王建民

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王 建民
ワン・チェンミン
Chien-Ming Wang
ニューヨーク・ヤンキース #40
王建民
基本情報
国籍 台湾
出身地 台南市
生年月日 1980年3月31日(29歳)
身長
体重
193cm
105kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 投手
初出場 2005年4月30日
年俸 5,000,000ドル(2009年)
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 台湾
五輪 2004年

王 建民(ワン・チェンミン、Chien-Ming Wang , 1980年3月31日 - )は、ニューヨーク・ヤンキースに所属するプロ野球選手投手)。台湾台南市出身。

1Aスタテンアイランド・ヤンキース在籍時につけていた背番号「41」は、同チームの永久欠番になった。

NHKの野球放送では、日本語の音読みを当てて「おう けんみん」と呼ばれ、新聞や他局の野球放送では、「ワン・チェンミン」と呼ばれている。

台湾出身でアメリカメジャーリーグで優れた実績を上げた選手は王が最初であるので、台湾で大人気になっている。愛称は「建仔」。さらに、王のニュースを報道するたびに、王の名前の上にわざわざ「台湾に光輝く者」という意味の「台湾之光」を冠している台湾のマスコミは非常に多い[1]

目次

[編集] 経歴

小学4年生の時に野球を始める。はじめはピッチャーの他、一塁手、外野手もこなした。高校は台北市の学校に進学。幼い頃に子供のいなかった叔父・叔母夫婦に引き取られ、育てられているが(後にこの夫妻は建民の2歳下の娘に恵まれている)、実際に建民が育ての親が実の親でないことに気が付いたのは高校時の試合で公式書類の提出を求められて初めて目を通した時であったとニューヨーク・タイムズ紙に語っている[2]大学台北市立体育学院に進学。台湾時代には高英傑(元南海ホークス)の指導を受けた。

2000年ニューヨーク・ヤンキースと約200万ドルのマイナー契約をかわした。自身で英語のコミュニケーションができる[2]。この時はまだ球速(速球)頼りのピッチャーだった。当時台湾出身のメジャーリーガーがいなかったこと(2002年ロサンゼルス・ドジャースからデビューした陳金鋒が最初)から、ロジャー・クレメンスに憧れた。

2001年2003年は肩の故障に悩まされたが、2003年11月のアテネ五輪予選を兼ねたアジア野球選手権において台湾代表として来日し、韓国戦で登板している。

そしてこの年の8月にはAAAコロンバスでエースとして台頭するようになる。この才能が開花した時期が非常に微妙で、仮にこの年の春季キャンプに既に力を発揮しているようであったなら、当時ヤンキースが必死になって手に入れようとしていたアリゾナ・ダイヤモンドバックスランディ・ジョンソンの交換要員としてリストアップされていた可能性が高い。実際ダイヤモンドバックスはスカウト(ブライアン・ランビー:Brian Rambe)をヤンキースとの来るトレードをにらんで派遣しており、建民の投球も視察している。ただ当時は現在の武器となっているシンカーを習得しておらず、球速もメジャーレベルで見ると高いとは言えなかったためにリストに載る事はなかった[2]。この年に当時のコロンバスのピッチングコーチであったニール・アレン(Neil Allen)とキャッチャー、サル・ファサーノ(Sal Fasano:2006年のヤンキース控え捕手)の指導の下、シンカーを習得している[2]

2005年4月30日にメジャーデビュー。5月10日シアトル・マリナーズ戦で初勝利。この年に8勝を記録する。

2006年ワールド・ベースボール・クラシック2006年台湾代表を打診されていたが、ケガの影響を理由に辞退。メジャーリーグではシーズンでリーグトップタイとなる19勝を挙げ、サイ・ヤング賞投票で2位につけた。(1位票はすべてヨハン・サンタナが獲得。2位票15、3位票6の合計51ポイントで3位のロイ・ハラデイに3ポイント差)[3]。 またこの年の「MLB.com's This Year in Baseball Awards」では、47%強の得票で最優秀先発投手に選ばれた。

2007年は故障で出遅れるも、2年連続の19勝を挙げた。

2008年は4月だけで5勝を挙げるなど活躍していたが、6月15日のヒューストン・アストロズ戦で走塁の際に右ひざをひねり、MRI検査の結果、右足甲付近のじん帯の軽いねんざと右足筋肉の部分断裂と診断され、故障者リストに入った。

[編集] 特徴

王建民
ワン・チェンミン

王建民

出生 1980年3月31日(29歳)
台湾台南市
職業 野球選手投手
各種表記
簡体字 王建民
繁体字 王建民
ピン音 Wáng Jiànmín
和名表記 おう けんみん
発音転記 ワン・ジェンミン
英語名 Chien-Ming Wang
ポータル テンプレート ノート
  • メジャーに多数存在する典型的なシンカーボーラーであるが、建民の場合は変化量を抑えて球速を上げている。この高速シンカーは好調時には150km/hを超える(最速98マイル)。打者は上っ面を叩いて引っ掛けることが多く、結果として極端に多い内野ゴロと低い奪三振数を記録している(2006年シーズンでは8月までに内野ゴロと外野までの打球の比率が平均3.36であり、これはリーグ最高値である一方、奪三振は49で規定投球回数に到達しているピッチャーの中では最低である。また2006年のシーズンを通した結果では打たれた球の内158がフライとなった一方で483がゴロとなっており、その比率は3.06でリーグトップである[3])。建民はこのシンカーを主体に投球を組み立てており、その比率は90%前後にも至ると言われている。実際7月8日のデビルレイズ戦では、キャッチャーのホルヘ・ポサダは全103球に対してシンカーの要求を出している。[2]
  • また、建民の高速シンカーについては、所属するヤンキースのギドリー投手コーチや正捕手のポサダが「ボウリングの球のように重い。」と評している。また、アジア人では過去例を見ない2年連続19勝やリーグタイ最多勝の実績から、ヤンキース内や各メディアからも、「ローテーショントップの一人」、「ヤンキースのエース」といった高評価を得るに至っている。
  • 他にスライダーとチェンジアップを持ち球としている[4]。かなり稀にではあるが、三振を取りにいくときはスプリッターも投げる。
  • 2007年のシーズン後半からは高速シンカーだけではなく、これらの変化球の割合を上げて投球スタイル自体を変化させている。[5]
  • 非常に被本塁打率が低く、1試合(9イニング)あたりの被本塁打数は0.5、被長打率は.375と他を圧倒する。
  • 建民のシンカーは直球の握りから人差し指に力を込めてボールを押し出すようにして投げており、人差し指の爪の右脇には『シンカーダコ』ができている[2]

[編集] 獲得タイトル・記録

[編集] 年度別投手成績








































W
H
I
P
2005 NYY 18 17 0 0 0 8 5 0 0 .615 486 116.1 113 9 32 3 6 47 3 0 58 52 4.02 1.25
2006 34 33 2 1 0 19 6 1 0 .760 900 218.0 233 12 52 4 2 76 6 1 92 88 3.63 1.31
2007 30 30 1 0 0 19 7 0 0 .731 823 199.1 199 9 59 1 8 104 9 1 84 82 3.70 1.29
2008 15 15 1 0 1 8 2 0 0 .800 402 95.0 90 4 35 1 3 54 0 0 44 43 4.07 1.32
通算:4年 97 95 4 1 1 54 20 1 0 .730 2611 628.2 635 34 178 9 19 281 18 2 278 265 3.79 1.29
  • 2008年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高


[編集] 参考資料

  1. ^ Google News - 台灣之光王建民
  2. ^ a b c d e f "From Taiwan To the Bronx, One Pitch at a Time," New York Times, Aug 13 2006
  3. ^ a b "Wang the runner-up in Cy Young vote," MLB.com, Nov 16 2006
  4. ^ "Notes: Wang on pace to pitch opener," MLB.com, Mar 16 2006
  5. ^ "王建民、進化する投球と変わらぬ素顔," スポーツナビ, 14 Sep 2007

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
先代:
バートロ・コローン
ア・リーグ最多勝利
2006年J・サンタナと同一)
次代:
ジョシュ・ベケット