時代劇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

時代劇(じだいげき)は、おもに明治維新以前の江戸時代、あるいはそれ以前の日本史上における古い時代を舞台とした、日本演劇映画テレビドラマ等のジャンルである[1]。日本の演劇・映画・テレビドラマ等は、「時代劇」と「現代劇」の2つのジャンルに大別する[2]時代小説も含めた語として、髷物(まげもの)、丁髷物(ちょんまげもの)ともいう[2]

時代劇のなかでも、剣戟シーンをクライマックスにもち、新国劇に端を発する剣劇[3]剣戟映画を、刀の発する音を表現した擬音「ちゃんちゃんばらばら」を略したちゃんばらともいう[4]。この語は、時代小説における同様の描写・情景をも含む[4]

英語では「Samurai drama」と表記される(英字新聞のテレビ欄における表示)。

概要[編集]

「時代劇」という用語は活動写真が発祥であり、名付け親は伊藤大輔である。大正12年(1923年)に公開された『女と海賊』で、伊藤大輔はそれまで「旧劇」と呼称されていた髷物映画を、「時代劇」と名付けて公開した。これが「時代劇」と称する始まりである[5]

本ジャンルを形成する圧倒的な作品数の多さからいえば、平安時代から明治維新までを扱った作品が「時代劇」といえる。特に江戸時代を設定した作品は数多く制作されており、その様な作品のロケを専門的に扱うオープンセットも存在する。「明治維新以前の江戸時代、あるいはそれ以前の日本史上における古い時代」といっても、神代卑弥呼を扱った弥生時代など、逆にあまりにも時代を遡ったテーマであると、衣装・大道具・小道具の様式やストーリーにおいて、一般的な「時代劇」の様式とは大きく外れて異なる内容が含まれてくる[6]

時代劇に対して「歴史劇史劇)」というものも存在するが、フィクションに近いかノンフィクションに近いかで区別する時代小説歴史小説とは違い、日本国内のものを「時代劇」、日本以外のものを「歴史劇」と呼び分ける。英語圏では、日本の時代劇に相当する史劇を period piece または period drama と呼ぶ。剣劇を中心とする日本の時代劇は、 jidaigeki と呼んで区別する。

歴史上に実際にあった日本の事件や日本史の人物を登場させることも多いが、その人物像をはじめ慣習、風俗、効果音、台詞、言語においても大胆にフィクション化され、当代の大衆受けするように加工されている。古い時代劇では、前近代の身分差別や女性差別を反映した描写も多いが、近年の時代劇では作品にもよるが時代考証よりも現代の観客に違和感を与えないこととストーリー展開の都合が優先され、女性が活躍するストーリーとなっていたり、主人公の視点が現代の価値観に合致するよう改変されて描かれることが多い。

略歴[編集]

発祥[編集]

演劇のうちでも発祥・発展の時期が先行する歌舞伎の分野では、江戸時代にすでに過去の時代を扱った台本を時代物と呼び、江戸時代当時の現代劇である生世話に対し、時代世話と呼んだ[7]鶴屋南北らの「生世話」も、江戸時代のものである以上、現代の映画・テレビドラマにおいては時代劇である。

「時代劇」と呼ばれる日本に特化した本ジャンルが、「明治維新以前の江戸時代、あるいはそれ以前の日本史上における古い時代」を扱ったものである以上、演劇は明治維新以降の演劇、映画は「日本映画の父」こと牧野省三が日本初の時代劇映画『本能寺合戦』を撮った1908年(明治41年)、テレビドラマに関しては第二次世界大戦以降に歴史が始まる(#1945年以降)。

明治維新以降の日本の演劇は、1888年(明治21年)、自由党の壮士角藤定憲らが大阪で創始、川上音二郎らが発展させた壮士芝居を、1890年代後半(明治30年代)の日本のジャーナリズムが、歌舞伎との差別化を図るため、便宜的に歌舞伎を旧派劇、壮士芝居を新派劇と呼んだ[8]。さらに、1906年(明治39年)に坪内逍遥島村抱月らの文芸協会、1909年(明治42年)に小山内薫二代目市川左團次らの自由劇場のヨーロッパ近代劇の影響下にある演劇を、歌舞伎(旧派)、新派との差別化を図り、新劇を名乗った[9]

このようにして、現行の「時代劇」と「現代劇」の二分法は、江戸時代の時代世話/生世話を源流にもち、この時代に発祥したわけである。

映画においては、上記の牧野省三が京都の横田商会で「旧派劇映画」を撮っていた時代には、旧派・旧劇こと歌舞伎の影響下にあり、女性の役柄は女形が演じていた。日活向島撮影所だけで東猛夫、小栗武雄、衣笠貞之助立花貞二郎木藤茂、土方勝三郎、五月操、大井吉弥といった女形がいて、時代劇映画を支えていたのである。

この時代の活動写真はズームの技法もなく、歌舞伎の演目芝居をそのまま野外で撮ったものを小屋で見せる、というのが上映形態であり、「桧の舞台で芝居をする」歌舞伎役者は、活動写真の役者を「泥の上で芝居をする連中」として格下に見ていた[10]

帰山教正1919年(大正8年)に新劇を映画に導入して現代劇『生の輝き』、『深山の乙女』を発表し、上記の新劇の小山内薫が、1920年(大正9年)松竹キネマに招かれて映画を撮り始めるまでは、映画自体が旧派の影響下にあった。

1912(大正11年)に横田商会等が合併し、日活が設立されて以降も、現代を扱ったものは新派劇の影響でやはり女形であったが、1923年(大正12年)の関東大震災を前後して、新劇的な現代劇を製作し始める。そのときの日活における名称が、時代劇は「日活旧劇部」、現代劇が「日活新劇部」であった。東京でも、巣鴨の国際活映(国活)等で時代劇映画は盛んに製作されていたが、新劇の発展と映画への導入が東京主導で行なわれ、国活が倒産し、人材が京都に流出したことが、現在の「時代劇」と「現代劇」の東京と京都での棲み分けの源流となった。

時代劇映画の発祥時代のスタアは、尾上松之助である。松之助の活動写真はマキノ省三と組んだ、特撮の先駆けであるトリック撮影による「忍術映画」が十八番だった。松之助は愛人の芸者を女優に仕立てて相手役にしたことがあったが、まだまだ歌舞伎の影響の強かった時代であり、館主の反対でとりやめている[11]。それでも女優進出の波に抗し切れず、大正12年(1923年)に浦辺粂子を相手役に、ついに女優起用に踏み切っている[12]

1920年代以降[編集]

新劇出身の沢田正二郎が1917年(大正6年)に結成した劇団である「新国劇」は、新派でも新劇でも旧派でもない大衆演劇を目指し[13]、歌舞伎から導入した「剣劇」[3]を創設し、人気を博した。新国劇のキラータイトルである『月形半平太』と『国定忠治』は、好まれて映画化された。⇒ 月形半平太#フィルモグラフィ

大正9年(1920年)、舞台専門の松竹が松竹キネマを興し、活動写真制作を始めるが、この会社は初めから女形を使わず、栗島すみ子川田芳子柳さく子五月信子東栄子英百合子沢村春子高尾光子三村千代子といった舞台出身の女優を自作の時代劇映画に起用した。

日活向島撮影所でも松竹に刺激され女優の採用を始めるが、にわかに女形廃止ともいかず、「第三部」というセクションを設け、女優起用の映画を製作した。この年の『朝日さす前』がその第一作で、これは現代劇だが、その後日活時代劇の大スタア酒井米子を輩出している。

大正12年(1923年)、東京を関東大震災が襲い、日活向島撮影所は閉鎖。女優やスタッフは日活京都に移り、以後、京都が時代劇映画の本場となった。

牧野省三が日活から独立し、牧野教育映画製作所からマキノ・プロダクションへと移り変わり、阪東妻三郎嵐寛寿郎月形龍之介片岡千恵蔵らのスターを生み出した。彼らは時代劇に「剣戟」の見せ場を持ち込んだ「チャンバラスタア」であり、以後「チャンバラ映画」は時代劇の主流となる。

1925年(大正14年)に設立された阪東妻三郎プロダクション(妻プロ)を筆頭に、彼ら「チャンバラスタア」は次々と独立してスタアプロダクションを設立し、チャンバラのスタア映画を量産した。阪東妻三郎は、竹薮だった京都郊外の太秦村の地に初めて撮影所を建設した人物であり、同撮影所は現在、東映京都撮影所となっている。

昭和2年(1927年)、松竹が二万円の莫大な宣伝費をかけて林長二郎(長谷川一夫)を時代劇スタアとして売り出し、女形出身の林の美貌は日本全国の女性を虜とする。翌年には林の人気は社会現象となり、昭和3年正月、林が挨拶のため上京すると、東京駅では一万人余りの女性ファンが詰めかけ、雪崩を打ってもみ合い黄色い声援を送った。この過熱ぶりに、「ミーハー」(女性の好きなンミツとやしをかけた言葉)という用語までが生まれることとなった[14]。林長二郎の登場は、時代劇映画に女性ファンを呼び込むエポックとなったのである。

1930年代半ばからは、トーキーが導入され、時代劇にも、映画館ごとの活動弁士と生演奏ではない、俳優のセリフと音楽がもたらされ、マキノ正博監督の『鴛鴦歌合戦』等の時代劇ミュージカルまでが生まれた。

昭和9年(1934年)、京都鳴滝に山中貞雄ら有志が8人が集まり共同ペンネーム「梶原金八」を使い、時代劇映画に現代語を採り入れて新風を巻き起こし、一大勢力となる。

トーキー以後もサイレント映画による剣戟にこだわる俳優やスタッフ、観客は存在し、1935年(昭和10年)に西宮東亜キネマ跡地に設立された極東映画、翌1936年(昭和11年)に奈良市川右太衛門プロダクション跡地に設立された全勝キネマは、それぞれが解散するまでサイレントの剣戟映画を量産しつづけた[15]

昭和10年(1935年)、日活の『街の入墨者』(山中貞雄監督)で、久しぶりに女形(河原崎國太郎)が「女優」を務めている。しかしすでに女優を見慣れた観客に女形の不自然さは如何ともしがたく、以降女形の主演は無くなってしまう。

敗戦までの日本映画では流血や博打、接吻などの場面は当局によって禁止された。時代劇も例外ではなく、チャンバラでいくら人が斬られても、また切腹の場面でも流血があると検閲でカットされた。阪東妻三郎は相手を斬る際に、刃を当てた後もう一回引く「二段引き」という殺陣を使ったが、これも「骨まで斬った感じが出るから」とカットされたことがある。全般に「リアルな殺陣」はすべて検閲でカットされたのである。

また、剣戟で人を斬る際の効果音を初めて使ったのは昭和10年(1935年)の『大菩薩峠』で、稲垣浩監督のアイディアで、カチンコの音を逆回転した効果音が使われた。しかしこの効果音も「検閲保留」扱いにされている [16]

1945年以降[編集]

昭和20年の大東亜戦争降伏後に日本が連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の占領下に置かれると、占領政策により、日本刀を振り回す剣劇(チャンバラ時代劇)は軍国主義的であり、敵討ちなど復讐の賛美がアメリカ合衆国に対する敵対心を喚起する要素があるとして一時製作が制限された。チャンバラ場面が禁止されたため、嵐寛寿郎の場合は剣戟の無い推理物の『むっつり右門』しか、舞台も映画もできなかったと語っている[17]

昭和28年(1953年)、日本でのTV放送スタートと同時にTVで放送するための時代劇(テレビ時代劇)の製作もはじまる。1962年にはドラマ隠密剣士がヒットした、本作の忍者の殺陣のディティールは以後の時代劇作品の忍者の描写の元になっている。1963年にはNHKが現在まで放送を継続する長寿時代劇シリーズ・大河ドラマの放送も開始。以後、膨大な時代劇が生み出され、今日に至る。

テレビ用時代劇は他のテレビ番組が急速にビデオ撮影による収録に切り替わっていく中、1990年代後半までは映画用フィルムによる撮影を主流とし、「ドラマ」というよりは「映画」的なコンテンツとして特異な地位を確立していた。これはテレビ時代劇と刑事ドラマと特撮ヒーロー番組に言える特徴であった[18]

1990年以降[編集]

1990年代平成時代)のトレンディドラマの出現以降、若者層の視聴率が取りにくい事や現代劇に比べ制作費がかかる(時代考証、およびそのための資料引用に関する許諾、大道具小道具等の制作や調達、化粧・鬘・衣装等の製作費用や手間…等)、開発による風致の破壊が進み国内ではロケ地の確保が難しくなってきたこと[19]、製作関係者の後継者不足や人材育成の不足、作品がマンネリズムに陥っているなどの理由によりテレビ向けに製作・放映されることは敬遠されるようになった。しかし映像コンテンツとしての需要は高く、再放送枠やCS系有料放送、DVDビデオ販売の分野においては今なお重宝されている[20]

2010年代以降[編集]

新作テレビ時代劇の制作低減傾向は続く(現状については(#主なテレビ時代劇放送枠の各項目などを参照)。2011年12月19日、長らく月曜20時の時代劇として親しまれてきた『水戸黄門』(TBS系)が最終回スペシャルを迎え、42年の歴史に幕を閉じるという出来事もあった。

翌年(2012年)3月にはテレビ東京で深夜帯に1クール放送された『逃亡者おりん2』の放送終了後、民放では2012年10月からTBS系で放送の『金曜ドラマ大奥〜誕生[有功・家光篇]』まで半年間、新作テレビ時代劇のレギュラー放送が途絶えた[21][22]。2014年には、フジテレビが開局55周年プロジェクトの一つとして、月9枠で初の時代劇作品『信長協奏曲』を放送しその後映画化の予定である[23]

時代劇存亡の危機が囁かれる中、CS放送・スカパー!日本映画衛星放送と共同でCS初の完全新作時代劇・『鬼平外伝 夜兎の角右衛門』が2011年の正月に放送され好評を博したことにより、2012年2月には企画第2弾となる『鬼平外伝 熊五郎の顔』を放映した。また、製作関係者からは日本独自の映像文化や技術が途絶えるとの危機感や現場における製作技術の維持継承の観点から、東映京都撮影所の契約社員組合などで作られた「時代劇復興委員会」が立ち上げられ、有名ではない時代劇俳優(いわゆる“大部屋俳優”)たちは太秦映画村で殺陣アトラクションを行ったりするなど、様々な方法で時代劇生存の道を探っている。

時代劇映画については、2000年代中期から2010年代以降、時代劇映画の製作・公開が往年とは及ぶべくもないが微増傾向にあり、新作時代劇はテレビから映画へと再びシフトしつつある。2010年には映画会社5社による共同企画“サムライ・シネマ キャンペーン”が行われ、同年同時期に公開される5作品(『十三人の刺客』・『桜田門外ノ変』・『雷桜』・『武士の家計簿』・『最後の忠臣蔵』)が連携してプロモーションキャンペーンを実施した。

なお、本稿ではもっぱら実写時代劇を扱っているが,日本では古くから時代劇アニメも多数制作されている。映像表現やロケ地等の制約がなく、若年層への訴求力が期待できるとあって、近年はアニメによる時代劇の制作がむしろ盛んである。但し現状はアニメを含めた日本の演劇や映画やテレビドラマ等のジャンルに措いては、時代劇の退潮の結果、時代劇より未来を舞台とする劇作品の方が多く新作されており、日本の演劇・映画・テレビドラマ等は「時代劇」と「現代劇」の2つのジャンルに大別すると云う状況は、何れ過去の物となる可能性がある。

しかし、中心的視聴者層であるシニア世代に対しては、実写時代劇は今なお強力な訴求力を持ったコンテンツであり、日本の文化である時代劇を守っていこうと各方面が頑張っている。

時代考証[編集]

時代考証については、多くの時代劇作品で専門のスタッフが配置されるものの、年を経る毎に様々な事情から省略されたり、本来のものと異なる部分が増えており、それは文学的要素の色濃い作品であっても例外ではない。

1960年代までは相当する役柄にお歯黒引眉を行う場合が多かったが、すでに明治時代に廃れた遠い過去の習慣であり、また、お歯黒、引眉が不気味と思われる、等、現代人に受け入れられにくいことから、現在ではお歯黒、引眉に該当する役柄でもお歯黒、引眉をすることは一部の役を除きないといって良い。また、本来ならふんどしであるべき男性の下着が猿股になったり、元禄年間の物語なのに服装や髪型が幕末仕様だったりするなど、雑な部分も多い。その一方で、女性の日本髪は以前は全鬘が一般的だったがハイビジョン収録の一般化に伴い生え際が自然に見える部分鬘を使うようになった。また代官目明し同心小者などの端役の服飾や、屋台・建築物などの部分については、撮影現場で使い回しがなされたりセット・道具類にまつわる事情から厳密な考証が省略されているものが多い。

日本刀打刀では斬撃、抜刀、納刀など元来ほとんど音がしないため、当初のそれは無音であったものが、60年代に『用心棒』と『三匹の侍』の登場により徐々に様々な効果音が入れられるようになった。

最も異なるものの1つが乗馬のシーンで、実際には江戸期以前の日本では皆無に等しかったはずのサラブレッドクォーターホースなど西洋で品種改良がなされた体高160cm以上の現代日本で主流の乗用馬で代用されている。時代考証を厳密に行うならば体高(肩までの高さ)130-135cm程度の日本在来馬を使用するべきところであるが、大型化した現代の日本人俳優の体格に日本在来馬では釣り合いが取れず映像的な見栄えに劣ること、そして、乗用馬に比べ頭数が少なくまとまった数を確保することが困難を極めることなどが要因となっている。時代考証の厳格さで定評のある黒沢明監督でさえ、馬に関しては西洋馬を用いている[24][25]

また、陶器・漆器類を始めとする日用品や調度品も、当時の実物やかつての技法のまま現代の職人が創りだした工芸品的な物を使うことや、その撮影のために当時の技法で現在に必要量だけ製造することは予算面などから難しいことが多く、江戸時代のそれに近い表現技法を再現した現代の製品などを限られた時間と予算の中で探してきて代用した結果として、技巧・表現・流行などの面において時代設定と合わないことが多々起きている。

時代劇の分類[編集]

メディアによる分類[編集]

内容・定型による分類[編集]

※広義では忍者映画(忍者もの)も時代劇に含める場合があるが、基本的には分けて扱うことが多い。

(本項では戦国時代-江戸時代上の(実在・架空を問わず)有名な忍者が登場する作品のみを“時代劇“として記載した)

製作者や風潮による分類[編集]

主要な時代劇作品[編集]

映画作品[編集]

テレビドラマ作品[編集]

他多数

漫画・アニメ作品[編集]

漫画には上記の映画やテレビドラマ作品の原作となり、実写化された作品が多いが、ここではそうした形で実写映像化していないものを主に挙げる。実写映画化やドラマ化された作品でも、主となる読者・視聴者が低年齢層となる作品はここに含む。

主なテレビ時代劇放送枠[編集]

通年本放送されているもの[編集]

例年1回・単発で放送されているもの[編集]

主な再放送枠[編集]

過去に放送されていたもの[編集]

NHK

日本テレビ系

テレビ朝日系

TBS系

テレビ東京系

フジテレビ系

時代劇監督[編集]

映画[編集]

テレビ[編集]

時代劇スタジオ[編集]

現行[編集]

時代劇の撮影が可能なパーマネントセットを有するスタジオ、その他の場所。

かつて存在したスタジオ[編集]

戦前
戦後

代表的な時代劇俳優[編集]

戦前からのスター[編集]

戦後のスター(物故者)[編集]

戦後のスター(現役)[編集]

関連項目[編集]

関連書[編集]

[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 時代劇コトバンク、2009年10月24日閲覧。
  2. ^ a b 時代劇映画コトバンク、2009年10月24日閲覧。
  3. ^ a b 剣劇コトバンク、2009年10月24日閲覧。
  4. ^ a b ちゃんばらコトバンク、2009年10月24日閲覧。
  5. ^ 『ひげとちょんまげ』(稲垣浩、毎日新聞社刊)
  6. ^ CS放送の時代劇専門チャンネルではこうした時代を扱った作品も放送している。
  7. ^ 時代物コトバンク、2009年10月24日閲覧。
  8. ^ 新派劇コトバンク、2009年10月24日閲覧。
  9. ^ 新劇コトバンク、2009年10月24日閲覧。
  10. ^ 『あゝ活動大写真 グラフ日本映画史 戦前篇』(朝日新聞社)
  11. ^ 『日本映画の若き日々』(稲垣浩、毎日新聞社刊)
  12. ^ 『週刊サンケイ臨時増刊 大殺陣 チャンバラ映画特集』(サンケイ出版)
  13. ^ 新国劇コトバンク、2009年10月24日閲覧。
  14. ^ 『週刊サンケイ臨時増刊 大殺陣 チャンバラ映画特集』(サンケイ出版)
  15. ^ 『チャンバラ王国極東』、赤井祐男・円尾敏郎編、ワイズ出版、1998年 ISBN 4948735914.
  16. ^ 『週刊サンケイ臨時増刊 大殺陣 チャンバラ映画特集』(サンケイ出版)
  17. ^ 『聞書アラカン一代 - 鞍馬天狗のおじさんは』(竹中労、白川書院)
  18. ^ 現在でもテレビ時代劇ドラマにおいては、ビデオ映像に、あえて映画フィルム風の映像補正をかけることが良く行われている。これはVTR撮影が常識となった時代においても、言葉では非常に説明しにくい、フィルム画像ならではの“味”を愛好する人が製作者にも視聴者にも多いためであるといわれている。また、東映が制作し、テレビ朝日系で放送するテレビ時代劇は今でも映画フィルム(スーパー16mmフィルム)で撮影されている。
  19. ^ ただしCGの利用の可能性により(たとえば、電信柱や現代の建築物を画面上から消すことが可能である)必ずしもロケ地の確保が困難になったとは言えない側面はある。
  20. ^ 2009年4月9日の水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)の再放送は同日放送されたTBSの番組のうち、最高視聴率を出している[1]
  21. ^ 鈴木嘉一 (2012年10月16日). “TVウォッチング:テレビ時代劇に「新しい酒」を”. YOMIURI ONLINE. 読売新聞社. 2012年11月2日閲覧。
  22. ^ それ以外の時代劇ドラマはNHKの『大河ドラマ』と時代劇枠一つ(『BS時代劇』)の計2枠。民放では前述した通り、時代劇の放送自体が年数回 - 数年に一回・単発での放送に縮小されている。
  23. ^ キムタクからバトン!小栗「信長」×ミスチルで月9初時代劇!!”. サンケイスポーツ (2014年9月5日). 2014年9月4日閲覧。
  24. ^ 「日本在来馬と西洋馬---—獣医療の進展と日欧獣医学交流史」(日本獣医師会)
  25. ^ 「大作に町全体協力「長篠の合戦」再現・北海道新聞
  26. ^ たとえば黒澤明の作品などに代表される映像文学的要素や写実性などを追求した劇場作品では、斬殺の瞬間、殺害された側の衣類が裂けて肌が露出し、血液が数メートルにわたって迸ったり、腕が切り落とされ血が噴き出す場面を設定することがある。対して、娯楽性が重視されるお茶の間に向けて放送されるテレビの時代劇ではそのようなリアルで直接的な殺害描写は殆ど無く、主人公の優美かつ華麗な立ち回りの挙措と、一定のストーリー定型の元で最終的に悪者をばったばったと斬って捨てて断罪するカタルシスの昇華に重きが置かれた、ある種の様式美によって作品自体が構成されている。
  27. ^ 江戸市中を舞台としたり、実在の歴史上の事件やお家騒動をモチーフにしたエピソードなどでは、実在した地名や大名家が何らかの形で登場することがある。
  28. ^ 最近はこの枠に現代劇が割り当てられる場合がある。かつては「時代劇の殿堂」という再放送枠を名乗っていた。
  29. ^ 1985年から1993年にかけて、12月30日・31日の2夜連続(1991年以降は31日のみ)で放送された。1993年を最後に制作は停止。
  30. ^ シリーズ終了後も単発で放送されたほか、2009年に久々の連続作品として必殺仕事人2009を放送。
  31. ^ 2009年1月開始の必殺仕事人2009が該当。
  32. ^ 月曜20時-20時54分,1969年-2001年迄は原則時代劇、それ以降は水戸黄門と現代劇を交互に放送。
  33. ^ 時代劇。関西テレビ放送で1973年10月-1975年3月の1年半日曜21時で放送。終了後、「関西テレビ制作連続時代劇」へ受け継ぐ。

外部リンク[編集]