蜘蛛巣城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
蜘蛛巣城
監督 黒澤明
脚本 小国英雄
橋本忍
菊島隆三
黒澤明
製作 黒澤明
本木荘二郎
出演者 三船敏郎
山田五十鈴
千秋実
音楽 佐藤勝
撮影 中井朝一
編集 黒澤明
配給 東宝
公開 日本の旗 1957年1月15日
上映時間 105分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
テンプレートを表示

蜘蛛巣城』(くものすじょう)は、東宝が1957年(昭和32年)に公開した映画。黒澤明監督作品。

概要[編集]

シェイクスピア戯曲マクベス』を日本の戦国時代に置き換えた作品。原作の戯曲にメイクや演出など、の表現が織り交ぜられており、翻案物にもかかわらず、原作の雰囲気を最も忠実に再現した作品として広く知られている。

エキストラ人員とオープンセットは、数ある黒沢作品で随一の規模となっている。巻頭の霧の中から城の現れるシーンは、ハリウッド映画『未知との遭遇』(1978年)で、第二次大戦中行方不明となった海軍機が砂嵐の中から姿を現すシーンに影響を与えたとされる。ラスト近くの「森が動くシーン」では、円谷英二特技監督による特撮が使われている[1]

あらすじ[編集]

時は戦国時代。蜘蛛巣城城主・都築国春は北の館(きたのたち)城主・藤巻の謀反に遭い、篭城を決意する。そんな中、鷲津武時と三木義明の活躍によって形勢が逆転したとの報せが入る。国春に召されて嵐の中を急ぐ武時と義明は、途中の「蜘蛛手の森」で迷ってしまう。そこで2人は奇妙な老婆と出会い、武時は北の館の主、そして蜘蛛巣城の城主になることを、義明は一の砦の大将となり、やがて子が蜘蛛巣城の城主になることを告げられる。老婆の予言通り、国春によって武時は北の館の主に、義明は一の砦の大将に任ぜられる。

武時から一部始終を聞いた妻・浅茅は、老婆の予言を国春が知れば、城主の地位を脅かすものとして武時を殺すに違いない、そうなる前に彼を殺せとそそのかし、武時の心は揺れ動く。折りしも、兵を引き連れた国春が隣国の乾を攻めるために北の館へやって来る。その夜、浅茅は見張りの兵士たちを痺れ薬入りの酒で眠らせる。決意を固めた武時は、国春を槍で刺す。嫌疑をかけられた臣下・小田倉則安は国春の嫡男・国丸を擁し、2人で山に逃れる。

晴れて蜘蛛巣城の城主となった武時だったが、子がないために義明の嫡男・義照を養子に迎えようとする。だが浅茅は「三木殿の御子のために主君を殺したわけではない」と不満を述べる。加えて浅茅から懐妊を告げられた武時は、義明親子に刺客を送り込む。宴の最中、武時は死装束に身を包んだ義明の幻を見て、取り乱す。すっかり座もしらけて客が皆引き上げた後、武時の元に刺客が現れ、義明は討ち取ったものの、義照は取り逃がしてしまったと報告する。怒る武時は、その場で刺客を殺してしまう。

嵐の夜、浅茅は死産し、重体に陥る。その時、使武者から国安を奉じた則安と義照を筆頭とする乾の軍勢が国境を越え、一の砦、二の砦を包囲したとの報せが入る。戦意を喪失し、無策の武将たちに苛立った武時は、轟く雷鳴を聞いて森の老婆のことを思い出し、一人蜘蛛手の森へ馬を走らせる。現れた老婆は「蜘蛛手の森が動かぬ限り、武時は戦に敗れることはない」と予言する。

依然動揺する将兵に、武時は老婆の予言を語って聞かせ、士気を高める。その夜、森から斧の音が響きわたり、次いで野鳥の群れが城に飛び込む。不気味な雰囲気に包まれた夜が明けたその日、浅茅はついに発狂し、汚れてもいない手を「血が取れぬ」と永遠に洗い続け、侍女たちはうろたえる。そして動き出した蜘蛛手の森に混乱する兵士たち。持ち場に戻れと怒鳴る武時めがけて、愛想を尽かした味方達の中から無数の矢が飛ぶ。逃げ惑う武時の首を、一本の矢が射抜くのであった。

うごめくように見えた森の中では、則安の軍が森の木を切り、それを盾にしながら前進する姿があった。

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

受賞記録[編集]

撮影に関するエピソード[編集]

劇中で伝令の男が城門を叩く場面では、当初土屋嘉男が推薦した俳優が演じていたが、「演技が嘘っぽい」として黒澤監督が気に入らず、数日を費やしたため、監督直々の頼みで土屋が吹き替えをすることとなった。また、鷲津武時に騎馬の伝令が敵情を緊急報告する場面で、ベテランの馬術スタッフが急に「役が重すぎる」と怖気づいてしまった。このため、乗馬の心得のある土屋は再び黒澤監督から直々の頼みを受け、この伝令の役を演じている。土屋は3回目のカットが会心の出来だったが、黒澤監督は馬の動きに注文を出し、何度もテイクを重ねた。たまりかねた土屋はわざと監督めがけて馬を走らせて、逃げる監督を追いかけ回し、3度目のカットにOKをとらせた。あとで黒澤監督は土屋に「さっき俺を殺そうとしただろう、あの眼には殺気があった」と言ったという。

黒澤監督は撮入前に、役作りの参考として鷲津武時役の三船には、能面の「平太(へいだ)」を見せ、山田五十鈴の浅芽には「曲見(しゃくみ)」を見せた。三船は謀反の際、山田は発狂の場面でそれぞれ「平太」と「曲見」の表情をしている。浅芽発狂の場面は、ステージの中だったが、わざわざ日中を避け、深夜に撮影が行われた。

本作のロケは、おもに富士山の東の中腹の御殿場市太郎坊で行われた。土屋や千秋実は、撮影期間中、ロケ現場とふもとの旅館を、三船敏郎の自家用車のジープに乗せてもらって往復していた。全員、扮装も衣装も劇中の武者姿のままだったという[2]

三船演ずる武時が次々と矢を射かけられるラストシーンは、特撮ではなく、実際に三十三間堂の通し矢の名手に、学生弓道部の部員が直接三船めがけて矢を射た(ただし遠距離からではなく、カメラフレームすぐ横からの射的)。実際撮影が終了した後、三船は黒澤に「俺を殺す気か!?」と怒鳴ったとのことである。その後も、自宅で酒を飲んでいるとそのシーンのことを思い出し、あまりにも危険な撮影をさせた黒澤に、だんだんと腹が立ってきたようで、酒に酔った勢いで散弾銃を持って黒澤の自宅に押しかけ、自宅前で「こら〜!出て来い!」と叫んだという。石坂浩二の話によると、このエピソードは東宝で伝説として語り継がれている[3]。 また、このシーンに関して、橋本忍によると、弓を射るのが師範クラスではなく学生だったので、三船は本気で恐怖を感じていたという。そのため、撮影の前日は眠ることも出来ないほどだった。それもあって、三船の酒の量が超えたときに、刀を持って黒澤が泊まる旅館の周りを、「黒澤さんのバカ」と怒鳴りながら回ったという。黒澤自身は恐くて部屋に籠り、三船を怖がっていたと語っている[4]

そんな三船は頻繁に「黒澤の野郎、あいつバズーカ砲でぶっ殺してやる!」ともらしていたという。

脚注・出典[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 『特技監督中野昭慶』(ワイズ出版)
  2. ^ ここまでのエピソードは、土屋嘉男『クロサワさーん! 黒澤明との素晴らしき日々』(新潮社、1999年)より
  3. ^ 2008年11月22日放送「SmaSTATION!!」出演時に発言
  4. ^ 松田美智子「三船敏郎の栄光とその破滅」(月刊文藝春秋 2013年11月号)、改訂され『サムライ 評伝三船敏郎』(文藝春秋、2014年)。

外部リンク[編集]