台湾
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| 台湾 | |
|---|---|
![]() 台湾の位置 |
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| 各種表記 | |
| 簡体字: | 台湾 |
| 繁体字: | 台灣/臺灣 |
| ピン音: | Táiwān |
| 注音符号: | ㄊㄞˊ ㄨㄢ |
| ラテン字: | Taiwan |
| 台湾語: | Tâi-oân |
| 発音: | タイワン |
台湾(たいわん、域内での通常の字体は台灣、正式な文章においては臺灣と表記)は東アジア、太平洋の西岸に在る台湾島を中心とした地域の名称。1945年以降は一貫して中華民国の統治下にあり、1949年の中華人民共和国成立に伴う中華民国政府の台湾移転以降は、中華民国の実効支配範囲とほぼ重複するため、中華民国の通称としても用いられる。現在も、中華人民共和国と独立問題で係争中である。
この項目では台湾の地理内容以外に遷台後の中華民国についての内容も記載する。
目次 |
[編集] 定義
| 台湾 |
| 人口 - 経済 |
| 教育 - 交通 |
| 言語 - 軍事 |
| 政治 |
| 文化 |
| 遺跡 - 映画 |
| 芸術 - 文学 |
| 演劇 - 舞踊 |
| 宗教 - 民俗 |
| 地理 |
| 温泉 - 国立公園 |
| 歴史 |
| 先史時代 |
| オランダ統治時代 |
| 鄭氏政権 |
| 清朝統治時代 |
| 台湾民主国 |
| 日本統治時代 |
| 国民政府時代 |
| 総統民選期 |
| カテゴリ |
| 政府機構 - 社会 - 文化 |
| 生物 - 博物館 - 台湾人 |
| スポーツ - 原住民 - 古跡 |
| 行政区分 - メディア - 交通 |
| 食文化 - 教育 - 経済 |
| 組織 - 言語 - 地理 |
| 歴史 - 画像 - 政治 |
- 狭義の台湾
- 1885年に清朝が新設した台湾省に属していた地域を指しており、具体的には台湾島と澎湖島、蘭嶼島及びにその周辺諸島から範囲が構成されている。この範囲は、1895年から1945年までの間は日本の一部であり、台湾総督府の統治下にあったが、1945年の第二次世界大戦終結後に空白区となったこの地に、1949年、大陸から中国共産党に追われた国民党が進駐した。
- 広義の台湾
- 中華民国の政府が実効統治している全地域を指しており、具体的には台湾島に福建省沿岸の馬祖列島・烏坵島・金門島、及びに東沙諸島と南沙諸島の一部(太平島、中洲島)を加えた範囲から構成されている。この範囲は、国共内戦による中華民国・国民政府の領土喪失が1955年の浙江省・大陳列島喪失で停止することで誕生した。なお、今日の台湾では、福建省沿岸にある諸島を台湾地域と区別して金馬地区(金馬地區、金門島と馬祖列島の頭文字に由来)と呼称することもある。
台湾は、国共内戦を経て1949年に中国共産党率いる一党独裁国家である中華人民共和国が成立した後に発生した地域範囲である。本来、「中国を統治する唯一の合法(正統)な国家」は中華民国のみであったが、中華人民共和国が成立したことにより、中国は「中国を統治する唯一の合法(正統)な国家」としての権利を主張する二つの政府が並立する事態となった。
そのために、世界各国は「正統な中国政府」の選択に迫られることとなったのだが、米ソを中心とした冷戦下における微妙な軍事・政治バランスの中、1960年代後半に入り文化大革命やダマンスキー島事件などをめぐり顕在化した中ソ対立を元にアメリカと中華人民共和国が急接近し、その後1971年に国際連合で中華人民共和国が「中国」の代表権を取得してからは多くの国が中華人民共和国を「正統な中国政府」として承認し、中華民国はアメリカと共同歩調を取る西側諸国を含む多くの国から「正統な中国政府」として承認されなくなった。
だが、中華人民共和国を「正統な中国政府」として承認した後も、民主主義国家である中華民国との非公式な関係維持を望むアメリカや日本などの多くの国では中華民国の統治地域を中華人民共和国の統治地域とは別個の「地域」と判断して、「台湾」という地域名称で中華民国の政府を呼称し始めた。
そのために、広義の「台湾」の地域範囲は主に中華人民共和国を「正統な中国政府」として扱っている国々で使用されており、日本も同様である。ただし、それらの国々では、政府の「中華人民共和国の中の台湾という地域」としての扱いと、中華民国政府が事実上独立した一国家として健在している現実との錯綜が見られる。詳細は中華民国#国名を参照のこと
[編集] 歴史
詳細は台湾の歴史を参照。
台湾地域の歴史は、先史時代、オランダ植民統治時代、鄭氏政権植民地時代、清朝統治時代、日本統治時代、南京国民政府統治時代、台湾国民政府統治時代、そして現在の台湾総統選挙時代に区分される。
[編集] 名称の変遷
台湾島は、東シナ海上にある島として古くから中国人にその存在が認識されていた。『漢書地理志』の中に「会稽海外有東鯷人、分為二十余国、以歳時来献見...」との記載があり、一部の学者は東鯷とは台湾を指す名称であると主張している。しかし漢代の中心地は中原と称される、長安及び洛陽を中心とする地域であり、漢朝の実質的な勢力は長江下流域に限られていたと考えられる[要出典]。従って福建省や広東省の沿岸地帯に至ることは非常に稀であり、その東岸にある島嶼を正確に記録したとは考えにくく、東鯷とは海上の島嶼群を漠然と示した名称であると考えられ、台湾の呼称と即断することは困難である。東鯷の中に台湾も包括されていたと考えるべきであろう。
時代は下り三国時代の『臨海水土志』の中に「夷州在浙江臨海郡的東南、離郡二千里、土地無霜雪、草木不枯、四面皆山、衆山夷所居。山頂有越王射的正白、乃是石也。」及び「部落間互不相属、各号為王、分割土地...」という記載があり、この場合の夷州は台湾を指すものと考えられる。しかし孫権伝説の中に、「夷州亶州在海中、長老伝言、秦始皇遣方士徐福将男童女数千人入海、求蓬莱及仙薬…」という記載もあり、地名としての夷州が台湾を指す言葉として確定してはいなかったとも思われる。しかし、『臨海水土志』には別に、
夷洲在臨海東南、去郡二千里。土地無霜雪、草木不死。四面是山谿。人皆髡髮穿耳、女人不穿耳。土地饒沃、既生五穀。又多魚肉。有犬、尾短如麕尾状。此夷舅姑子婦臥息。共一大牀、略不相避。地有銅鐵、唯用鹿格爲矛以戰闘、摩礪青石以作(弓)矢鏃。取生魚肉雜貯大瓦器中、以鹽鹵之、歴月所日、乃啖食之、以爲上肴
という記述もあり、このような土地はあらゆる意味で台湾島の特徴に合致し、またそれ以外でこのような地域を中国南部の沿岸の島嶼に見出すことは困難であり、台湾が少なくともこの時代には中国文明の認識する範囲に含まれていたことは明らかであると言える。
隋時代の603年に書かれた文献には、台湾への探検の記録が記載されている[要出典]。だが、当時の中国の文献において、台湾は琉球、留仇、流虬、琉求、瑠球と称されていた。その後隋末から宋までの600年間、中国の文献の中で台湾の記事が出現しない空白期間を迎える。元代になると再び記録に台湾が出現するようになる。明代の記録である『東西洋考』、『閩書』、『世法録』では台湾を東蕃、と呼んでいる。周嬰在が表した『東蕃記』では台員、何喬遠が表した『閩書島夷誌』では大員、張燮の『東西洋考』では大円、何喬遠の『鏡山全集』では台湾、沈鉄的奏折の中では大湾のように様々な呼称が与えられている。また福建沿岸の民衆は台湾南部を毗舍耶、中原の漢族は台湾北部を小琉球と称している。
明の太祖の時代になると琉球という呼称は沖縄・台湾双方を指す言葉として使われ続けたため両者の区別に混乱が生じ、沖縄を大琉球、台湾を小琉球と呼ばれるようになるが、その後名称に混乱が生じ、小東島、小琉球、雞籠、北港、東番のような名称が与えられていた。明末に鄭成功が台湾に建てた鄭氏政権時代になると、鄭氏政権は台湾を「東都」、「東寧」などと呼ぶようになった。
このような名称の変遷を経て、台湾が台湾と呼称されるようになったのは清朝が台湾を統治し始めてからのことである。ただし、台湾の語源は不明確で、原住民の言語の「Tayouan(タイユアン)」(来訪者の意)という言葉の音訳とも、また、「海に近い土地」という意味の「Tai-Vaong」や「牛皮の土地」という意味の「Tai-oan」などの言葉に由来するとも言われる。大員(現、台南)がタイオワンと呼ばれており、そこにオランダ人が最初に入植したためとも見られている。いずれにしても原住民の言葉が起源と見られ、漢語には由来していない。
[編集] 別称の由来
台湾島には、フォルモサ(Formosa)という別称が存在し、欧米諸国を中心に今日も使用される場合がある。これは、「美しい」という意味のポルトガル語が原義であり、16世紀半ばに初めて台湾沖を通航したポルトガル船のオランダ人航海士が、その美しさに感動して「Ilha Formosa(美しい島)」と呼んだことに由来するといわれている。なお、フォルモサの中国語意訳である美麗(之)島や音訳である福爾摩沙を台湾の別称として用いることもある。
ちなみに、日本では高山国または高砂と称した。正式の使節ではないが、ノイツ事件に関して、原住民が「高山国からの使節」として将軍家光に拝謁したこともある。
[編集] 政治
詳細は中華民国の政治を参照。
今日の台湾における重要な政治的問題としては、台湾問題が挙げられる。
台湾問題とは、台湾の最終的な政治的地位および主権帰属をめぐる中華民国と中華人民共和国と台湾未定論の問題である。1945年の第二次世界大戦終結後、中華民国・南京国民政府は、連合国軍の委託を受けて駐台湾日本軍の武装解除を行うために台湾へ軍を進駐させ、1943年のカイロ会談における取り決めに従い(だが、カイロ会談は国際効力がない)、同年10月に台湾を中華民国の領土に編入した。その後に国共内戦によって中華人民共和国が成立し、かつ中華民国政府が一旦崩壊した上で“台湾国民政府”として再始動してからは、両国政府間で「中国を代表する正統な政府」としての権利を巡る対立が生じるようになり(中華民国の歴史参照)それと同時に台湾の政治的地位と主権帰属も対立の一要因となっていった。
今日では、国際政治上の駆け引きの結果から「中国を代表する正統な国家」として中華人民共和国を承認する国が大勢を占めている。ただし、ほとんどの国は、中華人民共和国を「承認」しながら、半官半民の組織を介して中華民国と実務関係を維持している。現在も中華民国憲法は、中国大陸を統治した時代に制定された条文を維持し、中華民国が中華国家であることの象徴とされている。その一方で憲法追加修正条項の制定以後、中華民国が台湾地域のみを統治するとの前提により民主化が進められてきた。しかし、中華民国の反独立派や中華人民共和国は、こうした動きを法理独立と非難してきた。その一方で、台湾独立運動(台独運動、または台独)の一部は、中華民国体制が長年に渡り台湾住民の国政参加を拒み、弾圧と差別を行ってきた歴史を忘れるべきではなく、中華民国と異なる新しい国家を自ら建設すべきであると主張している。このように、現在も台湾問題に関する様々な意見が存在し、第三者による理解を困難にしている。
しかし、台湾世論の大勢は、台湾が中華人民共和国の主権に帰属するものではなく、中華民国という国家であるという点で一致している。その上で中華民国の立法府たる立法院の議員などの政治家は今なお、「台湾も中華人民共和国も同じ中華民族の国家である」とみなす泛藍連盟派と、「台湾と中国は別々の国である」とする泛緑連盟派(台湾本土派および独立派)のいずれかに大別される。
ただし、世論調査では、早急な統一も独立も望んでおらず、実質的に中華人民共和国とは分離している現在の状態を維持することを望む声が多い。そのため、中華民国の世論は基本的には現状での安定志向にあると言え、各党も世論を配慮しながら政治活動を行なっている。
[編集] 地方行政区分
詳細は台湾の行政区分を参照。
かつての中華民国による行政区分は、台湾を2省(台湾省、福建省)、2直轄市(台北市、高雄市)に区分し、更に省内を5省轄市(基隆市、新竹市、台中市、嘉義市、台南市)、18縣に区分していた。だが、1996年に福建省が、1998年に台湾省がそれぞれ行政機能を「凍結」(事実上の廃止)させられたため、今日では省轄市と縣が直轄市に準ずる地位に格上げされて地方行政を担っている。
[編集] 主要都市
台湾最大の都市は北部盆地に位置する台北市であり、1949年以降は中華民国の首都機能を果たしている。なお、台湾省の省都も当初は台北市であったが、1957年に台北市から台湾中部にある南投県南投市中興新村に移された。後に台湾省が凍結され、現在では省都として機能していない。
地方の主要都市としては、台北市の東北部に港湾都市である基隆市が、台湾島南西部に工業・港湾都市である高雄市(台湾第二の都市)がそれぞれあり、両都市の間に新竹市、台中市(台湾第三の都市)、嘉義市、台南市(台湾の古都にして第四の都市)などの主要都市が集中している。これらの主要都市は全て台湾西部に位置しており、台湾東部の主要都市としては花蓮市と台東市がある。
[編集] 地理
詳細は台湾の地理を参照。
台湾は、台湾島とその周辺諸島(澎湖諸島・蘭嶼など)、及び金馬地区と東沙諸島・南沙諸島から構成されており、面積は約35,980km²と九州程度(日本の約10分の1)の大きさである。
台湾北東部は日本の琉球諸島の西方海上に位置しており、最も近い与那国島との距離は110km以下である。また、台湾地域西端の金馬地区は台湾海峡を隔てて中国と接しており、最南端の岬である鵝鑾鼻(がらんび)は、バシー海峡を隔ててフィリピンと接している。
台湾最大の島である台湾島は、南北の最長距離が約394km、東西の最長距離が約144kmで木の葉のような形をしている。島の西部は平野、中央と東部は山地に大別されるが、島をほぼ南北に縦走する5つの山脈(中央山脈、玉山山脈、雪山山脈、阿里山山脈、海岸山脈)が島の総面積の半分近くを占めており、耕作可能地は島の約30%にすぎない。台湾最高峰の山は玉山山脈の玉山(旧日本名:新高山、海抜3,952m)であり、富士山よりも高く、同様に標高3,000mを超える高山が多数連なっている。また、このほかの重要な地勢としては丘陵、台地、高台、盆地などが挙げられる。
なお、台湾はフィリピン海プレートとユーラシアプレートの交差部に位置するため、日本と同様に地震活動が活発な地域である。また日本と同じ火山帯に属し、温泉も豊富にある。
[編集] 気候
台湾はほぼ中央部(嘉義市付近)を北回帰線が通っており、北部が亜熱帯、南部が熱帯に属している。そのため、北部は夏季を除けば比較的気温が低いのに対し、南部は冬季を除けば気温が30度(摂氏)を超えることが多くなっている。台湾の夏はおおよそ5月から9月までで、通常は蒸し暑く、日中の気温は27度から35度まで上り、7月の平均気温は28度である。冬は12月から2月までと期間が短く、気温は総じて温暖であり、1月の平均気温は14度である。ただし、山岳部の高標高地帯では積雪が観測されることもある。
平均降雨量は年間およそ2,515mmであるが、降雨量は季節、位置、標高によって大きく異なっている。台湾は台風の襲来が多く、毎年平均3~4個の台風に襲われている。台湾は台風で給水の大きな部分を賄っているが、同時に損壊、洪水、土砂流などの災害も発生している。1996年の台風9号は、台湾で最も大きな災害となった台風の1つである。また、台風以外にも、夏季には台湾語「サイパッホー(sāi-pak-hō)」(普通は西北雨と表記、正しいのは夕暴雨)と呼ばれる猛烈な夕立が多い。
[編集] メディア
中華民国と対立する中華人民共和国とは異なり、憲法上、事実上共に報道の自由、言論の自由が比較的保障されており近年の調査ではかなり高い水準にあると言われている。しかし国民党が長年にわたって敷いた戒厳令の影響で、メディア関連の職業は依然として外省人が要職に就くことが多く報道は国民党寄りでドラマ、映画では本省人を洗練されていない田舎者として描き、外省系の芸能人を強くプッシュする(テレサ・テン、侯孝賢、アン・リーなど)という指摘がなされることがあり、本省人はあまり外省系のメディアを信用しないと言われる。
ただし近年は中華民国全体の急速な「台湾化」の下、外省系メディアでも報道は北京語、バラエティは台湾語と使い分けるケースが増え、また香港系や本省系メディアの台頭により多少従来のパワーバランスが崩れつつあるのが現状である。
[編集] 経済
詳細は台湾の経済を参照。
日本統治時代には、日本の食糧補給基地としての役割を与えられていた台湾地域では、その食料を保管・加工する軽工業が芽生えていた。第二次世界大戦後の中央政府の台湾移転後、中華民国政府は台湾を「反攻大陸」(武力による大陸部の奪還)の基地とした。これにともない軍事最優先の政策がとられ経済政策は後回しとされたが、そのような中で政府は、軽工業を発展させ、次第に重工業化する政策をとる。経済特区や政府主導による経済プロジェクトが全国に展開され、特に日本とのコネクションを利用した日本の下請け的な工業が発達する。
蒋経国の代になり、十大建設をはじめとする本格的な各種インフラ整備が始まり、また、ベトナム戦争の際、アメリカは戦略物資を台湾から調達し、そのため台湾経済は飛躍的に発展し、この頃より主な輸出先は日本からアメリカへシフトしていった。また、中華民国政府は軽工業から重工業への転換を図り、積極的な産業政策を打ち出した。しかし、中国鋼鉄や中国造船、中国石油などの国営企業を主体としての重化学工業化であり、必ずしも強い国際競争力を伴ったわけではない。しかし、在米華僑の技術者の協力により行った半導体産業の育成は成功を収め、後の台湾積体電路製造(TSMC・台積電)や聯華電子(UMC)を生出す。
1980年代、電子工業の発展は民間中小企業にも波及し、パソコンのマザーボードのシェアでは世界一になった。中華民国はアジアNICsの一員に選ばれ、NIEsにも引き続き含まれた。さらに、外貨準備高世界上位に入るなど、経済発展は目覚しかった。さらに1990年代はIT景気に乗り、1997年-1998年のアジア経済危機も乗り越えた。そのため、中小企業が多い点が日本と似ていることや、政府主導の産業政策や財閥主体の韓国との違いなどが強調されたのである。
1980年代後半は、中華民国の現在の自転車工業への転換点でもある。1986年のプラザ合意前までは日本が自転車の生産において大きなシェアを占めていたが、プラザ合意後は日本の自転車産業・特に完成車の輸出は大幅に減少して、中華民国が自転車輸出大国に成長した。現在では世界最大の自転車メーカーとなったジャイアント・マニュファクチャリング等の現在の台湾自転車業界の主要企業は1970年代後半から欧米メーカーのOEM・ODMを引き受け、現在に繋がる設計・生産の基礎を築いた。この頃からOEM・ODMの受注だけでなく、中華民国の自転車企業は自社ブランドの販売にも乗り出した。
しかし2000年代にはいると、製造業で中華人民共和国への投資による空洞化の進行が目立ち、2001年のITバブル崩壊の影響を受け、2002年には中華民国の台湾移転後初のマイナス成長を記録した。中華民国の電子工業はOEM、ODMなど先進国企業からの委託生産に特化し、独自のブランドを持たなかった。そのため、先進国市場での知名度が低く、また、かつて比較された韓国におけるサムスンのような知名度の高い大企業も存在しない。さらに一人当たりGDPでも韓国に逆転される様相を呈してきた。中華民国政府は、自国企業による中華人民共和国への投資を未だ完全には開放していない。また、中華人民共和国市場での利益の自国回帰も呼び掛けているが、目立った効果は見られない。一方、陳水扁政権は新十大建設を打ち出し、新たなインフラの整備と次世代産業の育成を掲げた。政府はライフサイエンスも重要視しているが、ライフサイエンスがITほどの経済規模を見込めるのかどうか、疑う声も強い。
日本経済との強い関連下で発展してきた中華民国経済は、日本経済と互換性のある面が強い。即ち技術力、工業生産力を利用し、世界市場で優位に立てる製品を開発提供することによって、外貨を獲得する加工貿易が基本である。しかし日本と異なる面も多い。 それは漢民族の伝統やアメリカの影響によるものと考えられるが、代表的なものは起業指向であろう。 中華民国では有能な人ほど起業を志し、それが経済に活力と柔軟性を与えている。 個人主義的なのであるが、反面、社会道徳の弱さという弱点も持つ。また、華僑ネットワークに支えられた、全世界ネットを駆使した世界戦略も中華民国独特の強みである。 アメリカや日本で注文を取り、中華人民共和国やベトナムに製造させる仲介的戦略も、この華僑ネットを利用している。
[編集] 日本との経済関係
台湾と日本は盛んな経済的交流を持っている。地理的に近く、共に海洋国家かつ米国と協力関係にある自由主義陣営の国家であるからだ。台湾経済が日本統治時代のインフラや教育を礎にして早期から経済発展をしており、国民の対日感情も良好である。台北の台北国際金融センタービルは日本の熊谷組を中心とした共同企業体(JV)が施工している他、日本の新幹線の信号・車両技術を導入した台湾高速鉄道(台湾新幹線)も台北~高雄間に運行中である。しかし、ヨーロッパの運行システムに日本の車輌を組み合わせた形となったことからトラブルを多く抱え、開業が大きく遅れた上、開業時の運転手や運転指令スタッフがすべて欧州人であることによる人員育成の問題など、課題を多く抱えている。また、ウナギの養殖をはじめ、食料品の対日輸出も多い。
[編集] 台湾に本拠地を置く代表的な大企業
- 鴻海精密工業(Foxconn) 台湾最大の民間企業のひとつ
- 台塑關係企業(台プラグループ.Taiwan Plastic Group)台湾最大の民間企業のひとつ
- ASUS(華碩) 世界一のマザーボード メーカー
- エイサー(宏碁・Acer)
- BenQ(明基・ベンキュー) 2001年、エイサーグループから独立した。
- AU Optronics(友達・AUO) BenQグループの液晶パネルメーカー
- GIGABYTE(技嘉)
- クアンタ・コンピュータ(広達)
- 裕隆汽車
- 統一超商
- エバーグリーン・グループ
- チャイナエアライン(中華航空)
- 台湾銀行(Bank of Taiwan)
- Micro-Star International(微星・MSI)
- Delta Electric (台達電子)
- D-Link(友訊) インターネット関連製品における世界的企業
- ジャイアント・マニュファクチャリング(捷安特・GIANT) 自転車メーカー
- トランセンド(Transcend)フラッシュメモリなど半導体メーカー
- Trend Micro (趨勢科技) Anti-Virus Software company
- MAXXIS Tire (正新橡膠)
[編集] 交通
詳細は台湾の交通を参照。
台湾は鉄道・道路・航路ともに発達しており、日帰りで台湾を一周することも可能である。
[編集] 鉄道
詳細は台湾の鉄道を参照。
台湾の鉄道は、中華民国国営の台灣鐵路管理局(略称は台鐵)の路線が台湾を一周しており、自強号(日本の特急に相当)、莒光号(日本では、急行)、復興号(日本では快速列車)そして区間車、区間快車、普快車(日本では普通列車)が各都市を繋いでいる。以上は機関車(電気・ディーゼル)に客車を連結した編成であるが、別に通勤電車と呼ばれる電車が大都市近郊を走っている。なお、台湾では中華人民共和国などと同じく列車のことを「汽車」ではなく「火車」と呼ぶ。
市内や近接地区を結ぶ鉄道交通ネットワークとして、捷運(MRT)がある。これは日本の地下鉄や新交通システムに相当する。最初に、台北市政府による台北捷運が木柵線(新交通システム)を1996年に開通させ、翌年に淡水線(地下鉄)の一部を開業した。高雄市による高雄捷運もまもなく一部路線を開通させる見通しである他、他の都市でも建設中もしくは計画中である。
台北・高雄を結ぶ都市間鉄道として、最高速度300km/hの台湾高速鉄道が2007年1月に開通した。日本の新幹線車両(700T型)を導入し、台湾初の大型BTOとして建設・運営が行われている(台鐵の路線ではない)。日本にとっては、初の新幹線車両の海外輸出となるが、相次ぐトラブルで開業が大幅に遅れた上、受注の背景から欧州の信号技術と日本の車輌を組み合わせた折衷型システムとなり、開業時の運転手は全て欧州人となるなど、開業は相当な難産であった。しかし、台北から高雄までの所要時間87分、運賃は台鐵と航空便の中間となる1490台湾ドルで、自強号の最速列車でも3時間59分かかる台鐵(縦貫線)はもはや競争相手とはならない。航空路線も大幅な減便を強いられ、有力な競争相手となるのは低運賃の高速バスとみられている。高速鉄道の開業後、台鐵は縦貫線の地域の輸送機関としての再構築を模索している。(台鉄捷運化を参見。)
また、高速鉄道の延伸予定の無い東部幹線の速達化をはかるため、2004年に台鐵は丸紅を通して日立製作所に885系をベースにした車両を6編成48両発注した。名称は公募の結果、太魯閣号(タロコごう)となった。
軽便鉄道とは、台湾かつて糖業(全盛期は34旅客線があった)の専用鉄道があったが、1980年代限りを以って旅客営業全廃された。林業は1914年に嘉義~沼の平(ぬのひら)全線開通の阿里山森林鉄路がまだ運行されている。
[編集] 道路
台湾の国道も参照。
高速道路には基隆・台北と高雄を結ぶ中山高速公路と、フォルモサ高速公路の二本があり、更には主要国道・省道が台湾全土に張り巡らされている。そのことから、数多くのバス会社が高速バスを走らせており、大都市間を結んでいる。直接都市間を結ぶこともあり、渋滞が厳しい台北周辺を除けば、所要時間は特急列車と大差ない。台湾では航空路と高速バスの整備により、特に西部幹線(基隆~高雄・屛東)では鉄道輸送は苦戦している。
かつては中華民国国営の「台湾汽車客運」(中国語の汽車は自動車の意味)が高速バス事業を担っていたが、2001年の民営化に伴い「国光汽車客運」に再編された。また、それと相まって、近年では高速バス事業の自由化が進み、複数の会社による競合の結果、二列シート・軽食・飲物のサービス付き・カーテン・トイレ完備などの豪華なバスが大都市間で24時間運行されるようになっている。このために、民営バス会社は台湾の人々にとって大切な足になっているが、連休などでは慢性的な渋滞にしばしば巻き込まれている。
都市部では市内バス路線が整備されているが、古い車両が多く使用されている、バス停で乗降客がスムーズに乗降できないなどの理由で利用頻度は高くなかったが、近年では台北市を中心に車両の更新、バス専用レーンの設置などにより大幅な改善が見られ利用者も増加傾向にある。しかし大衆交通網が未完成のため一般的にはタクシーや自家用車、スクーターを利用することが多い。各種車両が入り乱れているの市内地域では激しい渋滞と、運転マナーに起因する交通事故が多発している。
また国際運転免許証に関しては中華民国がジュネーブ条約に加盟していないため多くの外国人が台湾で運転する場合には現地での運転免許取得が必要であったが、日本人に関しては2007年9月19日より日本と中華民国両政府の間で短期旅行者に限定して免許証の相互承認が認められるようになり、短期旅行者がレンタカーなどを運転できるようになった。ちなみにアメリカの国際免許はそれよりもはやくから台湾で有効とされていた。。
[編集] 航空
航空機は台湾島と金門島などの各離島を結んでいる他、主要都市を結んだ高頻度運行サービスを提供しており、料金も割引チケットを使えば鉄道やバスと遜色ないので人気は高い。また、日本各地や香港、フィリピンのマニラなどとの間には高密度な国際線が運行されている他、アジア圏内やヨーロッパ、アメリカなどとの間にも多くの国際線が運行されている。
台湾のの航空会社としては、日本では成田空港や中部国際空港、福岡空港などに乗り入れているチャイナエアライン(中華航空)が有名であるが、最近では成田空港や関西国際空港、新千歳空港などに乗り入れているエバー航空(長栄航空)も日本に浸透してきている。これらの航空会社以外にも、遠東航空、復興航空、立栄航空や華信航空などがある。なお、これらの航空会社のいくつかはチャイナエアラインやエバー航空の子会社である。
国際空港としては、台湾桃園国際空港、高雄国際空港、台中清泉崗国際空港があり、最近では、花蓮空港を国際空港に昇格させる計画もある。
[編集] 船舶
台湾島と澎湖諸島、金門島などの離島との間は船便によっても結ばれており、航空路線が発達した今日でも利便性がある。台湾島と澎湖諸島を結ぶ船便は高雄港(台華輪)・台南安平港(今日之星)・嘉義布袋港(満天星客輪)から毎日出ている。
尚、台湾島と緑島・蘭嶼を結ぶ船便は台東富岡港から、台湾島と金門島を結ぶ船便(金門快輪というフェリー)は高雄港から、台湾島と馬祖列島を結ぶ船便(台馬輪及び合富輪)は基隆から、それぞれ出航している。
日本からは沖縄・那覇新港から、宮古島、石垣島を経由し、基隆、高雄へ向かう航路が有村産業により運航されている。
[編集] 住民
台湾地域の住民は、漢民族と原住民族に大別される。原住民族は平地に住んで漢民族と同化が進んだ「平埔族」と高地や離れ島に住む「高山族」13民族(アミ族、タイヤル族、パイワン族、プヌン族、ピュマ族、ルカイ族、ツオウ族、サイシヤット族、ヤミ(タウ)族、サオ族、トゥルク(タロコ)族、クヴァラン族、サキザヤ族。なお、「高砂族」は日本統治時代の呼び名。)に分かれる。台湾の漢民族は、戦前(主に明末清初)から台湾に居住している本省人と、国共内戦で敗れた蒋介石率いる国民党軍と共に台湾に移住した外省人に分かれる。本省人が台湾で85%を占めており、本省人は福建(閩南)系と客家系に分かれる。外省人13%、原住民2%(タイヤル、サイシヤット、ツオウ、ブヌン、アミなど13民族)。左図を参照
[編集] 言語
台湾の公用語は中国語(北京語)であり、国内では国語と称されている。国語は中華人民共和国の公用語である普通話と基本的に同一言語であるが、現在では語彙などの細かい部分に多少の相違点が生じている。他にも日常生活では福佬語、場所によっては客家語、原住民の諸言語が使用される。福佬語は言語上は福建方言の一種である閩南語であるが、平埔族の言語や日本語の影響を受けており、その意味でも閩南語とは分化し福佬語と呼称される。
注:台湾に固有な言語という意味から、台湾語は客家語、原住民諸語をも意味するのではないか、という指摘があり、最近では福建南部系言語を台湾語と呼ばず、代わりに福佬語(ホーロー語)と呼称するケースが増えてきている。
なお閩は虫・蛇の意味で侮蔑的であるうえ、福建南部においても閩南語だけが使われているわけではないこともあって、「閩南語」の呼称は廃れつつある。ポリティカル・コレクトネス、多文化主義を参照。
音声言語の他、日本手話と比較的近い(共通性は6 - 7割といわれる)台湾手話を母語とする人たちがいる。
[編集] 文字
国語は普通話と同様に漢字により表記されるが、中華人民共和国で使用されている簡体字ではなく、伝統的な繁体字(正字体)が用いられている。ただし、日常生活でははある程度略字の使用が行われている。(「臺灣」を「台灣」と表記)
また発音記号としては注音符号という発音記号を現在でも教育現場で使用しており、小学生向けの教科書にルビとして振られている他、鉄道貨車の形式を表したりするのに使われている。それ以外にもラテン文字系の通用ピンインや注音符号二式、ウェード式のような発音表記方式も存在している。
日本統治時代に教育を受けた世代ではひらがなやカタカナを利用している例もあるが、現在では日本語を使用して福佬語を表記(台湾かな)している台湾人は極めて限定的となっている。
[編集] 電子機器の文字入力
パソコン等の文字入力方法は、マイナーなものもふくめれば十数種類の入力方法が存在しているが、習得が容易なことから日本のかな漢字変換に似た注音輸入法がもっとも一般的である。注音輸入法はパソコンだけでなく携帯電話での文字入力にも利用されている。また、習得が困難だが入力速度の速い倉頡輸入法、嘸蝦米などもプロ向けの入力方法として人気がある。
[編集] 言語教育
最近になって、国語以外の言語、即ち台湾語、客家語、原住民語の教育が義務付けられたが、中国国民党による戒厳令時代はすべて標準中国語(北京語)のみで教育する事とされていた。このため、高齢者や農村部では台湾語または客家語のみで北京語が話せない者がいる。その下の世代では基本的には「国語」と台湾語の両方とも話せるが、在中年世代以下では北京語のみで台湾語を「聞いて理解できるが話せない」という者も少なくない(特に外省人が人口に占める割合多い都市部)。従って、同じ「台湾人」であるはずなのに世代間でコミュニケーションが成り立たないということも珍しくない。また、日本統治時代においては日本語での教育が義務付けられたため、高齢者には日本語を話せる人が多く、中には母語並みに日本語を使いこなせる(書くこともできる)人も少なくない。
この他、英語の教育熱が高く、幼稚園時代から英語のみ使用する施設などに子供を預ける者も多い。アメリカへの修士号への取得、学士号の取得を目標とする留学者も多い。また、若者の間では日本ブームなどの流れに乗り日本語の学習者も増えている。彼らの中には日本の大学や専門学校の日本語を専攻とし、日本で就職する者も少なからず存在する。
[編集] 教育
詳細は台湾の教育を参照。
現在の台湾の教育制度は、中華民国憲法の規定(第二十一条、第百六十条)と各種の教育関連法に基づいて体系化されている。学制は6・3・3・4制が採用され、国民小学6年、国民中学3年、高等中学3年、大学4年となっている。ただし大學の教育、建築学部は5年、歯学部6年、医学部は7年とされている。普通学校と並行して特殊学校(盲学校、聾学校、養護学校など)と補習学校(専科学校や語学学校など)がある。義務教育(台湾語では国民敎育)は、当初は国民小学の6年のみであったが、1968年度から国民中学3年も含めて9年制とされ、公立校の教育費は無料とされている。学年度は8月1日から翌年7月31日までで、日本の4月1日~3月31日とは異なる。中華民国には二十歳の男子国民に兵役の義務があるが、大学と専科学校の在学生は卒業まで徴兵延期が許されている。
一般に台湾人は教育に熱心であり、国語(中国語)識字率は96.3%(2002年度)に達する。しかし教育熱心な人が多いゆえに台湾は学歴社会となっており、就職では日本以上に学歴が重視される傾向にある。この為、日本の高校に相当する高等中学校の進学率は92.02%、大学への進学率は70.07%(共に1997年度)と共に高い。特に有名高等中学校・大學への入試は熾烈を極める。大学進学・卒業後に海外の大学・大学院へ留学する学生も多く、台湾には日本やアメリカの大学・大学院が出した学位・博士号を持つ者も多い。
大学には総合大学のほかに短期大学(2年制)、工科大学、文科大学、国立空中大学(日本の放送大学に相当)があり、2002年度時点で大学総数154校、学生総数は約124万人に及ぶ。このような大学増設の影響から、最近では大学合格率が100%を超える問題も生じている。著名な大学として、台北市の国立台湾大学(1945年改編)・国立台北師範大学(1946年創立)・国立政治大学(1954年復校)、新竹市の国立清華大学(1955年復校)・国立交通大学(1958年復校)、台南市の国立成功大学(1961年創立)、桃園県の国立中央大学(1968年復校)がある。
国外には華僑子息・子女のための教育機関として、約3750校の華僑学校(日本での名称は中華学校)が設置されており、日本には横浜中華学院、東京中華学校、大阪中華学校の3校がある。日本の華僑学校は歴史が古く、1897(明治30)年に孫文が設立した私塾に由来する。華僑学校は中国語教育および中華文化の普及を目的としている。教育対象の年齢は各学校によって異なる。
近年日本では台湾出身者だけでなく大陸人や、台湾に親類のいない日本人のあいだにも華僑学校の人気が高まっている。横浜中華学院では、2005年度の入試に定員の約3倍に及ぶ応募があり、建学以来初めて入学試験を実施した。日本人の間での華僑学校人気の要因として、日本国内の公立小学校での不登校やいじめ、「ゆとり教育」による学力低下といった問題や、語学教育が充実し英語・中国語の二ヶ国語が学べる点、土曜日の授業実施など儒学に基づいた厳格な教育を行なっている点が挙げられる。
[編集] 文化
詳細は台湾の文化を参照。
台湾住民の大部分の文化的基盤は漢文化である。ただし、ホーロー(民族)系住民は福建南部系のホーロー文化に、客家系は客家文化に、外省人は出身省それぞれの文化に属するが、近年は通婚などにより相互影響や融合が深まっている。また、原住民族はマレー・インドネシア文化に属しているが、これも漢人文化の影響を受けている。
台湾におけるいずれの文化においても顕著な現象として、伝統文化が色濃く残っている点が挙げられる。社会主義化に伴う文化表現の規制、弾圧により中華人民共和国では廃れていった漢人の伝統民俗が今日まで数多く残存している他、ヤミ(タオ)族を始めとする各原住民でも民族独自の文化が保持・継承され続けており、離れ島としての台湾の文化的位置づけを現しているものといえる。
漢民族の間では、共通して家族が社会組織の重要な社会単位となっており、先祖崇拝などの伝統的な家族行事が今なお重要な役割を担っている。また、伝統的な二十四節気を基とした旧正月や、清明節(ただし客家人の一部などは祝わない)、中秋節などの季節行事も毎年盛大におこなわれている。この他にも、漢民族には移民出身地ごとの伝統文化が存在しており、例えば福建系の伝統文化としては布袋劇(人形劇)や歌仔戯(台湾オペラ、コアヒ)が挙げられる。また、外省系が台湾に持ち込んだ文化としては、中華民国政府のイデオロギー的影響や中国各地の料理が挙げられる。
外来文化としては中国以外にも日本とアメリカの影響が大きい。日本から受けた文化的影響は、古くは温泉、演歌、日本酒、おでん、武士道から新しくはカラオケ、Jポップ、漫画、アニメ、テレビゲーム、ファッションまであり、これらの日本文化が好きな若年台湾人は哈日族と呼ばれている。他にも古くから日本からのテレビ番組を多数放送しているため、日本人の俳優やコメディアンが広く知られている。
また、欧米の影響としては独自に英語のファーストネームを用いる慣習が挙げられ(欧米は間接的で、香港が直接影響を与えているとも言われる。たとえばブルース・リーやジャッキー・チェンなど)、ファーストネームと姓にて個人を表す人は俳優や歌手などを中心に珍しくはなく、一般の会社員でも欧米や日本との取引に従事する者の間でも行われる。このような具体例としては、テレサ・テン(Teresa + 鄧、中国語の芸名は鄧麗君)が挙げられる。台湾人の旅券の中にも外文別名(Also known as)(外国語の別名)なる項があり、そこに英語やその他の言語の名
