本塁打
本塁打(ほんるいだ)、ホームラン(英語: Home Run)とは、野球における打者の記録。スポーツ新聞紙上などではHRと略される事がある。
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[編集] 定義
投手が正規の投球を行い、打者が正規の打撃を行ったもののうち、次のいずれかの場合を本塁打という。
- 打者が打ったフェアの打球が、地面に着くことなくプレイングフィールドの外へ出た場合。「プレイングフィールドの外へ出る」とは、一般の野球場では外野スタンドに入ること、更には外野スタンドを越して球場外へ出ること(場外本塁打)を意味する。概ねボールがスタンド内(もしくは球場外)に落ちた瞬間に、行方を確認した審判員(外審もしくは各塁審)により本塁打が宣告される。
- 打者が打ったフェアの打球が、地面に着くことなく、内野スタンドと外野スタンドとを隔てるファウルポール、もしくはポールのフェアゾーン側に張ってある長さ数メートルの金網に当たった場合。その瞬間に行方を確認した審判員(外審もしくは各塁審)により本塁打が宣告される。
- 審判員が、明らかに上記1、2になるであろうと判断した打球に対して、野手がグローブや帽子などを本来身につけるべき場所から外して投げつけ、打球の進路を変えた場合。
- 打者が打った打球のうち、一度でも地面に落ちたフェアボールを守備側が失策を伴うことなく処理する間に、打者走者が本塁まで進塁した場合。これを特にランニングホームラン(英語ではinside-the-park home runまたはinside-the-park homer)と言うが、記録上は上記1、2、3の本塁打と変わらない。
本来スタンド内に入らない軌道の打球であっても(主にフェンス際で)野手がグラブ等で弾いてフェア地域のスタンド内に落ちる、あるいはファウルポールに当たった場合も、上記の定義1・2に該当し、本塁打である(俗にアシストホームランと呼ばれ、元ホークスの岸川勝也、元中日ドラゴンズの川又米利らが記録している。ホセ・カンセコは、カルロス・マルティネスの放った打球が頭に当たり、これがフェンス外側へ飛んで、結果ホームランにしてしまったことがある)。
よじ登ったりした場合も含めてフェンス付近でホームラン性の打球を捕球した場合、捕球したままグラウンド内へ戻ればアウト、ボールがこぼれてグラウンド内に入ればインプレーとなる。また、捕球した選手ごとスタンドへ入ってしまった場合、打者はアウトになりボールデッド。その際、無死もしくは一死で走者がいれば、各走者に1個の安全進塁権が与えられる。(1979年公認野球規則に2.15「キャッチ」【原注】が書き加えられたが、アウトになるルール自体が改正されたわけではない)ただしいずれも、審判が「正規の捕球」時以外の体勢(片足でもスタンド内に足を付けている状態など)で仮に触れなければホームランと推定される打球に接触した場合や、スタンドへ倒れた後に捕球したと判断された場合は、ホームランとなる。一方、外野スタンド内に落下着地する前に観客が手をフェンス外に出して捕球した場合は二塁打判定となる。
上記1、2、3はボールデッドになる。審判員は右手を頭上で回すジェスチャーとともに「ホームラン」と宣告する。この宣告により打者を含めた全ての走者には本塁までの安全進塁権が与えられる。上記4はボールインプレイであり、審判員の「ホームラン」の宣告はない。
走者は本塁まで正規の走塁を行うことにより、その数だけ得点することができる。打者走者が正規に本塁まで走塁し得点が認められたとき、打者に本塁打が記録される。
ドーム球場のフェア地域の天井や懸垂物などにボールが当たったり挟まったりした場合、その場所によって本塁打と認定するなど各球場ごとにグラウンドルールが定められている。詳しくはドーム球場の特別ルールの項を参照のこと。
[編集] 概要
本塁打は野球の最も印象的なプレイの一つとされ、完璧な本塁打を打つことによって、本塁打による得点以上のダメージを相手チームに与えることができるとも考えられている。これは球がフィールド外に飛び出すことにより、打者の力が投手の力を完全に上回ったとの印象を与えること、守備側の選手(特に投手)はするべきプレイが無いまま打者が塁を回る姿を見ることになり、観客がいるプロ野球などでは殊更に音響などで演出をするためである。塁上の走者数に応じ、ランナーがいない場合はソロ(ホームラン)、以下走者1人はツーラン、2人はスリーラン、満塁は満塁本塁打(英語でグランドスラム)と称することが多い。試合が劣勢の状態であっても満塁本塁打で一瞬にして雰囲気が変わり、その勢いで逆転したり、サヨナラ本塁打で試合に勝利することもある[1]。
本塁打を量産することで多くの得点をもたらし勝利に貢献する打者はエース投手と並ぶチームの象徴とされ、そのような打者は「大砲」なかでも4番打者、またはチームで最も本塁打を期待できる打者は「主砲」と呼ばれる。同チームに強打者が複数在籍する場合には、例えば王貞治と長嶋茂雄を合わせてON砲、山本浩二と衣笠祥雄のYK砲、秋山幸二と清原和博を合わせてAK砲などとも表す。
本塁打を「一発」「○○弾」と言い換えて「試合を決めた一発」や「決勝満塁弾」、また、打球が放物線を描いてスタンドインする様子を橋に見立てて「アーチを架ける」などと表現する。ライナー性の打球がスタンドインする様子には「スタンドに突き刺さる」などの表現が用いられる一方、高く打ち上げた場合は「滞空時間が長い」、「大きな放物線を描く」などと形容表現される。主にプロ野球中継やダイジェスト放送などで、解説者や中継アナウンサーなどは 空中に打ち上がりスタンドインした本塁打のことを風流に「花火」と形容することもある。「今日のAチーム対Bチームのゲームでは、両チーム合わせて7発 の花火が夜空に打ち上がりました(世間で花火大会の多い夏の試合でこのような表現をされることが多い)」など。また、「空砲」とは、期待されたほどの 強打者ではない、又は本塁打が勝利に結びつかないなどの意味である。なお、打たれた投手は「被弾する」と表現される。その他、得点の多くを複数の本塁打で取ることを「一発攻勢」、双方のチームが本塁打で得点を取り合う乱打戦を「空中戦」、被安打が少ない代わりに打たれる時は本塁打、かつそのショックで制球が乱れ出して失点が続く投手の状態を「一発病」と称するなど、本塁打から派生する慣用表現は多い。
本塁打数の少ない打者が本塁打を打った場合、自分を謙遜して「交通事故」と呼ぶ選手が多い(広島東洋カープの東出輝裕や東京ヤクルトスワローズの福地寿樹など)。普段本塁打を打たない選手に本塁打を期待して「事故待ち」などとも言われている。
本塁打は選手の能力以外に球場の構造にも影響されるが、近年では、バットやボールの改良、ステロイド系に代表される薬物使用による身体能力の向上といった、観客からは判りにくい方法によってその数が増加しているとの疑いも持たれている。“日本では飛び易いボールが使用されている”という指摘もあり、2011年シーズンからプロ野球公式試合球には、内部構造が改められたミズノ製の“飛び難い”ボールが使用される事になった[2]。
ベーブ・ルースが現れるまでは、本塁打よりむしろ打率のほうが選手の評価の対象だった。これには最初期のルールで、飛球を直接捕球するだけでなく、一度地面で跳ね返ってから捕球してもアウトだったことから、アウトになりにくい地面に叩きつけるような打球が好まれたことがあげられ、ルールが変更された後もこの影響が続いたためである。
[編集] 文太球
明治時代は本塁打のことを「文太球」(ぶんたきゅう)と呼んだ。大学予備門の山田文太郎選手にあやかったもので、六大学野球全集に「外野を過ぎるものに『文太球』と命名し、いたくこれを恐怖したり」といった記述がある[3]。
[編集] アベック本塁打
アベック本塁打(アベック砲、アベック弾、アベックホームラン、アベックホーマー、アベックアーチ)とは、同じ球団の2人の選手が同じ試合で放った本塁打をいう。試合毎に回数で数える。1つの試合の中で一方又は双方の選手が複数の本塁打を放って達成した場合も1回と数える。2人の強打者が同時期に同球団に所属していなければ多く発生しない。
王貞治と長嶋茂雄のON砲(巨人)による106回、山本浩二と衣笠祥雄のYK砲(広島)による86回、秋山幸二と清原和博のAK砲(西武)による62回が有名である。
[編集] サイクル本塁打
日本プロ野球において「一試合に」一人でソロ、2ラン、3ラン、満塁の4種類の本塁打(サイクルホームラン)を打った者は未だにいない。1999年4月18日、中日のレオ・ゴメスは東京ドームで行われた対巨人戦で2回にソロ、3回に3ラン、5回に2ランを放ち、その後8回の5打席目に満塁の場面で打席が回ったが空振り三振に倒れ記録達成はならなかった。
ただし「一日に」一人で上記の4種類の本塁打は、1979年5月27日にヤクルトのジョン・スコットが甲子園球場で行われた阪神とのダブルヘッダーで2試合に跨る形で記録している(第1試合の1回に小林繁から2ラン、9回に江本孟紀から満塁、第2試合の8回に山本和行からソロ、9回に安仁屋宗八から3ラン)。
[編集] 被本塁打
被本塁打とは、投手が打者に打たれた本塁打のことを言う。ただし、投手によって投球回数が違うため、被本塁打数が多いからといって一概に本塁打をよく打たれる投手とは言えない。そのため、本塁打を打たれやすいかどうかは、被本塁打率(被本塁打÷投球回数×9)で比べることが多い。この率が低ければ低いほど本塁打を打たれにくい投手と言えるが、単年での被本塁打率は当てにならないと言われている[4]。
[編集] 被本塁打記録
- 通算記録
| 順位 | 投手 | 所属 | 実働期間 | 数 | 被本塁打率 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 鈴木啓示 | 近鉄 | 1966年 -1985年 |
560 | 1.10 |
| 2 | 山田久志 | 阪急 | 1969年 -1988年 |
490 | 1.14 |
| 3 | 東尾修 | 西武 | 1969年 -1988年 |
412 | 0.91 |
| 4 | 北別府学 | 広島 | 1976年 -1994年 |
380 | 1.10 |
| 5 | 金田正一 | 巨人 | 1950年 -1969年 |
379 | 0.62 |
チーム名はその選手の引退時の所属先。
- シーズン記録
| 順位 | 投手 | 所属 | 年度 | 数 | 被本塁打率 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 池谷公二郎 | 広島 | 1977年 | 48 | 1.91 |
| 2 | 金田留広 | 東映 | 1971年 | 42 | 1.41 |
| 高橋里志 | 広島 | 1977年 | 1.33 | ||
| 井本隆 | 近鉄 | 1980年 | 1.84 | ||
| 山田久志 | 阪急 | 1985年 | 1.70 |
チーム名は記録達成当時の所属先。
[編集] 本塁打率
本塁打率とは打数を本塁打で割った数字をいい、1本の本塁打を打つのに何打数必要かを表す。主に打者の長打力の参考等に使われる。
[編集] 日本記録
[編集] メジャーリーグ記録
[編集] 日本での記録・エピソード
[編集] 日本プロ野球
[編集] 通算記録
記録は2011年シーズン終了時点
| 順位 | 名前 | 所属 | 数 | 順位 | 名前 | 所属 | 数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 王貞治 | 巨人 | 868 | 11 | *金本知憲 | 阪神 | 470 |
| 2 | 野村克也 | 西武 | 657 | 12 | 土井正博 | 西武 | 465 |
| 3 | 門田博光 | 福岡ダイエー | 567 | 13 | タフィ・ローズ | オリックス | 464 |
| 4 | 山本浩二 | 広島 | 536 | 14 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 444 |
| 5 | 清原和博 | オリックス | 525 | 15 | 秋山幸二 | 福岡ダイエー | 437 |
| 6 | 落合博満 | 日本ハム | 510 | 16 | *小久保裕紀 | 福岡ソフトバンク | 409 |
| 7 | 張本勲 | ロッテ | 504 | 17 | *山崎武司 | 中日 | 402 |
| 衣笠祥雄 | 広島 | 18 | 山内一弘 | 広島 | 396 | ||
| 9 | 大杉勝男 | ヤクルト | 486 | 19 | 大島康徳 | 日本ハム | 382 |
| 10 | 田淵幸一 | 西武 | 474 | 原辰徳 | 巨人 |
*は現役選手、所属は現役最終所属球団(現役選手は現所属球団)
なお松井秀喜は日本とアメリカの通算で505本塁打を放っている(2011年シーズン終了時点)。
[編集] 新人本塁打数
| 順位 | 年 | 名前 | 所属 | 数 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 1959 | 桑田武 | 大洋ホエールズ | 31 |
| 1986 | 清原和博 | 西武ライオンズ | ||
| 3 | 1958 | 長嶋茂雄 | 読売ジャイアンツ | 29 |
| 4 | 1953 | 豊田泰光 | 西鉄ライオンズ | 27 |
| 5 | 1949 | 大岡虎雄 | 大映スターズ | 26 |
| 6 | 2003 | 村田修一 | 横浜ベイスターズ | 25 |
| 7 | 1958 | 森徹 | 中日ドラゴンズ | 23 |
| 8 | 1950 | 深見安博 | 西鉄ライオンズ | 22 |
| 1969 | 田淵幸一 | 阪神タイガース | ||
| 1981 | 原辰徳 | 読売ジャイアンツ | ||
| 1990 | 石井浩郎 | 近鉄バファローズ |
[編集] 最多本塁打
- シーズン
詳細は「最多本塁打 (日本プロ野球)」を参照
- 月間
- 月間(新人)
[編集] 年齢別シーズン最多本塁打数
| 年齢 | 所属 | 名前 | 数 | 年 |
|---|---|---|---|---|
| 17歳 | 国鉄スワローズ | 金田正一 | 1本 | 1950年 |
| 18歳 | 西鉄ライオンズ | 豊田泰光 | 27本 | 1953年 |
| 19歳 | 西武ライオンズ | 清原和博 | 31本 | 1986年 |
| 20歳 | 西鉄ライオンズ | 中西太 | 36本 | 1953年 |
| 21歳 | 西鉄ライオンズ | 中西太 | 31本 | 1954年 |
| 西武ライオンズ | 清原和博 | 1988年 | ||
| 国鉄スワローズ | 町田行彦 | 1955年 | ||
| 22歳 | 読売ジャイアンツ | 王貞治 | 38本 | 1962年 |
| 読売ジャイアンツ | 松井秀喜 | 1996年 | ||
| 23歳 | 読売ジャイアンツ | 王貞治 | 40本 | 1963年 |
| 西武ライオンズ | 秋山幸二 | 1985年 | ||
| 24歳 | 読売ジャイアンツ | 王貞治 | 55本 | 1964年 |
| 25歳 | 埼玉西武ライオンズ | 中村剛也 | 46本 | 2008年 |
| 26歳 | 読売ジャイアンツ | 王貞治 | 48本 | 1966年 |
| 埼玉西武ライオンズ | 中村剛也 | 2009年 | ||
| 27歳 | 読売ジャイアンツ | 王貞治 | 47本 | 1967年 |
| 28歳 | 南海ホークス | 野村克也 | 52本 | 1963年 |
| 年齢 | 所属 | 名前 | 数 | 年 |
|---|---|---|---|---|
| 29歳 | 中日ドラゴンズ | 西沢道夫 | 46本 | 1950年 |
| 30歳 | 西武ライオンズ | アレックス・カブレラ | 49本 | 2001年 |
| 31歳 | 西武ライオンズ | アレックス・カブレラ | 55本 | 2002年 |
| 32歳 | ロッテオリオンズ | 落合博満 | 52本 | 1985年 |
| 33歳 | 大阪近鉄バファローズ | タフィ・ローズ | 55本 | 2001年 |
| 34歳 | 読売ジャイアンツ | 王貞治 | 49本 | 1974年 |
| 35歳 | 大阪近鉄バファローズ | タフィ・ローズ | 51本 | 2003年 |
| 36歳 | 読売ジャイアンツ | 王貞治 | 49本 | 1976年 |
| 読売ジャイアンツ | アレックス・ラミレス | 2010年 | ||
| 37歳 | 読売ジャイアンツ | 王貞治 | 50本 | 1977年 |
| 38歳 | 読売ジャイアンツ | 王貞治 | 39本 | 1978年 |
| ロッテオリオンズ | ジョージ・アルトマン | 1971年 | ||
| 松竹ロビンス | 岩本義行 | 1950年 | ||
| 39歳 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 山崎武司 | 43本 | 2007年 |
| 40歳 | 南海ホークス | 門田博光 | 44本 | 1988年 |
| 41歳 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 山崎武司 | 39本 | 2009年 |
| 42歳 | オリックス・ブレーブス | 門田博光 | 31本 | 1990年 |
| 43歳 | 読売ジャイアンツ | 落合博満 | 21本 | 1996年 |
| 44歳 | 福岡ダイエーホークス | 門田博光 | 7本 | 1992年 |
| 45歳 | 西武ライオンズ | 野村克也 | 4本 | 1980年 |
- 上記表の年齢はそのシーズンが開催される年に達する満年齢である。豊田泰光、町田行彦、岩本義行、門田博光は早生まれであり、ジョージ・アルトマンも日本の学齢に合わせると早生まれとなる。
- 最年長本塁打の記録は岩本義行の45歳5ヶ月である。
[編集] 初打席本塁打達成者
| 名前 | 所属 | 達成日 | 対戦相手 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 金光彬夫 | 朝日軍 | 1944年4月22日 | 東京巨人 | 代打 | |||||
| 戸倉勝城 | 毎日 | 1950年3月11日 | 西鉄 | パ・リーグ第1号 | |||||
| 塩瀬盛道 | 東急 | 1950年5月11日 | 大映 | 初球 | 投手 | 生涯唯一の打席 | |||
| 高木守道 | 中日 | 1960年5月7日 | 大洋 | 達成者の中で最高本塁打 | |||||
| K・ハドリ | 南海 | 1962年5月1日 | 西鉄 | 外国人選手 | |||||
| 後藤忠弘 | 近鉄 | 1962年8月21日 | 大毎 | ||||||
| 相川進 | 中日 | 1966年9月28日 | サンケイ | 代打 | |||||
| D・スチュアート | 大洋 | 1967年4月19日 | 阪神 | 外国人選手 | |||||
| 小室光男 | 西鉄 | 1968年8月21日 | 近鉄 | 代打 | 初球 | ||||
| 山村善則 | 太平洋クラブ | 1975年5月30日 | ロッテ | 代打 | 2打席目も本塁打 | ||||
| R・バチスタ | ロッテ | 1975年6月3日 | 南海 | 外国人選手 | |||||
| B・ミッチェル | 日本ハム | 1976年4月27日 | 近鉄 | 外国人選手 | |||||
| 中井康之 | 巨人 | 1979年4月11日 | 阪神 | 代打 | |||||
| 香川伸行 | 南海 | 1980年7月8日 | 近鉄 | ||||||
| I・ハンプトン | 近鉄 | 1981年6月5日 | 日本ハム | 外国人選手 | |||||
| 駒田徳広 | 巨人 | 1983年4月10日 | 大洋 | 満塁弾 | |||||
| 森厚三 | 広島 | 1984年5月30日 | ヤクルト | 初球 | 投手 | ||||
| 阿部慶二 | 広島 | 1984年8月8日 | 巨人 | 代打 | |||||
| 村上信一 | 阪急 | 1984年8月9日 | 南海 | 代打 | 2打席目も本塁打 | ||||
| 青島健太 | ヤクルト | 1985年5月11日 | 阪神 | 代打 | |||||
| 米村明 | 中日 | 1986年8月23日 | ヤクルト | 投手 | |||||
| D・デシンセイ | ヤクルト | 1988年4月8日 | 巨人 | 外国人選手 | |||||
| M・イースラー | 日本ハム | 1988年5月19日 | ロッテ | 外国人選手 | |||||
| 呂明賜 | 巨人 | 1988年6月14日 | ヤクルト | 外国人選手 | |||||
| 広永益隆 | ダイエー | 1989年4月8日 | 日本ハム | 代打 | |||||
| B・ディステファーノ | 中日 | 1990年4月7日 | 大洋 | 外国人選手 | |||||
| 林博康 | ロッテ | 1990年6月29日 | ダイエー | 代打 | |||||
| 佐伯秀喜 | 西武 | 1990年9月24日 | 日本ハム | ||||||
| F・ブラッドリー | 巨人 | 1991年4月6日 | 中日 | 外国人選手 | |||||
| 森田幸一 | 中日 | 1991年4月10日 | 広島 | 投手 | |||||
| D・シュルジー | オリックス | 1991年5月29日 | 近鉄 | 外国人選手 | 初球 | 投手 | 日本球界在籍中、唯一の打席 | ||
| M・マーシャル | 日本ハム | 1992年4月4日 | 西武 | 外国人選手 | |||||
| K・ミッチェル | ダイエー | 1995年4月1日 | 西武 | 外国人選手 | 満塁弾 | ||||
| 稲葉篤紀 | ヤクルト | 1995年6月21日 | 広島 | ||||||
| 出口雄大 | 巨人 | 1995年9月19日 | 中日 | ||||||
| 小野公誠 | ヤクルト | 1997年7月20日 | 巨人 | 現役最終打席も本塁打 | |||||
| 福留宏紀 | オリックス | 1997年9月15日 | 西武 | 初球 | |||||
| F・ボーリック | ロッテ | 1999年4月14日 | オリックス | 外国人選手 | |||||
| C・ポール | 西武 | 1999年6月25日 | ダイエー | 外国人選手 | |||||
| 広池浩司 | 広島 | 1999年9月29日 | 阪神 | 投手 | |||||
| J・ナナリー | オリックス | 2000年6月28日 | 近鉄 | 外国人選手 | |||||
| ショーゴー | 中日 | 2001年5月1日 | 巨人 | 初球 | |||||
| 塀内久雄 | ロッテ | 2002年4月8日 | 日本ハム | ||||||
| 野口祥順 | ヤクルト | 2002年9月13日 | 横浜 | ||||||
| J・オーティズ | オリックス | 2003年3月28日 | 近鉄 | 外国人選手 | |||||
| 比嘉寿光 | 広島 | 2005年9月19日 | 横浜 | 代打 | |||||
| 加治前竜一 | 巨人 | 2008年6月6日 | ロッテ | サヨナラ | |||||
| T・ブランコ | 中日 | 2009年4月3日 | 横浜 | 外国人選手 | |||||
| 福田永将 | 中日 | 2009年7月7日 | ヤクルト | 代打 | |||||
| S・ランドルフ | 横浜 | 2009年8月16日 | 広島 | 外国人選手 | 投手 | ||||
| 森田一成 | 阪神 | 2011年7月26日 | 中日 | 代打 | |||||
| R・マルハーン | 西武 | 2011年8月5日 | ソフトバンク | 外国人選手 |
[編集] 投手の本塁打記録
- 満塁本塁打
| 日付 | 名前 | 所属 | 対戦相手 | 球場 |
|---|---|---|---|---|
| 1941年8月2日 | 古谷倉之助 | 大洋軍 | 黒鷲 | 後楽園 |
| 1946年6月2日 | 大下弘 | 東京セネタース | 中部日本 | 西宮 |
| 1946年8月21日 | 藤本英雄 | 東京巨人軍 | 中部日本 | 後楽園 |
| 1949年4月26日 | 川崎徳次 | 読売ジャイアンツ | 大映 | 金沢 |
| 1950年4月21日 | 杉下茂 | 中日ドラゴンズ | 西日本 | 佐賀 |
| 1950年9月28日 | 江田貢一 | 松竹ロビンス | 国鉄 | 日生 |
| 1951年8月15日 | 高野裕良 | 大洋ホエールズ | 松竹 | 後楽園 |
| 1952年6月14日 | 服部受弘 | 名古屋ドラゴンズ | 国鉄 | 後楽園 |
| 1956年4月11日 | 米田哲也 | 阪急ブレーブス | 高橋 | 西宮 |
| 1957年10月21日 | 義原武敏 | 読売ジャイアンツ | 大洋 | 後楽園 |
| 1971年5月30日 | 成田文男 | ロッテオリオンズ | 東映 | 東京 |
| 1972年6月9日 | 阪急 | 西宮 | ||
| 1972年9月22日 | 金田留広 | 東映フライヤーズ | 南海 | 後楽園 |
| 1975年6月26日 | 星野仙一 | 中日ドラゴンズ | 大洋 | 川崎 |
| 1981年6月23日 | 山本和行 | 阪神タイガース | 広島 | 甲子園 |
| 1984年5月13日 | 津田恒美 | 広島東洋カープ | ヤクルト | 長崎 |
| 1999年5月21日 | ガルベス | 読売ジャイアンツ | 阪神 | 甲子園 |
| 1999年8月13日 | 横浜 | 横浜 |
- サヨナラ本塁打
| 日付 | 名前 | 所属 | 対戦相手 | 球場 |
|---|---|---|---|---|
| 1949年6月18日 | 藤本英雄 | 巨人 | 南海 | 後楽園 |
| 1955年5月26日 | 金田正一 | 国鉄 | 中日 | 川崎 |
| 1959年5月30日 | 大洋 | 後楽園 | ||
| 1955年6月9日 | 別所毅彦 | 巨人 | 中日 | 後楽園 |
| 1967年5月13日 | 佐藤進 | 産経 | 中日 | 東京 |
| 1968年5月18日 | 堀内恒夫 | 巨人 | 産経 | 後楽園 |
| 1969年4月12日 | 木樽正明 | ロッテ | 南海 | 後楽園 |
| 1969年5月29日 | 金田留広 | 東映 | 西鉄 | 後楽園 |
| 1973年8月30日 | 江夏豊 | 阪神 | 中日 | 甲子園 |
| 1988年5月13日 | 郭源治 | 中日 | 巨人 | ナゴヤ |
| 1990年4月8日 | 木田優夫 | 巨人 | ヤクルト | 東京D |
| 1990年8月14日 | 佐々岡真司 | 広島 | 中日 | 広島 |
[編集] 最多本塁打記録
| 記録 | 数 | 名前 | 所属 | 日付 | 補足 |
|---|---|---|---|---|---|
| 歴代通算最多本塁打 | 36 | 金田正一 | 国鉄・巨人 | 他に代打本塁打2本。 36本中、国鉄で34本・巨人で2本 |
|
| セ・リーグ通算最多本塁打 | |||||
| パ・リーグ通算最多本塁打 | 33 | 米田哲也 | 阪急・阪神・近鉄 | 33本はすべて阪急在籍時。 | |
| 現役通算最多本塁打 | 8 | 川上憲伸 | 中日・ATL(MLB)・中日 | 本塁打は全て中日時代、MLB時代は0本。 | |
| 歴代シーズン最多本塁打 | 7 | 藤本英雄 | 巨人 | 1950年 |
| 記録 | 数 | 名前 | 所属 | 日付 | 試合・球場 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1試合最多本塁打 | 3 | 川崎徳次 | 巨人 | 1949年4月26日 | 対大映スターズ戦・石川県営兼六園野球場 |
| 堀内恒夫 | 巨人 | 1967年10月10日 | 対広島東洋カープ戦・後楽園球場 |
堀内恒夫は3打席連続で、現在も抜かれていない記録である。
[編集] MLBでの日本人投手の本塁打
[編集] DH制導入後のパ・リーグ球団同士の試合での投手の本塁打
| 名前 | 所属 | 日付・球場 | 試合 | 相手投手 |
|---|---|---|---|---|
| シュルジー | オリックス | 1991年5月29日・日本生命球場 | 対近鉄11回戦 | 赤堀元之 |
[編集] セ・パ交流戦でのパ・リーグ球団所属投手の記録
| 名前 | 所属 | 日付・球場 | 試合 | 相手投手 |
|---|---|---|---|---|
| JP | オリックス | 2005年5月11日・東京ドーム | 対巨人2回戦 | 内海哲也 |
| 岩本勉 | 日本ハム | 2005年5月21日・東京ドーム | 対巨人2回戦 | 野間口貴彦 |
| 松坂大輔 | 西武 | 2006年6月9日・阪神甲子園球場 | 対阪神4回戦 | ダーウィン |
| ガトームソン | ソフトバンク | 2008年5月28日・新大分球場 | 対横浜1回戦 | 三浦大輔 |
| 大隣憲司 | ソフトバンク | 2008年5月29日・北九州市民球場 | 対横浜2回戦 | 小林太志 |
| フィガロ | オリックス | 2011年6月15日・横浜スタジアム | 対横浜4回戦 | 加賀繁 |
※また、ガトームソンと共にバッテリーを組んだ捕手の的山哲也もこの試合で3点本塁打を打ち、「パ・リーグのバッテリーでアベックホームラン」も成し遂げている
[編集] その他の記録
- 2満塁本塁打を記録
- セ・リーグ全球団の投手が本塁打を記録したのは1999年が最後(2007年現在)で16年ぶりの記録である。
[編集] ランニング本塁打
- 満塁ランニング本塁打
| 日付 | 名前 | 所属 | 対戦相手 | 球場 |
|---|---|---|---|---|
| 1947年7月3日 | 野口明 | 阪急 | 巨人 | 西宮 |
| 1950年4月11日 | 阪田清春 | 広島 | 阪神 | 甲子園 |
| 1974年8月28日 | 弘田澄男 | ロッテ | 南海 | 仙台宮城 |
| 1977年5月14日 | ウィリー・デービス | 中日 | 巨人 | ナゴヤ球場 |
| 1989年7月1日 | 田辺徳雄 | 西武 | 日本ハム | 東京ドーム |
| 1997年4月15日 | 高木大成 | 西武 | 日本ハム | 東京ドーム |
| 1999年8月20日 | 小久保裕紀 | 福岡ダイエー | 日本ハム | 福岡ドーム |
小久保の記録は同じ回に秋山幸二も満塁本塁打を打ったため、
史上2例目となるチーム1イニング2本の満塁本塁打という記録
でもある(次節)。
- サヨナラランニング本塁打
| 日付 | 名前 | 所属 | 対戦相手 | 球場 |
|---|---|---|---|---|
| 1943年7月1日 | 渡辺絢吾 | 大和 | 阪急 | 甲子園 |
| 1952年9月4日 | 牧野茂 | 名古屋 | 大洋 | 刈谷 |
| 1957年4月7日 | 玉造陽二 | 西鉄 | 阪急 | 平和台 |
| 1984年9月16日 | 松永浩美 | 阪急 | ロッテ | 西宮 |
[編集] 1イニング2本の満塁本塁打
| 日付 | チーム | 1本目 | 2本目 | 相手チーム | 球場 | 補足 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1996年10月9日 | 阪神 | 新庄剛志 | 塩谷和彦 | 中日 | 阪神甲子園球場 | 日本プロ野球史上初。塩谷は代打本塁打。 |
| 1999年8月20日 | 福岡ダイエー | 秋山幸二 | 小久保裕紀 | 日本ハム | 福岡ドーム | 小久保はランニング本塁打。 |
| 2007年4月1日 | 東北楽天 | フェルナンデス | 山﨑武司 | オリックス | フルスタ宮城 | |
| 2010年6月20日 | 北海道日本ハム | 小谷野栄一 | 金子誠 | オリックス | 京セラドーム大阪 |
[編集] 無本塁打記録
[編集] その他の記録
- プロ野球記念ホームラン一覧(プロ野球第1号、セ・パそれぞれの第1号と通算の5000単位の本塁打を打った選手の一覧)
- 幻のホームラン一覧
- 通算初回先頭打者本塁打 - 福本豊の43本。日本プロ野球とMLBの通算ではイチローが44本(日8・米36)を記録している。
- 通算初回先頭打者初球本塁打 - 野村謙二郎の7本。日本プロ野球とMLBの通算ではイチローが11本(日2・米9)を記録している。(2011年シーズン終了時点)
- 通算代打本塁打 - 高井保弘の27本。
- 連続シーズン2桁本塁打 - 王貞治、野村克也、清原和博の21年連続。清原の入団1年目からの記録は史上初。
- 全打順本塁打 - 9人が記録している。古屋英夫、松永浩美、田中幸雄、堀幸一、小川博文、五十嵐章人、井口資仁、吉村裕基、後藤光尊。この記録と全ポジション出場記録(2人目)を達成している選手は五十嵐のみ。
- 柵越え本塁打を打った後で負傷し、代走がホームイン
- 1969年5月18日に阪急西宮球場で行われた阪急対近鉄の2回表、ジェームス・ジムタイルが本塁打を打った直後に左足の肉離れを起こして走れなくなったため、代走に伊勢孝夫が起用された。ジムタイルはボルチモア・オリオールズに在籍していた1961年に、ロジャー・マリスとの打点王争いに1点差で敗れたほどの選手だったが、来日当時は足の怪我に苦しんでおり、出塁するとすぐに代走と交代するほどだった。そのため得点するのは本塁打を打った時だけだが、この怪我のおかげでこの年のジムタイルの打撃成績には、本塁打8に対して得点7という珍しい記録が残っている(伊勢はこの試合の8回に勝ち越し本塁打を放った)。
- 1991年6月18日、中日対大洋で彦野利勝がサヨナラ本塁打を放った際、一塁ベース付近で左膝靭帯を負傷して走塁できなくなり退場、代走の山口幸司がホームインした。
- 規定打席未到達(シーズン終了時点)での本塁打30本以上
| 年度 | 名前 | 所属 | 打席 | 本塁打 | 概要 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1983年 | 田淵幸一 | 西武 | 349 | 30 | 故障で出場不足ながら日本一に貢献し、正力松太郎賞を受賞する。 |
| 1987年 | ホーナー | ヤクルト | 355 | 31 | 1年限りの在籍だが、弱小球団に大旋風を巻き起こした超強力舶来砲・赤鬼。 |
| 1988年 | ブライアント | 近鉄 | 302 | 34 | デービス退団に伴って急遽中日二軍から移籍し、Mr.2ランとしていきなり活躍した。 |
| 1989年 | デストラーデ | 西武 | 359 | 32 | 不振のバークレオに代わり、来日直後からAK砲と最強クリーンアップを構成した。 |
| 2003年 | ペタジーニ | 巨人 | 414 | 34 | この年移籍しコンバート、故障で打席数不足ながら打撃は成果を残す。 |
[編集] 球史に残る有名な本塁打
最長飛距離
| 日付 | 対戦 | 球場 | 内容 |
|---|---|---|---|
| 1949年8月18日 | 大映-東急 | 札幌市円山球場 | 東急の大下弘が大映の野口正明からライトスタンドはるか上空を越え駐車場と道路を越えた先の竹藪(現在は動物園前のロータリーになっている)に飛び込む超特大の本塁打を放った。着地地点に人が入るのが困難で公式な距離は出なかったが飛距離は170m近かったと言われ、下の中西の打球さえ及ばない日本最長飛距離ではないかと言われている。 |
| 1953年8月29日 | 西鉄-大映 | 平和台野球場 | 西鉄の中西太が大映の林義一からバックスクリーンのはるか上(約9mと言われている)をライナーで越える超特大本塁打を放った。球場の発表では162mだったが、現在でも日本最長飛距離ではないかとの声もある。 |
| 1988年7月13日 | 阪急-西武 | 西宮球場 | 阪急のブーマー・ウェルズが西武の渡辺久信からレフト場外に消える特大本塁打を放った。落下位置から飛距離は162メートルと測定され、落下地点が確認された本塁打としては史上最長の飛距離である。 |
| 1990年6月6日 | 日本ハム-近鉄 | 東京ドーム | 近鉄のラルフ・ブライアントが日本ハムの角盈男から放った打球は二塁後方の屋根からつり下げられている球場スピーカーに当たり、「認定本塁打」の第1号となった(東京ドームも参照)。推定飛距離は170メートルともいわれている。 |
| 1998年7月22日 | 全セ-全パ | ナゴヤドーム | 全セの4番松井秀喜(巨人)が高村祐からライトスタンド5階席にライナーで運ぶ特大の本塁打を放った。推定飛距離は160メートルともいわれ、この本塁打を生で見ていた近藤貞雄は「私が今まで見た中で最も遠くまで飛んだ本塁打である」とコメントしている。 |
| 2005年6月3日 | 西武-横浜 | 西武ドーム | 西武のアレックス・カブレラが横浜の三浦大輔から放った打球はレフトの屋根に当たって左中間のグラウンドに落ち、西武ドームのグラウンドルールにより認定本塁打とされた。打球が直撃した屋根の鉄骨部分には記念プレートが取りつけられている。推定飛距離は180メートルともいわれている。 |
| 2009年5月7日 | 中日-広島 | ナゴヤドーム | 中日のトニ・ブランコが広島の前田健太からナゴヤドームの高さ50mの位置にある天井スピーカーに直撃する飛球を放ち、打球はそのままグラウンドに落ちた。これがナゴヤドーム開場後初となる認定本塁打となった。推定飛距離は160メートルと言われている。 |
日本プロ野球記録など
| 日付 | 対戦 | 球場 | 内容 |
|---|---|---|---|
| 1956年3月25日 | 巨人-中日 | 後楽園球場 | 巨人の樋笠一夫が3点ビハインドの状況での代打逆転サヨナラ満塁本塁打(いわゆる「釣り銭無し」)。日本プロ野球史上初。 |
| 1962年4月7日 | 南海-阪急 | 大阪球場 | 1回表、阪急の衆樹資宏が南海のジョー・スタンカが投じた初球を先頭打者本塁打。開幕戦の初回に初球を先頭打者本塁打したのは史上初。 |
| 1964年5月3日 | 巨人-阪神 | 後楽園球場 | 巨人の王貞治が史上初の1試合4打席連続本塁打を達成。 |
| 1971年5月3日 | ロッテ-東映 | 東京スタジアム | 10回表、ロッテの佐藤元彦から作道烝が勝ち越し本塁打を放つと、続く大下剛史と大橋穣も本塁打。代わった佐藤政夫からも張本勲と大杉勝男が本塁打を放ち、5者連続本塁打の日本記録を樹立した。 |
| 1983年4月10日 | 巨人-大洋 | 後楽園球場 | 巨人の駒田徳広が打った史上初のプロ初打席満塁本塁打。 |
| 1984年6月9日 同6月11日 |
近鉄-南海 | 藤井寺球場 | 6月9日には近鉄の加藤英司が南海の金城基泰から逆転サヨナラ満塁本塁打。6月11日には近鉄の柳原隆弘が南海の山内和宏から代打逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、史上初の2試合連続逆転サヨナラ満塁本塁打。 |
| 1986年6月26日 | 巨人-阪神 | 後楽園球場 | 阪神のランディ・バースが、8回表に巨人の江川卓の内角高めの速球を右翼場外へ弾き返し、巨人の王貞治監督の持つ「7試合連続本塁打」のプロ野球記録に並んだ。 |
| 1986年8月6日 | 近鉄-西武 | 藤井寺球場 | 8回表に西武の西岡良洋、清原和博、石毛宏典、ジョージ・ブコビッチ、秋山幸二、大田卓司が本塁打を放ち、史上初の1イニング6本塁打を達成。 |
| 1991年5月29日 | 近鉄-オリックス | 日本生命球場 | オリックスの抑えのシュルジーはリリーフに失敗し、先発投手の勝利を消してしまったが続投。指名打者の選手が守備についていたため、同点の場面で巡ってきた打順でシュルジーはそのまま打席に立ちソロ本塁打を放つ。これでオリックスが勝ち越し、シュルジーが勝利投手となった。パ・リーグが指名打者制度を導入して以来初の投手による本塁打となった。 |
| 1992年10月17日 | ヤクルト-西武 | 明治神宮野球場 | 日本シリーズ第1戦、試合は3-3という好ゲームのまま12回裏へ。一死満塁という大チャンスでシーズン限りでの引退を表明していた代打の杉浦享が日本シリーズ初の代打サヨナラ満塁本塁打を放つ。この本塁打により杉浦は引退撤回。 |
| 1994年4月9日 | 西部-近鉄 | 西武ライオンズ球場 | 開幕戦、西武は0-3の9回裏にノーヒットノーラン寸前であった野茂英雄から清原和博の二塁打等で一死満塁のチャンスを作り、代わった赤堀元之から伊東勤が史上初の開幕戦逆転サヨナラ満塁本塁打(釣り銭無し)を放つ。また、この本塁打は伊東の通算1000本安打でもあった。 |
| 1996年10月9日 | 阪神-中日 | 阪神甲子園球場 | 1回裏、阪神の新庄剛志と塩谷和彦が中日の金森隆浩から満塁本塁打(塩谷は代打)。1イニング2本の満塁本塁打は史上初。 |
| 2001年7月11日 | ロッテ-ダイエー | 千葉マリンスタジアム | 千葉ロッテのフランク・ボーリックが日本プロ野球史上初、延長戦で3点ビハインドの状況での逆転サヨナラ満塁本塁打。 |
| 2001年9月26日 | 近鉄-オリックス | 大阪ドーム | 大阪近鉄の北川博敏がプロ野球史上初の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打(釣り銭無し)。 |
| 2001年9月30日 | オリックス-ロッテ | グリーンスタジアム神戸 | オリックスの藤井康雄がプロ野球史上初の二死からの代打逆転サヨナラ満塁釣り銭無し本塁打。二死以外を含めても前述の樋笠、北川に次いで3例目である。 |
| 2004年10月19日 | 西武-中日 | 西武ドーム | 日本シリーズで西武のアレックス・カブレラと中日の谷繁元信が打った日本シリーズ史上初の1試合2逆転満塁本塁打。 |
| 2006年4月30日 | 巨人-中日 | 東京ドーム | 巨人の二岡智宏による史上初の2打席連続満塁本塁打。 |
| 2007年3月30日 | 横浜-巨人 | 横浜スタジアム | 1回表、巨人の高橋由伸が横浜の三浦大輔が投じた初球を先頭打者本塁打。開幕戦で初回に初球を先頭打者本塁打したのはセ・リーグでは史上初。両リーグを通じても45年振り2度目。 |
| 2008年6月6日 | 巨人-ロッテ | 東京ドーム | 10回裏、巨人の加治前竜一がロッテの川崎雄介からプロ初打席でサヨナラ勝ちとなる本塁打を放つ。プロ初打席、プロ初安打がサヨナラホームランはプロ野球史上初。 |
| 2008年10月12日 | ヤクルト-横浜 | 明治神宮野球場 | ヤクルトの小野公誠が8回に代打本塁打を放つ。既に引退を表明していた小野は1997年のプロ入り初打席でも本塁打を放っており、プロ入り初打席と最終打席が共に本塁打(プロ1打席で1本塁打のみという塩瀬盛道、ドン・シュルジーの例を除く)という史上初の記録となった。 |
| 2009年4月10日 | 巨人-阪神 | 東京ドーム | 阪神・金本知憲が、4月8日の対広島戦(甲子園)での3打席連続本塁打に続き、中1日で再び3打席連続本塁打。月間で2度の3打席連続本塁打を打ったのは史上初。 |
| 2009年10月22日 | 日本ハム-楽天 | 札幌ドーム | クライマックスシリーズ第2ステージで、日本ハムのターメル・スレッジが楽天の福盛和男からクライマックスシリーズ初となる逆転満塁サヨナラ本塁打を放つ(釣り銭無し)。 |
| 2011年10月22日 | 巨人-横浜 | 東京ドーム | 上記のちょうど2年後に、巨人・長野久義がシーズン最終戦の対横浜戦(東京ドーム)で代打逆転サヨナラ満塁ホームランを放つ。また、このホームランで内海哲也の18勝目と最多勝タイトルも導いた。他にも、セ・リーグ40年振り・4回目の代打逆転サヨナラ満塁ホームラン及びセ・リーグ通算1000本目の満塁ホームランでもあった。 |
その他
| 日付 | 対戦 | 球場 | 内容 |
|---|---|---|---|
| 1959年6月25日 | 巨人-阪神 | 後楽園球場 | プロ野球初の天覧試合。4-4で迎えた9回裏、巨人の先頭打者の長嶋茂雄が阪神の村山実から左翼ポール際へ劇的なサヨナラ本塁打を放つ。長嶋はこの試合2本目の本塁打。王貞治も7回裏に本塁打を放ったが、106回のONアベック弾の最初のものとなった。 |
| 1967年10月10日 | 巨人-広島 | 後楽園球場 | 巨人・堀内恒夫が投手としては史上初の3打席連続本塁打、投げてはノーヒットノーランを達成。 |
| 1977年9月3日 | 巨人-ヤクルト | 後楽園球場 | 巨人の王貞治が打った756号本塁打(ハンク・アーロンのアメリカメジャーリーグ記録を超える)。 |
| 1978年10月22日 | ヤクルト-阪急 | 後楽園球場 | 日本シリーズ第7戦、ヤクルト・大杉勝男の6回に打った本塁打はファウルボールではないかと阪急監督の上田利治が抗議し、日本シリーズ最長の1時間19分の中断。 |
| 1981年7月19日 | 日本ハム-西武 | 後楽園球場 | 柏原純一が、永射保が投じた敬遠球を本塁打にした。敬遠球が本塁打になったのはこれが史上唯一である。 |
| 1985年4月17日 | 阪神-巨人 | 阪神甲子園球場 | 7回裏、阪神のランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布によるセンターへの「バックスクリーン3連続本塁打」。投手は槙原寛己。「3発食らった直後、王監督がもの凄い形相でマウンドに来た」とのこと。 |
| 1989年6月25日 | 阪神-巨人 | 阪神甲子園球場 | 8回裏二死満塁で阪神の岡田彰布が巨人のビル・ガリクソンから左翼ポール際へ逆転満塁本塁打。奇しくも30年前の天覧試合と同日で、スコアも裏返しの5-4となった。 |
| 1989年10月12日 | 西武-近鉄 (ダブルヘッダー) |
西武ライオンズ球場 | この日西武が連勝すれば西武の優勝がほぼ決定。しかし、近鉄はラルフ・ブライアントが第1試合で満塁を含む3本、第2試合1本の4打数連続本塁打を放つ活躍で勝利。この2日後に近鉄はリーグ優勝を決める。 |
| 1990年4月7日 | 巨人-ヤクルト | 東京ドーム | 開幕戦、巨人の篠塚利夫がヤクルトの内藤尚行から右翼ポール際へ本塁打を放つ。ファウルではないかとヤクルト監督の野村克也が抗議するが判定は覆らず。外野線審廃止による誤審ではないかと物議をかもした(以後ポールの色はわかりやすい配色に変更)。 |
| 2000年9月24日 | 巨人-中日 | 東京ドーム | 0-4とリードされていた9回裏、1死満塁から巨人の江藤智による同点満塁本塁打の後、続く二岡智宏のサヨナラソロ本塁打で優勝決定。1990年9月8日には、吉村禎章がサヨナラ本塁打で優勝を決めており、本拠地では、10年ぶりの出来事となった。⇒サヨナラゲーム#サヨナラゲームにまつわるエピソード |
| 2004年8月17日 | 巨人-ヤクルト | 東京ドーム | 巨人・工藤公康の200勝のかかった試合で、プロ入り後自身初本塁打が決勝本塁打となった。そして完投で200勝達成。41歳3か月での達成は当時の史上最年長記録であり、入団してから23年目での初本塁打は史上最も遅い記録である。 |
| 2010年3月27日 | 巨人-ヤクルト | 東京ドーム | 2010年シーズンから導入された本塁打ビデオ判定の公式戦初適用事例。9回1死二塁、ヤクルトのガイエルの打球が中堅フェンスの上部付近で跳ね返ったがインプレーとなる。直後に審判団がビデオを確認した結果、「フェンスを越えており本塁打」と判定を覆した。 |
| 2010年5月13日 | 横浜-ロッテ | 横浜スタジアム | 6回1死満塁の場面で代打出場したロッテ・福浦和也の打球はライトポール際へ大飛球を放ち、一塁塁審はファールを宣告したが、ビデオ判定の結果、本塁打と判定を覆し、代打逆転本塁打となった。ビデオ判定導入以降ファウルが本塁打に覆ったのは初めて。 |
[編集] 高校野球
高校野球全国大会の記録一覧を参照のこと。
[編集] 高校通算記録
| 記録 | 選手名 | 備考 | |
|---|---|---|---|
| 最多本塁打 | 94 | 伊藤諒介 | 但し、練習試合等非公式なものも含む |
[編集] 地方大会
| 記録 | 選手名(年度・大会) | |
|---|---|---|
| 大会最多本塁打 | 7 | 谷繁元信(1988年・島根大会)、福留孝介(1995年・大阪大会) |
[編集] 選抜高等学校野球大会
| 記録 | 選手名(年度) | |
|---|---|---|
| 大会最多本塁打 | 3 | 阿部慶二(1979年)、藤王康晴(1983年)、清原和博(1984年)、元木大介(1989年) 高木浩之(1990年)、松井秀喜(1992年)、大森聖也(1995年)、下野輝章(2001年) |
| 連続試合本塁打 | 3 | 下野輝章(2001年) |
[編集] 全国高等学校野球選手権
| 記録 | 選手名(年度) | |
|---|---|---|
| 大会最多本塁打 | 5 | 清原和博(1985年) |
| 1試合最多本塁打 | 3 | 清原和博(1984年)、平田良介(2005年) |
| 連続試合本塁打 | 3 | 香川伸行(1979年)、清原和博(1985年)、藤井進(1985年)、松本謙吾(1990年) 原島正光(2001年)、萩原圭吾(2008年) |
| 1イニング最多本塁打 | 2 | 坂口真規(2008年) |
[編集] 大学野球
[編集] 東京六大学野球連盟
| 記録 | 選手名 | 大学名 | 達成年度 | |
|---|---|---|---|---|
| 通算記録 | 23 | 高橋由伸 | 慶應義塾大学 | |
| シーズン記録 | 7 | 田中彰 | 法政大学 | 2005年秋 |
[編集] 東都大学野球連盟
| 記録 | 選手名 | 大学名 | 達成年度 | |
|---|---|---|---|---|
| 通算記録 | 24 | 井口忠仁 | 青山学院大学 | |
| シーズン記録 | 8 | 井口忠仁 | 青山学院大学 | 1994年秋 |
| 村田修一 | 日本大学 | 2001年秋 |
[編集] 大学野球リーグ全体
| 記録 | 選手名 | 大学名 | 加盟連盟 | |
|---|---|---|---|---|
| 通算記録 | 26 | 森山正義 | 明治学院大学 | 首都大学 |
[編集] メジャーリーグ
[編集] 通算記録
記録は2011年シーズン終了時点
| 順位 | 名前 | 所属 | 本数 | 順位 | 名前 | 所属 | 本数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | バリー・ボンズ | SFG | 762 | 11 | ハーモン・キルブリュー | KCR | 573 |
| 2 | ハンク・アーロン | MIL | 755 | 12 | ラファエル・パルメイロ | BAL | 569 |
| 3 | ベーブ・ルース | BSN | 714 | 13 | レジー・ジャクソン | OAK | 563 |
| 4 | ウィリー・メイズ | NYM | 660 | 14 | マニー・ラミレス | CHW | 555 |
| 5 | ケン・グリフィー・ジュニア | SEA | 630 | 15 | マイク・シュミット | PHI | 548 |
| 6 | *アレックス・ロドリゲス | NYY | 629 | 16 | ミッキー・マントル | NYY | 536 |
| 7 | サミー・ソーサ | BAL | 609 | 17 | ジミー・フォックス | PHI | 534 |
| 8 | *ジム・トーミ | MIN | 604 | 18 | ウィリー・マッコビー | SFG | 521 |
| 9 | フランク・ロビンソン | CLE | 586 | フランク・トーマス | OAK | ||
| 10 | マーク・マグワイア | STL | 583 | テッド・ウィリアムス | BOS |
*は現役選手、所属は現役最終所属球団(現役選手は現所属球団)
[編集] 最多本塁打
詳細は「最多本塁打 (MLB)」を参照
[編集] その他の記録
- ランニングホームラン数
-
- 通算最多本数:55(ジェシー・バーケット)
- シーズン最多本数:12(サム・クロフォード)
- 1試合両打席満塁本塁打
- 2003年7月29日 ビル・ミラー(ボストン・レッドソックス)
- 1イニングに2本の満塁本塁打
- 1999年4月23日 フェルナンド・タティース(セントルイス・カージナルス)
- メジャー初打席満塁本塁打
- 1898年4月21日 ビル・ダグルビー(フィラデルフィア・フィリーズ)
- 1968年6月25日 ボビー・ボンズ(サンフランシスコ・ジャイアンツ)
- 2002年8月31日 ジェレミー・ハーミダ(フロリダ・マーリンズ)
- 2006年9月2日 ケビン・クーズマノフ(クリーブランド・インディアンス)※
- 2010年6月12日 ダニエル・ナヴァ(ボストン・レッドソックス)※
- ※は初球
- 1試合1チーム最多満塁本塁打
- 3本(ニューヨーク・ヤンキース)(2011年8月25日 対オークランド・アスレチックス戦)[5][6]
- ロビンソン・カノ (5回裏)、ラッセル・マーティン (6回裏)、カーティス・グランダーソン (8回裏)
[編集] 韓国プロ野球
- 通算本塁打
記録は2011年シーズン終了時点
| 順位 | 名前 | 本数 |
|---|---|---|
| 1 | 梁埈赫 | 351 |
| 2 | 張鍾薫 | 340 |
| 3 | 沈正洙 | 328 |
| 4 | 李承燁※ | 324 |
| 5 | 朴勍完※ | 313 |
※は現役韓国プロ野球選手
[編集] 注釈
- ^ たとえば、読売ジャイアンツの歴史を詳細に扱った書籍『巨人軍5000勝の記憶』では、掲載40数件のエピソード中、本塁打のエピソードが10以上を占める。『巨人軍5000勝の記憶』 読売新聞社、ベースボールマガジン社、2007年。ISBN 9784583100296。
- ^ 「飛ばないボール」来季から12球団使用毎日.jp2010年8月24日
- ^ 第14回・伝説の「文太球」
- ^ When do stats become meaningful?
- ^ 両チーム合わせた場合、1986年と1987年に1試合3満塁本塁打が記録されている。
- ^ ヤンキース1試合3満塁弾のメジャー記録樹立 Sponichi Annex 野球 2011年8月26日閲覧。
[編集] 関連項目
- 野球の各種記録
- 最多本塁打
- セントラル・リーグ個人タイトル獲得者一覧
- パシフィック・リーグ個人タイトル獲得者一覧
- クリケット#ラン(得点) - 「6ラン」は打球がバウンダリーと呼ばれる境界をノーバウンドで超えた場合に6点が与えられるもので、本塁打と性質が類似する。
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