ペドロ・マルティネス
| 基本情報 | |
|---|---|
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1971年10月25日(40歳) |
| 身長 体重 |
5' 11" =約180.3cm 195 lb =約88.5kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1988年 |
| 初出場 | 1992年9月24日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| WBC | 2009年 |
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この表について
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ペドロ・マルティネス(Pedro Jaime Martínez, 1971年10月25日 - )は、元MLBの投手。ドミニカ共和国出身。
かつてはメジャーリーグ最高の投手といわれ、「地上最高の投手」と称された。これまでにサイ・ヤング賞を1997年、1999年、2000年の3度受賞している。
実兄は元メジャーリーガーでドジャースのエースとして活躍したラモン・マルティネス。
目次 |
[編集] 略歴
[編集] ドジャース - エクスポズ
1988年6月にアマチュア・フリーエージェントとしてロサンゼルス・ドジャースと契約。1992年は3Aで開幕を迎え7勝6敗、防御率3.81の成績を残し、9月24日にメジャーデビューを果たした。この年は0勝1敗、防御率は2.25の成績を残した。1993年は1試合3Aで登板したもののメジャーに定着し、球団新人記録となる65試合に登板し、10勝はリリーフ投手としてはリーグ最多、119奪三振はリーグ新人投手3位タイ、防御率2.61の成績で新人王の得票数は9位だった[1]。シーズン後の11月19日にデライノ・デシールズとの交換トレードでモントリオール・エクスポズに移籍。
移籍1年目の1994年からは先発に転向する。4月13日のシンシナティ・レッズ戦では7回までパーフェクトに抑えたものの、8回にレジー・サンダースに死球を与え、9回の先頭打者に安打を打たれて降板している[2]。6月9日のニューヨーク・メッツ戦では被安打3でメジャー初完投・初完封を記録し、ドワイト・グッデンに投げ勝った[2]。1995年6月3日のサンディエゴ・パドレス戦では、初回から27人の打者を打ち取り、完全試合を達成するはずであったが、味方打線の援護に恵まれず、0-0のまま延長戦に入り、10回の先頭打者に二塁打を許し、完全試合を逃した[3]。
1996年には222奪三振を記録し、初めて200の大台を上回った。オールスターにも初めて選出され1回を投げた。8月29日のドジャース戦ではラモン・マルティネスとのMLB史上6人目となる兄弟同士の先発登板での対戦となった[4]。ペドロは12奪三振で2失点完投するもラモンが8回を1失点に抑える好投で敗戦投手となった[5]。
1997年は開幕から8戦8勝を記録。リーグ1位の13完投で17勝8敗、31試合中18試合で2桁三振を奪い305奪三振、防御率1.90を記録し、奪三振はカート・シリングに次いで2位、防御率は1位でそれぞれ球団新記録となった[6]。サイ・ヤング賞の投票では1位票を28票のうち25票獲得し初受賞した[7]。また、右投手が300奪三振と防御率1点台を記録するのは1912年のウォルター・ジョンソン以来の快挙だった。シーズン終了後の11月18日にカール・パバーノ、トニー・アーマスとの交換でボストン・レッドソックスに移籍し、6年総額7500万ドル、7年目はオプションで1750万ドルという投手としては史上最大の契約(当時)を結んだ。
[編集] レッドソックス
移籍1年目の1998年は19勝7敗、防御率2.89、251奪三振を記録し、サイ・ヤング賞の投票では満票で受賞したロジャー・クレメンスに次ぐ2位[8]。
1999年は開幕からオールスター開催までに15勝をあげて、30勝を達成するのではと騒がれた[9]。地元ボストンで行われたオールスター戦に先発し、2イニングを投げて5三振を奪い、MVPに選出された。[10]三振を喫したマーク・マグワイアを「あんな投球をされたら誰も打てない」と脱帽させた。オールスターで肩を痛めたが、8月19日から9月27日にかけてMLB記録となる8試合連続2桁奪三振を記録[11]。9月10日のニューヨーク・ヤンキース戦では、被安打はチリ・デービスのホームラン1本のみで、17三振を奪って完投勝利を挙げた。同年のプレーオフでは怪我を押して登板し、クリーブランド・インディアンスとのディビジョンシリーズ第5戦でリリーフとして登板し6イニングを無失点に抑える。ヤンキースとのチャンピオンシップシリーズ第3戦で先発し、7回無失点で同シリーズ唯一の勝利をもたらした。
23勝4敗、防御率2.07、313奪三振で最優秀防御率、最多勝、最多奪三振の投手三冠を達成し、奪三振率13.2は当時のMLB記録となった[9]。自身2度目のサイ・ヤング賞を満票で獲得し[12]、MVPの最有力と言われた[13]。1位票を最多の8票獲得したが、239対252と13ポイント差でイバン・ロドリゲスに次ぐ2位に終わり、「投手にMVPの資格はないのか?」と論争になった[13]。
2000年5月6日のタンパベイ・デビルレイズ戦では毎回の17三振を奪って1失点完投するも、味方打線が完封されて敗戦投手となった。シーズン通算では18勝6敗、防御率1.74を記録し、2位クレメンスの3.70に1.96という大差を付けた。更に被出塁率は.213とウォルター・ジョンソンが1913年に記録した.217をも上回った[14]。WHIPにいたってはMLB史上最高の0.74という驚異的な数字をたたき出し、被打率.167もMLB記録と、まさに記録ずくめのシーズンだった。シーズン終了後に3度目のサイ・ヤング賞を満票で受賞した[15]。
2001年は肩の回旋筋腱板損傷のため7勝に終わったが、116イニングで163奪三振を記録した。2002年は開幕戦のトロント・ブルージェイズ戦では3回8失点の大乱調だったが、4月7日に2001年5月30日以来の勝利を挙げた。その間8試合連続で勝星がなかったのは自己ワースト記録である[16]。4月19日のロイヤルズ戦で史上57人目となる通算2000奪三振を達成[16]。20勝4敗、リーグ1位の防御率2.26と239奪三振を記録した。サイ・ヤング賞の投票はリーグ1位の23勝を挙げたバリー・ジトに次ぐ2位だった[17]。この年のアメリカンリーグチャンピオンシップ第三戦では、自軍の打者に対する死球に激昂してマウンドに走りよった当時ヤンキースのベンチコーチで、当時72歳だったドン・ジマーの首に腕を絡めて地面に叩き落とした(ドン・ジマーは現役時代に死球により意識不明に陥った過去がある)[要出典]。
2004年は防御率が3.90と、1996年以来8年ぶりの3点台だったが、16勝を挙げてワイルドカード獲得の原動力となった。チームはプレーオフを勝ち抜き、ワールドシリーズへ進出し、マルティネスは第3戦に先発して7回無失点で勝利投手となり、86年ぶりのシリーズ制覇に貢献した。シーズン終了後の11月2日フリーエージェントを宣言。12月7日にニューヨーク・メッツと4年総額5200万ドルで契約した。レッドソックス在籍7年間の通算成績は117勝37敗で、勝率は球団史上歴代1位となる.760を記録した[18]。
[編集] メッツ
8年ぶりのナ・リーグとなった2005年は15勝8敗・防御率2.82・208奪三振を記録し、被出塁率は.250でリーグ1位、メジャー全体でヨハン・サンタナに次ぐ2位だった[19]。奪三振率が8.6で1995年以来9年ぶりに9を下回ったが、奪三振を与四球で割った数値は4.43でリーグ1位であった[19]。
2006年4月17日のアトランタ・ブレーブス戦で7回途中まで6安打3失点に抑え、メッツの選手としてはオーレル・ハーシュハイザーに次いで史上2人目となる通算200勝を達成[20]。84敗での達成はこれまでに200勝を達成した103人の中で最も少ない負け数である[21]。10月1日に右肩の手術を行うことを発表した。投球が再開できるまでには少なくとも8か月はかかる見通しで、2007年シーズン前半戦の出場はこれで絶望となった。ただ、リハビリ後も本来の力が再び発揮できるかどうかは疑問で、本人も不安を感じており、2006年11月6日のニューヨークタイムズ紙には元通りに戻らないようであれば引退を考える旨のコメントを寄せている[22]。
2007年のスプリングトレーニングで「復帰する日まで、ただプレーオフに近い位置にいてくれればいい。そこからオレが世界一まで押し上げてやるから」と発言した[23]。9月3日にメジャー復帰を果たし、史上15人目、ラテンアメリカ出身の選手として初めて3000奪三振を達成した。与四球数が1000を越える前に達成したのは史上4人目の記録である。5試合に登板して3勝1敗・防御率2.57の成績を残した。チームは2位のフィラデルフィア・フィリーズに残り17試合で7ゲーム差を付けて地区首位だったが、その後5勝12敗と失速し、9月30日のレギュラーシーズン最終戦でフロリダ・マーリンズに敗れ、1ゲーム差でフィリーズに地区優勝を奪われプレーオフ進出を逃した。
[編集] フィリーズ
2009年7月14日、フィリーズと年俸100万ドル+最大150万ドルのインセンティブ付き契約を結んだ[24]。8月12日のシカゴ・カブス戦に移籍後初先発初登板。5イニングを7安打3失点、5奪三振に抑え、味方の援護もあって移籍後初勝利を挙げた。その後フィリーズは地区優勝を決めワールドシリーズ連覇を賭け、ヤンキースに挑む。王手をかけたヤンキースとの第6戦にペドロが先発するが松井秀喜に大会MVPを決める先制本塁打を打たれるなどし、負け投手となってしまった。結果的にこれが自身の最後の登板となった。
[編集] 引退へ
2009年にフィリーズを退団した後はフリーエージェントだったが、2011年12月にMLBの公式サイトがペドロの引退の意向を伝えた[25]。
[編集] 第二回WBC出場
2009 ワールド・ベースボール・クラシック・ドミニカ共和国代表に選出され、第一戦のオランダ戦に三番手として登板し3回を無失点、4奪三振と好投したが、格下のオランダに敗れた。第三戦のオランダ戦に2番手として登板し、3回を無失点、2奪三振とオランダ相手に2度好投したが打線が振るわずドミニカ代表は一次リーグ敗退となった。
[編集] 選手としての特徴
身長公称180cm、しかも実際にはもっと小さいと言われており、MLBの投手としてはとても小柄で体型も比較的細身である。にもかかわらず、全盛期には常時95マイル前後最速99マイルの伸びのあるファストボール(4シーム、2シーム)と、切れ味の鋭い変化球(カーブ、サークルチェンジ、カットボール)と抜群のコントロールで投手に必要な技術を網羅しているとされ、イチローをして「完璧な投手」と言わしめた。しかし、度重なる故障の後はストレートの球速は最速でも90マイル序盤程度である。
松井秀喜やイチローによると「ペドロのすごさはキレの良いさまざまな変化球をコーナーにきちんと投げ分けられること」だという[26]。高速で急激にブレーキがかかる彼のカーブはパワーカーブと呼ばれた。本人はこれをハードカーブと呼んでいるとインタビューで語った。握りはナックルカーブである。[27]またサークルチェンジでも有名で、日本で言うところのシンカーのように鋭く変化し三振の山を築いた。ピンチになると球速が上がるなどの特徴を持つ。
レッドソックス時代は打者に恐怖心を与えるために故意に頭部を狙い「ヘッドハンター」と言われた[26]。投手が打席に立つナ・リーグへ移籍した2005年は前年の16死球から4死球へ減少。
[編集] 獲得タイトル・記録
- サイ・ヤング賞 3回:1997年 1999年 2000年
- 最多勝利 1回: 1999年 (23勝)
- 最優秀防御率 5回: 1997年 (1.90) 1999年 (2.07) 2000年 (1.74) 2002年 (2.26) 2003年 (2.22)
- 最多奪三振 3回: 1999年 (313) 2000年 (284) 2002年 (239)
- オールスター選出 6回: 1996年 - 2000年、2002年
- 8試合連続二桁奪三振(MLB記録):1999年8月19日 - 9月27日
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1992 | LAD | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 31 | 8.0 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 2 | 2 | 2.25 | 0.88 |
| 1993 | 65 | 2 | 0 | 0 | 0 | 10 | 5 | 2 | -- | .667 | 444 | 107.0 | 76 | 5 | 57 | 4 | 4 | 119 | 3 | 1 | 34 | 31 | 2.61 | 1.24 | |
| 1994 | MON | 24 | 23 | 1 | 1 | 0 | 11 | 5 | 1 | -- | .688 | 584 | 144.2 | 115 | 11 | 45 | 3 | 11 | 142 | 6 | 0 | 58 | 55 | 3.42 | 1.11 |
| 1995 | 30 | 30 | 2 | 2 | 0 | 14 | 10 | 0 | -- | .583 | 784 | 194.2 | 158 | 21 | 66 | 1 | 11 | 174 | 5 | 2 | 79 | 76 | 3.51 | 1.15 | |
| 1996 | 33 | 33 | 4 | 1 | 1 | 13 | 10 | 0 | -- | .565 | 901 | 216.2 | 189 | 19 | 70 | 3 | 3 | 222 | 6 | 0 | 100 | 89 | 3.70 | 1.20 | |
| 1997 | 31 | 31 | 13 | 4 | 1 | 17 | 8 | 0 | -- | .680 | 947 | 241.1 | 158 | 16 | 67 | 5 | 9 | 305 | 3 | 1 | 65 | 51 | 1.90 | 0.93 | |
| 1998 | BOS | 33 | 33 | 3 | 2 | 0 | 19 | 7 | 0 | -- | .731 | 951 | 233.2 | 188 | 26 | 67 | 3 | 8 | 251 | 9 | 0 | 82 | 75 | 2.89 | 1.09 |
| 1999 | 31 | 29 | 5 | 1 | 0 | 23 | 4 | 0 | 0 | .852 | 835 | 213.1 | 160 | 9 | 37 | 1 | 9 | 313 | 6 | 0 | 56 | 49 | 2.07 | 0.92 | |
| 2000 | 29 | 29 | 7 | 4 | 2 | 18 | 6 | 0 | 0 | .750 | 817 | 217.0 | 128 | 17 | 32 | 0 | 14 | 284 | 1 | 0 | 44 | 42 | 1.74 | 0.74 | |
| 2001 | 18 | 18 | 1 | 0 | 0 | 7 | 3 | 0 | 0 | .700 | 456 | 116.2 | 84 | 5 | 25 | 0 | 6 | 163 | 4 | 0 | 33 | 31 | 2.39 | 0.93 | |
| 2002 | 30 | 30 | 2 | 0 | 0 | 20 | 4 | 0 | 0 | .833 | 787 | 199.1 | 144 | 13 | 40 | 1 | 15 | 239 | 3 | 0 | 62 | 50 | 2.26 | 0.92 | |
| 2003 | 29 | 29 | 3 | 0 | 1 | 14 | 4 | 0 | 0 | .778 | 749 | 186.2 | 147 | 7 | 47 | 0 | 9 | 206 | 5 | 0 | 52 | 46 | 2.22 | 1.04 | |
| 2004 | 33 | 33 | 1 | 1 | 0 | 16 | 9 | 0 | 0 | .640 | 903 | 217.0 | 193 | 26 | 61 | 0 | 16 | 227 | 2 | 0 | 99 | 94 | 3.90 | 1.17 | |
| 2005 | NYM | 31 | 31 | 4 | 1 | 0 | 15 | 8 | 0 | 0 | .652 | 843 | 217.0 | 159 | 19 | 47 | 3 | 4 | 208 | 4 | 0 | 69 | 68 | 2.82 | 0.95 |
| 2006 | 23 | 23 | 0 | 0 | 0 | 9 | 8 | 0 | 0 | .529 | 550 | 132.2 | 108 | 19 | 39 | 2 | 10 | 137 | 2 | 1 | 72 | 66 | 4.48 | 1.11 | |
| 2007 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | .750 | 128 | 28.0 | 33 | 0 | 7 | 1 | 2 | 32 | 1 | 0 | 11 | 8 | 2.57 | 1.43 | |
| 2008 | 20 | 20 | 0 | 0 | 0 | 5 | 6 | 0 | 0 | .455 | 493 | 109.0 | 127 | 19 | 44 | 3 | 6 | 87 | 2 | 1 | 70 | 68 | 5.61 | 1.57 | |
| 2009 | PHI | 9 | 9 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | .833 | 191 | 44.2 | 48 | 7 | 8 | 0 | 4 | 37 | 0 | 0 | 18 | 18 | 3.63 | 1.25 |
| 通算:18年 | 476 | 409 | 46 | 17 | 5 | 219 | 100 | 3 | 0 | .687 | 11394 | 2827.1 | 2221 | 239 | 760 | 30 | 141 | 3154 | 62 | 6 | 1006 | 919 | 2.93 | 1.05 | |
- 2009年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はMLB記録
[編集] 脚注
- ^ “Pedro Martinez 1993 Career Highlights” (英語). 2008年5月6日閲覧。
- ^ a b “Pedro Martinez 1994 Career Highlights” (英語). 2008年5月6日閲覧。
- ^ June 3, 1995 Montreal Expos at San Diego Padres Box Score and Play by Play - Baseball-Reference.com 2008年1月12日閲覧.
- ^ “Pedro Martinez 1996 Career Highlights” (英語). 2008年5月6日閲覧。
- ^ “August 29, 1996 Los Angeles Dodgers at Montreal Expos Play by Play and Box Score - Baseball-Reference.” (英語). 2008年5月5日閲覧。
- ^ Washington Nationals Pitching Leaders - Baseball-Reference.com 2008年1月12日閲覧.
- ^ Baseball Awards Voting for 1997 - Baseball-Reference.com 2008年1月12日閲覧.
- ^ Baseball Awards Voting for 1998 - Baseball-Reference.com 2008年1月12日閲覧.
- ^ a b 聞き手 鉄矢多美子 「ドミニカ発直撃インタビュー ペドロ・マルチネス[レッドソックス]」『月刊メジャー・リーグ』2000年1月号、ベースボールマガジン社、2000年、雑誌 08625-1、3 - 7項。
- ^ http://www.youtube.com/watch?v=Jctlp_rWZiY
- ^ Pedro Martinez 1999 Pitching Gamelogs - Baseball-Reference PI 2008年1月12日閲覧.
- ^ Baseball Awards Voting for 1999 - Baseball-Reference.com2008年1月12日閲覧.
- ^ a b 中井学 「MVPイバン・ロドリゲスと落選ペドロ・マルチネスの謎」『月刊メジャー・リーグ』2000年1月号、ベースボールマガジン社、2000年、雑誌 08625-1、48 - 49項。
- ^ “Pedro Martinez 2000 Career Highlights” (英語). 2008年5月6日閲覧。
- ^ Baseball Awards Voting for 2000 - Baseball-Reference.com 2008年1月12日閲覧.
- ^ a b “Pedro Martinez 2002 Career Highlights” (英語). 2008年5月6日閲覧。
- ^ Baseball Awards Voting for 2002 - Baseball-Reference.com 2008年1月12日閲覧.
- ^ “Boston Red Sox Pitching Leaders - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年5月6日閲覧。
- ^ a b “Pedro Martinez 2005 Career Highlights” (英語). 2008年5月6日閲覧。
- ^ “Pedro Martinez 2006 Career Highlights” (英語). 2008年5月6日閲覧。
- ^ ESPN - Pedro strikes out eigth in 6 2/3 innings for 200th win - MLB 2008年1月12日閲覧
- ^ http://www.nytimes.com/2006/11/04/sports/baseball/04mets.html?_r=1&ref=sports&oref=slogin ニューヨークタイム2006年11月4日
- ^ 杉浦大介 「ニューヨーク・メッツ 失われた10月」 『月刊スラッガー』2008年1月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-1、49-51頁。
- ^ “Phillies sign Pedro”. 2009年7月15日閲覧。
- ^ “P・マルティネス、引退へ”. 2011年12月4日閲覧。
- ^ a b 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』 廣済堂出版、2006年、272項。ISBN 978-4-331-51146-6。
- ^ http://www.youtube.com/watch?v=jHBl4Nl2Fkc
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
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