王建民

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王建民
ワン・チェンミン

王建民

出生 1980年3月31日(28歳)
台湾台南市
職業 野球選手投手
各種表記
簡体字 王建民
繁体字 王建民
ピン音 Wáng Jiànmín
和名表記 おう けんみん
発音転記 ワン・ジェンミン
英語名 Chien-Ming Wang
ポータル テンプレート ノート
王建民
ワン・チェンミン

Chien-Ming Wang
ニューヨーク・ヤンキース No.40
基本情報
国籍 台湾
出身地 台湾台南市
生年月日 1980年3月31日(28歳)
身長
体重
193cm
105kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 投手
初出場 2005年4月30日
年俸 4,000,000ドル(2008年)
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

王 建民ワン・チェンミンChien-Ming Wang , 1980年3月31日 - )は台湾台南市出身のニューヨーク・ヤンキースに所属するメジャーリーガー投手)。右投右打。身長193cm、体重105kg。おひつじ座。血液型はO型。背番号40

1Aスタテンアイランド・ヤンキース在籍時につけていた背番号「41」は、同チームの永久欠番になった。

NHKの野球放送では、日本語の音読みを当てて「おう けんみん」と呼ばれ、新聞や他局の野球放送では、「ワン・チェンミン」と呼ばれている。

目次

[編集] 経歴

小学4年生の時に野球を始める。はじめはピッチャーの他、一塁手、外野手もこなした。高校は台北市の学校に進学。幼い頃に子供のいなかった叔父・叔母夫婦に引き取られ、育てられているが(後にこの夫妻は建民の2歳下の娘に恵まれている)、実際に建民が育ての親が実の親でないことに気が付いたのは高校時の試合で公式書類の提出を求められて初めて目を通した時であったとニューヨーク・タイムズ紙に語っている[1]大学は台北体育学院に進学。台湾時代には高英傑(元南海ホークス)の指導を受けた。

2000年ニューヨーク・ヤンキースと約200万ドルのマイナー契約をかわし、当初はヤンキースが専属の通訳を手配したが、すぐに建民はこの通訳を解雇。以来通訳は挟まず、英語を自身でしゃべるようになっている[1]。この時はまだ球速(速球)頼りのピッチャーだった。当時台湾出身のメジャーリーガーがいなかったこと(2002年ロサンゼルス・ドジャースからデビューした陳金鋒が最初)から、ロジャー・クレメンスに憧れた。

2001年2003年は肩の故障に悩まされたが、2003年11月のアテネ五輪予選を兼ねたアジア野球選手権において台湾代表として来日し、韓国戦で登板している。

2004年のアテネオリンピックにも出場し、オーストラリア日本戦で先発した。日本戦では6回まで好投していたが、7回高橋由伸に同点ホームランを打たれ、決勝トーナメントに進むことができなかった。そしてこの年の8月にはAAAコロンバスでエースとして台頭するようになる。この才能が開花した時期が非常に微妙で、仮にこの年の春季キャンプに既に力を発揮しているようであったなら、当時ヤンキースが必死になって手に入れようとしていたアリゾナ・ダイアモンドバックスランディ・ジョンソンの交換要員としてリストアップされていた可能性が高い。実際ダイアモンドバックスはスカウト(ブライアン・ランビー:Brian Rambe)をヤンキースとの来るトレードをにらんで派遣しており、建民の投球も視察している。ただ当時は現在の武器となっているシンカーを習得しておらず、球速もメジャーレベルで見ると高いとは言えなかったためにリストに載る事はなかった[1]。この年に当時のコロンバスのピッチングコーチであったニール・アレン(Neil Allen)とキャッチャー、サル・ファサーノ(Sal Fasano:2006年のヤンキース控え捕手)の指導の下、シンカーを習得している[1]

2005年4月30日にメジャーデビュー。5月10日シアトル・マリナーズ戦で初勝利。この年に8勝を記録する。

2006年ワールド・ベースボール・クラシック2006年台湾代表を打診されていたが、ケガの影響を理由に辞退。メジャーリーグではシーズンでリーグトップタイとなる19勝を挙げ、サイ・ヤング賞候補となるものの、防御率、奪三振で大きく上回ったヨハン・サンタナの後塵を拝し、2位に終わる(1位票はすべてヨハン・サンタナが獲得。2位票15、3位票6の合計51ポイントで3位のロイ・ハラデーに3ポイント差)[2]

2007年は故障で出遅れるも、2年連続の19勝を挙げた。しかし、インディアンズとのディビジョンシリーズでは2試合連続でノックアウトされ、チームは1勝3敗で敗退した。

2008年は4月だけで5勝を挙げるなど活躍していたが、6月15日のアストロズ戦で走塁の際に右ひざをひねり、MRI検査の結果、右足甲付近のじん帯の軽いねんざと右足筋肉の部分断裂と診断され、故障者リストに入った。

[編集] 特徴

  • メジャーに多数存在する典型的なシンカーボーラーであるが、建民の場合は変化量を抑えて球速を上げている。この高速シンカーは好調時には150km/hを超える(最速98マイル)上に変化が打者の手元に来るまで起こらず、打者は直球と区別を付ける事が非常に難しい。このため打者は上っ面を叩いて引っ掛けることが多く、結果として極端に多い内野ゴロと低い奪三振数を記録している(2006年シーズンでは8月までに内野ゴロと外野までの打球の比率が平均3.36であり、これはリーグ最高値である一方、奪三振は49で規定投球回数に到達しているピッチャーの中では最低である。また2006年のシーズンを通した結果では打たれた球の内158がフライとなった一方で483がゴロとなっており、その比率は3.06でリーグトップである[2])。建民はこのシンカーを主体に投球を組み立てており、その比率は90%前後にも至ると言われている。実際7月8日のデビルレイズ戦では、キャッチャーのホルヘ・ポサダは全103球に対してシンカーの要求を出している。[1]
  • 他にスライダーとチェンジアップを持ち球としている[3]。かなり稀にではあるが、三振を取りにいくときはフォークも投げる。
  • 非常に被本塁打率が低く、1試合(9イニング)あたりの被本塁打数は0.5、被長打率は.375と他を圧倒する。
  • 建民のシンカーは直球の握りから人差し指に力を込めてボールを押し出すようにして投げており、人差し指の爪の右脇には『シンカーダコ』ができている[1]

[編集] 年度別成績

年度 チーム 勝利 敗戦 防御率 試合 先発 セーブ イニング 被安打 失点 自責点 被本塁打 四球 奪三振
2005年 NYY 8 5 4.02 18 17 0 116.1 113 58 52 9 32 47
2006年 NYY 19 6 3.63 34 33 1 218.0 233 92 88 12 52 76
2007年 NYY 19 7 3.70 30 30 0 199.1 199 84 82 9 59 104
Total - 46 18 3.74 82 80 1 533.2 545 234 222 30 143 227

[編集] 獲得タイトル・記録

[編集] 参考資料

  1. ^ a b c d e f "From Taiwan To the Bronx, One Pitch at a Time," New York Times, Aug 13 2006
  2. ^ a b "Wang the runner-up in Cy Young vote," MLB.com, Nov 16 2006
  3. ^ "Notes: Wang on pace to pitch opener," MLB.com, Mar 16 2006

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
先代:
バートロ・コローン
ア・リーグ最多勝利
2006年J・サンタナと同一)
次代:
ジョシュ・ベケット