乱 (映画)

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Ran
監督 黒澤明
脚本 黒澤明
小國英雄
井手雅人
製作 セルジュ・シルベルマン
原正人
製作総指揮 古川勝巳
出演者 仲代達矢
寺尾聰
根津甚八
隆大介
原田美枝子
音楽 武満徹
撮影 斎藤孝雄
上田正治
編集 黒澤明
製作会社 ヘラルド・エース
グリニッチ・フィルム・プロダクション
配給 東宝
公開 日本の旗 1985年6月1日
フランスの旗 1985年9月18日
上映時間 162分
製作国 日本の旗 日本
フランスの旗 フランス
言語 日本語
製作費 $11,500,000 (概算)
興行収入 日本の旗16.7億円(配給収入[1]
(1985年邦画配給収入3位)
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』(らん)は、1985年昭和60年)に公開された、日本フランスの合作映画である。監督は黒澤明

架空の戦国武将・一文字秀虎を主人公にその晩年と3人の息子との確執、兄弟同士の擾乱を描く。物語の骨格はウィリアム・シェイクスピアの悲劇『リア王』であり、毛利元就の「三本の矢」の逸話(三子教訓状)なども取り入れられている。

黒澤による監督作品としては第27作目であり、黒澤が製作した最後の時代劇となった。黒澤はこの作品を、自分の「ライフワーク」と位置づけ、また「人類への遺言」でもあるとしていた。

あらすじ[編集]

戦国時代を生き抜き、3つの城と領土を手にした武将、一文字秀虎。70歳の今日も少しも衰えを見せず、近隣の領主などを招いて狩りに興じるが、その席上で秀虎は本日をもって家督を嫡男に譲り、自身は隠遁する決意であることを明らかにした。彼は3人の息子に対し、「1本の矢は折れるが、3本束ねると折れぬ」と言いながら、息子たちにお互い助け合いながら一文字家を繁栄させるようにと説いた。長男の太郎と次男の次郎は驚きをあらわにしつつもこの申し渡しを喜んで受け、父への変わらぬ忠誠を誓って見せるが、三男の三郎は、「父上は馬鹿だ。耄碌したのか。息子達が助け合うなどとは考え難く、血で血を洗う事態になるだろう」と父親の甘さを戒め、渡された3本の矢を力ずくでへし折ってみせた。

客人たちの前で愚弄されたと感じた秀虎は怒り、三郎とその重臣である平山丹後をその場で追放した。身分を失ってなお父を案じる三郎であったが、客人の一人であった隣国の領主、藤巻は彼を気に入り、婿として迎え入れたいという申し出る。さらに平山も召抱えようと誘うが、秀虎の身を案じる平山は申し出を断り、浪人に身をやつしてでも国に残ることを選んで三郎の前を去る。

一方、三郎の懸念はすぐに形となってしまう。隠居の身とはいえ直属の家来を抱え、いまだ城内に強い影響力を持つ秀虎に対し、太郎の正室である楓の方が形ばかりの家督譲渡に過ぎないと不満を漏らし、よりはっきりとした家督の相続を申し出ろと太郎を焚き付ける。楓は親兄弟を舅の秀虎に殺された恨みを抱いており、いつかは秀虎を亡き者にしようという宿願を胸に秘めていたのである。太郎は父を呼び出し、今は自分が領主なのだから、一切のことは自分に従うようにと迫る。太郎の不遜な物言いに立腹した秀虎は家来を連れて城を出て次郎の元に赴くが、すでに太郎から次第を知らされていた次郎は「家来抜きであれば秀虎を迎え入れる」とそっけなく告げる。財産も同然の家来を見捨てることなど元より不可能な秀虎は、怒りと失意とともに次郎のもとを去り、主を失って無人となった三郎の城に入る。

しかし落胆する秀虎のもとに太郎・次郎の大軍勢が来襲する。手練れの家来たちが迎え撃つが多勢に無勢、城は焼け落ち、長年連れ添った家来や女たちはみな死に、ひとり残った秀虎は刀を失って自害の望みすらも絶え、絶望のあまり発狂してしまう。その様子を見た次郎は父を追わず、力なく城を出ていくその背中を見送る。またこの戦いの中、太郎は次郎の家臣のたくらみによって命を落としてしまう。

こうして次郎一人のものとなった一文字家であったが、なお争いの火種は燃え続けていた。夫を失った楓の方はこんどは次郎を篭絡し、正室である末の方を殺して自分を正室にしろと迫っていた。またいまこそ攻め時と知った隣国の綾部の軍勢が国境に集結していた。切迫した一連の事態を知った三郎は手勢をつれて秀虎の救援に向かい、平山の助けもあって野をさまよう父を見つけ出し救出に成功する。正気を取り戻した秀虎と三郎は和解を果たすが…。

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

音楽[編集]

かつて『どですかでん』を手がけた武満徹が再び音楽を担当したが、黒澤とはこの映画では激しく対立する。ダビング作業中に黒澤が武満の意向を確認せず、低音を強調する指示を出した際に「黒澤さんの好きなように音楽を切り貼りしてもらって結構ですが、僕の名前はクレジットからはずしてください」と激昂し、事実上の降板を宣言してダビングルームを飛び出した。結局降板こそしなかったものの「これ以後あなたの作品に関わるつもりはない」と言い、実際に武満が関わった最後の黒澤映画となった。

黒澤は演奏にロンドン交響楽団の起用を希望していたが、武満が「ロンドン交響楽団は映画音楽の仕事をやりすぎて、仕事が荒れている」と強く反対し、札幌交響楽団による録音(1985年4月、千歳市民文化センター)となる。札幌交響楽団のような、日本でも有名とは言えない地方オーケストラを使うことに強い不満を抱いていた黒澤は、録音開始前は楽団員の顔をろくに見ようとさえしない態度であった。しかし、演奏の予想外の素晴らしさに、昼食時の解散前に指揮台に上がると「みなさんありがとう、千歳まで来て良かったです」と深々と頭を下げ、しばらく顔を上げなかったという[3]

エピソード[編集]

  • 脚本家橋本忍によると、脚本執筆の際、黒澤と共同脚本家の小国英雄は人物設定に関して激しく対立、大喧嘩の末、小国が執筆途中で降りた。
  • 公開に合わせ、黒澤自身の『乱 絵とシナリオ』(集英社)と、伊東弘祐『黒澤明 「乱」の世界』(講談社)が刊行。シナリオ・エッセーは『全集黒澤明 第六巻』(岩波書店1988年)に所収。他に『黒沢映画の現在 ドキュメント乱』 (報知新聞文化部特別取材班、シネ・フロント社、1985年12月)がある。
  • 一文字秀虎の旗印は、太陽と月であるが、これは黒澤明の「明」を図案化したものである。黒澤は宮崎美子に「秀虎は私だ」とも語っており、秀虎が黒澤本人を強く反映した登場人物であることを示す証拠のひとつである。なお脚本の初期稿段階では、秀虎が側近たちに裏切られる過程は、より詳細に描かれていたので、その登場人物のモデルが誰なのか事情を知っている人なら解ったともいう。
  • エキストラは約1,000名。撮影期間が長期に及ぶため、レンタルより安く済むという理由でアメリカ合衆国から50頭のクォーターホースを輸入し、調教した。これは『影武者』を観た調教師から「戦国時代にあのような格好のいいサラブレッド)はいない」と指摘されたためであった。合戦場面の撮影は久住高原牧場で行われ、撮影終了後に馬は売却された[4]
  • 息子たちから追われた秀虎が炎天下で座り込んでいる場面で、背後の山に、登山者2人が写っていた。これにただ一人気付いたCキャメラ担当の中井朝一は、黒澤には内緒で現像処理によって消した。なお、この処理には500万円を要した(野上照代の記述。東宝DVD付録冊子、「乱」製作の現場より)。
  • 黒澤と親交のあったロシアのニキータ・ミハルコフ監督は、「『乱』の準備中に来日した際に、ひとつのアイデアを提案したら、完成品の中に見ることができた。 とても幸せに感じ、私にとって大きな価値があった」 と語っている。
  • 2007年には『乱』のメイキング映像から、黒澤の映像をCGで合成した、桑田佳祐出演のアサヒ飲料ワンダ モーニングショット」CMが放映された。
  • 鉄修理役は当初高倉健にオファーされていた[5]。黒澤は自ら高倉の自宅を4度訪れ直談判したが、高倉が『居酒屋兆治』の準備が進み、監督の降旗康男に義理立てしたため、出演を断った[6]。黒澤に「あなたは難しい人」だと言われた高倉だが、その後偶然『乱』のロケ地を通ったことがあって、出演すれば良かったと後悔している[6]

受賞歴[編集]

ロケ地[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

  • 丸岡城 - 天守閣の外に階段がついており、三の城のモデルとなった。

外部リンク[編集]