荒野の用心棒

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荒野の用心棒
Per un pugno di dollari
監督 セルジオ・レオーネ
脚本 ヴィクトル・アンドレス・カテナ
ハイメ・コマス・ギル
セルジオ・レオーネ
製作 アリゴ・コロンボ
ジョルジオ・パピ
出演者 クリント・イーストウッド
マリアンネ・コッホ
ジャン・マリア・ヴォロンテ
音楽 エンニオ・モリコーネ
配給 日本の旗 東和
公開 イタリアの旗 1964年9月16日
日本の旗 1965年12月25日
アメリカ合衆国の旗 1967年1月18日
上映時間 96分
100分(完全版)
製作国 イタリアの旗 イタリア
スペインの旗 スペイン
言語 イタリア語
製作費 $200,000
興行収入 アメリカ合衆国の旗 $11,000,000
次作 夕陽のガンマン
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荒野の用心棒』(: Per un pugno di dollari: A Fistful of Dollars、原題の意味は「一握りのドルのために」であり、よく知られる英題を訳した「一握りのドル」は誤りであると同時に次作『夕陽のガンマン』との題名上での繋がりもより鮮明になる)は、1964年イタリアで制作されたマカロニ・ウェスタンである。監督はセルジオ・レオーネ、出演者はクリント・イーストウッドジャン・マリア・ヴォロンテマリアンネ・コッホなど。

1964年にイタリアで公開され、1965年日本1967年アメリカで公開された。この映画によってマカロニ・ウェスタンというジャンルが確立される。この映画の後にイーストウッド主演による『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン』の2作が制作され、『荒野の用心棒』と合わせて「ドル箱三部作」と呼ばれる。

この映画は黒澤明監督の『用心棒』(1961年)を非公式にリメイクした作品である。『用心棒』を制作した東宝は彼らを訴え、勝訴している。アメリカではユナイテッド・アーティスツがイーストウッドの演じたキャラクターを「名無しの男」として宣伝した。

初のマカロニ・ウェスタン作品であるため、アメリカでの公開時にはヨーロッパ系のキャスト・スタッフの多くがアメリカ風の偽名を使った。レオーネ監督("ボブ・ロバートソン"名義)やジャン・マリア・ヴォロンテ("ジョニー・ウェルズ"名義)、エンニオ・モリコーネ("ダン・サヴィオ"名義)たちも本名を使わなかった。

1966年公開のマカロニ・ウェスタンに『続・荒野の用心棒』(原題:Django)という作品があるが本作とは一切関係ない作品である。

ストーリー[編集]

ある日、アメリカ=メキシコ国境にある小さな町サン・ミゲルに、流れ者のガンマン・ジョーが現れる。ジョーは酒場のおやじのシルバニトから、この街ではドン・ミゲル・ベニート・ロホスとジョン・バクスター保安官の2大勢力が常に縄張り争いをして、儲かるのは棺桶屋だけだと聞かされる。 ジョーは、早撃ちでバクスターの子分を殺して、ミゲルに100ドルで手下になる。ミゲルの息子でライフルの名手であるラモンが帰ってきて、バクスターと手打ちをしたことにより、ミゲルの手下を辞めて、シルバニトの宿に泊まることにする。 ジョーとシルバニトは、メキシコの軍隊の後を追って、国境沿いの川でアメリカの騎兵隊との取引現場で、ラモンとその一味が機関銃で全員を射殺、撃ち合ったように見せて、金を奪ったのを目撃する。 ジョーとシルバニトは、ラモンが機関銃で殺した兵隊の死体を墓に生きてるように置いて、バクスター側とラモン側とで銃撃戦をさせ、その間にラモンが軍隊から奪った金を探すのだが、その時に囚われてたラモンの愛人マリソルを救い出してしまう。 銃撃戦の最中に、バクスターの息子を人質に取ったラモンは、マリソルとの人質交換を行う。 その夜の宴会で、酔っ払ったふりをしたジョーは、マリソルの護衛を撃ち殺して、その夫と子供と共に逃がしてやるのだが、それがラモンにばれて、ジョーは酷く痛めつけられる。 命からがら逃げのびたジョーだが、ラモンはバクスターの仕業と思い、バクスターを襲い壊滅させる。 ラモンとミゲルは町を牛耳り、シルバニトを町の真ん中で痛めつけて、ジョーをおびき寄せる。左手が使えず、ライフルの名手であるラモンに対して、それでもジョーは敢然と立ち向かっていくのであった。

キャスト[編集]

日本語吹き替え[編集]

役名 俳優 日本語吹き替え
NETテレビ版1 TBS版1 TBS版2・BD テレビ朝日2・DVD
・BD (完声版追録担当)
名無しの男(ジョー) クリント・イーストウッド 納谷悟朗 夏八木勲 山田康雄 山田康雄
(多田野曜平)
ラモン・ロホス ジャン・マリア・ヴォロンテ 小林清志 内田良平 内海賢二 内海賢二
(屋良有作)
マリソル マリアンネ・コッホ 渡辺典子 会田由来 橋本典子 弥永和子
カルロス ホセ・カルヴォ 富田耕生 根本嘉也 今西正男 富田耕生
ピリペロ ヨゼフ・エッガー 槐柳二 酒井泉 野本礼三 清川元夢
ドン・ミゲル・ロホス アントニオ・プリエト 加藤精三 小澤重雄 杉田俊也 加藤精三
エステバン・ロホス ジークハルト・ルップ 羽佐間道夫 加藤修 田中康郎 羽佐間道夫
ジョン・バクスター ウォルフガング・ルスキー 島宇志夫 大久保正信 仁内建之 島宇志夫
ドナ・コンスエラ・バクスター マルガリータ・ロサノ 寺島信子 北村昌子 沢田敏子 公卿敬子
アントニオ・バクスター ブルーノ・カロテヌート 石森達幸 田中和実 塩沢兼人 石森達幸
チコ マリオ・ブレガ 雨森雅司 細井重之 兼本新吾 藤本譲
フアン・テディオス[1] ラフ・バルダッサーレ 相模武 高橋冬樹 沢りつお 杉田俊也
役不明又はその他 田中信夫
浅井淑子
西山連
緑川稔
北村弘一
島木綿子
立壁和也
渡部猛
田中康郎
清川元夢
仲木隆司
広瀬正志
佐藤昇
宮廻夏穂
宮川せつ子
河西喜義
桜井宏
稲葉実
柴田耕太郎
峰あつ子
浅井淑子
緑川稔
飯塚昭三
仲木隆司
峰恵研
水鳥鉄夫
向殿あさみ
郷里大輔
笹岡繁蔵
翻訳 鈴木導 大野隆一 鈴木導
演出 春日正伸 長野武二郎 春日正伸
調整 山田太平
効果 赤塚不二夫
P・A・G
担当 中島孝三
制作 ニュージャパンフィルム
初回放送 1971年1月10日
日曜洋画劇場
1974年7月1日
月曜ロードショー
1976年6月28日
『月曜ロードショー』
1979年6月24日
『日曜洋画劇場』
  • 日曜洋画劇場版2の日本語吹き替えは2006年12月22日発売のDVD『荒野の用心棒・完全版 スペシャル・エディション』に収録されている。
  • 2014年10月22日発売の『荒野の用心棒 完全版 製作50周年Blu-rayコレクターズ・エディション』には日曜洋画劇場版2とTBS版2を収録。日曜洋画劇場版2ではカット部分に追加録音をしたものを収録。
    • 追加収録ではクリント・イーストウッドは多田野曜平、ジャン・マリア・ヴォロンテは屋良有作がそれぞれ代役を務め、エステバン役の羽佐間道夫の他、中野裕斗、今村一誌洋、虎島貴明、皆川一穀、成田遼、平修、水瀬郁、宮沢はるな、峰かずこ、矢野彩世が参加している。

概要[編集]

イタリアで公開された黒澤明の『用心棒』を見て感銘を受けたセルジオ・レオーネが、日本の時代劇『用心棒』を西部劇に作り変えようとしたのが始まりである。レオーネは同僚の撮影監督や脚本家たちを誘って再度『用心棒』を鑑賞、脚本執筆の参考にするために映画の台詞をそのまま書き写したと言われている[2]

主演のイーストウッドは当初、第一候補というわけではなかった。セルジオ・レオーネはヘンリー・フォンダの起用を望んでいた。だがフォンダはハリウッド・スターだったため獲得できなかった。その次にチャールズ・ブロンソンに出演依頼をするが彼は脚本が気に入らず、これも実現しなかった。しかし後にヘンリー・フォンダとチャールズ・ブロンソンはレオーネの『ウエスタン』(1968年)に出演することになる。さらにヘンリー・シルヴァロリー・カルホーントニー・ラッセルスティーヴ・リーヴスタイ・ハーディンジェームズ・コバーンらに断られる。そこで代わりに白羽の矢を立てたのが当時テレビ西部劇『ローハイド』でブレイク中だったクリント・イーストウッドだった[2]。この時、イーストウッドが受け取った脚本の題名は「Magnificent Stranger」だったといい、また、その内容は『用心棒』の翻案であることもすぐに読み取った。無名のイタリア人監督がスペインで日本映画の西部劇風リメイクを制作するという如何にも胡散臭い企画ではあったが、『ローハイド』出演の際に他のハリウッド映画に出演できないという契約を結んでいたイーストウッドはヨーロッパへの物見遊山気分半ばでオファーを受諾、無事撮影が開始されることになった。

イーストウッドは名無しの男の役作りに励んだ。彼はブルーのジーンズをハリウッドで、帽子をサンタモニカで、葉巻をビバリーヒルズで買った。また彼は『ローハイド』で使っていた、蛇の飾りがついた銃のグリップも持ち込んだ。ポンチョはスペインで手に入れた。名無しの男の衣装はレオーネと、衣装監督のカルロ・シーミによって決められていった。

撮影はスペインアルメリア地方で行われた。また、この作品にはアメリカ、ドイツ、イタリアなど様々な国の俳優が出演している。そのため撮影時にはそれぞれの母国語でしゃべり、イタリア公開時にはイタリア語、アメリカ公開時には英語に、セリフが吹き替えられた。

音楽[編集]

この映画の音楽はエンニオ・モリコーネ(ダン・サヴィオ)によって作られた。レオーネはモリコーネに「ディミトリ・ティオムキンの音楽」を作曲するように言った。この映画のトランペットのテーマは『リオ・ブラボー』(1959年)でティオムキンが作った「皆殺しの歌」に似ている。

関連作品[編集]

黒澤明の『用心棒』[編集]

本作品は映画の筋書きや登場人物、演出、台詞などからわかるとおり明らかに黒澤明の『用心棒』の翻案である。クリント・イーストウッドに出演依頼を行う際に「日本映画のリメイクを作る」と伝えている[3]。しかし、監督のセルジオ・レオーネと製作会社は公開にあたり黒澤明の許可を得ていなかった。そのため『用心棒』の製作会社がレオーネたちを著作権侵害だとして告訴、勝訴している。この裁判の結果を受けて『荒野の用心棒』の製作会社は黒澤たちに謝罪し、アジアにおける配給権と全世界における興行収入の15%を支払うことになった[4]。また、この裁判の過程で映画の著作者が受け取る世界の標準額を知った黒澤は東宝に不信感を抱き、契約解除、ハリウッド進出を決意させる要因にもなった。

影響[編集]

1960年代初期からイタリアでは西部劇が作られていたが、そのイタリア製の西部劇、いわゆるマカロニ・ウェスタンが世界的に知られるようになったのは『荒野の用心棒』のアメリカにおける大ヒットからである。その暴力的なシーンを多用した乾いた作風や激しいガン・ファイトが、当時の西部劇の価値観を大きく変えたと言われている[5]。1960年代中盤から1970年代にかけてイタリアでは大量のマカロニ・ウェスタンが量産されるようになったが、現在でもマカロニ・ウェスタンの代表作として本作品を挙げる人は多い。

アメリカに帰国後、再び『ローハイド』に出演していたイーストウッドはヨーロッパ全域で『A Fistful of Dollars』という映画が人気を博しているという噂を耳にしたが、それが自分が主演した「Magnificent Stranger」のことであるとはまったく知らなかった。この作品、及び一連の後続作品の影響で当時、ヨーロッパで最も有名なアメリカ人の一人となり、訪米した多くの著名なヨーロッパ人が彼との会見を希望したが、落ち目のテレビ俳優と認識していた周囲の人たちはその光景が不思議ものに見えていたという。因みに本作が全米で公開されたのは本国公開から3年後の1967年である。

その知名度の高さゆえか本作品は他の映画やアニメ、テレビゲームなどでパロディにされることも多く、バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3などでも映像を使用され、パロディ化されている。

脚注[編集]

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  1. ^ TBS版ではホワン
  2. ^ a b A NEW KIND OF HERO(レオーネの伝記作家クリストファー・フレイリングによる映画の解説、The Sergio Leone Anthology収録)
  3. ^ 「クリント・イーストウッド」イアン・ジョンストン著。早川書房。 
  4. ^ Oreste De Fornari (1997). SERGIO LEONE: The Great Italian Dream of Legendary America. Gremese International s.r.l.. pp. 45. ISBN 8873010946. 
  5. ^ 百科事典『マイペディア』の「マカロニウェスタン」の項目より

外部リンク[編集]