台南市
| 別称: 府城、鳳凰城、古都、刺桐城 | |
台南市の風景
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| 地理 | |
|---|---|
| 座標: | 北緯22度59分0秒 東経120度11分0秒 / 北緯22.98333度 東経120.18333度 |
| 面積: | 2191.6531 km² |
| 各種表記 | |
| 繁体字: | 臺南 |
| 日本語読み: | たいなん |
| 漢語拼音: | Táinán |
| ウェード式: | T'ai-nan |
| 注音符号: | ㄊㄞˊ ㄋㄢˊ |
| 片仮名転写: | たいなん |
| 台湾語: | Tâi-lâm |
| 客家語: | Thòi-nàm |
| 行政 | |
| 行政区分: | 直轄市 |
| 下位行政区画: | 37区 |
| 政府所在地: | 安平区永華路二段6号 |
| 台南市長: | 頼清徳 |
| 公式サイト: | 台南市政府 |
| 情報 | |
| 総人口: | 1,881,905 人(2013年1月) |
| 戸数: | 656,912 戸(2013年1月) |
| 郵便番号: | 7 |
| 市外局番: | 06 |
| 台南市の木: | 鳳凰木 |
| 台南市の花: | 鳳凰花 |
| 台南市の鳥: | 喜鵲 |
台南市(たいなんし、中国語:臺南市、英語:Tainan)は台湾西南部に位置する都市。2010年12月25日、元台湾省支配下の台南県と台南市を合併して、省から分離して新たに中華民国の直轄市となった。
目次 |
概要[編集]
台湾島で最も早くから開けた地区の一つであり、オランダ人はここに根拠地ゼーランディア城を置いた。清朝時代初期の鄭氏政権下の台湾の首府であり、政治・経済・文化の中心地であった。日本統治時代に台湾の中心地は台北に移ったものの、その後もしばらく台湾第2の都市として発展した。現在は台湾五大直轄市の一つで、合併後の人口は約187万人(2010年12月)。
多くの旧跡が残り、現代的な都市景観と併存していることから、「台湾の京都」と呼ばれることがある。台南小吃(中国語版記事)で知られるグルメの町でもある。台南は台北などに比べて台湾語が日常的に使用されている地域であり、歴史も古いことから、台南方言が台湾語の標準的な方言と見做されている。
地理[編集]
地形[編集]
台南市の行政区は北側が広く、南に行くにつれて狭くなる三角形の形状で台南県(一部高雄市)に囲まれている。嘉南平原に位置するため地勢は平坦であり、市全域で海拔10~30mの間、最高でも海拔約40mという丘陵地が殆ど見られない特徴を有している。その域内は台南台地、大湾低地、安平平原、桜丘砂丘と分類することができる。
台南台地は台南市東部に位置し、孤立した楕円形の台地である。北側には曽文渓、南側には三爺宮渓と接しており、東側は崖で大湾低地と接しており,西側はなだらかな傾斜で安平平原へと繋がっている。南北約12km、東西約4kmであり、稜線の海抜は25~30m程度であり、台南市最高地点の海抜40m「網寮」もこの台地にある。
大湾低地は台南台地の東に位置し、大部分は台南県永康市に位置している。西側は地崖により台南台地に接しており、長さ12.5km、幅3kmで大部分は標高10m以下の地勢を成している。古くから集落が形成されていたこの地域では台南台地との境界が開発により曖昧になりつつある。
安平平原は台南市西部の沿海部に位置し、地殻変動により隆起した海岸平原である。平原の標高は海抜2~3mであり、曽文渓三角州の一部を形成している。この地域ではオランダ統治時代は台江内海潟湖であり、外側は砂嘴を形成していた。時代と共に干拓開発が進み、現在では台南市の新中心部となっている。
桜丘砂丘は台南市南部に位置し、台南孔子廟一帯より南に向かって伸び、二仁渓附近までの約7km、最大幅3kmに渡って存在している砂丘である。
河川[編集]
台南市の主要な河川は曽文渓、二仁渓、塩水渓び鹿耳門渓がある。この他竹渓寺渓、柴頭港渓などが東より西に流れ、台湾海峡に注いでいる。台南の河川は季節による水量の差が大きく、冬季は石礫が目立つ河川敷であるが、夏季には豊富な水量となっている。
行政区画[編集]
気候[編集]
| 臺南 (1971-2000)の気候 | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
| 平均最高気温 ℃ (°F) | 23.0 (73.4) |
23.8 (74.8) |
26.5 (79.7) |
29.4 (84.9) |
31.3 (88.3) |
32.2 (90) |
32.9 (91.2) |
32.3 (90.1) |
32.2 (90) |
30.7 (87.3) |
27.7 (81.9) |
24.3 (75.7) |
28.9 (84) |
| 日平均気温 ℃ (°F) | 17.4 (63.3) |
18.2 (64.8) |
21.1 (70) |
24.5 (76.1) |
27.0 (80.6) |
28.4 (83.1) |
29.0 (84.2) |
28.5 (83.3) |
28.0 (82.4) |
25.9 (78.6) |
22.4 (72.3) |
18.8 (65.8) |
24.1 (75.4) |
| 平均最低気温 ℃ (°F) | 13.6 (56.5) |
14.5 (58.1) |
17.1 (62.8) |
20.8 (69.4) |
23.8 (74.8) |
25.5 (77.9) |
26.1 (79) |
25.7 (78.3) |
24.9 (76.8) |
22.4 (72.3) |
18.8 (65.8) |
15.1 (59.2) |
20.7 (69.3) |
| 降水量 mm (inch) | 19.9 (0.783) |
28.8 (1.134) |
35.4 (1.394) |
84.9 (3.343) |
175.5 (6.909) |
370.6 (14.591) |
345.9 (13.618) |
417.4 (16.433) |
138.4 (5.449) |
29.6 (1.165) |
14.7 (0.579) |
11.3 (0.445) |
1,672.4 (65.843) |
| % 湿度 | 78.3 | 78.7 | 77.4 | 77.3 | 78.0 | 80.1 | 78.8 | 81.2 | 78.6 | 77.4 | 77.0 | 77.5 | 78.4 |
| 平均月間日照時間 | 182.4 | 158.7 | 187.3 | 188.7 | 192.0 | 190.6 | 221.5 | 195.7 | 200.5 | 197.7 | 174.9 | 173.7 | 2,263.7 |
| 出典: 中央氣象局 2009-03-16 | |||||||||||||
歴史[編集]
台南は1621年に顔思斉、鄭芝龍らが以笨港を占拠し、台江(現在の七股郷)に根拠地を築いた記録があり、早くから漢人の入植が進められていた。
1624年、明との貿易を求めるオランダによって台南に根拠地が設けられ、漢人の入植地に侵入するとともに、原住民への教化を行うなどの活動を開始した。1627年、日本と交易する諸外国船(特に、スペイン、ポルトガル)から税金を徴収していたオランダを威嚇するために日本から朱印船が派遣され浜田弥兵衛によりオランダ総督に抗議し多数のオランダ人を人質にとった。オランダ東インド会社は、課税はオランダ総督の独断によるものとし日本に出頭させ謝罪を表した。これ以降、日本との交易の独占を目指すオランダは、島原の乱では幕府を援助し、ポルトガル、スペイン等のカトリック国への幕府の不信感を増大させ、これが鎖国へとつながった。 1636年には新港社(現在の新市)に台湾初の学校を建設した。これにより後世新港文書と呼ばれる、当時の口語をローマ字により転写された文書が作成されたのはこの時代である。
明の滅亡後、鄭成功が台湾を拠点に反清復明の運動を開始すると、明の行政区分を援用し台南地区に天興県と万年県を設置した。当時の台南地区は鄭成功の重要な拠点とされ、軍隊による屯田及び漢人の入植も台南を中心に行われた。この時代に由来する地名としては新営、柳営、下営などが現在でも残っている。
1684年、台湾を平定した清朝によって、台湾には台湾府及び台湾、鳳山、諸羅の3県が設置された。台湾及び諸羅が現在の台南県の地域に該当する。当時の台湾の中心は台南であり、そこを基点に南北に開発が進行した。1726年には台湾府知事蒋毓英が現在の永康郷に洲仔尾塩場を設置するなど、経済活動も活発に行われていた。1831年には現地の農民である欧陽安により虎頭埤水庫が現在の新化鎮に設けられ灌漑が実現している。当初は限られた地域への灌漑に限定されていたが、その後も整備が進み、現在では台湾を代表する農村風景となっている。
商業経済面では1860年に台湾が対外的に開港したことで、茶葉、砂糖、樟脳の輸出が開始される。台南地区は砂糖の主要生産地であり、1890年代には台湾全土の製糖所1,275箇所の内1,057箇所を占めるようになっている。
清末に日本の台湾出兵を受け、清朝の側にも海防意識が高まり、台湾での軍事施設の建設が推進される。1888年、台湾巡撫の劉銘伝により台湾の重要性が強調されるなどした結果、台湾省が新設され、その下に台北、台湾、台南の3府が設置された。これが「台南」という地名の初見である。
日清戦争により日本に割譲されることになった台湾では、割譲に反対する清官僚らにより台湾民主国が建国される。その歴史は「第一共和」及び「第二共和」の2期に及ぶが、第一共和が僅か10日で崩壊したのち、その後台南で第二共和が成立し、100余日に及ぶ抗争が始まる。
1895年9月12日、日本軍が南下し鉄線橋庄(現在の新営市)を占拠した翌日、郭黄泰、陳維邦、郭黄池、柯文祥らは各庄に呼びかけ抗日義勇軍を結成、鉄線橋庄を包囲して日本軍との激戦が2日間継続した。結局死傷者100余名を出して敗北するが、日本軍にも40余名の死傷者を出すなどの被害を与えた(鉄線橋事件)。
1896年、全島を平定した台湾総督府は4月に新官制を発表し、台湾、台北、台南の3県を設置する。当時の台南県の行政範囲はかなり広く、現在の台南県のみならず、雲林県、嘉義県、高雄県、台東県及び花蓮県をも管轄としていた。
日本統治時代には台南でも近代化政策が推進され、1898年には大目降公学校をはじめ近代的教育機関が設置される。更に翌年には台南慈恵院を財団法人として設立し、医療関係の整備も進んだ。交通面では1990年11月に台南と打狗(現在の高雄市)の間に鉄道が開通している。また経済面では1903年に塩水港精糖株式会社が設立され、2年後には近代的な製糖事業が始まり、台湾の経済発展に大きく寄与している。
順調に見えた日本による台湾統治であるが、1915年に西来庵事件(台湾側では余清芳事件と称する)と呼ばれる武装抗日事件が発生する。余清芳、羅俊及び江定の3名が武装蜂起したが、日本官憲により摘発されるというものである。
そのような武装蜂起事件もあったが、1916年に台北と高雄を連絡する縦貫道路建設、1921年の烏山頭水庫建設の着工などが実施され、台湾の交通と農業の発展を柱とする近代化政策が着実に実現していった。
その後中華民国政府により領有された台湾島であるが、1946年1月7日に台湾県政府が成立し、台南州の行政事務を継承、1月15日には台南県参議会が成立し、台南における地方自治の開始となった。しかし、1947年2月27日に台北市の闇タバコ取締りに起因する民衆蜂起、いわゆる二・二八事件が発生するとこの地方自治体制に深刻な影響を与えることになる。3月2日に台南地区でも大規模な民衆蜂起が発生、県長の袁国欽を初め県政府首脳は阿里山に避難してしまう。そのため、県の政務は軍の出動により事件が鎮圧される3月13日まで停止された。
1950年、中国国民党率いる中央政府より地方自治制度の改編が指示され、台南県は台南、嘉義、雲林の3県に分割された。新生台南県は7鎮、24郷を管轄するようになり、県政府も新営鎮に移された。そして1951年1月28日には台湾省各県市実施地方自治綱要に基づき第1回県議会選挙が行われた。
台南県はその後も農業施設への投資や、新たに工業地区を建設するなどの事業を行い、その後も農業、工業の発展を機軸とする発展を遂げていたが、2010年12月25日に台南市に編入された。
- 1916年(大正5年)11月3日 - 町制を導入し、31町に統合。
- 1920年(大正9年) - 市制施行により台南州下台南市(旧字体:臺南市)となり、台湾で最初に市制施行した3市(台北・台中・台南)の中の一つである。
- 1936年(昭和11年)10月1日 - 同州新豊郡永寧庄大字下鯤鯓が編入。
- 1940年(昭和15年)10月1日 - 永寧庄廃庄された、大字鞍子、灣裡が編入。同郡仁徳庄大字虎尾寮が編入。
交通[編集]
自動車・バイク[編集]
台湾の他の各都市と同様に、バイク(スクーター)の利用者が日本に比べて非常に多い。特に市街地では自動車の入れない細い路地も多いこと、駐車場の確保が高コストであることがスクーター人口の多さに拍車をかけている。それだけ排気ガスも多く、マスクの着用者が市街地では目立つ。また車道沿いのさまざまな店舗(飲食店、衣料品店など)の前の路上には店舗利用者のスクーターが置かれる。
「租車」という看板を上げている店舗が台南火車站を中心に多数あり、スクーターあるいは乗用車をレンタルしている。日本からの旅行者でも、日本の運転免許証とその公式翻訳文を提示することで容易に借りることができる。JAFが翻訳文発行業務の委託を受け、代行している。一方で、台湾の道路では日本と逆で車両は右側通行であり、また習慣や法規の違いもあるので、実際に安全を確保しながら運行するのは容易とは言えない。なお市内のコンビニエンスストアや書店で交通法規や安全運転に関する書籍を販売していることから、市民の意識の高さが伺える。
台南駅(在来線、「台南火車站」)前、台南空港、主要ホテル近辺などにはタクシーが多数待機しており、観光のオフシーズンなら利用に困ることはない。なお台湾高鐡の台南駅からは、台湾鉄道(在来線)の沙崙線が台南火車站まで接続している。なお、従来の興南客運の運行する台南火車站へのシャトル・バスは廃止となった。
空港[編集]
鉄道[編集]
- 台南駅(隣接する台鉄沙崙駅と事実上同一の駅)
かつては台湾糖業が多くの路線を運営していたが (台湾糖業鉄道)、いずれも廃止された。布袋線・関廟線などを参照。
バス[編集]
- 路線バス
- 台南市内を走るバスとして、以下のバス事業者がある。
- 台南市公車…市内バス「公車」は一律18元。乗車時に料金を支払い、切符を受け取る。下車時は切符を運転手に渡して下車する。
- 興南客運、新營客運…主に旧台南県を結ぶ。
- 台南市内を走るバスとして、以下のバス事業者がある。
船舶[編集]
教育[編集]
| 区分 | 数 | 名称 |
|---|---|---|
| 大学 | 9 | 国立成功大学 国立台南大学 国立台南芸術大学 国立交通大学 真理大学 台湾首府大学 康寧大学 |
| 技学 | 8 | 南台科技大学 崑山科技大学 嘉南薬理科技大学 台南科技大学 遠東科技大学 中華医事科技大学 南栄技術学院 興国管理学院 |
| 専科 | 2 | 国立台南護理専科学校 敏惠医護專校 |
| 高中/高職 | 33 | 下部行政区域の項目を参照 |
| 国中 | - | 下部行政区域の項目を参照 |
| 国小 | - | 下部行政区域の項目を参照 |
スポーツ[編集]
- 台南市のプロスポーツのチーム
| 球団 | 分類 | 所属リーグ | 本拠地 |
|---|---|---|---|
| 統一セブンイレブン・ライオンズ | 野球 | 中華職業棒球大聯盟 | 台南市立野球場 |
観光地[編集]
- 四草湿地
- 安平港
- 湾裡黄金海岸
- 漁光島
- 小北夜市
- 花園夜市 - 屋台夜市として大規模
古蹟[編集]
- 赤崁樓(プロヴィンシア城残跡)
- 台南孔子廟(全台首学)
- 安平古堡(ゼーランシア城残跡)
- 延平郡王祠(旧開山神社)
- 祀典武廟
- 台南大天后宮
- 億載金城
- 五妃廟
- 台湾土地銀行台南分行(旧日本勧業銀行台南支店)
- 台南駅
- 国立台湾文学館(旧台南州庁・旧台南市政府)
- 忠義国民小学礼堂(旧台南武徳殿)
- 台南市消防局(旧台南消防署)
- 台南市警察局(旧台南警察署)
- 台南地方法院
著名な出身者[編集]
姉妹都市[編集]
金門県(1981年)
光州広域市(1968年)
サンタ・クルス・デ・ラ・シエラ(1981年)
ポート・エリザベス(1982年)
クイーンズランド州ゴールドコースト(1982年)
ルーヴェン(1993年)
ラアナナ(1999年)
サカパ(2003年)
エルブロンク(2004年)
リーベ(2005年)
ケチョレン(2005年)
日光市(2009年)
交流促進協定締結都市
歴代市長[編集]
日本時代[編集]
(台南市尹)
- 第一代 荒卷鐵之助
- 第二代 田丸直之
- 第三代 遠藤所六
- 第四代 堀内林平
- 第五代 堀內林平
- 第六代 菱村彥十郎
- 第七代 森萬吉
- 第八代 古澤勝之
- 第九代 河東田義一郎
(台南市長)
- 第一代 那須重德
- 第二代 羽鳥又男
- 第三代 竹中憲二
戦後[編集]
- 第一代 葉廷珪
- 第二代 楊請
- 第三代 葉廷珪
- 第四代 辛文炳
- 第五代 葉廷珪
- 第六代 林錫山
- 第七代 張麗堂
- 第八代 蘇南成
- 第九代 蘇南成
- 第九代 陳癸淼
- 第十代 林文雄
- 第十一代 施治明
- 第十二代 施治明
- 第十三代 張燦鍙
- 第十四代 許添財
- 第十五代 許添財
直轄市[編集]
- 第一代 頼清徳
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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