグ・イベントがステート・フェアなら、冬の代表的なイベントはセントポール・ウィンター・カーニバルである。このカーニバルは、1885年ニューヨーク・タイムズの記者によって「セントポールシベリアのようだ。冬には人間が住むに適さない。」と書き立てられ、州都がそのような攻撃的言辞を受けたことへの反発として生まれた。メイン会場には「氷の城」をはじめとする数々の氷像が制作され、各種のパレードも繰り広げられる。また、イベントとしての「王室」も選定される。

スポーツ[編集]

エクセル・エナジー・センター

MLBミネソタ・ツインズNFLミネソタ・バイキングスNBAミネソタ・ティンバーウルブズと、ツイン・シティズにおけるメジャースポーツはほとんどがミネアポリスに集中している。セントポール側に本拠を置くメジャースポーツのチームはNHLミネソタ・ワイルドのみである。ワイルドはエクセル・エナジー・センターを本拠としている。そのほかにセントポールに本拠を置くスポーツチームとしては、独立リーグのアメリカン・アソシエーションに属する野球チームであるセントポール・セインツ北米サッカーリーグミネソタ・サンダーラクロスミネソタ・スワームプレミアバスケットボールリーグミネソタ・リップニーズが挙げられる。

メディア[編集]

スター・トリビューンをはじめ、ツイン・シティズにおける主要なメディアはほとんどがミネアポリスに集中している。セントポールでは日刊紙セントポール・パイオニア・プレス、週刊の地域紙イーストサイド・レビューに加え、いくつかの月刊紙が刊行されている。セントポール・イラストレイテッド誌は「セントポール」の名を冠してはいるが、実際には南郊のブルーミントンで発行されている。

人口動態[編集]

セントポールは人口の約2/3を白人が占めてはいるものの、ミネアポリス同様人種の多様性に富んだ都市である。セントポールで最も多いのはドイツ系の住民で、人口の20.1%を占める。アイルランド系(9.0%)、ノルウェー系(7.0%)がこれに次ぐ。また、セントポールは都市部におけるものとしては世界最大級のミャオ族のコミュニティを有している。アジア系の人口は総人口の約1/8にのぼり、そのほとんどはミャオ系やベトナム系である。

人口推移[編集]

以下にセントポール市における1860年から2010年までの人口推移をグラフおよび表で示す[31]

統計年 人口
1860年 10,401人
1870年 20,030人
1880年 41,473人
1890年 133,156人
1900年 163,065人
1910年 214,744人
1920年 234,698人
1930年 271,606人
1940年 287,736人
1950年 311,349人
1960年 313,411人
1970年 309,980人
1980年 270,230人
1990年 272,235人
2000年 287,151人
2010年 285,068人

姉妹都市[編集]

セントポールが長崎市に贈った地球星座の像。平和公園内、世界平和シンボルゾーンの一角に立つ。

セントポールは以下の11都市と姉妹都市提携を結んでいる。

[編集]

  1. ^ a b American FactFinder. U.S. Census Bureau. 2011年2月4日.
  2. ^ a b Trimble, Steve. A SHORT HISTORY OF INDIAN MOUNDS PARK. Neighborhood Pride Celebration. daytonsbluff.org. 2000年7月2日.
  3. ^ Indian Mounds Park. Mississippi National River and recreation Area. National Park Service.
  4. ^ a b c Gilman,Rhonda R. The Story of Minnesota's Past. pp.99-104. Minnesota Historical Society Press. 1989年. Saint Paul, Minnesota. ISBN 0-87351-267-7
  5. ^ Joe Rolette, Fur Trader and Legislator. Trolley Namesakes. The City of St. Paul.
  6. ^ 現在ではグレート・ノーザン鉄道、ノーザン・パシフィック鉄道ともにBNSF鉄道の一部となっている。
  7. ^ Wingerd, Mary Lethert. Separated at Birth: The Sibling Rivalry of Minneapolis and St. Paul. OAH Newsletter. Organization of American Historians.
  8. ^ About the City Council. City of Saint Paul.
  9. ^ ミネソタ州会議事堂周辺の地図. Yahoo!Map.
  10. ^ ミネソタ州会議事堂案内図. State of Minnesota. (PDFファイル)
  11. ^ ミネソタ州知事官邸周辺の地図. Yahoo!Map.
  12. ^ Grossman, Joshua. ProgressivePunch Leading with the Left. All Issues. ProgressivePunch.
  13. ^ ACU Ratings of Congress, 2006. American Conservative Union. 2006年.
  14. ^ St. Paul, Minnesota. Most common industries for males in 2005, Most common industries for females in 2005. City-Data.com.
  15. ^ History and Mission. Metropolitan Airports Commission.
  16. ^ TimeTableImages.com
  17. ^ About Metro Transit. Metropolitan Council.
  18. ^ Central Corridor next steps and timeline. Metropolitan Council. 2007年4月2日.
  19. ^ How do I get around?. Saint Paul RiverCentre Convention & Visitors Authority.
  20. ^ Gill, N.S. Skyways: Downtown Minneapolis and St. Paul Skyways. About, Inc., The New York Times Company. About.com.
  21. ^ Best Colleges 2013: National Liberal Arts College Rankings. p.3. U.S. News & World Report. 2012年.
    2013年版(2012年発行)では24位であった。
  22. ^ William Mitchell College of Law.
  23. ^ About Us. St. Paul Public Schools.
  24. ^ Alphabetical List of Nonpublic Schools. Minnesota Department of Education. 2005年.
  25. ^ Charter Schools. Minnesota Department of Education. 2005年.
  26. ^ Fitzgerald Theater. Minnesota Public Radio.
  27. ^ Ordway Center for the Performing Arts. 2006年.
  28. ^ Goldstein Museum of Design.
  29. ^ Landmark Center. Yahoo Travel. Yahoo.
  30. ^ The Landmark Center. Citiesarchitecture.com.
  31. ^ Gibson, Campbell. Table.1 Population of the 100 largest cities and other urban places in the United States 1790 to 1990. Population Division, U.S. Bureau of the Census. 1998年6月.

外部リンク[編集]