七人の侍

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七人の侍
監督 黒澤明
脚本 黒澤明
橋本忍
小国英雄
製作 本木莊二郎
出演者 三船敏郎
志村喬
加東大介
木村功
千秋実
宮口精二
稲葉義男
音楽 早坂文雄
撮影 中井朝一
編集 岩下広一
配給 日本の旗 東宝
公開 日本の旗 1954年4月26日
上映時間 207分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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七人の侍』(しちにんのさむらい)は、東宝1954年昭和29年)4月26日に封切り公開した時代劇日本映画である。監督は黒澤明。白黒、スタンダード、207分。

あらすじ[編集]

前半部と後半部に分かれ、前半部では主に侍集めと戦の準備が、後半部では野武士との本格的な決戦が描かれる。前半部と後半部の間には5分間の休憩がある。

前編[編集]

戦国時代、戦により行き場を失い盗賊と化した野武士(作中では「野伏せり」という言葉が使われる)の一団がある農村を狙っていた。村は前年も野武士に襲われ略奪の憂き目にあっていた。麦が実ったらまた村を襲うことに決めて去る野武士を偶然居合わせた村人が目撃していた。村が絶望に包まれる中、利吉という若い百姓が我慢の限界に達し、野武士を皆突き殺すべきだと主張する。村人の相談を受けた長老の儀作は村を守るために侍を雇うことを思い立つ。

町に出た利吉、茂助万造与平の四人は侍を探すが、申し出はことごとく断られ途方にくれる。そんな中、利吉達は無防備な僧に化けて盗人の人質に取られた子供を助け出し、礼も受けずに去ってゆく初老の浪人勘兵衛の姿を目撃する。騒ぎを見ていた見物人の中にいた柄の悪い浪人風の男が勘兵衛に絡む横で、同じく見物人の中にいた若侍の勝四郎が弟子入り志願する中、利吉は勘兵衛に野武士退治を頼む。勝四郎は乗り気だが勘兵衛は無理だと一蹴、やるとしても、せめて侍が7人必要だという。去ろうとする勘兵衛たちに対し、これまで百姓を馬鹿にしていた同宿の人足が、百姓の苦衷を分かっていながら行動しないことをなじり、百姓は侍に米を食べさせ、自身は稗で我慢していることを訴える。勘兵衛はその言葉を聞き、百姓の頼みを引き受ける。勘兵衛の下には、その人柄に惹かれたという五郎兵衛を皮切りに、勘兵衛のかつての相棒七郎次、快活なふざけ屋の平八、剣術に秀でた久蔵が集う。さらに利吉達の強い願いで、勝四郎も六人目として迎えられる。時間の節約を考え七人目をあきらめようとしたところに、以前勘兵衛が盗人を倒した後、帰ろうとする勘兵衛を興味深そうに睨み回していた柄の悪い浪人風の男が現れて菊千代と名乗り、村へ向かう六人の侍と利吉たちに勝手について来る。

村に到着した侍たちに村人は怯え姿を隠すが、菊千代の型破りな行動でその警戒は解かれる。その様子を見て、平八はこれで七人揃ったと笑う。勘兵衛たちは村の周囲を回り、弱点を調べ上げて村を要塞化する案を練る。百姓たちも戦いに加わるために組分けされ、それぞれ個性的な侍たちの指導により鍛え上げられる。一方勝四郎は山の中で万造の娘・志乃と出会い、互いに惹かれてゆく。勘兵衛達が防衛の策を練っているとき、この村の百姓が落ち武者狩りをしていたことが判明し、侍たちは憤る。それに対し菊千代は侍達に百姓ほど悪ずれした者はいない、百姓をそうさせたのは戦いや略奪を繰り返す侍達だと叫び、百姓の出であることを見抜かれる。菊千代の叫びの前には、侍たちも怒りを収めるしかなかった。

刈り入れの時期が迫り村が結束を固める中、自分の住む離れ家を引き払うほかはないという話を聞いた茂助は、自分たちの家だけを守ろうと結束を乱す。それに対し勘兵衛は抜刀して追いたて、村人に改めて戦の心構えを説く。

後編[編集]

麦の収穫が行われ、しばしの平和な時もつかの間、ついに物見の野武士が現れる。物見を捕らえ、本拠のありかを聞き出した侍たちは土地勘のある利吉の案内で野武士の本拠にたどり着き焼き討ちするが、野武士にさらわれ山塞に囚われていた利吉の妻が、利吉を見て火の中に身を投じる。混乱の中、妻に追いすがる利吉を取り押さえる平八が野武士の放った銃弾を受け力尽きる。皆が平八の死を悼む中、菊千代は生前平八が作り上げた旗を村の中心に高く掲げ挙げる。それと同時に野武士が襲撃を始め、戦いの火蓋が切られる。

柵と堀によって馬に乗った野武士の侵入は防がれたものの、村の防衛線の外にある離れ家と儀作の水車小屋は、野武士の焼討ちに任せるままにするしかなかった。この折、水車小屋に篭った儀作を引き戻そうとした息子夫婦が野武士に突き殺される。菊千代は助かった赤子を抱き、自分の境遇と重ねて号泣する。

その日の夜から朝にかけ、勘兵衛の地形を生かした作戦が奏功し野武士が順調にその数を減らしてゆく中、久蔵の豪胆さを褒め称え「本当の侍」と評する勝四郎の言葉を聞いた菊千代は、抜け駆けして手柄を得ようと持ち場を離れる。その隙に戦法を変えて襲来した野武士によって与平を含む多くの村人が殺され、侍も五郎兵衛を失う。

追い詰められた野武士との決戦の迫る前夜、勝四郎は志乃に誘われ初めて体を重ねる。その場を万造に見咎められ、二人の仲は皆に知れ渡る。

翌朝、折からの豪雨の中、残る十三騎の野武士との決戦が始まる。泥沼の戦場の中皆は奮戦し、あと一歩のところまで野武士を追い詰めるが、久蔵が小屋に潜んだ頭目に撃たれて命を落とす。菊千代はその身に弾を受けながらも頭目と相打ちになり、ついに野武士は全滅する。

初夏、脅威から逃れ平和を取り戻した村では歓喜の中で田植えが行われる。その様子を戦で生き残った勘兵衛、七郎次、勝四郎の3人が眺めている。勝四郎と志乃は一瞬目を合わせるが、志乃はそのまま勝四郎のそばを通り抜け田植えに加わる。勘兵衛は威勢よく田植えをしている百姓を眺めながら、勝ったのは百姓たちであり自分たちではないとつぶやく。勘兵衛の振り返った先には、今度の戦で散った四人の侍の墓が風に吹かれて並んでいた。

概要[編集]

東宝のゴールデンウィーク興行作品。日本の戦国時代(劇中の台詞によると1586年[1])を舞台とし、野武士の略奪により困窮した百姓に雇われる形で集った七人のが、身分差による軋轢を乗り越えながら協力して野武士の一団と戦う物語。シナリオやアクションシーン、時代考証などを含めて高い評価を得、その後の多くの映画作品に影響を与えた。

また、黒澤がマルチカム撮影方式を初めて採用した作品としても知られる。撮影は常に二台のキャメラで行われ、リハーサルでもキャメラが回された。野武士の山塞を襲撃する場面では、8台のミッチェル・キャメラが同時に回され、それぞれがアップ、ロングなど別々の画を撮った。このため、キャメラをとられて撮影が出来なくなり、休みになった組もあった[2]。本作での同方式使用は限定的なものであったが、その予想以上の効果に驚いた黒澤は、以後同方式を常用することとなった。

撮影に入るまで[編集]

黒澤は『生きる』に続く作品に時代劇を撮る予定であった。それまでの時代劇は歌舞伎などの影響を受けすぎており、黒澤はこれまでの時代劇を根底から覆すリアルな作品を撮ることを考え、橋本にシナリオ初稿の執筆を依頼。まず、城勤めの下級武士の平凡な一日がストーリーの根幹になる物語を検討したが、「当時の武士の昼食は、弁当持参だったのか、給食が出たのか」「当時は1日2食であり、昼食を摂る習慣はなかったのではないか」等の疑問が解決できなかったため、「物語のリアリティが保てない」という理由で断念。次に上泉信綱などの剣豪伝をオムニバスで描く作品を考え、橋本が脚本初稿を執筆したが、「クライマックスの連続では映画にならない」とこれも断念。次に、その後、戦国時代の浪人は武者修行の折りにどうやって食べていけるのかを調べていったところ、農民達に飯と宿を与えてもらう代わりに寝ずの番をして「ヤカラ」から村を守るという話が出てきたため、「武士を雇う農民」をストーリーの根幹に据えることとなった(侍の一日も参照)[3]。 黒澤は、この映画を何十回も見たという井上ひさしとの対談で、どうやったらこのような絶妙なシナリオが書けるのか問われると、この脚本の根底にあるのはトルストイの『戦争と平和』である。その中からいろいろなことを学んでいる。また、アレクサンドル・ファジェーエフの『壊滅』も下敷きになっていると答えた。 [4]

撮入前の本読みが始まると、扮装テストも毎日行われ、黒澤は着物の柄を描いたり役者のスケッチをした。本作のために黒澤にスカウトされた土屋嘉男は、黒澤自身から丹念にメイクアップされ、日毎訂正された。衣装が出来上がってくると、黒澤は「役の上では着たきり雀だから」と、俳優たちに着物(三着同じものが用意された)を渡し、それぞれ持ち帰って撮影中は毎日来て汚し、垢じみた感じにしてくれと命じた。なかなか汚れない着物に、じれったくなった土屋は土の上に寝転んだり魚釣りに着て行ったりしたので、「あそこの息子は可哀想に変になった」などとうわさされた。困った土屋は蝋を染み込ませた上から軽石でこすって、うまく着古した感じを出して工夫した。

やがて衣装に愛着の湧いてきた土屋に、黒澤は「完成したら一着お前にやる」と約束したので、土屋は期待していたが、結局本作の衣装はフランスのフィルムライブラリーに寄贈されてしまった。また、黒澤は「今までの時代劇とは全く違う鬘を作ってくれ」と「山田かつら」の山田順次郎に頼み、実際の髷のように生え際が後に逃げ、毛は少なく髷も細く、羽二重もリアルな材質にしてもらった[5]

黒澤は「ジョン・フォードみたいな時代劇が作りたい」と考え、本作に取りかかった。小国英雄によると、黒澤は「一人の人間が何十人もの相手を斬るって言うのは嘘だ」と語っており、「何十本もの刀を用意して刀を替えながら戦った」という剣の名人の足利義輝に倣って、菊千代に刀を地面に立てさせ、何人か斬る毎に刀を替える場面を挿入している。小国は「そういうふうなことを、彼(黒澤)はやたらに一生懸命勉強したわけですよ。立ち回りでもなんでもね。その努力のたまものですよ、あの場面の張りつめた面白さは」と語っている。衣装やこうした立ち回りすべてが、黒澤のリアル志向の表れだった[6]

また黒澤監督はドボルザークの『新世界交響曲』が好きで、土屋に「助監督の頃からこれをずーっと聴いていてね、今に監督になったらこんな感じの映画を撮りたいと思い続けていたんだよ。そしてそれが実現しつつあるんだよ」と語り、『七人の侍』の原動力は『新世界交響曲』だとしている。黒澤監督は常に音楽を先行させて、イメージを膨らませ、作品作りを行っていた[7]

撮影の開始[編集]

撮影風景

当時の映画としては超大作と言える2億円の資金が投じられ、製作には充分な時間がとられた。脚本は数人がかりで練りこまれた。撮影は一部スタジオで行われた分を除き、大部分が東宝撮影所付近の田園(現:世田谷通り大蔵団地前)に作られた巨大な村のオープンセットと、伊豆から箱根にかけて、丹那トンネル直上や伊豆市堀切など各地の山村でのロケーション撮影で行われた。ロケ地にもオープンセットと違和感なくつながるように村の一部を建設したため建設費も大きくなった。

冒頭のシーンが撮られた丹那トンネル直上

本作の撮影場面の半分はロケで行われた。冒頭の武士が村を見下ろす場面と、大俯瞰の村々のセットは丹那トンネル真上に作られた。クランクインは昭和28年5月27日。まず利吉(土屋)と万造(藤原)の取っ組み合いの喧嘩の場面から始められた。スタジオ撮影では、水車小屋のセットでの撮影で、黒澤監督がイライラしはじめ、スタッフや役者にまでイライラが伝染して難渋。土屋が原因を調べたところ、換気装置が老化して機能していなかった。監督たちは湿気のためにイライラしていたのである。以後、このステージは「地獄小屋」と呼ばれてスタッフに恐れられた。野武士の騎馬と竹槍農民との合戦は、伊豆でロケされた[8]

本作には、無名時代の仲代達矢と、宇津井健も出演している。本作出演の決まった仲代は毎朝早くに撮影所に出掛け、家に帰る頃には足の親指と人差し指の間が(鼻緒で)擦れて血だらけになっていて、仲代は加地健太郎に「いやぁ、黒澤監督ってのはすごいよ、今日も一日歩かされた」と語っている。浪人が歩く数秒のカットだけで、黒澤監督は何日もリハーサルを重ねて撮影に臨んでいた[9]

本作の撮影は一年近くかかった。秋になると「一体いつ終わるのか」と賭けをする者もあらわれ、黒澤自身までその賭けの仲間に入った。そうこうするうちに年越しの気配となり、撮影所所長が余りの予算と日数のオーバーの責任をとって、辞表を出す騒ぎとなった。こうしてついに東宝本社は撮影中止命令を出し、「撮影済みのフィルムを編集して完成させる」と決定。重役だけ集めて試写を行った。

試写フィルムは、野武士が山の斜面を駆け下り、菊千代(三船敏郎)が「ウワー、来やがった、来やがった!」と屋根で飛び上がり、利吉の家に旗がひらめいたところで終わり、ここから合戦という場面でフィルムがストップする。がっくりきた重役達は「存分にお撮り下さい」と黒澤に伝え、撮影所所長は復帰。黒澤は「最初からこうなることを予測して、最も肝心な最後の大決戦の所を後回しにして撮らなかったんだよ」と土屋に語っている。撮影再開が決まり、黒澤家ではスタッフキャストを集めて乱痴気騒ぎの大宴会が開かれた[10]

この試写の現場では、重役から「これの続きは」と詰め寄られ、黒澤は「ここから先はひとコマも撮っていません」と告白(これはハッタリではなく本当に撮っていなかった)[11]、そのまま予算会議となり、追加予算を付けてもらったともいわれている。また撮影期間は3ヶ月の予定だったが、設定変更などで大幅に長引き、結局1年がかりで撮影されることとなった。

過酷な撮影[編集]

昭和28年秋になって、野武士の山塞を襲撃する場面が8台のミッチェル・キャメラを用意して撮影されたが、撮影所の大オープンセットでの撮影初日に、宣伝部が見学者を入れてしまった。これを極端に嫌う黒澤監督は激怒し、脚本を地面に叩きつけて帰ってしまい、その日は撮影は休みとなってしまった。この野武士の山塞襲撃での、砦に火を点けるシーンは、実際に砦を燃やしての撮影だったため、消防署立ち会いの下、消防ポンプが待機していた。しかし黒澤監督が中止としたので、これも出番は翌日繰り越しとなった。ところが翌日は乾燥注意報が出て、あちこちで火事があり、消防ポンプが出払ってしまって、ポンプが来たのはかなり遅い時間になってしまった。その間にスタッフが「よく燃えるように」と小屋にガソリンをかけたことで、大変な事態となってしまった。利吉役の土屋が女房を追って砦の中に入るシーンで、バックドラフト現象が起きてしまったのである。突然の爆風と、想像以上に激しい火の勢いのため、土屋は意識を失ってしまい、以後のことは覚えていないと語っている。

この爆発で、つながれていた馬はすべて自分で綱を切って逃げてしまい、野武士たちも残らず逃げてしまった。土屋は熱風により鬘も眉も焦げ、顔は火ぶくれを負って膨れ上がった。望遠キャメラだけが土屋を追っていたが、ラッシュフィルムには黒澤や消防士まで写っていて、この場面は使えなかった。大金をかけたセットは焼失し、スタッフルームで土屋がしょんぼりしていると、そばで黒澤もうつむいて涙を浮かべていた。土屋はその晩病院で一泊する羽目となっている。後日、主映像となるカットを撮り直したものの「やはり当日のものが迫力があっていい」と、土屋の場面はそのまま使われた。完成後、黒澤は土屋に「俺も君も、あの山塞のことは一生忘れないだろうね・・・」とぽつりと語ったという[12]

利吉の女房役、島崎雪子は限界まで演技をしたため、撮影直後に火ぶくれで顔がみるみる腫上がった。また、その時に大事な小道具を砦の中に落とし、砦もろとも焼失する。消火活動も困難だったらしく、砦のセットの周りの森も焼け果てていた。

クライマックスの雨中の合戦では、黒澤は雨をより激しく見せるため、雨の中に墨汁を混ぜて撮影を行った。映画では9月ごろという設定であるが、撮影は2月の極寒の積雪の中で行われ、三船や加藤をはじめ肌着一枚やほぼ裸の役者にとってはとてもきついものであった。実は「雨の決戦」というシチュエーションも、積雪がある2月の撮影ゆえに誕生したものだった。オープンセットに積もった雪を溶かすために消防ポンプ数台でぐちゃぐちゃにし、さらに大量の水をポンプで撒いたため、現場全体が泥濘と化し、これを逆に利用したのである。 当時のハリウッドにおけるアクション娯楽映画といえば西部劇がまだ幅を利かせている頃で、対決シーンというと炎天下の砂塵が吹く中での対決が主流となっており(そもそも降雨が少ない)、豪雨の中での合戦シーンというそれまでになかった手法に、ハリウッドだけでなく世界中の映画関係者、映画ファンを驚かせた。

黒澤監督はこの雨のシーンについて、「アメリカの西部劇では常に晴れている、だからこそ雨にしようと思いついた」と語っている。監督はじめ全員が凍りつく雨の中で何日も頑張ったが、誰一人風邪をひかなかった。土屋嘉男は「今思えば、あの時のオープンセットは、泥と共に、一同のアドレナリンが飛び交っていたように思える。一日の撮影が終わるごとに、皆一様に、『戦い終わり日が暮れて・・・』を実感した」と振り返っている。皆撮影が終わると、撮影所で風呂に入り、家でまた風呂に入ったが、泥がなかなか落ちなかった。三船敏郎は「尻についた泥がどうしても落ちない」と毎朝顔を合わせる度に吠えていたという。完成から15年ほどのちに、土屋ら一同が顔を合わせたが、全員が「あんな撮影はもう二度とできない。体力の限界!」との言葉が期せずして口から出たという[13]

『七人の侍』の音楽[編集]

本作で最も有名な曲である「侍のテーマ」は早坂文雄が作曲した。はじめ黒澤は、早坂が用意していた曲がすべて気に入らずに没案となったが、困った早坂がごみの中に捨てていた楽譜の一枚をピアノで演奏したところ、採用となった[14]

土屋嘉男によると、黒澤は「侍のテーマが決まったよ」とハミングで歌ってみせ、土屋に「これ大変だったんだよ、早坂がねえ、20曲くらい作って早坂の家で一つ一つピアノで弾いてくれたけど、どれも気に入らないんだよ。全部弾き終わったけど黙って首をひねっていたら急にもぞもぞ部屋の隅の紙屑箱の中に手を突っ込んで、『こんなのもあるけど』とぐちゃぐちゃに丸めた紙を出して、その皺を伸ばして弾き始めたんだよ。それを聴いた途端、これ! これ! と、これに決まったんだよ」と語っている。早坂は当時、肺結核の身を押して、本作のために60日かけて300枚の曲のデッサンを書いている。「農民のテーマ」について、黒澤は土屋に「これねえ、早坂が日本中の古い囃言葉を調べて作ったんだよ、面白いよ」と教えてくれた。田植えの場面は撮影最後になったが、土屋が一年かかった撮影を思って高らかにこのテーマを歌った。「ドッコイコラコラ、サーッサッ」というところにくると、黒澤監督はキャメラの横で「得も言われぬ顔でニコーッと笑った」という。土屋は「なぜそこにくると笑うのかは知らないが、監督のあの笑顔は今も忘れるものではない」と述懐している[15]

登場人物[編集]

七人の侍[編集]

島田勘兵衛(しまだかんべえ)
演:志村喬
七人の侍を率いることになる浪人。そろそろ五十に手が届く歴戦の武士だが、敗戦続きで浪人となる。白髪が目立つ風貌で、若い頃の「一国一城の主」という志も肉体的年齢的に既に叶わぬ己の身に一抹の憂いを見せる。剃髪した頭をなでるのが癖。
剃髪して僧に成りすまし、豪農の子供を盗人から救ったことで利吉達に助けを請われる。当初は乗る気にならなかったが、百姓の懇願や人足の言葉に負け引き受けることを決意する。野武士との戦では地形を生かした策を練り、戦いを有利に進める。普段は温厚で冷静沈着だが、規律を乱す者には非常に厳しい態度で接する。
本朝武芸小伝』にある上泉信綱の強盗から子供を救出する逸話を映像化している(上泉信綱の逸話では強盗さえ殺さずに救出するが、この映画では強盗を斬っているという違いがある)。弓の達人であり、最終決戦において村に突入してきた騎馬を、豪雨に全身を晒しながら土盛りの上に仁王立ちした勘兵衛が次々に射落としていくシーンは、クライマックスにおける白眉となっている。 衣装は平造・合口拵えの短刀に、打刀拵え太刀と、戦国時代後期の初老の侍のいでたちをしている。
菊千代(きくちよ)
演:三船敏郎
勘兵衛の強さに惹かれ勝手についてくる山犬のような男。長大な刀を肩に担いで浪人のように振舞っているが勘兵衛に即座に侍ではないと見破られる。
元々は百姓の出で、戦で親を失い孤児として育つ。素足で歩き回ったり、馬に乗れないなど、侍になり切れないことがうかがえる。「菊千代」という名前は勘兵衛に自分が侍だと思われたいがために他人の家系図を勝手に盗んで名乗った名前で、後に仲間として受け入れられた時にそのまま定着する。
型破りで特別に血がたぎった熱い男で、百姓と侍を結びつける仲介役。獰猛な男だが、戦うときは勇敢に戦う。ただし戦いは喧嘩のように荒々しい。野武士との戦では東の川沿いの守りを任される。額当てのように、篭手を頭に巻く。
当初は膳兵衛という名前で、戦国が生んだ鬼という久蔵に似た暗いキャラクターとして描かれていたが、黒澤が侍の中に型破りで明るく、また侍と百姓のバイパスとなるキャラクターが欲しいという要望で、三船の性格をモデルに菊千代へとキャラクターが変更された。 その三船は脚本に軽く目を通した際、黒澤に向かって「この菊千代というのが僕ですね」と配役も告げていない段階で言い当てた。 前半はお荷物に近い扱いだが、後半ぐんぐんと存在感を増し、事実上の主役であることがはっきりしてくる。クレジット上もリーダー役の志村喬より上位に置かれている。
岡本勝四郎(おかもとかつしろう)
演:木村功
育ちがいい裕福な郷士の末子で半人前の浪人。七人の中では最年少で、まだ前髪も下ろしていない。浪人になりたいと親に頼んでも許さないので家を飛び出して旅をしている。勘兵衛の姿にあこがれて付いて行こうとするが、勘兵衛に浪人の辛い現実を教えられ一時動揺する。実戦経験はなく、すべてが新しい経験ばかりで、事件を若々しい敏感な感情で受け取る。野武士との戦では伝令役を任される。
森の中で百姓の娘の志乃と出会い、互いに惹かれ合う。
片山五郎兵衛(かたやまごろべえ)
演:稲葉義男
勘兵衛の腕試しを一目で見抜き、その人柄に惹かれて助力する浪人。いつでも静かでおだやかだが、その物柔らかさの下に何か人をなだめるような力がある。軍学は相当でき、経験も豊富。野武士との戦では勘兵衛の参謀役を務める。
腕試しを見抜くシーンは塚原卜伝のエピソードをモデルにしている。
七郎次(しちろうじ)
演:加東大介
勘兵衛の最も忠実な家臣。勘兵衛は「古女房」と呼ぶ。過去の戦 (やはり負け戦) で勘兵衛と離れ離れになった後、物売りとして過ごしていた。再会時には勘兵衛の顔付きだけでその求むるところを知り、ただちにそれに従って動く。
落ち武者となって農民に竹槍で追われた経験があり、その憎しみは強いが、戦の最中は百姓たちを常に励まし、自分の組に入った万造には特に気遣いを見せる。野武士との戦では西の入り口の守りを受け持ち、侍たちの中で唯一を振るう。
林田平八(はやしだへいはち)
演:千秋実
苦境の中でも深刻にならない、愛想の良い浪人。明るく柔軟で人懐っこく、よく冗談を言う。茶店で代金代わりに薪割りをしているところを五郎兵衛に誘われる。武士としての腕は少し心もとなく、五郎兵衛はその腕を「中の下」と評した。
「戦に何か高く翻げるものがないと寂しい」と、百姓を表す「た」の字と侍を表す○を六つ、菊千代を表す△をひとつ描いたを作る。
久蔵(きゅうぞう)
演:宮口精二
修業の旅を続ける凄腕の剣客。世の中で頼りになるのは自分の腕だけだと思っており、勘兵衛は「己をたたき上げる、ただそれだけに凝り固まった奴」と評し、口数が少なくあまり感情を表さないが、根は優しい男である。野武士との戦では北の裏山の守りを受け持つ。純粋な「少年性」を演出するため、「肩衣」はつけておらず、合戦時も他の侍と異なり、籠手(こて)や額当(勘兵衛。菊千代は半首)、腹巻(勝四郎)・腹当などの防具は着用していない。
宮本武蔵もしくは柳生三厳がモデルで、初登場シーンにおける浪人との果し合いは三厳のエピソードをモデルとしている。

村の百姓[編集]

儀作(ぎさく)
演:高堂国典
離れの水車小屋に住む長老。百姓たちには「じさま(爺様)」と呼ばれており、村の知恵袋的存在。利吉の野武士と戦う提案に侍を雇うことを教える。最期まで水車小屋から離れる事を頑なに拒み、野武士襲撃の際に燃え盛る水車小屋と運命を共にする。
利吉(りきち)
演:土屋嘉男
年若の百姓。迫り来る野武士と戦おうと、絶望する皆の前で真っ先に言い出し、儀作の教えで浪人探しに町へ出る。侍探しには最も積極的。女房を野武士にさらわれたことで野武士に強い恨みを持っているが、感情を押し殺す性格で常に険しい表情をしており、平八に気遣われながらも心を閉ざし続ける。村に着いた侍たちに家を明け渡し、炊事等の世話役を務める。
茂助(もすけ)
演:小杉義男
壮年の百姓。利吉たちと共に浪人探しに出る。普段は百姓達のまとめ役でしっかり者だが、防御線の外にある自分の家を捨てねばならないと知った時は猛反発して独断行動をとる事もあった。しかし勘兵衛の大喝によって泣く泣く家をあきらめ、村を守る為に奔走する。合戦時は久蔵の組に入る。
万造(まんぞう)
演:藤原釜足
壮年の百姓。志乃の父。自己保身ばかり考えており、すぐにふてくされる、身勝手な性格。野武士と戦うことに消極的だが儀作の提案で嫌々浪人探しに町へ出る。
利吉とは何かと折り合いが悪く、積極的な利吉に毒を吐いて喧嘩になることが多い。
利吉の女房の二の舞を危惧し、親心から娘を守ろうと、泣き叫び抵抗する志乃の髪を切って無理矢理男装させるが、それが原因で村中騒然となる。勘兵衛ら侍達にも娘を取られるのではと警戒しており、志乃を男装させたままにする。合戦時は七郎次の組に入る。
与平(よへい)
演:左卜全
やや鈍く、間の抜けた中年の百姓。意気地がなく、すぐに泣きべそをかく上に、失敗が多い。利吉たちと共に浪人探しに町へ出る。合戦時には菊千代の組に入る。菊千代には「阿呆」呼ばわりされ、小突かれながらも親しい間柄となる。痩せ馬を一頭持っており、後に菊千代が乗ることになる。
合戦時の合間に菊千代が持ち場を離れたため、再び襲ってきた野武士に防具の無い背後から弓で襲われて死亡する。
志乃(しの)
演:津島恵子
万造の娘。万造の手により髪を切られ男装することになる。勝四郎に思いを寄せる。素朴で純情な少女だが、情熱的なものを内に秘めている。
利吉の女房
演:島崎雪子
収穫物を野武士に強奪される代わりとして、村から人身御供で差し出された女性。野武士の山塞に囚われの身となる。菊千代らの手によって火が放たれた際に、火に気付くと叫んだり逃げたりする代わりに凄味のある笑みを浮かべた。幽鬼のような状態で出てくるが、眼前に現れた夫・利吉に驚き、焼け崩れる山塞の中に姿を消す。出番は非常に少ないが、オープニングの出演者クレジットでは、津島恵子と共に2番手に表記されている(七人の侍役キャストでは、志村・三船が1番手、加東・千秋・宮口・木村が3番手、稲葉のみ4番手グループだが、代わりに藤原が3番手グループに表記されている)。
伍作(ごさく)
演:榊田敬二
芝刈りの最中に野武士を最初に目撃する村人。
儀作の息子夫婦
演:熊谷二良(息子)、登山晴子(息子の嫁)
儀作と暮らす夫婦で、赤子が一人いる。戦の始まりとともに水車小屋に篭った儀作を連れ戻そうとして野武士に襲われ、助けに来た菊千代に赤子を託して絶命する。
百姓の老婆
演:トメさん(ロケ地近くの老人ホームの入居者)
かつて野武士に家族を殺された。捕えられた斥候に鍬で一撃する。

町の登場人物[編集]

人足
演:多々良純(人足A)、堺左千夫(人足B)、関猛(人足C)
仕事がなく、木賃宿でずっと飲んだくれて博打を打っている。Aは口数が多く、侍を雇うという利吉達の提案を馬鹿にして、嫌味をずっと言っている。しかし勘兵衛が利吉たちの頼みに断りを入れて立ち去ろうとする時、一肌脱ぎ、勘兵衛が野武士退治を引き受けるきっかけを作り、その後も他の人足達と一緒に、菊千代を木賃宿に連れて来るなど、協力している。
饅頭売
演:渡辺篤
木賃宿で売れ残った饅頭を売ろうとする。
琵琶法師
演:上山草人
木賃宿で黙々と琵琶を弾いている。
僧侶
演:千葉一郎
盗賊の人質となった子供を助けるために僧侶の格好になる勘兵衛の剃髪を行い、袈裟や数珠を貸す。
盗人
演:東野英治郎
豪農家の子供を人質に小屋に立てこもる。しかし、勘兵衛の策略にまんまと引っ掛かり斬られる。
強そうな浪人
演:山形勲
かなりの腕前のある浪人で、勘兵衛の浪人集めのテストに合格するが報酬がないことに腹を立てて「自分の志はもっと高い」と言って拒否する。
果し合いの浪人
演:牧壮吉
久蔵と竹刀で果たし合いをして相打ちとなるが、真剣で勝負を挑もうとする。しかし、久蔵に「真剣ならば貴様は死ぬ」と言われ逆上しながら自信満々で挑み、斬られてしまう。

野武士[編集]

野武士の頭目
演:高木新平
四十人の野武士集団を率いる。
副頭目
演:大友伸
片目に眼帯をつけた男。雨中の決戦にて、わずかな隙を衝かれ久蔵に斬られる。
斥候
演:上田吉二郎
村を偵察に来たところを捕縛され、農民たちに惨殺される。

その他の出演者[編集]

  • 豪農の前の百姓:片桐常雄
  • 豪農の前の百姓女:馬野都留子
  • 茶屋の親爺:杉寛
  • 弱い浪人:林幹
  • 町を歩く浪人:仲代達矢宇津井健加藤武(ノンクレジット)


野武士


スタッフ[編集]

主な受賞歴[編集]

アカデミー賞[編集]

ノミネート
1957年:第29回アカデミー賞 美術賞 (白黒部門)松山崇
1957年:第29回アカデミー賞 衣裳デザイン賞江崎孝坪

その他の受賞[編集]

ランキング[編集]

  • 1979年:「日本公開外国映画ベストテン(キネ旬戦後復刊800号記念)」(キネマ旬報発表)第1位
  • 1989年:「日本映画史上ベストテン(キネ旬戦後復刊1000号記念)」(キネ旬発表)第1位
  • 1989年:「大アンケートによる日本映画ベスト150」(文藝春秋発表)第1位
  • 1995年:「オールタイムベストテン」(キネ旬発表)
    • 「日本映画編」第2位
    • 「世界映画編」第1位
  • 1999年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編(キネ旬創刊80周年記念)」(キネ旬発表)第1位
  • 2009年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編(キネ旬創刊90周年記念)」(キネ旬発表)第2位

以下は海外でのランキング

  • 「映画史上最高の作品ベストテン」(英国映画協会発表)※10年毎に選出
    • 1982年:「映画批評家が選ぶベストテン」第3位
    • 1992年:「映画批評家が選ぶベストテン」第17位
    • 1992年:「映画監督が選ぶベストテン」第10位
    • 2002年:「映画批評家が選ぶベストテン」第11位
    • 2002年:「映画監督が選ぶベストテン」第9位
    • 2012年:「映画批評家が選ぶベストテン」第17位
    • 2012年:「映画監督が選ぶベストテン」第17位
  • 2000年:「20世紀の映画リスト」(米『ヴィレッジ・ヴォイス』紙発表)第23位
  • 2008年:「歴代最高の映画ランキング500」(英『エンパイア』誌発表)第50位
  • 2008年:「史上最高の映画100本」(仏『カイエ・デュ・シネマ』誌発表)第50位
  • 2010年:「史上最高の外国語映画100本」(英『エンパイア』誌発表)第1位
  • 2013年:「オールタイムベスト100」(米『エンターテイメント・ウィークリー』誌発表)第17位

評価[編集]

『七人の侍』のポスター。日本国外での受賞歴をうたったもの

三時間半の長尺を通じて観る者を引きつけ続けて離さない物語の密度、画面から来る圧倒的重量感において、一般的に黒澤映画、並びに日本映画の最高傑作と評されることも多い。侍や百姓たちは一面的ではなく、特に百姓たちは善悪や強弱を併せ持った存在として描かれ、侍と百姓との双方に対するお互いの心象を、侍に対する疑心暗鬼→信頼→百姓に対する疑心暗鬼→信頼へと変化させながら、最終的には一枚岩となり野武士に対峙するというクライマックスへ展開させている。

本作の評価の一つに、時代考証が正確無比だったことが挙げられる(注:ただし、戦国史家藤木久志は、この作品が傑作であることを認めつつ、戦国時代の農民は基本的に武装し、状況に応じて兵士に早変わりする獰猛な存在であって、刀ひとつ持てないなどということはあり得ないとの批判を述べている[16])。

それは映画史に残る合戦シーンも同じである。黒澤が合戦シーン及び侍たちがとった戦法にリアリティがあるのかどうかを自衛隊などの識者に聞いて回ったところ、皆が時代に非常に忠実と口をそろえたという。しかし、実は戦闘シーンや戦法(特に村を要塞化するなどの描写)は、資料が足りなかったのか黒澤たちが適当に描いたものだった。それゆえに黒澤はわざわざ識者に聞いて回ったのである。それまでは脇役であった野武士というものの生態を浮き立たせたのもこの映画の特徴であった。黒澤によると、侍が刀を持って歩くシーンは上下動しておらず、槍を持ったら槍を持つ歩き方を指導しているので、相当な時間を費やしたという。

本作は、小津安二郎の『東京物語』、本多猪四郎の『ゴジラ』等と共に日本映画という枠のみならず、世界映画の傑作としてしばしば挙げられ国外での評価も高い。

影響[編集]

以後の映画作品に多大な影響を与え、また他国の映画監督にもファンが多い。フランシス・フォード・コッポラは「影響を受けた映画」と言い、ジョージ・ルーカスは「『スター・ウォーズ』シリーズはSFという舞台で黒澤のサムライ劇を再現したかった」と述べている。幼少期に黒澤作品に触れて多大な影響を受けたというスティーヴン・スピルバーグは、映画の撮影前や製作に行き詰まったときに、もの作りの原点に立ち戻るために必ずこの映画を見ると発言している。

黒澤の最初の訪ソ時には歓迎昼食会で『惑星ソラリス』撮影中のアンドレイ・タルコフスキーと会い、レストランで黒澤と乾杯したタルコフスキーは酒に酔って音楽を流しているスピーカーを切り「七人の侍」のテーマを大声で歌い出したと黒澤は述懐している。『惑星ソラリス』における近未来の都市を模した東京の高速道路の景色は、空港から黒澤宅への道のりをそのまま撮影したものであると言われる。タルコフスキーの前作『アンドレイ・ルブリョフ』におけるタタール来寇の場面では、『七人の侍』のシーンをそのまま借用した箇所も見られる。多くのタルコフスキー作品では、潜在的テーマとして、映画人生における父親的存在としての「黒澤明」という人物がモチーフとして織り込まれている。

影響を受けた作品[編集]

「腕利きの7人(または数人)の個性的なプロフェッショナルが、弱者を守る・秘宝を盗むなどの目的のために結集して戦う」というプロットは、「7人」という登場人物の映画・ドラマの原点とも言われている。また本作を通じて侍の精神や武士道の考え方なども影響を与え『スター・ウォーズ』のジェダイの騎士は七人の侍のキャラクターを元に創作されたとジョージ・ルーカスは述べている。アニメも『サムライジャック』、日本人クリエイターも多い『ティーン・タイタンズ』にも当作品から影響を大きく受けたと思われる話がある。

またパロディとして

リメイク[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 作中、「天正2年甲戌2月17日生まれ」と記されている菊千代の家系図を見て、彼を「13歳」と揶揄する場面があり、天正14(1586)年と知れる。
  2. ^ 『クロサワさ~ん!』(土屋嘉男、新潮社)
  3. ^ 企画の順序は橋本忍『複眼の映像』から
  4. ^ 『黒澤明「夢は天才である」』文藝春秋1999年
  5. ^ 『クロサワさ~ん!』「喧嘩も才能のうち」(土屋嘉男、新潮社)
  6. ^ 『週刊サンケイ臨時増刊 大殺陣 チャンバラ映画特集』「楽しき哉、チャンバラ映画づくり」(サンケイ出版)
  7. ^ 『クロサワさ~ん!』「新世界交響曲」(土屋嘉男、新潮社)
  8. ^ ここまで『クロサワさ~ん!』(土屋嘉男、新潮社)より
  9. ^ 『東映ヒーローMAX VOL4』「東映ヒーロー悪役俳優列伝 加地健太郎」(辰巳出版)
  10. ^ ここまで『クロサワさ~ん!』(土屋嘉男、新潮社)より
  11. ^ 西村雄一郎『黒澤明と早坂文雄』(筑摩書房、2005年)によると、そう言ったのはプロデューサーの本木荘二郎だったという説もある。p718
  12. ^ ここまで『クロサワさ~ん!』「みんな燃えちゃったあ」(土屋嘉男、新潮社)より
  13. ^ この段、黒澤と土屋のコメントは『クロサワさ~ん!』「戦い終えて日が暮れて」(土屋嘉男、新潮社)より
  14. ^ 西村雄一郎『黒澤明と早坂文雄』(筑摩書房、2005年)中の佐藤勝談によると、曲が当時流行していた「ブルー・カナリア」(アメリカではダイナ・ショア、日本では雪村いづみが歌っていた)と非常に似ていたため破棄したものだという。p711
  15. ^ 『クロサワさ~ん!』「ドッコイコラコラ」(土屋嘉男、新潮社)
  16. ^ 藤木久志『刀狩り 武器を封印した民衆』岩波新書、2005年

参考文献[編集]

関連文献(2000年代以降)[編集]

  • 『黒澤明「七人の侍」 創作ノート』 2巻組、野上照代編・解説 文藝春秋、2010年8月
  • 『黒澤明MEMORIAL10 七人の侍』 小学館 野上照代監修、2010年7月、本編DVDと解説冊子(全10巻シリーズ)
  • 四方田犬彦 『「七人の侍」と現代 黒澤明再考』 岩波新書、2010年6月

外部リンク[編集]