用心棒

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用心棒
監督 黒澤明
脚本 黒澤明
菊島隆三
製作 田中友幸
菊島隆三
出演者 三船敏郎
仲代達矢
山田五十鈴
音楽 佐藤勝
撮影 宮川一夫
斉藤孝雄
製作会社 東宝
黒澤プロダクション
配給 東宝
公開 日本の旗 1961年4月25日
上映時間 110分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
興行収入 3億5100万
(1961年邦画配給収入4位)
次作 椿三十郎
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用心棒』(ようじんぼう)は、1961年昭和36年)に公開された、日本アクション時代劇映画である[1]。監督は黒澤明。続編といわれる作品として、『椿三十郎』(1962年公開)がある。

あらすじ[編集]

冬の青空に雪を戴く赤城山から乾いた空っ風が吹き降ろす、荒涼とした上州[2]宿場町に、ひとりの流離の浪人が現れる。通りには人は見えず、犬が人間の手首をくわえて通り過ぎる。誰か出てきたかと思うとならず者の集団で、浪人はからまれるが相手にせず、閉められた一杯飯屋の戸を叩き、一食を乞う。金を持たない浪人はこの町でひと暴れして借りを返すというが、飯屋の権爺は、驚きあわて、この町は、清兵衛と丑寅の二人の親分が対立し、儲かってるのは隣の棺桶屋だけなのだと説明し、浪人にすぐ町を出るよう言う。しかし浪人は逆に腰を据えるといい、先ほどの、ならず者を数人凄腕で斬ってみせ、清兵衛に自分を用心棒として雇わせる。名前を聞かれた浪人は、桑畑を見ながら桑畑三十郎と名乗る。清兵衛は三十郎を擁してすぐに丑寅へ殴りこみをかけようとするが、ことが終われば三十郎を斬って報酬を取り戻すという企みを盗み聞きした三十郎は用心棒を喧嘩直前で降りてしまう。引っ込みがつかなくなった清兵衛と丑寅だが、役人の見回りが来たので、喧嘩は中止。何事もなかったように振舞う。

やがて清兵衛と丑寅のあいだで、三十郎の奪い合いが始まる。そんな折、丑寅の末弟卯之助が拳銃を手に帰郷し、清兵衛の息子を人質にとるが、清兵衛は丑寅の後見人である蔵元の徳右衛門の女を人質にとり、人質の交換が行われる。その女が百姓小平の女房を奪ったものだと知った三十郎は、進んで丑寅の用心棒となり、女の護衛たちを斬って小平とその息子ともども逃がしてやる。しかし小平の礼状が届いたことにより卯之助が、三十郎の仕業と見抜き、三十郎は監禁され半殺しの目に会う。なんとか命からがら脱出した三十郎は権爺により、町のはずれのお堂にかくまわれる。両勢力の争いは丑寅に凱歌があがったが、権爺が三十郎に食事と薬を持っていこうとするところを丑寅一派に見つかり、縛り上げらる。それを知った三十郎は、出刃包丁を懐に、丑寅一派にひとり殴り込みをかけんと、風の渦巻く町の通りを進んでいく。

概説[編集]

「この映画(続編的存在の椿三十郎も)の最大の魅力は殺陣のシーンではなく、主人公の三十郎の特異なキャラクター設定にある」と黒澤本人は主張している。

それまでの時代劇の殺陣は、東映作品に象徴されるような従来の舞台殺陣の延長にあった。いわゆる「チャンバラ映画」である。黒澤は、そうした現実の格闘ではあり得ない舞踊的表現を排除したリアルな殺陣の表現を探っていた(「羅生門」、「七人の侍」、脚本を書いた「荒木又右ヱ門 決闘鍵屋の辻」)。それは『用心棒』でひとつの完成形を見せ、当時の人々を驚かせた。本作の殺陣の特徴は、桑畑三十郎は相手を斬る際、必ず1人につき2度斬っていることである。「1度斬ったぐらいでは、すぐには死なないだろう」という黒澤と三船の考えにより完成した殺陣であるとのこと。一方で、仲代達矢演じる新田の卯之助に、スコットランド製のスカーフを巻かせるなど、時代考証よりも登場人物の造形を優先させた演出も見受けられる[3]

本作では『七人の侍』以来多用していた望遠レンズの効果が遺憾なく発揮され、殺陣をより効果的に見せており、油の乗り切った時期の黒澤の表現技法が見事に結実していると言える。なお、撮影については無論、宮川一夫の存在が大きいが、マルチカム方式(複数のキャメラによる同時撮影)で撮影されている本作品ではクレジットされていないものの、斉藤孝雄の貢献も無視できない(完成作品には、斉藤の撮影分の方が多く使用されている[4])。

本作が、ダシール・ハメットハードボイルドアクション小説の影響が大きいことは黒澤本人が「用心棒は『血の収穫』(赤い収穫)ですよね?」という問いに「血の収穫だけじゃなくて、本当はクレジットにきちんと名前を出さないといけないぐらいハメット(のアイデア)を使っている」と認めていることからも確かである。[5]三十郎が捕らえられてリンチにあうところなどは『ガラスの鍵』に同じ場面がある。

なお、「ある町にふらりと現れた主人公が、そこで対立する2つの組織に近づいて双方を欺き、最後には全滅させて去っていく」という、本作のようなアウトラインは、多少の違いはあるものの他の東宝映画にも見受けられる。例としては本作の前年に公開されたギャング・アクション映画「暗黒街の対決」(1960年 岡本喜八監督)や、本作の9年後に公開された任侠パロディ映画「日本一のヤクザ男」(1970年 古澤憲吾監督)などが挙げられる[6]

今ではよく見られる演出だが、侍同士の対決シーンで、すれ違いざま刀を振り下ろし、いったん静止して片方が倒れて死ぬという描写や、効果音として刀の斬殺音を使用したのは、本作が最初である。ただ、本作では最初の試みということもあって、音量は「椿三十郎」よりは控えめである。

劇中の斬り落とされた手首は、俳優としても出演している大橋史典が造形した。あまりのリアルさに、黒澤はそばに寄ろうともしなかったという。うしおそうじによれば、大橋は本作の撮影風景を8mmフィルムに収めており、見せてもらったことがあるという[7]

劇中のつむじ風は、電動の風洞で起こす大がかりなものだった。宿場町の野外セットは、撮影所そばの広大な畑をつぶして建てたもの。ちょうど農閑期だったので、春の種付けまで借りられたのである。続編『椿三十郎』でも、再びこの畑を借りて野外セットを組んでいる[8]

キャスト[編集]

スタッフ[編集]


映画賞[編集]

その他の監督による「用心棒」[編集]

勝新太郎主演の大映映画に『座頭市と用心棒』(1970年 岡本喜八監督)があり、三船敏郎が同じような衣装で用心棒として登場する。これは当時の人気キャラクター座頭市と用心棒を対決させる企画であるが、三船敏郎の役名は本作と違う佐々大作になっており[9]、役作りもかなり違う。なお『椿三十郎』では撮影が小泉福造、斉藤孝雄に変わったのに対し、『座頭市と用心棒』の撮影は、本作と同じ宮川一夫である。さらに同年、今度は三船プロ製作・東宝配給による、三船敏郎、勝新太郎、石原裕次郎中村錦之助浅丘ルリ子の5大スター共演映画『待ち伏せ』(1970年 稲垣浩監督)において、三船は本名不明の用心棒(劇中では「名前は諸国を放浪している間に忘れた」と語っている)を演じている。その他に久世竜、佐藤勝、『椿三十郎』で脚本を担当した小国英雄が参加しており、佐藤はこの作品のテーマ音楽として用心棒の劇伴を彷彿とさせる音楽を作曲している。

1971年にはテレンス・ヤング監督によるフランス映画『レッド・サン』に、日本使節団の一員として三船が出演している。大統領に贈る宝刀を列車強盗に盗まれ後を追うという設定だが、随所に黒澤作品の用心棒を彷彿とさせるカットが盛り込まれている。

リメイク[編集]

文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 同時上映は森繁久彌の『社長道中記』だった。
  2. ^ 上州は、国境が入り組み地元の役人はそれを越えて追跡ができないこと、農民が桑と絹によって現金収入を得て、その相場が乱高下するなどの環境があるため水野忠邦天保の改革人返し令)以降、食い詰めた農民や侠客が流入しており、賭博やくざが他地域よりも多かった。代表的な例が、現在ではギャンブルの神様として崇拝されることもある国定忠治である。
  3. ^ サライ』(小学館)1999年2月4日号 20頁
  4. ^ 本作セルDVDの映像特典「超弩級時代劇誕生」より
  5. ^ 『黒澤明語る』
  6. ^ 偶然と思われるが、この3作全てに司葉子が出演している
  7. ^ 『スペクトルマンvsライオン丸 うしおそうじとピープロの時代』(太田出版)
  8. ^ 『ああ銀幕の美女 グラフ日本映画史 戦後篇』(朝日新聞社)
  9. ^ ただし、本作での三船敏郎の役名「桑畑三十郎」や、続編での「椿三十郎」は偽名であることが作中で暗示されている。

外部リンク[編集]