陽岱鋼
| 北海道日本ハムファイターズ #24 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 台東県台東市 |
| 生年月日 | 1987年1月17日(25歳) |
| 身長 体重 |
183cm 83kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 外野手、遊撃手、三塁手、二塁手 |
| プロ入り | 2005年 高校生ドラフト1巡目 |
| 初出場 | 2007年4月20日 |
| 年俸 | 4,600万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
|
|
| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| WBC | 2006年 |
|
この表について
|
|
陽 岱鋼(よう だいかん、1987年1月17日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(外野手、内野手)。2010年の改名以前の名前及び登録名は陽 仲壽(よう ちょんそ/ヤン・チョンソ)。マネジメント契約先はスポーツビズ。
台湾の少数民族・アミ族出身。台湾人史上最高位の指名(ドラフト1巡目)を受け、台湾では話題となった。日本国籍を持たないが、日本の高等学校に3年以上在籍していたため、規定により日本国籍を持つ選手と同等の扱いを受けている。詳細は外国人枠を参照のこと。
同じくプロ野球選手の陽耀勲および陽耀華は実兄。妹はバスケット台湾代表の陽詩慧。愛称は「アッシュ」。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
台湾での小中学校時代はナショナルチームに所属した遊撃手で、福岡第一高校へ野球留学してきた高校1年の夏から3試合連続本塁打、通算でも39本塁打を記録。
2005年のプロ野球ドラフト会議(高校生対象の部)では、北海道日本ハムファイターズと福岡ソフトバンクホークスの1巡目で競合し、抽選の結果日本ハムが交渉権を得たが、同会議では一旦は「交渉権獲得球団は福岡ソフトバンク」と発表されてしまい混乱が起こった。兄の耀勲と同じソフトバンク入り[1]を熱望していたため、当初は複雑な心境だったようだが、日本ハム側の熱烈な交渉と、本人が初めて北海道を訪れてみるなどの経緯もあって、最終的に日本ハム入りを決意した。
[編集] プロ入り後
プロ1年目の2006年9月27日、前の試合で正遊撃手の金子誠が故障したため初の一軍昇格。シーズン1位確定を賭けた2連戦とあって出番はなく、2006年は一軍出場0試合に終わったが、二軍では新人ながら積極的に起用され、91試合出場、打率.274、チーム最多の9本塁打、5盗塁を記録した。8月にはイースタン・リーグ月間MVPを受賞している。しかし守備面ではリーグ最多となる30失策を犯してしまい、不安が見られた。同年秋のインターコンチネンタル杯では、台湾代表として全試合出場し打率.267、2本塁打、更に得点王となるなど大活躍し銅メダルに貢献、キューバ代表監督がベタ惚れしたという。
2007年の春季キャンプは故障で出遅れるも、シーズン序盤から一軍の打線が揮わなかったため、4月19日に首脳陣から「起爆剤に」と期待され一軍昇格。55試合に出場し打率は.239に終わったが、遊撃手(26試合)、三塁手(21試合)、代打などで起用され、一軍経験を積んだ。二軍では打率.305の好成績を残した。
2008年、二軍で打率.342、8本塁打、7盗塁と更に打率を上げ、最高出塁率・最高長打率のタイトルを獲得。チームメイトの市川卓と激しい首位打者争いを繰り広げイースタン・リーグ2位の打率を残した。
2009年6月頃、強肩を活かしたい首脳陣の意向により外野手にコンバートされた(登録は内野手のまま)。一軍昇格後、8月21日のソフトバンク戦で左翼手として先発出場するも力を発揮しきれず、程なくして二軍落ち。11月頃、心機一転のため「仲壽」から「岱鋼」に改名した。
2010年は過去最高の109試合に出場した。守備では主に右翼手として出場した。
2011年に初の開幕一軍および開幕戦先発出場を果たした。シーズン中は主にフリーエージェント権を行使して退団した森本稀哲に替わる二番打者、6月下旬に田中賢介が骨折した後は一番打者としても出場した。プロ入り初めて規定打席に到達したものの、リーグ最多三振(中村剛也と同数)を喫した。守備位置は外野手(ほとんどが右翼手)としての出場のみだった。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2007 | 日本ハム | 55 | 116 | 109 | 12 | 26 | 8 | 2 | 0 | 38 | 10 | 3 | 2 | 4 | 0 | 2 | 0 | 1 | 30 | 0 | .239 | .259 | .349 | .608 |
| 2008 | 44 | 123 | 111 | 7 | 16 | 0 | 1 | 2 | 24 | 4 | 1 | 0 | 4 | 1 | 6 | 0 | 1 | 31 | 3 | .144 | .193 | .216 | .409 | |
| 2009 | 15 | 13 | 11 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | .182 | .250 | .182 | .432 | |
| 2010 | 109 | 281 | 253 | 35 | 62 | 12 | 3 | 2 | 86 | 31 | 8 | 1 | 10 | 2 | 12 | 0 | 4 | 70 | 4 | .245 | .288 | .340 | .628 | |
| 2011 | 141 | 603 | 537 | 66 | 147 | 23 | 4 | 6 | 196 | 36 | 19 | 2 | 38 | 1 | 22 | 0 | 5 | 134 | 5 | .274 | .308 | .365 | .673 | |
| 通算:5年 | 364 | 1136 | 1021 | 122 | 253 | 43 | 10 | 10 | 346 | 81 | 31 | 5 | 57 | 4 | 43 | 0 | 11 | 268 | 12 | .248 | .285 | .339 | .624 | |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 記録
- 初記録
- 初出場・初先発出場:2007年4月20日、対福岡ソフトバンクホークス3回戦(東京ドーム) - 七番・三塁手で先発出場
- 初安打:2007年4月25日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(札幌ドーム) - 3回裏、投手:久保康友
- 初打点:2007年4月29日、対東北楽天ゴールデンイーグルス8回戦(フルキャストスタジアム宮城) - 2回表一死、投手:青山浩二
- 初盗塁:同上 - 2回表一死、投手:同、捕手:嶋基宏
- 初本塁打:2008年4月29日、対千葉ロッテマリーンズ7回戦(千葉マリンスタジアム) - 7回表一死、投手:成瀬善久
[編集] 背番号
- 24 (2006年 - )
[編集] 登録名
- 陽 仲壽(よう ちょんそ)(2006年 - 2009年)
- 陽 岱鋼(よう だいかん)(2010年 - )
[編集] 登場曲
- スパイス・ガールズ『Wannabe』(2006~2010)
- Bon Jovi『It's my life』(2011~)
- リンキン・パーク『Numb』(2011~)
- 森雄二とサザンクロス『好きですサッポロ』(2011途~)
[編集] 脚注
- ^ 会議の時点ではソフトバンクの選手ではなかったが、翌2006年からソフトバンクでプレーすることがほぼ決定していた。
[編集] 関連項目
|
|||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||
|
||||||||